梗 概
まよいごのコロン
伊沢セイジの肌の上には丸っこい5センチ大ほどの、黒い斑点に似た一匹の小さな刺青が泳いでいる。
コロンと名付けられたそれは、一見するとシミのような、オタマジャクシのような見た目をしている。全身350万円あまりの費用を注ぎ込んだセイジの肌には電子刺青の海が広がっており、その上を棲家にして縦横無尽にコロンは泳ぎ回る。
ときおり髪の毛に隠れてはじゃれついたり、背中をいそいそと駆け上がったり、ふと気づくと指先で丸まってしんと眠ったりもする。コロンはその名の通りに、コロンの記号に似た目を持っていて(見た目こそコンマというべき姿だが)、愛らしいつぶらな瞳を気ままにぱちくりと瞬かせて泳ぐ。
電子刺青は、ナノマシンと特殊なインクを混合した薬液を皮膚に浸透させることによって電子的に皮膚を黒く発色させる新たな形の刺青だった。通常は無色透明なインクだが、ナノマシンを介してプログラムを走らせることで、皮膚をさながらキャンパスのように自在に塗り替えることができる。コロンはセイジが自らの手で肌のナノマシンに埋め込んだ、電子刺青の平面上だけで駆動する自律型遊泳プログラムである。
かれこれ35年、生真面目を取り柄に生きてきたセイジが今頃になって、大枚をはたいて電子刺青の契約を結んだのは人生に自棄っぱちになったからだ。7年交際した婚約者に別れを告げられ、自棄になって貯金を、電子刺青に注ぎ込んだ。それから寂しさを埋めるように肌にコロンを飼うことをはじめた。コロンとの生活は、セイジの心を安らかにした。
会社から理不尽な左遷を告げられ、怒りにまかせ辞表を叩きつけた日の翌朝。泥酔から覚めたセイジはコロンの所在がわからなくなっていることに気付く。昨晩はたしか帰路の途中に、人混みの中で刺青の女とぶつかった。考えられないことだがそこで、コロンはセイジの皮膚から逃げ出してしまったのではないかと思い至る。
セイジはコロンを探して彷徨い、やがて刺青の女を見つけ出すが、既に女の肌の上にコロンの姿はなかった。コロンは電子刺青の海を泳ぎ、肌から肌へと人を橋渡しに放浪の旅をしていた。
セイジはコロンを探すために各地を渡り歩く。やっとコロンの宿主の足がかりが掴めたかと思えば、コロンはセイジを煙に巻くように行方を眩ませる。その旅路は遠く海外まで及んだ。その中で、セイジはコロンを宿主たちと交流をする。思いがけず、コロンはどこへ行っても歓迎されて受け入れられていた。彼らは嬉々としてコロンとの出来事を語り、飼い主のセイジにさえ、誰もが快く暖かい言葉を返していく。
コロンの旅に追いついたとき、セイジは長い旅路によってすっかりと手持ちの金を使い果たしていた。手元に戻ってきたコロンを握りしめて、残ったものはこれだけかと笑いがこぼれる。だがしかしこれだけでいいのだとセイジは思う。手の中では人の気も知らないで、コロンが気ままに泳いでいる。
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内容に関するアピール
期せずして二ヶ月連続で変なペットを書くことになってしまった。腐らず粛々と変なペットを突き詰めていくほかにない。
最近は友人知人が軒並みポケモンスリープをやっていて、ポケモンたちのために懸命に睡眠の質を上げようとする健気な様を目の当たりにしている。あれはかなり、ペットの形に近しい現象だとおもう。対象がプログラムであるとか、そんなことは既にどうでもよくて、自分の生活と結びつく“なにか”を世話をする行為はどうもおもしろいらしい。
私たちは既に物語の中の創作された人物を愛することだってできるし、だから人間がAIを受け入れられるかどうかなんて話はそういう面で愚問かも知れないなとも思う。ピクセルの集まりに過ぎない彼らを愛することができるのであれば、突き詰めればドットのひとつだって愛せるよね。とも思う。それがかわいければ。命っぽい振る舞いがあるなら。そんな話を書きたいです。
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