代理羞恥心

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梗 概

代理羞恥心

 モジオが家にやってきたのは、あかりが小学三年生のときだった。白い箱に細い黒字で「代理羞恥心shareME(シェイム)」の文字が踊っていたのを覚えている。子猫サイズのボディを取り出し、インプラントの脳波データと同期すると、それは、なにかに耐えるように小さく震えた。それから、か細い声で、殺してくれ、と呟いた。あかりは、自分の頭の中が「まっすぐ」になっていくのがわかった。
 shareMEは偶然の産物だ。ノルアドレナリンの放出を抑えて怒りを制御するための研究を進めていた医療チームが、内側前頭前野の反応を調べていた最中に、羞恥心の無効化に成功した。羞恥心は、心理的葛藤を司る前帯状皮質と、心というものをメタ的に認知する内側前頭前野とが同時に活性化することで起こる。このタイミングを人為的にずらせば、羞恥心を無化できる。
 治験者の許可を得てニューロン活動のログがオープンデータ化され、ハッカソンが開催された。データをAIに読み込ませ、リアルタイムで羞恥心を視覚情報としてアウトプットするプロトタイプが話題をさらい、「ユーザーの羞恥心を肩代わりするペット」として商品化された。これが代理羞恥心shareMEの第一世代だ。生体データに関する個人情報保護法の観点から、shareMEの誘拐は窃盗罪と個人情報保護法違反が適用される。
 羞恥心のペット化に最初に反発したのは教職者たちだった。かれらは恥の感覚が心の成長に不可欠だと考えていた。また、神への冒涜だと訴える者も少なくなかった。数名の識者は「人間の疎外」を指摘した。
 だが、代理羞恥心を試験的に導入した小学校で生徒の問題行動が激減し、作業効率が高まったという結果を受け、反対は下火になっていった。ボディポジティブという文脈での後押しも大きかった。「わたしらしい生き方に羞恥心はいらない」と訴えるプラスサイズモデルのプロモーションが功を奏し、世論は歓迎ムードに変わっていった。「代理羞恥心こそが人間を人間へと回帰させる」と謳う言論家も現れた。
 あかりは、自身の羞恥心であるモジオと共に成長した。モジオはいつも助けてくれた。教室でゲロを吐いたときも、自作のエロ漫画が男子に回し読みされたときも、裏垢が親にバレたときも。多少の気まずさは感じたけれど、まっすぐのままでいられた。殺してくれ、と床でのたうち回るモジオのおかげで。
 大学生になって、初めて「shareMEもの」のエロ動画を観たときは驚いた。コメント欄にはペット虐待だという批判が殺到していたけれど、その頃からだんだんと、エロの担い手は人間から代理羞恥心へと移行していった。羞恥心同士の交尾を観る人々の目は、どこか乾いていた。
 あかりは最近、恋愛への興味が自分の中から失われていくのを感じている。それがとても嬉しい。私たちはもっともっとまっすぐになれるはずだ。低い声で呟き、モジオを胸に抱き寄せる。

文字数:1197

内容に関するアピール

概念を飼いたいと思って書きました。

 

参考資料

「他者の行動を処理・活用する神経回路が明らかに」,日本医療研究開発機構プレスリリース, https://www.amed.go.jp/news/release_20201016.html

文字数:113

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