ニュースサイトのエンジニア、未来人を探す

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梗 概

ニュースサイトのエンジニア、未来人を探す

青山と井上は新聞社で働くソフトウェアエンジニアであり、ニュースサイトの開発と運用をしている。新聞社員は日ごろからインサイダー取引について厳しく指導されているものである。

ある日、二人がサイトのアクセスログを監視していると奇妙なログを発見した。とある記事へ、その記事が公開される3時間前にアクセスしているのだ。なぜこの人物は公開前にURLを知っていたのだろうか。二人はアクセスログ保存サーバーの不具合と決めつけ担当者に調査を依頼した。

暇を持て余した二人はこの閲覧者をMと呼び、もしこのMが未来人だとしたら、Mはどんな人かについて検討することにした。

調査に使える情報は、Mの閲覧履歴と端末の機種、IPアドレスである。Mは記事検索機能を使っており、キーワードは『天神 落雷』『上元権蔵』『自工』。他にアクセスしたのは『訃報ページ』『T自動車の株価チャートページ』。

Mの使っている端末は5年前のAndroidの機種でサイズは6.3インチ、OSは1年前のバージョンである。IPアドレスからMは今名古屋近辺にいることが分かる。

なお、上権蔵は政治家で、元スポーツ選手である。

二人はこの手がかりから、Mには上元という名前の知り合いがいるが本人は上元ではなく、Mが20代後半から30代で、愛知県出身だが現在は県外で働いており、今は帰省中ではないかと推論した。

その時、本当に福岡で落雷が起こった。ニュースを見た二人はMが本当に未来人なのではないかと信じ始める。

二人は上本権蔵の名前が訃報記事に載る可能性に気づき、公衆電話から本人に忠告した。するとその一時間後に江口正平という小説家が亡くなった。記事によると友人である上本の家に遊びに行く途中で交通事故に遭い死亡したのだ。未来は変えられないと二人は悟る。

その後、名古屋の大学教授である上元京子という人物の葬儀の報を見つける。またIPアドレスからMが新幹線で東京に向かって移動していることが分かった。二人は東京駅の東海道新幹線乗り場に向かい、喪服を着た30歳前後の人物を探す。するとその通りの人物が見つかった。Mは沖田と名乗り、上元京子は母方の祖母であり、その人物が遺した『3時間先のインターネットにつながるWi-Fiルーター』を使ったことと、それを使ってT自動車の株を売買したことを供述した。Mの行動はインサイダー取引に当たると考えた二人は金融庁に訴えた。金融庁の担当者は沖田を逮捕するべきだと主張する。しかし沖田は「自分が本当に未来のことを知っていたかは、3時間後にならないとわからない」と逃げ出そうとする。話を聞きつけた検察官がやってきて、3時間先のことが分かるなら、それを数珠つなぎにすればもっと未来のことが分かるとしたうえでこういった。

「将来沖田が有罪になるかどうか確かめてから逮捕しよう」

文字数:1163

内容に関するアピール

『もし現代に未来人がやってきたら、どのように検知できるか』という問いに対して、ニュースサイトのアクセスログを見る立場の人なら割り出すことができるという回答を用意した。

数少ない手がかりから推論を重ねていく構成は、『9マイルは遠すぎる』にならったものだ。

ところで時間モノのSFにはお作法がある。未来・過去を変えたらどうなるのか明示することだ。『変えられる』『一定の結果に収束する』『変わらない』等のパターンがあるが、本作では『変わらない』の立場を明示するお約束シーンを用意した。

最後に『タイムマシンを使ってインサイダー取引をした場合、何時の時点で犯罪になるのか』という禅問答が提示され、検事によるいまいちの納得いかない解決案が出たところでオチとなる。

文字数:323

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このニュースを読んだのが未来人だったとして

これから東京タワーを爆破しに行く。緊張してきたな。

5月中旬。19時を数分すぎたところ。
インカムから何か聞こえたが、ホームの騒音にかき消され、何を言っているのか分からなかった。
「すまん、ちょっと待ってくれ」
周囲の視線に気を配った。俺を怪しんでいる者はいない。大丈夫だ。野球帽、黒縁メガネ、マスク、手袋。どこから見てもこれはただの40歳男性だ。
急いで階段を降り、静かな場所を探す。
「こちら青山、今東京駅に着いた」
『こちら本部、了解しました。予定通りJR乗り換え口で赤川と合流してください』
指示通り改札に向かう。
今から山手線で浜松町駅に行き、東京タワーまで歩く。爆弾を仕掛け離脱する。21時に遠隔操作で起爆し、インターネットに犯行声明を掲げる。そういう計画だ。不安事項といえば犯行声明である。
「そちらのパソコン博士はちゃんとできるんだろうな」
『準備万端です』
返ってきたのは若い男の声だった。IT班の白滝。今回の作戦では、彼が帝都通信社のニュースサイトを書き換えて声明文を出すことになっている。
『ご心配ありがとうございます。そちらこそお気をつけて』
白滝の礼儀正しさが俺をさらに苛立たせた。

それはひとえに、団体内部でIT班が厚遇されているからだ。
先日彼らは帝都通信社のシステムに侵入する方法を確立したらしい。俺にデジタルは分からない。ニュースサイトのハッキングがどれだけ難しいのかも知らない。だが、こちらは命を削って工作活動をしているのだ。捕まるリスクと背中を合わせて。快適な部屋でパソコンをカチャカチャしてる方が偉いなんてことはないはずだ。
それなのに、なぜ彼らばかり重役に登用されるのか。

先月、会議でそう上申した。幹部たちは苦笑いしながらこう言った。
「彼らは我々の宝なんだよ」
ああそうですか。じゃあ我々はこの団体にとって何なんだ。

だからこそ、この作戦は絶対に成功させなければならない。ここで東京タワー爆破という偉業を無事成し遂げれば、誰であれ我々の価値を再認識するだろう。

改札を抜けると、事前に聞いた通りの人相の女が立っていた。彼女は横目でこちらを確認すると、顔を伏せたまま言った。
「あんたが青山ね」
「ああ。お前が赤川美幸か」
赤川は小さく頷き、山手線のホームに向かって歩き出した。赤川の大きなリュックサックが目を引く。爆弾などの荷物は、部下が持つルールになっている。捕まった時のための対策である。
俺も彼女の後を追う。
『そういえば』
インカムから白滝の声が聞こえた。
『先ほど帝都通信のニュースサイトのアクセスログを取得できました。解析したところ、面白いものを見つけました』
「アクセスログってなんだ」
『パソコンやスマホでWebサイトに訪れた人の記録で、どのページを見たか分かるんです。端末の情報もあります』
そんなものが分かってどうなるというのか。俺にとってはどうでもよかった。しかし、赤川は興味を抱いたようだ。
『どんなログだったの?』
少し離れて歩いている赤川の声はインカム越しに聞こえる。
『17時に”三好アルミ 平針合成”と検索しています』
「だから何なんだ」
『帝都通信社が三好アルミと平針合成の提携を報じたのが19時です。他のニュースサイトを探してもそれ以前の情報は見当たりません。つまり――』
普通に考えれば、それを検索したのは会社内部の人間だ。19時に公表すると決めていた情報が事前に洩れていないか確認してみた、そんなところだろう。
『未来人ね』
どうしてそうなる。だが、このアホらしい会話は彼女なりの緊張対策かもしれない。
『せっかくだから、この未来人Mがどんな人か推理してみましょう。もし突然過去へタイムスリップしたらどうするか』
「そんな馬鹿なって思うでしょうね」
『で、試しに覚えてるニュースを検索してみるわ。何か印象的なその日のニュースを。白滝君、その人が他にどんなニュースを検索したか調べて』
白滝の困ったような笑い声がイヤホン越しに伝わってきた。
『かしこまりました。ログを調べれば他にも未公表の内部情報があるかもしれない、という話がしたかったのですが、まあいいでしょう』
メッセージアプリに送られてきたのはこのようなデータだった。

17:00 ”三好アルミ 平針合成”と検索
17:20 ”自工”と検索、T自動車の株価を閲覧
17:30 ”天神 落雷”と検索
18:10 訃報一覧ページを閲覧
18:30 ”上元権蔵”と検索

OSはAndroid(バージョンは1年前)
機種は6.3インチで5年前のモデル

今日の21時に爆発する東京タワーに触れていないので、残念ながら未来人ではないだろう。
『IPアドレスはそれぞれバラバラです』
「IPアドレスってなんだ?」
『インターネット上で通信する時の電話番号みたいなものです。おおよその発信場所が分かります』
「範囲はどのくらいだ?」
『都道府県単位くらいです。最初の2件が愛知県、次の2件が静岡県、最後の1件は神奈川県でした。このスピードで移動するものといえば新幹線でしょう』
未来人はともかく、新幹線は確かなようだ。
「だいぶ間が空いているな」
『シンカンセンスゴイカタイアイス食べなきゃいけなかったんでしょ』
シンカンセンスゴイカタイアイス食べながら検索すればよいではないか。
『他にこの情報から分かることはない?』
「例えば?」
赤川が首をかしげて考え込んだところで、二人は山手線のホームに着いた。空いている列を適当に選んで並ぶ。
「上元権蔵って誰だ」
『知らないの? 野球選手。でも上元のモトってこの漢字かしら』
『おっしゃる通り、本棚の本の方です。彼は昔の野球選手で、現在は参議院議員をしています』
『ホンをゲンに間違えるのは珍しいわ。ホンの方が多いし、予測変換でも先に来る。だから、この未来人Mにはゲンの上元の知り合いがいる可能性が高い』
『予測変換は、過去に使った漢字を学習して、より上位に出しますからね』
「本人が上元かもしれない」
『それはない。本人だったら散々間違われて生きてきたはず。敏感になるもの』
それはそうか。
『まあしかし、まだ広いですね。新幹線に乗って関東に来た上元という知り合いがいる人、だけでは絞り切れません』
赤川は残念そうに額を押さえ、しばらく視線を彷徨わせた。
『多分、結構若い人だと思う』
「なぜそう言い切れる」
『Mは帝都通信で上元権蔵と検索している。帝都通信は政治経済のニュースを中心として扱っていて、ここで検索したということは、この人にとって上本権蔵は政治家ということ』
「政治家なんだろ?」
『もう少し上の世代なら、野球選手として認識しているはずで、そうであれば別のサイトで検索すると思う。だから30歳以下の確率が高いとみなすわ』
赤川がそこまで言ったところで電車が入ってきた。騒音で聞き取れないので会話を一時中断。俺も少し気になる手がかり見つけていた。こんな、与太話に付き合う必要もないのだが。
ドアを開けた電車から絞り出された乗客たち。先頭はパーマが印象的な60代くらいの女性だ。続いてハンチングを被った60代くらいの男性。その次は女子高校生が三人。胸筋たくましいスポーツウェアの男性。原宿にいそうなファッションの女性二人組。モード系っていうのか? サラリーマン風の40代男性。さて、未来人Mはどんな人なのだろうか。すれ違う列をぼんやりと眺めていたら、若くて背の高いツーブロックの男と目が合い、睨まれた。顔を覚えられたくない。目を伏せる。
乗る列が動き出したので、前の人に続く。ここは東京駅。ほとんどの客が下りたので空席も多いが、浜松駅までは3駅なので座ることはない。後ろの客に押されるように、反対側のポール際に収まった。赤川はリュックをお腹に抱えてこちら側の扉にもたれかかった。
振り向くとサイネージが目に入った。自分が入ってきた扉の上だ。一行ニュースを5か国語で表示している。内容は、日本人メジャーリーガーの打撃成績について。
扉が閉まると騒音は多少ましになる。赤川に伝わる最小の声で俺は囁いた。
「俺は70代だと思う」
『あんたが? 見かけよりお若いのね』
「俺じゃない。Mさんだ」
『なんで?』
『自工って何かわかるか?』
赤川はこちらを見て首を振った。
『僕も存じ上げません』
白滝は少し大きな声でしゃべってくれた。
「自工さんはT自動車の愛称みたいなものだ。ただ、この言葉を使うのは昔の人だけだ。それも愛知県の」
『家族の影響で覚えたかもしれないわ』
「働き始めたら矯正されるな。愛知県の職場なら、なんであれ高頻度でT自動車が話題に出る。新入社員が自工なんて言葉使ってたらちょっと恥ずかしい。だから70歳以上だと思う。もし30歳なら、本人が県外に就職したパターンか。いや、確かにそれなら30歳かもな。愛知県に生まれて、親か祖父母の影響で自工という言葉を覚えて、高校卒業とともに上京したとかそんなところじゃないか?」
電車が有楽町に着いた。扉の前のスペースで人々がかき混ざる。それを妨げないよう集中。肩をひねったりお腹をへっこませたり、円滑な乗降車に協力する。各々が居を定めたところでドアが閉まり、電車が動き出した。
『性別は?』
「自工に男女はないと思う。白滝、スマホのサイズはいくらだと言った?」
『6.3インチです』
「それってどのくらいだ」
『普通としか言いようがないのですが……大体スマートフォンのシリーズで名前にSEやminiとつくのが5インチ前後、ProやMaxとつくのが6.7インチくらい、何もつかないノーマルの機種が6インチ強です。中間ですね』
『あんたのiPhoneは6.1インチよ』
「どちらとも言えないな」
『そうですね。OSのことを言えば、Androidユーザーはやや男性が多いというデータがあります』
なんとなくスッキリしない。
「バージョンは1年前ってどういう意味だ?」
『OSのバージョンが1年間更新されていないということです』
「もう少しわかりやすく」
『1年間定期的なメンテナンスをしていないという意味です』
「1年前まではしていたのか。じゃあ、5年前に買ったスマホを去年買い換えたのか」
『その可能性が高いと思います』
まあ、それが分かったところで。新幹線を降りる乗客全員のスマホを見せてもらうわけにもいかない。
無言のまま時間が過ぎ、電車は新橋を発った。
とその時、サイネージに一枚の写真が映った。それは背の高いビルの写真だった。細長い直方体の角を刀で切り落としたような鋭角のフォルム、そして特徴的な高いアンテナ、カジキマグロのようなその姿は間違いなく福岡タワーだ。そのアンテナから飛び出した光の階段が、青白く輝きながら空に昇り、力強く紺色の天に突き刺さっていた。いや、逆であろう。福岡タワーに雷が落ちたのだ。いつ? 写真の右下に撮影時刻が書き添えられている。19:10。つい10分ほど前だ。白滝から送られてきたメッセージをもう一度確認する。『17:30 ”天神 落雷”と検索』。未来人Mは本当に未来人なのか。それ以外に説明がつくか。未来人なら何をしにきた。お前は誰なんだ。
『降りるわよ』
ここから仕事場まで15分。Mの事が気になるが切り替えなければ。切符で改札を抜ける。

俺は立ち止まり、東京タワーを見た。距離が離れているので、見上げるというほどではない。それでも綺麗な姿だった。俺を追い抜いていった人たちが、駅前の歓楽街に染み込んでいく。
歩きながら帰りの切符を再確認する。仕事が終わり次第すぐに帰れるよう、自由席にしてある。他に確認することはないか。スマホの電池残量。時計の針。靴底。何かを起こさないために一つずつ丁寧に。そして東京タワーのチケット。東京タワーは、エレベーターの前でスタッフがチケットをもぎるシステムだ。だから偽造は簡単。万一指紋が残っていないように、タオルで両面を強く拭い、財布にしまう。さて。きっとこの瞬間、俺の目つきが変わっただろう。
とはいえ。
「なあ」
俺は5メートル前を歩く赤川を呼んだ。
『なに?』
「上本権蔵ってご存命なのか?」
『まだその話してたの?』
赤川は不機嫌そうだった。
「ちょっと気になって」
『生きてるわよ。失礼な人ね』
「Mはお悔やみのページを開いた後に上元権蔵って検索したんだよな」
『時系列で言えばそうね』
「今日上本権蔵が亡くなる可能性はないか? Mは上本権蔵の訃報を覚えていたからそういう行動をとったんじゃないかと」
『あんた本当に信じてるの?』
その言葉には侮蔑が混じっていた。
「いやだって天神で雷が……」
『本当だったらどうするっての?』
「本人に教えてあげないか」
『なんて言って? 「未来人によるとあなた今日死にます」っていうの?』
確かに、どうしたら伝わるだろう。
『まあいいわ。電話してあげましょう。白滝くん、上本権蔵の電話番号教えて』
刺々しさが一転、急に建設的な提案が出てきた。
『かしこまりました。ただ、電話を使うと足がつきます』
『大丈夫そこに公衆電話がある』
彼女は電話ボックスに入り、財布から小銭を取り出した。
「おい、指紋を残すなよ」
『分かってるわよ』
彼女は20代に見えるが、公衆電話の使い方を知っていた。
『あー、もしもし、上本先生の事務所でしょうか? 体調を崩されたとうかがったのですが先生はお元気ですか? あ、お元気だったんですか。意外にも。あー、そうだ。実は先ほど上本先生に危害を加えようとしている人を見かけまして、ええ、たまたま。表で。私ですか? 私は匿名希望ってことで。いや、決してイタズラではなく。あ、もしもし? もーしもーし』
赤川は受話器を置いた。
『切られたわ』
「まあ、そりゃそうなるだろうな」
これでいいのかという感じはする。それでも、俺が目覚めの悪い思いをする確率が少し減った。よしとしよう。

俺は黙って歩いた。東京タワーに近づくにつれ、外国人観光客が増える。増上寺の横を抜ければすぐそこだ。
それなのに雷のことが頭を離れない。Mは誰なんだ? スマホの機種は5年前のもの。1年間使っていなかった。なぜ? 買い換えたから。では、なぜ買い換えたスマホを急に使い始めたのか。遠出しなければいけなくなったからだ。『移動中の暇つぶしに映画を見たい。でも、出先で電池が無くなると怖い。そうだ、去年まで使っていたスマホを持っていこう』。あり得そうな話だ。だが、それなら新幹線の窓際の席を買えばいい。それができなかったのは、急用だったからだろう。
Mは愛知県出身で、今関東で働いていて、30歳。今日はお盆じゃない。急に地元に帰る理由は?
「なあ、白滝」
『なんでしょう』
「インターネットでここ数日の間に開かれたお葬式を全て調べてくれないか」
『全てと言いましても、毎日3,000件くらい開かれていると思います』
「愛知県だ」
『それでも150件くらい』
Mの交友関係は分からない。俺の知っているMの知り合いは唯一。
「苗字が上元なら」
『少々お待ちください……ありました。名古屋の大学のWebサイトに訃報が載っています。物理学部の元教授、上元京子さん。URL送りますね』
俺は送られてきたリンクを開いた。そこに載っていたのは、上元京子さんという女性の経歴、お別れ会の場所、そして顔写真。柔和な笑顔だった。Mはこの方のお葬式に行ったのだろうか。それなら、彼は上元京子さんの教え子か孫だろう。

東京タワーのふもとの小広場には屋台が並び、客でごった返していた。
『荷物もって』
赤川がリュックを押し付けてきた。それは下の者の役割なのだが。
『そっちの方が自然でしょ』
それはそうかもしれない。

リュックを担ぎ、建物に入る。もぎりのスタッフに偽チケットを渡す。何事もなくエレベーターに押し込まれた。
今度こそ頭を切り替える。仕事だ。展望台から地上までは150メートルあり、徒歩で下ろうという奇特な人のため、東京タワーには外階段が用意されている。外階段はフェンスで覆われているが、隙間から整備用のキャットウォークに侵入できる。そしてそこから東京タワーの頸動脈、エレベーター裏に回り込む作戦だ。
エレベーターが開く。展望台内は暗い。顔を見られたくない俺にとっては動きやすい。順路に沿い周回する。エレベーターから半周ほど回ったところにソフトクリームの売店。その前の通路は明るく照らされている。ここは顔を伏せて通過。売店の脇には椅子と机が用意されていて、大学生くらいの男女が休憩していた。
「江口正平が交通事故だって」
彼らの会話が耳に入った。
「誰?」
「小説家。Twitterに載ってる。上本権蔵の家に遊びに行く途中で自転車に撥ねられたんだって」
その瞬間、ソフトクリームを持ったその男と目が合った。いや、彼が俺の視線に気づいたのだ。無意識に凝視してしまっていた。俺は慌てて顔をそむけた。
「元々上本権蔵が江口正平の家に行く予定だったんだけど、上本に脅迫電話が掛かってきて、急遽江口が行くことにしたんだって」
赤川に引っ張られた。無理矢理足を動かしてその場を離れる。
そういうことだったのか。最悪の事態になれば、江口だけでなく上本の名もニュースに載る。
間違いなくMは未来を知っている。法則も分かってきた。Mが”三好アルミ 平針合成”と検索したのは、それが公表される2時間前だ。それ以外の件も、ほぼ報道の2時間前に検索している。Mは未来から来たというより、常時2時間先の情報を手に入れられるような状態といえよう。17時に19時を18時に20時を。
Mは”東京タワー”と検索していない。なぜなら、白滝が取得したアクセスログは19時以前の物であり、起爆は21時だからだ! 今ならすでにその情報を知っている可能性が高い。知ったらまず警察に通報するだろう。
既に外階段にたどり着いていた。しかし、爆弾の設置どころではない。
「赤川、逃げるぞ」
インカム越しに白滝の叫ぶ声が聞こえる。相手をしている場合ではない。俺は飛ぶように階段を駆け下りた。よく考えたら、エレベーターで降りた方が早かったかもしれない。しかし、もうそんなことを言っている場合ではない。背後から赤川の足音が聞こえる。
階段を下り切り、クレープ屋の前でたむろする家族を押しのけて通りに出た。東京駅だ。新幹線に乗って遠くへ行こう。歩いている暇はない。俺はタクシーを止め東京駅に向かった。車の流れはスムーズではなかった。リアウィンドウ越しに、はるか頭上から俺を睨む東京タワーの視線を、いつまでも感じていた。

タクシーを降り、東京駅八重洲口に飛び込んだところで突然肩を叩かれた。
「お兄さんちょっといいかな?」
振り払おうとしたができなかった。警察官が俺の腕をしっかりと掴んでいたのだ。見渡すと、警察は一人ではなく四方八方から取り囲んでくる。
「爆弾を持って歩いている人がいるっていう通報があってね。お兄さん、リュックの中身を見せてもらえないかな」
咄嗟にリュックのベルトを握りしめた。赤川が持つはずだったこれを、なぜ今俺が持っているのか。俺は理解した。
「ハメられたのか」
全ては本部の嘘だったのだ。本当は未来人なんていない。アクセスログなんてない。東京タワーを爆破するつもりもない。団体は俺のことを疎ましく思っていて、この計画を使って消そうとしたんだろう。人事に口出したからか? 東京タワー爆破を強弁したからか?
俺を取り囲む警察官たちの中で一番年長と思しき怖面の者が、俺の正面からゆっくりと距離を詰めてきた。俺は観念した。

その時、警察官たちの後ろを、喪服を着た一人の男が横切って行った。喪服男は不思議そうに俺を見た。その顔は写真で見た上本京子にどこか似ていた。

さて、これは狂言だったのだろうか。それとも本当に未来人はいたのだろうか。

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