梗 概
静かの海、かぐやの城で
緩やかに凋落する東北地方にある港町の静寂がこの一月で破られた。
外様のオタク三兄弟が、3Dプリンター・配達ドローンの力で出来た低コスト運用・外出不要の複合商業施設(通称:城)を建築し、地域密着型のしおかぜ商店街の客を吸い取っているのだ。
自分たちだけ対抗できないと感じた商店街連合会長は、歴史と城の打倒を目指し、コンサルタントを雇った。彼は熟考の末、結論を出した。
「新規性一本釣りのビジネスは、二匹目のドジョウは狙い辛いです。ですので、”オタク”をクリティカルに考えて、サークルクラッシャーを雇うことにしましょう」
提案通り、城の経営陣をギスギスさせるべく、地元商店街は名うてのサークルクラッシャーを一人月150万円で雇った。
艶々のツインテール、赤色のアイライン、黒いリボンの付いたピンクのフリルブラウス、短めの黒いスカート、厚底のパンプスを備えた、一流の姫だ。
姫は、後天的に打算を身に付けたが、優しさと共感性を生来持っていたため、親身に商店街に味方しようとしていた。
将来性のある事業に興味がある秘書志望として、姫は三兄弟に面談を取り付けた。はじめは「少人数かつ、家族で経営したいから」と断られたが、姫の文面でのアプローチに根負けした形だ。面接後、姫は試しに採用された。
姫は、残業勤めの三男にマメに連絡し、手料理なども振舞って、まずは彼の心を溶かした。次にアイデア不足に悩む次男に姫が寄り添い、若い女性の観点で助言し、仲良くなった。後は長男を残すのみとなったが、彼は部屋から出てこない。扉越しに会話を試みたが、すげなくメッセージアプリでビジネス的な文面が返ってくるのみだ。
そのため会長は、次男と三男で修羅場をつくることにした。姫もその期待に応え、次男と三男は喧嘩別れした。その際、次男と三男を追い出した姫に、長男は「商店街はいつも家族を奪っていく」という恨みの言葉を告げる。
実は、三兄弟一家は商店街で小さな鮮魚店を営んでいたが、歴史のある鮮魚店が犯した産地偽装のスケープゴートにされた過去があった。その際、父のみ借金を背負って両親は離婚してしまい、母とこの地を離れた長男は、家族を壊した商店街への復讐を誓ったのだ。
姫は長男の境遇に同情し、自身が犯した第二の悲劇の贖罪として、復讐への助力を打診する。
数日後、設計専門の長男では城の運営・成長は出来ないだろうと会長は一安心していた。 ところが、城の増築が加速し始める。姫がコンサルタントと長男を結び付け、城の買収契約を締結させたのだ。これから来る、えげつない経営戦略に商店街の面々は絶望した。
一方、優しさと傷付きやすさで意気投合した長男と姫は、施設を売ったお金で月旅行の会社を買い取り、3Dプリンターで静かの海に城を建てた。二人は、死が分かつまで、地上では叶うことのない二人だけの悠久の日々を送ることを誓い、キスを交わした。
文字数:1188
内容に関するアピール
日本の3Dプリンターハウス実用化を受けて、次に来るであろう3Dプリンターによる商業施設建築をネタにしました。ネタが新しいので話の内容と構成はコテコテのものにしようと思い、童話の3匹の子豚を原型として、最新技術と違和感のないように子豚と狼を、オタク(建築学部卒の長男・経済学部卒次男・法学部卒三男)と姫(なまえ:かぐや)にすり替えたお話となります。
最新技術と伝統、オタクと姫、巨大ショッピングモールと商店街、愛と金など、無理なく対立構造を含めることが出来そうなのでそれを活かし、途中で子豚と狼を転置させるギミックを入れることで、童話を中編小説程度のボリューム・構成のお話へとブラッシュアップしています。
実作では3Dプリンター・配達ドローンでのSF的な嘘の描写をマシマシにして城を不気味にし、序中盤は強大な敵に対するピカレスク的に、後半はラブロマンスにジャンルをスライドできる、姫視点での叙述を考えています。
文字数:405
静かの海、かぐやの城で
多苔町は人口1万人弱の、東北地方に位置する小さな港町である。
この町を眺望するには、一般に開放されている灯台から見るのが良い。北海道・東北地方特有の、雪が降っていても遠方から視認できる白黒の縞模様をしたこの灯台は、数十年前に運用が無人化されてから、300円を払えば誰でも登れるようになった。
以来、この灯台は、町の数少ない観光資源として喧伝されている。
上から町を眺めると、灯台が立つ埠頭の脇から広がる砂礫海岸と、それに沿うようにして走る早晩を除いてあまり利用者がいない国道がはるか遠くまで見える。その道と垂直方面に、地面がなだらかにせり上がり、町の灰色模様は山の緑色にグラデーションされていく。
町に無秩序に立っている、まるで赤松かのように見える赤茶色の細長い柱は、潮風によって無残に錆びた街灯であり、夜になるとそれらは星空を邪魔するためだけに灯るのであった。
この侘しい様子から分かるように、直近の十数年間ずっと人口が減少し続けている多苔町には半ば滅びが約束されており、町は、船の汽笛が鳴った際にふと目を覚ますほかは、ただただ波音を聴いて微睡んで日々を送っているかのように見えた。
この静かな港町の様子が変わったのは二月ほど前のことである。町に響く波音に、歯科医院の施術室で聞こえるような、高音のモーター駆動音が混じりはじめたのだ。
この港町では長らく聞くことのなかった、工事の音である。騒音規制法を遵守し、きっかり午前7時から午後7時の間に鳴り続けるこの音は、しかし、工事につきものの、ガツーンと鉄が何かにぶつかったような金属音が響くことはなく、不気味にただただ一定の音だけが止むことなく続いている。
この異様な音の理由は、日本の耐震基準に合格したことで近年話題の、機械のノズルからところてんの製造のようにセメントを押し出して層状に積み上げていく、3Dプリンターを用いた建設方法である。
この方法の優れた点は、3Dプリンターを用いることにより、3D Computer Aided Design(コンピュータ支援設計ソフト、通称CAD)で描画されたデザインが、ソフトウェアの力を借りて従来の方法とは一線を画すスピードで建設しうることである。
さて、このテクノロジーによって施工開始よりたったの二月ほどでこの町にプリントアウトされ、経営を開始した施設の正体は、ル・コルビジェのデザインを想起しうるような、平面図が正方形である、渦が大きくなるようにらせんを描きながら増築され続けているショッピングモール、「Castle」であった。
この古めかしい港町に似合わない異様な施設を、灯台の上から十六夜かぐやは大きな眼を猫のように細めてじっと見つめた。3Dプリンターが駆動する、キーンというモーター音が耳障りに聞こえる。
「いけない、いけない、もうすぐ打ち合わせの時間だ」
彼女はこの音を止めるために、地元のしおかぜ商店街に雇われてやってきたのだった。
最後に稼働している3Dプリンターを一瞥したのち、彼女はひらりと身を返した。
それから、わざと足を大振りにして歩き、厚底のパンプスでかつん、かつん、と鉄の階段を鳴らしながら、彼女は灯台を降りていった。
ショッピングモールを建てたのは、他所からやってきた兄弟経営のベンチャー企業らしい。多苔町まで電車で移動している間に、かぐやはインターネットで通称「オタクの城」と言われているこの施設の特集記事をスマートフォンで見ていた。
このショッピングモールのコンセプトは「誰でも王様」であり、施設内のタブレット端末または自分のスマートフォンからサーバーにアクセスすることで、自ら歩いて回らずとも配達ドローンが食べ物、家電製品や衣服などの商品を代わりに手元に持ってきてくれる。施設内には居心地の良いネットカフェも備わっているらしく、ここから一歩も出ることなく暮らしているオタク達が非常に多いため、「オタクの城」と呼ばれている。
経営者である三兄弟も、そういった籠城を行っていると記載があった。建築学部卒の長男「一郎」、経済学部卒次男「次郎」、法学部卒三男「三郎」による兄弟経営。長男曰く、自分たちのようなインドアのオタクのため、生活もできてしまうような複合商業施設をつくるために起業し、元々の彼らの出身地であることと、地価が安いことを理由に現在の土地に建設したとのことだ。
記事内で何度も「家族」などの生まれを強調する三兄弟の長男をかぐやは不思議に思った。
「なんでこの人は生まれた後で色々なものを手に入れたのに、生まれにこだわるんだろう」
ふらふらと、考え事をしながら歩いて、約束の時間の5分前にしおかぜ商店街にかぐやは着いた。
「ともあれ、外からやってきて弱い者いじめをするのは、よくないよね」
打ち合わせ前に、かぐやは手鏡を開いて再度、自身の顔を確認した。
ブルーの下地とマットなファンデーションで作った透明感のある肌質、それを蠱惑的に彩る赤色のアイメイクとリップ。
「さてと、お仕事、お仕事」
かぐやは気合いを入れ直した。今日の私も、最強にカワイイ。
しおかぜ商店街は、かつては宿場として利用されていた由緒のある商店街である。住人の平均年齢が年々増加する多苔町にて、先細りつつも地域密着型の商いを行っていたが、車社会のこの地域一帯においては、少し遠くとも安価で何でも手に入るオタクの城に吸われてしまったせいで、数少ない顧客がさらに減少し、売上も低迷してしまった。
そこで、商店街連合会長はなけなしの予算をはたいて対策を図るべくコンサルタントを雇った結果、かぐやに声がかかったとのことだが、果たしてどういった経緯と依頼内容なのだろうか。詳しいことはこの後に控える打ち合わせで明らかになるだろう。
商店街の一角に、メールで集合場所として指定された事務所があった。白色のぼこぼこしたコンクリートの壁に、特に看板などもなく、鉄製のドアと飾り気のない窓だけが表に構えている。所々、カラーコンクリートの塗装が剥げて灰色の地が露出しており、時間の経過が目に見て分かった。
こんな具合に、町の所々に不思議と懐かしく思えるような光景があって、かぐやはそんな瑕疵が寧ろ嫌いではなかった。剥げかけた塗装からも、「小学校の水泳の時間、塗装を剥がして遊んでたら先生に注意されたっけな」と、昔日の出来事を連想していた。
彼女は、日光を受けて生温くなったハンドルを握って、事務所に入った。その直後、空調があまり効いていないのか、むわっとした空気を感じる。
独特の踏み心地がするタイル模様のゴム床、中央に置かれた大理石のテーブル、黒革の三人掛けソファがまずは印象に残った。加えて、部屋の端にいかめしい、事務用の木のデスクが鎮座しており、タバコがこんもり積もった灰皿が書類の文鎮代わりに使われているのが目につく。この部屋をそのまま昭和館で展示しても違和感がなさそうだ。
あんまり見ていて嬉しいものでなかったので目を背けていたが、人物にもフォーカスしていこう。部屋では、小太りの中年がソファの肘掛けに凭れて居眠りしており、ツーブロックで筋肉で膨らんだスーツを着た男性が傍で立ちながら壁掛けの時計を見ていた。
彼が、時計の方向からこちらに顔を向け、中年に近寄って肩をゆすって起こした。「ん、ああぁ」と声を漏らし、急いで立ち上がり、真面目な顔を作って言った。
「ご足労いただき、誠にありがとうございます。私は、商店街で会長をやっております、甲斐と申します。こちらは商店街活性化のためご助力頂いているコンサルタントの近藤さん」
「よろしくお願いいたします」
近藤さんが、30度の礼をしたので、かぐやも礼を返しながら挨拶をした。
「はじめまして!かぐやって言います!」
視線を上げると、訝しげな表情をしている甲斐と目が合った。甲斐は急いで愛想笑いを浮かべた。
「本日はよろしくお願いいたします。本題に入る前に、まずはお名刺のほう交換できますでしょうか」
「あ、すみません。休学中ですが、大学生でして、名刺は持っておらず」
「そうでしたか……」
甲斐は不安げな顔をして近藤に視線をやった。「いちいち失礼だな、このおじさん」と、かぐやは思った。
「甲斐さん、依頼、依頼」
近藤のファシリテートを受けて、甲斐が手を揉んだり、頭を掻いたりしながらぽつぽつと語った話をまとめると、次のようになる。
しおかぜ商店街の目的は、売上を前年度並に取り戻すことである。うんうん唸りながら商店街の仲間たちとアイデアを募ったが、中々費用対効果の測定が難しい。そこで甲斐は近藤を雇い、イシューに対するソリューションを、城の打倒を論点において話し合った。(横文字部分は近藤の発言だ。)
目的を達するためには2通りの方法がある。1つ目はしおかぜ商店街を城よりも魅力的にすることで顧客を取り戻すという方法だ。
とはいえ、商店街には新しいことを行う資金がないし、歴史を重んじる立場上、あまり浮ついたことはしたくない。そもそも、バズった勢いのあるビジネスモデルに対抗するというのは中々に無謀である。
必然、2つ目の、城の運営を邪魔する方法を商店街は採ることにした。楽園には蛇を、仏陀には魔羅を、オタクには、姫を。
オタクに受けのいい女性を城に忍び込ませ、オタクの経営陣全員に好意を抱かせて関係をギスギスさせることによって、運営を破綻させる計画だ。
そこで白羽の矢が立ったのが、国営放送の深夜番組にてサークルクラッシャーとして紹介を受けて出演していたかぐやであり、学生としては破格の1人月150万円で声がかけられたのであった。
「あの~、これ犯罪じゃあ……?」
「考えようによっては、所謂ハニートラップに該当するかと存じますが、刑罰法規にはあたりませんね。やっていただくことは、コミュニケーションを経営陣に厚く行っていただくだけですから」
「正攻法は試さなかったんですか?話し合い?とか」
「私が関わる前に、甲斐さんがメールや対面で先方とお話とやらをしたらしいですが、数回機会を設けた後はアポイントメントが拒否されるようになったと聞いています」
「アポなし突撃も試みてみましたが、昨日までは事務所に行くために使えていた通路やドアが内装が変えられたのか、使えなかったりしまして……」
「抽象的に仁義や人情を求めたとのことですから、具体的に求めるアクションを固めずに交渉したのが良くなかったのでしょうね」
「面目ない……」
甲斐がしょげて俯く。問題の大きさと自身の学生という立場の対比から、かぐやは改めて解決策が一足飛んでいるというか、とんちきであると感じた。
「そこでサークルクラッシュを発想するのが何とも……そもそもですが、ずるい手段を使うことは、商店街的にはいいんですか?」
「そんな清濁が云々とは言ってられないのです!」
いままでは自信がなさそうにしゃべり、近藤の発言に大袈裟に頷いているだけだった甲斐が、突如として声を荒げた。
この間にも扱う商品・ブースを増やし続けている城のこと、大義の前には手段を選んでられないこと、文化や歴史を消しゆくニッポンへの憂い云々……。
近藤は呆れているが、クライアントであるからか突っ込みを入れられないようだ。
大事なものがあるということには共感をする。この町を一通り見て回って、懐かしさを気に入ったかぐやは城打倒に協力することを決めた。
かぐやは人差し指を唇にあててうーんと唸り、その後、大げさに頷いた。印象的なアクションによって注目を集め、ホワイトムスクの香水の匂いで場を掌握し、発言力を高めるモテカワテクニックその1だ。甲斐は目を丸くして、発言を止めた。
「いいでしょう、国営放送を見ていたとのことでご存知でしょうが、かつて10数人規模のボードゲームサークルを崩壊させたこの私に、全てお任せくださいませ」
黒いリボンの付いたピンクのフリルブラウス、短めの黒いスカート、後光を受けて天使の輪を浮かべる艶々のツインテール。今日の私も、最強にカワイイね?
「私の出演したテレビ番組を見ていても、好意的に見てくれる人っているんだな」
甲斐が用意したホテルに向かいながら、かぐやは思った。
かぐやが出演した番組は、インタビュアーが覆面の出演者に話を聞き、若者の闇を聞き出すトークショーだ。当時は良くないと思いつつも歯止めが効かずにサークルを崩壊させてしまったので、自身の正当化のためにつっけんどんな態度でコメントをしてしまい、インタビュアーのタレント二人を困らせてしまった。
ざっと次のような感じである。
Q.なにをしたの?
A.同時に5,6人の男性と交際して、それをゲーム即売会前にバラしてサークルを崩壊させた。
Q.なぜそんなことをしたの?
A.高校時代、勉強ばっかりしていたことを揶揄われていたので、大学に入ったら今までの分を取り返そうとしただけ。
Q.別に交際相手は一人でも良かったんじゃないの?
A.恋愛がしたいわけでなかったので。反面、相手に好意を抱かせるのは面白かったので、ゴールのないままエスカレートしていった。
などなど。
ぶわっと、殴り合いの大喧嘩が起きてサークルが崩壊した時の気持ちがリフレインし、その発端となる高校時代まで意識がフラッシュバックした。
「もっとみんなと仲良くしなよ」
「もうちょっと上手くやったら?」
「トクベツって自分のこと思ってる?それ、イタいよ」
――やめやめ、今の私は、このコミュニケーション能力を善なる目的に使う、正義と贖罪のサークルクラッシャーだ。
かぐやは暗い気持ちを意識して払った。
明くる日、かぐやは再び事務所に来ていた。近藤の助けのもと、城にアポイントメントを取り付け、潜入するためだ。
「近藤さん、ビジネスメールの打ち方、どうするの?」
「大体はChatAIに作らせればいいですよ。ただ、要点は箇条書きやインデントを使って見やすくした方がいいですね」
「いやいや機械では温もりがありません、時節の挨拶から丁寧に入りましてね……」
かぐやは、省ける手間は省く気質の持ち主である。
「近藤さんかしこい~」
「……」
出来上がったメールを送った30分後、城の三男から返信が来た。
「何々、誠に残念でございますが、今回の採用はお見送りさせていただく結果となりましたことを、お伝えさせていただきます……」
「ご存知かとは思いますが、少人数かつ、身内のみの経営形態を保ちたいから……」
「はぁ、私、お断り頂いたことってないんですけど、へこみますね……」
「かぐやさん、これは脈がありますよ。テンプレートを逸脱して、不採用の理由を正直に述べているからです」
近藤は三男の名前をインターネットで検索して、こめかみを指でリズムよく叩いていて考え込んでいる。数分後、顔を上げて発言した。
「かぐやさん、かぐやさんは法学部でしたよね。SNSで彼の投稿を見たのですが、クリアランスの部分でストレスが溜まっているようです。かぐやさんは能力的には三男のニーズにマッチしているはずです。長男か次男の意向で断られている可能性がある。Canを具体的に提示することで彼に味方になってもらいましょう」
結果、二通目のメールが功を奏し、明日に対面で面接が行われることになった。
城は町から徒歩30分、車で7分ほどのところに位置している。甲斐の車に載って移動していると、徐々に工事の音が大きくなるとともに、ショートケーキの側面のような白亜の壁が見えてきた。
現在の城の大きさは、3万平米といったところらしい。1ユニット10平米ほどの大きさの立方体を組み合わせ、とぐろをまいて現在もその大きさを増し続けている。着工日から単純に日割りすると、一日5百平米のスピードで増築がされていることになる。
増築予定地を兼ねる駐車場に車を停めて城の壁を間近で見ると、その面積に反してどこか存在の軽さが感じられるような気がした。商店街の建物の壁のような、思い出がそのまま刻まれているような不均一性が見られないからだろうか。かぐやは甲斐と近藤の応援を受けながら、自動ドアを通って城に入っていった。
城内は外の工事音がすっかり遮断されていて非常に静かで、壁同様3Dプリンターで作られたであろう棚がずらりと並び、静謐と調和という言葉が似合う、まるで図書館のような雰囲気であった。ただ、図書館と明確に異なるのは、司書がおらず、数体の円筒状の配達ロボットがかすかにモーター音を稼働させて動いている点だ。
それらのうち一体がかぐやの方へやってきた。
「お客様を案内するワン!」
ロボットに取り付けられた液晶ディスプレイに映る犬の顔文字の動きと連動して、スピーカーから音声が鳴った。辺りの殺風景に似合わない茶目っ気である。かぐやが可愛いと言いながら液晶をつついて液晶上の犬を困らせていると、急に、映像がスウェット姿の男に変わった。
「かぐやさんですね?」
「え、あ、はい。すみません」
何故か謝りながらかぐやは返答をした。城の入口付近で案内をすると事前に連絡があったので、恐らく彼が三男だろう。舐められてはいけない。
「あのー、こっちです。着いてきてください」
「はーい!」
まともなはじめましての挨拶やアイスブレイクもなく、ロボットが方向転換をして動き始める。結構な速度で離れだしたロボットを見て、かぐやはわたわたと着いて行く。ここから既に試合ははじまっている。遠のく彼に向かってかぐやは、はきはきとした声で問いかける。
「気になっていたんですけど、増築して入口とか内装って変わらないんですかー?」
ロボットが横を向いて返答をする。
「1立方体ユニットの四方にドアを取り付けて、アクセスに支障がないようにしています。上から城を見た際、内界と外界の境界とx軸の交点の駐車場側に入口を配置、第一象限はショッピングモール、第二象限・第三象限は私たちの住居も兼ねるバックヤード、第四象限はネットカフェとして機能を持たせ、適宜、顧客の要望に応じて区画を整理しています」
「へー、内装も3Dプリンターだなんて、徹底していますね」
かぐやが追いついたのを確認して、今度はスピードを抑えてロボットが動き出した。
2分ほど歩いた後に、カメラによる認証付きのゲートに着いた。似たような風景ばかりが続くものだから、かぐやは会話のフックが尽きかけ、三男との話がダレつつあったため安堵した。ロボットが認証をクリアし、扉が開く。
しかし、また、ショッピングモールと同じような風景が続いていた。
「面接室まで、あとどれくらいですかね……?」
「ご安心ください。来客向けの設備はこのゲートのすぐそばに固まっています」
かぐやの疑問に答えた男の声が、肉声も加わって二重に聞こえた。ロボットが、少し進んだ先の扉で停止し、ディスプレイに扉のほうを向く矢印を浮かべた。かぐやはノックを3回して入室した。
面接室には長男・次男・三男が揃っていた。彼らは、野球のユニフォームに描かれたロゴのようなフォントでCastleと書かれた赤・緑・青のオリジナルスウェットを着ている。わざわざ作成しただろうに、その服のデザインがダサいので、かぐやはすんでのところで吹き出すところだった。
次男・三男はこちらを真っ直ぐに見ているが、長男は俯いているのに加えて、前髪がかなり長いため、表情が良く見えない。人の反応を見て発言を変えることに長けているかぐやは、うまくやれるのか少し不安に思った。
面接は自己紹介、志望動機、希望シフトについて質問され、つつがなく進んでいった。
次男から「これ以上のビジネスの拡大はどうすれば良いか」という難しい質問が来たが、かぐやは「店舗・従業員・コンセプト」という単語を並べて反応を伺い、一番強く反応した「従業員」について「もっと増やすべき」という意見を返し、次男から「僕もそう思っていたんだ」という同意も得られた。
その次男の様子からかぐやが半ば合格を確信した直後に、長男から質問が来た。
「兄弟経営の邪魔をすることに、罪悪感はないのですか?」
次男・三男が、渋い顔をした。ここがターニングポイントになりそうだ。かぐやは相槌を打ちながら時間を稼ぎ、返答を考えた。個人的な考えを述べるのは避けて、一般論を返答しよう。
「お考えは尊重しますが、企業経営としてレアケースである以上、別の経営形態にメリットがあるはずです。一度、私を試金石にしてそれを測ってみるのはいかがでしょう」
近藤の真似をした、精一杯の発言である。長男はある程度納得したのか、視線を上げて頭を掻き、考える仕草をしている。
結局、そのまま長男は沈黙したまま、面接は終わった。30分ほど後に、三男より一か月の間、試しに採用するとの連絡が来た。
面接後、かぐやは商店街の事務所までタクシーで戻ったが、そのまま今後の作戦会議を兼ねたささやかな合格祝いが開かれることとなった。
事務所の大理石のテーブルの上に置かれた、甲斐が用意した料理の中に、お粥で魚を和えたような、見覚えのない料理が混じっている。
「甲斐さん、これ何ですか?」
「それはハタハタ寿司ですね。麹と酢でハタハタを一月ほど付けた郷土料理です。昔、最新技術だ何だので寿司用に鮮度のいい魚を卸している魚屋がありましたけど、この地にとってはやはり、ハタハタ寿司こそが本当の寿司ですよ」
かぐやは、調味液でてらてらしているハタハタを、一つ素手でつまんで食べた。魚臭さと酸っぱさを最初に強く感じる。そののちに、発酵されたもの特有のうまみがじわじわとやってきた。
「うーん、伝統の味ですねぇ」
「そうでしょう!そうでしょう!」
手放しで褒めた言葉ではなかったのだが、甲斐はそれを聞いて喜んだ。甲斐も紙袋から割り箸を取り出して食べようとしたところで、近藤が咳払いをした。
「まずは最低限の作戦会議だけはやってしまいましょう。甲斐さんがお酒を入れてしまう前に」
甲斐はしょんぼりと肩を落とした。
面接時の三兄弟の受け答えの情報を近藤がまとめ、一同はそれを基に今後の方針を定めた。
結果、次男と三男への接触は容易であることが予想されるので、仕事を真面目にこなして彼らの信頼を獲得した後、それをパスとして長男にも繋がっていこう、ということにまとまった。
「どうにも、彼らは能力だけを評価しているわけではないと考えます。かぐやさん、真面目さ・真摯さだけは崩さないでいてください」
「分かりました!人の喜ぶことをするのは、得意なので!」
「その後には分断していただくのですけどね……」
「正義のサークルクラッシャー、なので」
近藤とかぐやはニヤリとあくどい笑みを浮かべた。
試用期間中、かぐやは最初の一週間ほど、法務担当の三男の手伝いをすることとなった。実際に城の執務室で三男に傍付き、法務・商標・特許・クリアランスにおける確認事項を似たカテゴリ、回答までの期限、重要度の順でソートし、三男に渡す秘書的なポジションだ。三男が残業続きなことを把握した彼女は退勤後もマメに連絡し、たまに、差し入れも持って行ってやった。
モテカワテクニックその2。諸々の受け渡しの時に、わざと自分と相手の手を接触させるべし。
「三郎さーん、ドーナツ買ってきたのでいかがですか!」
「ありがとう、十六夜さん。あ、か、かぐやさん」
三男は耳を赤く染めた。彼は、こちらの好意を伝えていれば、自然に好意を抱いてくれるタイプだ。
そのうち、彼の方からプライベートのSMSに連絡が来るようになった。後は彼女の土俵である、まず、三男の心を溶かしたことをかぐやは確信した。
次の1週間、かぐやはマーケ・プロモ・経理計上を担う次男のもとで働くこととなった。定量的情報の取り扱いは自動化されているが、定性的な情報や事務連絡等まで中々手が回っていない次男のことを彼女はサポートした。サイトのUIデザインや、インタビュー記事の監修等を純粋に楽しめた彼女は、「将来こんな仕事に就こうかな」などと思いながら仕事をし、自身のプロモアイデアが次男に採用された際には仕事へのやりがいを感じた。楽しく仕事をこなすかぐやを見て、次男も元気をもらったようで、昼休憩なども始終ともに付き添い、にこやかに仕事の話をしていた。
モテカワテクニックその3。どんなにつまらなくても、専門用語はオウム返しにして、にこやかに頷くべし。
「かぐやさん、この商品カテゴリの各種KPIどう思う?ちょっと入れ替え検討した方がいいと思うんだけど」
「そうですねー、特にこのKPIとか低いかなーって思います」
「かぐやさんは賢いなぁ!」
次男は、自分の中で決まっている答えを語ってもいい人を好きになるタイプだ。彼の方から、プライベートのSMSに連絡が来るようになったのは自然な流れである。後は彼女の土俵だ。次男を虜にしたことを、かぐやは確信した。
試用期間3週目は、長男のもとで働くものだとかぐやは思っていたが、その週は、次男と三男の仕事を営業日毎に相手を変えて手伝うことになった。
幸か不幸か、もはや意図せずして、既に次男と三男はかぐやを巡って牽制しあっている。残るかぐやの仕事は長男の攻略のみとなったが、まだ、長男に碌にコミュニケーションを図れていないにも関わらず、試用期間終了が徐々に迫ってくる。
商店街サイドと作戦会議を行い、長男の部屋のドアの前に手料理を置いたりなどベタな行為をしてみたが(引きこもりに対するお母さんみたいだな、とかぐやは思った)、うんともすんとも言わず、出てくることはない。ただ、事務的なメッセージのみ、彼が対応する膠着状態に陥っている。
そうこうしているうちに、試用期間は残り2日間となってしまった。
「さすが~」「すご~い」「知らなかった~」「センスいい~」「そうなんだ~」で次男と三男相手にその場を凌ぐコミュニケーションを行い、長男への接触機会がないか虎視眈々と意識を払っていたもの、特に進捗がなく事務所に帰った試用期間終了2日前だったが、反省会を行っていた午後10時頃に長男から「今から城に来れませんか?」というSMSが届いた。
甲斐・近藤は酒が入っていたので、甲斐の奥様に送ってもらって城に来たかぐやが見たのは、今朝訪れた際にはかけらも形がなかった、この町の灯台を遥かに凌ぐ高さを持つ、展望台らしき円柱だった。城というよりは迷宮という方が近かったCastleは、主塔が出来たことによってその名にふさわしい威風堂々たる雰囲気を放っている。
車から降りて見入っていたところ、「入口の横に塔まで上がる階段があるので、昇ってきてください」というメッセージを受信した。
丁寧に手すりがついているとはいえ、即席であろう細い階段を歩くには中々の勇気が必要だった。数日前から吹き始めた、やませという東北地方の冷たい湿った風も相まって彼女の身を震わせる。城の屋上に昇ったかぐやが見たのは、円柱に蔦のように絡む螺旋階段と、それを蜘蛛の巣状に支える3Dプリンター特有の基礎だった。
「主塔を登ってきてください、そこに僕はいます」
「わかったニャン」という猫のスタンプをかぐやは返した。「一体、長男は何が目的なのだろうか。なにもわかったニャンじゃないぞ」と思いつつ。
遮るものがなくなり、より一層主塔の階段に吹く風は勢いを増した。おおよそ20~30mほどの高さを昇ったのだろうか、ようやく彼女は最上階に着いた。胸壁で囲われているほかには何の装飾もなく、中央には天体望遠鏡を覗いている長男ぽつんと立っている。彼がかぐやの存在に気づいたのか、口を開いた。
「バビロンの架空庭園、僕はあれが好きだったんです」
「え、急になんですか?」
長男は覗き口から顔を離してかぐやを見た。彼は唾を飲み込んだのか、喉仏が上下した。
「はじめは、ヘロドトスの高さ100mの居住空間という記述を見て興味を持ったのですが、バビロニアの王ネブカドネザル二世が妻のために作った箱庭世界というエピソードを知って、もっと好きになった」
「へ~、知らなかったです~、ロマンチックですね!」
彼の表情は相変わらず伺い辛いが、長男は渋い顔をしたように見えた。しまった、ロマンチックなシチュエーションだと思ったが、真面目に返さないといけなかったか。かぐやが押し黙ったのを見て、長男が言葉を続ける。
「開かれた世界で他人と暮らすと、問題が生じることを知っていたんでしょうね。当然、完璧な世界というのは、フィクション故ですけれど」
「やっぱり、現世ではもはや閉じた空間なんてものはない。そんな空間があるとすれば、地球から出て、月くらいにしかないと僕は思うんです。それを十六夜さんを雇って再確認しました」
彼にとって、自分の存在は外部と関わるメリット以上にデメリットがあることを感じさせた、ということだろう。サークルクラッシュは意図した行為だったので、かぐやには返す言葉がなかった。
「十六夜さん、お願いです。僕たちを見逃してください。少なくとも僕は変化を望まない。やっぱり、家族以外は信頼できないんです」
そう言うと、長男は望遠鏡を担いで足早に降りて行ってしまった。
「待ってください!」と、一先ずかぐやは声を掛けたが、設計者のみが知っている抜け道でもあるのか、すぐに撒かれてしまった。SMSで連絡しても、既読無視だ。
「引きこもって、静かな生活を暮らしたいって、じゃあ、なんで商店街をいじめるんだよ……」
かぐやは独りごちた。冷たい夜風が、ただただ侘しい。
「かぐやさん、長男とはどんな会話をしたのですか」
宴会に戻ってきたかぐやに、へべれけになった甲斐が話かけてくる。
「はぁ、ちょっと意図がよく分からない話をしてきたのですが、長男さんとはまだまだ仲良くなれなさそうなことが分かりました……。試用期間の継続も難しそうですし……」
長男の弱さを見て、かぐやの酔いはすっかり醒めてしまっていた。その様子を見て、近藤が甲斐に話しかける。
「甲斐さん、この計画におけるワーストケースは、三兄弟の攻略が完了せずに試用期間が終わり、彼らとの接触機会が失われることです。ここで提案なのですが、長男はだいぶ人間性に問題があるようですので、次男・三男を追い出せば、自然と城の運営も出来なくなるのではないでしょうか。ベターな選択を採ることをぜひともご検討ください」
「そうですねぇ……。分かりました、それでいきましょう。かぐやさん、やっちゃってください!何をどうするかは私には分かりませんけれど!」
「大丈夫です、君は良くやってくれましたから、次男・三男が機能不全になるのでしたら、お金はちゃんと満額お支払いいたしますよ」
甲斐と近藤がかぐやを見つめる。「バリバリ仕事するぞ!」という気分ではないのだが、商店街の都合も、契約もある。今更引き返せないのだ。
かぐやは、次男には「長男と三男」が、三男には「長男と次男」が正式雇用に反対しているので助けてほしいという旨をそれぞれにSMSで伝えた。次男、三男から詳細を尋ねられたので、数回ラリーを行った後、ぱたりと連絡が途絶えた。その日、この町では滅多に鳴ることのない、救急車のサイレンが聞こえた。
翌日、城へとかぐやは赴いた。次男と三男をより拗らせるための計画を練ってきたのだが、そもそもオフィスに彼らがいない。
長男に何があったか話を聞くため、彼の部屋まで移動してドアをノックした。その直後、物音がして、凄い力でドアが叩き返された。
「お前!やっぱり商店街の人間か!お前らは、また僕から家族を奪っていくのか!」
かぐやは急な音に驚き、後ろによろめいた。長男はかなり気が立っているようだ。その様子を見てかぐやは次男・三男がこの場にはいないことを察した。
しかし、「また」という言葉はどういう意味だろうか。
「……また、ってどういうことですか?」
「……知らないのか?」
長男の恨みは、彼女が想像していた方向性とは少し異なっていたので、恐る恐る疑問を口にした。
「教えてやるよ、お前がどんなやつらに味方したのかを」
お前も知っているかもしれないが、元々、僕たち家族はここに住んでいた。
食品関係のメーカーで研究していた父さんは、テナントが安く空いているのを機にして母さんとこの町に移り住み、しおかぜ商店街で小さな鮮魚店を開店した。元々、商店街には大きな魚屋があったけれど、その差別化として、鮮度を保つ最新技術の研究と適用をすることをセールスポイントとしてな。
それからしばらく後、父さんの研究が実を結び、ホテルにも魚を卸し始めて界隈で揺るがない評価を確立した頃のことだ、この町で魚の産地偽装が行われていることが発覚した。さっき言った、大きな魚屋が、父さんがうまくいっていることに焦って、量でカバーしようとしたんだろう。
ところが、その魚屋が犯した産地偽装は、商店街の連中が口を揃えて父さんの仕業ってことにして、父さんは賠償責任を負った上、店を畳むことになってしまった。結果、僕たちが人生をやり直せるように、父さんは負債を全て受けて母さんとは離婚し、僕たち兄弟は母さんと東京の実家に引っ越すことにした。
身内の犠牲の上で成り立つ生活ってのは、この上なく味気がないものだ。罪の意識を覚えながら時間が流れてゆき、ある日、マグロ漁船でしごかれて肺を患った末に父さんが死んだと訃報が届いた。
その時、僕は、家族を壊した商店街への復讐を誓ったのさ。それが、城をここに建設した理由だ。
「哀れだな、僕は。復讐って気張ったはいいものの、結局、父さんと同じで家族を失った」
「次郎と三郎はお前のことを庇っているらしい。僕が何を言ったって聞いちゃくれない」
何が、正義のサークルクラッシャーだろうか。これでは自分一人が悪者で、前と同じ失敗を繰り返しただけではないか。かぐやは狼狽えた。
自分のコミュニケーションを、過去を、正当化しようとしていたが、本当にすべきことは別にあったのではあるまいか。そもそもの方法をかぐやは違えていたのだ。
「ごめんなさい、私知らなくて……」
「すぐに謝るくらいだったら、はじめからやるなよ!」
「すみません……」
彼女はしゃくり上げながら謝った。
元々、彼女が犯した最初のサークルクラッシュの動機は、自己実現だった。
高校時代、一人孤独に勉学に励んでいたら女子のコミュニティで孤立し、険悪となった経験から一人で好きに生きていくことなど叶わないことを察した彼女は、人の時間を、感情を奪うことによって自身の価値を担保しようとした。けれども、エスカレーションを止めない、歪な構造は破綻が運命付けられている。
結果としてコミュニティは崩壊し、道具として洗練させた人から利を得るための彼女のコミュニケーション手段は使い道を失った。
それから、目先の失敗から学習したつもりになって、手段の使い道を改めようと本件に携わったのだったが、目的を抑えるべきだったのだろう。
誰が、誰に、何をするべきなのか、再び彼女は考えた。しばらくした後、彼女は服の袖で涙を拭いながら言った。
「私が、何とかします」
長男からの返事はなかった。
城から出たかぐやは、甲斐に依頼がうまくいったことをSMSで報告した。そして、事務所には寄らず、そのまま宿に戻っていった。
ホテルの部屋に籠って考え続け、城のために出来ることを彼女は思いついたので、日が変わって契約満了となったことを確認し、すぐに近藤に連絡をとった。現在の契約の縛りと計画していることについて相談するためだ。
彼女から見た近藤のスタンスは金である。利があるとみたのか、予想通りに彼は電卓を叩き、彼女への助力を承諾した。
続けてかぐやは、次男と三男に商店街に雇われていたことを正直に伝えた。両者から電話が来て、まずは怒号が浴びせられた。数時間の間、細かく事情を話してひたすらに謝った。その後に、恥を忍んで、近藤作成の資料を共有し、計画を説明した。
「まあ、かぐやさんのことは信じられないけれど、数字上は嘘がなさそうだし、兄ちゃんのためなら……」
「ぼちぼち僕らも好きに生きていきたかったし、兄ちゃんも、そろそろ前を向くべき頃だよな」
長男への家族愛ゆえに何とか彼らの理解が得られ、計画への協力を取り付けることが出来た。
明くる日、長男に向けた万全の口説き文句を用意して、かぐやは近藤、次男と三男を伴って城にやって来た。
昨日と同じく、かぐやは、長男のいる部屋の扉をノックする。城のバックヤードに、大きな声が響いた後、ひそひそと会話の音が続いた。
それから数日後のことだ。
車でわざわざ城までやってきて、かぐやのおかげで工事が止まった城を見るのが、甲斐の新たなモーニングルーティーンとなっていた。
「コミュニケーションの出来ない設計専門の長男では、城の運営と成長は見込めないでしょうな」
「やっぱり、しおかぜ商店街が多苔町でナンバーワン!」
と、甲斐は満足しながら缶コーヒーをすすった。
ところが、その朝に再びモーター音が聞こえはじめた。3Dプリンターが稼働しはじめ、城の増築が新たにはじまっている。甲斐は慌てて近藤に電話をかけた。
「これはどうなっている!?」
「兄弟経営は終わりましたが、私どもが仲介して、別の会社に売りました」
「城の経営を邪魔するという契約はどうした!契約だぞ!」
「ちゃんと私も、かぐやさんも契約期間外に動いていましたよ。当該の契約について、その後を縛る項はございませんでしたので」
かぐやが練っていた計画とは、城の運営を別の企業に買収させることであった。復讐に縛られていたままでは、長男が本当に望む、閉じた完璧な世界から遠ざかると考えたためだ。かぐやはこの数日、三兄弟の仲直りを主導し、近藤と長男を結び付けて城の買収契約を締結させていたのであった。
現在、甲斐の目の前で稼働している3Dプリンターは、先月までの台数より明らかに多い。近藤は一体どんなの企業に売ったのだろうか。これから来るであろう道楽経営でない経営戦略に、甲斐は絶望した。
数か月後、Castle2号店、3号店の開店が日本でニュースになっている一方、一郎とかぐやは、月で生活していた。
はじめは贖罪のつもりで一郎と対話していたかぐやだったが、その優しさと傷付きやすさ、静かに満たされた生活への憧れに共感し、惹かれていった。
この人と暮らしていきたいと思ったかぐやは、かつて一郎が城の主塔で話してくれたことを別の方向で解釈して「月だったら完璧な世界を作れる」と熱く提案した結果、そこまで付いてきてくれるなら本当の好意だろう、と一郎も心を許したのであった。
恋人関係となった彼らは、時には次男・三男の力を借りつつも計画を具体化し、施設を売ったお金で月旅行の会社を買い取り、月への転居を実現したのであった。
月こそ、3Dプリンターが活躍できる場所である。地球でパーツを生産、月まで運ぶなんてことをしなくとも、月で施設を直接建ててしまえば良いのだから。
一郎は、建築に法的な縛りのない月の静かの海に、能う限りのバビロンの架空庭園のディテールを盛り込んで、大きな城を建てた。
アクリルガラスで太陽光を存分に取り込んだ玉座の間で、一郎とかぐやは二人だけの会話を楽しむ。
「私、可愛い?」
「ああ、世界で一番可愛いよ」
彼らは満ち足りた笑みを浮かべた。そのまま、今日も二人は、死がふたりを分かつまで、地上では叶うことのない二人だけの悠久の日々を送ることを誓い、キスを交わしたのだった。
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