わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
──宮沢賢治 「春と修羅」 序
カラカラカラと音を立てて、自転車が石畳の坂道をまっすぐに下っていく。
杉並木の隙間から夏の強い日差しが周期的に差し込み、私は耐え切れずに目を瞬く。いつからか友人のサッちゃんがこの坂を「写真坂」と呼びはじめ、その理由を尋ねた際には納得がいかなかったが、確かに写真坂というのも頷ける。この坂は、まるでストロボを焚いたカメラで私が撮影されている、そのような状況を連続する音と光によって私に連想させるのだ。
錯覚であれ、カメラがついて回るというのはこそばゆい体験だと内心で独りごちたものの、残念ながら私は被写体として適当とは到底言い難い、一介の大学生に過ぎない。寧ろ、カメラを向けられるべきはこれから会う件のサッちゃんと、彼女がペットだと言い張る不思議な生き物が起こしているトラブルだろう。
いや、ちょっと待てよ。カメラに付随する、私にも可能なポジションというものがあった。カメラが向けられるのは浮世離れした彼らだが、そこに切り込んでいくのは私である。滅多にないであろう出来事に対して取材記者を気取ってみる、というのは存外に楽しいのかもしれない。
事の起こりは今から一月ほど前、私の大好物である和梨がスーパーで並びはじめた頃だったと思う。
うちの大学の中でも屈指の楽単と名高い、映画を見ているだけの美術史の講義が終わって、天気が良いので近くの高松の池でも散歩しようかと席を立ったところに、わたわたとした様子でサッちゃんがやって来た。
彼女とは高校の文芸部を通じて友人となり、推薦を利用して二人とも同じ大学に進学したものの、私は理学部物理学科、彼女は文学部独文科なので受講科目が異なり、一般教養科目である美術史で週に一度顔を合わせる他には、彼女の会話のきっかけを作る下手さも相まって、構内であまり関わることはなかった。
普段は講義後に物言いたげにサッちゃんが視線を寄越すので、気が向いた時に私から話かけてやると、堰を切ったように彼女が言葉を発するというのが会話の常だったが、こうして彼女からやって来るというのは非常に珍しいことである。
(前に彼女から話しかけて来た時には、大学内の銀杏の木の上から野良猫が降りられなくなっているので助けて欲しいと頼まれた。現場へ急いで向かったのだが既にそこに猫の姿はなく、「降りられて良かった」と彼女はふにゃりと笑い、自分も「第一声がそれですかい」と苦笑いをした。)
「スズちゃん、ちょっといい?」
右手の小指の付け根を左手で揉みながらサッちゃんが話しかけてきた。気分が良い時の彼女のクセだ。
「どうしたの?何かいいことあった?」と聞くと、彼女は「何で分かったの」と言いたげに大きく目を見開き、宝石のようなヘーゼルの瞳を輝かせた。サッちゃんが分かりやすいだけである。
「うん。最近、ペットを飼い始めたんだ」
「へー!いいじゃん、何にしたの?」
サッちゃんが鼻息を立てて、少し溜めてから返答した。
「クラムボン!」
クラムボンと聞こえたが、何かの間違いだろうか。「果物」と発言しようとしたけれど、めちゃくちゃ噛んで「くらぁもん」となったとか。どちらにしても意味不明か。
「ごめん、もう一回言ってくれる?」
「クラムボン、だよ。宮沢賢治の」
クラムボン、確定。
宮沢賢治と言われたらもう諦めるほかがない。とりあえず、私は話を先に進めることにした。
「かぷかぷと笑うやつだよね?ちょっと詳しく聞かせてくれる?」
「わかった」とサッちゃんが言った。
「ええっと、スズちゃんとも前に行ったことのある、まいばすけっと近くのさかな書房っていう古本屋に私はよく行くんだけれど」
「はいはい、あの年がら年中閉店セールをしているところでしょ?」
陽ですっかり焼けた大量の岩波文庫を表のワゴンに並べている、外国文学に強い店だ。「閉店半額セール」と黒い油性ペンで書かれた、こちらも同じく陽で焼けた厚紙が店の窓ガラスに貼ってある。前に、大学指定の教科書を安く手に入れようと企てて、サッちゃんと訪れていた。
「そうそう、書いている値段の半額で買えるところ。週に1回くらいの頻度で2・3冊の本を買っていたら、店主さんと仲良くなって話をするようになったんだけど、その流れでクラムボンを譲ってもらうことになったんだ」
「……。ごめん、いくつか気になることがあるんだけど、クラムボンが何であって、誰がそれを主張してるのかをまず教えて」
「そう、それ!まさにそれを話したかったんだ。店主さんがこれはクラムボンだよってくれたんだけど、私には定かじゃなかったから、一度誰かに見てもらいたくって。推定クラムボンが何かってことについては、言及が難しいんだけれど、見た目は丸くて半透明で、なんというかこう、タンポポの綿毛のようにぱやぱやしているかな」
ぱやぱや、というサッちゃんお得意の曖昧な擬態語を言われてもピンと来なかった。しかし、この話振りを攻めるつもりは私にはない。意図しているつもりは全くないだろうが、彼女はこれを武器に自然と人の警戒心を溶かし、不思議な人脈を形成していることがある。この度の謎も、それが契機なのだと察せられた。
「今回のものは、サッちゃんの持ってくる謎の中で過去一番だな」と私は思った。クラムボンという響きには非常に興味をそそられるものがある。自覚があるだけマシだと思うが、この世には不思議なんてないのだと還元主義的にものを見る癖が私にはあって、謎が目の前に与えられると、斜に構えながらも分解せずにはいられなくなってしまう。
「それで?謎の生き物をサッちゃんが飼ってて、私に見てもらいたいってのはいいけど、何をしてほしいの?調べ学習とか?」
「ううん、見てもらうだけでいいよ。別に証明なんてしたくないし、公表なんて以ての外。ただの幸せのお裾分け」
「そりゃあ、友達甲斐がありますねぇ」
当然、皮肉だ。「求めていなかろうと、こっちで勝手に調べてやろう」と私は思っていたが、百聞は一見に如かずである。サッちゃんも講義の後は予定がないということで、早速クラムボンを見せてもらうことにした。
大学正面のコンビニエンスストアの細い脇道を通って、一本先を右に曲がった所の「写真坂」をずっと下って行くと、サッちゃんの借りている家に着く。目印は緑のフェンスが小高い盛岡第一高校のグラウンドで、そのすぐそばに立っているアパートの101号室が彼女の部屋だ。
車を所持していない貧乏大学生が主な住人にも関わらず、砂利を引いた広い駐車場が特徴で、やはり隅っこの駐輪場を除いて一つたりとて埋まっている所を私は見たことがない。建物の佇まいは、良く言えば軽量鉄骨版めぞん一刻のアパート(横幅ハーフサイズ)だが、悪く言えば寿命間近の平成初期竣工コピペ乱造物件である。
来るたびに私は「引っ越しなよ」と勧めるが、サッちゃんは「困ってないから」と退ける。彼女は私と違ってガーリーな見た目なので、防犯のためにオートロックかつ2F以上の部屋にした方が絶対に良いと思うし、そもそも、隣の102号室に住むおじいさんが毎朝爆音でラジオ体操を鳴らす状況のことを私だったら十分に困っていると形用するのだが。
こなくそと102号室へ向けて砂利を蹴とばしながら歩き、駐車場から一番近い、開閉はいやにスムーズだが、その代わりに隙間が生じているドアを開けると、いつも本だらけのサッちゃんの部屋が目の前に広がる。
廊下は、キッチンがあるタイプの1Kにありがちな構造で、シンクの反対側にはトイレが、コンロの反対側にはバスルームがあり、生活上の導線を最低限除いた床には古今東西の文豪達の全集を一番下とした、訪れるたびに高くなっていく本の山が聳えている。
その時は、ドイツ文学山が伸びていたと思う。
「相変わらず汚ったねぇ……」
「ひどい!物が多いだけで汚くはないよ!」
所々本を踏まないように足を高く上げて歩行する必要がある。「いや、いっそサッちゃんの見ているところで踏んでやろうか」と思いつつも実行したことはない。目の前を何かがカサカサっと動いたような気がして、えんがちょを唱えながら逃げるようにして歩を進め、廊下の奥の襖を開けるとようやく本殿である。サッちゃんの入居前に大家さんが畳からフローリングに張り替えたらしいが、カーペットに加えて、出しっぱなしのコタツと布団と数々の本でその表面は埋もれており、わざわざ張り替えた甲斐は残念ながら感じられない。
辿り着く前までの間に若干げんなりしながら部屋に入った私が見たのは、コタツの上にある、窓から光を受けてかがやいている、ペットショップでよく見かけるサイズの横長の水槽であった。
「これがクラムボン?」
「そう、クラムボン」
せっけんの泡のような、光彩のほかはほとんど透明な、直径5cmほどの球体が水槽に漂っていた。よく見ると球体の周りに棘のようなものがあり、陽を受けてその輪郭を揺らがせている。ふと、その棘々が直線状に、口を形作るようにして倒れて、再び元に戻った。それは、例えるならばチェシャ猫の笑みで、比喩に頼らずに直接述べるのならば「かぷかぷと笑っている」と言うほかないと私は思った。サッちゃんも、感動している私を見て、自慢気な笑みをした。
「さかな書房、このあいだ行ってみたら、店仕舞いしちゃったみたいなんだよね。クラムボンを引き継ぐためだけに今まで商売をしてたのかも」
「愛読書がミヒャエル・エンデなだけありますなぁ」と私はサッちゃんのメルヘンチックな感傷を小馬鹿にしたが、クラムボンらしき生き物は現に目の前にある。信じられないことに知能が高いのか、無差別に笑っているのではない。私とサッちゃんのどちらかに向けてかぷかぷと笑っている。
そのまましばらく、川の浅瀬の反射光や、万華鏡を眺めるかのようにしてクラムボンを観賞していると、サッちゃんのクラムボン引継ぎ説への疑問が湧いた。
「でも、何で古本屋の店主がクラムボンを飼育していて、継承者を探してたのさ」
「それはね……エサに秘密があるんだよ」
何処からか取ってきた、白く、もぞもぞ動く虫を指でつまんで、サッちゃんが言った。「それ、何?」私が聞くと、「紙魚」と彼女が答えた。
「クラムボン、紙魚しか食べないんだ。だから店主さん古本屋を営んでいて、同じく、部屋に紙魚が湧く程の本の虫の私にクラムボンを託したんだと思う」
論より証拠と、サッちゃんが紙魚を水槽に放つ。紙魚が足をバタつかせて、波を立てる。クラムボンが棘々を一定方向にオールの要領で動かし、紙魚をアメーバのように包んで取り込んだ。少しの間、クラムボンの全体が灰色がかった後、再び透明に戻る。そうして、サッちゃんに向かって笑った。
(後ほど図鑑で調べたが、紙魚はその名の通り紙などの繊維質のものを食べる害虫とのことだ。海外だとカエル用のエサとして飼育している家庭もあるらしい。)
サッちゃんが許可したので、私は水槽に指を入れてまんまるをリズム良くつついた。スーパーで売っている、透明なわらび餅に似た触感だ。
「クラムボン、紙魚ならば何でも食べるってわけじゃなくって、私がよく読んでいる詩の文字を齧った紙魚が好きなんだ。賢いだけじゃなくって、詩才もあるのかもしれない」
つつくリズムに合わせて、クラムボンからも棘々を使って泳ぎ、私の指に体当たりをしてくる。間違いなく高い知性はありそうだ。
「本当だったら賢すぎじゃない?存在が秘められている理由とか、気にならないの?」
「来る前も言ったけれど、私だけの不思議な存在ってのがいいんだよ」
「ふぅん……」
やはり、彼女のスタンスに私は同意しかねた。私にとって謎は紐解きたくなるものだ。そのために、クラムボンに関して知っていることを脳内でまとめていると、ずっと前に小学校で朗読したことのある、宮沢賢治のやまなしの内容が思い出された。
「芸術は自然を模倣する」
「それ、誰の言葉?」
「アリストテレス。芸術の本質は自然にあるって考え。元のアフォリズムの意味とはちょっと違うけど、宮沢賢治のやまなしはクラムボンの観察記に過ぎないんじゃないかって思ったら、少しがっかりしちゃった」
「スズちゃん、自称還元主義者だけれど、大概ロマンチストだよね」
「私がロマンチスト?ないない。ただ、少なくとも、彼の著作に先んじてクラムボンは存在していたことが分かったわけだ」
何故だか私を見てにこにこしながら、サッちゃんが追加で紙魚をクラムボンに与える。
「あげすぎじゃない?」
「確かに店主さんからは一日一体で良いって聞いたけど、エサをあげるとよく笑うから、可愛くてついついあげすぎちゃうんだよね」
「紙魚、どうやって確保してるの?」
「放牧して増やした後に一定数を捕獲してる。頂点捕食者、私。次点、紙魚っていうバイオーム」
サッちゃんはこたつの中から昆虫の飼育ケースを取り出した。蟲毒のように紙魚が蠢いている。虫があまり得意ではない私は、「しまってしまって」と彼女に急かした。しかし、生き物を閉じ込めるねぇ。
「ペットってのもかわいそうじゃない?自然じゃなくて、閉じた人工の環境でただただ生かされてさ。いっそ占いタコみたいに、詩の良し悪しの判別能力を使って商売したりとかで、クラムボンに役割を与えてあげたら?」
「占いタコ、最後は食べられちゃったじゃない。利用ってどこかで破綻する気がする。クラムボンがそうなるのはいやだな」
私の提案にサッちゃんは不満げな顔を浮かべた。
ともかく、この日から私はクラムボンを調べるべく、生物図鑑、郷土史やオカルト本あたりを漁りはじめたものの結果は芳しくなかった。
それから一週間、再び美術史の授業の後にサッちゃんが話しかけて来た。
「クラムボン、分裂したんだけど、スズちゃんも飼ってみない?」
数日間調査してみたが、クラムボンの新情報が0だったので、サッちゃんの唐突な情報追加に気が遠くなりかけたが、何とか飲み込んだ。イソギンチャクのような繁殖を想定していたのだが、クラムボンは単純分裂で増えるらしい。事実を受け入れ、質問について考えてみる。
「うーん……。お言葉に甘えて、飼ってみようかな」
そりゃあ、調べるにあたって手元にあった方がいい。道中、持ち運びと水槽を買うまでの繋ぎのために100均で飼育ケースを買い、サッちゃん家へと向かった。
サッちゃん家に着き、ドイツ文学山に続いて日本文学山が伸びていることを確認した。彼女の言葉通り、こたつの上の水槽には、二体のクラムボンが存在していた。何が分裂を誘発したのか定かではないが、一週間そこらで2体に増えるということは、n週間後には2^n体にクラムボンが増えている計算になる。エサについては配慮が必要だが、こんなに増えやすい生き物が世に知られていない、そんなことがあるだろうか。「やはり自分の手で検証しなくては」と思い、飼育方法をサッちゃんに聞いた。
「水槽のポンプとかはいらないの?」
「大丈夫って店主さんは言ってたかな」
「店主からの情報ほかにないの?」
「うーん…飼育するうえで意識することは、やっぱりエサのことだけかな。強いて言えば、水槽にフタをしちゃダメ?とかも聞いたけど、それで店主さんからの言付けは全部かな」
「なんじゃそら。まぁ手間がかからないってのはいいことだよね」
猫がじゃれ合うようにして、お互いにぶつかり合っているクラムボンを眺める。あ、そういえば。
「サッちゃん、クラムボンに名前付けないの?」
痛いところを突かれたかのように「うぐおー」と彼女が唸り、こたつにうつ伏せになる。何だそのリアクション。
その後、すっくと体を起こして、演説調で長台詞を言った。
「クラムボン、クラムボン言うとりますけどね。私は不思議な生き物、種族名が不明な生き物、規範外の何かとコミュニケーションしているっちゅう、何というか、格別のメルヘンを味わいたいわけでして。不明なものを不明なままにする、人間にとって不自然極まりないと思います。不明なものには仮の名称が置かれるってのが自然な流れかと。でも、はじめに述べた私のポリシーとして、種族名、不明。個体名、クラムボンでいかせてもらいたいなと、断固として主張する次第であります」
「なんか、めんどくさいね……」
本心が声に漏れたが、議論モードに入ったサッちゃんと会話するのは本当に面倒くさい。私は個体名クラムボン×2のうち、片方をケースに移してとっとと帰ることに決めた。
素手でクラムボンを掴む。ひんやり、むにむにとしており、今までに触ってきたものの中で一番の触り心地だ。私はそのままそっと、水槽からクラムボンを出す。
その途端、ブレーカーが落ちたような、「バツン」という音が鳴った。手元を見るとクラムボンが弾けて原型がなくなっている。
部屋の空気が凍りつき、私は、「私が殺した?どうして?」という疑問で頭が真っ白になる。この時、冷や汗というものを人生で初めて体験したような気がする。
「スズちゃん、いったい何したの?」
ヘーゼル色の瞳を蛇のように細めた彼女から質問を受ける。「私は何もしていないはずだ」と言い返そうとしたが、一連の結果の責任はどう見ても全て私だ。上手く弁明できそうになく、押し黙った。
「スズちゃんってさぁ、乱暴なところあるよね。今だけじゃない、人が大事にしていることにずけずけとツッコミいれたりとか」
「いま咎める範囲じゃないでしょ」と言いかけるも、口が塞がった。サッちゃんが紙屑を投げてきたのだ。続いて肩に衝撃を受ける。今度は岩波文庫。続いて構えているのはみすず書房。それはまずい、と私は部屋から退避した。
「二度と来ないで!」
最後に投げてきたのは独和辞典で、廊下の本にぶつかって山が崩れたようだ。ドスドスとした重低音が連続して後ろから聞こえた。扉を出たところで「どっちが乱暴なんだよ」と思わずこぼし、拳を握る。突如感じる、ぬるりとした触覚。
「ああ、クラムボンの体液か」と開いた掌に残っていたのは、「夏」という黒い文字だった。何かを写し取ったのならば、鏡文字になっているはずだ。当然だが、意識的に「夏」という文字を書いてもいない。
消去法的に、全くもって非科学的だと思うが、クラムボンが死に際に書いたということが推測される。自然の生き物が、人工の文字を生成する?
「自然は芸術を模倣する」
唯美主義者、オスカー・ワイルドの逆転の発想だ。「私はとんでもないものの一端に触れているのではなかろうか」とサッちゃんへの不満を忘れるほどには、クラムボンに対して恐怖を感じた。
それから2週間ほどは、サッちゃんも私も、目が合う度に視線を逸らし、お互いに口を聞かなかった。クラムボンについては、自分には大きすぎる謎だと判断し、大学生として真面目に勉学に励んだ。
事態が変わったのが、今日のことだ。文章のやり取りは嫌いだと常日頃言っているサッちゃんから、滅多に来ないSMSを受信した。
「クラムボンが増殖し過ぎて困った。助けてほしい……?」
要約すると、クラムボンの増殖が止まらず、紙魚は自ずからクラムボンのエサになるため水槽に身投げをしているような異様な状況になっているらしい。私は、クラムボンの不気味さを目撃していたので、サッちゃんに何かあったらまずいと考え、彼女の家へと向かうことにした。
さて、ようやくなんちゃってジャーナリストこと私の長い回想が終わった。気分を奮い立たせながら下ってきた写真坂も終わりが近づき、第一高校のグラウンドが見えてくる。アパートの駐車場の端に自転車を停め、101号室へと歩いて行くと、近くのマンホールから銀色の線が走っているのが見えた。よく見ると紙魚の大群だ。
とんでもないことが起きているかもしれない。サッちゃんの部屋へと急ぐ。
玄関扉を開くと、キッチンが埋もれるほどに古本の山が積みあがっていた。紙魚を養うためにサッちゃんが新たに買い付けたのだろうか。混沌とした廊下をずんずんと進んで行く。さながら、古本で出来たラビュリントスを紙魚の糸を辿り、出口ではなくミノタウロスを目指す、逆テセウスの心持ちに私はなった。
襖を開くと、こたつでサッちゃんがグズグズと泣いている。良かった、無事だった。
「スズちゃん、来てくれて、ありがとう!もう、この状態、私だけじゃ、どうしたらいいか分かんなくって」と彼女が涙声で訴えてくる。そりゃあ、とんでもない数の紙魚が四六時中蠢いている環境と解決策は想像だに出来ないだろう。紙魚の大群は続々と水槽を目掛けて移動し、そのまま入水していく。水槽は増殖したクラムボンで満ち満ちており、それぞれ、お互いを押し合う圧力で直径3cmほどに縮こまっているようだ。
「まずは、供給絶ってから考えよう!」
紙魚が水槽の縁を走っているのも気にせず、そこらに転がっている画集などの大判本を乗せて水槽に蓋をしていく。何故かサッちゃんが止めようとする。目的意識の強い私は彼女の妨害を気にせずに紙魚の進路を塞ぎ切った。
その瞬間、打ち上げ花火が目の前で炸裂したらこんな感じなのだろうか、とばかりに水槽が爆発、噴水のように中身の水が散った。気泡混じりの白い水に視界一面がおおわれている中、私は「素材がアクリルで良かった」とぼんやりと思い、幼少時にフェリーに乗って北海道に旅行した時、鯨の潮吹きを見かけたことがあったな、と現実逃避していた。視界が開け、飛沫が降りやむ。眼前の水槽には何も残されていない。クラムボンが一斉に破裂したのだ。
「そういえば、蓋しちゃダメだったね……」
「ちゃんと、前に言ったじゃん……」
クラムボンの破裂によって「夏」の文字が掌に書かれていたことを思い出したので、再び水槽を見てみると、底に黒いものが溜まっており、そこには800字ほどの詩が書かれていた。
(後日、サッちゃんとの間で、閉じるという行為は「幕を閉じる」というように、終了を意味するのではないかと議論したことを記載しておく。)
爾の微笑みの大けき、夏の真昼時
われ文を捲る細音を聞きて、唯思ふ……
間違いない。クラムボンが、サッちゃんと過ごした時間をうたった詩だ。
「いい詩だったじゃない。公表はしないの?」
サッちゃんと私は仲直りをして、緑のフェンス近くの土をシャベルで掘りながら喋っていた。クラムボンの墓を作っているのだ。
「友愛には役割がないのが理想でしょ。クラムボンを使うなんてとんでもない」
彼女がさらりと述べる。私は、先ほど見た詩の出来栄えをとても良く思っていたので、この地で有名な宮沢賢治や石川啄木などの詩人はクラムボンの死を利用して作詩していたのではないかと邪推していた。けれども、利用という言葉には到底結びつかない、飼育に対する優しい人間の見解をサッちゃんの言葉から知り、「ふーん」と恥ずかしさを誤魔化すための相槌を打つ。しかし、サッちゃんはそんなことを考えていたのか。
「サッちゃんのこと、少しだけ前より分かった気がする」
「急にどうしたの?教えてよ」
「内緒」
「何それ」
改めて、サッちゃんには、観念を徹する強さがあると思っただけだ。
ペットと人間の関係。自然と芸術の関係。サッちゃんやクラムボンにここ最近で色々と考えさせられたが、どちらが先ということはなく相互に関係しあっている、そんなぼやけた理解で今は不思議と納得していた。
「はるか昔から、利用を考えないがために詩人の資格を持つ人々の中だけで、クラムボンが秘されながらも愛されてきたのだろうな」と今この時も別の場所にいるだろうあの不思議な生き物に思いを馳せ、私はシャベルで土を突いた。