Are you really in the ground?

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梗 概

Are you really in the ground?

15歳の八神蜜柑は、母・夏蓮を亡くし、現在は母親の実家に預けられて叔父の上田冬樹と暮らしている。上田家に来てから、蜜柑には一つ疑問がある。家の中を二頭のチンパンジーが歩いている。
「あれは、なんの冗談なの?」
「冗談じゃなくて、アダムとバーバラね。この家の家族だよ」
 蜜柑は学校にも行かなくなっていたが、この日から、代わりに二頭の世話をするようになる。
 アダムとバーバラは、時々、何もない空間に対して、毛繕いのような動作をすることがあるが、ある時から、蜜柑はこれを真似るようになる。冬樹は、生前、父親の上田春樹が、二頭が死んだ子供とコミュニケーションを取ろうとしていると推測していたことを思い出す。 

私の祖母は何もないところに話しかける癖がある。初めてこの話を聞く人は、理由を祖母の年齢に求めたがるけれど、祖母のその癖は昔から続くものであるらしい。誰と話しているのかと聞くと、祖母はもう居なくなってしまった人たちと答える。

20年前、冬樹の父、上田春樹は研究のためにアダムとバーバラを家に連れてきた。幼い冬樹と夏蓮はこれを歓迎するが、二頭は餌を食べず、日々衰弱していく。実は、上田家に連れてこられる少し前、二頭は息子を失くしていたのだった。
 数か月経ち、大学の同僚に、春樹は二頭の興味深い観察結果を話す。
「ウチの娘と息子が、二頭の子供の墓を作って、毎日お参りを始めんだ。そうしたら、アダムとバーバラも真似して毎日墓に行くようになって、餌も食うようになったんだよ。もう半年は続いているな。もしも子供の死を悼んでいるんだとしたら、こんなに長く続けるチンパンジーの例は聞いたことが無い」

祖母は高齢になっても、色々なことを憶えている。正しく言えば、年齢相応に色々なエピソードを忘れてはいるけれど、憶えているエピソードに関しては、本棚に会った本の数や、絵に使われていた色まで鮮明に話すことができる。
 ある日、祖母は叔父との思い出を、私に話してくれる。

半年後、蜜柑の父親が婚約者を伴って、再婚の報告に上田家を訪れる。
 蜜柑は塞ぎ込み、冬樹は、蜜柑が何もない場所に話しかける姿を見るようになる。
 ある夜、蜜柑とコミュニケーションを取ろうとする。蜜柑は、新しい家族の中で母親を忘れることが怖いと、冬樹に明かす。冬樹は、夏蓮のことが話したくなったら、いつでもこの家に来れば良いと、蜜柑に言う。アダムとバーバラが庭で、何もない空間と戯れるのを見ながら、蜜柑と冬樹は、夏蓮との思い出を話し、彼女を忘れないと誓う。

祖母の葬式が終わった後、祖母の部屋を見回すと、遺品の1つ1つから祖母の記憶が蘇ってくる。私が望むと、祖母は今も目の前に現れる。私は目の前に現れた祖母に、どれだけ貴方を失って悲しいか、どれだけ会いたいか話す。祖母は、『彼女が言ったであろう』言葉で私を慰めてくれる。そして、祖母はまた目の前からいなくなる。

文字数:1193

内容に関するアピール

人間以外の哺乳類も、仲間の死を悲しんでいるような行動を取るという話を知り、今回の梗概を書きました。彼らは、時に悲しみの為に体調を崩したり、食事をしなくなることさえあるらしいのですが、代わりになる友達や保護対象(別種の動物の場合もある)を作ることで、その状態が改善するそうです。そのため、子供を失って悲しんでいるチンパンジーが飼い主により癒され、世代を跨いで、母親を失って悲しんでいる飼い主を今度はチンパンジーが癒すという話にしました。
  チンパンジーを選んだのは、抽象的な概念(言語や、宗教など)を学ぶ能力は人間の方が優れているが、瞬間記憶(一瞬で目の前の状況を記憶する能力)はチンパンジーの方が優れているという話を読み、曖昧だけど長持ちする死者の記憶と、明瞭だけど短期間の死者の記憶が影響し合ったら、お互いの死者への向き合い方が変わっていく様子を書けそうで、面白いと思った為です。

文字数:391

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Are you really in the ground?

 
上田冬樹
「先日は、アンケートへのご回答ありがとうございます。皆さんのご協力のおかげで、無事1000人分の回答を集めることができました」俺が学生にそう言うと、タイミングよく終了のチャイムが鳴る。講義から解放された学生が、教室を出ていくのを見ていると、1人の女子生徒がこちらに向かってくる。
「上田先生、私の回答書き直しても良いですか? この前、回答した時、私なるべく研究を肯定するようにしなきゃと思ってアンケートに答えたんですけれど、やっぱりそれって実験としてフェアじゃなかったと思うんです」
「無理無理。無記名のアンケートでどれが君のか分からないし。それに、仮に君の回答がフェアじゃなかったとしても、1000分の1人の回答に実験をひっくり返す重みは無いさ」
 心理学や認知科学という名前を初めて聞いた時、一人の人間の考えや行動をすべて知ることができると無邪気に感じたことを思い出す。実際はそんなことなくて、どれだけ偉い先生様でも、あの学生がアンケートに嘘を書いたのか決めることはできないし、彼女の「フェアじゃなかった」という言葉が本当なのか証明することもできない。とはいえ、魅力的な領域だとは思うけど。
 家に帰ると、姪の蜜柑が庭で2人のチンパンジーが遊んでいるのを見ながら──親父の部屋からでも持ってきたのか──ジェーン・グドールの「森の旅人」を読んでいる。
「チンパンジーに興味が出てきたか?」
「まあねえ、家族のことだし。やっぱり知っておきたいじゃない」
 先月、蜜柑が初めてアダムとバーバラを見た時に言った言葉を思い出す。「あれは何の冗談なの?」俺は、他に言いようがなくて、ただこう答えた。「冗談じゃなくて、アダムとバーバラね。この家の家族だよ」。家族。
「コンビニ行ってくるけど、何か欲しいものある?」
「別に無いよー」
「分かった」
 半年前、双子の姉の夏蓮が病気で死んだ後、義兄さんに連れられて蜜柑はやって来た。義兄さんは、最初一週間ほど蜜柑を預かって欲しいと言った。理由を聞いても、「しばらく一人になりたい」としか言わなかったけれど、俺は引き受けることにした。家族を失った辛さが分かったからだ。それから一週間の約束は一か月に延び、一か月は半年に延びていた。その間、義兄さんは定期的に連絡だけ寄こし、自分が妻の死からどれだけ立ち直ってきているか、俺に話して聞かせるのだった。
 昨夜、また電話がかかってきて、再婚を前提として女性と付き合い始めた、と言ってきた。俺はただ「そうですか」とだけ答えた。娘を半年も放っておいて、再婚もないだろうと思ったけれど、義兄さんなりに立ち直ろうとしているのだと考えると、言えなかった。家族が居なくなって、ぽっかりと空いた穴を埋める方法に正攻法はないのだと、改めて思わされる。
「あたし、学校行かなくて良いのかな」この家に来て1週間経った頃、蜜柑はそう言った。
「行きたくなけりゃ、それで良いさ」
「ママは、あたしがずる休みしようとすると、いつも文句を言ったよ」
「そりゃ反動ってやつだな。ママは、とんでもないサボり魔で、遅刻魔だった。学校に行くよりも、自分の好きなことをやっていたかったんだな」
 それ以来、蜜柑は学校のことを気にする素振りを見せなくなり、代わりに興味を持ったのは彼女が生まれて初めて見たもの──つまりはチンパンジーのアダムとバーバラだった。
 アダムとバーバラほど異常な環境で育った個体は、歴史上存在しないのではないかと思う。何せ、今年で35歳(俺と同い年だ)になるこの2人は、決して短くない生涯の後半20年間を人間の家の中で過ごしているのだから。親父がまだ生きていた頃、同僚の動物学者を家に連れてきて彼らを見せると、あまりにも人間の家での生活に慣れている様子を見て、自分が担がれているのではないかと、帰る時まで疑心暗鬼だったのを思い出す。最低限の人間側からのサポートは必要だけれど──流石に、屋外でサルを狩らせたり、コンロで料理を作らせたりするわけにはいかない──基本的にこの家では、俺たちと彼らは対等な関係だ。とはいえ、蜜柑が1カ月ほどで彼らとの生活に慣れたことには、心底驚いている。
 蜜柑は最初から、無理に意思疎通を図ろうとするのではなく、彼らの意図を推測しながらアダムとバーバラの動きを真似ることで、彼らとコミュニケーションを行うと試みていた。これは人間というよりも、チンパンジーの子供が、大人から学ぶときの行動に近いと言えた。教室も、叱る声も無く、ただ大人の振る舞いを見て真似ることで、チンパンジーの子供は自分たちの社会を学んでいく。アダムとバーバラも蜜柑を気に入ったのか、挨拶として蜜柑が自分たちの身体に触ることを許している。考えてみれば、この家にやって来た最後の住人は、これまでアダムとバーバラであり、彼らが来た後、住人は居なくなっていくだけだった。大学に行くため夏蓮が出ていき、それから親父が死に、母さんも死んだ。そして、今は夏蓮が戻ってくることも永遠になくなった。アダムとバーバラにしてみれば、蜜柑は自分たちより後に群れに入ってきた初めての後輩のようで、面白い存在なのかもしれない。
 
八神蜜柑
 アダムとバーバラと暮らすうちに、私たちの関係性も少し変わっていった。アダムとバーバラはほとんど気まぐれっていうものがなくて、私や叔父さんが干渉しなければ、毎日を決まった時間に、決まった場所で過ごす。この家に来た頃は、廊下で彼らと出くわす度、急に現れたようで驚かされたけれど、今では私は会いたい時には、彼らの居る部屋が分かるし、1人になりたければ、どの時間に、どの部屋で過ごせば良いのか分かる。
 変わったのは、アダムとバーバラの方も同じだった。ある日、私が居間でテレビを見ていると、急に背中を叩かれた。それまで、彼らの方から接してくることなんて無かったから、すごく驚いたけれど、考えてみれば、その日私はまだ間食を与えていなかった。間食のフルーツを与えると、2人は満足したように、彼らの決まったルーティンに戻っていった。ある意味で、彼らは前よりも私に親しみを感じていて、遠慮が無くなっている。お客ではなくて、この家の住民なら、自分の仕事はキッチリこなせ、と言いたかったのかもしれない。
 互いに理解が深まることで、改めて共有できていないものが見えてくる。最初は、すべてがクエスチョンマークだったアダムとバーバラの行動も、一か月も経つ頃には、いくらか意図が分かるようになっていた。でも、理解できない行動は、それからしばらく経っても分からない。
 アダムとバーバラは、一日のルーティンの中で、良く分からないマイムのようなことを行う。具体的には中途半端に腕を伸ばして揺らしてみたり、両腕で円を作って、その場でジッとしていたりする。もしかしたら、人間でいうところの体操のようなものかもしれない。体操と言うよりも、同じ態勢をずっと続けているところからヨガやストレッチの方が近い。とりあえず、いつも通り、私は彼らの動きを真似してみる。
「何やってんの?」叔父さんが、心配するような声で聞いてくる。
「別に。ストレッチ」
「身体伸ばさないと、意味ないんじゃね?」中途半端に伸ばした私の腕を見ながら、叔父さんは胡散臭そうに言う。叔父さんの言い方が気になったけれど、私はアダムとバーバラのマイムを真似ているのだと、正直に言ってみた。
「ああ、あれね」
「なんでアダムとバーバラはあんなことしているんだろう?」
「分からないな。この家に来て、しばらくしてからやり始めたけれど」
 日曜日、珍しく叔父さんは家に居て、猫みたいに日光を浴びながら縁側で丸まっている。私がコーヒーを淹れて持っていくと、叔父さんは億劫そうに起き上がってカップを受け取った。アダムとバーバラが、台所の方から出てきて、庭の奥にある石で囲われた場所に行くと、そこで1分ほどジッとしている。叔父さんは、コーヒーを飲みながらそれを眺めている。
「毎日ああしているけれど。あれって何?」
「さあねえ。俺と夏蓮は墓のつもりで作ってやったんだけど、あいつらがどう思っているのやら」叔父さんはコーヒーを一口啜る。「もう20年も前の話だから、囲みしか残っていないけどな」
「誰のお墓?」
「アダムとバーバラの息子。と言っても、死んだのは、お爺ちゃんがあの2人を家に連れてくる前だったから、俺たちは直接見たこと無いんだけど。来たばっかの頃は、あいつら餌もまともに喰わなかったんだよ。なんだか可哀そうでさ、子供だったから『お墓を作ってあげようよ』って言って、お爺ちゃんに息子の写真を取り寄せてもらって、あの墓を作って毎日お参りしてたんだ。そしたら、少ししてアダムとバーバラも同じことをするようになった」
「子供が死んで悲しいって思ったりするの? チンパンジーなのに?」
「俺たち人間と同じような感情かは調べようがないけれど、身内の死を悼む行動っていうのは、別に哺乳類じゃ珍しくもないぞ。チンパンジーでも、パートナーの遺体を毛繕いしたり、死んだ子供を群れの仲間に抱かせたりしたって例はたくさんある。長い時は、それが一か月も続くんだそうだ」
「どうして、止めちゃうの?」私は、お母さんのことを思い出す。
「色々なことが言われているけれど、蜜柑のお爺ちゃんはシンプルな考えだったよ。お爺ちゃんは身体が腐っちゃうからだ、って言っていた。腐って崩れて、もう顔も分からないし、身体に触ってやれなくなると、彼らには死者を思う方法が無くなるんじゃないかって」
 私は、なんとなく思いついたことを言ってみる。「ヨーロッパの偉い人の心臓とか、骨が、今でも保存されているんだって、昔、お母さんがくれた本で読んだよ」
「同じ本を、俺も読んだ気がするよ。マダガスカルの人々は、「死ぬ」って言葉を使わずに、「先祖になる」と言う、とかな。俺たち人間にとっても身体は、故人を表す大切なものだけれど、その気になれば別のシンボルに置き換えられる。墓石だったり、遺灰だったり、単にその人を思いださせる品や場所だったりさ。『言語と記憶のトレードオフ』って知っているか?」
「なにそれ?」
 叔父さんは居間からタブレット端末を持ってくると、少し操作して、私の前に画面を見せる。画面には3×3で正方形が並んでいて、1から9までの数字が入っている。私が、それを見ていると、数字は消えて正方形だけが残された。私は何となくルールが理解できて、1の数字が入っていた正方形をタップする。正解を表す効果音が鳴る、でも、私は次にタップするべき場所、2の数字が書かれていた正方形が思い出せない。
「はい、時間切れ」
「ずるいよ。ルールとか説明しなかったじゃん。もう一回、もう一回」
 もう一度、チャレンジしてみると、何とか1から9までの数字を覚えることができた。でも、レベルが上がって、正方形の数が4×4になると、もうお手上げ。何度やっても全部の数字の位置を覚えられない。
 叔父さんは、墓参り(?)を終えたアダムを呼んで、同じゲームをするように促す。驚いたことに、彼は全く手を止めたりすることなく、どの数字がどこにあるのか当てていく。
「どうせ何度もやって、慣れているんでしょ?」
「研究のために、お爺ちゃんがルールを教えはしたけれど、アダムは別にこのゲームの専門家じゃないぜ。単純に、彼らは俺たちより記憶力が良いってだけの話」叔父さんは、アダムとグータッチを交わす。
「これが『言語と記憶のトレードオフ』っていう仮説。人間がチンパンジーと共通の先祖から分岐していく過程で、「言語能力」を獲得し、その代わりに「記憶力」失っていったが、チンパンジーはその記憶力を保持したまま進化してきたんじゃないかってね」
 私は言語を、さっき叔父さんが言ったシンボルと言う言葉に置き換えてみる。シンボルへの置き換えが続く限り、人間にとって身体の崩壊は、故人との繋がりが完全に失われることと同じじゃない。反対に言えば、死んだ人間が、生きている人間の間から失われることは非常に難しいということなのかも。
「そしたらアダムとバーバラって、随分変わりものなんだね。お墓参りなんて、人間みたい」というか、それで私より記憶力良いって、純粋に私より頭良いってことなんじゃ……。なんとなく頭を抱え込んでいたら、アダムが私の肩を抱いてくれる。
 
上田冬樹
最初に、手ごろな細い草を見つける。次に、葉っぱを一枚ずつ剥ぎ取っていって、茎だけの状態にする。それをアリ塚に突っ込むと、茎を食べようとアリが引っ付いてくる。最後に、釣り上げたアリをムシャムシャ食べる。1960年代にジェーングドールが発見した、このチンパンジーの行動に対して、師匠の古人類学者ルイス・リーキーは次のような電報を送った。「ああ! いまやヒトを定義しなおすか、道具を定義しなおすか、それともチンパンジーをヒトとみとめるしかなくなった!」。それまで絶対的に考えられていた、「道具を使う」という人間とその他の生物の間に引かれた線が、この発見によって勘違いであったことが分かったからだ。
「それなら、宗教はどうなんだろう。思想や死生観も、道具と言えば道具だけど、アリ釣りとはちょっと違うよな。アダムとバーバラが墓参りを始めてから、親父が持った疑問がこれだったわけだ」
「それで、上田教授の結論は?」西園林檎博士は、情熱的に聞き返してくる。
「結局、論文にまとめられたような成果は何もないよ。人間の飼育下にあるチンパンジーが墓参りを始めたって言っても、研究者の間じゃ「墓参り芸」を仕込まれただけの個体としてしか見られなかった。親父にできたことと言えば、文句を言われない範囲で、小説と論文の間みたいな売れない本を書いたり、子供たちに自説を披露したりするだけだった」
「私が怒りと、驚きを感じているのは、知り合って5年以上も経つのに、姪御さんのことが気にかかるまで、貴方がそんな興味深い話を一度もしなかったこと。なんで?」
 俺の親父・上田春樹教授は変人で、隣の研究室の学生からも胡散臭い目で見られるような研究者だったけれど、その代わりあらゆる場所に少数の信奉者や友人を持っていた。林檎もその一人で、親父の影を追って、わざわざ地方の大学にやって来た変わり者だ。
「君が興味を持つような話だとは思わなかったんだよ。実は、さっきまで話始めたことを後悔していたくらいだ。んで、どう思う? チンパンジーが宗教を持つことはありえるかね、西園博士」
「宗教の定義によるわね。もしも、アダムとバーバラが毎週教会に行って、ミサに参加していると貴方が言ったら、私は貴方が芸を仕込んだと思うでしょう。でも、何かしらのシンボルと意味を1対1で結び付けたというのなら、別に驚かないわ。チンパンジーに言語を教えようとする研究は既にあって、彼らが教わった言語をただ反復するだけじゃなくて、自分から組み合わせられることもできるっていう結果が出ているもの。勿論、人間の様に話すって訳じゃないけど、彼らにも死んだ子供と、現実のシンボルを結び付ける余地はあると思う」
「そもそも、なんで死者とシンボルの結び付けが必要なんだ?」
「そうねえ」林檎は少し考える風に顎に指を当てる。「端的に言えば、死は、死者への思いまで断ち切れないからじゃないかしら」
「それって人間よりの考え方すぎないか?」
「そう? だってアダムとバーバラも、貴方の家に来てから、しばらくは餌を食べられなかったんでしょ。飼育下の動物が同じような状況になった時、死者の代わりになる友達や保護対象が現れると、健康状態が回復するっていうのは実践されている治療法よ。人間もチンパンジーも、近しいものを失ったら、それを埋めるものが欲しいのかも」
「たとえ、それがシンボルでも?」
「寧ろ、興味深いわね。もしも、本当にアダムとバーバラの中で、お墓と子供が結びついているのなら、それは、彼らにとってどんなものなのかしら。どんな世界観かしら」
 
八神蜜柑
何度も練習して、最近、ようやく数字当てゲームで5×5のレベルをクリアできるようになってきた。スコアが上がっていく過程は、シンプルな他のゲームもそうであるように、自分の能力の向上を自覚させてくれて、私はその度にわくわくしてくる。
 スコアを上げるのは同時に、私の記憶の仕方を少しずつ変えることも意味していた。これまで私の記憶は(自分でそんな風に考えたことは無かったけれど)、因果関係によって大きく支えられていた。例えば、私の場合、学校のリスニングテストのスコアは、その日の記憶力の冴えだけじゃなくて、スピーカーの会話を一つの物語として捉えられるかによって左右される。『動物園は、動物にとって幸せか』というテーマであれば、スピーカーの姿勢が肯定的か否定的か、その論拠はなんであったかといったことさえ記憶できていれば、回答の時間になっても、私はスピーカーの話を克明に思い出すことができる。
 しかし、スピーカーの発した単語をすべて正確に羅列しろと言われたら、恐らくこの因果関係に基づく記憶は、有効性を大幅に損なうことだろう。そして、数字当てゲームに求められるのは、まさしくこの能力だった。それはカメラで動画を撮影するように、目の前にあるもの全てを等しい関心で見て、記憶する。以前なら、私は本棚に入っている本の冊数を表現する時、「数冊」または「いくらかの本」と言っていたはずだけれど、最近では「7冊」といった正確な数字をハッキリと答えられるし、そうしなければ気が済まなくなっている。
 叔父さんは『言語と記憶のトレードオフ』と言っていた。その言葉の通り、これは純粋に、私ができることが増えてきているということを意味しない。部屋の中を克明に描写できるようになった代わりに、自分の中から曖昧さを許容する気持ちが無くなっていくのが分かる。特にそれを自覚するのは、人と話している時。記憶が明確になった分、私は記憶が曖昧なことや、記憶に無いことを推測で話すのを控えるようになり、反対に私と叔父さんの間で、覚えていることが違っていたりすると、私は絶対に譲れなくなっていた。
 私は、自分の日記を読み返してみる。すると、8歳の時に書いた文章に、すごく違和感を覚えた。
「今日、お爺ちゃんに会いに行った」
この1年前に、祖父は死んだ。つまり、これは祖父の一周忌に行ったことを書いているんだろう。つまり、ここで書かれている「会う」というのは、ちょっとした比喩なんだ。少なくとも、生きている祖父に対して使っていた「会う」と全く同じ意味というわけじゃない。
 当時の私が、一周忌と言う言葉を知らないと言うことは無い。何故なら、前日の日記には、しっかりと意味を理解した上で、その単語が使われているからだ。しかし、それが分かっているにも関わらず、「今日、お爺ちゃんに会いに行った」という文章が、ただの書き間違いと断定している部分が私の中にある。
「明日、お母さんに会いに行く」
なんとなく、私は書いてみる。これは多分、明日お母さんの墓参りに行くとか、そんな意味なんだろう。あるいは、自殺する前日とか。でも、やっぱり私の一部は、この文章を受け付けない。昔見たシュルレアリスムの絵画みたいに、まったく交わっていないものを無理矢理くっ付けているみたいな、そんな違和感。
 
上田冬樹
 林檎がアダムとバーバラの様子を見たいと言うので、仕事終わりに彼女を家に連れてくる。数カ月ぶりの2頭とのコミュニケーションに満足すると、彼女は興味の対象を蜜柑に向けた。この数か月の生活で、アダムとバーバラはどのように蜜柑と接していたか、また蜜柑は何を心がけて接していたか。
「ところで、蜜柑ちゃんはあのマイムは、何をやっているんだと思う?」
林檎は、アダムとバーバラ空中を掻くようにしているのを見て、蜜柑に聞いた。彼女は、以前からあのマイムに関心を持っていて、何かしらの意図があるのならば、それを知りたいと考えていた。
「多分、毛繕いしているつもりなんだと思う」
蜜柑の答えに少し驚かされた。言われてみれば、あの動きは2人が互いに毛繕いする時の動きとほとんど差異が無かった。20年一緒に生活していて、それに気付かなかったのは、身体的なコミュニケーションと気まぐれな一人遊びのような動きが頭の中で結びつかなかったからだ。そして、それは林檎も同じようだった。
「確かに、あの動きは毛繕いに似ているわね。でも、それなら誰に向かって?」
蜜柑は恥ずかしいことを話すように、俯きながら話す。「死んじゃったアダムとバーバラの子供って言ったら変?」
「でも、毛繕いはできなくない? だって、居ないわけだし」
「多分、2人にはそれが分からないんじゃないかな。誰も教えてくれないから。私たちも夢の中で人と話ししたりできるけれど、他の人がそれは夢だよって教えてくれるじゃない」
「つまり、彼らは頭の中の記憶とコミュニケーションを取っている? それはイマジナリーフレンドのようなもの?」
「イマジナリーフレンド?」
「人間の発達過程の中で現れる、空想の友達のこと」
「それって病気みたいなもの?」
「ううん。あんまり大っぴらにするものではないけれど、いたって正常な現象よ。ふうん、でもそれって面白いわ」
「チンパンジーがイマジナリーフレンドを持った例でもあるのか?」俺は聞いてみる。
「無いわ。仮にあったとしても、私たち側からそれを把握することは難しいでしょうね」林檎はたまに研究室で見せる、誰に向けて話しているのか分からない語りを始める。「人間以外の動物の世界観を知ろうとする時、大きな壁の1つになるのがコミュニケーションよ。実験の過程で、ある程度親密になることはできるけれど、やっぱり人間同士の様に意思の疎通はできない」林檎が急にこちらを向く。「死とは何? 上田君」
「さあ? 難しい質問だな」
「そう。あるシンボル──言葉でもなんでも──によって指示されている対象を聞かれた時、『さあ』とか『なんとなく分かるんだけど』って考え方ができるのは、人間固有の能力と言われているわ。他の動物は、シンボルと対象は1対1で結びついている。つまり、彼らの世界においては全てがとても明瞭な現実で、曖昧さというものを持たないと言える。蜜柑ちゃんは誰も教えてくれなかったんじゃないって言ったけれど、それは的を射ているのかも。仮に、チンパンジーがイマジナリーフレンドのようなものを持つことがあったとしても、イメージと現実のレイヤーを分割して、友達がイメージだけの存在と判断するには、人間と同じような認識能力が必要だわ」
「その考え方だと、もしもアダムとバーバラが死んだ息子を『見ている』んだとしたら、あいつらは息子が死んだことに気づいていないってことにならないか?」20年間、一緒に過ごしていた同居人の、そんな異常な思想に気づいていなかったのだとしたら、それはショックだ。
「死とは何?──またもやこの疑問ね。電気のスイッチみたいに、ON/OFFがあったとして、誰がOFFと判断できるのかしら。だって、人間にしたところで、身内のOFFの状態は素直に受け入れられないし、死亡と判断された後も、蘇生──つまりはOFFでありながら、ONであること──を望むわ」
 林檎を送る帰り道、彼女は嬉しそうな声で話し始める。「いやあ、今日は楽しかったなあ」
「あれは、どこまで本気だったんだ?」
「どうだろう。本気と言えば、すごく本気。何度も言っているけれど、アダムとバーバラはすごく特殊な個体だからね。何か、起こって欲しいと常々思っているわ。もっとも、本気っていうのが、研究発表できるかって意味なら、今のところまったく本気じゃないわ。データが無さすぎるし、どうアプローチすれば良いか見当もつかない」
「根拠は、蜜柑の感想だけだしな」
「まあねえ。でも、ジェーン・グドールがエッセーで書いていたわ。自分が、アフリカでの調査に推された理由があるとしたら、それはアカデミズムの偏見に染まっていなくて、純粋に好奇心旺盛だったからだって」
 
八神蜜柑
 私は、本当に久しぶりに叔父さんの家を出て、電車に乗った。半年ぶりに帰ってきた家のドアノブには埃が溜まっていて、お父さんはしばらく帰っていないんだなと分かる。家に入って、お母さんの部屋に行く。部屋は、未だにお母さんの柔らかい匂いがする。ベッドに寝転がって部屋を見回すと、私は何を考えるでもなく、ただ目の前のものを覚えようとしていた。
 目が覚めると、外はもう真っ暗で、スマホには叔父さんからの通知がたくさん来ていた。私は、簡単なテキストを叔父さんに返すと、ベッドから身体を出した。部屋を出ようとすると、部屋の柔らかい匂いがして、私は後ろ髪を引かれる。
 廊下に出て、部屋のドアを閉めると、お別れの言葉みたいに、お母さんの匂いが最後に強く匂って、途切れる。
 部屋の中にお母さんが居る。自分が異常なことを考えていると理解している一方で、それを当然に思う私もいる。ドアノブに手をかけたけれど、やっぱり開けるのを止める。部屋の中に、お母さんが居る。でも、ドアを開けたらお母さんは居ないだろう。だって、お母さんは死んでしまって、身体を炎のエレベーターみたいな焼却機に入れるところを私は見たんだから。お母さんは部屋の中に居るけれど、中を見てしまったらいないんだ。頭の中が、何か変。
 
上田冬樹
「アダムとバーバラの死生観を知るためのアプローチについてずっと考えていたんだけど」
「うん?」
 林檎は数枚のプリントアウトした紙を見せる。「これ、上田教授がアダムとバーバラが数字の概念を学習できるか、実験した結果なんだけれど、かなり良い結果を出しているわ。それで、ここを見て」林檎はグラフの端の方を指さす。「上田教授は、『0』も学習内容に含めていて、2人はそれに対して、他の数字と同じくらいの深度で理解できている」
「そりゃ凄いな」本当に驚いた。『0』というのは、なかなか厄介な概念で、理解するには「無いがある」という一文を解決できる認知機能が求められるが、それは人間特有の機能だと考えられている。「でも、どうやって?」
「『0』には2通りのアプローチがあるわよね? 1つは存在しないを意味する記号。もう1つは1より1小さい数直線上の点。上田教授は後者のアプローチで学習させていたみたい」
 なんとなく理解できてきた。「アダムとバーバラは死という概念を、彼らなりに理解している。でも、それは電源のONに対するOFFとか、プログラミングでいうところのnullみたいな完全に何も無いを意味していなくて、地続きの場所であるってこと?」
「その通り。死んだ息子に、歩いて会いに行ける世界。勿論、これは仮説だから、テストしながら詰めていくことになるわけだけれど」
「つまり幽霊ってことだよな。若干、飛躍しすぎじゃないか?」
「あのねえ、私だって別に幽霊が存在するとか、世界の北の方には死者の国があるとか、そういうことを調べようとしているんじゃないわ。これは、ただチンパンジーの認知機能が身内の死に対して、どういう解決を行えるかっていう可能性の話。最初に貴方が言っていた、チンパンジーは宗教を持てるのかって問題に直接つながるんじゃないかしら」
「なるほど。確かにそれは面白いかも」
 その日から、林檎はウチに来る頻度を増やして、アダムとバーバラ相手の調査を始めた。蜜柑はそれを興味深そうに見ながら、たまに話しかけたり、そうでなければボウっとしてることが多い。
 林檎が言っていたように、実際にアダムとバーバラは『0』という概念を理解していたが、それは限定的なものだった。例えば、囲いを作ってそこに入れたボールを数える実験の場合、2人は100%の精度で正しい数字のカードを持ってきて、それは答えが『0』の場合も同じことだった。
 しかし、家の中から適当に集めたアイテムを棚に入れて、そのアイテムごとの数を数えるという実験では違った。彼らは最初ルールが把握できず、棚に配置されているアイテムの写真を見せても反応できなかった。林檎が1週間我が家に通い詰めて、2人に数当てゲームであることを理解させて、実験を繰り返していくと、2人の正答率は少しずつ伸びてきた。正答率が安定して9割を超えるようになった頃、ようやく林檎はお目当ての──棚に無いアイテムの写真を見せ始めた。しかし、これに関しては、何度実験を繰り返してもスコアは変わらず、そもそもアダムも、バーバラも何を質問されているのか理解できていないようだった。
 俺たちは便宜上『0』の概念の内、2人が理解している部分を『0』、そうでない部分を『null』と切り分けて呼ぶことにした。
 
八神蜜柑
 昔から、好きなお話がある。日本神話で伊邪那岐が、死んでしまった奥さんの伊邪那美を迎えに、死後の世界に行く話。何かの時、お母さんが話して聞かせてくれたその話が、すごく面白くて、私は何度も聞かせてくれるようにお願いした。
 何が好きだったかって、お母さんの語りにかかれば、家の門を通るみたいな気安さで、死んだ人たちの世界に行けるように感じられたこと。歩いている内に、もう会えないはずの人たちと会える、不気味な雰囲気の世界に入り込む。その感覚が、すごく不思議だった。
 ある意味で、私は伊邪那岐よりも意味のある冒険をしたと言えるのかもしれない。だって、家に戻った日から、私はいつも近くにお母さんを感じているから。私は、死者の国から、お母さんを連れて帰ることに成功した。
 私の曖昧なものを許容する部分──人間的な部分──は、これが比喩だって、フィクションだって思っている。でも、もう片方の曖昧なものを許容できない部分──アダムとバーバラと接する中で生まれた部分──にとっては世界は一つだけで、何もかもここに存在する。
 この家に来る前、まだお母さんも生きていて学校にも通っていた時、友達の誰かがこんな話をしたとしたら、私や同じグループの子は、それを気の毒に思っただろうし、もしかしたら心療内科を受診することを奨めたかもしれない。あるいは、オカルト好きなグループの子であれば、それはサイキックパワーが人より強い証拠だよって言うのかもしれない。いずれにせよ、私は彼女に対してこう思うだろう、早くまともに戻って欲しい、と。
 フィクションを許容できない世界観とは、つまり医者の居ない世界なんだと思う。視力検査で近眼と診断された人に、医者は「本当は世界の形はこうなんですよ」と言って、眼鏡を渡す。その時、世界は2つに分かれる。フィクションと現実のように、裸眼で見えている世界と、眼鏡越しに見えている世界があって、後者の世界が基本になる。でも、もしも医者がいないのであれば、眼鏡を渡す人は居なくなり、見えているものが世界のすべてになる。
 
上田冬樹
 俺たちは無理にアダムとバーバラが『null』を理解できているか知ろうとするのではなく、2人の中で、人間が言うところの生者と死者の区別があるのか調べてみることにした。とりあえず、もっとも単純な形式のテストとして、2つの箱を用意して2人が面識のある人間やチンパンジーの写真を選り分けさせるというものを実施した。初めに、簡単なルールだけを学習してもらい、後は自由にやらせてみたのだけれど、2人は写真を人間とチンパンジーに選り分けてしまったので、やり方を変えることにした。今度はゲームを始める前に、片方の箱には2人の息子の写真と俺の親父の写真を入れて、もう片方には俺とバーバラの写真を入れて、アダムに実施してもらうことにした。
 結果は、驚くべきものだった。アダムは与えた写真をすべて生者と死者に選り分けてしまったのだった。長期戦のトライアンドエラーになることを覚悟していた俺と林檎は、この結果が信じられず、同じルールで写真の組み合わせを変えながら、アダムとバーバラに十数回同じゲームをさせた。しかし、2人は全くブレずに生者と死者に選り分けた。
 次に、俺たちはアダムとバーバラのお気に入りの遊具──彼らにとって身近な無生物の写真を加えて、同じゲームをさせた。死者を無生物扱いするかは、人間でも個人間で差が出るところだろうが、とりあえず2人のリアクションを確認したかった。彼らは遊具の写真をすべて、生者の箱に入れた。
「どう思う?」
「無生物と生者を同じカテゴリーで見ているってことかしら」
試しに、俺たちは片方の箱に、2人が生者に選り分けた人間とチンパンジーの写真を数枚入れ、もう片方に遊具の写真を数枚入れてゲームを実施した。今度は、2人は写真を生物と無生物でキッチリ分けた。頭を抱えながらも、この分類の根拠を知るために、日を重ねながら幾つかのパターンを実施した。そうする中で、少しずつ、アダムとバーバラが生者と死者を区別する傾向が分かってきた。
 彼らは恐ろしく記憶力が良く、その上物事の細部まで記憶している。しかし、時間間隔が無いわけではなく、最近触れたものと、最後に触れてから長い時間が経ったものを区別できる。写真の組み合わせの中に、かつて彼らが使っていた遊具の写真を混ぜると、彼らはそれを死者の箱の方に選り分ける傾向があることが分かった。
「アダムとバーバラにとって生者と死者の差は、今の自分たちにとって身近であるかどうかってことなのかな。人間で考えるなら、友達の友達とか、外国の現役大統領とかも死者のカテゴリーに入りそうだ」
「そうねえ」林檎は実験に使った箱の方を見る。死者の写真が選り分けられた箱には、2人の息子の写真が収まっている。「それに、彼らにとって子供がもう古いものになっていたというのは意外ね。死んだ息子を、イマジナリーフレンドの様に感じているんだとしたら、身近な写真の方に入れても良さそうだけれど」
 
八神蜜柑
最近、私はよくお母さんと話す。
 初めは、後ろに居ることを感じるだけで、振り向いてもその姿を見ることはできなかった。だから、まずは触ることから始めようと思って、後ろの方に手をやったり、思い切って寄りかかってみたりした。そしたら、ひっくり返る直前に、私はお母さんに触れたと感じ、その後しっかり頭をぶつけた。触れられるようになると、話しかけ始めて、お母さんの声が聞こえるようになると、次は姿がぼんやりと見えるようになった。
 お母さんと話すようになってから気づいたのは、死は生きている人のためにあるってこと。当然だけど、死んだ人にとっては、生きているとか死んでいるとかは問題じゃない。でも、生きている人は、自分の隣を当たり前のように占めていた人の喪失と向き合わなきゃいけない。
 
上田冬樹
昼食を食べながら、林檎は最近の実験結果を見ながら、何か考え事をしている。
「この前の実験で、箱を1つ増やしたら、生者と死者──つまり身近な対象と、疎遠な対象の他に、アダムとバーバラはもう一つカテゴリーが作っていたわよね?」
3つ目のカテゴリーには、完全に初対面の人間や、2人が触れたことの無い遊具の写真が選り分けられた。驚いたのは、十年以上前に一度家に来たことがあるだけの親父の研究仲間であっても、2人は疎遠な対象の方に選り分けたことだ。
「あの3つ目のカテゴリーについてはどう思う?」
「どうって、選り分け不可のものが纏められただけじゃないのか。アンケート回答の『その他』みたいなもんだろ」
「私たちのこれまでの見解では、2人は数直線上の『0』は認識できるけれど、存在しないものを『0』と表現することはできない、ってことだったわ」
「そうだな。棚に並べたアイテムを数えさせた時、2人は存在しないアイテムについては数字を提示できなかった。恐らく、目の前の状況と無関係のものを見せられても、何を聞かれているのか判断できなかったんだろう」
「それなら身近な対象と、疎遠な対象の他に、全く無関係の『その他』ってカテゴリーが出てくるのは変じゃない? 彼らがどのくらい頻繁に会っていれば、その対象を身近と思うのかは分からないけれど、完全に無関係な相手はそもそも、その判断対象にならないと思うわ」
言われてみれば、そうだ。棚のアイテムを数える実験結果から考えるなら、彼らは無関係な対象が写った写真には、そもそもリアクションを示さないだろう。
「それなら君の考えは?」
「彼らにとって、対象との関係性は『存在しないがある』を解決する第一歩になっているって仮説はどう?」
 その考えは面白いような気がした。
「どちらにしろ、色々と検証が必要な説だね」
「そうね。来週あたり、またお宅に伺っても良いかしら?」
「良いよ。なんなら泊ってくれたって良い。また独りに戻るからさ」
 
八神蜜柑
 週末、お父さんが私を迎えに来た。隣には、私の知らない女の人。初めて会ったのに、今日からこの人が、私のお母さんになる。
 私はアダムとバーバラにお別れを告げる。心なしか2人は悲しそうに見えるけれど、彼らには、これから私が家を出ていくことが分かるのかな。私は2人とハグをする。
 叔父さんと目が合うと涙が出てきた。泣いているのを見せないため、私は叔父さんともハグをする。叔父さんは、小さな声で「また、いつでも来ればいいよ」と言ってくれる。
 上田家を出て、お父さんと、新しいお母さんと歩き始める。後ろには、お母さんが居る気がする。私は振り返って見る。でも、そこには誰もいなかった。

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