マルコフ連鎖とバラの蔓

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梗 概

マルコフ連鎖とバラの蔓

この小説は現実とは異なり、コンタクトレンズ型ウェアラブルデバイスが一般的であり、会話中のインターネットへのアクセスが容易なため、消費/リズムの早い、ハイコンテクストなコミュニケーションが行われている。

そのような高速化したコミュニケーションが一般的な世界において、酷い吃音持ちの大学生(主人公)は他者との会話のリズムに合わせる難を理由に、インターネットでの交流に精を出していた。
 自分が脳内で紡いだ言葉を実際に発する際にラグが生じてしまい、リズムに乗れず、どうにも相手を白けさせてしまっているのではないかと悩んでいる主人公。しかし、インターネットでは自分の発信が評価されており、対面での会話がうまくいかないのは、内容ではなく、リズム、それも吃音のせいだと確信していた。

ネット中心で生きる主人公に突如、SNSで仲良くしていたフォロワー(A子)より、自分と同じ大学に進学するため、会ってみたいとの連絡が来る。異性への関心はあるが、情けのない人間と思われたくないため、主人公はどう返信するか葛藤する。
 そんな中、翻訳アプリで収集したデータを流用した、AIを用いた会話サポートアプリがリリースされる。そのアプリを使用すると、会話のやり取りと学習データを基にして会話への返答例がウェアラブルデバイスを介し、選択肢として視界に現れる。主人公は朗読という形式であれば吃音が現れないため、会話サポートアプリを用いてA子に会うことを決める。

主人公は、事前に自分のSNSの投稿をアプリに学習させることで、少しのぎこちなさとともにデートを成功させることができた。A子とは今後も継続的に会う運びとなったが、自分の言う「内容」と「リズム」が備わっているはずの会話に楽しさを感じない。
 疑問を持ちながら2,3回とA子と会っていく中、アプリの使用感に違和感を感じる。選択肢の出力結果が過度に詩的となっている。元々の翻訳を前提とした丁寧な内容ではなく、人々のラフな日常会話でアップデートを重ねた結果、アプリの出力はよりハイコンテキストな詩という形態を取り始めたのである。

抽象的なアプリの出力のために、主人公はしゃべり方、表情のつけ方などで会話に味付けをする必要があった。主人公は会話への参与を学び、その工夫を楽しいと感じ始める。
 デートを重ね、A子への告白も視野に入れ始めた中、ついにアプリに決定的な破綻が訪れる。会話アプリが過学習を引き起こし、「LOVE」しか出力しなくなってしまったのである。

街で見かけるアプリ使用者同士は「LOVE」のみでコミュニケーションを行っている。両者の「LOVE」をアプリが訳しているらしいが、その「リズム」と自分勝手な「内容」への違和感から、「情緒」という会話の要素を見出す主人公。

A子とは「LOVE」では会話できないため、勇気を出して、主人公は謡うように会話を試みる。
 微笑むA子。テキストの終わり。

文字数:1200

内容に関するアピール

時間の主観的な時間・客観的な時間という大分類のうち、前者を書いた。
 主観的な時間の中でも、世間の「タイムパフォーマンス」「ファスト映画」等のトレンドを導に、「コミュニケーションにおける効率」をテーマに決めた。

コミュニケーションにおける効率主義は、自己完結的なロマン主義ないし、ラカンの言う「性関係はない」が露わとなり、コミュニケーションの頓挫に繋がるという個人的な主張がある。
 小説中、上記の状況を生じさせるギミックとして、唐突に生活に現れた感のある生成系AIを導入し、言葉の生成と破壊の縁を詩と据えた。

効率主義によるコミュニケーションの頓挫と並行して描こうとしたのは、その状況からの脱出である。それには、コミュニケーションをメタ的に捉える能力を持つものとして、パロールを後天的に獲得する主人公の配置が必要であった。

言語から逃れ、表情によって締める展開が個人的に気に入っている。

文字数:389

課題提出者一覧