信ずるに足る末裔

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梗 概

信ずるに足る末裔

「未来を助けて」はみんな詐欺! 不要不急の時間旅行は控えてください。

 時間省による警告ホログラムを目にしない日はない。
 二一○○年代初頭、末裔対策は深刻な社会課題となっていた。マルチバース理論に基づくタイムトラベルが交通インフラとして普及しはじめたのが二○九○年代後半。そこから、末裔らによるマルチ商法が世に蔓延るまでには十年もかからなかった計算だ。近隣宇宙から時間遡行してきたかれらは異口同音に、自分が直系親族であることを訴え、未来を救えるのはあなたしかいません、と口説いてきたのだった。
 多くの場合かれらは実際にn世代先の縁者ではあったため、第一次末裔襲来時、人々はこの邂逅を手放しに喜んだ。まだ見ぬ家族を救おうと未来に出向いた一行が、数分後、大量の水や化粧品、オーガニック食品の箱を抱えて戻ってきたときも、依然として歓喜のなかにいた。奥行きのない笑顔を浮かべる帰還者らと段ボールの山とを見比べ、これは感謝の贈り物に違いないと合点したのだった。どの箱にも同じブランドのホログラムが刻印されていたため、数百年後のグローサリー市場は独占状態か、と、ひそかに眉を顰めもした。
 自分たちが救世主ではなくカモであることを最初にリークしたのはB B Cタイムズだった。未帰還の人々はあちらの世界で世直しに奮闘しているのではなく、在庫を捌ききれなかった埋め合わせに演算資源として回収されていたことが告発された。未来へ出発しなかった「祖先」たちの家から、「贈り物」と同じブランドのアロマオイルが次々と見つかったところで、一連の事態が末裔らによるマルチバースを利用したマルチ商法であることが、ほぼ確定事項となった。
 外務省と時間省は共同で警告を発表し、急ピッチでの対策を進めたが、その間隙を縫うようにして第二次末裔襲来が起こった。認知症予防インプラントの更新期限切れを放置していた母が、このタイミングでやられた。言われるがままに水を買い、衣食住を提供している。
「あの子だけは本物だよ」
 母の声には、ここ数年では聞くことができなかったような張りがある。インプラントの副作用が消えたのか、末裔との接触によって起きた時間的拡張が心的な変化をもたらしたのか、定かではない。未来の水だけあってね、夢のように美味しいのよ。会うたびに数本を持って帰らせようとする。末裔が母を連れ去る気配は、今のところない。
 先日デジタル庁が配布を開始した末裔ミュートパッチを母にインストールすべきか、私はまだ、決めあぐねている。

文字数:1040

内容に関するアピール

 朝起きたらリビングのソファに末裔が腰掛けているのが目に入り、ミュートする。
 ルンバに末裔を片付けておくよう指示する。
 そんなシーンを書いてみたくて、作った。
 同じ宇宙、同じ時間軸で暮らす私たちですら、さまざまな理由で分断し、互いを軽んじている。違う宇宙、違う時間軸で暮らす人間を尊重できるとは思えない。向こうからしても同じだろう。もしかしたらいまの日本のように、経済が人命に先立つ状況に陥るのかもしれない。
 ネオリベラリズム的な価値観が強化されたまま、技術だけが進化した社会を想定したとき、私たちはいつ、どんなふうに立ち止まることができるのだろうかと考えた。自ら進んで騙されることで、負けることで、それができるのかもしれない。ならば、それを書いてみたい。

文字数:328

課題提出者一覧