梗 概
火星の星空
2085年、火星では水を含む8つの大空洞が地下に発見され、国連火星開発局は大空洞に限定したテラフォーミングを進行。2119年の時点で、既に2つの大空洞がテラフォーミングを完了しようとしていた。
フリップ・ジェンキンスは、大空洞の居住区域を担当する建築技師だ。彼はその着実な仕事ぶりが評価され、第3大空洞も担当しないかと上司から提案を受けていた。しかしその提案を受けた場合、向こう10年は火星で仕事をすることになる。火星で10年を過ごすか、地球へ戻るかという大きすぎる選択に、彼はその返事を決めかねていた。
フリップは新人のオーリー・ウィールにレクチャーを終えると、彼をつれて食堂へ向かった。オーリーや、新任の植物学者キョウコ・スースロワの歓迎を目的とした食事会が、グスタフ・キャンベル総合司令官によって開かれたからだ。
食事会が進み、酒の回ったキャンベルは「早く地球へ帰りたいよ」と漏らし、地球の素晴らしさをあがめ、火星のみすぼらしさを卑下する。オーリーは若さも相まって「火星の未来は明るいはずだ」と反論。キョウコとフリップは二人をなだめるが、キャンベルはオーリーの意見を一笑に付し「火星の土地を手に入れるのは、国家や一部の金持ちだけだろうし、そこに住むのは、恐らく低所得者層だよ。火星の地価なんてそんなものさ」と結論付ける。
食事会が終わると、上司への返答を固めるため、フリップは展望室へ向かった。外の風景を眺めながら悩んでいると、キョウコが姿を現した。聞けば「ちょっと考えていることがあって、あなたの意見が聞きたいの」という。上司への返答に結論が出そうにないと判断したフリップは、彼女の相談を受け入れる。
「私ね、占星術に興味があるの。占星術にもいろいろとあるけれど、基本的には十二個の星座と、十個の星の位置をもとにして、様々な事柄を占うの。そして、十個の星のうちの一つが、この火星というわけ」
「火星の星空に火星は無く、代わりに地球がある。それに軸の傾きだって違う。だから火星には、火星専用の占星術を作るべきだ、と?」
「それだけじゃないわ。星空が持つ、人類への影響力はとても大きいと思うの。例えば天文学的な観点に立てば、地球でも火星でも、同じ宇宙を見ているといえる。でも、人間は幻想を足場に生きる動物よ。地球と違うこの星空を見れば、地球とは全く別の、新しい哲学や思想を作り出すことは充分にあり得る。そういうステップの中に私達がいるのだとすれば、ここの仕事も、キャンベルが言うほど悪くはないし、オーリーの頭の中ほど楽天的なものではないとも思うんだけど、どう?」
「どうなんだろうね。哲学や思想には詳しくないが……」
そう言って、彼は視線を外へと向けた。そこに広がるのは、先ほどと何も変わらぬ風景だ。しかし彼には何故か、それがほんの少しだけ、輝いているように見えた気がした。
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内容に関するアピール
テラフォーミングはその定義上、異星のファスト風土化という側面を持っています。では仮に、他の惑星へテラフォーミング……すなわち、紋切り型の「快適な環境」を整え、人類が居住を始めた場合、そこにはやはり、紋切り型の文化しか形成されないのでしょうか。
いや、星空の違いが固有の文化を育むだろう、というのが私の考えです。
古来より、人類は星空へ想いを馳せ、個々の文化に反映させてきました。現代ではかつてほどの影響力はないものの、それでも「星座」や「星占い」という存在が根強く支持され生き延びている、というこの状況は、天文学が見落としている「星空が持つ力」の存在を、逆説的に証明しているともいえます。
当然ながら、星空は惑星ごとに異なります。それを見て人類は何を想うのか。それらを相対化させたときに初めて「星空の持つ力」が観測され、解明されるのではないか。本作は、そのような想いを胸に、執筆しました。
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