帰還

印刷

梗 概

帰還

人類の開発境界星域あたりの話。公共事業として開拓が行われたがその後の需要がなく、送り出された人たちは引き上げつつある。もともと希望者も少なく、ひとつの惑星にひと家族であった。
 まだ若い男であるミルも、担当だった星を引き上げた。父も母もその開拓星に骨を埋めたが、開拓したところでほかに居住者が来ないので話にならない。地球へのUターンや職業訓練にも補助金がでる。
 航宙輸送船は月に一度保証されているが、開拓放棄となると放置される。超遠方通信線は週に一度開通するが、それもなくなる。輸送船にはふだんはロボットしか乗らない。有人だと余分にコストがかかる。
 ミルの乗る輸送船はその星域の別の星に回る必要があり、いったん、ある星にミルはおろされた。その星には老人男性アレクがいた。やはり老いた妻フィーは、医療が必要ですでに地球方面の施設に送り返されていた。フィーは、商品名 boîte d’espiritu(精霊の箱)を自分のかわりに残していた。「人格収納器」というべき、手に乗るサイズのレンズマイクスピーカ内蔵の薄い函は、フィーの疑似人格が収容されている。本人の人格を再現し単体でも視聴覚あり会話可能、通常ヒト型ロボットに収納接続して活動でき、のちに本人に経験として記憶統合される。アレクにはヒト型ロボットがなく、犬型ロボットにこの函を入れている。
 近く自分も引き上げる予定のアレクは、若いころからのことを飽きもせず犬型ロボットに語り、ロボットからはフィーの声でゆっくりなだめるような応答が返るのだった。
 もうじき去るのだからと、アレクはその星のあちこちを訪れようとする。年齢の割に元気ではあったが案の定帰ってこない。地下水道を流されてしまい、狭い通気口からフィーのロボットが這い出て助けを求め、ミルはアレクを引き上げる。この経験も函からフィー本体に戻して、本人とあらためてこの星で今まであったことを語り合いたいとアレクは望む。
 輸送船が、ほかの引揚者とともにもどる。この一帯は開拓星域としては破棄される。アレクやミルも共に引き上げる段になって、施設でフィーが死んだことが知らされる。本人の死後は疑似人格も1週間以内に消去される。地球と通信線があるかぎりその手続きは自動的に進む。フィーの疑似人格は事実としてそれを受け止めるが、アレクは、この星の通信系統をすべて停止させてしまい、引き上げを拒否する。子供らの呼びかけにも応えない。その星域にはもう定期輸送船が送られる予定はない。通信を行わなければ何があってもわからなくなってしまうが、それでもいいとアレクは残留する。輸送船は去り定期的にこの星からの通信をチェックする受信回線だけはあけられることになった。
 帰還後職業訓練ののちミルは開拓地輸送船会社の雑務員となり、数年してアレクのその後を知る。救難信号がでたがアレクはすでに死んでいた。救難信号を送ったのはフィーの疑似人格だった。フィーの疑似人格も、通信を行ったために、自動的に消去されてしまっていた。

文字数:1245

内容に関するアピール

「宇宙とか時間とか」ということで、古典的に「未来の宇宙」にしました。
 好みの「開拓地もの」をしたかったのですが、開拓なんてもう勘弁、という、若さのない時代になってしまったという設定です。 
 私は日本語の「人格」にあたる言葉を「spirit」であるとつねづね思っていまして、函の商品名もそれで考えました。
 自分の来し方を語りながら過ごしたいなどという優雅な老後は内容もともかく語る相手がいてこその話であって、語る相手がAIによる疑似人格でもいないよりずっといい、という人もいるでしょう。
 フィーの疑似人格が自分が消去されることを知りながら通信したときになにか考えたのかそういう能力のあるAIなのかもわかりませんが、実作においては、「死を覚悟して夫の救援を求める妻」を匂わせつつそのAIを描くつもりです

文字数:349

印刷

帰還

現在
 数十メートル四方の丘の上の平地は膝までの植物が一面に生えていた。その中央部におりたミル自身の着陸艇のまわりは逆噴射で焦げた更地になっていたが、平地の端、斜面手前にある、旧い着陸艇までは草を踏み分けて行かなければならない。
 ミルは着陸服にゴーグルをつけたまま、旧い、居住化した着陸艇と、それにつながる組み立てられた五メートル四方の小屋を眺めた。こんなに斜面からこいつは近くなかったと思うのだが。
 表面加工された着陸艇は銀色を保っていたが、小屋を覆う緑の植物が着陸艇の一部にかかっている。
「なかなか丈夫だな」
 ミルは呟きながら、植物をかきわけて出入り口の取っ手を引く。全体がすこし揺れた。緩んではいるようだ。中を覗き込む。自家製の家具がいくつかおかれている。倒れているものもある。敷物がずらっと敷かれていたはずだが、中央部の床が露出している。
 着陸艇への入り口がその奥に開け放しになっていた。ありようはむかしとあまり変わっていないが、経時劣化は感じる。
 そのむかし、ミルもここに来たことがあったのだ。アレクという男が住んでいたはずだった。あるとき人工知能から、生命の危険ありとして救難信号があった。この星域は通信も限られており、連絡のとれたときにはその人工知能があらためてアレクの死を確認しただけで、放置状態になっていた。
 地形のよくかわる星のはずだった。この居住地に基準点が打ち込まれていなければ着陸する場所もわからなかったろう。
 ミルはいま、植民星事業の最終報告のためにかっての植民星を回っているのである。
 ミルは彼自身植民者だった。このアレクの星より、さらに深いところに植民して引き上げたのだ。
 若かったミルは引き上げた後、追加教育をうけて、植民星の整理公社に拾われた。人口が減る局面にわざわざ外宇宙に出ようという人は減っていた。そのなかでミルの気楽に外宇宙に出る気質を買われたのだが、かっちり固まりながら縮小しつつある社会にミルのほうも馴染めないものも感じていた。
 ミルは、かって自分の植民星からの引き上げの途中、この星に短い期間だが滞在したのだった。

過去
 その二十年前のことである。二十歳すぎのミルは自分の着陸艇を降り、この星の居住地となっている小屋のついた着陸艇までやってきた。百メートル四方の台地のうえはずっと平地が続いてそのむこうになだらかに斜面がある。
 小屋の出入り口の取っ手を引いて声をかける。
「アレクさん、だったかな、おうい」
 小屋の中は、地球からもってきたらしい敷物の上に、この星で作ったらしい椅子や簡単な寝台テーブルが並び、透光性の壁からこの星の太陽の光がやわらかく満ちていた。
 奥の着陸艇への入り口から、背の低い中型犬のようなものが走りだしてきた。金属の体、頸部のない頭に丸いセンサーがついている。その形のままにイヌガタと呼ばれる、犬型ロボットである。植民星には、このイヌガタと人間の形サイズのヒトガタが、ひとつづつ供与されていた。人口知能を備え自然なやりとりのできるインターフェースで、性格も設定できる。
「あらあら、ちょっと待って」
 イヌガタは、あまり若くない女の声でつぶやいて奥に引っ込んだ。すぐ行く、という男の声が聞こえ、かなりしてから痩せて背が高く、白髪を短く刈って髭のない、七十超えにみえる老人が出てきた。緑と黄の混じった粗いシャツを着ている。姿勢もよく丈夫そうである。
「すまない、いま通信時間だったんだ、あなたはミル、だったか」
 老人はアレクと名乗り、ミルはあらためてあいさつした。
「とりあえずここまで来て待てと言われたもので」
「事業終了の実感がひしひしとするな、ずいぶん若いのにこの事業に参加したのか」
「親が参加したんですが続かなくて、かわりに入ったんです、こういうのは嫌いじゃなかったんですが、入って二年で中止になるとは思いませんでしたよ」
「どこに行っても何か起こるからね」
 そのそばにイヌガタがじっと控えている。アレクはミルの視線に気づいて素早く言った。
「これは私の妻なんだ、いや、妻は地球で療養中なんだが、こちらに人格コピーを残してある」
 これは金持ちだな、とミルは思った。趣味で植民してきたのだろう。
「函、ですか、精霊の箱」
 この、函(はこ)と呼ばれる手のひらに載るほどの「精霊の箱」、オリジナルの商品名は la boîte d’espiritu という。個人の人格や記憶をそこに移しとって疑似人格に再現し、本人の代わりに行動し、経験し、記憶する。
 函自体が視聴覚を持つが、ロボットに挿入すれば動くこともできる。そのあと、もとの人間に記憶や経験を再統合できる。再統合と同時に函から人格は消去される。
 イヌガタとヒトガタは植民星にひとつづつ供与されるが、函は自前で買うものであった。フィーの人格の函があるということは、函と人間の読み取りと書き込みのできる装置もあるはずである。あわせるとなかなか高価な代物であった。
「こんにちは」
 高齢女性の声でイヌガタがミルに言った。ヒトガタの方はなくなったんで仕方なくイヌガタにねと、アレクは言い訳がましく言った。
「ヒトガタには私の人格を入れたんだがね、それが悪かったのかもしれない、行方知れずだよ」
「ぎりぎりまでしつこくこだわるからよ、あなた」
 イヌガタが声を出した。
「ああ、フィーというんだ、よろしく」
 今更にアレクから紹介されて、ミルは中途半端に、こんにちはと言った。握手できる感じではなかったし、お手をさせるわけにもいかない。

現在
 すべてが古く、椅子などたおれたものも散在する小屋の奥の着陸船の入り口を、ミルは覗き込む。踏み込むと船が揺れたような気がして気配をうかがったがなにもないので、ゆっくり入っていった。
 暗くて狭い。視界は暗視モードに切り替わる。無機質な壁に計器が並び、席がふたつ前を向いている。どの着陸艇も基本的には同じである。
その向こうの壁際にヒトガタがうずくまっていた。鈍く光り手足が曲がり、胴体は何か所も凹んでいる。肩の上の、頸部なしで突き出た頭部は見た限りは大丈夫そうだ。全周受光部も無傷である。そばにはイヌガタがあって、これはまったく無傷のようだった。
 どちらも船の無線給電部に接して動かない。状況がわからないうちからあれこれ作動させたくない。恨みをもった植民者が、再起動と一緒に着陸艇を爆発させるということも以前あった。
 とりあえずイヌガタのほうをなんとかしようと、ミルは腰の電源箱からケーブルを伸ばし、イヌガタのソケットに突っ込んで起動させてみた。
「標準OSで起動します」
 イヌガタの若い女性に、ミルは訊いた。
「フィーではないの」
「違います、現在人格はセットされておりません」
 フィーの人格は、胸部に収容された函にはないようだ。
「状況を説明してくれ」
「いつからの状況を、なにについて報告したらいいでしょうか」
 ミルはイヌガタに命令した。
「まずは、このヒトガタはなにものか教えてくれ、むかしはここになかったはずなんだ」
「そこには、アレクの人格が入っています」
「再起動に問題ないか」
「本個体の最終的な記録に準じれば、問題ありません、敵対的な傾向はみられませんでした」
 イヌガタから電源ソケットを抜く。イヌガタはすっと停止した。充電できるほどの電源を与える余裕はない。そのままヒトガタにソケットをつないだ。
「人格搭載モードで起動します」
 やはり若い女性の声が流れ、あちこち曲がったロボットの体がすこし動いた。
「誰だ君は」
 いきなりロボットが、アレクの声を出した。疑似人格の認識構造上、ミルがいきなり目の前に出てきたことになる。
「ミルといいます、あなた、アレクの函がはいっていますね」
「そうだよ、私にはミルという人の覚えはない」
「私は知ってるんです、ここでいったい何が起こったんですか、あなたの死は報告されてるんですが」
 ヒトガタはいきなり起き上がろうとして、バランスが取れずころがり、上体を上げた。
「ミル、そうだ、私は死んでるんだ、通信は切っておいてくれ」
「ああ、そうですね」
 ミルは頷いた。この内容を、別の形で以前にやりとりしたものだった。
「私の船の通信回線もいまは開いていませんよ、」
「私、このヒトガタに入った私が戻った時、外の小屋で私は死んでいた、死んでいる以上私自身も消去されてしかるべきなんだが、消去される前に、なにが起こったのか知りたい、助けてほしい」
 そこにあるのは死者の人格のコピーの残ったただの疑似人格であり、法的にはさっさと消去して問題ないが、ミル自身も何があったか知りたかった。
「詳細の報告はないので何があったか私も知りたいです、ここはビデオログとってましたね」
「ログだけみられるようにしてくれるかい」
 通信やログ記録など着陸艇本体の機能と、小屋の回路は切られていた。あらためてログ再生をほかの機構と切り離して設定した。接続不良になっていた日光パネルからの電圧は十分あった。ログ再生機のほかに、あらためて基本電池にも電流を流しこんだ。ヒトガタにはあらためて給電し、イヌガタにも起動はさせないが充電をはじめた。
 この惑星の日はまだ高い。着陸艇のなかでヒトガタとミルは、肩を寄せて操縦席前の空間に浮かぶモニター画面を見上げた。
「作動確認もあるんで、私がまえにきたときから再生してみますね、そのほうが私とやり取りもしやすいでしょう、私が去ったと同時に、本物のあなたは連絡を切りましたから」
 モニターに画面が三つ出た。着陸艇の中、小屋の中、それに小屋入り口から望む外の景色である。
 小屋に着陸服にゴーグルの、小柄で若い男近づいてきた。
「アレクさんだったかな、おうい」
 若いミルが小屋に入ってきた。モニターの前で、アレクのヒトガタはこれは君かねと尋ねた。そうですねと答えるこちらのミルに、アレクのヒトガタは言った。
「ずいぶん老けたね」
 薄暗い着陸艇の中、中年になったミルと、アレクのヒトガタは、モニターを見続けた。

過去
 ミルは小屋から出た。この台地のうえ、すこし離れたところにおかれたミルの着陸艇を見ながら歩いた。
 植民事業の終了が決定された。植民できそうな惑星に調査希望者をおいて環境を報告させる事業であったが、地球の人口は減少に転じて長く植民する必要すらなくなっていた。人類復興をぶちあげた最後の公共事業だったが、乗るものがあまりいなかったのはどうしようもない。
 第二の人生とばかりに希望する高齢者が多かった。地球からの資源配布がなければほとんどがもたないのだから、もともと持続可能性がなかった。
 どの惑星でもなにがしかの問題が起こるのである。ミルの住んだ惑星は、何を植えても味が不味いのであったが、ましなほうであった。
 引き上げについては大人数の輸送可能な搬送船が用意されたが、搬送船の常としてなかに生存可能空間を大規模に作るのは無理で、各星域の中心部の惑星に人を集めておいては、船に一人づつ引き上げ冬眠させていくのである。
 ミルは、引き上げのためにアレクの星に移動したのだった。着陸艇は小距離の航宙程度なら耐えられる。
 小屋をあとに背の低い草が一面に生える台地のへりまで歩くと、ゆるい緑の斜面がある。見下ろした下にちょっと広い平地と池がある。そこからまた斜面が続き、降りたずっとむこうに緑の森が広がっている。ほぼ乾燥地だったミルの星に比べて緑が目に染みる。一面の緑の遠くに、この台地同様の、てっぺんが薄い緑の台地が点在している。
 うしろからアレクが出てきた。
「いい景色だろう、この下の、あの少し平たいところのむこうにも畑があったんだ」
「まともな味のものがとれるんですか」
「大丈夫だが、私より料理の美味いフィーがいないもんで料理に困ってるよ、イヌガタに手伝ってもらうんだが限界があるな」
「ここを放棄するなんてちょっと勿体ないですね」
「問題が大ありでね」
 アレクは首を振った。
「せっかくつくった畑の半分が消えたんだ」
 よくわからない説明だった。
「ここにはときどき地殻変動が起きてな、地面の表面が、上のものをのせたまま移動してしまう、地表変動というべきかな」
「地表の安定は事前に測定されてたんではないですか」
「この台地の上はね。ここは地面が硬い。すぐ下に岩の層がある。だから草しか生えない。安定していて動かない、すくなくとも我々が来てからはね」
 ひろがる森を見渡してアレクはいう。
「どうもブロックで動くようなんだ、今我々のいるここから、あの畑のあるあたりまで一つの硬い地盤で、その外がある日いきなり動くんだ。木々ごと動くが安定してるのかわからない、境目はあぶないだろう。ある面積の領域ごとに、大地全体がパズルのように、まちまちに動く。どこにいくかもわからない」
「いきなり隣の畑が消えるなんていやですよねえ」
 足元から声が聞こえた。フィーのイヌガタであった。
「そんなところに住みたいと、あなた、思う?」
 ミルは、そりゃちょっとと、愛想よくイヌガタに答えた。やがて地球にいるというご本人に記憶統合されるのだから対応はちゃんとしておかなければならないが、形が犬だとやりにくい。
「地表変動くりかえすまでは、もうちょっと何とかなると思ってたのよ、だから池もつくって」
 ミルは、畑のあった平地の横の池を指した。
「あれですか」
「そう、大した重機がないからヒトガタも使って頑張って作ったの、底もきっちり固めてね」
「ヒトガタはどうしたんです」
「函なんか入れず、ふつうに命令するだけにすればよかったのよね」
 日差しの下イヌガタは動かず声だけが流れる。アレクは少し離れて、ミルの着陸艇を見に行ったようだ。規格共通なのになにがおもしろいのかわからない。そういう人なのだろう。
「自分の人格入れて、あとで記憶統合しようと思ったのね、あのひと、知りたいことがあるとしつこいの、それで函に自分の複製を入れてヒトガタに乗せて、それがちょっと遠くまでいって帰らないうちに、地表変動で連絡が取れなくなってそれっきり。記憶統合もできやしない」
 アレクが戻ってきたので、ミルは訊いた。
「地表変動のことをフィーからも聞いたんですが、いきなりおこったりするんでしょうか、ここにいて大丈夫でしょうか」
「この台地の上ならちょっと揺れるだけで、着陸艇の防振設備に入ってしまえば気にもならない、地表変動するまえから何度か軽く揺れるけれど、ここのところそれもない、待ってると起こらないものだ、鍋の中を見ているうちは水は沸騰しないというだろう」
 アレクは頷きながら、自分に言い聞かせるように続けた。
「たまたま来た君にピンポイントに当たるような幸運なんてそんなにないよ、地表変動、あれはあれでなかなか見栄えがあって大したものだ」

現在
 ビデオログを動かしていても、なにもおこっていないとシステムの判断した部分は、記録されない。タイムスタンプに従って、3つのモニターが、ついたり消えたりした。
 小屋の入り口からのビデオログには、少し離れた、よく晴れた台地のへりで、遠くを見ながら話す、アレクよりずっと小柄で現在よりずっと痩せたミルと、イヌガタの姿がある。声はちゃんと拾えている。昔のアレクが言っていた。
「、、、大したものだ」
 そのモニターを見ながら、アレクのヒトガタは、イヌガタに手を伸ばした。
「フィーはイヌガタに入っていたのか、今もいるのか」
 隠しても仕方ない。
「確認しましたが、いません。いや、ご本人は亡くなったんですが、でもそのあともフィーはイヌガタに残っていたんです」
 アレクは黙って、また声を出した。
「亡くなれば消去されるのは当然だが、残っていたというのは」
 ややこしいからこの先をみたほうがいいでしょう、とミルは言った。
「そもそもアレク、あなたヒトガタですがどうやってここに帰ったんです」
「わからないよ」
 アレクのヒトガタはあっさり答えた。
「ヒトガタは本来の機能でいろんな高度計算もできるからな、森の調査のつもりで出たんだ。何度も余震があったから前に動かなかったところまで戻ったのに、そのときはそこも動いた。地表変動に巻き込まれた後は覚えていない。あまり遠いと救援信号出しながら機能停止するからな、ときどき起動して状況確認するようにできてるが、たいがい土の中にいたな。空や星が見えたこともあった。たぶん何度か地表変動があってたまたま基準点の近所に戻って来たんで再起動したんじゃないか、基準点の電池は長持ちするから」
 非常にいい加減な話だった。
「地表変動は余震があるんですね」
「手間取ってしまって戻りが足りなかったんだな、いきなりまわりが動き出した。再起動したときは体があちこち凹んで歪んで、ほとんど這ってここまで戻ったら、自分が死んでいた」
「もっと先にとばしましょうか、私がいるところからのほうが私も思い出しやすいので再生しているのです、そんなにかかりませんが」
「君のこともわかりたいから、このまま進めてくれ」
 前向きな疑似人格だなとミルは思った。

過去
 搬送船がくるまで数日かかる。地球との通信回線は週に一度しか開かない。ミルが到着したとき、たまたまその回線でフィーの話を主治医としていたということだった。
「手持ちの食料もたくさんあるし、持ち帰れないから食事を付き合ってくれ」
 アレクにいわれ、調理を手伝いましょうかとミルは訊いたのだが、慣れていないだろうと流された。
「食うものは、地球から回されたものもあるし、畑が生きていた時にとれたものもおいてある」
 小屋の隅に、木の枝だか根だかわからないものが積まれていた。
「キャッサバだよ、苦くないものだ、裏には干し肉もある、ヤギもいたんだが処分した」
 小屋で小型の熱源に鍋をかけて干し肉と干し野菜でスープをつくるアレクの横で、イヌガタがやはり熱源に鍋をかけている。前脚には人間型に手掌がついているのである。4本足で歩くときは拳を握る格好になっているが、細かい作業もできる。
 イヌガタは鍋のへりをもって、熱湯にキャッサバ粉を放り込んで杓子でぐるぐる練った。
「この作業は熱さに強い手を持っているイヌガタに向いてるんだ、フィーありがとう」
「イヌガタじゃない私にいつもさせたじゃないですか、あなた」
「なににしても君のほうが上手だ」
 イヌガタに表情はないが、応える声は楽しそうだった。
 二人でゆっくりキャッサバの団子を食う。イヌガタは、アレクのそばに控えている。
 小屋を出ると日はやや傾いている。
 斜面をみおろすミルのもっと下に、アレクとイヌガタがおりていった。
 むかし畑のあったあたりを見回っている。風に乗って声がときどき聞こえる。ここに何を植えていた、そのころ何をしていた、など、この星に来てからあったことをアレクはイヌガタに話しかけているようである。
 イヌガタは相槌をうち、ときに笑う。
 函の疑似人格がどこまで「考えて」「感じて」いるのか、だれにもわからない。本人の神経回路をトレースして疑似的な回路をソフト上で再現しているのだが、本人に記憶が統合されるのだから、扱いのうえでは本人になる。同時存在する本人本体が優先されるのは当然で、法律上、記憶は必ず本人に統合されなければならなかったし、統合後に函の人格は自動消去される。でないといろいろややこしいことがおこる。
 本人が死んでしまった場合も、各種法律上の手続きのため一週間程度の猶予はあったが、函に残された疑似人格は消去されることになっていた。これは、行政システムと通信がつながる場所で自動的におこなわれる処理であった。
 ミルのみおろす一面の緑は濃淡があり、生えるものの種類が違うようだった。じぐざぐに斜面を降りて遠ざかりながら、アレクは大きな身振りでしゃべり続ける。足腰の丈夫さにミルは感心しながら小屋に戻り、椅子のひとつに座った。眠くなった。
「ミル、お願い」
  足を握って揺さぶるものがいる。
 小屋はやや暗くなっているが、明かりがつくほどではない。足元で、フィーの入ったイヌガタが声を上げている。すこしぼうっとしたままミルは、どうしたんですと返事した。
「池にはまったのよ、手伝ってほしいの」
 イヌガタは小屋の隅にいって、ぐるぐる巻いたロープを取り出した。池って、とききながら、ミルはそのロープを両手に持って、イヌガタについて小屋を出た。
「すぐ暗くなるわ」
 イヌガタの前面が光った。足元を照らしながら斜面をおりていく。
 かって畑のためにつくった池に、すべってはまり込んだということのようだった。池の近くでイヌガタは立ち止った。
「あなた、ミルさんときたわ」
「おうい」
 草や木にかこまれた池のほうから返事があった。一息置いて、また声が響いた。
「斜面がすべってあがれないんだよ、いまこんな風になってるとは思わなかった」
「お願いそのロープで」
 イヌガタはミルを見上げた。
「どうするんです」
「貸して」
 イヌガタはそのロープを、器用な手つきで立木にしばりつけた。そして、もう一方の端をミルの腰に縛った。ちょっと待ってくれとミルは思った。
「どうしろというんです」
「池のへりにいて、あがれないだけなの、アレクをつかんだら声を出してちょうだい、私もこちらから引くから。おねがいよ、イヌガタじゃ水に沈んでしまうのよ」
 それはそうかと思って、腰にロープをつけたまま、ミルは草をかき分けていった。空はかなり暗くなっている。池の斜面がはじまる。固めた底面の上はぬるぬるして足が滑った。大声で、滑った、というと、ロープがぐっと引かれた。
 すぐ先から声がした。
「もうちょっとロープを伸ばしてくれ」
 薄暗い中、アレクが池の水に、上を向いて漬かっていた。
「これ以上あがると滑るからこの体勢がいいんだ」
 すこし沈みそうになり、息をぐっと吸い込んだ。再び体が浮いた。
「動かないからゆっくりこっちにきておくれ」
 二人とイヌガタが小屋に戻ったころにはすっかり空は暗くなっていた。
「助けを頼める人が来るまではもうあちこち回るのはやめていたんだ、用心しておいてよかったよ」
 にこやかに体を拭くアレクに、ミルは、助かってよかったです、と答えた。

現在
 斜面の下でおこっていたことは、角度も悪くてほとんど小屋から外を撮ったビデオログには残っていない。ロープといっしょにミルとイヌガタが下りて行ったあと、すっかり暗くなり、泥だらけのアレクといっしょにやはり手足に泥のついたミルと前部の光るイヌガタが戻ってくるところまで画面は飛んだ。アレクのヒトガタは、なにがおこっていたのか説明をミルからきいて、変な格好で体を前に傾けた。
「そうか、君が助けてくれたのか、ありがとう」
「助かってよかったですよ」
 小屋の中をうつすモニターの中では、アレクがさかんにイヌガタに言い訳をしている。
「あそこがああもすべりやすくなっているとは」
「底をなめらかに作りすぎたんですよ、ロープをおいておこうと前に言っていたじゃないですか」
 モニターをみているアレクのヒトガタは、その通りだとつぶやいて、今は動かない空っぽのイヌガタに視点を向けた。
「このことも、はやくフィー、本人に記憶を移して、話がしたいよ」
 モニター内のアレクはそばのイヌガタにそう話しかけた。イヌガタのフィーは返事をしなかった。モニター前のアレクのヒトガタは、無神経な奴だなと他人のように呟いた。
 ミルはまた船が揺れたように思ったが、ヒトガタがなにもいわないので黙っていた。

過去
 一週間も近くたってやっと搬送船が来た。上空で受け入れ態勢をつくるのにまだ一日かかるという。
 片付けるのも面倒なので、アレクはミルの着陸艇に同乗するという。何を持って帰る気もないらしい。
「フィーの函があればいいんだよ、持ち帰るものが増えても金がかかるだけできりがない。今日はまた、通信回路の開く日だからね、むこうのフィーと話ができる」
 アレクはにこやかに小屋の奥に向かい、ミルは、アレクの場所をあけるために自分の着陸艇に向かった。搬送船の乗り込みは一人づつであったから、残り一人はそこでそれなりの時間を待たなければならない。
 ミル自身はやりとりしたい相手もいないので回線をあけていなかったが、対応を要求する赤い灯りが点滅した。音声のみの通信である。回路を開くと女性の声が流れてきた。こちらの座標上の位置をまず言ったうえで、ミルの名を呼んだ。通話できているシグナルを返す。
「同座標上におられるはずなのですが、さきほどいきなり通話が途切れて反応がなくなりまして」
と、アレクのことを話し始めた。
「なにか問題があるか確認していただけませんでしょうか」
 頭を振りながらミルは自分の着陸艇を出た。小屋を抜けてアレクの着陸艇に入ると、なにもついていないモニターを前にアレクが座り込んでいた。
「アレク」
 ミルが呼びかける。よく見ると、全通信遮断のマークが出ている。
「フィーと話してたんじゃないんですか」
 ゆっくりアレクはミルを見た。
「フィーは死んだよ」
 ミルは、じっと黙ってアレクを見ていた。そのままイヌガタに視線を移した。
「アレク」
 イヌガタはゆっくり話し始めた。
「言わないようにしてたんだけど、かなり、私、具合悪かったの、戻れないかもしれないと思ってたんだけど、そうなっちゃったわね」
「アレク」
 ミルも様子を見ながら口を開いた。
「アレクと通信できないと、僕の船のほうに連絡来てるんだけど」
「通信回線がひらいたら、この函のなかのフィーはそのうち消されてしまう、死後七日以内というし、いつ行政処理されるかわからない。私はもっと、一緒にいたいんだ」
 それは本物ではない、とはミルは言えなかった。
「でも、いつまでもというわけにいかないわ、あなた、誰だっていつかは死ぬのよ」
 死んだフィーの残した疑似人格がアレクを説得しはじめた。ミルは、話がしたいそうですと繰り返した。
 じぶんの船の通信遮断はそのままにして、アレクはミルの船にやってきた。
「本人を連れてきましたよ」
「父さん」
 映像回路がオンになった。中年の、少し太った身なりのいい男が立っている。
「母さんが亡くなったのがショックなのはわかるんだよ、帰ってくるまでお弔いは待つから」
「私は帰らないよ」
 半分微笑みを浮かべてアレクは言う。
「フィーの残りがここにいる。ここにいる限りフィーと暮らすことができる」
 眉をしかめて、アレクの息子は絶句した。ぐっと顎を引いて口を開ける。
「いつまでもはいられないだろう、父さん、連絡も取れなくなるんじゃないのか」
「連絡はいらない、フィーが消えてしまう、通信を切れば処理されることもない、もうじきこの星は行政の対象ですらなくなる」
「僕たちとはもう会えないじゃないか」
「お前たちはしっかりやってるさ、最後の最後ぐらい、好きにさせてくれ」
 アレクはそのまま、ミルの着陸艇から出て行った。ミルはあっけにとられて見送ったが、息子の、ぶうぶういう声に振り向いた。
「最後まで、の間違いだろう」
「どうしましょう、一緒に帰るよう説得しますか」
 ミルの言葉に息子は首を振った。
「駄目でしょうあれは、好きにさせてやってください」
 この息子もちょっとおかしい、とミルは思った。

現在
「はあ、そういうことになっていたのか」
 アレクのヒトガタは、ビデオログには残っていない、ミルの船の中でのやり取りをミルからききながら、感心したように呟いた。モニターの中では、むかしのアレクはむかしのミルに言っている。
「いまは通信を遮断しているからつながらないが、むしろぜんぶ止めてしまおうかと思う、いつうっかりつながるかわからない」
「生活できるんですか」
「小屋の回路だけ残してほとんどの部分は切ることになる、君の船がいってしまったらさっそくそうするよ」
 小屋の中、若いミルは、仕方ないなという表情で相手している。
「いちおう、週に一度、こちらの船から発信がないかチェックしてくれるそうです、信号によっては回線をひらいてくれると、息子さんが当局に交渉してくれました。人道上やむをえないということですが、それなりの手続き料は要ったようです。函は、行政区でなくなるからむこうから強制的に消去にはこないけれど、通信が繋がったら自動的に消去されるのはかわらないそうです」
 アレクの足元で、イヌガタがじっとミルを見上げていた。モニターを見ながらアレクのヒトガタは、そのへんは、あいつはちゃんとできるからな、と小さく言った。やはりモニターを見ながらミルは言った。
「このあと、私は、ここを出たんです」
 モニターの中、ミルの着陸艇の出発を見送ってきたらしいアレクとイヌガタが小屋の中に入り、さらに着陸艇の中に入った。アレクは回路をいじくり始め、画面が一瞬消えた。また画面があらわれたときは、そこは夕方のようだった。
「全体のシステムを止めて、ふたたび立ち上げたな、このあいだにどれくらいたったんだ」
「日付で見ると二年くらいでしょうか」
「よくまあずっと生きていたもんだな」
 モニターを見るアレクのヒトガタは感心したように言った。小屋の外は薄暗いまま画面が止まった。小屋なかの画面も薄暗く、敷物の上には、アレクらしい人影が横になっている。戸口から、引きずられたような跡があった。
 着陸艇の中をうつすモニターには、イヌガタがいた。

ビデオログ
 着陸艇のなか、イヌガタは操作盤の前で、器用に手を動かす。赤い光が点灯した。
 小屋を映すモニターの中で、床に横になったままアレクがうめいた。イヌガタが着陸艇から駆けて消え、小屋のほうに現れた。フィーの声がした。
「しっかりして、救難信号を出したわ、私にはこれくらいしかできない」
「消せ」
 横になったままアレクは声を絞り出していた。
「回線がつながったらお前は消えるじゃないか」
「あなたは生きてるし、私はもう死んでるのよ、選択の余地はないじゃない」
 イヌガタは、金属の掌で、アレクの頭を撫でた。
 そのまま、アレクもイヌガタも動かなくなった。アレクの生活反応があり記録が止まることはないが、画面自体は静止状態なのでログが自動的に早送りされた。小屋の中が透光性の壁ごと明るくなった。朝が来て、泥と血にまみれ緊急処置らしくぐるぐる巻きにされたアレクの全身が敷物の上でイヌガタと一緒にいる画面がずっと続く。ときどきイヌガタが画面から外に出ては、水などをもってきてアレクに飲ませようとするが、アレクはうなるだけである。その時だけ再生が正常速になる。
 モニターの中は夜になる。イヌガタが声を出した。
「あなた、私は思い出を持っていけませんから、あなたが持って行ってくださいね」
 アレクは反応しなかった。
 ふたたび早送りとなり、また明るくなってきたころに、着陸艇の中でビープ音が鳴った。イヌガタは、着陸艇に駆け込んだ。
「通信回路開きます」
 その音声とともに、着陸艇の中にあらわれたイヌガタの動きが止まった。
「救難信号を受けました、どうされましたか」
 スピーカに反応して、イヌガタはゆっくり、フィーではない、デフォルト設定の、若い女の声で言った。
「当地居住者が、滑落負傷したので信号を出しましたが、すでに死亡しましたので、要請を取り下げます」
「了解いたしました、そちらは救援不可能区域になっていますが、記録には残します」
 通信は切れ、イヌガタはそのまま動かなかった。

現在
 モニターの中の動きはここまでである。記録もそこでおわっていた。動きも何もなく、そのうち電源がなくなったのだろう。ミルは顔を動かさずに尋ねた。
「このあとなにがあったんです」
「この近くに戻ってきたので私が再起動したことはいったろう」
 アレクのヒトガタの音声はすこしゆっくりだった。
「小屋に入って、私が死んで干からびていたんだ、奥にあったイヌガタも、わずかに反応したがすぐに切れた。さすがに自分の死体をそのままにしてはおけなくてね、このゆがんだヒトガタのボディでなんとか、敷物で私の死体を包んで、斜面の少し下に埋葬したんだ、台地の上は掘れない。自分が法的には死んでる筈といっても、状況がわからないし、動ける間は何とかしようと思ってな、いろいろ直そうとしたんだが、エネルギーが持たなかった」
 どこまでも前向きな死人だった。
「そうですね、あなたが戻ったログが残ってないんだから、その時にはもうそちらに回せるだけのエネルギーはなかったのでしょう」
 アレクのヒトガタは、フィーの入っていたイヌガタを、手首だけ動かしてゆっくり撫でた。
 モニターをみはじめたのは昼だったが、夜を超えてすでに朝が来ていた。充電がうまくいって、夜の間もログ再生は途切れることがなかったのだった。
 ヒトガタは眠らない。ミルはアレクのヒトガタになにがおこったのか大体わかったといい、正直に、ちょっと疲れましたと加えた。もう中年で、睡眠調整は自動でできても堪える。アレクは今気づいたように訊く。
「そもそも君はここでなにをしているんだ」
「ふつうはじめに訊きますよね、それ」
  二十年前にはこの元気な老人にときに辟易したのだが、今はなんだか感情移入できるようになるなんてとどこかで思いながら、ミルは続けた。
「あのあと植民星整理公団に雇われて、最終調査してるんです、予算の消化ですね」
「地球はどうなってるのかね、私が戻ることはないだろうがおしえてほしい」
「平和ですよ、いいところです、みなおとなしく、均等に、すべてが小さくなっています」
「歴史はそういうことの繰り返しだよ」
 ヒトガタは、訳知りのように言う。
「そのうちまた拡がる時がくるだろう」
「地球より、星にいたときのほうがずっと面白かったですよ、かえってぜいたくな話ですねこれは」
 アレクはちょっと間を開けた。
「君は友達が少ないんじゃないか」
 そのままヒトガタは鼻で笑うような音を出して、イヌガタのほうに手を回した。
「私をイヌガタに移してくれないか、そちらのほうが動きやすそうだ、自分ではできない」
 いったんヒトガタをシャットダウンして函を取り出し、イヌガタの函と入れ替える。起動させるとイヌガタからアレクの声が出た。
「充電もたっぷりだな」
 フィーの入っていた函やさっきまで自分のいたヒトガタを、アレクの入ったイヌガタがあらためてしげしげ見始めたので、ミルは小屋を抜けて外に出た。広い緑、一面の青空である。高くなった日がまぶしい。台地のへりへ歩いていく。以前はこんなに近かったかなとあらためて思っていると、小屋からイヌガタがでてきて声を上げた。
「こんなに近くなっているのか」
「何がです」
「台地の端までだ、私が再起動して上がってきた時でも、まだもうすこし向こうまであったぞ、だいたい、私を埋めたところがなくなっている」
 端に立ち斜面を見下ろす。とくに足元は急だった。一面に草が生えている。畑は跡形もなく、かってミルがみたときと地形が違う。
「池がないですね、あの方向にあったはず」
「こちらの平面がどんどん落ちてるんだ」
 イヌガタは呟く。
「上は丈夫なのに縦にはがれていく岩盤なのか」
 不意に地面が揺れた。イヌガタが動きを止めたまま声を出した。
「今、揺れたかな」
「私が着いた時から何度か感じる気はするんですが、あなたが何も言わないので。ヒトガタのセンサーは敏感だし」
 あのボディはめちゃくちゃじゃないか、センサーもどこまで生きていたかわからないとアレクは答えた。
「近いかもしれん」
 黙って聞いていると、アレクは続けた。
「観光資源にするには予測に難のある地表変動だ、ピンポイントで当たるなんて幸運だな。この上からなら眺めていられるから見ていったらいい、巻き込まれたら人間なら生きていけないだろうが」
 巻き込まれた経験者の言葉を残してイヌガタは小屋に戻っていった。ミルはそのまま台地の縁で森を見晴らした。ずっと遠くに黒い雲がわいていた。なにもないように風が吹いている。
 いきなりそれは起こった。ごうごうと音を立てて、斜面のずっと下の平面が横にすべるように動き始めた。ミルがあっけにとられてみていると、イヌガタが出てきて、始まったぞと言った。
 緑の大地がずるずる動いていくのである。ある面積ごとに動くようである。すこし薄暗くなった。空中に土埃が舞っている。
「こういう台地を残して地表がうえのものをのせたまま平面でシャッフルされていくんだ、調査願いは出したんだが、順番が回ってくるまでに植民事業中止になってしまった」
 台地のうえはちょっと振動が伝わってくる程度である。思わず縁までいったときに地面がやや大きく揺れ、足元が草をはやしたまま中を抜かれた感じに平面がなくなり、ミルは斜面を足から滑り落ちた。やわらかい土と草の上を腰と背中でそのまま滑っていく。このままあそこまで滑っていったら生身では死んでしまうと一瞬恐怖を感じたが、数十メートルのところで止まった。体にはなにも問題はなかった。低い振動を感じながらミルは落ちてきた方を見上げた。つかむところがなくてそのままでは上がれそうもない。
「アレク」
 大声で叫びどの方向から上がるのがよいか考えようとしたところに、ロープが落ちてきた。アレクのイヌガタが見下ろしている。このロープを使うのは生涯で二回目だと思いながら、アレクはロープをよじのぼった。ロープの先を小屋のどこかに縛り付けて、アレクのイヌガタがしっかりロープの途中を握って引いていた。
 ミルはそのまま這うように小屋まで戻り、その入り口で立ち上がって振り返った。こんな星、人間の手に負えるわけないと思った。イヌガタがロープを引き上げてやってきた。
「昔と少し様子が違う。台地も狭くなっているし、この程度の揺れで済むかわからない、ミル、君はもう飛んだ方がいいんじゃないか、いつでも私がロープを投げてやれるとは限らない」
 まえにはそのロープで自分に助けられたくせにとミルは思ったが、考えると自分が助けたのはこのアレクではない。ミルは首をすくめ、着陸艇に向かおうとして、アレクのイヌガタが動かないのに気付いた。生まれつつあった親近感の挫かれた軽い不快感を抑えてミルは訊いた。
「どうします」
「どうするって」
 あきれたようにイヌガタが言った。
「私は死んでるんだし、そちらに行っても消去されるだけなんだし、行政区外にいたとしても消去を避けるためにいちいち通信のあるところでシャットダウンされるのも好きじゃない。エネルギーがもたなくなるまで、ここで見られるものを見るさ」

着陸艇を浮かせて上空から眺める地表変動は見事なものだった。
 点在する台地のあいだのひろい緑が、ある面積のブロックのままパズルのように、動いては、分かれ、組み変わっていく。すべて崩れた台地は沈んでいき、あちこちに新しい台地が立ち上がる。立ち上がる際には土煙がたちあがり、そのあたりは厚い雲の下のように薄暗い。
 フィーが死を報告していなければアレクもイヌガタのままこちらの船に乗る選択肢もあったのかもしれない。そう思いながらミルは、上昇する艇の速度を上げる前に小屋のあたりに観察システムを向け、拡大像をモニターに映し出した。フィーの入っていた函を手にもつイヌガタがこちらを見上げていたが、地表変動のほうに体の向きを変えた。
 どんどんそれは遠ざかり、イヌガタも、小屋も、そのそばの古い着陸艇も、薄暗い画面の中で見えなくなった。

文字数:15931

課題提出者一覧