クオンタム・グラフィティ

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梗 概

クオンタム・グラフィティ

広告代理店を辞め、コンサルタントをしている僕=Xは、大学の中庭で友人の准教授と会話する。准教授は自然言語処理やネットワーク解析を活用した研究をしており、僕と共同研究のプロジェクトを進行中。また、准教授は婚活中。僕は会社員時代にネットワーキングパーティで知り合った商社マン=Qに誘われて宇宙ビジネス専用のコワーキングスペースを訪れた時の話をする。彼は宇宙ビジネスのオピニオン・リーダーとして、メディアに出ずっぱり。
そのスペースだかイノベーションハブだかは東京駅近くにある。待合室で、コミュニティの管理人=Pを待っている間に、僕はQと雑談する。某有名芸能事務所の不祥事と、芸能人の不倫についてどっちが悪いかという話。
僕は、その芸能人の不倫相手が、友達の仕事仲間であると話す。その友人の秘密について語ろうとしたところで、Pが来て、雑談が中断。
スペースを三人で回る。Qの知り合いの起業家に遭遇する。起業家に、スペース内で、爆発事故が起きたようだと伝えられ、Pが離れる。Qもトイレに行く。
起業家が自分の仕事について説明。アカデミアと企業との連携を行っていて、特にループ量子重力理論を研究している学者との連携を深めている。僕がコンサルタントをやっていると話すと、その学者を売りこめる、いい企業はないかと聞いてくる。
僕が返答に困っていると、起業家はQとの関係について話し出す。Qと行った合コンで知り合った人妻の話。Qがその人妻と不倫をし始めた。起業家はその人妻とお茶をしたと話す。人妻が元地方局の女子アナだから、仕事で行うカンファレンスのMCに起用できないかという意図。
その人妻は、既婚者専用マッチングアプリで次々と不倫をしているらしい。彼女の不倫関係を構造化すれば、あたかもスピンネットワークのようになるだろうと起業家は語る。
僕は、准教授とのプロジェクトについて説明しようとする。Qが戻ってくる。浮気相手の夫から、内容証明が届いたと真っ青。僕はコワーキングスペースに内容証明が届いたことを不審に思う。昔、自分に届いた内容証明を思い出す。ルームシェアの同居人にAirBnbを勝手にやられ、外国人が出入りしていることに気づいた大家から退去を迫られた。
Qは自分の宇宙ビジネスに連鎖的に悪影響が出そうだということを興奮しながら語る。起業家はトイレに行く。Pが戻ってくる。僕は爆発について聞こうとするが、Qの話が止まらず、切り出すタイミングがない。Pは次の打ち合わせがあるのだと去る。
ここまでのことを准教授に話して、起業家に我々のプロジェクトについて相談してみようと提案する。准教授は、Pにもスポンサーのネットワークがあるのではと言う。それに賛同しつつ、僕は准教授に婚活の進捗を聞く。彼はマッチングアプリの出会いだと、他にもっといい人がいるのではと決定打がないと嘆く。

文字数:1173

内容に関するアピール

オートフィクションに、構造として宇宙に関する理論「相対性理論」と「ループ量子重力理論」を取り入れています。テーマとしても同様に「宇宙ビジネス」をメインに置いてます。
ストーリーの進行としては、若干の偶然性を含みつつも、偶然でも必然でもない、理屈で捉え切れない、現実の複雑さをそのまま取り入れたもの=量子ネットワークそのもの、というようにしています。
実作の際には、文体にも「ループ量子重力理論」を援用したものを採用しようと思っていますが、具体的な方法については模索中です。書く際の思考のあり方について、そういった理論を採用するなどの方法があるかもしれません。
また、フックとして、不倫や「ビジネス自己啓発」的な話題を採用し、卑俗に間口を広げています。
全体としては、読んだ後に、「ただ出来事のネットワークに巻き込まれた」というような爽やかな印象を与えたいと考えています。よろしくお願いします。

文字数:392

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クオンタム・グラフィティ

「事象の背後にある空間が姿を消し、時間が姿を消し、古典的な意味での粒子が姿を消し、古典的な意味での場が姿を消した。なら、世界は何からできているのか?」

 カルロ・ロヴェッリ「すごい物理学講義(原題:Reality Is Not What It Seems: The Journey to Quantum Gravity)」より

 

 

 僕は友達に語りかける。できる限り臨場感を伴って語ろうとすると、話し方が少し変になる。しかし、その友達も、東京大学の大学院に所属する理系の研究者だから、話し方はちょっと変だから。僕達の会話は奇妙なまま、問題なく進む。ああ、僕がその会話を奇妙だと思っているわけではない。他の人から見て、奇妙ということ。

 そして、僕が語るのは、誰かについてではなく、誰かと誰かの関係についての話ばかり。僕だけじゃない。人間は、多分、いつもそういったばかり話す存在だ。こんな風に。

「ほら、あの有名なミュージシャンいるじゃん。不倫で話題になっている。有名女優の量子さんとのね。彼とプロジェクトやりたいと思っているんだよ。アートディレクターの友達がそのミュージシャンのアートワークを手掛けていて、僕に一緒に仕事をしようと言う。僕もそのミュージシャンと一緒に仕事がしたいと思う。機会はどんどん増やすべきだ。お金につながりそうな機会はね。ありとあらゆる出来事に絡んでおこうとする。フリーランスで仕事をするってそういうことだからさ。そのミュージシャンの音楽を聴いてはいない。名前を知っているだけだ。そう、僕は彼の名前を知っている。いや、彼の名前が僕に知られているのか?

 彼の名前の由来を僕は知らないけれども、彼の名前を僕は知っている。

 そのミュージシャンと仕事をするためには、そのミュージシャンに気に入られるだけの、材料が必要だと考える。フリーランスの僕がただ「仕事をしよう」と言ったって、そのミュージシャンは「うん」と言わないと思う。そのミュージシャンが僕と仕事をしたいと思うに足るくらいの案件。

 そのミュージシャンは、オシャレなアパレルのブランドだとかとたくさんコラボレーションしているし、ライフスタイル雑誌にもたくさん載っている。似た感じのものを提案してもしょうがないと思う。彼の目線を変える手伝いをするべきだ。そうした存在になることで、僕は彼と関わりを持てるようになると思う。

 だから、僕は、アートディレクターにこういう風に話すんだ。

「そのミュージシャンに対して、宇宙に行くことを提案しませんか? 大企業のスポンサーをつけて」

 アートディレクターは、こう答えてくれる。

「良いですね! そうすれば、大企業との繋がりがたくさんあるっていうカルロスさんの強みも活きますね!」

 カルロスは僕のあだ名だ。いつからそう呼ばれ始めたかなんて、わかるわけがない。ニックネームなんてそんなものだ。僕不在の場所で、誰かと誰かが僕のことを噂する時にも、僕はカルロスと呼ばれているはず。顔が濃くて、外国人風だから「カルロス」らしい。どちらかといえば、イタリア人系の顔をしていると思うんだけど、カルロスだとスペイン人の名前。人の認識なんて曖昧なものだよな。それに、国の別なんて関係ない世界だってある。会話によってはね。

「大企業との繋がりがあるのは、どちらかといえば僕の広告代理店の先輩ですね」

「大手広告代理店ですよね」

「そうそう。ああ、もちろん今はその会社にはいないですけど」

「わかってますよ。僕と同じ、フリーランスですもんね」

 正確には僕は、会社経営者である。いや、「経営」というほどきちんとしたものではない、一人だけの会社。アートディレクターに対して、「フリーランスではなくて、自分で会社やっていますから」なんて言わないことにする。

 それに、本質的には、「フリーランス」が正しいと思う。それは二重の意味で正しい。

 一つ目の意味としては、結局僕は会社経営なんてろくにやらないということ。

 もう一つは、人間、本来みな「フリーランス」だということ……そう、意味は重なり合うんだから。

 ああ、ごめん。お前は、大学に所属中だよな。しかも天下の東大という権威。まるで自由の対局にあるかのような。いや、権威があるからこその自由なのか?

 でも、お前だって無期限の雇用じゃないわけだから、本当はフリーランスみたいなものなんだよ。

 人間それぞれが、自分の仕事の世界というか、自分独自の仕事空間というかね、そういう概念としての空間を持っていて、それ同士が相互干渉し合って、ビジネスってのは成立する。まあ、お前のは、ビジネスではなくて研究かもしれないけど。研究だって同じだよ。研究者それぞれが持っている専門「空間」、いや、専門領域をぶつけ合ったりした方がイノベーションだって生まれるんじゃないか? ループ量子重力理論だって、相対性理論と量子理論の矛盾を解くためのものだし。いや、僕は宇宙に詳しくはないけれども。

 話を戻すよ。僕はアートディレクターに話す。不倫の話じゃないぞ。不倫中のミュージシャンについての話。

「ですよね。僕達みんなフリーランスだ。そのミュージシャンだって、自分で事務所経営して、頑張っていますしね。広告代理店の先輩がね、宇宙ビジネスの専門家なんですよ。広告代理店の名前を利用して、宇宙業界の関係者とのネットワークを広げる。そのネットワークを使って、大企業にもどんどん名前を売る」

「関係性を売ることで、関係性を大きくするわけですね」

「まさしく。その人に相談すれば、何かヒントがあると思いますよ」

「ありがとうございます。カルロスさんに相談できて光栄です」

「そんな大げさな言い方! 嬉しくなっちゃいますね」

「そのミュージシャンは、今、ちょうど大企業と組みたいみたいなんですよ」

「ああやっぱり」

「おしゃれでインディーな感じのところとはもう散々やってますからね」

 口の動きが活発なアートディレクターの姿を見て、僕は嬉しくなる。僕の干渉。影響。

「じゃあ、その先輩に相談して、大企業のスポンサーをつけて、そのミュージシャンに宇宙へ行くことを提案しましょうかね」

 話の時系列は常に曖昧なんだ。もしかしたら、その先輩と既にそのミュージシャンについて噂をしていた可能性もある。どうだかな。

 僕は先輩に連絡を取る。メッセンジャーアプリには、正確な送信時間が記載されないこともあるよな。まあ、その話はいいんだ。

  先輩は、「そういう話にふさわしい知り合いがいるから、その人も巻き込もう」と言う。その人は、起業家同士のコミュニティを作ったり、そのコミュニティのマネージャーをやったりしているらしい。特に宇宙領域に強く、知り合いがたくさんいるとのこと。

 名義上は、宇宙ビジネス専門のコワーキングスペースをやっているらしいけど、コロナ禍のため、場所はほとんど名前だけになり、宇宙関係の起業家達とも、場所関係なく、ほとんどオンラインのやりとりばかり。ついにはリアルのスペースの賃貸契約も解約する事態だなどと嘆いていると、先輩は教えてくれる。

 その先輩の提案で、僕達は三人で会うことにする。場所がどこかは、ここでは関係ないだろう? コワーキングスペースなんて、どこにでもありふれていて、スタートアップの獲り合いになっているくらい。語るほどのことでもない。そう、リアルで会うという出来事だけが重要だ。

「初めまして。お会いできて光栄です。WEB記事の写真の通り、ジョコビッチに似てますね!」

「ジョコビッチよりもアルカラスと呼んで欲しいよ。カルロスくんってことは、アルカラスと同じく、スペインでしょ?」

 場所なんて関係ない。僕はそう思っている。彼だって、今や場所ではなく、コミュニティを管理しているわけだから。

「純日本人ですよ。顔が濃いだけです。噂してもらって光栄ですよ」

 先輩は気まずい顔をせずに、僕と先輩との関わりについて、コミュニティ・マネージャーに説明をしている。僕はなんとなく、コミュニティ・マネージャーが管理しているコミュニティについて、褒めておくことにする。

「すごいですね! 宇宙専門のスタートアップばかり集めるなんて!」

「地球だって、宇宙だからね。全部が宇宙みたいなもんだよ」

 コミュニティ・マネージャーの代わりに、先輩が答える。会話はこうやって、同時並行的に、いくつもの関係性を生む。僕は二人に対して話を振る。

「それって、量子的に言えば、全ては関係性でできているってやつですか?」

「宇宙専門のスタートアップも結局マネタイズできていないものばかりだから。質の高いコミュニティを作るには、誰と関係をするか、よく吟味しなければならないんだよ」

 質問に答えてもらえないくらいで、僕はめげはしない。明るさはつらつさを保ったまま、言葉を放つ。僕は決して人付き合いが得意な方ではないんだけれども、こうしたテクニックは身につけている。

「わかりますよ。僕も安易なスタートアップに走りたくないと思っていて。腕組みをして、写真を撮って、とってつけたような事業プランでVCから資金を集めるような、ね」

「はは、毒舌ですね」

「別に特定のスタートアップとVCについて非難しているわけではないですよ」

「頑張っているスタートアップもあるけどね」

 今も広告代理店で働いている先輩が語るスタートアップが具体的にどのような会社なのか、知らない、知ろうともしていない。

「カルロスくんが、例のミュージシャンと友達なんだっけ?」

 先輩が話を戻す。

「例のミュージシャンって、あの有名女優の量子との不倫で世間を賑わせている……」

 コミュニティ・マネージャーが気にするのは、ミュージシャンそのものではなく、ミュージシャンと量子さんとの逢瀬について。二人のありとあらゆる恋文は、時系列がバラバラなまま、メディア記事で拡散される。言葉って誰かのためにあるものだって、痛感するよな。誰かのためにある言葉が、他の誰かによって、また別の意味づけがなされるということ。僕のスマホのブラウザには、いくつか量子さんに関するタブが開かれているはずだ。どのタブが開かれているかは、ブラウザを開くまでしかわからないが。そう、どのタブだって、開かれている可能性がある。

「さすが、お詳しいですね。正確には、友達にアートディレクターの子がいて、彼がそのミュージシャンと仲良いんですよ。アートワークをやっていて。そうだ、そもそも量子さんも……」

「おお、××さん!」

 先輩が、通りがかった小柄な男に話しかけることで、僕の話は中断される。僕がそれで嫌な気持ちになるようなことはない。これが人間関係というものだから。ちょっとした出会いを大切にしなければならない。そうすれば、それぞれが持っている空間に関係性が生じるわけである。

 でも、本当はちょっとムカついてもいる。僕が話している途中であるわけだし。先輩の態度はちょっと失礼だ。それに名前がいまいち聞き取れない。

 まあ、このようなスタンスで物事に臨むのが先輩らしいところだとも言える。

 例えば、どこであっても、若い女の子を見かけると、「ちょっと可愛かったんで、声かけちゃいますね」とか言って、声をかける。年齢なんてまるで関係ないという風に。それで彼は、きちんと連絡先をゲットしてしまうんだ。僕はとても無理だと思う。通りすがっただけの女子と、そうやって、関係性を結んでしまうなんて! 彼はそれを嬉しそうというわけでもなく、ちょっと驚いた感じで、僕に話すんだよ。自分がモテるとか、すごいというかそういう感じを出さずに、ただただ偶然性に触発されている感じで、僕に対して、関係性を描写する。いや、彼とその女子との関係性を描き出しているのは僕の方かもしれないな。

 

 先輩は、僕ではなく、コミュニティ・マネージャー(仮にジョコと呼んでおこう)に対して、こう言う。

「彼、宇宙ビジネスで起業するって言っていて。いやあ偶然だなあ! 偶然です」

 先輩の話には大した情報は含まれていない。いや、そもそも情報という概念に対して、僕の見方は通り一遍だ。「情報」という言葉からは、物理学的なニュアンスを読み取ることだって可能なわけだし。また、先輩みたいな話しぶり――意味や知性といったものがあまり含まれていない――こそが、人間関係を円滑に進める、あるいは広げるのに役立ったりもする。僕だって自分では、そういう話し方をするものだ。ただ、おうむ返しをしたり、頷いたり、周りの誰もが知っていることを繰り返したり。

「そうそう、彼もこのコミュニティに加わってくれているんですよ。事業の内容がとても面白いんですよね」

 ジョコは先輩の顔を見たり、その起業家の顔を見たりする。

 ノヴァク・ジョコビッチ。

 テニス選手。グランドスラム(四大大会)で優勝し過ぎていて、どの大会のVTRなのか、わからなくなる。テニス選手とテニス選手は、ボールを打ち合うことで、繋がる。テニス選手には、テニス以外の生活もあるわけだが、相手選手とボールを打ち合えば、まるで、そのためだけに存在するかのようにも見える。観客はその光景を、顔を左右に振りながら、見る。僕はテレビやスマホを通して、その光景を見つめる。観客が映し出されることもある。特に、映画俳優や王族や他のスポーツのレジェンドといったセレブリティ達が。その光景をテレビで見て初めて、テニス選手やセレブリティ達の存在が具体化される。

 僕は、ジョコの顔の左右への動きに合わせ、顔を動かしている。それに、ジョコが気づく。先輩は同様に、ジョコと起業家の顔の間で顔を左右に振っているのか。あいにく、また別の人が通りかかって、その人の顔と先輩の顔がぴったり重なっているから、よくわからない。

「はい、はい、ありがとうございます」

 宇宙系の起業家もまた、ただただ凡庸な言葉で反応を返す。僕はそのような凡庸さに安心することはないし、むしろ居心地の悪さを感じてしまう。まあ、僕の「宇宙系」という言葉もまた、凡庸な表現だよな。いや、どうだろうな? 物理だって「物理系」って言ったりするんだろう?

 とにかく、僕の居心地の悪さは、宇宙系起業家の言葉に起因するものではない。ただ、宇宙起業家の言葉自体は、僕に対しても向けられる。彼は僕のことをチラチラと観察。僕の存在を認識して、過剰な話しぶりをしないというような慎重さも伺える。

 こういう態度は、僕は嫌いではない。自らのビジネスについて、自分で熱心に説明する行為は、どこか品がないものだと思う。説明とは、他の人によって加えられるべきものだ。広告業だって、だからこそ存在するわけだからな。

 僕は多分、そもそも僕の知らない人と知らない人との関係性について語ること自体がつまらないと思っている。

 量子さんのことを考えてみよう。量子さんとも、その不倫相手のミュージシャンとも、面識はないが、メディアで見たことはある。そういう人同士の不倫関係について、仲の良い友達であるアートディレクターから聞くという行為は、楽しくてしょうがない。ああ、そもそも不倫の話だから、楽しい可能性もあるかもしれないが……

 それに、そのアートディレクターとも仕事がしたいわけだし、そのアートディレクターを通じて、有名ミュージシャンと仕事をするのも悪くないだろう? 仕事ってこうやって広がるものだから。

「あれですよね。ループ量子重力理論をビジネス化しようとってわけですよね?」

 ジョコは宇宙系起業家の顔を見ながら、説明を加える。宇宙系起業家は、誇らしげに頷く。

「そうだ、あの難しい理論だよね」

 先輩が口を挟む。通りすがりの人はもういないから、先輩の嬉しそう、かつ、ちょっと焦っている感じの顔が、僕の目に映る。

「二人ともお詳しいですねえ」

 先輩は、特に宇宙系起業家との関係性について説明しようとはしない。

「相対性理論と量子力学の矛盾を解消する理論ですよね?」

 僕も会話に加わることにする。特に宇宙系起業家と関係性を持ちたいわけではないのだが。何もしないのはつまらないからな。何か働きかけないとな。

「おおっと、ちょっと電話ですね。この番号にかけてこないでって言っているのにな」

 今度のジョコは、スマホを見ては、顔を上げる動きの繰り返し。

「あらら、あの子の件ですか。大丈夫ですか?」

 先輩は何かを知っている様子。ジョコと誰かとの関係性。また別の起業家にまつわることか、それとも、女性関係か。僕には具体的にはわからないことばかり。

「うーん、ダメですね。ちょっと電話出ますね。もしもし……」

 僕達は、三人、つまりジョコ以外の三人で話を続けることにする。僕は別に、宇宙系起業家のビジネスについて理解を深めたいとは思わないけれども。

「なんかニヤニヤしていますね、先輩」

「彼ねえ、あの件ねえ。大変そうなんだよねえ」

「僕は知りませんよ」

 宇宙系起業家までニヤニヤしちゃって、気になるよね。

「なんだか、いわくありげな感じですねえ」

 楽しげな雰囲気を演出して、会話を進めよう。

「ほら、カルロスくんに、ああ、カルロスくんは広告代理店の後輩なんだけどね」

「今はフリーランスやって、色々な企業の支援をしています。ブランディングとかマーケティングのコンサルティングとかね。カルロスは本名じゃないですよ。顔が濃いと言われるんで」

「よろしくお願いします。僕もカルロスってお呼びして良いですか?」

「どうぞどうぞ。で、どんな事業をやっているんですか?」

 先輩と宇宙系起業家が答えずにニヤニヤする様子を見て、僕はアプローチを変えようとする。

「あーそうだ。なるほどね、その感じ。楽しそうに、笑っちゃって、まるで二人の間には、秘密の相互反応がある感じですねえ。いや、関係があるのは、ジョコさんか」

「ジョコ?」

「いや、ああ、ほら、ジョコビッチそっくりですから」

「えー、そうかなあ、どう思う?」

 先輩の質問に対して、宇宙系起業家は首を傾げながら、答える。一見先輩に対する反応のように見えるけれども、正確には、僕の発言への反応だな。ちょっと恥ずかしい気分。恥ずかしさを誤魔化すためには、さらに言葉を放出させよう。二人に対して、働きかけをする。

「いや、もうその話はいいですよ。いいですってば。楽しげな話をしましょう。そうだ、そうそう。当てますよ。なんの事業をやっているか」

「ほう? 面白いゲームですね」

「カルロスくんにもこんなユーモラスな一面があるんだなあ」

「ほぼフリーランスですからね。立ち振る舞いには、流動的な部分もありますよ。取引先によって、引き出しが増えてしまうというか。そうしないと生き残れないっていうかね。ええと」

 頭の中で色々な事象が出会っては離れ、離れては出会うの繰り返し。いや、そんな高度な思考は不要だ。ことはもっと単純で、二人の表情を見ればわかる。二人の表情は、二人の関係性の暗示か? いや、その関係性を評価しているのは、この僕だ。二人は、二人の関係性については、特に意識せず。二人は、ジョコと電話の向こう側の相手との間の関係性について認識して、それで笑顔なんだ。ちょっと卑猥な感じの笑み。

 そう、男同士の共感を示す証拠。僕だってこういう顔をよくする。というか、今もつられて、同じ笑顔。女関係の話題に伴いがちな、女性にはあまり見せることのできない、下卑た顔つき。 

「不倫だ。不倫ですね。ジョコさんは、不倫相手との間で、何らかのトラブルがある。いや、それは事業の話じゃないぞ。単にジョコさんの私生活の話……ああそうか!」

 僕は二人の顔の間で目線を行ったり来たりさせたりはしない。僕は二人の間を見つめる。いや、本当は良くないんだよな。上手なプレゼンをするコツは、聴衆のうち誰か一人を見定めて、話すこと。オーディエンスの数が多ければ、各方向に一人ずつ、仮想のターゲットを決める。それぞれを見て、話せば、オーディエンスからは、落ち着いた人だと見えるんだ。

 そんなテクニックを守らずに、僕はアイデアを言うんだ。ちょっとサイコパスな感じに見えるかな? いや、そのくらいマッドな方が、起業家で、しかも宇宙系の彼には、好かれるはずだ。

「不倫専用のマッチングアプリ! わかる。わかりますよ」

「すごい! 正解です!」

「カルロスくんの、さすがの洞察力だなあ。東大卒の本領発揮!」

「大学のことはいいんですよ。関係ないです。僕はお二人のお顔を拝見しながら、思考するだけですからね。お二人に反応してね。まあコロナ禍で、みんなアプリばかり使って出会いを探すわけでね。既婚者も、生活に流動性がないと、不満も溜まるでしょうからね」

「しかし、それじゃあ、なんだっけ? そうそう、ループ量子重力理論と関係がないじゃない?」

 先輩は、僕ではなく、宇宙系起業家の顔を見ながら、僕にちょっと意地悪な問いかけをする。これもちょっとした、男同士のやり取りって感じ。ああ、楽しい気分だ。お前にもこの楽しい感じが伝わるといいんだが。引き続き、お前にもこの雰囲気を全身で味わってもらえるように、話すぞ。お前が僕達の関係性を観測できるようにな。

「ループ量子重力理論は、世界は関係から成るって理論ですから。そのまんまじゃないですか。わかりますよ。スピンネットワークに基づいて男女の、しかも既婚者同士の出会いを導くというわけですね。人には、既婚者としての一面と、新たに恋愛をする――青春真っ只中、まさに青春グラフィティって感じのね――という一面が重なり合うという。まさに量子力学って感じですよね! そう、AIを使ったマッチングアプリなんてありがちですから」

「さすが。なかなか宇宙ビジネスといっても、マネタイズが難しいからねえ。宇宙に関する理論を使って、儲かりやすいところで稼ぐ! 地球も宇宙なわけだからさ! 僕がこのビジネスですごいと思っているのは、そういうところなんだよ!」

「しかし、なんで、不倫からなんですかね?」

 僕は質問が得意だ。質問にはコツがあって、ただ話を広げようとする質問では、ちょっとあざとすぎる。だからある程度は、本当に興味のあることを聞くようにする。それでも、質問は、やっぱり話を広げるための、つまりは、相手との関係性を構築するためのツールであるようにも感じられる。映画監督には、細部について質問をした方が良いらしい。具体的に、このシーンはどうだとか。映画の最小単位を覗き込むようにする。それだって、本当なら、小さな粒状の構造になっているはず。何らかの粒子による……

 ただ、会話ではどうかな? 相手に興味があると示すことこそが、相手に気に入られるのには必要だから。大まかに、相手の人間性や、相手の精神の根にある部分がわかることを聞いても良い気がするな。まあ、表面の、細部にも、そうした根っこは現れるものかもしれないが。

 僕の質問に対して、宇宙系起業家は一層ニッコリして、説明してくれる。

「良い観点ですね。マッチングアプリの関係するユーザーのうち、どの層がループ量子重力理論と関連がありそうかという話ですよ。婚活だとどうでしょう? ネットワークの広がりは……」

「そうだ、結婚したら、閉じてしまう」

「その通り!」

 宇宙系起業家は結構感じのいい奴だ。友達になれるかもなとも思う。そういう僕の視線を感じてか、彼は声をいっそう大きくする。

「あるいは、この人でもない、あの人でもない、とお見合いだか面談だかを繰り返す婚活女子のネットワークも、閉じたものです」

「閉じたものですし、僕の友達の婚活女子を見ても、ちょっと塞ぎ込んだ感じの……」

「カルロスくんには婚活中の女の子の友達がたくさんいるんだね」

 先輩が僕に茶々を入れる。ああ、先輩のこういうイジりだって、ちょっと気持ちがいい。

「いやあ、社会を知るため、ですよ」

「はは、カルロスさんは本当にユニークな人だ。僕が婚活女子だとしたら、コロッと行っちゃうかもしれませんよ」

「なははは、そんな褒め方しないでくださいよ」

 僕は本当にいい気分だ。ああ、お前は婚活中だっけな? 別に婚活という行為自体を馬鹿にしているわけではないぞ。宇宙系起業家は続ける。

「まあ、その先には、不倫という世界が広がるわけです。既婚者は大抵ストレスを溜めている。宇宙だって、ごく小さな状態まで押しつぶされて、その反動で跳ね返り、ここまで膨張を続けているという説もありますからね。情熱の大きさで言えば、多分、既婚者同士の愛の方が大きいんですよ。不法行為だって負い目もあるからこそ、愛が燃え上がるわけです。まるで、二人の内部にだけ、独自の時間が流れているのかように。二人は、一人一人どういう人間か、というよりも、二人の関係性の中で自らを捉えるようになります。まあ、それは夫婦だって同じことかもしれませんが……否、夫婦よりも不倫カップルの方が愛は強いんです! 若い子の恋愛の方が情熱的なんじゃないかって? 若い子はお金持っていないですからね。既婚者同士の方がまだ、自由にできるお金があるでしょう。ああもちろん、生活が苦しい既婚者だっています。ただ、まだまだ我々のサービスは膨張中ですから。まずはセグメントしやすいユーザーに絞り、サービスを広げたい。宇宙には何でも含まれているんですからね! 他のユーザーだって狙いますけど、不倫のサービスで爆発的な人気を得るんですよ。まずはね」

「ああ、実はね。この話をしちゃっていいものかちょっと悩みますけど」

 僕は先輩を見る。先輩はニコッとして頷く。

「ああ、じゃあもう話しちゃいましょう。あなたは信頼ができる人だ。僕達は今、量子さんとの不倫で有名なあのミュージシャンとの仕事を仕掛けようとしているんですよ。二人もすごい情熱的らしいじゃないですか」

「ふふふ」

 不敵に笑う宇宙系起業家のことを怪しいとは思わない。彼の先回りをしたいとすら感じる。彼との間で、相互作用があるってことだ。

「ああ、もしかして。その出会いもあなたのサービスで?」

「いやいや、そこまではさすがにね。二人は有名人ですから……」

「ですよね」

「でもそのネットワークには入ることができたんですよ」

「ええ? すごいね」

 驚いている先輩を見て、僕は嬉しくなる。僕達三人の関係が、どこか平等なものになりつつあることの証明であるように感じられるから。

「おお、じゃあ、量子さんを既婚者専用のマッチングアプリの。そう、ループ量子重力理論をに基づいたアプリのキャラクターにするとか?」

 僕の発想は、広告代理店でよく見られるものだ。

「いやあ、本当にカルロスさんは鋭いなあ。でも、惜しいです。ミュージシャンの方なんですよね。アプローチしてまして」

「そうか、VCから資金調達してるもんね。しかも海外のヴェンチャー・キャピタルからだ!」

「ですです。その資金を使ってね、話題になるような仕掛けをね。それこそネットでどんどんバズるような。ネットワークが広がるような。そんな仕掛けをするには、彼を起用するのがいいなって」

「良いアイデアだなあ」 

 三人の会話に均衡が取れていることを、僕は嬉しく思う。こういう関係性だ。僕が望んでいる、人間同士の相互作用。褒め合いながら進む、会話。

「もしかしたら一緒にできるんじゃないですかね。ね、先輩」

 僕の思いつきは、当然先輩と宇宙系起業家の関係性をベースとする。

「ああ、それもそうだ」

「どんなプロジェクトを考えているんですか?」

「それはねえ」

 僕の案を語り始める先輩を邪魔しようとは思わない。アイデアを実現するためには、こういう瞬間が大事だ。先輩だって気持ち良さそうな顔をしていることだし。

「そのミュージシャンに宇宙に行ってもらおうというプロジェクトなんだよ。それで、宇宙でレコーディングをするんだ」

「うわ、途方もないプロジェクトですねえ! Twitter、じゃなくてXで拡散されそうだ! それ、うちの会社でスポンサーさせてくださいよ」

「お、いい話じゃない? ねえ、カルロスくん! こういうのは一社決まれば、他も決まるものだからね」

「ですよねえ。先輩のおかげでお知り合いになれて、本当にありがたいですよ。ああ、じゃあ、話を戻しますと。ジョコさんは、そのアプリの女性と不倫をして、それがトラブルになっているという……」

「ジョコさんは弊社のアプリで何人もの女性と知り合って、遊びまくりらしいですからね。どの女性からの電話なんだか」

「アプリだけじゃなくて、コワーキングスペース関連の会社の女の子とかとも遊びまくって、それでスペース自体を閉鎖するかもって話なんだろう?」

 僕が知っている話と違う。

「オフラインでもオンラインでもね、ネットワークを広げてね。なんのボールを打ち合っているんだかって。四方八方に」

 宇宙系起業家の、下ネタ混じりの冗談には、僕はセンスを感じない。ただ仲良くなれば良いというものでもないなと、思い直す。こっそり。僕の内心が二人にバレないように振る舞う。

「はは、まあ相手だって遊び回っているかもしれませんからね」

「ふふ、そうですよ。アプリのデータを見ているとね。本当に縦横無尽にネットワークが広がるばかり。まさにスピンネットワークって感じで。むしろそれぞれの関係性こそが、人間を形作っているようにも見えちゃうんですよ」

 

「ちょっとちょっと、これとんでもない事件じゃない? カルロスくん、知り合いなんだろう?」

 ジョコさんはいつの間にか三人の輪の中にいる。ああもちろん、これはリアルスポットの話ではなく、比喩だけど。そう、言葉が発せられないと、まるで存在していないかのようにすら感じられるからな。ああ、アートディレクターの発言だっけな。ネットでバズらない事象は存在しないのも一緒だって。

「ジョコさん、なんかありました? ああ、僕にも通知が」

「こっちにも通知が来てるな。なんだって量子さんと、ミュージシャンが心中だって?」

 僕は一瞬痛ましいと思うのと同時に、その二人との直接的な関係性は何もないのだと悟って、落ち着くことにする。プロジェクトが頓挫してしまうなとは思うけれども、別に他の仕事で十分にお金は稼ぎまくりなわけだし。もちろん、二人の冥福を祈る気持ちはある。まあそれもどこまで本音なのかどうか。冥福を祈る気持ちを示すことで、他の人からの信頼を得たいということかもしれない? 僕と量子さん達との間の新たな関係性を描くことで。

「不倫はブラックホールみたいなもんだって」

 これは僕のセリフじゃないぞ。勘違いするなよ。僕はそこまで酷い人間じゃないんだ。宇宙系起業家の言葉。拝金主義で、ネオリベ風味の起業家なら言いそうな言葉。やっぱり彼との関係性を深めるべきではないかも。

 そう思いつつも、ジョコと先輩が黙っているから、僕は会話を成り立たせるために、宇宙系起業家の言葉に、あいづちを打つんだ。

「わかりますよ。凝縮し過ぎてしまったら、爆発するしかないんだから」

 まあこんな話を婚活中のお前に話してもなと思いつつね。婚活アプリを使っているって言うからさ。ちょっと関連性があるかなって。ああ、関係性かな?」

 こうして、僕と友達は「結婚だってブラックホールみたいに見えるよ」と独身同士の絆を確かめ合いながら、今度は既に結婚している友達夫婦達について、あれこれ話をして、暇を潰そうとする。まるで、きちんとしたキャンバスではないものに、名前を描く行為。グラフィティのように。

文字数:12726

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