梗 概
未定
※入院治療のために前回出せなかった梗概修正分の実作を、今回のお題にて提出予定です。相棒となるAIを「変なペット」として描けば当てはまるかと。取材協力くださった方との約束は果たしたいので。
※梗概を提出しないで実作が投稿できる仕組みか分からなかったので、念のために提出しました。拙さの目立つ内容で申し訳ございません。
「トリック・オア・バイオメトリックス」梗概修正分
ハロウィン近づくカナダ東部の田舎町に、移動式サーカスのテントと遊園地が設置された。感染症対策の顔認証用カメラ(映る側は自分の姿を目視不可)を入場口に置くと、外見は普通の人間の子達の中に、エイリアンのような異形の姿でカメラに映る者が現れる。現場担当のカナダ人男性Aはシステムの誤作動を疑い、製造元の日本企業に問い合わせ、SE担当の日本人男性Bが調査に来訪。顔認証に必要な生体認証技術(=バイオメトリックス)のシステムを調べたが異常はなかった。「画像認識はAIの深層学習により培われたもの。蓄積してきた膨大な数の画像の中に、エイリアンとみなすための特徴量(=顔バランスや表情を含む個人情報)があるはず」とBは言い、過去の分から該当データを抽出。異形に映った子らとの共通事項を探る。実は奇怪な現象の起こる少し前に、町の小さな湖に隕石が落下していたが、それと今回の件に何か関係があるとは二人とも思い至らなかった。
異形に映る子たちは、腕を振り回すと見えない力で物が吹き飛ぶ等、超人的能力を見せ始める。実体はエイリアンではと、AとBは警察に相談するが相手にされない。事態解明のため、二人は独自で新データの収集に努める。屋外のドローン撮影で、子らが隕石の落ちた湖で遊ぶ映像を捉えた。カナダの秋は寒いはずなのに、楽しげに笑う姿に不信感を覚える二人。顔認証用カメラが彼らの姿を映すと、湖で水に触れるうちに、異形の度合いが増していく。そんな子らの中にはAの幼い娘の姿もあった。
B曰く、「隕石の成分摂取による遺伝子の突然変異では?」抽出した過去データと子らとの共通事項の一つに、過去に隕石が落ちた地と異形に映った人物の撮影場所が近いという事実も発覚。湖を独自に調査した結果、隕石の欠片を発見。製薬企業勤務のAの妻が、隕石を分析すれば元に戻せる薬を開発できるのではと提案する。
AとAの妻、Bの3人で製薬企業の重役(自分の子の異変に気づいた)に掛け合い、新薬を急ピッチで開発。娘に投与すると、カメラでの姿も能力も元に戻る。しかし、正常なマウスの臨床試験では副作用が強く出て無差別には使えず、子らはバレないよう悪戯するので親の協力も仰げない。企業は隕石の毒性を指摘し、湖は封鎖される。また、新薬とすると国の審査で年月を要するため、健康補助のサプリとして合法的な策をとる。
Aの妻が、ガンの病変を顔認証技術で見分ける内視鏡検査の話をする。「ガンにも顔つきがあり、ガン化する前のポリープを高精度のアルゴリズムで解析できる」その技術を活用すれば、異変の進行度に関係なく遺伝子変異の有無が判別可能とBが思いつく。Aが奔走して築いたデータベースに、さらなる最新技術※も搭載されて「エイリアン」認証率99.9%のバイオメトリックス・カメラが完成する。
ハロウィン当日、子ども達は顔の一部が隠れた仮装で来場するが、新カメラで遺伝子変異の有無が瞬時に正確に判別され、異形の姿で映った子らには新薬成分入りの飴が配られる。食べて元の姿に戻ったと園内の特殊モニターで確認し、安堵するA達。だが、一人だけ耐性の強くなった子がおり、映像に異形の姿を残して逃走する。A達が追いかけた先には件の湖が広がっており、隕石が落ちたときと同様の光がうっすらと水面に瞬いた。
気落ちするBに対し、Aは科学専門外の自分も最新技術の向上に貢献できたと実感。「救われなかった子をいつか救うためにも、協力し続けたい」AはBにそう言って研究意欲をかき立てる。
文字数:1617
内容に関するアピール
アピール文は前回の梗概分に同じ:
※前回の梗概にて、「新種の楓の樹液摂取による遺伝子の突然変異」とありましたが、「町の湖に隕石が落ち、謎の成分が湖に浸透してしまう。そこで子ども達が泳いだことで体内に影響を与える」という内容に変更します。アイディアをご提案くださった受講生の藤 琉様、誠にありがとうございます。
※受講生の渡邉清文様、結末に余韻を持たせた方が良いとのご助言に深く感謝申し上げます。
一人だけ逃げた子どもを追うと、その先には湖があり、水面がうっすらと光っていたという描写を追加しました。
文字数:245
トリック・オア・バイオメトリックス
かすり傷の多い手で、俺は思わず十字を切った。神様、何事もなくみんながアトラクションを楽しめますように。作業着の腰をひねって辺りを見回す。ジェットコースターに乗って無邪気に叫ぶ子どもたちが、ときおり両手を離して自らの勇敢さをアピールしている。彼らにスマホを向けて手を振る親たちのそばを、一陣の風が紅葉を乗せて通り過ぎた。橙や赤、その中間色などのカラフルな軌跡が、熱帯魚の群れのように素早く動く。メリーゴーランドの回転も、西洋竹馬を履いたピエロの踊りも、視界に入るとつい目が追ってしまう。この移動式遊園地とサーカスのテントは、カナダ東部の田舎町にとっては数少ないエンタメの世界だ。
十月最初から1ヶ月間、1年に一度行われるこのイベントに、俺は現場のシニアパートナーとして携わってきた。三十路手前から始めて早6年目になる。
先月に資材コンテナの縁を持ち上げたら、錆で軍手の指が黒ずんだ。俺たち住民と一緒に年を重ねてきた証拠だった。中の機材から組み立てられるアトラクションは、昔からの良き遊び相手だ。
今日、晴れて開園を迎えたが気は抜けない。初日のトラブルだけは避けたかった。
「顔が怖いぞ、エリック。モンスターと間違えてガキが泣くぜ」
同僚のチャドがそう言って、俺にレモネードの紙コップを突き出した。もう片方の手にはソフトクリームのコーンが握られている。設備点検の見回りに出かけたはずだったが、実際は食べ歩きを楽しんでいたに違いない。プラスチックのアヒルよろしく、彼の出っ腹が一段と膨らんで見えた。
園内で魔女の衣装を着た幼女がやみくもに杖を振り回すのを見て、チャドが目を細めた。
「気の早いハロウィンだな。今年が初めてか」
「去年も来てた、タミーだ」と俺は即答した。
「よく覚えてるな、さすが歩くメモリー」
「その呼び名は止めろ。あの子はうちの娘と同じスクールだしな」
「そういや、メグは元気か?」
7歳になる娘の話題が出て、今度は俺の顔がほころんだ。大事な一人娘のメグは、白人の俺よりもインド系アメリカンの妻に似て東洋的な美人だ。運動神経の良い所は俺譲りらしい。可愛さと我が儘な性格に、父親の俺は振り回されてばかりだ。
「好奇心旺盛で手がかかる」
「病弱よりはいいだろ」
コーンの残りをバリバリとかみ砕く音が続いた。
「でもあの時は困ったな。ほら、隕石騒動の」と、俺はパラトルーパーの方角を指さした。
ポールを軸に回転するパラシュート型の乗り物の向こうには、雑木林が広がっている。カナダではお馴染みの楓やブナ以外に林檎の木も生えていて、散策にはおあつらえ向きだが、問題はそこを抜けた先のレンデル湖にあった。湖面に隕石が落下したのを、メグを含む数人の子ども達が目撃したというのだ。
「この1ヶ月で隕石の欠片も見つかってないんじゃ、疑わしいけど」
「流星なら見た大人もいる。昼間で見間違えた説が有力かな」
我が子が嘘ではないと主張するなら、せめて「見た」という認識は信じてやるべきだ。子ども達の保護者は誰もスマホを買い与えておらず、証拠となる動画もなかった。
俺はレモネードを飲み干した。すっきりとした酸味と甘さが喉を伝い、自然と深い息が出る。肩肘張っていたのが少しほどけた。
『トラブル発生。テスターさん、メインゲートまで』
ふいに入った無線アナウンスで、インカムを着けていた耳に緊張が走った。名字にさん付けという他人行儀さも馴染めない。
メインゲートに着くと、俺を呼んだ若い男性スタッフが半分笑ったような困り顔を浮かべていた。案内されたのはゲートにある簡易なモニター席で、入場用に設置されたカメラの映像がノート型パソコンに映し出されていた。レンズに映った人間の体温を自動測定するこのカメラには、顔認証機能が搭載されている。人口5万人以下の田舎町では感染の輪も広がりやすいからと、予防対策に去年から導入されたものだ。スタッフの誘導で入場客がカメラの前に立つと、数秒後には電子音が鳴り、同時にパソコンに対象者の体温の数値が表示される仕組みだ。カメラ本体にその様子は表示されない。
レトロなゲートの看板を背景に佇むハイテクカメラの、白くて滑らかなカバーが時代差をより強調させていた。
「どうした?」
「入場客の映りが変なんです」
スタッフがマウスを操作して、気になった映像を録画済みのデータから拾って俺に見せた。画面に表示されたのは、ローティーンの少年に近い体格だった。
「フッ、いいセンスだな」
一目見て俺は吹きだした。格好が奇抜すぎる。ハンマーヘッドシャークのような左右が横に突き出た頭の着ぐるみで、その下の顔には、ほころびかけた花のつぼみに似た渦巻きが密集していた。ディテールにこだわっているのか、双眸に当たる部分だけ、渦巻きの中央が飛び出している。しかも両腕が膝近くまで伸びて、手先はドラゴンの爪のように尖っていた。スポーティーな服装とのアンバランスさも甚だしい。
「ハロウィンの先取りだろ、パークにもいたぜ」
「違うんです、実際は普通の外見でした。こちらも見てください」
スタッフはもう一台のパソコンに移った。園内の防犯カメラの映像が、分割で画面に表示されている。予め保存しておいたらしいデータの映像が、素早くスタッフの手で再生された。
「さっきの子です。ゲートのときも同じで、何もかぶってませんでした」
「確かに服装はそっくりだ。本当に何も?」
スタッフに念押ししながら、パソコンに顔を近づけた。最近のカメラは解像度が高いと改めて感心しつつ、その子の顔を注視する。タミーの時もそうだったが、昔から人の顔を覚えるのは得意で、大抵の奴は一度見たら忘れない。実際に見かけたときのためにと、なおさら目に焼き付けた。
「この子には何か言ったか?」
「いえ、黙って通しました。体温は平熱判定が出たし、待たせてカメラを見せろと言われたら、面倒なことになるかと」
当時ゲートにもう一人いたスタッフも、同じ状況を見たと証言した。俺は頭を抱える。
「変なアプリでも入れられたのか」
「ありません、設置前に確認済みです」
「カメラ認証入ります」と他のスタッフから俺たちに声がかかった。
メインゲートに新たに訪れたのは親子連れだった。母親に手を引かれているのは、メグと年格好の近い女の子だ--とそこで、隣のスタッフがあっと目を見開いた。視線の先を辿って、俺も二度見した。自動で顔認証を始めたカメラが、またもや異変を映し出していた。
「なんで子どもだけが」
モニターの画面に映っていたのは、さっきと同じ妙な着ぐるみの頭部と尖った爪を持つ、小さな異形の存在だった。それと手をつなぐ母親は、見たままの格好で全身が映っている。普通の人間の姿で。
「ウイルス感染でしょうか?」
「これって去年みたく、カメラとセットのレンタルだよな。リリース元に至急連絡してくれ」
今回も体温判定はクリアしたため、とりあえず親子の入場を許可した。頭が混乱してきて、こっちの体温が急上昇しそうだ。
「とんだ悪戯だな」
これら機材のメーカーは大手の日本企業で、カナダでの認知度も高い。去年はエラーが皆無だったこともあって、事前チェックには立ち会わなかったのだ。信頼していただけに不信感が募った。
初日にいきなり出鼻をくじかれて、俺はまた十字を切りたくなった。ハロウィンなんて悪魔や魔女の格好を認めるようなイベントに、神様が手を貸してくれるとも思えなかったが。
*
リリース元に問い合わせた結果、トロント支社の日本人社員が週明けに来てくれることになった。嘘にも取られかねない案件に、まずは現地の人間をよこして確認させたいのだろう。カメラは昨年からバージョンアップしてあるため、そのバグの可能性もありえるとのことだった。
トロントから町のベアリーまでは、車で北上して約2時間はかかる。指定時刻にグレイハウンドのバス停留所で待ち合わせていると、白いマスクを着けた日系人の男が俺を見て近づいてきた。着ているロングコートの下はスーツではないが、品の良さそうなニットセーターとズボンのコーディネートは垢抜けていた。俺が掲げ持つ担当者名の書かれた紙を、近眼なのか目を細めて凝視している。猫背のせいもあって背丈が5フィート半にしか見えず、俺は一瞬、日本人学生を出迎えるホストファミリーの気分になった。
「エリック・テスターさん? あ、担当のルイ・オバラです」と男が声をかけてきた。
マスク越しでルイの声はくぐもっていた上に、日本語訛りが強かった。理由を言ってマスクを外してもらうと、顎の細い童顔が露わになる。決して痩せぎすではないが、欧米系の発達した胸板に比べれば、体つきはまだ10代に見えなくもない。自己紹介をしあうと、年が30過ぎと知って驚かされた。大学卒業後からずっと同じ会社で顔認証システムの研究をしてきたのだという。
「日がなパソコンと睨めっこするなんて、俺には耐えれそうにないな」
「研究と言っても、データ収集は外に出て行います。町の人に声をかけて、様々な角度から何十枚と顔写真を撮らせてもらうんです。日本にいた頃はニューヨークやブラジル、果てにはアフリカにも行ったりしました」
「案外アクティブだな」
「こう見えても僕は登山が趣味で、体力には自信があります。仕事のことなら、徹夜も厭いません」
目を細めずとも瞳は小さいが、熱意が宿っていて、発音にも力が入っていた。英語は短期留学と独学だけで、トロントの支社には数ヶ月前から転勤になったばかりと、発音の拙さを詫びられて戸惑った。俺のカナダ訛りも似たようなものだ。
自家用車での移動を経て、町の遊園地に到着した。ルイは自前のiPadとパソコンをメインゲートにセッティングして、件のカメラを早速調べ始めた。先週の映像は既にメール経由で見たとのことだ。
「隠れ層の計算過程で、何か問題があったのかもしれません」
「隠れ層って?」
俺が問うと、ルイはまず、顔認証システムについて初心者向けに説明してくれた。「人の目の網膜が画像の光の刺激を電気信号として伝達し、脳が視覚処理を行う」、この脳の情報処理の働きを数理モデルに置き換えて、画像認識を行う構造を持つ「機械のようなもの」、それがAIのニューラルネットワークなのだと。
「理系にしてはファジーな例えだ」
「パソコン等の機械は、ニューラルネットワークを構築するための、いわば箱なんです。ニューラルネットワークは、入力層・隠れ層・出力層の3つに分かれていて、その隠れ層が何層にも重なっているから、『ディープ・ニューラルネットワーク』と呼ばれています。それ自身が学ぶから、『ディープ・ラーニング』と言うんです」
「ややこしいな。俺の娘の方が、よっぽど理解できそうだ」自嘲すると、ルイが嫌みには見えない笑顔を作った。
「お嬢さんに、折り紙を教えたことはありますか?」
「俺はないが、去年ホームステイに来てた女子高生がよく教えてくれたよ」
「折り紙を見ずに適当に折ると、紙の角度が違っていたり接点がずれていたりして、ぐちゃぐちゃになりますよね。ディープ・ラーニングの始まりもそれと同じで、何も分からない手探りの状態です。そこで最初の入力層に与えた数値に、層をつなぐシナプスを進むたびに重みをかけたり、バイアスを足したりして、何度も試行錯誤させて『正しい折り方』を習得させていくんです」
「さっき言ってた隠れ層は、その折り目みたいなものか?」
「正確には、折り目を見つけるのに必要なルートです。神経細胞のニューロンに当たる部分ですが、ニューラルネットワークでは、ノードと呼んでいます。顔認証レベルになれば、数千層が全結合して瞬時に演算します」
誇らしげな顔でルイは続けた。自社が開発した顔認証システムでは、顔の各部位の形や位置を正しく捉えることで、額以外の肌の色合いも精緻に数値化して、サーモグラフィの温度検知の参考データにできるのだと。「で、隠れ層でどんな計算が行われたら、こんな姿に?」
ルイはあの異形の姿の画像を静止させて、その時のコードらしい数列を別ウィンドウに表示させていた。黒い画面を背景に並ぶ、“IN, OUT, for results…”。母国語のはずが、俺には暗号にしか見えない。
「隠れ層での計算は、統計学の『平均二乗誤差』等の計算や数学での二次関数を用いたもので、仕組み自体は非常にシンプルです。でも、ここで詳しく話すべきなのは、そういうことではなくて」
そこまで言ったルイは、コードの中のリンクをクリックした。むかし数学の授業で見た、yとx軸のグラフが表れる。波打つ曲線が2本、目立つ色でグラフの左右に伸びていた。
「折り紙の話で『正しい折り方』と言いましたが、それはこのカメラの場合、体温計で測ったのと同じ『正しく予測された値』を出す計算です。そのために、映された顔の画像は一定のピクセルごとに数値化されて、隠れ層を通じて別の数値に変換され、それをノードのたびに繰り返します」
「正しく予想された結果が、こんな化け物か」
ルイの眉根が寄り、小さく唸った。
「こういうことが起きないように、間違えた数値と正しい数値の誤差を埋めるのが、深層『学習』なんですけど」
グラフの2本の曲線は、ほぼぴったり重なっている。そこの一部だけ拡大されると、曲線同士の間には、わずかだが隙間が確認できた。
「誤差はどこまで頑張って縮めても、全てが完璧に0にできる訳ではありません。隠れ層は縦に並んだ数値のそれぞれに重みをかけて、その合計にバイアスを足して次の値を出す、その繰り返しです。最新の顔認証レベルになれば、入力値が縦に数千層は連なっています。あるノードでの重みが最適解だと思ったら、それは局所解であって正解ではなかった、それで誤差が埋まらないということも」
「ピンボールなら、点数の少ない穴に嵌まるってことか」
キッカーの棒から弾き出される玉の音が、周囲の喧噪に交じって聞こえる。
「ええ、イメージ的には。そんな誤差が連鎖し合えば、モニターに映し出す画像に異変が生じてもおかしくありません」
「遺伝子変異みたいな話だ」
俺の妻が製薬会社で働いているから、その手の話には若干の理解があった。
「ただ、異常性を捉えるためには、過去にも……」
「おっと、無線だ」
またもやインカムに緊急要請のアナウンスが響く。震える声で、ジェットコースターの柵が突然破損したと伝えられた。怪我人は出ていないらしい。トラブルがトラブルを呼んでいるのか。
ルイに事情を説明すると、システムの応急処置ならできると言われたので、現場に連れて行った。チャドが件の柵の前に立ち、交通整理員みたいに人の流れを裁いている。ジェットコースターは地上近くで停止してあり、乗客たちの前にはまだ安全バーが降りていた。10フィートほど離れた所で、ステンレス製の白い柵が横に2フィート、なぎ倒されたススキのようにねじ曲がっている。もし人が寄りかかっていれば、命の危険もあったに違いない。
「あとどのくらい待たせるつもり?」「ママ、サーカス始まっちゃうよ」
質問や愚痴が口々に噴出する。俺は一人一人に、トラブルに巻き込まれたことを謝って回った。ちらほらと見知った顔もいて、彼らが全員無事なことに胸をなで下ろした。
「あら、エリックじゃない!」
後方の座席から声が上がった。バーで顔見知りの女性が、俺に手を振っている。
「アンナ、来てくれたのにすまないね」
笑ってそばに寄った途端、思わず息を呑んだ。彼女の隣に座っていたのは、紛れもなくあの異形の姿で映っていた少年だったからだ。初日と服装は違っていたが、防犯カメラの映像を見たとき目に焼き付けておいたから、100%確信があった。
「想定外はつきものよ、外でも家でも」
ため息をついたアンナは、少年の肩に優しく手を置いた。二人とも同系色の明るい茶髪だ。彼女は独身で、子どもはいないはずだが。
「その子は?」
「先月から家で預かってる甥っ子よ。トロントのスクールが合わなくてね」
それ以上聞くのは野暮というものだった。俺が自己紹介をすると、少年はろくに目も合わさず、ぶっきらぼうにグレンと名乗った。日に焼けたのか、白い肌に少し赤みが差している。尖った鼻の筋は少し歪み、モンスターというより男の魔女の方が似合っていた。
見つめていると、ふいに俺の頭に光が射した。今、彼をカメラに映したらどうなるのか。ルイの元へ駆け寄って耳打ちする。心得た彼はゲートに戻ると、すぐに顔認証用カメラを抱えて戻ってきた。事故現場の証拠を録るという名目で撮影を開始する。後でパソコンで確認しやすいよう、俺はグレンの顔を特に拡大して録画した。
「この子ったら、初日に来たのにまた来たいって。自宅学習だし、こんな田舎じゃ他に連れてく所もなくて」
幸いアンナもグレンも訝しがることなく、前者に至ってはカメラに大きな笑顔さえ見せた。
「湖も楽しかったよ」
歯を見せて笑うアンナの横で、グレンが無表情につぶやいた。なぜか俺の背筋がぞくりとする。その視線の先は、ぐにゃりと歪んだ柵に向けられていた。
事故現場での対応を一通り終えた俺は、ルイのいるメインゲートのモニターへと走った。体を動かすのが性に合うとは言え、さすがに足に疲労を覚えた。
「テスターさん、ちょうど良い所に」
ルイがパソコンのディスプレイを再生して俺に見せる。さっき録画した場面に目が釘付けになった。映っているグレンの顔が、先週見たときと同じ異形の姿をしていただけではなく、
「前よりひどくなってる」
先週見たつぼみだらけの顔に加えて、長い触覚が前髪の中央から垂れている。グレンの手元を映すと、鋭利な爪も指も幅が広がり、縦にも横にも強調されていた。
「時間経過による画像の変化ですね。これは興味深い」独りごちるルイに、つい声を荒げる。
「変な画像は映るわ柵は壊れるわ、こっちは大変なんだが」
「失礼しました。その柵が壊れたときの映像も、調べてみたのですが」手元の操作がてきぱきと続く。
「園内の防犯カメラからダウンロードした画像に、気流を計測して可視化できるシステムを組み込んでみました」
別ウィンドウで流れ始めた映像では、コースターの動きに合わせて幾つもの矢印が飛び交い、その色も風速の強弱によって区別されているようだった。複数の矢印が、ダーツのように一点を目指して飛んでいく――その先を見て俺は声を上げた。
「風がやったのか?」
「問題はその出どころです」
映像が巻き戻り、矢印も逆方向に戻っていく。その発生源は、グレンの右手だった。そこで映像の通常再生が始まる。その途端、成長期が始まったばかりの、丸みの取れつつある肩を彼が大きく振り回した。矢印たちが、手や腕から柵へと勢いよく解き放たれる。その先の映像は、実際に見たあの現場だった。
「ガチのエイリアンかよ」
分析のために繰り返し見るルイの横で、俺の目は信じたくない思いで、矢印の行方を追い続けた。
「異形の姿として出力されるには、必ず学習済みのデータにそうみなす根拠があったはずです」
「さっき言いかけた話だよな。それが本当だとしたら、こんなのがいたってことに」
「ええ、今まで顔認証用カメラに映ったことのある人の中に。つまり、この町以外にも」
悪夢と現実が頭の中でノードのように繋がる。すでにこの遊園地だけで二人いるのなら……頭が勝手に計算を始めて、軽く身震いした。映像の中、壊れた柵の近くを、落ち葉が小さな渦巻きとなって通り過ぎていく。
【湖も楽しかったよ】
グレンと同じ台詞を、子ども服を着たエイリアンが凶悪な笑顔で吐いていた。
*
柵の損壊した日の翌日から2日間、遊園地は臨時休園となった。その間にルイは一旦トロントに戻り、ベアリーに長期滞在するための準備を整えてから再び戻ってきた。滞在先は俺の家だ。町のモーテルは遊園地からのアクセスが不便なため、ホストファミリーに貸す部屋に住んでもらうことにした。
「同じ釜の飯を食うなら、テスターさんは私のバディですね」
「だったら、俺のことはエリックと呼んでくれ。もっとフランクにやろう」
一家の夕食にケベック風ミートパイを振る舞うと、ルイは熱いとフーフー冷ましながら、何度もおかわりをした。俺がジャガイモの皮を剥き、妻のエマが潰してマッシュドポテトにしてから、合い挽き肉とよく混ぜて作ったパイだ。甘辛のグレイビーソースに絡めると絶品で、メグのお気に入りでもある。
「あたし、今日この人見たよ」
メグがルイをフォークで指さし、エマにたしなめられた。ぷっくらした唇を尖らせている。
「どこで?」「レンデル湖」
9月に隕石の落下した湖の名前が出て、夫婦でギョッとした。メグが勝手に見に行ったことに後から気づき、血相を変えて探しに行った記憶が蘇る。俺たちの様子に、ルイはあらぬ誤解を与えたと思ったらしく、慌てて弁解した。一連の出来事を知って興味が湧き、我が家までのルート途上にあった湖に寄ってみたのだと。特に変わった事物は見つからなかったと言う彼の目の下には、黒い隈が出来ていた。
「この町の秋は、日本で言う初冬に近いですね。僕にはもう手袋が必要だ」
「そんなことじゃ、ハロウィンには凍えてるぞ。昼でも10度以上にはならないのに」
俺の横に座るルイに、エマが新たにパイを一切れ差し出した。その瞳の大きさも体重も、彼の1.5倍はあるだろう。妻と娘にソファで挟まれるのが、俺の暖かな冬の越し方だ。
「カナダの冬はトロントでも極寒よ。いっぱい食べて太らなきゃ」
11月に入るまでは薄手長袖が普通の側からすれば、日本人はひ弱な子どもがそのまま大人になったように見えた。
「で、メグは誰と行ってたんだ」
「グレンたち」
今度はルイと俺が驚いて目を見張った。メグとエマが首をかしげる。異変の話は、家族にはあえて伏せてあった。
「グレンって、アンナの所にいる男の子か?」
「もうビッグボーイだよ。13歳なんだって」エマは微笑したが、俺の頬は強張っていた。
「たちってことは、他にも友だちがいたの? 何人くらい?」
童顔なルイが話しかけると、メグは気安く答えた。たぶん、グレンと同年代だと思っている。
「うん。ベティでしょ、リアにイザクに……知らない子もいた、十人くらいかな」
「みんなで何したの?」
「泳いだの」
咳き込んだ俺の口から、ミートパイの欠片がこぼれた。いくらなんでも湖で泳ぐには寒すぎる。
「ダメじゃない、風邪引くわよ」
「平気、温水プールみたいだったもん。誰かが湖の底から小石を拾うと、すごい熱が出るんだよ」
満腹になったらしく、メグの両手が投げ出され、小さな頭は椅子の背にもたれた。
「変なジョークは止めなさい」
「ホントだよ、しかも夜になると湖が光るんだって」
「……その石のせいかもな」
「ちょっとあなたまで」
エマが呆れて肩をすくめた。あくびをしたメグに、「夢とごっちゃになってるのね」と言い、バスルームに連れて行こうとする。それを引き留めて、泳いだという場所を詳しく聞き出した。娘が危険にさらされていると、直感が鋭く俺に告げていた。
二人が退室するや否や、俺は手早く荷物をまとめた。すかさずルイも身支度を調え始める。
「エリック、調べに行くなら僕もぜひ。機材も揃ってますし」
「そうだな。安心しろ、手袋なら貸してやるよ」
「ついでにトングも。画期的出来事を掴めるかもしれない」
*
--おかしい。湖から「海の音」が聞こえる。
雑木林の赤黒い地面と陸続きのような、黒々とした湖面に耳を澄ませた。ほとりに佇むのはハナミズキかユリノキか、木の陰影はどれも似通っていて、その枝から紅葉のふるい落とされる音が寒空に響いた。白濁混じりに寄せては返す大きな波のリズムは、いかにも自然に溶け込んで聞こえる。川の支流とのみつながる湖では、ありえない調べだ。違和感に気づいたとき、闇の中で不気味さが増した。
「昼間は聞こえなかったのに」と、俺の近くで探索するルイも同意する。
レンデル湖は約9マイルの長さで、その縁を囲むようにベアリーの町が立ち並ぶ。俺たちのいるほとりの反対側には、町の夜景がパノラマ状に広がっていた。無数の灯りの中を車両ランプが通り過ぎていき、星々よりも賑やかにまたたいている。自分がビーチにでも立っている心地がして、強くかぶりを振った。その横でルイはトロントから持参した、最新式の顔認証用カメラを手にしていた。メインゲートの分とは違って、映した画像と顔認証の分類結果、その両方を並列して裏側の液晶画面に表示できる。グレンと同じ「特徴量」を持つ存在が映れば、即座に異形の姿が現れるはずだ。
俺はここ数日で勉強した、ディープラーニングの仕組みを思い出していた。特徴量--顔認証で言えば、鼻や唇の形や大きさ、角度や位置等--を数値化してインプットすると、機械学習で解析して、予測をアウトプットする。ペンキで板に色を塗るように、一定数のピクセルごとにずらして数値を出し、全体の画像を推測する。理系ではない俺が理解しようと必死になったのは、相棒の影響だった。彼は睡眠時間を削ってまで、異形に映った子の顔や体の画像から、既に特徴量をリスト化してプログラムに実装してくれていた。
『エリック、君ならジェットコースターの組み立て方はよく把握しているでしょう。どんな風に連結しているかは、解体すれば分かります。“エイリアン”の画像から特徴量を分解するのもそれと同じです。人間の脳をモデルにしてあるのだから、君の得意分野に置き換えて考えればいい』
そのとき初めて、ルイと自分の間でシナプスがつながったと思えた。俺は俺に出来ることをするまでだ。
半ば回想状態にあった俺の意識は、目の前の光景で現実に引き戻された。暗闇でも分かるほどに、波が凄まじい勢いで高くなっていたのだ。だが、たじろいで後ずさったのは自分だけだった。
「ルイ、下がれ」「防水だから大丈夫です」「カメラの問題じゃねえ」
湖に向けて撮り続ける手を、ブレないようにもう片方で固定させていた。その根性に一瞬圧倒される。
「あと5秒だけ。5、4……」
「来る、来る……避けろ!」
迫る波がルイのいた場所に襲いかかった。咄嗟に後ろから彼を抱えて、茂みに頭から飛び込んだ。僅差で波から逃れると、ちょうど俺たちのいた位置へ水飛沫が降り注ぐ。地面はたちまち漆黒にぬかるんだ。
倒れた衝撃で頭がぐわりと揺れているが、体に変な痛みはなかった。荒い息でルイを見ると、すぐに身を起こして手元を確認していた。
「カメラ、ああ、良かった」
「ったく、俺がいなけりゃ」「静かに」
人差し指を口に当てて、ルイがカメラを湖に向けた。暖かな風が吹き、無数の蛍のような細やかな光が水面で点滅している。カメラの自動測定で、湖の表面は39.5度と数字が表示された。
メグの話を裏打ちする幻想的な光景の中、大量の泡が光に吸い寄せられるように浮上してきた。水面が小山の形に盛り上がっていく。
「……ブッハア」
水中から姿を現したのは人間、それもメグと数歳しか違わないような少年だった。湖の桟橋に手をかけて這い出ると、獣のように身震いして全身から水滴を飛ばした。服の張りついた細い手足が、輝く湖面に下から照らされて、異星人のシルエットに見える。俺たちは茂みにしゃがみ込んだまま、撮影を続けた。
ルイが画面を食い入るように見つめている。見たくはなかったが、問題解決のために、俺も見る必要があった。
「同じだな」
静かに呟いたが、俺の声は震えていた。画面の中の少年がなぜグレンと同じ異形の姿になったのか、一連の出来事が全てつながったからだ。考えたくない嫌な可能性に、胸が潰れそうになった。
少年は黙って向こう岸を見据えると、勢いをつけて腕を振り回した。突風が現れて水を勢いよく切り裂く。画面に出た「風速毎秒17m」との測定にルイが口を押さえた。
「レベルアップ成功!」
少年が可愛い声で叫んだ。拳を突き上げた拍子に、懐中から光る何かが飛び出す。桟橋のギリギリまで転がって止まったが、それには気づかず桟橋を離れた。その後ろ姿もカメラは捉え続けた。
彼が立ち去ると、いつの間にか海の波音は消えて、光も一掃されていた。完全にいなくなったのを見計らって、二人で桟橋を探索する。サーモグラフィー機能を使わなくても、どこに落ちてあるかは一目瞭然だった。
「落下した分の、欠片みたいですね」
光り続けるそれは、親指サイズの石だった。ルイが俺の貸したトングで慎重に挟む。密閉容器に入れても、まだ強い光を放っていた。
「隕石の成分から、人知を超えた力を得るということか」
エイリアンが人間に化けていたのではなく、人間に遺伝子変異そのものが起きていたと、二人で仮定した。
「湖が光った所を見ると、ルミノール反応に似た構造で発光した可能性もあります。水中に含まれる窒素や水素が、隕石の鉄を触媒として体液と化学反応すれば……奥さんに聞けば詳しいでしょう。謎が一気に明らかになりそうですね」
ルイがカメラを手に勇んだ声で言い、俺は複雑な思いで頷いた。少年の後ろ姿の録画動画が再生されている。ゴジラさながらに巨大な鉤爪の両手を振って、意気揚々と画面の向こうに消えていく。楽しげに長い尻尾まで振る様子に、娘の歩く後ろ姿が重なった。
*
休園明けの遊園地は、魔女がいなくなったように平和になった。トラブルが無くなって他のスタッフは喜んでいるが、ルイと俺は別だった。各々のスマホに同期させたゲートのカメラ映像をチェックしては、お互いに苦虫をかみつぶした顔をする。顔認証用カメラに異形の姿で映る子どもが、再開以降、確実に数を増やしているにも関わらず、園内でトラブルが起こらないからだ。二人の会話に、しばしば愚痴が交じった。
「あいつら、良い子を演じてやがる」
「自分たちの遊具を取られたくないのですね。だから学校も狙われない」
感謝祭にハロウィンと、家でもご馳走や贈り物のオンパレードであれば、悪さは控えるはずだ。
「湖の封鎖で面白くない奴は、大人しくしてられないだろ」
予測は皮肉にも現実となり、遊園地外のエリアでは飲食店のテラスが一斉になぎ倒されたり、雑木林の木が独りでに折れたりする怪事件が、数日に1件はどこかしらで発生した。プライバシーを尊重する住民が反対するため、さすがに町にカメラの設置は出来ない。俺が下手に訴えて身近な人間が標的にされる恐れもあると、慎重に行動を進めることにした。
まず地元警察には、湖の怪異映像のみ編集したデータを持って相談に行った。少年が湖から出て腕を振り回した所を見せれば、すべてが合成画像として誤解されかねなかったし、いかがわしい盗撮と見られる可能性もあったからだ。他に同様の目撃証言が出たこともあって、狙い通り、湖は24時間体制で厳重管理に置かれることになった。潜って隕石を拾い上げれば熱を生じるという仕組みなら、冬に湖が凍れば春まで封印できる。
メグは一度泳いだだけのせいか、まだ行動に異変は見られないのが救いだった。湖に近づくことを禁じる代わりに、ハロウィン当日の衣装は奮発すると約束させられた。パンプキンのかごに、家でも菓子をたくさん入れてもらう条件と一緒に。
エマには証拠付きですべてを打ち明けた。メグを顔認証用カメラで映した映像を見たエマは、その異形ぶりに顔面蒼白になったものの、すぐに行動に出てくれた。製薬会社で信頼のできる上司に相談し、重役に治療薬の開発許可を申請したのだ。すると、州への申請依頼等は長い年月を要するため、健康補助食品のサプリであればと早々に承諾された。実は重役の娘にも同じ症状が出て、自身の変化に怯えているらしい。不幸な共通点が幸いし、隕石の成分調査は会社の研究所で昼夜を問わず進められた。
遊園地では、気心の知れるチャドにだけ事情を話して協力を仰いだ。見回りの際は記録撮影用のカメラを携行して、異形と判断された人を見かけたら、動画撮影と一緒に様々な角度から写真にも収めるようにと。それらはルイの指示だった。
「エマさんから薬剤の臨床試験が行われると聞いたので、なるべく正確な測定が必要になると思って」
ルイは自分の予測から新たな発見を得たことで、より一層カメラの技術向上に勤しんでいた。過去に隕石落下のあった地点の近辺で撮影された画像から、異形に映った人のデータを数件拾い出せたのだ。彼らの顔の特徴量を念入りに調べていくと、「エイリアンになる」決定的な要素が明らかになった。
「連写モードで並べてみて初めて分かりましたが、瞳の虹彩の収縮速度が、普通の人間の十倍以上速いんです。瞳孔括約筋と散大筋がそれだけ発達しているなら、あの超人的な力も現実にありえます」
「速すぎて、動体視力では逆に読み取りづらくなるのか」
隕石の成分はドーピング効果を連想させた。それに耐えられなくなったときどうなるのか、その想像は恐ろしい一方で、俺に強い使命感をも与えた。このまま放っておく訳にはいかない。
そこでチャドとは逆に、俺は「異形の判定が出なかった人」の撮影に取り組んだ。ルイ曰く、失敗を通じて学ぶのはAIも同じだから、学習材料となるデータは大量にインポートすればするほど、測定する回数が増えて正解率も上がるのだと。
「そうだよな。誤答を出されたら、何で間違えたのか逆算的に探っていって、誤りを正せばいいんだ」
「それを、誤差逆伝播法と言います。エリックもすっかりAIの『教師』ですね」
「あんたの熱意に感化されたのさ」
俺の声は明るかった。メグに施されたサプリの臨床試験が、適切な効果をもたらしたからだ。企業秘密で夫の俺にも成分は教えられないと言うエマを、ルイの仕事ぶりと同様に信じた結果だった。顔認証用カメラに映る姿が、瘡蓋が取れるように元の姿へと、俺の可愛いリトルモンスターへと忽ち戻っていった。
最後に残された問題は、このサプリをどうやって「正しく」子どもに配るかという点だった。以前から考えていたアイディア--遊園地のゲートで異変と判断されたら、ハロウィンの菓子に改良したサプリを配る--は、大きなリスクを伴っていた。マウス実験では副作用が少なからず出た以上、遺伝子変異の生じていない人間への投与は危険すぎる。逆にコロナのように症状がないだけで、潜伏感染者のようなケースもありえた。
「それならご心配なく。エマさんから聞いた話がきっかけで、秘策を思いつきました」
ルイの言う秘策とは、「ガンの腫瘍にも顔つきがあり、内視鏡検査での臓器の色調や凹凸等から、ガンになる前の時点で病変を見抜いた」という、高精度のアルゴリズムだった。日本の国立がん研究センターとの共同研究の結果、偽陽性率を1%未満に抑えたという。
「このシステムと、生体認証の最新技術を併用して使います。虹彩認証以外に、声や耳音響認証も。ターゲットの声を特徴量として事前に抽出できるのは、何週間も歩き回って撮り続けてくれた、あなたたちのおかげです」
その言葉は、歩き回って疲れた俺の足にじんわりと効いた。最後まで戦うための特効薬になった。
*
ハロウィン本番を迎えた遊園地で、新顔認証用カメラとサプリを改良した特製飴の合わせ技は、見事に威力を発揮した。1台で大丈夫かと少し不安だったが、カメラはゲートを通る入場客に瞬殺で測定を下し、むしろ飴を配るチャドや俺の方がついて行くので精一杯だった。異変と判断されなかった場合にも、普通の飴を渡して怪しまれないように工夫した。
「ハアイ! ぼく、ジンジャーブレッド! トリック・オア?」
カメラのレンズ下のディスプレイで、ハロウィンらしいアバターが陽気に語りかけてくる。子どもが「トリート」と返事をすれば、その声から異変の有無も自動で判断された。その上、ゲートをすり抜けるように素早く通る子どもの姿も、つかの間とらえただけでちゃんと画面に表示された。通称「SPRT-TANDEM」という新開発のアルゴリズムによって、処理スピードが20倍に高速化されたのだ。「早押しクイズ」のように、必要な情報が集まり次第、直ちに回答する演算によって、一人も取りこぼすことなく裁くことができた。あのグレンでさえ特製飴を口にしたのを、ルイも俺も目撃して安堵した。
入場客の頭にミイラを模した包帯が巻かれたり、ゾンビのメイクで顔の半分以上が隠れていても、測定エラーは出なかった。虹彩の模様は一人一人で異なり、左右の目でも指紋のように区別できるため、片方の目さえ見えればこっちのものだった。それに何より、俺たちが駆け回って集めた大量のデータベースがニューラルネットワークの礎にある。正しい認証率99.9%の「バイオメトリックス・カメラ」は無敵に思えた。
新機能搭載の防犯カメラには、本物のエイリアンが交じっていそうな、奇々怪々の仮装で練り歩く人々が映った。一方で特製飴を食べた入場客らは、魔法が解かれるように人の姿に戻っていく。
開園から約1時間後、人の波が一旦収まってきた頃だった。
「トラブル発生。大至急、観覧車前まで」
チャドから無線で緊急要請が入った。
「どうした?」「ウォーターサーバーが壊された」
現場に向かう俺の目が、突風のように走り去るグレンの姿を偶然捉えた。胸騒ぎがしてスマホのレンズを彼に向けると、カメラと同期したディスプレイに、あのエイリアンが再び現れた。優れた新機能と自分自身の顔認証能力の高さに感謝する。
チャドに断りを入れて、観覧車のエリアから踵を向けた。絡まりそうな足に鞭打って、一心にグレンを追いかける。と、その途中に水が入っていただろう容器が落ちていた。他の子の変化に気づき、水を飲んで飴の効き目を薄めようとしたのか--そこまで考えて閃いた俺は、湖への最短ルートを疾走した。
湖に着くと、桟橋の前には警備員が立っていた。スマホを周囲にかざすと、グレンの体温と近しい存在が茂みに確認できた。その方角に大きく叫ぶ。
「グレン! 戻れ! 湖は危険だ!」
警備員が俺に何事かと聞いてきた、その一瞬をついて、グレンが茂みからジャンプした。湖までの10ヤードの距離を半円を描いて飛び越え、水面にクレーター並の穴が空いた。煮立ったかと見紛うほど大量の泡が広がり、木々の枯れ葉が何枚も難破船のように巻き込まれていった。
「危険なのはどこも同じさ」
落ちた場所から少しズレた地点で、グレンが顔だけのぞかせた。濡れ頭の中央から、肥大化した触覚が何本も生えている。
「僕、もう現実には戻らないよ。じゃあね」
その言葉を最後に、グレンは再び水面下に消えた。湖上の太陽が雲に隠されて辺りが薄暗くなる。乱反射を止めた波間に、蛍のような光がうっすらと見えた気がした。
「バイオメトリックス・カメラの敗北ですね。対サプリ耐性度も瞬時に測定できるよう、実装すべきでした」
閉園後、俺の報告を受けて気落ちするルイを見て、自然と言葉が出た。
「ルイのおかげで俺は生まれて初めて、最新技術に貢献できたと実感できたんだ。救えなかった子どもも、俺たちの手でいつか救えるように、また力を貸すつもりだ。“Live and Learn.” 学び直すのが俺たちの仕事だろ」
やることは山積みだったが、その負荷に確かなやりがいを見いだしていた。
「ありがとう、エリック」
俺を見つめる相棒の目に、立ち上がろうとする意志が映った。
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