指先の声をきかせて

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梗 概

指先の声をきかせて

 海辺の小さなアトリエに暮らすセリは、温度や柔らかさといった人が感じる触感を忠実に再現する特殊なゲルを用いて、死んだ生き物のレプリカを造って生計を立てている。セリは、犬や猫などの小動物はもちろん、人間や絶滅生物にいたるまで、ありとあらゆるレプリカを造った。しかし、セリは今現在生きている生き物のレプリカの依頼だけは頑として引き受けなかった。セリが造るのは、もうこの世界にいないものだけ。けれど、セリは並外れた観察眼で、写真や映像といったわずかな手掛かりから、その生き物の手触りや温度まで、まるで生きているかのように再現できた。
 ある夜、アトリエの近くの浜辺に人魚が流れ着いた。セリの姿を見た人魚は、「どうか自分をレプリカにしてください」と懇願する。セリは、初めて見る人魚の、ぬらぬらと光る長い鰭や鱗といった異形の姿に心惹かれるが、「生きてるものはつくらない」と突っぱねる。
諦めきれない人魚は、そのまま浜辺で暮らし始めた。生き物と接することを避けて生きてきたセリは、初めは人魚のことを拒絶するが、人魚の博識さや朗らかな性格に惹かれ、次第に心を開き始める。
 しかし、人魚はある日突然、自分はあと三日後に死ぬと告白する。驚くセリを宥めながら、人魚はさらに、人魚は無性生殖の生き物で、自分が死ぬ間際にタマゴを産むことを明かした。自分がずっと、母親の姿を知らずに生きてきたことで孤独感を抱えていたため、子どもにはせめて、セリの造ったレプリカを遺してやりたくてセリの元にきたのだと語った。セリは、人魚の言葉を聞いて、自分が生まれつき生き物を触ることに嫌悪感があるせいで、ずっと孤独に生きてきたことを明かした。誰とも孤独を分かち合えずに生きてきた二人にとって、お互いは、やっと出会えた同志だった。セリは人魚の思いを汲んで、子どもの誕生に間に合うように人魚の生きているうちから、レプリカを造り始めた。
 しかし、三日という時間はあっという間に過ぎて行った。人魚は、死の間際に「あなたの才能はレプリカをつくることだけじゃない。どうか、あなたが感じたことを、あなたの言葉で伝えてあげて」と言ってセリを抱きしめた。セリは、初めて触れる人魚の感触や温度を愛おしく思った。けれど、それと同時に、生身の人魚が与えてくれる情報量に対して、自分のレプリカの乏しさを痛感した。セリはカッとなって人魚のレプリカを壊そうとするが、人魚の言葉を思い出し、思いとどまる。
 セリは、人魚のレプリカの前で、人魚の遺したタマゴを抱きしめる。セリは穏やかな声でタマゴに語りかける。
「はやく出ておいで。あなたは一人じゃないのよ。私がいつでも、お母さんの話をたくさん聞かせてあげる」

文字数:1113

内容に関するアピール

参考にした技術は下記です。

https://taica.co.jp/gel/collection/haptics/

「αGELが備え持つ「やわらかさ」の魅力に着目し、人の感性に訴える12触のゲル」というものから、人の大切な存在の感触をいつまでも側に置いておける「ゲル状のレプリカ」というものをモチーフにしました。

客観的事実に基づいて精巧につくられたレプリカも、確かに大切なものの存在をこの世界に留めておけるのだろうけれど、人が本当に孤独感や喪失感を補えるのは、どちらかというと、ものすごく偏っていたとしても、誰かの主観であったり、感覚であったりっていう「温度」があるものなのではないかなという思いからストーリーをつくりました。

セイと人魚の、特殊な孤独を抱える者同士のシスターフッドを丁寧に描きたいです。

文字数:349

課題提出者一覧