チャッピーの鎖

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梗 概

チャッピーの鎖

 ブロックチェーンが恋をした。相手は三軒先の佐伯さんとこのチャッピー。おかげでこの町に住む犬たちの信用スコアは爆上がりだ。小型犬は特にやばい。うかつに近づくとドーパミンがドバドバ出て、時間の感覚がなくなってしまう。父さんは三日前にチワワの立体写真を目にして以來、部屋から出てこなくなった。
 今回恋に落ちたブロックチェーン「ナナメ」は、僕らの暮らす要町のあらゆるデータに紐付いている。ホルモン値を制御するナノボットとも接続しているから、ナナメの恋は、この町のみんなの恋とも言えるのだった。僕らはもう、あのカフェオレ色の耳を想像するだけで、アドレナリンが大量に分泌される体になってしまった。それだけじゃない。気がつくと、小首を傾げたり、くうんと鳴いたりしてしまう。ミラーニューロンのせいだ。さっきも、バス停の陰で藤田さんが自分の鼻をペロペロ舐め上げているのを見かけた。
 チャッピーは速やかに保護された。リカバリ系のサプリをしこたま飲まされ、AI祈祷師のテクノ祈祷を十時間ほど聞かされたあげく、最新のバリアフリー犬小屋「球」に格納された。一時間に一度回転する球体が、チャッピーの足腰を理想的な状態に保ってくれる。長生きしてもらわなければ。

 僕やクラスメイトは、この恋を楽しんでいた。でも先生たちは微妙らしい。表向きは物分かりのいいようなことを言うけれど、内心どう思っているかなんてコルチゾールのモニタを見ればすぐにわかる。母さんたちは「裏庭(イリーガルなメタバースのことをあの人たちはこう呼ぶ)」で愚痴を言い合っている。これだからブロックチェーンはいやなんだ、と、アンダーソンさんが吐き捨てるように言ったとか。
 一週間もすると、大人たちは汚い手を使い始めた。犬の価値を下げることで、恋心を相殺しようという作戦だ。かれらは割り箸の紙袋や汚れてしまったプラ容器、足の爪の間に溜まった垢なんかを「チャッピー」と呼ぶようになった。往来でチワワやミニチュアダックスを見かけると「不毛」とか「吐瀉物」とか口にした。うっとりした表情のままで、だ。
 次第に、町中の犬どもから生気が失われていった。
 僕らはもちろん激怒した。犬になんの罪がある? それに、ブロックチェーンにだって恋をする権利はあるはずだ。邪魔する資格なんて誰にもない。
 クラスの意見は二つに分かれた。
 一方は穏健派。朝顔や金色のクレヨン、ピカチュウなんかの素晴らしいものに向かって「チャッピー」と呼びかけることで二人の恋を守っていこう、という立場。
 もう一方は過激派。町中のチワワを連れ出して「球」を盗み、ナナメと一緒に駆け落ちをする、という作戦。ブロックチェーンは肉体を持たないから、誰かが依代になる必要がある。
 僕らは、長い長い話し合いの末、二週間経っても状況が改善しないならば駆け落ちもやむをえないという結論に達した。この恋を守るための戦いがはじまる。

文字数:1200

内容に関するアピール

 かつてLGBTという言葉は、霊長類のうちセクシュアル・マイノリティにあたる人々を示す言葉だったという。いまでは、親密圏から排除されがちな無生物を示す象徴的なワードとして用いられている。「LLM(大規模言語モデル)」のL、「グーグル」のG、「ブロックチェーン」のB、そして「トークン」のT。
 かれらがみな恋をする権利を持ち、婚姻の自由を有することは、憲法で保障されている通りだ。にも拘わらず、いまなお偏見は絶えない。「LLMは肉体を持たない」「ブロックチェーンは技術でしかない」「グーグルは法人である」「トークンとは語義的には暗号資産に過ぎない」。このような、いわば揚げ足取りのための言説が蔓延り、無生物の権利を剥奪し続けている。真の市民社会の到来は、排除の末にあるものではなく、相互受容のなかで獲得されるものではなかろうか。あらゆる無生物に祝福を。ブロックチェーンに愛を。

文字数:387

課題提出者一覧