禁断の種

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梗 概

禁断の種

海面上昇により国土の大半が水没する運命にある南太平洋の島国、トナシュ共和国。亀山政之かめやままさゆき(二十七)は島の原住民アムルタ族との交渉に明け暮れていた。そこそこの有名大学を卒業後、そこそこの商社〈九王丸くおうまる商事〉に就職、三十そこそこで客室乗務員か受付嬢あたりと合コンで知り合い結婚、一男一女をもうけてそこそこの人生を送るはずだったが、アムルタ語はおろか公用語のフランス語もできない状態で駐在員として赴任させられた。
 モロヘイヤの販路開拓などショボい仕事しかしてこなかった政之は、政府系の大型案件に携わってきた大手商社駐在員の浜川にいつもマウントを取られている。

ことの始まりはSCUBE3というシグナル伝達分子が毛乳頭細胞において発毛を活性化させるという発見だった。五十億ドルを超える育毛剤市場の支配権をめぐり、各国各企業はSCUBE3の確保に躍起になっていた。
 SCUBE3の化学合成やヒト毛乳頭細胞からの採取は効率が悪く、コストが膨大になる。そこで注目を集めたのがトナシュ島の固有種であるトナシュヤマアラシだった。このヤマアラシは全身の毛乳頭細胞でほぼ無尽蔵にSCUBE3を作りだすことが判っている。
 トナシュヤマアラシの生体標本を得られれば、多能性幹細胞を毛乳頭細胞に分化させ、低コストでSCUBE3を大量生産できる。
 問題はトナシュ政府によりこのヤマアラシの捕獲や飼育が固く禁止されていることだった。唯一アムルタ族は古来よりトナシュヤマアラシを食用に狩猟してきた関係で、例外的に政府から捕獲を許可されていた。そのため各国各企業は合法的にトナシュヤマアラシを確保すべくアムルタ族の村に人員を送りこんでいるのだ。

アムルタ族が容易に余所者を受け付けない中、政之は個人的に首領のタスワニに気に入られ、娘のクオーマを嫁にどうかと勧められる。アムルタ族の若者でクオーマに恋心を抱くデデオのやっかみや各国の駐在員による妨害はすさまじく、政之は命まで狙われるようになる。
 仕事を投げ出して帰国することさえ考えるようになった政之は、ついにその決心を伝えに村へ行く途中、乗っていたボートが事故で沈んでしまう。溺れかけた政之を助けたのは彼を憎悪していたはずのデデオだった。
 デデオが政之を救ったのは、トナシュ海没後の移住先に日本を選んでいたタスワニに従ってのことだった。だが、アムルタ族からトナシュヤマアラシを騙し取ろうとした浜川の計画を知り、阻止しようとしたタスワニは死んでしまう。

日本人を殺せ。アムルタ族は怒り狂い、浜川と政之を補殺しようとする。命からがら島を脱出する直前、政之はトナシュを余所者による争いから守るため、唯一と思われる方法を実行に移した。クオーマにモロヘイヤの種を渡し、島じゅうに撒くよう頼んだのだ。モロヘイヤの種には毒性があり、ヤマアラシはそれを食べて絶滅するだろう。

文字数:1199

内容に関するアピール

まず本作品を構想するにあたり、薄毛に関する価値判断は(登場人物によるものであっても)一切しないよう気をつけました。あくまで育毛剤の市場規模や発毛の生物学的機序など客観的な言及に留めています。
 SCUBE3を生成する動物をヤマアラシとしたのは、針毛に覆われた姿が発毛の旺盛さを連想させるからです。参考論文中にあるヘッジホッグ・シグナル伝達とは関係ありません。
 本作品は、発毛を促進する伝達物質の特定に関する2022年の下記論文に着想を得ました。

Hedgehog signaling reprograms hair follicle niche fibroblasts to a hyper-activated state
https://www.cell.com/developmental-cell/pdf/S1534-5807(22)00414-2.pdf

文字数:368

課題提出者一覧