投げられた先で

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梗 概

投げられた先で

 
「生まれながらに、自分が不幸だと考えたことはありますか?」

2070年。ロサンゼルスの大学で、映像制作を専攻するヤシャ・アンドロスは、夏休みを利用してアメリカを巡りながら、様々な人にこの質問を聞いて回り、その回答の様子をカメラに収めてネットにアップロードしている。きっかけは、出生が原因で恋人・ヴァネッサと別れたことだった。

ヤシャの生まれたカリフォルニア州ニューシレジアは、GDL(Genetically Designed Life)というバイオテクノロジー企業の企業都市である。GDLは2030年からデザイナーベビーのサービスで、世界でもトップの技術と利益を誇った企業であった。しかし、2050年、GDLが担当してきたデザイナーベビーの多くに様々な遺伝的な異常があることが発覚したことで、GDLは名声を失い、カリフォルニア州では受精前後の遺伝子操作を禁止する州法が施行された。この時期に生まれたデザイナーベビーは「投げられた世代」と呼ばれ、異常な遺伝子を持つ人間として度々差別されている。ヤシャはこの世代の、最後に生まれた子供の1人である。

ニューシレジアでは、デザイナーベビーを禁止する州法を撤廃させる運動が起きており、ロイド・スミスという男性が運動のトップを担当している。ロイドは2035年生まれの「投げられた世代」の1人であり、遺伝子操作の影響で50歳まで生きられないと医者から言われていた。しかし、ロイドはそういった点はすべての人間が持つ個性と同じであり、デザイナーベビーの技術は許可されるべきという立場を長年取っていた。

ヤシャの動画には、毎回「V.」というユーザーから、デザイナーベビーについての問題提起のコメントが送られる。ヤシャが「V.」に回答し、「V.」がまた質問を返すというやり取りが繰り返されるようになる。ヤシャ自身、インタビューや、「V.」とのやり取りを通じて、これまで目を向けてこなかった、自分のルーツに向き合い始める。

州法撤廃の声が大きいまま、住民投票を翌日に控えた日、遺伝子操作に反対する団体のネガティブキャンペーン動画が話題になる。動画では、ロイドの別れた妻・アリアナが登場し、かつてのロイドが、短命な自分が十分な育児ができるか恐れたため、子供を持つことに否定的であったこと、それが原因で夫婦生活が終わったことを告白する。この動画の影響で状況は一変し、その結果、州法の撤廃は否決されてしまう。

投票から数日後、ロイドはデザイナーベビーに関する運動を再開する。ヤシャは、実は「V.」の正体がヴァネッサであったこと、彼女がデザイナーベビーへの偏見を克服するため、ヤシャの動画にコメントしていたことを知る。仲直りした2人は、夏休みの残りを使って、撮影した動画を編集したドキュメンタリーを作り、デザイナーベビーと「投げられた世代」への理解を広めることを決意する。

文字数:1189

内容に関するアピール

扱うテーマはデザイナーベビー(出生前に遺伝子操作を受けた子供)です。遺伝子操作により、病気の克服や、IQなどの能力の上昇が一般化された時代では、私たちの人間観は大きく変わることになると思います。また、このテーマは「親ガチャ」という言葉に表れるような、生まれながらに決まってしまう部分と、人間はどう折り合いをつけていくのか、という現代の問題にも通じると思います。遺伝子操作を受けた人間は、自分を幸福だと思うのか。受けなかった人間は自分を不幸だと思うのか。彼らの両親は、何故子供の遺伝子操作を求めたのか。社会はこの技術をどう受け止めるのか。この様な問いを物語に盛り込みたいと思います。
 技術が一般化された社会を描くため、デザイナーベビーが成長した時代として、2070年を舞台に設定しました。実作では、テッドチャンの「顔の美醜について」のような、様々な立場の人間の意見が交錯する物語にしたいと思います。

文字数:398

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投げられた先で

 
【ヤシャ・アンドロス カリフォルニア州ロサンゼルス在住 エンジニア 23歳】
 今、荷物を持ってヴァネッサが出ていった。すこし距離を置きたいんだって。彼女の気持ちは分かるけれど、俺も折れる気はないよ。ゲノム編集は、絶対に子供の未来に良い影響を与えない。少なくとも、俺の人生はそうだった。
 ヴァネッサの家系が、筋肉の形質に遺伝疾患を持っていると聞いた時、いつかはそのことについて話さなきゃいけないとは思っていた。彼女の親戚のほとんどはバスケットボールができない。生まれつき筋肉が上手く動かせなくて、パスを受け取っても、ゴール下まで走れないからだ。でも、ハイキングはできる。それくらい歩くことはできる。そして、そんな時、ヴァネッサの家族はみんな幸せそうだ。
 ヴァネッサは、できれば俺たちの子供に、他と同じようにバスケットボールや、野球なんかをさせたいと思っている。でも、ゲノム編集が失敗した時のリスクについては、十分に考えられていない気がするんだ。それに成功したとしても、一生「デザインされた命」ってレッテルが付き纏う。そんな気持ちを味合わせるくらいなら、俺は毎週末ハイキングに行く家族で良いと思う。
 
【ロイド・スミス カリフォルニア州ニューシレジア在住 『出生の自由を問う会』代表 35歳】
 カリフォルニア州の、『出産前の人間へのゲノム編集を禁止する州の法律(No Editing Gene Act = NEGAネガ)』撤廃の住民投票の日が近づいてきました。カリフォルニア州在住の方々には、どうか賢明なご判断の上での投票をお願いしたいと思います。
 ”ネガ”はカリフォルニア州での、人間への受精前後のゲノム編集──所謂、デザイナーベビー──を禁止する法律として、2052年に施行されました。きっかけは2050年に、当時のゲノム編集の世界的ブランドであった、カリフォルニア州ニューシレジアのバイオテクノロジー企業、GDL(Genetically Designed Life)社の担当したデザイナーベビーに、誤った遺伝子の編集が発見されたことでした。GDL社は、2030年に出産前の受精卵へのゲノム編集の分野に参入して以来20年間、この事実に無自覚のままゲノム編集を実施しておりました。この事件の発覚後、ゲノム編集に対する規制が求められるようになり、カリフォルニア州はその先駆けとして、その2年後に”ネガ”を施行しました。
 実は私自身、この事件の当事者です。私は、2030年から2050年の間にGDL社が担当したデザイナーベビー──『投げられた世代』と呼ばれる世代の生まれの1人で、50歳まで生きられないだろうと、子供の頃から医者に言われて育ちました。
 そのような目に合いながら、何故、私がゲノム編集技術を擁護する立場を取るのか不思議に思われるかもしれません。結論を言えば、私はそれを『個性』だと考えているからです。ゲノム編集という大きなイメージのせいで忘れがちですが、人間は誰しもが──デザイナーベビーであるなしに関わらず──不完全であり、自分の中に受け入れ難い部分を持っています。そして、その受け入れがたい部分と共に生きるということも、やはりすべての人間が行っていることだと思うのです。
 今年は2070年です。ゲノム編集については、未だにネガティブなイメージが強く、話題に出すことさえタブーと感じられている方も大勢いると思います。しかし、ゲノム編集を用いた治療や、この技術の発展を望まれている方も同じように大勢いるというのも事実で、私たちはそのことに向き合う必要があります。
 
【エリザベス・ノーウェア カリフォルニア州ニューシレジア在住 運送会社勤務 30歳】
 私、前はフロリダで暮らしていたの。でも、馬鹿な偏見持ちの男が、新しく仕事のボスになったせいで、故郷のニューシレジアに戻ることにしたの。
 ニューシレジアはGDL社の企業都市だから、州法が作られる前は、ゲノム編集を受けるためにたくさんの人たちが移住してきたのよ。でもさ、私はデザイナーベビーじゃないんだよね。2040年にニューシレジアで生まれただけの、ただの女。でも、あたしの新しい上司にとってはそんなの関係なかったみたいで、ソイツに会って1週間でクビって言われたの。他の仕事を探しても良かったんだけど、同じことが起きる気がして怖かった。その時、自分はニューシレジア以外では安心して生きていけないのかな、って思った。
 最近、カリフォルニアでの州法撤廃が話題になっているけれど、私は反対。私はデザイナーベビーの友達がたくさんいるけど、彼らはみんな普通よ。普通っていうのはつまり、良い人もいるし、ちょっと嫌なヤツもいるってこと。それなのに、訳の分からないハンデを背負わされている。それなら最初っからゲノム編集なんてするべきじゃないでしょ?
 
【ヤシャ・アンドロス】
 生まれる前に人の身体をいじくりまわせる時代になっても、未だに人体のことはほとんど分かっていない。それでも医者の見解を信じるなら、俺のゲノム編集は成功して、特に遺伝子にも問題は無い。
 母さんが酷いアレルギー持ちで、そのせいで色々と苦労していたのは俺も知っている。だから、息子に同じ目に合って欲しくなくて、俺を産むときにゲノム編集を受けたって聞いた。遺伝子上は、母さんが持っているものも含めて、俺にはアレルギーはまったく認められない。父さんは、そのことを幸せに思うべきだって言うけれど、元々アレルギーが無いことを、どう幸せに感じれば良いんだ。
 母さんの人生と比べて、それよりは幸せだってこと?
 
【ヘンリー・ウォーカー ニューヨーク州在住 銀行員 28歳】
 高校生の頃、俺は学校のヒーローだった。成績はトップだったし、バスケ部では名シューターで通っていた。状況が変わったのは2年生の時。大会の先発メンバーに選ばれなかった上級生が、「あいつはデザイナーベビーですよ」ってコーチに直訴したんだ。馬鹿らしくて、その場では聞き流したよ。でも、次の日俺は先発メンバーから外された。その日から、高校中の俺を見る目が変わったんだ。皆、口には出さなかったけれど、ずっと俺がズルしていると思っていたみたいだ。
 でも、俺は自分がズルしたとも、近道したとも思ったことは無かった。俺がヒーローだったのは、それだけ努力していたからだ。チームメンバーがダイナーで馬鹿食いしている時、俺は1人で残って練習をしていたし、難しい物理の課題が出た時は週末を潰してA評価のレポートを書いた。でも、そういう努力も、デザイナーベビーの一言で消された。
 両親は、高い金払って俺のIQと身長を高めにデザインしたけど、そのおかげで幸せだと思ったことなんて、ハッキリ言って一度もないよ。
 
【ロイド・スミス】
 長年、デザイナーベビーや、その周辺の人々と関わっていく中で気づいたことは、デザイナーベビーとして生まれた人の多くは、自分のことを幸運だとは考えていないということです。遺伝病の治療を受けた人間だけでなく、IQなどの能力を生まれながらに高めにデザインされた、いわゆる超人主義的なデザイナーベビーでさえ、そうなのです。これは、意外なことだと思われるかもしれません。しかし、考えてみてください。多くの人は、自分の長所や才能に満足することは無く、むしろより高い能力を持つ他人への嫉妬に苦しみがちです。それは、デザイナーベビーも同じなのです。際立った長所と、ゲノム編集のリスク──不当な差別も含めて──のトレードオフというのは頻繁に聞く考え方ですが、現実のデザイナーベビーは、ただ一方的に不幸だけが押し付けられたように感じるのです。
 すべての生き物が背負う大きな宿命の1つは、生涯自分の身体と付き合い続けることです。自身の生まれを呪うことほど、酷い話はあまりないでしょう。そして”ネガ”のような法律は、間接的にデザイナーベビーにそのような感情を促していると言えます。
 
【ルピ・ナイト カリフォルニア州在住 『ゲノム編集被害者の会』代表 40歳】
 カリフォルニア州の”ネガ”撤廃について、私たち『ゲノム編集被害者の会』は強く反対の意を示します。GDL社が過去に引き起こした悲劇を、私たちは忘れるべきではありません。
 ゲノム編集の何が危険なのでしょうか。優生学のような倫理的な危険性は勿論ありますが、何よりも、一度起こった悲劇が世代を超えて引き継がれることが恐ろしいのです。以前、私に相談をしに来た男性がいました。彼は、IQを強化するゲノム編集を生まれる前に受けましたが、オフターゲット(狙いの遺伝子とは別の遺伝子を編集してしまうこと)により、脳の前頭前皮質に誤った編集が行われてしまいました。その結果、脳の怒りに対する判断能力が歪み、日常の中で不定期に怒りのスイッチがONになったり、OFFになったりするという症状が起こりました。幸か不幸か、彼のIQは平均値よりも高かったため、周囲はオフターゲットの事実に気付かず、この男性は唐突に湧き上がる自分の怒りに悩まされながら青春時代を過ごしました。GDL社の医療ミスのニュースを聞き、改めて自分の脳を検査して形質の異常を認めたのは、彼が大学2年生の時でした。
 彼は、自分は子供を作って良いのか、と私に聞きました。自分の様に、新しい友達を作っては失う、そんな悲しい青春時代を子供や孫、その子供たちに押し付けるのか。また、そのような運命を子供に押し付ける罪悪感を、自分の子供にも引き継がせるのか。一度でも出産や育児のことを真剣に考えたことのある人には、彼の葛藤がどれだけ大きなものか理解できると思います。
 ゲノム編集技術を擁護する人たちは、こういった形質を個性(・・)として受け入れるべきだと言います。しかし、それは実際に今苦しんでいる人々から目を背けているだけではないでしょうか。彼らは、馬鹿げた超人主義や、利益優先のバイオテクノロジー企業の被害者なのです。
 今の自分たちにとっては大きな問題と感じなくても、後世から見れば負の遺産になりえるということは、ままあります。2030年生まれの私が思い浮かべるのは、二酸化炭素や、核廃棄物です。そして、『ゲノム編集被害者の会』は、ゲノム編集もいずれこの列の中に配置されるだろうと懸念しています。
 テクノロジーで目の前の問題が解決できると楽観視し、そのツケを次の世代に払わせる。そのような馬鹿げた思考の螺旋から、いい加減私たちは脱却するべきではないでしょうか?
 
【ヤシャ・アンドロス】
 多くの人が誤解しているけれど、『投げられた世代』のほとんどは、ロイドと同じ遺伝疾患を治療しようとして、GDL社のゲノム編集を受けた人たちだ。元々は彼らの親世代で流行った感染症で、この感染症が生殖細胞に影響することが分かって、何とかしなくちゃってなったのがアメリカでゲノム編集が盛んになった理由。なんで、こんなこと知っているのかというと、子供の頃、ニューシレジアにはこの話をしてくれる大人が結構いて、両親は俺にそれを聞かせたがったから。
 ところが、大抵の人はそんな事情を理解していないわけ。中途半端なイメージだけが先行しているから、20代から40代でニューシレジア出身って言うと、こいつは身体の中に異常なものを持っているんだなって勝手に判断される。俺が聞いた一番嫌な話は、旅先で劇場に入ろうとしてIDを見せたら、スタッフが露骨に嫌がって、結局入場を断られたっていうもの。
 何が言いたいのかっていうと、要するに世の中ってそんなもので、それにもかかわらず生きていかなければいけないってこと。俺も、俺の子供も。

【ルピ・ナイト】
 先日、”ネガ”撤廃に対する世論調査の結果が発表され、カリフォルニア州住民の45%が”ネガ”撤廃を支持しているという報道に驚くとともに、アメリカ社会のゲノム編集への注意喚起が十分でないことを再認識しました。それと同時に、女性の負担についてもあまりにも無関心であることを再認識いたしました。
 ゲノム編集は、母体の外で行われる施術です。具体的には、卵子または受精卵の採取、そして編集後の受精卵を子宮に戻す、という過程を通る行為です。つまり、ゲノム編集は、女性の妊娠・出産の負担を増やすことが前提にあると言えます。
 これは2030年代から普及したゲノム編集に限った話ではなく、その前から不妊治療に関連して挙げられるトピックでした。勿論、私は不妊治療を否定しているわけではありません。不妊治療は、不妊に悩む女性への医療行為であると認識しております。しかし、超人主義的な、能力強化を目的としたゲノム編集はどうでしょうか? 優秀な子供をデザインするため、女性に不必要な負担を強いるのは、明確な女性軽視ではないでしょうか?
 ゲノム編集に関連する女性軽視の例として、2つのデータを見ていただきたいと思います。1つ目は、デザイナーベビーの両親に対して行ったアンケート結果です。グラフを見ていただければ分かる通り、2050年以降──つまりGDL社の医療ミス発覚以降、夫婦間で能力強化のゲノム編集を提案するのは90パーセント以上が夫です。彼らが、自身の妻が抱えることになるリスクを、どこまで理解していたのか疑問です。
 2つ目のデータは、ゲノム編集と人工子宮の研究について、様々な公的機関からの研究助成金の合計を比較したものです。2045年、まさにGDL社が我が世の春といった年の、両者の助成金額の間には10倍以上もの差があります。この差は、現在までそれほど縮んでいません。言うまでもなく、人工子宮は妊娠・出産の負担を減らす技術であり、ゲノム編集と同程度の関心を持たれるべきものです。しかし、この図が示す通り、社会のある部分はこれほどまでに女性の負担に無関心であり、彼らが”ネガ”撤廃を選ぼうとしているのです。

【ヤシャ・アンドロス】
 昨日、『ゲノム編集被害者の会』の集会に行ってみた。支持者の名簿に署名はしなかったけれど、ジャムの空き瓶に1ドル入れたらキャンペーンバッジがもらえたよ。バッジは黄色地に、黒で子宮の中に居る赤ん坊が「どんな編集もいらないよ!」って言っているイラストが描かれていた。んで、昨日は一日中ジャケットにそのバッジを付けて過ごしてみた。悪くない気分だったよ。
 
【エイプリル・ムサ カリフォルニア州在住 無職 25歳】
 友達が、私は絶対に聞くべきだよって言うから、昨日ルピ・ナイトのスピーチを聞いたの。内容はまあまあって感じだった。全体的に抽象的っていうか。観念的っていうか。でも、女が無視されているってところは、ちょっと共感したかも。
 私もこの子(自身のお腹をさする)を妊娠する時に、ゲノム編集を受けたの。私の家族は、ずっとある病気に苦しんできたんだけどね、数年前にゲノム編集で治療可能ってことが分かったんだ。私の国ではゲノム編集は違法だから、夫と話し合って、彼の故郷のアメリカで子供を産むことにしたの。成功するか不安で、妊娠前に何カ月も夫と話合ったんだけれど、やっぱり子供には苦労して欲しくなかった。
 無事に妊娠もできて、さあこれから頑張んなきゃって思ってた。そしたら、ある日、夫が私に黙って別のゲノム編集を追加で依頼していたって言ってきたの。内容は子供の容姿に関するもので、ブロンドの髪と青い目、白い肌を持たせるようにしたみたい。非難してやったら、「君はアメリカで生きる上で、アングロサクソンの容姿がどれだけ優位に働くか分かっていない」だってさ。結局、夫とは別居中。アメリカで仕事も無いし、出産までの助けも欲しいから、自分の国に帰ろうかと思ってるわ。
 ルピ・ナイトに共感したのは、これが理由。でも、ゲノム編集自体を女性軽視に結び付けるのは極端だと思うの。私が嫌なのは、私の依頼したクリニックみたいな、子供のことなのに夫婦の同意も取らない、リテラシーの低い会社が野放しにされていること。しっかり監視する仕組みを作って欲しいんだ。

【ヤシャ・アンドロス】
 『ゲノム編集被害者の会』でエイプリルって子と話したんだけど、彼女の話は他人事だとは思えなかったな。ただ、彼女の場合は明らかに旦那さんが悪いと思う。だって問題は、ゲノム編集の是非というよりも、エイプリルと話をしないで勝手にゲノム編集をしたことだからさ。思い付きでやったのかもしれないけれど、その思い付きの結果は子供に一生付き纏う。そして、その子供は、既にエイプリルの中にいるんだ。
 ああ、でもエイプリルのしたことも、結局旦那さんと一緒なのかな。だって、彼女も子供に同意を得ずに勝手にゲノム編集をしたわけだからさ。うーん、でも彼女のことはあまり悪く言う気になれないんだよな。2、3時間話しただけだけれど、彼女の家系がどれだけ病気に悩まされてきたのか、彼女がどれだけ子供の人生について真剣なのか分かった気がするから。でも、それは彼女の旦那がやったことと同じで、相手の同意を得ない行為なわけで。でも、生まれる前の子供に同意は取れないわけで。あー、頭がこんがらがってきた。
 
【マリア・クェス フロリダ州在住 高校生 17歳】
 初めまして、私はマリア・クェスと言います。高校2年生です。ロイドさんに質問があってメールをさせていただきました。
 最近、私の高校では”ネガ”撤廃について、みんな頻繁に話し合っています。それで質問なのですが、ロイドさんは遺伝性疾患を治療するためのゲノム編集で誤ってできてしまった形質を『個性』と仰いますが、遺伝性疾患自体についてはどう思われますか? もしも、遺伝性疾患自体が『個性』であるのであれば、そもそもゲノム編集で治療すること自体おかしいのではないでしょうか?
 
【ロイド・スミス】
 先日、フロリダ州のマリア・クェスという学生の方から質問のメールをいただきました。この質問は大変興味深く、自分のゴールを改めて確認する良い機会となりました。
 まず初めに明確にしなければならないのは、私の活動の目的です。何故、私は『出生の自由を問う会』の代表をしているのでしょうか。答えは、デザイナーベビーとその親族の幸福の為です。反対に言えば、もしもこの世界にゲノム編集に関係するあらゆる不幸──不当な差別や、施術におけるリスク、その他の人生の問題を含む──が無いのであれば、私はデザイナーベビーの問題に対して何もすることは無く、『個性』という言葉を使うことも無いでしょう。
 結論としては、疾患が『個性』であるのか、それとも治療が必要なものであるのかについては、個々人の判断に委ねられることで、私たちの役割はむしろその後にあります。もしも、あなたが自分自身、あるいは自分の子供を生まれながらに不幸だと思った時、デザイナーベビーの隣人に対して良い印象を持てない時、私たちはあなたと「それらはその人の『個性』なのですよ」と話しあうことができます。
 
【ジョージ・テイラー ミシガン州デトロイト滞在中 観光客 35歳】
 ”ネガ”撤廃は、アメリカがかつてのゲノム編集の巨人に戻れるかどうかの試金石だから、当然外国からも注目されているよ。ちなみに僕たちの国とアメリカとでは、ゲノム編集の歴史は対照的だね。『投げられた世代』以降、20年間足踏みを続けているアメリカに対して、僕らは特に足を止めることなく、社会はゲノム編集を推奨している──ヨーロッパでは異端だけどね。僕や、僕の娘なんかは、その申し子と言える。
 知っているかもしれないけれど、僕たちの国は2085年の世代を目途に、完全に自然由来の遺伝子を無くす方針だ。思想上ゲノム編集を受け入れられない人や、外国人との結婚、遺伝子情報のID化とか、まだまだ課題はあるけれど、僕は政府を支持しているよ。
 ハックスリーの『すばらしい新世界』みたいだって? でもさ、理屈だけじゃなくて、現実を考えようよ。誰だって、人生のどこかで大病を患いたくはないだろ? 
 
【ヤシャ・アンドロス】
 突き詰めてしまえば、問題は子供たちの幸福で、それが先天的な身体の形質にどこまで依存するのかということなんだと思う。幸福度指数の統計は、幸福は収入みたいな物質的な要素に依るけれど、それもある時点で頭打ちになって、それから先は宗教のような精神的な支えを持っているかが幸福に影響を与えることを示している。これは超人主義を議論で否定する時に、良く使われる論拠だ。
 世間一般のモラルとして、超人主義というのは、やりすぎなゲノム編集を揶揄する言葉だ。それじゃあ、もしも、俺たちが子供の筋肉を決定する遺伝子をデザインしたら、俺とヴァネッサは超人主義者かな。だって、何もしなくても子供は、歩くことくらいは多分できるんだから。
 どうして走れることが普通なんだろう。どの程度走れるようになれば「治療」で、どの程度から「やりすぎ」なんだろう。
 
【アレックス・オウ ニューヨーク州在住 高校教師 27歳】
 小学校に通っていた頃、初めてデザイナーベビーの友達ができたんだ。デザイナーベビーが何かを知った後は、裕福な家の子供に会った時みたいな気持ちを、彼女に感じるようになった。それで、自分は生まれながらに損をしている気分になった。
 多分、僕は超人主義者と言われるタイプの人間なんだと思う。ゲノム編集を、不妊治療や、遺伝病を無くすことに役立てるだけじゃなくて、積極的に能力の強化に使うべきだと思っているんだから。お金をかけて優秀な子供をデザインするなんて間違っているとかいう人もいるけれど、それなら子供の頃から英才教育を施す親とか、美容整形とかどうなのって話。超人主義なんて、その延長でしかないよ。
 GDL社のゲノム編集の失敗が原因で、デザイナーベビーへの世の中のイメージはあんまり良くない。でも、これってちょっとおかしいと思うんだ。ある薬でトラブルが起こったからって、今後一切薬を飲むことを禁止しましょうなんてことになるかな。
 ”ネガ”はさっさと撤廃されるべきだと思う。あの事件を繰り返しちゃいけないと思うんなら誤編集を克服するための研究を進めるべきだろう。
 
【ヤシャ・アンドロス】
 ああ、失敗、失敗、大失敗。
 一昨日、ヴァネッサが下着を取りに、一旦帰ってきたんだ。チャンスだと思ったよ。いつまでも角突き合わせていたくなかったから、仲直りするために、コーヒーでも飲みながらゆっくり話そうよって言ったんだ。それで話している内に、久しぶりに和やかな雰囲気になってきて、ようやく別居生活も終わりになるって期待した。
 問題はその後。ヴァネッサが寝室に行ったんだけど、寝室には例のジャケットかけてあった。そう、あの『ゲノム編集被害者の会』のバッジが留められたジャケット。ヴァネッサはそれが、自分に対する当てつけだと思ったみたいだ。それまでの良い雰囲気は全部壊れて、ヴァネッサはブチ切れた。
 そこから小1時間くらい言い合いが続いた。ヴァネッサは「フィン(母さんの名前だ)のことを恨んでいるからって、そのせいで自分が惨めだと感じているからって、私に当たらないで」って言った。驚いたのは、彼女の言葉に対して、自分の顔が信じられないくらい熱くなって、これまで出したことのないような大声で言い返したことだ。「君たちが、子供に自分好みの服を着せるみたいな軽い気持ちで遺伝子をデザインした後、そいつの人生がどうなるか考えたことあるか? 君が人生の時間すべてを捧げたって、責任は取れないし、子供にとっては慰めにもならないことを知っているか?」みたいなことを言った。
 結局、ヴァネッサは下着を持たないまま、また出ていったよ。
 
【アラン・ケプラー イリノイ州在住 人類学者 50歳】
 医者は何故、薬の処方に慎重になるのか。それは、特定の病気への効果が保証された薬でも、健康な人間が服用したり、たとえ患者であっても過剰に服用したりすれば悪影響が出ることを知っているからだ。しかし、診察を受けている側からすれば、冷酷な医者に見捨てられた気分になる。
 結局、これは医療が始まってから延々と続いているジレンマな訳だ。治療法が見つからない時点では、医者が何もしなくても──そもそも、治療法がない時点では、できることなど無いのだから──、誰も悪くないし、誰も責められない。しかし、一度治療法が見つかってしまえば、そうもいかない。治療法の実施に伴うリスクは、実施した医者の責任になるし、だからと言って、治療法が見つかる前の様に何もしないのであれば、医者の責任を放棄したと責められる。
 先日、友人のティーンエージャーの娘が「どうして、生まれる前に私をデザインしてくれなかったのよ」と母親を責めたそうだ。原因は失恋だったらしいが、これは興味深い話だと思わないかね。生命が始まって以来、DNAはあらゆる生命の中に在って、その身体を規定してきた訳だが、ゲノム編集という技術が開発されるまで、我々はDNAを操作しなかったことで両親を責めることなど無かった。しかし、今や人間はただ生まれる(・・・・・・)ということは無く、いかなる出生も、ゲノム編集を実施した、もしくは実施しなかったの選択の結果となる。
 
【ヤシャ・アンドロス】
 高校生の頃、両親と大喧嘩した。あの頃、俺は近くの高校に通うセシルって子と付き合っていたんだ。変なこと言うようだけど、あの頃、俺はセシルと一緒になる運命だって本気で信じていたよ。時々、そんな話もしたし、何か特別なことが起きなくても、今の状態が続けば自然にそうなるものだって思っていた。
 ところが、ある土曜日の夜、いつもみたいにキスしようとしたら、急に彼女に拒絶されたんだ。喧嘩したわけでもなかったから、訳が分からなくて、理由を聞いたよ。そしたら、「デザイナーベビーなのを黙って、私とセックスしていたなんてサイテー」って言われた。どうやら、誰かが彼女に教えたみたいなんだ。結局、俺たちは別れた。
 それまでも、世の中がデザイナーベビーに良くない印象を持っていることは聞いていたし、遺伝を直接的に連想させるから、デザイナーベビーのパートナーとセックスすることを拒む人は特に多い、とも言われていた。でも、この時までは、自分には全然関係ない話だと思っていたんだ。
 家に帰って、俺は両親に食って掛かった。なんで、俺の身体を勝手にデザインしたんだよって。両親は、問題の原因はその娘の強い偏見だって言い返してきた。勿論、そんなことは分かっていたよ。でも納得できなかった。だって、セシルはそれ以外パーフェクトで、それまで俺たちは最高に上手くいっていたんだから。
 結局、俺も両親も互いに謝らないまま、時間が経ったことであの喧嘩は終わったワケだけれど、俺は何も納得していなかった。そして、今それがヴァネッサとの間で再燃している。
 
【グロリア・ブラウン フロリダ州在住 保険会社勤務 40歳】
 決め手になったのは、身長と年収の相関関係をまとめた最新の研究でした。最初は、その研究に驚きはしましたけれど、よくよく読んでみたら別に意外な内容ではありませんでしたね。だって、ハンサムで背の高い人の方が稼いでそうなんて、皆どこかしら気づいていることでしょう?
 私と夫は、すぐに決断して、ゲノム編集を行いました。ゲノム編集は間違いなく成功しましたよ。だって、私の息子は身長が6フィート(約185㎝)もあって、地域では一番の美男子ですもの。レストランに行けば、誰もが息子に一目置いているのが、彼らの視線で分かります。同級生は、みんな友達になりたがるそうです。
 息子の人生は間違いなく素晴らしいものになるでしょう。お金が人生に与える影響は、言うまでもありませんからね。
 
【ヤシャ・アンドロス】
 昨日、母さんから電話があった。俺たちの現状について、ヴァネッサは俺の両親にも話していたみたいで、母さんはそれを話したかったみたいだった。
 「ヴァネッサの気持ちも考えてあげて」って母さんは言った。正直、少し悲しい気持ちになったよ。俺をデザインしたことについては、まったく負い目を感じていないんだなって思ったから。その時、ヴァネッサが言った通り、俺はずっと母さんを恨んでいたんだって、初めて気づいたんだ。
 俺はセシルに振られた後の、大喧嘩の時のことを聞いた。実はずっと、母さんがどう思っていたのか知りたかったんだ。母さんは何も答えなかった。何も言ってこないまま2、3分過ぎて、父さんが電話に出た。俺は父さんにも同じ質問をした。父さんは一言「苦労をかけたな」って言った。結局、俺と父さんはヴァネッサのことに触れないまま10分くらい話して、電話を切った。
 俺は母さんに何を言って欲しかったんだろう。謝って欲しかったのか?
 
【ミチコ・イノウエ カリフォルニア州ニューシレジア在住 58歳】 
 自分の遺伝子に疾患の因子が含まれていることを知ったのは、初めての子供を幼いうちに失った時です。私と夫は打ちのめされ、そこから立ち直るのには少し時間がかかりました。それから数年経って、夫がもう一度子供を作らないか、と私に言ってきました。私は迷いましたが、ゲノム編集を受けることを条件にして、夫に同意しました。しかし当時、私たちの国の保険は、問題の疾患へのゲノム編集に対して、公共・民間どちらも十分な補償を設けていませんでした。結局、私たちは、その頃、世界でもゲノム編集が盛んな都市の1つであったニューシレジアへの移住を決めました。
 アメリカの民間保険は、私たちが望んだゲノム編集に対して、十分なサポートを保証してくれました。しかし、いつまで経っても私は妊娠せず、その内にGDL社の医療ミスがアメリカ中で問題になり、保険会社はゲノム編集への補助金を大幅に減額しました。私たちは世論が変わることを長い間望んでいましたが、結局何も変わらないまま、20年も過ぎていきました。
 子供を持つだけなのであれば、ゲノム編集など関係無しに子作りを行えたかもしれません。しかし、母親というのは、子供に何も与えられなくても、せめて健康な身体だけは与えたいと思ってしまうものなのです。
 
【ヤシャ・アンドロス】
 母さんとの電話の後になって、俺は何て言うべきだったのか考えた。俺が母さんにあんなこと言ったのは、母さんに謝ってほしかったのか、それとも自己弁護してほしかったのか。いっそ、あの人がどうしようもない母親で、「私は悪くない」とでも言ってくれたら、もう金輪際母さんのことを気にする必要なんてなくなるだろう。問題は、母さんが俺を少しでも幸せにしたかったってことと、俺がそれを分かっていること。でも、母さんの愛情のせいで、俺が苦労してきたってのも事実なんだよ。そのせいで、もやもやするんだ。
 もしも、子供ができて、ある日その子が自分の生まれについて俺を責めてきたら? 「どうして自分のことをデザイン『した/しなかった』の? そのせいで苦労しているんだよ」って。俺はもしかしたら自分のせいで、その子の身に起こる不幸を申し訳なく感じているかもしれない。でも、きっと、目の前のデザイン『した/しなかった』その子が生まれたことを、後悔してはいないと思う。
 
【アルファ・ジョンソン イリノイ州在住 無職 80歳】
 不妊治療が成功して初めて子供を産んだ時、私はもう40歳でした。30歳で結婚して子供が欲しいと思ってから10年間、ようやく授かった子宝でした。今思えば、大変な10年でしたね。妊娠できなくて、数年の間諦めて、それでもまた試して、また諦めて、それの繰り返しでした。もう良い、子供のいない人生だってある、そう夫と納得したはずなのに、休日に公園で楽しそうに過ごす親子を見て子供を欲しいと思ったり、今度こそ成功するんじゃないかって思っても駄目だったり。その過程で、生まれて初めて自分の身体を憎んだこともありました。
 息子夫婦が子供のことを考え始めた時、私のところに相談しに来ました。義娘は子供の将来のためにデザインが必要と言っていましたが、息子はアンナチュラルだと反対していて、私の意見が聞きたかったようでした。私は初めて、息子に自分が不妊治療をしたことを話し、私たち家族が医療行為を根底にして成り立っていることを伝えました。一方で、息子を産んだ時、生まれてきてくれたこと自体がただ嬉しくて、それ以上は何も望まなかったと義娘に話し、後は彼らに任せることにしました。
 
【ロイド・スミス】
 明日はついに”ネガ”撤廃の住民投票の日です。明日の結果如何で、カリフォルニア州だけではなく、今後のアメリカにおけるゲノム編集の立ち位置が大きく変わってくることでしょう。それがゲノム編集を望む人々や、デザイナーベビーたちにとって希望のある変化となる可能性は十分あると私は思っています。
 勿論、変化の可能性は陰陽どちらも存在します。仮に明日、州法撤廃が決まったとしても、いかなる規制や制度も作られないのであれば、たちまちゲノム編集はカリフォルニア州の経済を支える一産業に成り下がり、人間の幸福よりも企業の利益が優先されることになるでしょう。そのような事態を避けるため、私たちは日々話し合いを続けなければなりません。
 私たちは20年間、臭い物に蓋をしてきました。”ネガ”という蓋です。この蓋は、ゲノム編集に関する問題は既に決着したと私たちに錯覚させ、私たちからゲノム編集技術の是非を考える機会を奪い続けてきました。しかし、何も決着などしていないのです。デザイナーベビーへの偏見は、彼らの人生を不条理に惨めなものに変えてきました。そして、子供の人生の幸福を考えてゲノム編集を望んでいても、二の足を踏んでいる両親たちが今この瞬間にもいるのです。
 今こそ蓋を取り、私たちが目を背けてきたものと向かい合いましょう。
 
【アリアナ・マッケンジー カリフォルニア州在住 『ゲノム編集被害者の会』スピーカー 33歳】
 この度、『ゲノム編集被害者の会』代表のルピ・ナイトさんに機会をいただいて、私の個人的な経験について、この場で話をさせていただくことができました。個人的な経験というのは、私の元夫、現『出生の自由を問う会』代表、ロイド・スミス氏との関係のことです。
 私は2年前にロイドと離婚しました。理由は、彼の二枚舌に耐えられなくなったからです。ロイドと付き合い始めてから離婚するまで、私は彼の活動を手伝い、彼の考え方にも共感していました。彼はいつも、本当に克服するべきなのは、デザイナーベビーに対する偏見や、デザイナーベビー自身が持つ自己否定感で、そのために必要なのは法整備や技術発展だけじゃなくて、むしろ教育なんだと言っていました。しかし、多くの活動家と同じように、彼は他人に対してはそういった主張をするものの、自分の人生でその主張を貫くことをしませんでした。
 彼は自分が短命であり、子供が生まれても長く一緒に過ごすことができないと言って、私との間に子供を持つことを拒絶し続けていました。勿論、子供を持つかどうか、それは個人の自由です。しかし、それがゲノム編集の被害に起因するのであれば、彼が普段『出生の自由を問う会』で話していることと矛盾してはいないでしょうか。外ではデザイナーベビーとそれ以外の人間の間に差はないと話しながらも、現実の彼は自分自身を、誤った編集が行われた遺伝子を持つが故に、子供を持つことができない人間だと考えていたのです。
 ロイド、もしもこれを聞いているなら、答えて。もし本当に、あなたがゲノム編集の結果被ったことを『個性』と考えているのなら、何故あなたは子供を持つことを拒絶したの? どうして、私たちは別れなければいけなかったの?
 
【ロイド・スミス】
 ”ネガ”撤廃は残念なことに否決されてしまいました。
 アリアナのスピーチの影響については、私も良く分かりません。もしかしたら、彼女の演説がたくさんの心を動かしたのかもしれないし、あるいはスピーチを聞く前から大勢は決まっていたのかもしれません。いずれにせよ、今回の住民投票は、アメリカ全体でデザイナーベビーについて考える良い機会になったと思います。それは大きな前進です。
 勿論、私たちはこれからも活動を続けていきます。それは、仮に”ネガ”撤廃が可決された場合でも変わらなかったでしょう。デザイナーベビーは非常にデリケートな技術です。人間の一生に影響を与えるし、デザインされた人間が生まれた後にやっぱり止めたいと言っても、元には戻せません。そういった技術を維持しながらも、人間の幸福を追求するのであれば、私たちのような活動が常に必要になるでしょう。
 
【ヤシャ・アンドロス】
 ヴァネッサに電話して、少し話したいって言ったら、今夜家に戻ってくるって言ってた。
 もう一度、彼女と子供のゲノム編集について話し合いたいと思っているんだ。今度は頭っから彼女を否定するんじゃなくて、彼女の考えを聞いて、俺の考えも伝えて、それで自分の考えが変わるんなら、ゲノム編集を受け入れて先に進みたい。
 きっかけは、やっぱり『ゲノム編集被害者の会』で聞いたアリアナのスピーチかな。ああいう戦略は気に入らないけれど、彼女の話自体はすごく考えさせられた。俺にはロイドの気持ちが良く分かる。でも、ロイドのアリアナに対する態度は、多分今の俺と似ていたんじゃないかな。当事者である自分がゲノム編集については一番分かっていると考えているから、アリアナの話なんて全く聞いてなかった。アリアナはそれに耐えられなかったんだと思う。今、ヴァネッサと話をしなかったら、俺たちもそうなるかもしれない。
 ヴァネッサのことを愛している。もしかしたら、彼女は自分の気持ちを通したいだけなのかもしれないよ。でも、それを言えば、俺だってそうだろう。子供にエゴを押し付けるなっていう人もいるかもしれない。でも、これは子供の問題であると同時に、どうしようもなく俺とヴァネッサの問題でもあるんだと思う。おかしな話だけれど、俺たちは、まだ生まれてもいない子供の未来を考えずにはいられない。その子の幸せのために、どれだけのことをするのか。子供の人生なのに、それは本人じゃなくて、俺たち夫婦の問題なんだ。結局、結果が絶対良くなるなんて誰にも保証できないにもかかわらず、生まれてくる子供をデザインするか、しないか、どちらかを選ばなくてはいけない。俺たちはそういう時代に生きている。
 いつか俺たちの子供が、「どうして勝手に自分をデザインしたの?」って言ってくるのが怖くて、自分の子供にはゲノム編集なんてさせないって考えてきた。その気持ちが無くなった訳じゃないよ。相変わらずデザイナーベビーの立場は良くないし、両親の選択が最良だったなんて思っていない。でも、もしもゲノム編集して生まれた子供が、俺やヴァネッサのことを責めたなら、俺はその話を聞いてあげることができるし、同じ立場から自分の話をしてあげることができるかもしれない。自分の生まれと向かい合うことで、少し気持ちが楽になることを俺は知ったんだから。そして、その後は、多分責任を感じて傷ついているヴァネッサを慰める、もしくはヴァネッサが俺を慰めるのかも。いずれにしろ、俺たちは、そんなことを繰り返しながら一緒に生きていくんじゃないかな。

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