梗 概
冷たい棺
朝から晩まで死体をコンテナに詰める作業を繰り返すムワン。仕事が終われば同僚のアヌサックと街に繰り出し、酒を飲んで球を突く日々だ。
ムワンはバンコク近郊にある葬儀屋「ノッカジャーブ」で宇宙葬コンテナに遺体を詰める職人、通称「スクィーザー」として働いている。人口爆発後の世界では墓地の不足が深刻化し、宇宙葬や宇宙散骨が一般的になっていた。遺体や遺灰はタイ湾の真ん中にあるロケット打ち上げプラットフォーム「チャクリ・ナルエベト」へ運ばれ、そこから葬儀プランにより成層圏、低軌道、月の裏側あるいは深宇宙へ送られる。
ムワンの父ピブンはチュラロンコーン大学で地質学を研究する教授だった。ピブンはムワンも大学へ進むことを期待していたが、ピブンがアカデミズムに凝り固まり、父として息子にきちんと向き合っていないように見えたため、ムワンはピブンよりも朴訥とした祖父のプットとそりが合った。ムワンが十五歳のときにプットが亡くなるとムワンは家族に疎外感を覚え、放蕩の日々を過ごすようになった。結果としてスクィーザーという賤業で糊口を凌いでいる。もう実家には何年も寄りついていない。
ある日、仕事中のムワンの元に父ピブンの遺体が届く。父が死んだという報せを聞いていないムワンは驚いて会社のデータを調べたが、遺体は確かに父のものだった。ムワンは父をコンテナに詰める前に遺体から密かに毛髪を抜き取った。
仕事が終わって母のラカナーに連絡を取ると、ピブンが自殺したという。ムワンが駆けつけた時には父の遺体はすでに火葬されており、ピブンの遺書には、葬送は簡素でよいと書かれているだけだった。
毛髪をDNA鑑定に出したところ、遺体がムワンの父である可能性が高いとわかった。そうなると遺灰が誰か別人のものということになるが、遺灰から個人を特定する術はない。
ムワンは母と父の埋葬方法について相談するが結論は出ない。たまたま弔問に訪れた父の研究仲間ナローンに意見を聞くが、ナローンはユニークな宇宙論を語り、ムワンは混乱するだけだった。ムワンは思い切って職場に送られてきた父の遺体についてもナローンに相談してみたが、彼はピブンがこの世に二人存在し得た理由を輪廻転生だと言ったり、宇宙葬に送った結果過去へ飛ばされたのだとか非合理的な説明を始める。ナローンそして同僚のアヌサックの言動を不審に思ったムワンが父の遺体を運び込んだ棺を調べると、それが何十年も前から冷凍保存されていたことがわかる。
ナローンを問い詰めると彼はすべてを語った。
父は祖父プットが宇宙へ行きたいと願いつつ、生前それが叶わなかったので、せめて宇宙葬に送ろうとした。祖父が六〇歳で亡くなると遺体を冷凍保存し、自分が六〇歳になってから自殺した。自らの死後遺体をすり替えて祖父を宇宙に送るようナローンに依頼し、アヌサックはナローンの指示で現場での細工を手伝っていたのだ。
文字数:1194
内容に関するアピール
父と子の物語という、一見宇宙や時間に関係のなさそうなテーマを仏教の宇宙観という搦め手から切り込むことでSF譚として昇華しようというアイデアです。
舞台を近未来のタイにしたのは、国民の九十六%が敬虔な仏教徒という構成は少なくとも今後数十年から百年くらいは変わらなそうだということ、あとは赤道に近くロケット打ち上げに適しているというのが理由です。
下図は仏教による宇宙の概念図となります。
プロットがどちらかというとミステリ仕立てになっているのもポイントです。仏教の宇宙観には詳しいよという読者もいれば、それほど知らない読者もいると思うので、あまり説明的にならず、かといって説明が足りなさすぎるといったことのないよう、情報の盛り込み方をどう工夫するかが勝負所ではないかと思っています。
文字数:340