梗 概
ムゥの世界
ある日、ムゥはいっせいに現れた。ムゥは空からゆっくりと、綿帽子のように降りてきた。
はじめは誰もが驚きおそれた。唐突に前触れもなく、空から丸い毛むくじゃらの生き物らしきものが大量に、でも人数分だけ、ゆっくりと降りてきたのだから。
ムゥは生き物らしい。個体差は少しあるが、だいたい半径20から30センチくらいの球形。手も足もない。重さは、子犬や子猫くらい。でもいつも、ただふわふわと浮かんでいるから、実感はない。毛並みや色合い、触り心地も、犬や猫と同じ。哺乳類と同じような体温や血の色。口や鼻などの呼吸器官はなぜかない。排泄器官も見当たらない。排泄物は見つかっていない。においや味もしない。でもときおり、ムゥと鳴く。正確に言うと、そういう音がする。
鼓動らしきものを感じるが、心臓をのぞいてみた者はいない。なぜなら、擦り傷ていどならばいいが、物理的に無理をさせると、ゆっくりとしぼんで静かにいなくなってしまう。突然の物理的ショックであれば、突然いなくなってしまう。耐久力は犬や猫と同じ。最後にはかすかに、ムゥという鳴き声を残す。心臓は球形のからだの中心にあるようだが、どのような循環器系になっているかはわからない。もちろん、風邪っぴきのムゥは見つかっていない。
正確に言うと、体の構造を真剣に調べようとすると、その試みにムゥが気づくからなのか、ムゥはムゥと鳴いていなくなってしまう。そして、ムゥがいなくなるようであれば、人はそれ以上、調べたがらない。
ムゥは一人につき必ず一匹だけ。二匹目を確保しようとすると、しぼんでいなくなってしまう。また、ムゥがいない人には必ず、いなくなってからしばらくすると、空から新しいムゥが降ってくる。必ず一人につき一匹だけ。いつも同じムゥが帰ってくる。
その意味では、明らかに人間中心的な理由が背景にあっての、存在にちがいない。
ムゥはずっとついても来るし、家で待っていたりもする。いつも、ムゥの相方にあたる人間の意に沿うような行動をとる。邪魔だなと人間が思うと、知らぬうちにいない。いなくてさみしいと思うと、どこからともなく現れる。物理的に邪魔にもならないし、化学的にも無害。爆発ももちろんしない。
ムゥとは鳴く。でも、映画の上映中は基本的には鳴かない。
一番ふしぎなところは、ムゥには顔がないが、なぜかムゥが笑顔なことを、人間は感じることだ。ムゥを見ると、なぜか人は、ムゥがニコッとしているように感じる。人間もまた、ムゥに向かって笑顔をむけてしまう。人間にムゥの笑顔を感じる器官、能力が備わっていた事実は、当然だが、ムゥが出現してからはじめてわかったことだ。とつぜん開花した人間の能力がムゥを生み出し始めたとの説も根強い。真相はわからない。
だから、人はムゥに話しかけたり、見つめたりしたがる。なでたり、膝の上に置いたり、一緒に寝たりしたがる。ムゥがムゥというと、可愛さたまらず、ほおずりしたりする。服を着せようともする。名前をつけもする。グッズも売れる。つまり、自然とムゥを愛する。ムゥも人をとても愛してくれているように感じる。ムゥは人を愛し、人に愛されるための存在として、存在している。
赤ちゃんとムゥ、兵士とムゥ、余命いくばくもない人とムゥ、囚人とムゥ、恋人同士とお互いのムゥたち、この物語の作者とムゥなど。本作は、ムゥは必ず人を愛して、必ず人に愛される物語のオムニバス短編です。
文字数:1398
内容に関するアピール
とにかく肩の力を抜いて書くことを目指したいのが本作。ドラえもんほどに科学的な裏付けは登場しないけど、平面ガエルのピョン吉(古いか)よりは科学的に説明がつく存在。愛し愛されること自体が存在意義であり、存在理由である存在。やっぱり等価原理みたいな世知辛さが出てきて、ユートピアじゃなくディストピアをもたらす負の側面なんかも全くない、たださっぱりと晴れ渡ったような気持ちのいい存在。ペットの理想形というより完全体。こんなにも愛おしくて、いっしょにいるとただ幸せなんかでホントにいいのか、と幸せになる自信を失った方にも、いっしょにいればホントに幸せになっていただけるための存在。そんな完全に愛すべきムゥといろんな方とのエピソードを、オムニバス方式で書いてみたいと思いました。とにかく肩の力を抜きながら。
文字数:347