梗 概
シロクマは勘定に入れません・・・あるいは宇宙人の侵略
2019年の春節に大量の中国人と一匹のシロクマが、地球を大移動していた。
周さん家族も全員が集まり大食卓を囲っていた。と、扉を蹴破って一匹のシロクマが入ってきた。「家族の団欒はそこまでだ」ライフルと葉巻を抱えたシロクマが笑う。後ろで待ち構えていた、お手伝いの日本人ヨシミが料理包丁でシロクマの首を切り落とした。「来るのが100年早いんだよ」
100年後
シロクマは、レーザー銃を抱え、周さん一家の扉を蹴破って入ってきた。「家族の団欒はそこまでだ」食卓の奥には、年老いたヨシミが座っていたが、もう自分で体を動かすことはできない。シロクマはレーザー銃を撃ち込んだ。全ての光と音が消えた。
华为の画面。ゆっくりとヨシミが撃たれる画像に音楽が流れだす。画面を見ながら、シロクマが自分の音声を録音している。「ヨシミは、時間が存在しない世界からやってきた。わたし達の仕事は時間が存在する世界を訪ね、その時間が作った歴史を記録すること。ヨシミは、中国の一家に入り、その家族を見守ることがが任務だった。」シロクマは自分の声を聞いて照れる。次第に映像が幾重にも重なる。
ヨシミは、周さん一家の祖父と祖母が無くした手紙を探した。父親の不正出費と母親の不倫を隠蔽した。双子の兄には恋愛感情はなかったが結婚をして、子供を3人産み、孫が9人いる。脳性麻痺でゲイの双子の弟が、失恋をして自殺をする寸前に、彼の記憶を保存した。人の記憶を保存し別の人体へ移植する技術もヨシミによって中国国内に限り広められた。あらかじめ人体に埋められたチップで病気を防ぎ、細胞再生技術も進み、多くの人が不死に近い状態となった。
空人体の不足という問題が発生し、記憶移植は人以外の動物にも適用化され、進んで動物の体を選択しては、愉快な動物の体で日常生活を送る人間も増加した。(入替動物人気1位猫、2位熊猫、3位柴犬、シロクマは選外の32位)それでも動物一般の慢性的不足という問題に対し、物理博士の夫に「死後の世界」を科学的に証明させたため、爆発的に自殺者が増え、人体不足を解決した。100年かけて、ヨシミは中国だけを「ユートビア」とし、地球侵略も完了させた。
春節の日、自分の体には再生細胞手術を施さないヨシミは、120歳の老婆であった。夫の母親は70歳の姿だった。「愛していない男の子供を産んだ目的は何だったの?」家族が揃った食卓でヨシミは義母に答えられない。「あなたが本当に異星から来たのなら、自分の言葉を話してごらんなさい」ヨシミは、何も声に出せなかった。
シロクマ「家族の団欒はそこまでだ」
時間は観測者が観測して初めて、そこに流れ出す。「わたし達は、時を眺めすぎてしまった」シロクマは、ヨシミというシステムをリセットして、また地球を観察し報告することにした。地球の時間が動き出した。
毎年春節に中国人とシロクマが地球を大移動することになった。
文字数:1199
内容に関するアピール
100年後の社会の変わることと、変わらないことをノート一冊くらい書き出した。ん、100年後も変わらないことの方が書くに値するのではないか!という結論に机を叩きながら達する。どこかの小説家が「中国の皇帝の小説なんか読みたくない。街の食堂で働く人の物語を書くのだ」みたいなことを言っていていた。「っ、いやいや、わたしは中国の皇帝の小説を読みたいですよ」という心の中のお言葉を自ら賜って書いてみるも。あ、いま中国に皇帝いないんじゃ?と気づいたところで、皇帝が再誕生する物語を書きだして少し悦になる。が、少し壮大すぎたのでコンパクトにする。
ある中国家族とその家のお手伝いの伝統的で静かな春節の時間を描くことによって、100年経っても変わらないことと、100年間毎日山を削り続けたことで、ようやく変わった景色という静かな一瞬を描いた。参考音楽:Yoshimi Battles The Pink Robots
文字数:397
シロクマは勘定に入れません・・・あるいは100年の宇宙人侵略
この報告書は、石板に主に中国語で彫られた文字を今野が日本語翻訳した。記述の誤謬があれば、その責は全て今野にある。また、記録された数ヶ国語の会話の発言者には発語障害があったが、日本語表記の際には全て標準的日本語会話として記した。石板への記録時期は現在の調査では未だ不明であるが、わたしが発見したのは2019年6月20日、北極圏にあるスピッツベルゲン島だった。戸惑うこともあったが、報告書は書かれている上から順に書き写して翻訳をした。報告書の日時の表記は原文のままである。
2019年7月11日 今野明广
2019年2月5日春節 中国人とシロクマが地球を大移動する
中国の全ての物語が石板から始まったように、この報告も石板から始まる。
北極圏の2月3日は完全な闇に包みこまれていた。太陽が上らない二か月間が続いた後、北極点から遥か南の先に、太陽が橙色の光を放出しはじめる。チョコレートと幾つもの白角砂糖を載せた白い皿に見えた景色が、角砂糖の群れが一斉に震え出すと、数百頭のシロクマの群れとその中央に横たわる黒い石版に変化する。シロクマたちは、ゆっくりと石版を囲んで円を描くように歩きだす。一匹のシロクマが石版に呼ばれるように近づくと、石版は音をたてずに立ち上がった。石版の周りを回っていた全てのシロクマたちは動きを止め、中央にいる一匹を見つめる。シロクマは二本足で立ち上がると、石板に両手をそっとつける。そして彼のシロクマは、自分が何処で何をするのかを理解した。
中国人にとって春節は、地球上のどこにいても家に戻らなければならない。2019年は、延べ30億人の中国人が地球と月の間を2.5往復する距離を、ただ家族の団欒のために急いでいた。世界中の地球観測衛星からもその光景が捉えられ、毎年の行事である「中国人の大移動」を各国のテレビでは微笑ましく報道していたが、一方で地球外生命体が中国ハルビンを猛速度で目指して走っている姿に注意を払う者はいなかった。
シロクマは、北極の氷上を走り、船に乗り、洋服と中折れ帽子を買い、街で人気の定食屋に入りボルシチとピロシキを無表情に食べた。その姿は、少なくもない人によって撮影され、音楽を入れて編集された動画が抖音(tiktok)で公開されたが、大した評判にならなかった。この動画には可愛さと生物としての本質が何かしら欠如していた。シロクマは片手に新巻鮭を二本、片手に赤ワイン二本と葉巻を持って、中国車の吉利汽車に乗り込んだ。「こんにちは。一家団欒。さようなら。わたしはあなた達を愛しています」。シロクマは高速道路で車を走らせながら、ヘッドフォンから聞こえる中国語のシャドウイング練習をしていた。「宇宙に時間は存在しない」シロクマの中国語の発音は全く上手くない。
中国黑龍江省ハルビン市内、古くて小さな煉瓦建物の周さん一家でも、周辺で爆竹が鳴り響くなか、家族全員で春節を迎えていた。周さん夫婦と18歳になる双子の明と浩。父親の兄妹とその子供たちと兄の妻の両親とその子供たちの34人が二つの丸い卓子を囲み、日本人のお手伝いヨシミと赤犬ぷうがテーブルの周りを忙しく動いていた。明はミケランジェロが彫った羊飼い時代のダビデを思わす容姿と明るい性格で人受けが良かったが、脳性麻痺である弟の浩には、話しかける親戚はいなかった。浩が自分で皿を取ろうとすると、誤って卓子から皿を落として割ってしまう。
「よしよし。春節に皿が割れるのは縁起がいい。魚を食べるのも縁起がいい」と、目の見えないお爺さんが笑いながら、大皿の魚を新しい皿と一緒に浩へ分け与える。「魚は、本当に何時たべても縁起がいいの?」浩が聞くと、「そうだな。ああ、」お爺さんは古いアルバムを捲るようにゆっくりと答える「昔から魚と熊の手を並べてはいけないと言ってな。今日、もしも、もしも、ここに熊の手が、」
「家族の団欒はそこまでだ!」聞きづらい中国語で、両脇にライフルベルトをしたシロクマが窓を割って、飛び込んできた。シロクマは飛び込んだ勢いで、割った窓ガラスの中に転げてしまうが、全く痛みが無いように装って立ち上がる。ライフルを家族に向けると、葉巻を咥え、周りを見渡した。シロクマが来ることがわかっていたように、シロクマの真後ろにいたヨシミが、手に持つ料理包丁で、首を斬りつけた。「あれ?」シロクマは自分の頭が落とされないように、両手で首をささえるが、ヨシミに思いきり両手ごと切り飛ばされる。シロクマは自分の血の中へ体を沈めながら、お婆さんが慌てて切断された自分の手を布で隠すのを見て、ヨシミの声を聞いた。「おまえ、来るのが100年早いんだよ」ヨシミの声にようやく自分が時間を少しだけ間違えたことに気づき、息絶える直前にシロクマは未来を思い出した。
100年後、2119年2月10日春節。シロクマ再訪
シロクマは、運転する車内で、一心に中国語のシャドウイング練習をしていた。「こんにちは、おひさしぶりです、家族の団欒、さようなら」窓から見える北京市内の風景は、整然と配列された白い中層建物が並び、所々に窓もない黒い板のような建造物が建っている。「宇宙の全ての因果を集める」中国語は全く上達していなかった。本来シロクマの口腔は、中国語の発音に全く適していないのだ。
中国人にとって春節は、地球上のどこにいても家に戻らなければならない。北京の周一家では、周辺で爆竹が鳴り響くなか春節を祝っていた。大きな卓子が八つ置かれた部屋は様々な肌の色の人や犬、熊猫、カンガルーら様々な動物らしき大家族で賑わい、春節料理を食べていた。一人の動物らしき子が皿を割ってしまう。ひとりのお爺さんが、皿を割った子供の頭を撫でた。「春節には、皿が割れるのは縁起がいい。魚を食べるのも縁起がいい」笑いを顔に浮かべて、大皿の魚を新しい皿と一緒に子供へ分け与える。「魚は、本当に何時たべても縁起がいいの?」子供が聞くと「そうだな。ああ、」お爺さんはゆっくりと答えた。「昔から魚と熊の手を並べてはいけないと言ってな。今日もしも、ここに熊の手が、」
「家族の団欒はそこまでだ!」非常に聞きづらい中国語で、両脇にライフルベルトをしたシロクマが窓を割って、飛び込んできた。シロクマは飛び込んだ勢いで、割った窓ガラスの中に転げてしまうが、全く痛みが無いように装って立ち上がる。レーザー銃を家族に向けると、葉巻を咥えて、周りを見渡す。見渡した先にようやく、ヨシミが見つかった。奥の卓子にいるヨシミは118歳の老婆となっていて、動くこともできずにシロクマを見返した。シロクマは、ヨシミに向けてレーザー銃を撃った。全ての光と音が消えた。
永遠に続くかのような完全な闇に覆われた後、ボッとひとつの卓子の周りだけが明るくなった。シロクマが誰もいない周さんの食卓で、魚の横に手をおき、箸を器用に使って春節料理を食べている。周りには华为製の立体ホログラムに、ヨシミが銃で撃たれるところが再生され、シロクマが操作をすると、音楽が流れた。シロクマは、そこへ自分の声を録音し始める。「2119年2月10日金曜日。あ、あ。ヨシミのリセットに成功」シロクマは再生して自分の中国語を聞くと思わず照れる。首には清潔なナプキンを掛け、長箸で魚の骨を除きながら口に入れる。シロクマを囲むホログラムの再生画像は、ひとつひとつ増え始めた。シロクマは録音を続ける。「ヨシミは周一家を見守りながら、地球の歴史を記録していた。ただそこで、地球生物の進化に変化を与えているうちに、次第に時間が流れるという奇妙な世界に魅入られてしまったようだ」部屋いっぱいに3Dの画像と音声が重なって溢れる。その真ん中でシロクマは過去を想像してみた。
2019年2月5日春節、ハルビンでシロクマは跡形もなく消える
周さんの家で息絶えたシロクマを前に、家族の誰も動けない中、ヨシミがシロクマを台所の端に片付け、床の掃除を始めた。「ジイ、これは何なの?」双子の弟浩は怯えて、話し方と動き出しの痙攣が強いまま立ち上がると、ヨシミが後ろから抱きしめる。「ジイ?」お爺さんは、平静を装って話した。「大昔、パンダはシロクマだったんだ」隣に座るお婆さんは話を遮って「ジジイ、また適当な話をするか」「シロクマは、ある子シロクマを助けて自分の命を犠牲にして亡くなってしまった黒羊の葬式に出席するため、自分達の体を黒く塗って出席したんだ。そしてシロクマたちは葬式の間ずっと泣きはらしてな」「もう黙れジジイ」お婆さんはお爺さんに手をあげると、お爺さんは手で顔をかくして極端に怖がる。
「このシロクマは宇宙人だから、わたしがやっつけた」ヨシミは、まだ血がついたままの手で浩を抱きしめながら教える。近くにいる明はヨシミと浩に向って「ヨシミも宇宙人なんだろ、なんで宇宙人が宇宙人をやっつけるんだ」「こいつは、地球の時間を間違えたのだ。確かに地球の時間を正確にわれわれが把握するのは、困難なんだ」浩が振り向いて聞く「何時間くらい間違えたの?」「地球時間で100年」「100年先なんて、僕たち誰も生きていないね」「それはどうかな」とヨシミは意味ありげな笑顔を昭に向けて言った。そしてようやく、ヨシミは100年後に自分が死ぬことを思い出した。
父親が、場をとりなすように言った。「まあこれで、しばらくは家で熊料理が食えるぞ」それから周一家では、近所に熊肉を配っても熊料理が毎日2か月続いた。同時に大量の精力剤ができたが、祖父母と夫婦の間で間もなく消費された。
同じ日の同じ時間、大阪
「好美、もう起きて」母親に体を揺すられて、好美は夕方の6時にようやく目を醒ました。好美は脳性麻痺であり、強い痙攣をしながら起き上がった。「ママ、変な夢をみたよ。わたしは、中国にいるの。そしてね、家の窓から入って来た大きなシロクマと戦うの」母親は好美の言うことにはとりあわず、玄関から声をかける。「ママは仕事にいくから、早くご飯食べてね。できれば、食べた後は自分で片付けておいてね」「行ってらっしゃい、ママ」
好美は、自分の部屋でひとり、時間をかけてモーションキャプチャの装置を装着する。PCに接続し、ソフトを立ち上げ、若い男の姿を自分の体とリンクさせた。好美の動きは多少補正がかかるが、不規則な体の痙攣がある。ディスプレイの中にいる短髪でランニングシャツに筋肉のついた男の子の顔をみつめ、画面の男の子が自分と同じ動きをするのに嬉しくなる。そして声を出す。「おっすおっす。」声も若い男の声に変換されている。好美は、VTuberを始めた。「おっす、良夫だよ」2019年2月3日。まだ好美の作成した良夫のフォロワーは一人もいない。
1年後 2020年1月25日春節、浩は日本人の男子と一緒に踊る
この日も多くの親戚たちが周家族のもとに集まるのを、ヨシミは赤犬ぷうと共に玄関で出迎えていた。家の中から目の見えないお爺さんが飛び出して「眼鏡を知らないか」と聞かれると、エプロンのポケットから眼鏡を取り出してお爺さんに眼鏡をかけてやる。お婆さんが庭の端にある牛舎から、「この頃は牛の乳の出が悪い」と呟くと、ヨシミが素早く牛の許に走り寄る。牛の耳にボソボソと囁くと、牛が顔を赤くしていやらしくにやけると祖母が握る乳から勢いよくミルクが飛び散った。「おまえは、家のために何でもする子だね」「まだまだですよ」と、ヨシミが謙遜すると、古い小型車に乗って父親が帰宅した。車から降りて焦燥した風で肩を落として扉に向かう父親の横に、ヨシミは一緒に歩いて家の中に入る。「おい、お父さん。会社の金を自分のFXの追証金に使っちまったことは、わたしが処理しておいたから安心しろ」「え、ありがとうございます。って、急にタメ口?」「これからは、お前の周りに味方を用意しておいた。お前が会社を急いで大きくしろ」「え?急に命令しますか?」「お父さん、あと99年しかない。急いでおまえが中国を変えるんだ」と、強く自信をもった目で見つめるヨシミから指図されると、お父さんは、そういう女性に心底弱かった。「はい、わかりました」お父さんは頬を紅潮させ、目を輝かせて心の尻尾をぶんぶん振って頷いた。
居間の中央にある大きな卓子の周りにはすでに親戚が座って、沢山の皿の前で騒いでいた。親戚の子供が皿を割って、自分の失敗に驚いて泣いてしまう。お爺さんがひとつ皿を取って、子供の前に置く。「春節には、皿が割れるのは縁起がいいんだ。魚を食べるのも縁起がいいと言ってな、」と、窓が激しく震えた。誰もが去年のことを思い出して動きを止めるが、それは爆竹と花火の音だった。
「今年はもうシロクマは、来ないだろうな」母さんが、ヨシミに厳しく問い詰めた。「大丈夫です。今年は来ませんよ、お母さん」ヨシミはお母さんの隣に立つ。「お母さんは、もう町内会副会長の陳兄さんと、密会をするなよ」ヨシミはただ皿の並べ方を指摘するかのような言い方をする。お父さんは、お母さんを見るが、よく意味が分からない。「すぐに、お父さんの会社が大きくなって、お父さんがもうすぐ社長さんになるから。そうしたら、お母さんも、お兄さんも、お姉さんも、みんなそこの会社に入れ」
卓子に座った大人たちは皆顔を見合わせる。お父さんの妹の夫が手を挙げ、真剣に聞く「そこに、企業年金はあるのか?」「そうだな。仕事の内容より、年金がどうなっているかだ」親戚たちは一斉にお父さんに年金の話を賑やかに聞き始めた。ヨシミはお父さんに、厚い企画書を手渡した。「お父さん、読んでおけ。会社が中国の中心になり、周一家が世界の中心になるんだ」「はい」お父さんは尻尾を横に激しく振った。
ヨシミが料理を持って明の前に皿を置くと、明から手を掴まれる。「ヨシミ、あとで僕と熱心なセックスをしませんか?」明が親戚の前で日本語を話すので、ヨシミは皆に聞こえるように中国語で返す「おまえは、雌牛とやってろ!」本人も親戚たちも、それは明への揶揄った言葉だと思って小さく笑った。しかし、この言葉もまた、ヨシミの命令であったことに気づく者は、この時は誰もいなかったし、79年後にこの言葉を思い出す者も誰もいなかった。
ヨシミは华为を取り出し、画面からこの卓子に来ていない双子の弟、浩の部屋の様子を写した。浩は、中国のネット配信番組で、好美が扮するVTuberの男の映像を見入っていた。
同じ時間、大阪
VTuberの生配信が始まった。好美の声は、太い男の声として再生される。瞬く間にフォロワーの反応が画面に溢れる。10万人になるフォロワーの80%が男で、そんな男専受けVTuberを慕う熱心な女子達も全体の19%を占め、画面いっぱいに応援メッセージを書き散らしていた。好美は、全身を使ってリズムを外したダンスをし「素人童貞のお前らに、今日も会えて俺はうれしい」葉巻を咥え、双銃を構えてライフルを乱射する「おっす。双銃乱舞ぅ、快感快感っ」こんな毎回の決め言葉を好美が男の太い声で叫ぶと、画面のメッセージも震えた。
一時間の生配信が終了する瞬間、好美は沈んだ表情を見せるが、すぐに中国のネット配信会社へアクセスする。素のカメラで拙い中国語を使って、配信会社の担当者と会話を始める。
「好美さん、中国の配信は下ネタも政治ネタも中止です。我々は当局から管理されているので、前回のような問題を起こすと会社が消滅してしまいます。それから、日本語と英語もダメです。全て中国語だけでお願いします。おまけに、好美さんは固定客が少ないことも問題です。顧客がとても少ないけど、太客がいるからウチで仕事ができているのですよ。わたしの話、わかりますか?」中国ネイティブのあまりに早い中国語には、聞き取れなくなっている。「はいはい、わかっています。何も問題ありません。この店を出て先に歩いても、もう新しい店が見つからない。って中国語も知っていますよ」好美は、机の上の写真を触りながら日本語で呟く「お姉ちゃん」写真は双子の姉妹が、動物園でシロクマを背景に笑顔で寄り添っている。
写真に写っていた双子の姉ヨシミは、今、周一家で家政婦をしていた。
同じ時間、周家族の家
ヨシミが华为の小さい画面から浩の部屋を見ている。
浩は課金をして良夫と一対一のチャットをしている。ネットで彼に、新しい空手着をプレゼントする。「俺、この間、黒帯をとった」良夫がくせのある中国語で話す。「なんで、空手をやっているの?」「強くなって、悪いやつらをやっつける。一年前、姉ちゃんが悪い奴に連れていかれていなくなったから。だから、あいつらと闘う」そして日本語で呟いた「と思っていたけどさ。やっぱ、もう。疲れたなあ。会いたかったよ。お姉ちゃん」写真の姉、ヨシミを見る。
2年前、2018年2月3日、ハルビン動物公園
ハルビン動物公園に旅行で来て、手をつないでいる双子のヨシミと好美。地面も檻も至る所全てが凍り、他に人影は見当たらなかった。園内には谷村新司の「昴」が流れていた。二人は満面の笑顔で自分たちの姿をシロクマの檻の前で写真を撮った。北極シロクマの前に黒い石板がある。石板に書かれている中国語をヨシミは日本語で妹に読んできかせる「1919年、世界で初めてここハルビン市立動物園で北極白熊と南極皇帝ペンギンは出会った。そして同じ氷の上で暮らしたが、翌日南極ペンギンは全滅した。北極シロクマが食べてしまったのだ」好美は、奇妙な動きをしながら笑う。石板はゆっくり音も立てずに起き上がった。「我々は白熊とペンギンを同じ氷の上で飼ってはいけないことを学んだ」ヨシミは、誘われるように石板に両手をつける。氷の上をぶらついていた檻の中のシロクマと、園内の他の動物たちも一斉にヨシミを見る。園内の音楽が止んだ。ヨシミは体を大きく震わせた。
体を踊るようにくねらせて笑っていた好美が体を起こすと、姉のヨシミの姿が見えない。「え?おねえちゃん。おねえちゃん」できる限りの声を出して叫んだ「おねえちゃん」周りの動物も、降り出した雪もそれには答えられず、好美の叫ぶ声と時間を静かに吸い込んでいった。
もとの2020年1月25日春節、ハルビン周家族の家
モニタの中で好美が動かしている良夫の姿を、浩は食い入るように見つめていた。浩がモニタの良夫に合わせて立ち上がり、音程とリズムに構わず大声で歌い出し、そしてはじけた踊りを始める。「あの娘はヨシミ/空手の黒帯/僕らの町の為に/いつも鍛えとうねん/いつかきっと/彼女はメチャクチャ強い悪のマシーンを/しばき倒すだろう」
浩は画面を見つめ、興奮して息を荒げながらも、良夫の動きを懸命に追い続けていると、次第に動きがひとつに重なる。動きを重ねるほど、浩は愉悦に満ちた顔になる。
ヨシミが勢いよく大きな音を立てて扉を開けて入ってきた。「脳性麻痺の二次元ゲイだとたいへんだよな」ヨシミは、浩にそう挨拶をする。浩も全く怒ったそぶりはなく、そっと良夫との通信を落としてから、書き順を修正するように静かに浩が答えた。「ぼくは、軽度の脳性麻痺だ。他の脳性麻痺の奴らと一緒にするなよ」「何のこと?」「だって、重度のやつは何言っているか全然わからないだろ」「自分は障害者に差別発言をしていいって、思ってないよな」「ぼくも健常者が障害者を差別する気分を味わいたいんだ」「お前のどこから間違っているか、きちんと聞きたいか?」ヨシミと浩は、お互いの体に軽く触れながら、睦まじい挨拶を交わしていた。
「ヨシミは、兄さんとつきあいなよ」「おまえらのつきあうは、セックスの意味か?」浩は兄のいいところを説明しようとするが、なかなか言葉が出てこない。「兄さんにも、いいところが沢山あるんだ。」「たとえば?」「TEDに出演してつまらない話を、凄い可笑しな話をしているかのように振る舞う人の物真似。とかさ」「へえ」「それから、兄さんに近づけば、うん。よくわかるよ。」「なにが?」「兄さんは、いい匂いがするんだ。すごくね」
ヨシミは恥ずかしそうに俯く浩を見て、納得したように「ああ、ああ」と大きく頷く。浩は、録画したVTuberの良夫を画面に再生させて、また画面に没頭して踊り始めたので、ヨシミは部屋を出ていった。「兄さんとつきあって。兄さんの子供を産んでよ」扉が閉まってからも、浩はヨシミに声をかけていた。
部屋を出て親戚が集まる卓子に戻り、親戚と白酒を交わしながら理想的な年金制度の話をし、料理の皿を片付け、アイスクリームを配るころになって、ヨシミは大きな違和感を覚えた。違和感は自分の体の奥深くに浸透していき、山査子の飴を口にしたところで、ヨシミは息を止めた。記憶を浩の部屋の中まで逆再生して止める。部屋を出る寸前に、浩が真似る画面の良夫の踊りが、伝達言語であることに気づいた。頭の中の記録ファイルを瞬時に検索すると、彼の動きと中国の漢字発祥と同時代に栄えた、身体を使った伝達言語運動と一致することを見つけた。
ただし、VTuberの良夫を動かしている好美こそが自分の妹であったことに気づくのには、これからあと、約100年かかることになる。もう一度、浩の動きをゆっくりと再生し、ひとつひとつの動きを見ては、運動言語から一語一語声に出して中国語に翻訳した。
「そ、し、て、わ、た、し、は、つ、ぎ、の、ひ、に、し、ん、だ」
次の日、2020年1月26日、大阪
毎週日曜日の夜8時は良夫の時間だった。ただこの日の8時は、良夫の姿はネットに現れず、好美の部屋には明かりも灯っていなかった。暗い部屋の中、PCの電源だけは点いていて、二次元の良夫が軽く体を左右に動かし「あの娘はヨシミ/空手の黒帯」のフレーズを繰り返し繰り返し口ずさんでいる。
夜11時50分のタクシーから降りて、頬を赤く染めた好美の母親は誕生日ケーキを抱え、12時丁度に好美の誕生日に部屋を開けて、娘の好美が首をつっているのを見つけた。母親が長く叫ぶ声が終わっても、モニタの良夫はいつまでも体を左右に振って低い声で歌い続けていた。
日本の10万人近いフォロワーが、この日に良夫の配信がないことで小さな失望を味わったが、時間がたつにつれて、良夫がネットに見えなくなったことを話題にする人もいなくなった。また多くの者たちによって、ネットの中で良夫的需要を掘り続けられていった。
約一年後、台湾のwebメディアが、日本で障害を持った女子高生がはじめたVTuberが男の姿をして人気になっていった最中に自殺したという記事も掲載されたが、大した興味を持たれなかった。ハルビンに住む19歳の双子の障害者の弟を除いては。
2021年2月18日春節、お爺さんが神様のパズルを始める
ハルビンのどの家にも逆さにした「福」の字を書いた赤色の春聯が貼られている春節。周一家の門にだけ春聯が貼らていなかったのは、二日前に浩が自殺をしたからだった。葬式に出席をするために、やはり春節と同じように親戚が周一家の卓子に集まって、春節と同じ食事をしながら、賑やかに話している。「好いことと悪いことは交互にやってくる」「お父さんが社長になって、会社が毎日M&Rをして大きくなって、俺たちみんながいくつも会社をもったけどな」「浩とぷうが同時に死ぬなんて」「息子と野良犬を一緒にするな」「ヨシミのロードマップの通りにすすめて中国をいくつも買えるくらいの資本になったけど」「灰皿ありませんか」「浩がここらへんをフラフラ歩いている気がする。手をこんな風に曲げちゃって」「曲げてた曲げてた」「浩は日本人のなんとかって男が死んだから後追い自殺をしたんだって」「明は清華大に落ちたけどMITに合格したのは良かったのか?」「浩はあんな体で二次男専だったとはな」「ぷうがいなくなっても今もおれの足元にまとわりついているようだ」「あ。わたしも今足もとにぷうが通ったよぷうぷう」「今日は葬式やらないらしいよ」「なんで?」「浩もぷうも今は生きてないけどまだ死んでもいないらしいの」
別の部屋では、目が見えないお爺さんがパズルの小さな木片を掴んで、部屋中に敷かれたシートの上にその小片を置いている。部屋の隅では、痴呆が進んだお婆さんとヨシミが座っている。「ぷう、こっちおいで」「婆さん、俺はぷうじゃないぞ」「ぷう、一緒にごちそう食べよう」「ぷうは、昨日死んだろ。死んだ浩の奴がつれてったんだ」「浩が、どこへ連れて行ったの?浩は、体が悪いんだから、ぷうを連れて散歩できないでしょ」「お婆さん、ご飯をたべにみんなのところへ行くよ」ヨシミはお婆さんの手を取って立ち上がった。「爺さんは?」「俺は、ここで、この絵を完成させる。時間がないからな」お爺さんが小片をつなぎ合わせている絵の中央部分は、こんな感じだった。
ヨシミはお婆さんの手を引いて、親戚の集まる居間へ連れて行く。「ヨシミ、おじいさんに何をさせている?」「お爺さんは、本当の目で見ることができる練習をしている」「おまえは、何をしている?」「わたしは、ずっと周一家を見守るの」お婆さんは、突然声をあげてヨシミの胸を叩く。「おまえは、どこからきた?」お婆さんは、ただ泣き崩れてしまう。「お婆さん、苦しいか?病気は恐いか?」ヨシミの声に、また急にお婆さんは真顔になって立ち上がる。「わたしは、このまま呆けて死んでいくよ。恐くない。ヨシミ、お前は私の体に絶対何もするな」ヨシミは黙って、お婆さんを皆が集まる卓子まで連れて行った。
ヨシミの部屋の曇った窓の外で街灯が映す白い雪は、ヨシミのもうひとつの記憶を軽く叩き続けていたが、まだ扉が開く様子はなかった。ヨシミは、大モニタで、浩のデータを見ている。モニタで画面分割された幾つもの画像に、浩から見た明が映っている。浩が見ていた殆どの景色は兄の姿だった。「ヨシミ、兄さんと結婚しろよ。ヨシミ、兄さんの子供を産めよ」浩の吃音の音声が何度も再生される。「ああ、そうだよね」ヨシミは、浩のデータを無造作に媒体に移し、次に犬のぷうの記録を再生して眺める。周の家族がみな屈託ない笑顔で赤犬ぷうに接していた。
「MITロゴ入り、マグカップ買ってきたよ」明が土産袋を持って、ヨシミの隣に立つ。「おまえにとって、双子の弟は、どういう奴だった?」「ぼくは浩と殆ど話したことがないんだ。あいつは、ああいう話し方だからか、ぼくから話しても、何も答えなかった。パパ、ママとは話していたけどね」「死んじゃったよね」ヨシミがwebニュースで知った見知らぬ他人のように話した。「そうだな」明は、何かを思い出したようだったが、それを言わずに違う言葉を続けた。「みんな、浩の死体を見ていないって言ってる」「わたしが持ってる。わたしは、浩が好きだった。浩は才能があったの。0.1秒、他人の動きの先が読めた。だけど彼は自分の体でそれを表現するのに、1秒かかってしまった」「それが何かの役に立つのか」「彼は電子の動きを予測できたの」「ディラック方程式あたりの」「お前は、MITでダンスクラブに入った方がいい。ダンスをもっと、上手くなれ。それから、浩の考えを学べばいい」
「ぼくは、ヨシミがずっと好きなんだ」明は、ヨシミの手に触るが、ヨシミは手をひいて言う。「浩は、おまえのことが好きだったのを気づいていたか?」「ヨシミ、ぼくと長閑なセックスをしようよ」「動物のセックスは、わたしが作ったユーモアだよ。」「ヨシミは、本当に宇宙からやってきたの?」「人間でないだけだ」「ひとつ、きいていいかな。ぼくって、ここに存在しているの?」「それは、見方によるね。人間のユーモアは、難しいな。おもしろくないか?」「わからない。とにかくさ。射精していいかな」「うん。いいよ」
こうして、ヨシミと浩は最初のセックスにして子供を授かることに成功した。「こういうのを三角関係っていうのだろう?」ヨシミが初めて浩に質問をすると、浩はヨシミを抱きながら得意げに答えた。「それは、見方によるな」
ヨシミは一晩をかけて、明にこれからの周一家が世界を進める、いくつものロードマップを説明した。明は太陽系ひとつを買えるくらいの理論をヨシミから聞かされたが、ヨシミとユーモアを分かち合えたことが楽しくてたまらなかった。
翌朝、明はヨシミに求婚をして、ヨシミが承諾すると、すぐに結婚届を役所へ提出した。明が、もう一度ヨシミとユーモアを交わしたかったが、事務的に断られて、ボストン行きの飛行機に乗せられた。
その翌日、ヨシミは一人で、浩と赤犬ぷうの復活を試みたが、失敗した。浩に浩自身の記憶を再度インストールしてみたが、起動させることは出来なかった。さらにぷうの体に浩の記憶をインストールすると、ぷうが起き上がったことで実験の成功を確信して、拳を握って振りかざした。ぷうが立ち上がるなり、外へ向かって走り出すのも、両手をあげたまま後ろから追いかけていたが、ぷうが道路に出て、走ってくる車に自らの体をぶつけたのを見て、ゆっくりと上げた拳を下へ下ろした。人は誰もが生を望んで死を恐れているわけではないことを、ヨシミはやっと理解できた。
2040年2月12日春節、北京の家でお爺さんの天地創造が完成する
周一族は中国一の財閥となり、北京へ移り住み、北京で春節を迎えていた。「セックスを何度したからといって、相手とわかりあえるわけじゃないんだ」父親の明は、大勢の親戚が集まる卓子で双子の娘と息子の二人に話しているが、親子の二人の年齢は共に20歳程度に見える。「そんなの、あたりまえだよ、パパ」
「家族の団欒はそこまでだ」両手いっぱいの爆竹を鳴らして、サングラスをかけた明の父親が卓子の部屋へ勢いよく入ってくる。これを毎年のように続けているからか、誰からも反応はない。親戚たちは、子供たちを除けばみな20年前と同じ姿をしていた。明は、娘と息子の顔を見て、自分に似た箇所を見つけては嬉しくなる。「わたしは、日本のママに似てるって言われる」「ぼくはパパに似て嬉しいけど、今は何だかパパと兄弟みたいだ」ヨシミが料理を運ぶ中、父の兄弟の誰かと誰か達が、春節料理と白酒を口に運びながら話していた。「全部われわれがやったんだ」「われわれが人類に進化の階段をいくつも昇らせた」「毎年のようにテロメア再生、スプライシング抗体に、あれ、なんだっけ」「中国人なら、20になったらみんな、光免疫因子チップを無料で挿入できるからな」「これで、中国人は始皇帝の夢を2200年かけて実現させた」「しかも、皇帝でなくて中国人であるというだけでね」「おれたちは、なんて気前がいいんだ」一部の人たちは舞台芝居のように大声で笑っているところで、子供が皿を割る。「春節に皿を割るのは縁起がいいんだぞ」卓子の間を一人働いていたヨシミが皿と魚を取って、ゆっくりと子供に渡す。この子は誰の子供だろうと思いながら。
多くの中国人が20歳になると、注射器を使って、体内に極小チップを挿入することで、多くの病原体を治癒させ、細胞の老化を防ぐことが可能になった。しかも周の会社と国家が無料で提供するという表向きの顔をとっていた。多くの医療保険、老後年金などの施策を無償化し、先進的な医療法を進めることで、唯一中国だけが、ユートピア国家と呼ばれ、近隣の東南アジア、極東ロシア圏は、中国国家の一省への統合が進んでいった。また世界中で中国語を第一言語とする国家も増え、WeChatPayで元を使うのが国際的に最も安全な決済手段となった。また中国だけは、他の国では日常的に発生するテロが存在しなかった。そのための犠牲も払ってはいたが、周辺国から中国へ移住を望む者が後を絶たなかった。
しかし、中国国民の誰もが、必ずしも病や老いや死を避けたがるわけでもない。特に周の家では、体の動きに障害がある者、耳や目が不自由な障害人たちが多く集まっていた。春節料理を食べる大きな卓子のある大きな部屋の一方では、目が見えない明のお爺さんと、サングラスをかけて盲目となった明の父が、一緒に絵のピースを嵌めている。部屋の壁には、19年前にお爺さんが一人で作っていた「アダムの創造」と、「エヴァの創造」が飾られている。二人は今、「原罪と楽園追放」に取り掛かっている。
「婆さんが死んだあと、お前が手伝ってくれて助かっている」「母さんが死んだその日に、父さんは薬を打つ方を選んだんだって?」「俺は、この絵を最後まで完成させたい。正しい位置にピースが入るとな。その絵がはっきし見えてくるんだ。この絵の物語は中国の神話と同じじゃないか」「ぼくは、目が見える時に本物を見に行ったよ。バチカンのあの礼拝堂は、人が創られていく場所だった。一日中ずっと天井を見てた」「お前は、本当に50歳のままなのか。触らせてくれ」息子の顔をなでる。「そうだよ」「よくわからんな。触るんじゃなかった」
卓子の間を縫って忙しく食事を運ぶヨシミは着飾らず40歳の外見だが、ヨシミを手伝って一緒に料理を片付ける夫の明は20歳の容姿のため、「親子に見られるから、べたべた近寄るな」とヨシミは近づいてくる明を遠ざける。「ヨシミ、今晩こそ、五人目の子供作ろうな」周りの親戚たちが口を挟む「明、法律は絶対守ろう」「周一族こそ、再一人子政策遵守だろ」親戚の老人の一人が、酒を飲みながら李白の詩(蜀道难)を詠みはじめる。
ヨシミは明に言う。「子供はもういいだろ。われわれのユーモアはもう尽きた」また老人の何人かが共に大声で李白の詩を続けた。「ここから、地球の生物は劇的な進化が必要だ。お前の頭には浩の分も載せたんだ。早く進めろ」詩を読む声は、次第に大きくなる。明も声を上げて言った。「おい、俺の頭を使って勝手に実験しやがって。双子だから、俺と浩の同期が成功できたとか。なんだよそれ。俺以外は、死後まもない体にだけ、記憶を入れ替えるって、本当は上手く行ってないのを、お前も知ってるだろ」
同じ時間、北京の病院
病院の広間で、大勢の入院服を着たた人たちと、家族たちがそこかしこで対面を始めている。大勢の看護師たちが雑に番号を呼びあげ、待機している家族と合わせている。「あ、32番の王さんはこちらにいますよ」髪が真っ白な老婆に年下の夫婦二人がとまどいながら対面する。老婆がしわがれた声で、夫婦に近寄る。「パパ、ママ」
筋肉が張ったアフリカンの中年男に、とまどいながら近寄る若い男。「琳。また、君、と、あえて、うれしいよ」アフリカンも体を思いきり屈めて、泣きながら男の胸に抱きついた。
看護師が誰にともなく、大声を出す。「皆様のご家族は、事前にお伝えしていた人体に無事記憶移植が終了いたしました。手術はたいへん簡単でありましたが、ご存知の通り、移植可能な人体が不足しております。今回施術が終了した方は、再度手術することはたいへん難しい状況ですが」対面した家族たちは、一斉に看護師の方を見る。「今回の施術に対して、何か問題が発生した場合は、早めに連絡をお願いいたします。」
この対面風景を、撮影し実況配信しているクルーがいる。インタビュアーが、一組の夫婦にマイクを向けた。「お二人は、どちらが今回の手術を?」「わたしです」と声をあげたのは、40代中頃の男だった。「父がわたしのために自分の体を提供してくれました。父の体にわたしが替わりに住むことになりました」そう精いっぱいに語る娘だったその男は、顔を伏せて座り込んでしまう。彼の体の妻であった女が、娘となった夫の体を苦しそうに抱き上げ、無理に幸せを感じようとしているかのように、夫の体となった娘の腕を強くからませて歩いて行った。ナレーションが重なる。「先月から、本格的に導入された記憶移植も、希望する肉体の適合よりも、早期移植を優先する人たちが絶えない為、このように、生前の性別、年齢と合わない移植が進められています。短い時間で見れば感情面の問題が発生している事象もありますが、長い目で見ればこの画期的な実験の成功は、人類の進化に」モニタの電源が落ちた。
もとの北京、周一家の家
100人程の親戚らの殆どが、思い思いの方法で、李白の詩を大声で謡っている。
“扪参历井仰胁息,以手抚膺坐长叹” Mén cān lì jǐng yǎng xié xī,yǐ shǒu fǔ yīng zuò chángtàn。(オリオン座に手を伸ばし 双子座のそばを通り抜け 天を仰いで恐ろしさに息をひそめる 胸を手で撫でおろし わたしは座り込んで長い長い溜息をつく)
ヨシミが手を数回叩くと、詩を詠んでいた人たちも、料理や酒を口にしていた大人も子供も、みな動きを止めて立ち上がる。ヨシミが同じ漢詩、蜀道难の続きを謡いながら、上半身を使った踊りを交える。一人ずつ立ち上がり、ヨシミの真似をした動作を続ける。ヨシミはゆっくりと、みんなに動きを教えるように。上手に揃わないが、次第に全員が同じように詩を詠みながら、体を使った表現を始める。ある者は怒鳴るように精いっぱいの声で。声が出ない者は精いっぱいの動きで。手が動かせない者は精いっぱいの思いで。みな、言葉を遠くへ伝えようと歌った。部屋を取り囲む古の神たちはみな、確かに彼らを見ていた。
2099年1月21日春節、北京の家が礼拝堂になる
北京天安門広場に太陽が昇る朝、衛兵が行進を始め、国旗が掲揚された。すでに天安門広場には大勢の中国人と動物達が春節を祝いに集まっていた。麒麟の背に乗る肌の色が黒い中国人と、象の背に乗る肌の色が白い中国人は、人ごみを申し訳なさそうに歩いていた。パンダと手をつなぐ肌の色が黄色い中国人のカップルは珍しいためか、屋台を背景に人や動物達に記念撮影を撮らさせれていた。中国人らは動物に話しかけるが、動物たちは手足で人へ言葉を伝えていた。その動作は、周一族がヨシミに習っていた体を使った踊りの話し方と同じであった。広場では、柴犬とシベリアンハスキーが踊り、人とアリクイが歌い、氷の張った冬の噴水では人とイルカがしぶきを上げて舞っていた。
同じ時間、北京の周一家
体育館のような周一家の家にも、対聯が門の両脇に貼られていた。お爺さんと明の父が二人だけで、木片を嵌めて宗教画の絵を作っている。システィーナ礼拝堂天井画の全てをほぼ完成させ、さらに東壁の「最後の審判」の小さな一片一片を嵌めている。いつものように卓子では周一族が集まっているが、ここでも3割程度が動物となって、人と混じって食事をしたり、体を使って語り合う春節の一家団欒をしていた。
98歳になったヨシミは一人で家事をきりもりして卓子の間を動き回り、明はヨシミと離れたところで、デバイスを使わずにモバイル会話をしていた。「もちろんそうだよ。君だけを愛しているよ。だから、今晩はすごく真剣なセックスをしよう」
同じ時間:北京の病院
「明が本当にわたしのことを愛しているとは思ってないの」周明と電話で話をしている女が、事務的に頷きながら話し続ける。「わかった。じゃあ、今晩7時に王府井ホテルで」
病院の豪華な一室で職員が女へ、数々の動物写真を3Dのモニタで表示させた。女は指で動物達の画像を無表情に送って次々と動物を変える。職員が熱心に説明する。「人間記憶移植が盛んになって人体不足になったところで、人動物間移植が可能となりましたから。ええ、動物に記憶を移し替える方がとてもとても増えたのでございます。今は人体より、殆どの動物が数倍の値段になっておりますが、物凄い人気でございまして。はい。ええ、昨年度2098年度人気動物は、1位猫、2位熊猫、3位が柴犬、はい。犬だけは種別を分けております」「シロクマはどうですか?」「シ?えっと、シロクマは選外の52位でございます。」「シロクマは数に入らないか。じゃあ、こっちで」と、女は適当に動物ファイルをめくった。「あ、ああ。了解いたしました。すぐご用意させていただきます。」
同じ日:周の家
目の見えない、お爺さんと、お父さんが作っている天井画が実際に天井に貼られ、壁画もシスティーナ礼拝堂と全く同じ位置に作られて、部屋全体がこのような感じに近づいていた。
部屋の中央で、明を近くに座らせて、98歳のヨシミは親戚たちに説明をしている。「重力にリンゴがあり、一般相対性理論にはアインシュタインの顔があり、量子力学には猫がいたように、理論物理学を浸透させるためには、記憶に残る簡単なアイコンが必要なの。だから、われわれがループ量子重力理論を説明するには、この話を使う」モニタの映像には、北極圏にある洞窟の中にシロクマの群れが入り込む。字幕「一年後」シロクマの群れが洞窟から後ろ向きに出てきた。「これは、監視衛星の範囲外の場所にある洞窟をたまたまシロクマ好きの北極観測基地に失恋旅行で来ていた女子高校生が、ログから拾い上げた映像。洞窟を出てきたシロクマは皆、まったく歳をとっていなかった。つまり、観測の届かない場所では、時間が流れていなかった」こそこそと小声で「冬眠していると歳とらないし」とか「映像が作りものだろ」とか言う者もいたが、「物理学変動とは、A(t)B(t)C(t)のような、実際には観察できない時間を含む関数ではなく、A(B)B(C)C(A)の、変量の関係を表す数式を持って初めて物理学は完成される。つまり、事象がどうであるはではなくて、どのように影響を与え合っているか。でも、ここから始まる数学の話はいらない。重力や量子力学の数式を理解する必要がないのと同じように、シロクマが人と人の記憶を移動させ、人と動物との記憶を移動させている、その確かなイメージになってくれればいい。わかった?」ヨシミは、まだ20歳の明を見つめて、そう聞いた。「そして、観察されない場所には時間が流れない、だろ。」
同日:北京王府中ホテル
ホテルのバーのカウンターに座る明、隣には牛が座っている。「まさか、君が牛の体を選んで移植するなんて、思わなかった。」「あなたが、わたしの容姿や体目当てでないかどうか知りたかった」雌牛は明の耳もとに小さな声でゆっくり囁いた。「そんなことのために?」明は、今日の午前中は美しい長い髪をしていた秘書の女から夕方は雌牛になってしまった女の全身を頭から足先まで見つめた。
「本当に奥さんより愛せる?牛になったわたしも本当に抱きたい?」「え。あたりまえだよ」元秘書であった雌牛の顔を見つめる。ゆっくりと牛の唇辺りに唇を合わせる。ホテルに予約してある部屋で、この雌牛とセックスをすることを想像した瞬間に、昔どこかで誰かに、雌牛とこうなることを予言されたことを思い出しかけたが、今日は避妊の心配をしなくてすむことの方を考えては安心してしまった。マティーニの入ったグラスを傾けながら、自分に寄り添う雌牛が、右前足で明の太ももに何かの図形を何度も描くと、明は自分の性欲の可能性を感じてほほ笑んだ。雌牛は、隣の明からの強い性欲を感じながらも、何故ここまでしてしまったのか、自分に同情のようなものを感じ始めながら、左前足で頬杖をついた。「わたしってさ、」暫くじっと明を見る雌牛「なに、どうしたの?」雌牛は自分の姿を見る。「ほんとに、雌牛だわ」雌牛は少しだけ臭いゲップをした。「失礼」
2109年1月31日除夕(春節の大晦日) 衛兵が国旗を揚げられなかった日
天安門広場では、朝日が上がると始まる衛兵たちの行進と国旗掲揚の光景を眺めるために観光客たちが集まっていたが、その日は衛兵たちの行く手は塞がられていた。
動物たちが静かにプラカードを持ち、あるいは頭からぶら下げて、ゆっくりと平和的行進をしていた。プラカードには、「動物差別反対」「われわれにも仕事を」「洋服は着たくない、動物が裸で何が悪い」と、各自が動物としての抑圧された現状を静かに、そして和気藹々と抗議しながら行進をしていた。最初は観光客より少ない程度の小グループの自発的行進であった。衛兵と国旗掲揚を見学に来た動物を含む観光客たちは、その春節の日の和やかな行進に交じりだした。ゴリラとオラウータンとチンパンジーは、しっかりプラカードを握り「わたしたちにも、人との子供を」のプラカードを上下させ、彼らのカップル相手と思われる中国人たちは、「わたしたちと動物になった恋人との子供を」と叫び、ライオンやアルパカになった恋人と手をつないで仲睦まじく行進をしていた。各家庭で春節料理や飾りつけをしていた中国人たちが、この長閑な動物たちの平和行進を見ては、映像を拡散しはじめた。動物の抑圧に意見がある者や、ただ大晦日の暇つぶしに、大陸では百年以上も見たことがなかった「叫びながら大勢で行進をする」というイベントへの参加者が急激に増えだした。春節を前にして、世界中から北京に帰ってくる人たちも、天安門での動物と人との楽しい行進に加わりたい人が次から次へと地下鉄から湧いて出てきた。
正午には、真上から撮影された映像が大陸中に配信され出すと、さらに人々の牧歌的行進への関心が高まった。しかし北京近衛兵隊局の一担当者が公安局と国務院へ本日の衛兵行進と国旗掲揚が実施できない理由に「天安門デモ行進」という名で報告をしてしまった。春節前日で新人二人と子猫一匹しかいない党中央委員会が、報告書を受け取ると同時に生配信の天安門近辺の上空画像を見ると、一気に彼らの緊張は高まった。事実、彼らが入局以来、上司から常に聞かされてきた言葉は「中国人に犬畜生の血を混ぜるな」だった。中国当局は政治を周一族が推進する科学の実験政策とは、高い壁を敷いて隔てていた。彼ら二人と一匹は、国家中央軍事委員会経由で、北京陸軍に派遣要請を出すことになったが、現場では、「デモではなく、単に人と動物の愉快な牧歌行進」という認識が出来ていたが、国境警備にしか使用機会がない多足装甲車と電子機関銃部隊を天安門に押し掛けた観光客への宣伝具材と考え、北京全部隊を投入することを気軽に決定してしまった。
同日の夜:天安門広場
夕刻前には、50万人程度に膨れ上がった人と動物行進者たちの前に北京警察と中国国境守備隊の多足装甲車が天安門広場を囲んだが、双方に挨拶をしあう程度の和やかさが溢れていた。警察と行進者たちの間でも、手足を使った流行歌を踊り合った。「俺はシャンプーを持って、北京へ行くぜ」と行進者たちが歌えば「私はリンスを持って、北京へ行くわ」と警察が踊りで返す素敵な邂逅の場となっていた。
夜の帳がおりて、天安門広場に集まる人が増え続けると、春節の国旗掲揚の面子に拘る衛兵長が、マイクで丁寧に今晩中の解散を呼び掛けた。ようやく大晦日は家で「春晩」を見なければいけないことを皆が思い出し、マイクの呼びかけに素直に応じて帰宅する流れが出来てきた。
警察部隊の動物率は会社の動物率に比べるとかなり低いが、それでも3%程度は、猛獣のままの役割として、虎、ライオン、ヒョウなどのネコ科の動物が裸で所属し、また各種血統書付きのネコたちも従軍看護婦として、それぞれの魅力を部隊内外に振る舞っていた。この日の電子機関銃部隊には、一匹の赤犬が迷制服を着て部隊の中に紛れ込んでいた。
愉快な牧歌行進者たちが、ゆっくりと春節を家で迎えるために地下鉄の入り口へ歩いていた頃、一匹の雌牛と男だけが、多足装甲車の前に残っていた。「雌牛の寿命は、15年なのよ。もうわたし、とっくに寿命過ぎてるし。もう、妊娠できるか、わからないし」雌牛は手足の踊りで最前線にいる兵達へ伝えた。「生理はまだあるのですか?」前列に盾を持って構えている警察官が真剣に訊く。「牛に生理はないからさ」すぐに手足を使って答える雌牛の肩を叩いて連れて行こうとするのは明だった。そこから100m先に伏せ撃ちの姿勢で待機していた赤犬は、肉球と爪で握った銃のボタンを押した。瞬間、小さな爆竹のような音を立てて、光線が明と雌牛を撃ち抜いた。赤犬は誰かに対して「完了しました」と伝えた。
いくつものドローンがそれを分かっていたかのように、様々な角度で、二人が撃たれる姿を撮影して、生配信をしていた。明と雌牛の体をきれいに貫通し、そこからそれぞれの血が噴きでいた。雌牛が何かを伝えようとしているので、明が雌牛にデバイスを向けると、「わたしの名前を呼んで」と中国語音声が聞こえた。明は必死にそのデバイスを使って社員名簿から彼女の名前を探し出して、ようやく言った「紅」。しかし、雌牛になった紅は、すでに明の胸の中で少し不満げに息絶えていた。
同日の24時、周一家の家
外で鳴り続ける花火が窓を光彩色で彩る。親戚がみな天安門で明と雌牛の紅が撃たれる場面を見ている。手術を終えたばかりの明も既に車椅子に座って卓子についている。憔悴しきったヨシミの隣で、腕組みをした明の母親が呟く、「くだらない、編集しやがって」3Dの画面では、撃たれる明と雌牛の紅が、様々な角度で映し出されている。血を流し続けながら紅の顔の下に字幕が現れる「わたしの名前を呼んで」明の顔にすぐ字幕が出る「紅、紅」「明、はじめて、わたしの名前を呼んでくれてありがとう。セックスの時も呼んでくれなかったけど」「ごめん、ぼくは少しだけ恥ずかしがりなんだ」「あれ。わたしの目から、涙だね。牛の目から、涙かよ。」カメラはぐんぐん、上昇して二人が倒れた天安門広場が小さくなる。「紅、紅」字幕がずっと表示されている。
腕組みを解いた明の母は吐き捨てる。「ああ、くだらない。ユーモアがないじゃない!ねえ」と、周りの人と動物に同意を求めるが、ヨシミも誰も答えられない。「たった雌牛一体の死体で、中国の2000年先が買えたんじゃないか」
「ぼくは母さんを許さないよ」明は母親を睨んで静かに言った。「許さないって、それが何?これで、当局が反対していた、他科目同士の動物と動物の配合が出来る動きになるだろ。そして人と動物。その子供たちと子供たち。またその子供と子供らが進化をして、たった2000年先には、ヨシミが言う宇宙の里(コトワリ)が覗けるようになるんだろ」ヨシミは、花火が光と音で震わせている窓の方を見て表情のない声で言う。「因果集合、タンタカタン。」「ヨシミ、おまえ疲れたのか?」「タンタカタン」「おまえたち、ヨシミがいなくても、進められるな」強く頷く、人と動物の周一族。「たった、あと2000年、わたしは生き抜いて見てやるよ。宇宙の底を。」
「母さん。これから、ぼくらの会社名は「紅牛(hongniu)」にするよ」「なんだ、それ」母親は唇の端だけで笑った。
2119年2月10日春節 北京 周一家の家に時間が流れる
お爺さんとお父さんが、石片を積み重ねて、外観も内部の柱も床も全てシスティーナ礼拝堂そのものを完成させていた。それでも、門の両側には対聯が貼られ、福の字が逆さに貼られ、爆竹が鳴り響いていた。室内には、いつもの親戚たちと彼らの新しい子供たちがそろっていた。ある子は豹の体をさらに長くして四つ足で歩き、可愛い女の子の顔をしていた。ある子は豚の顔をし、少し膨らんだ体にブレザーで蝶ネクタイをしている。ある子は四つ足で背中に瘤があり、金髪をきれいに七三に分けて眼鏡をかけていた。ある子はシマウマの姿をして頭に赤いリボンをつけていた。ある子はカバの顔をして、ピンクのワンピースを着ていた。
ヨシミは、奥の卓子で車椅子に座っている。明の母親がヨシミの肩に手をやって話す「ヨシミ、お前がうちに来て100年経ったな。うちにも、こんなにアイノコ増えたぞ。もっと、もっとアイノコ増やそうな」母親は、ハーフの子供たちの体を掴んでくっつけては言う。「この子とこの子。そしてこの子とこの子。くっつけてくっつけて、またアイノコを増やすんだろ」興奮して話す60歳の容姿をした母親に対して118歳のヨシミは、唇を噛み締めて、天井画を強く睨みつけていた。
2018年2月3日春節 ハルビン動物公園に一人で
ハルビン動物公園に一人で旅行に来ているヨシミ。地面も檻も至る所全てが凍り、他に人影は見当たらない。園内には谷村新司の「昴」が流れていた。ヨシミは一人で満面の笑顔でシロクマの檻の前で自撮りをする。北極シロクマの前に黒い石板があった。石板に書かれている中国語を声に出して読む。「1919年、世界で初めてここハルビン市立動物園で北極白熊と南極皇帝ペンギンは出会った。そして同じ氷の上で暮らしたが、翌日南極ペンギンは全滅した。北極シロクマが食べてしまったのだ」石板はゆっくり音も立てずに起き上がった。「我々は白熊とペンギンを同じ氷の上で飼ってはいけないことを学んだ」ヨシミは、誘われるように石板に両手をつける。氷の上をぶらついていた檻の中のシロクマと、園内の他の動物たちも一斉にヨシミを見る。ヨシミは体を大きく震わせた。
2019年春節 大阪
「ヨシミ、もう起きて」母親に体を揺すられて、ヨシミは夕方の6時にようやく目を醒ました。「ママ、変な夢をみたよ。わたしは、中国にいるの。そしてね、何故か家に入って来た大きなシロクマと戦うの」母親はヨシミの言うことにはとりあわず、玄関から声をかける。「ママは仕事にいくから、早くご飯食べてね。できれば、食べた後は自分で片付けておいてね」「行ってらっしゃい、ママ」ヨシミは、部屋の鏡をじっとみつめる。鏡の中に映るのは、ヨシミの顔ではなく、双子の脳性麻痺の妹好美だった。好美が言う「おねえちゃん」
2018年2月3日春節 ハルビン動物公園に二人で
ハルビン動物公園に旅行で来て、手をつないでいる双子のヨシミと好美。地面も檻も至る所全てが凍り、他に人影は見当たらない。園内には谷村新司の「昴」が流れていた。二人は満面の笑顔で自分たちの姿をシロクマの檻の前で写真を撮った。北極シロクマの前に黒い石板がある。石板に書かれている中国語をヨシミは日本語で妹に読んできかせる「1919年、世界で初めてここハルビン市立動物園で北極白熊と南極皇帝ペンギンは出会った。そして同じ氷の上で暮らしたが、翌日南極ペンギンは全滅した。北極シロクマが食べてしまったのだ。」好美は、奇妙な動きをしながら笑う。石板はゆっくり音も立てずに起き上がった。「我々は白熊とペンギンを同じ氷の上で飼ってはいけないことを学んだ」ヨシミは、誘われるように石板に両手をつける。氷の上をぶらついていた檻の中のシロクマと、園内の他の動物たちも一斉にヨシミを見る。ヨシミは体を大きく震わせた。
体を踊るようにくねらせて笑っていた好美が体を起こすと、姉のヨシミの姿が見えない。「え?おねえちゃん。おねえちゃん」できる限りの声を出して叫んだ「おねえちゃん」周りの動物も、降り出した雪もそれには答えられず、好美の叫ぶ声と時間を静かに吸い込んでいった。好美の叫び声が、まわりの時間の流れをすっかり変えた。
もとの2119年2月10日春節、周一家の家
花火と爆竹が鳴り響き、窓ガラスを虹色に染めて爆音で震わせ、室内でも小さい声は聞こえなくなる。小柄なカンガルーの姿をした男の子が皿を割るとお爺さんが笑いながら皿を拾う。「春節に皿を割るのは縁起がいいんだぞ、」
明の母親がヨシミに聞く。「ヨシミ、おまえは本当に宇宙から来たのか?」
ヨシミは両手で拳を強く握る。「わたしは」118歳のヨシミは卓子を強く叩いた。「何をしていたの?」何度も叩く。
明は、ヨシミを優しく抱きしめて言う。「ヨシミ、ぼくと一緒にあと2000年生きよう。ヨシミ、もっと一緒に生きようよ」
ヨシミは日本語で言う。「わたしは、どこで何をしていたの?」テーブルを何度も何度も何度も何度も叩きながら言う。「ママ、ママ」
「家族の団欒はそこまでだ!」聞きづらい中国語で、両脇にライフルベルトをしたシロクマが窓を割って、飛び込んできた。シロクマがレーザー銃を家族に向け、周りを見渡す。見渡した先にようやく、ヨシミが見つかった。奥の卓子にいるヨシミは、シロクマに遠くから走ってやってきた幼友達を見つけた時のように微笑んだ。シロクマは、ヨシミに向けてレーザー銃を撃った。全ての光と音が闇の中へ飲み込まれていった。
わたしには聞こえた。また時間が回り出した音を。
わたしには見えた。また時間がきらめく光を。
わたしには触れた。またわたしの体を通っていく時間に。
わたしは、大声で叫んだ。「家族の団欒はそこまでだ!」
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