月と太陽と星と、私たち

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梗 概

月と太陽と星と、私たち

なんだって測れたあの天秤の手入れを、甘夏くんが欠かしたことはなかったように思う。
 天秤はいつでも磨かれていて、持ち運ぶときは布で覆われていた。他の男の子にはない甘夏くんの几帳面さや丁寧さは、私をもどかしくさせると同時に安心させた。
 私は甘夏くんが好きだったし、甘夏くんも私が好きだった。だけど友達としか呼べない関係から先へお互い踏み込めずにいた。
 中学生の頃の私は悩んでばかりで、いつも泣いていた。レオにゃはいつでも悩みを聞いてくれた。彼女を撫でないとろくに眠れなかった。ライオンの毛の柔らかな感触を私は生涯忘れないと思う。最大の悩みはやはり甘夏くんとの関係で、つまり辰彦と龍蔵の関係のことだった。
 辰彦と龍蔵は隙あらばお互いを噛み殺そうとしていた。
 とぐろを巻いてにらみ合う頭上の龍たちを見上げては、私と甘夏くんはため息をついた。「同じ干支じゃなくても同じ学年になれたのにね」が決まり文句だった。
 干支と星座の相性が悪いカップルは不幸になる。そんなジンクスに当時の私たちは身動きが取れなくなっていた。
 干支や星座は大人、──皆だいたい16歳くらいだった、になると傍にいられない。死んでしまうもの、壊れてしまうもの、色々なお別れがあるけれど、とにかくずっと一緒にはいてくれない存在だ。それまでに、彼、彼女、あるいは「それ」から私たちは多くのことを学ぶ。
 卒業式の帰り道、私は泣き疲れていた。甘夏くんとは高校も別になり、辰彦とレオにゃと過ごせるタイムリミットも迫っていた。だから「ずっと一緒にいてほしい」と甘夏くんを押し倒した。
 涙を天秤にかけよう。
 そういって甘夏くんが取り出した天秤は
 「しっかりと僕らの未来をイメージして」と甘夏くんが私に手を重ねた。半透明の錘が浮かび上がった。
 右皿に「未来、ふたりで流す涙の重さ」が、左皿に「過去、ふたりで流した涙の重さ」が乗せられた。勢いよく右皿が跳ね上がった。天秤の動きに安堵している甘夏くんの頬を私は思いっきりビンタする。
 何より彼の臆病さに腹がたった。未来なんて私たちの意志でどうとでも変わるのに。
 泣き喚く私を想ってだろう、レオにゃが天秤を噛み砕いた。そして怒り狂う甘夏くんと同じ顔の龍蔵がレオにゃを噛み殺した。そして龍たちの本気の殺し合いがはじまった。私たちはそれを呆然と眺めるしかなかった。
 致命傷を負いながら、辰彦は勝った。死に際の辰彦の背中で私は訊いた。どうして龍蔵をあれほど憎んでいたの?
 龍は前世を記憶していると、私の辰は教えてくれた。私と甘夏くんは前世で結ばれた末、傷つけあい、沢山の涙を流したことも。

私は大人になって楽しく幸せに暮らしている。
 今夜の出席簿には彼の名前もちゃんとあった。あの日以来、甘夏くんとは会っていない。結婚して子供がいると風の噂できいた。同窓会の話題といえば、皆もっぱら思春期に振り回された干支と星座のこと。
 もしあのとき乗せたのが今生の涙だけだったなら、天秤はどちらに傾いたんだろうね?
 そんなことを考えながら、私はレオにゃの毛や辰彦の鱗の手触りをしっかりと思い出していた。

文字数:1295

内容に関するアピール

辰年生まれの獅子座の私は「干支と星座が実体化する世界なら最強」と小学生の頃から言い続け、てんびん座やみずがめ座の同級生を小馬鹿にしていた。ペットとはなにか?と熱心に考え、頭がパンクし、20数年来の持ちネタを引っ張り出してみた。明るく楽しい話にしようと想ったけれど、最終的にはちょっとウェットでビターなテイストに。セルフ課題として「リアリティラインの扱いに注意を払うこと」を課そうと思います。

ペットは飼主に死についてレッスンする。それは避けがたい悲劇であって、ペットはそんなことのために存在しているわけでは当然ない。だけど私にとってペットとは失われてからなお傍にいるような、そんな幽霊のような存在のように思えてならないのです。

心身ともに絶不調だったところからようやく復活の兆しが。ギリギリまで校正を手伝ってくれた妻に感謝。

文字数:360

課題提出者一覧