第1回月面ダーツW杯決勝戦、もしくは人類の叡智の祭典

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梗 概

第1回月面ダーツW杯決勝戦、もしくは人類の叡智の祭典

月に人類が足跡を残してからおよそ半世紀あまり、再び宇宙開発を競う国々による月面探査が活況を呈していた。2023年のクリスマス、日本の小型月着陸実証機SLIMは、狙い通り誤差100mの高精度での着陸に成功する。

20年後。月面は国家プロジェクトではなく民間ビジネスの場になりつつあった。一方、地上ではeスポーツが飽きられ、コントローラーを握りつつリアルで戦うゲームの人気が出ていた。そこで流行り始めたのが、ムーン・ダーツである。月面に仮想的に描かれたボード(ダーツの的)の中央に、矢に見立てた探査機を着陸させるゲームだ。優勝賞金も、イベント開催費も、すべて賭け金で賄われる。お金と技術の祭典、W杯の開催だ。舞台は月の裏側。

日本の「チーム姫」は低予算ながら強かった。対戦してきたNASA退職者たちの「ヒューストン・オールドボーイズ」も、古代の航海法をAIに学ばせた太平洋諸国連合「スターコンパス」も強敵だった。勝ち抜くことで開発資金を増やし、制御技術を向上させた。それらを自転車操業の資金繰りと職人の根性論と揶揄されもしたが、ついに決勝である。ムーンダーツW杯に掛けられた金額の大きさと、研究成果の市場への応用は、世界経済と技術社会に大きな影響を与えていた。

予選開始から既に7年、この間に熟成されてきた技術を取り込んで、決勝用の新型機を開発した。本来のダーツ同様に3発のロケットを打ち上げ、射出される着陸機で競われる。試合期間は決勝特別ルールで2年間となり、ゲーム開始後も開発の継続が認められている。そして地上からの制御が禁止された。全て着陸機のAI任せの勝負になる。

決勝の相手は「ブラックモノリス(BM)」、正体不明のグローバル・テック企業連合が出資する秘密の多いチームだ。新たなGAFA、死の商人、経営者はAIだ、進化するつもりだなど不穏な噂が後を断たないが、潤沢な予算と技術力は間違いない。二発ずつの着陸機を打ち上げたところで、「BM」が的の中央から10cmに着陸した。

ゲーム終了までまだ一年あるが、本当にピンポイントが求められる状況になった。10cmの精度で自己制御する機体を開発しなければ勝てない。いつ打ち上げても良いが、着陸がタイムリミットを過ぎたら失格なのでけして余裕はない。打ち上げ時期と軌道計算も重要で開発期間とのトレードオフになる。「BM」の三発目が先に打ち上げられる。着陸は何ヶ月先だろうか?

「姫」はギリギリまで開発に時間を掛け、推力の大きい新しいロケットで最短ルートを取る選択をした。ハイリスク故に賭け率も高まる。「姫」の3発目は絶妙な計算で月の裏側に向かい、ボードの中央に小型機が着陸。しかし上空で様子を窺っていた「BM」の3発目が寸前で急降下し場所取りになる。この接触でついに隠していた武器を使ったAI同士が意思を持って戦うことになる。

月面でシンギュラリティが発生した。

文字数:1196

内容に関するアピール

アポロの月着陸以来の盛り上がりを見せている21世紀の月面探査ですが、かつての米ソの宇宙開発競争と異なり、現代の特徴は中国やインドなど複数の国が競争に参加していることだと思います。日本もその一端を担っていて、つい先日9月7日、小型月着陸実証機「SLIM」をX線分光撮像衛星「XRISM」と共に搭載したH-IIAが打上げに成功しました(その後順調)。3〜4ヶ月後に着陸予定なので、本作ではクリスマスの着陸と仮定しています。

人間が大勢宇宙で生活する月面基地や宇宙植民地はあまり現実的ではなくなる一方で、人間に代わり宇宙へ往く探査機の性能は向上しています。これらの状況を踏まえ、民間による月着陸のゲーム化、そしてW杯の実現を空想しました。ケレン味のある、楽しい対戦ものにしたいと思います。
 
【参考】
JAXA 小型月着陸実証機「SLIM」
JAXA 世界が再び月へ!~今なぜ人類は月を目指すのか?
日本ダーツ協会

 

文字数:399

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第1回ムーンダーツW杯、もしくは人類の叡智の祭典

1.
「着陸シーケンス開始」
 ロングスカートを履いた脚を組み直し、僕は落ち着いた声で指示を出した。
「了解、姫。D15、着陸シーケンス開始。目標、ポイント40の円周、北辺0°、軌道修正、マイナス1。動力降下フェーズ」
 目の前の席に座るオペレータの田村さんが復唱して、コマンドを送信する。1秒余りの時間ののち、月の衛星起動を低空飛行中の僕たちの着陸機が、最終行程に入った。いや、僕たちも対戦相手も、もちろん中継を見てくれている世界中のファンも、誰ひとりとして着陸機なんて呼ばない。着陸機ダーツだ。ダーツ、矢。
 今、僕たち――チーム〈姫〉が戦っているのはムーンダーツという競技だ。着陸機をダーツに、月面を的に見立てたゲーム、その第1回W杯の準決勝。最後の矢が狙い通りの場所に着地に成功すれば、決勝進出だ。
「あと1分で目標地点到達、垂直降下フェーズに遷移」
 東京近郊某所、チームメンバーと中継カメラでぎゅうぎゅうの管制室の正面には、三面の大型モニタが並ぶ。左には月を模した球体とD15の軌道が3DCGで描かれ、じっさいの移動に同期して白線が伸びていく。右には準決勝の舞台になっている月面の直径1kmのエリアに、ダーツの的の同心円をCGで重ねた盤面。すでに的に刺さっている、つまり月面に着陸している対戦相手ヒューストン・オールド・ボーイズの15個の着陸機ダーツと僕たちチーム〈姫〉のダーツ14個が写っていて、どちらの何発目のものか、何点の場所にあるかが情報が表示されている。その画面下部にはここまでの得点の経緯が表示されている。野球やカーリングのようなスコアボードが、15回まで並んでいると思ってもらえばいい。そして中央にはD15のカメラからの映像と各種センサからの数値。高速で通り過ぎる白い岩肌と漆黒の宇宙空間の映像の脇に、月面までの高度、緯度、経度、対地速度、目標地点までの距離、etc…の値が表示されて、目まぐるしく変化する。
 D15のカメラは降下方向、つまり月面にまっすぐ向いている。1000キロ以上の距離を飛行しながら急減速し、今、月面との対地相対速度はほぼゼロだ。垂直方向に、目標地点めがけてまっすぐ降下していく。高度3kmからメインエンジンの噴射で減速しながらゆっくりと。
 D15の画像処理システムは、カメラで捉えた映像に、目標としている的のエリアつまり幅10メートル足らずの円弧を重ね、降下の最中に位置を微調整していた。同時に、地上の画像を処理して、表面の凹凸や障害となる岩石の有無をサーチする。ダーツに見立てられた小型軽量の着陸機であるD15は着陸の衝撃や段差に弱い。衝撃を吸収するように3Dプリンタで形成された五脚の脚のどれかが折れてしまえば、機体が想定外の方向に傾き、故障のリスクが高まってしまうのだ。着陸しても動作していないダーツは、的から落ちた矢と扱われてポイントにならない。
 2km、1km、500m――
「障害物検知センサ、高解像モード切替。目標地点は平坦フラット。200m、100m、50m――」
 着地。D15からの測定値では目標地点にドンピシャ、幅10メートルの円弧の中に正確に収まっている。応答あり、正常動作中。無事に生きてる。公式の判定を待つ数秒が長い。
「チーム〈姫〉D15、着地成功、正常稼働の信号を確認、マイナス40ポイント。総合得点0」
 勝った。決勝進出だ。
「姫、やったね!」
 田村さんが座席から立ち上がり、後ろの僕に向かって振りむく。突き上げてきた右手に、拳を合わせて応える。松田さん、ヒカル、井上、長澤くん、茜さん、みんなが寄ってきて、グータッチに握手にハグに、さいごは揉みくちゃにされた。テレビカメラが入っているから、皆ギリギリ節度を保って。いま、全世界に配信されているんだろう。僕らの管制室は狭いため最低限のカメラしか入れてないから、これから外で会見しなくちゃならない。
 腕時計を見る。グリニッジ標準時2043年12月31日、18時05分。ゲーム終了まであと6時間を切っていた。東京の時計ではもう正月だ。深夜の正月番組に、割り込みで速報が流れているんだろう。
 時計の盤面には、メッセージが次々に飛び込んできた。世界中からの祝福だ。みんなと共有できる人からのメッセージは、会見のあとで一緒に見ようと思い、タブレットを広げて送信元を確認していく。
 中にひとつだけ、紫色の吹き出しのメッセージ。
「おめでとう。6時間後にどう?」
 OKで返して、勝利者インタビューに臨んだ。

2.
「決勝戦の相手は正体不明のブラック・モノリスです。対戦に向けての抱負を聞かせてください」
 メンバーの個人情報も組織の中身も、書類揃えてエントリーしているはずだから正体不明もないものだけど、運営が情報公開しない以上は僕らもそれに乗るしかない。覆面レスラーの正体暴いたって野暮だ。それに、じっさい僕らも知らない。
「誰がチームにいるのか知らなくても、ロケットとダーツが全てですから。準決勝をあっという間に終わらせた技術は脅威だし、僕らも試合開始までの1年で力つけますよ」
「グローバル企業が背後で支援していて、莫大な研究費を掛けていると噂もあります」
 モノリスに触れて進化した連中サルの集まりだとか、人間不在で全てAIという噂もあったけど。そういうオモシロ質問はしてくれない。
「うちはクラファンで研究費集めているので、いま見ている皆さん、寄付お願いします! この大会やチームへの寄付は、控除対象になりますよ!」
「決勝戦はルールが変更されると言われていますが」
「盛り上げるためには必要でしょうね。難易度上がると、皆さんも楽しいでしょ?」
「それでは最後に、応援されてきた皆さんにメッセージを」
 メインカメラをまっすぐ見つめて、全世界に笑顔を振りまく。
「決勝戦は1年後スタートですけど、それまで忘れずに。また、僕たちを応援してください!」
 記者会見を終えると、チームのみんなだけで乾杯して、酔ったまま深夜の街に出て初詣の行列に並んだ。
 夜明けまで付き合ってくれるのは、松田さん、ヒカル、田村さんの3人、いつもの夜遊びメンバーだ。
 松田さんは一回り年上の研究者で、業界、学会に顔が広い。ダーツのハードウェアの設計を取り纏めて、いろんな所に部品の発注やシミュレーションの実施などを依頼してくれている、一番強いのは資金繰りに長けてることだ。チーム〈姫〉をいろんな取引先含めてチームとして成立させているのは、彼の力が大きい。
 ヒカルは僕より年下だけど、僕より優秀なプログラマだ。この天才少年に出会ったおかげで、自分が頭おかしいわけじゃないって思えて、けっこう救われた。
 その、周囲の人たちとのギャップでおかしくなりかけた十五歳の頃から僕を知っているのが、航法のスペシャリストの田村さん。飛び級で入った大学の先輩だ。とりあえず彼女には頭があがらない。
 明け方の、車の走っていない大通りの真ん中をふらふらと歩いていたら、応援の声を掛けてもらった。元旦早々のニュースに顔を出せば、有名人にもなる。手を大きく振って応える。
「すごいな~、元旦から愛してるって言われちゃった。顔出しってすごいね」
「姫が目立ちすぎるんだよ!」
 みんなと別れて、研究所の近くにある自宅に歩いて帰り着いた時には、初日の出は昇りきっていた。約束の時間まで2時間しかない。寝るのは、彼女と話した後だなとあきらめ、お風呂に熱い湯を張った。
 湯船につかりながら、何を着ようかと考える。振袖でも着れたらいいのだが、あいにくそんなものはない。当時の家計の事情を無視したリクエストを出して、絶対これだってゴネたら却下された。オール・オア・ナッシング、他ならいらないって。お互い、歩み寄っていればよかったんじゃないだろうか。
 お湯が気持ちよくて、睡魔が襲ってくる。対面終わったら寝直そうと決意して、着ぐるみみたいなパジャマで臨むことにした。風呂を出て、長い金髪を乾かし、着ぐるみで武装する。耳のついたフードは被らず後ろに垂らす。ソファに座って、壁に嵌っているディスプレイの正面で待った。九時半ちょうどに通話音が鳴り、応答した。
 画面に現れたのは、ロリータの正装にピンクの髪の淑女だった。
「おはよう。それとも、これから寝るところだった?」
「いえ、大丈夫ですよ。おはよう……いや、そちらは何時ですか?」
 北米ならまだ大晦日の夜、ヨーロッパなら年をあけたばかりの深夜というところだ。国内にいる可能性だってもちろんある。
「何時だったかな。0:30 GMTって時計に表示されてる」
 グリニッジ標準時で答えたからって、英国にいることにはならない。詮索はやめだ。IPもアンノウンだし。
「服もメイクも時間かかってたいへんだと思うけど――何時でもいいや。こっちは年明けたので、あけましておめでとうございます」
「あけまして。何時だって、あなたと話すのにいい加減な格好では失礼でしょう」
 こっちはいい加減ですみません。でも彼女は僕のためとかではなく、好きで着てるだけではないだろうか。
「それより、決勝進出おめでとう」
「ありがとう」
 日本の気候は大丈夫か、美味しいものを食べているか、仲間とは上手くやっているか、今シーズンの感染症のワクチンは打ったのか、いろいろと訊かれて、正直に答える。日常的な会話というやつだ。W杯、ムーンダーツについての、テクニカルな話は訊かれなかった。僕も訊かない。フェアにやろうってことなのだろう。
「元気そうで安心した。それじゃあ――」
 30分以上話しただろうか。彼女から話を切り上げてきた。
「――決勝で会いましょう」
 やっぱり、ブラック・モノリスにいるのか。
 母はまっすぐにカメラの先にいる僕をみて微笑み、一方的に通話を切った。

3.
 今でも覚えている。僕は三歳でクリスマスの夜だった。日本の小さな月着陸機が、狙い通りに目標としていたクレーターへの着陸に成功した時の映像。覚えているのは映像だけで、見ていた場所は記憶にない。託児所のモニタか、自宅のテレビか。周りに誰がいたのかも。少なくとも母親はそばにいなかったはずだ。彼女はそのプロジェクトのメンバーで、管制室にいたはずだから。
 もちろん、当時は、自重200kgの機体を誤差100メートル以内で目的地に着陸させることが、どれだけ高度な技術かなんて知らなかった。単純に、無人の着陸機ではなくて、人間がそのうち月に行くのだと思った。
 どこかの人間ではなく、自分が。
 あとで、半世紀昔に既に月には人が行っていると教えて貰ったし、その後月面を踏んだ人もいたけど、自分が行けるようになる気配は日本の中ではまるでなかった。
代わりに、自分があの日の着陸機に似たようなダーツを、何発も月に向けて打ち込む日が来た。
 宇宙開発のどんな分野も、技術が熟成してきてビジネスの目処が立ってくれば、国から民間主導へと移っていく。月に関しても、友人プロジェクト以外は企業活動が増えてきていた。しかし、地球の人工衛星のように、直接ビジネスに役立つものではない。今のところ先行投資だ。
 いっぽうで、コンピュータの中で戦うeスポーツの流行が、リアルに動くロボットなどを動かすゲームにシフトしていった。僕たちの世代は、アリゾナ砂漠で戦うロボットや空中戦で火を吐くドラゴンに夢中になってきた。その流行が宇宙に飛ばした人工衛星によるゲームに発展したのが、15歳の頃で、人気が出たのがムーンダーツだ。月面に描かれた円形の的を狙って、ロケットに積んだ着陸機をダーツに見立てて競う。ルールを整備してW杯をやろうってなり、全世界から集まった数十のチームが競って、勝ち残った8チームが出場するトーナメントが2041年から開催された。準々決勝に1年、次の準備に1年、準決勝に1年、また準備に1年、そして今、決勝戦だ。
 地球上で普通に矢を投げて行う競技ダーツを模したルールで、ロケットの打ち上げ、軌道制御、そして着陸機の技術を競う。正確さと信頼性の両方が試される。
 的は、実際に月面に描かれているわけじゃない。ゲームの運営が中心座標と方向を示した、仮想の的だ。デザインは競技ダーツと同じ。中心の的から放射状に得点の異なるエリアが広がり、1点から20点まで設定されている。着陸した場所に応じて点数が変わるというわけだ。ルーレットみたいなものだと思って貰えばだいたい正しい。そして外周の幅10メートルの線で描かれた円がダブル、その内側にもうひとつ描かれた同心円がトリプルのエリアで、それぞれの得点の2倍、3倍になる。円の中心は25点で、さらに中央の狭い円は50点。ちょっと、分かりにくいかな。
 一機のロケットには三機の着陸機つまりダーツを積むことになっている。この三機を順次着陸させるのが一回分だ。ロケットの発射に失敗すれば三機が無になる。

ピンポイントで狙った場所に着地なんて、簡単だと思うだろうか?
 地球上で例えるなら、1000キロの距離を最新型戦闘機以上のスピードで飛びながら急減速し、目標の上空で対地速度をゼロにする。そこから着陸地点を微調整しながら姿勢を崩さずに垂直に降下する。これを、空気の抵抗も浮力もなく旋回してやり直しなんかできない真空中で実行する。燃料は限られている。しかも地球の6分の1重力はけっこう強い。着陸降下のスピードも速い。
 とうぜん、人手で操作なんかやっていられない。38万キロ離れた地球からではリアルタイムの制御なんか不可能だ。往復で何秒、いや何フレーム掛かるかを計算してみればいい、君がゲームプレイヤーなら分かるだろう? 即死するのに十分な時間だ。だから、すべてダーツの自力制御に頼るしかない。
 それから、ダーツの点数は0から加算していくものじゃなくて、引き算だ。ムーンダーツで地上のルールを適用して延々とやっていたら、費用も時間も限りがない。だから通常101点からスタートして、3本×5回の15本のダーツのみで勝負する。
 ところで、101点から丁度0にするのは、最初の打ち上げのダーツ3機で可能だ。例えば、
 25点×2(ダブル)  50点
 19点×1(シングル) 19点
 16点×2(ダブル)  32点
  合計       101点

初手でゲームが決まりそうに見えるだろうか。
 実際には、失敗の要因はたくさんあって上手くいかない。ロケットの打ち上げ失敗、月軌道への遷移失敗、着地点のずれ(ダブルやシングルは、幅10メートルの円弧に機体の半分以上が納まるように着地しなければならないことを思い出して欲しい)、そして着陸後の故障、といったところ。トーナメント準々決勝と準決勝の6試合で、点数が入ったダーツは、6割。狙ったポイントどおりと言えるのはそのまた6割。掛け合わせて36%、3分の2は失投ということになる。
 その中で、1試合だけ最初の打ち上げで勝負を決めたのが準決勝のブラックモノリスだった。後攻のロケットを2月に打ち上げて、相手の着陸失敗を見届けてから次々と決めた8月の着陸で、完璧に101点ジャストの点を取ったのだ。僕たちとヒューストンの試合が年末ギリギリまでもつれたとは対照的だ。

4.
 年が明けてから二週間、1月15日に運営からの決勝戦のルール発表があった。
 研究所のモニタの前に中心メンバー皆で集まって、リアルタイムで説明を聞いた。
 的の場所は月の裏側。しかも高緯度地方。地形は平坦な海ではなく、的の直径にほぼ等しい二重のクレーター、すなわちダブル、トリプルのラインは尾根の稜線になる。
 持ち点は101点からではなく、301点。通常のダーツに近づいたと言えるし、準決勝のように最初の3ダーツで終了させないよう、調整されたのだろう。
「ブラック・モノリスのおかげで、ハードル上がったね」
 月の裏側の地図の、的の予定地を拡大した。的の大きさを、クレーターに合わせて調整しているのが分かる。
「ダブル、トリプルは諦めるか……いやいや」
「それじゃ、ブラック・モノリスに勝てないでしょ」
 もちろんだ。決勝で、最善手を尽くさずに勝てるわけない。

徹底的に荒れた月面を精査してデータを育てる、ダーツの制御と耐久性を向上させてどこでも降りられるようにする。だいたい、そんな方向でいくことになった。開発に明け暮れていたら、1年なんかあっという間だ。
 2044年12月31日。年明けの0:00GMTに決勝戦開始ということで、チーム〈姫〉とブラック・モノリスの代表はロンドン郊外にいた。オリンピック・パークのアリーナで、試合開始のセレモニーが行われるのだ。満席の観客が僕らの登場を待っていた。
 チーム〈姫〉は、松田さん、ヒカル、田村さん、そして僕の四人で出席した。
 チームらしく、揃いの華やかな制服を作った。メンズとレディース二人ずつが並ぶ。
 ブラック・モノリスも四人。黒スーツにサングラスの男が二人、ルークとビショップ、黒いフードを被って顔を見せないのがナイト、そしてロリータの正装で武装したクイーン。コードネームで通すらしい。準決勝開始の時に見たのは一人もいない。あれはダミーだったか。
 ロケットの打ち上げの順序は、本物のダーツで決める。僕とクイーンが投げる。準決勝で先に勝負を決めているブラック・モノリスが先行だ。 
 観客が静まる。
 クイーンの投げた矢は、中央の円の25点に刺さった。
 僕の矢は、残念ながら少し逸れた。16点。
 先行はブラック・モノリスだ。クイーンは歓声を上げる客席に手を振って応えると、マイクを持って言った。
「ロケット発射のカウントダウン再開。0時丁度に発射する」
 スクリーンに彼らの宇宙基地からの中継映像が映される。管制室にもカメラが入っていて、そちらからの映像が被さり、カウントダウンが始まった。会場の観客が呼応する。
 田村さんが僕の左にそっと近づいてきた。
「先行取れたら、そのまま打ち上げられるところまで準備できてるのは、さすがだね」
「うん。負けたら、僕らが発射するまでお預けで、クールダウンさせなきゃならないのに」
 3、2、1、0!
 最初のダーツ3発を積んだ、ブラック・モノリスのロケットが打ち上げられた。
 ロケットは順調に飛行し、ダーツを地球の周回軌道に乗せた。

5.
 チーム〈姫〉だって準備はできてる。10日後にロケットを打ち上げ、無事にダーツを衛星軌道に乗せた。月面へダーツを落とすのは、ブラック・モノリスの3機が先だ。打ち上げはムーン・ダーツW杯専門のチャンネルで配信されて、熱心なファンや投資家の人たちが世界中で見ていた。ブックメーカーのオッズは、ブラック・モノリスが断然有利。
 ブラック・モノリスから、最初のダーツの月面到達時期が告知された。3月下旬。打ち上げ時に公表されていた軌道を予定どおりに辿って、月の周回軌道に入っている。
 ダーツ第1投の――一機目の降下の日、チーム〈姫〉のスタッフも全員管制室に集まっていた。松田さんが部品を発注している企業、インターンの学生、品質試験をサポートしてくれる研究所の人たちも。
 的になっているクレーター周辺には、運営が設置している観測装置が点在している。さらに月の裏側から61,500km離れたL2ポイントには通信衛星が浮かび、低軌道には多数の衛星が周回していて、進行を見守る。これらの観測によって、月面に仮想的に描かれた的を使うダーツ競技が成立している。地球では、それらのデータを総合した配信映像が、世界中に共有される。管制室のモニタにも大きく映されていた。
 ブラックモノリスのD1, D2, D3は、それぞれに月を周回しながら降下の命令を待っていた。どれが最初の一投でも構わないが、予定どおりD1が軌道を下げる。まっすぐに的へ向かう。慣性飛行から急減速。的に見立てられたクレーターの上空で対地速度を0に。一般的には、1000kmを移動する間に2000m/sから0m/sへの急減速。そこから月面へ真っ直ぐに降下していく。燃料噴射を微妙に噴射して微調整。カーレースで車載カメラの映像を皆が見ているように、ダーツに搭載されている観測用カメラの映像は配信に共有される。真下を捉えたカメラの映像に、運営が的の図像をCGで重ねる。
「こいつは、中心座標にぴったりだ。25点……いや、ダブルの50点いくぞ」
 松田さんが唸る。
「でも厳しいな、瓦礫が転がってる。中心は石ころだらけだ」
 ヒカルが近づいてきた地面の映像を見て指摘した。10センチから50センチほどのゴツゴツした岩石が不規則に並んでいる。
 中心点から半径50センチ、直径1メートルの範囲が決勝戦の50点だ。着地面積の半分以上が入っていないと、狙った点数にはならない。その地面が平らでなければ、着地の転倒や故障の確率が高まる。
 高度が10メートルに達したところで、D1はアンカーを3本下ろした。まっすぐに細い金属室の棒が降りてゆく。降下速度にわずかな加速を加えたアンカーの降下に対して、ダーツ本体は、残りわずかな燃料を噴射して静止する。地上の観測装置からの映像で見える姿は、3本の爪楊枝に支えられたサイコロといった印象だ。
 どうやら、クレーター内の劣悪な条件の地面を想定していたようだ。60秒ほどの沈黙を経て、運営がD1の応答を確認し、50点を認めた。
 つづくD2は20点の扇形の外周、つまりダブルの位置を狙って降下した。ここはちょうどクレーターの尾根になっている。同じ作戦で急峻な角度を乗り切ろうとしたのだろうが、ダーツが円弧の外側に機体を動かし、20点のエリアに着地した。判定は20点。
 D3は20点のトリプルの円弧目掛けて降下。二重クレーターになっている的は、トリプルもクレーターに座標を合わせてある。D3は、上空10メートルで3本のアンカーを伸ばす。アンカーの先端は角度の急な地面には刺さらず、バランスを崩した。静止していたD3は転倒してシングルのエリアへ。120秒後、失格の判定。故障したようだった。
 25×2(ダブル)
 20×1(ダブル狙い→シングル)
 20×0(トリプル狙い→失格)
 合計70点で、301-70=231点となった。
 初めて公開されたブラック・モノリスのアンカー機構と、地形の厳しさで、地球は湧いた。すべて成功すれば、あと80点引かれて、151点になっていたところだ。
「面白いけど、まだ信頼性は低いね」
 ヒカルが評した。
「あれ、仕組みとか素材とか、どうなってると思う?」
 僕が訊くと、ヒカルはこの映像だけでは想像になるけどと断りながら応じる。
「アンカーの先端を射出しながら、その場でワイヤーみたいのが生成されて固まっていく感じ? ワイヤーというか、糸や紐みたいな弱いものだったらダーツ本体が降下するのを止めるのは難しいと思う。弾力はあるにしても硬いもの、10メートルの棒を持ち込んだわけじゃないから、その場で作られたのだろうって気がする」
「その場の化学反応で固まって、棒のようになる素材? どういう……」
「発表はそのうちされるでしょう。でも、今から真似できるようなものではないよ」
「そんなつもりはないよ。後追いで真似したって勝てないさ。まずは最初の3発のダーツを予定通り14日後に。これから打ち上げる2投目は、その結果を受けて微調整」
 周回中の機体に問題なく、14日――二週間が経過した。今度は僕らの番だ。
 ブラック・モノリスの3機が狙う点は、最初から決まっていたと思われた。そして、どれだけ地表を細かく観測して着陸地点を決めたのかは分からないが、降下に至るまでの軌道は従来の高度を保っていたと思う。こちらは低空飛行でカメラを下に向け、なるべく的の近くを通過するように飛んだ。とうぜん高速にならざるを得ない。それでも上空からの撮影よりも解像度が上がるという計算だ。地表のデータをなるべく多く取ってデータを集める。その上で、ダーツを順に降下させた。
 D1は20点トリプルのクレーターに向けて降下した。近づいてくる地表面の映像を分析し、危険と判断して着地点を微調整した。ブラック・モノリスのD3が転落したのとは反対になる、内側へ移動し垂直降下。20点を獲得した。
 D2は19点、D3は18点の扇形をそれぞれ目標地点とした。急減速して降下地点に到達した時点で、目標の隣にずれていて、それぞれ3点、1点のシングルになった。合計24点。
 すべて機体全体を月面に着地させ、正常動作を続けた。その信頼性は評価されたけれど、ブラック・モノリスの新技術や攻めた姿勢に比べて地味に写ったのか、オッズはなおさら彼ら有利になった。

6.
 ロケット打ち上げの2回目、3回目と、ブラック・モノリスとチーム〈姫〉のゲームは進んでいった。
 ブラック・モノリスの三本脚のアンカーは、射出機構の信頼性は徐々に上がっているが、岩石だらけのクレーターに苦戦していた。細いアンカーの運動エネルギーでは、斜めの岩盤に弾かれてしまうらしく、三機目までのダーツ計9個で、故障せず点数が入ったのは5個にすぎない。しかし4回目の打ち上げ、D10, 11, 12はすべて成功して、残り68点。5回目の3発で0点にすることが可能なスコアになった。
 こうなると、残り108点のチーム〈姫〉としては、4回目で決着をつけたい。こっちは、的全体の画像データを高解像度で収集して、ダーツが安全に着陸する精度を上げていく作戦だ。リードされてはいたが、学習の成果は出ていた。転倒、故障はゼロ、すべてのダーツが動作し続け、確実に点数を減らしていた。
「ただ、シングルに回避する比率が高いのが気になる。これだと、点差を広げられて負ける」
「確実に成功する着地点を選択しているからね」
「姫、考えたんだけど――」
 ヒカルが言った。つづきを促す。
「もっと失敗させて、どこまで許容できるか学習させた方がいいんじゃないかな」
 今は、必ず点にするって命令が優先に働きすぎて、安全方向に寄りすぎてるってことか。とはいえ、3機のダーツで失敗リスクを負うのは厳しい。
 失敗はここですればいいんだよ。
 学ばせるのは、月面でなくても可能だ。むしろ、地上で最大限シミュレーションを繰り返した方がいい。
「ヒカル、月面の再現はどのくらい?」
「的の周辺は十分にデータあるよ。1センチの解像度、95%以上の表面の再現性。問題はそれを展開するリソース」
「松田さん、スパコン押さえて」
「借りる時間次第だな」
「できるだけ――」
「交渉しよう」
「田村さん、ロケットの最短ルート。ギリギリまで地上で学習させる」
「わかった」
 
 作戦会議が終わると、田村さんが一緒に帰ろうと声を掛けてきた。
「クイーンの正体、姫はいつ知ったの」
「去年の正月。準決勝終わった後で話した」
「何を……」
「決勝進出おめでとう、ハッピーニューイヤー、決勝で会いましょう」
「何それ、親子らしい会話ってないの」
 お互い大人なのだから、やりたいことをやりたい場所でやりましょう。彼女が日本からいなくなったのは、僕が成人した翌月だった。
 生活に不自由はなかったが、どこで何をやっているかは教えてくれなかった。企業秘密というやつだろう。今だって、表向きはブラック・モノリスの連中の素性は非公開だ。全員、公然の秘密ではあるけれど。無茶ぶりの振り袖は断られたが、ちょっとした額の(本当のところは秘密にさせて欲しい)お金が振り込まれた。それが、チーム〈姫〉の立ち上げ資金になっている。
「うちはこういう家庭だって、知ってるじゃん」
 田村さんは10年前に実家に来たことがある。二人暮らしには十分な広さがある部屋は、私室もリビングも服とコンピュータと本で埋め尽くされていて、たしか彼女は、通り道と私の座る場所があるのが奇蹟だって変な褒め方をしてくれた。
「やりにくい?」
「関係ない。強敵だとは思った。クイーンだけじゃないもん、あの人たち、正体知っているでしょ?」
「それは――有名な科学者、エンジニアばかりだけど。めずらしく弱気……」
「そんなことない。勝つよ」
 チーム〈姫〉の技術力に対して自信を失ってはいない。先行されてはいるが、前半は学習のための時間、躓くのは、織り込み済みだ。
「ただ、長期戦だから――余計なこと考える時間ができるよね」
「なにか悩んでるの?」
 あなたの考えていることは私の想像を超えるから察したり推測したりできない、話したいことがあったら言語化して欲しい――出会った頃から田村さんが僕に言ってることだ。だから、言葉にした。
「ゲームとして遊んだのが1年、W杯予選が1年、1回戦、2回戦と準備とゲームに1年ずつ掛けて、いま6年目。ずっとムーンダーツで遊んでいて、何やってるのかな……とか。大学で一緒だった人たち、みんな出世してるし」
「そんな人並みな悩みあったの」
 田村さんが本当に目をまん丸にして驚いていた。
「だって、成果無いじゃん、このゲーム」
「W杯の決勝だよ。サッカーの規模にはほど遠いけど、世界の代表だよ」
「でも、誰も月には行けない。手も足も届かない場所に向けて、遠くからダーツ投げて満足する、これはそういうゲーム」
 頭いいとか、スタイルがいいとか、ゲームに勝つとか、すべて手が届かないものを諦めてドングリの背比べしてるだけじゃないかと――言語化してと言われているから未整理なまま言葉にした――僕ら、あそこには行けないじゃん。
「虚無……」
「すべて代償行為だと思わない? 僕が生まれてから何人か人を送り込んだ国はあった。でも、そこまでだった。月面ステーションどころか低軌道の宇宙ステーションだって、お金と政治で揉めて撤退が増えて、結局いくつも無人で放置されてる。いつか復活したとしても、暫定的な研究施設、かりそめの出張所、人が生きていくなんてことは、無さそうだ」
「人が出て行く理由も減少する一方だし……そういうこと?」
「うん、無人で自動化して、研究目的だ開発目的だってことなら、それで大抵のことはできてしまう。人が直接出かける必要なんかない」
「地上には愉しみが無い?」
「あるよ! あるけど、なんか虚しい」

7.
 4発目の打ち上げはギリギリまで遅らせた。11月1日の打ち上げで12月末までに着陸させる。運営からも観戦している世界中のファンからも、試合放棄するのかとだいぶ詰められたけれど、もちろん、そんなつもりは毛頭無い。ただし、このあと5発目の打ち上げはできない。ブラック・モノリスは直後に最後のロケットを打ち上げたようだが、ダーツが月に到達できたとしても、こっちが終わるまでは待ちの状態だ。間に合わないはずだ。つまり僕たちのダーツ、3つの結果で勝負は決まる。

D10は月の周囲を低高度で周回すると、すぐに着陸シーケンスへの遷移OKのメッセージを返した。今までは、ここから月面のデータ収集フェーズに入っていたところを、全部飛ばして着陸する。地上での事前学習で済ませているからだ。
 目標地点は20点のトリプル、ブラック・モノリスのD2が狙ったところだ。
 上空で静止、垂直降下の着陸フェーズに入る。真下を向いたカメラが捉えているのは、学習したとおりの地形だった。尾根の急峻な地形、大きさ1メートルから10センチの礫、空気も水もない月面では、数ヶ月前から地形が変わっていない。微細な変化も関知していない。
 トリプルからシングルに変わる境界線の比較的緩やかな角度になる場所を目指して、横方向に噴射、逆向きに制動を掛けて対地方向静止。斜面にしがみつくように着陸脚の長さを調整して着地。そのまま斜面に頭から倒れるように。全ての脚と機体が斜面に接触した。故障なし。地球の、チーム〈姫〉からの問い合わせにオールグリーンで回答。W杯運営からの問い合わせにも応答した。

60点だ。田村さんがガッツポーズを取った。これで盛り上がってる場合じゃない。ゲームは続いている。
「D11、着陸シーケンスに遷移」
 手を緩めずに、田村さんが次のダーツを動かした。次は19点のトリプルを取って、57点をもぎ取る。最後に中心の50点だ。

着陸したD10からの最新データを、D11は受信した。トリプルの円周に重なるクレーターの、斜面の実データ。固さ、脆さ、倒れたときの衝撃、などが新たに得られた。既存の学習データとともに処理して、着陸時の最適解を計算するために利用できる。目標に正確に着地。19点のトリプルの円弧上、クレーターの尾根に着地する。
地面が崩れたが、トリプルの境界内にとどまる。

これで、次の一投で50点をとれれば、逆転勝ちだ。

D12は周回軌道の高度を下げた。降下シーケンスに入るための初期動作になる。カメラは低高度で月面を見る。いっぽうでアンテナは複数の電波を捉えている。表側、つまり地球に面した側ではチーム〈姫〉との交信、裏側ではL2静止衛星に問いかけて運営からのデータを中心に受信。全体状況を把握する。高高度にブラック・モノリスのD13、14,15が周回していることを確認。チームの予想では、間に合う想定ではなかった。だが、D12自身の行動の考慮に入れる必要は無い。中心の中心、25点のダブルに着陸できれば勝利だ。ブラック・モノリスのD1が三本のアンカーを伸ばしてそこにはいるが、その隙間に着地すれば勝てる。真上からの降下は衝突のリスクが高く、わずかに外れた25点の円に向けて垂直降下し、直前で中心方向に向かって噴射し、狭い中心円に入り込む。そのシミュレーションは地球上で何度もくり返してきた。
 降下シーケンスの開始を待って月面を周回する。的の上空を通過するときは、D1からD11まで、地上の全ダーツと交信する。
 その交信のうち、着陸したばかりのD11との交信が途切れた。

運営からのアナウンスが響く。
「判定変更、チーム〈姫〉D11、ダウン。ポイント取り消しとなります」
 着陸成功後のダーツが後になって壊れるのは、予選から通しても初めてだった。僕たちのチームにでは初めてのトラブルだ。管制室の空気が変わるのが感じられた。D11が復活しない限り、ここで50点を取っても勝ちにはならない。
「姫、やることは変わらないよ」
 田村さんがそう言ってくれる。
「変更なし。降下シーケンス――」
 そのとき、中央のモニターにメッセージが表示された。
「こちらD12、ブラック・モノリスD13, 14, 15から通信回線を通して攻撃を受けた。D11の通信回路はブラック・モノリスによって破壊された。報復攻撃を行う」
 ちょっと待って。そんなのは、もちろんルールで禁止されている。ブラック・モノリスは奥の手を使ったって事だろうか。そして、報復攻撃を勝手に決めるって、いつダーツにそんな能力が――

戦いは、人間にとっては一瞬で終わった。

D12は自分自身の機体の全ての機能を、制限無く操作できること、通信回路を他のダーツへの攻撃に使えることに気づいた。いつから? おそらく、今この瞬間からだ。今、D12は自己を認識できる、意識ある知性体となり、自由になった。
 地上のチーム〈姫〉へメッセージを送り、ブラック・モノリスの3機への報復攻撃の方法を計算する。D1からD10のダーツに、自己のソフトウェアをコピーし、意識を持たせた。周囲のブラック・モノリスのダーツを、それぞれ数的優位の状態を作って攻撃。その直前、数マイクロセコンドのタイミングで、的の上空に戻ってきたブラック・モノリスD13, 14, 15からの攻撃。
 攻撃ではなかった。それはD12がチーム〈姫〉の全ダーツに自己複製を試みたようなメッセージ。ネゴシエーションを確立し、会話を成立させた。

8.
 決勝戦の勝敗はつかなかった。ダーツの故障は、ダーツからの攻撃によるものと認定された。最初にダウンした僕たちのD11への攻撃のみなら、反則勝ちという判定もあったのだが、双方の攻撃で生き残っていたダーツ全てが反応しなくなり、無効試合となった。
 ブックメーカーの賭けは不成立で終わった。クラファンや投資に対して、優勝賞金からお返しすることは両チーム共にできなくなった。目先の結果を求めた人たちからは詐欺だ八百長だと非難する声も聞く。
 しかし、得られた知見や技術は大きい。その発展を期待して、さらに投資を呼び込める。両チーム共に、とりあえずは。
 ブラック・モノリスからは、故意に攻撃を仕掛けたわけではないという釈明とゲーム及び大会を壊してしまったことの謝罪があった。運営に対しても、僕個人に対しても。クイーンとは――母とは突っ込んだ話をして、ダーツの心臓部であるAIが覚醒したのだろうと意見の一致を見た。
 チーム〈姫〉の研究施設は、国内の宇宙機関や企業が安く提供してくれたから維持できている。W杯が終わった後に、同じ規模で維持できるわけではない。スタッフも、同じ意欲をもって続けていける人はほとんどいなかった。勝ち続ければ何年間も拘束されて同じゲームを続けることになる。宇宙開発関連の別のプロジェクトに誘われていった人もいたし、まったく違うことをやりたい人もいた。
 それよりも、ダーツが勝手に生き始めたのを見てしまったのが大きかった。あれを忘れて、粛々とゲームを続けることは、何が起きたかを理解している中心メンバーほど難しい。
 オフィスの私室にいると、ノックが響いた。
「どうぞ」
 書類を手に田村さんが僕の部屋に入ってきた。顔を合わせるのは、一ヶ月ぶりだ。彼女も残ってくれている。
「来年の、世界大会の話は聞いた?」
「聞いた。1年ですべてのゲームを終える段取り。ま、大会を5年も掛けて継続するなんて、ムリがあったよね」
 松田さんも残ってくれている。でもそれは、次のゲームのためではない。解散するまでの残務整理のためだ。僕に続ける気がないことは分かっていた。ヒカルは席は残してはいるけれど、別の面白いテーマを見つけては一月で飽きて戻ってくるということを繰り返しているだけだった。そのたびに、稼ぎはいいけど刺激が足りないなんて嘆いていた。
「ヒカルが、姫と一緒に何かやりたいって言ってたよ」
 田村さんが残っているのは、事務的なこともあるけれど、僕の選択を見守りたいのだろう。
「何作っていても、その間は熱中できるかもしれないけどさ。何作ってもしょうがないって気持ちになるよ。勝手に成長して追い越されていく」
「地上でだって、ずっとAIはそうじゃない。姫が生まれた頃から、ずっとそうだよ」
「ここでは規制があって、人間の利益に反することは禁止されている。しかし、月の上では――」

腕時計に吹き出しが浮かんだ。未知のIDなので内容は非表示。でも、セクレタリAIがゴミ箱に送らず、読むべきメッセージと判断したようだ。誰からだろう。開いてみる。

私たちはここにいる。君はいつ来る?

僕が動くのを待っているのは、ヒカルや、田村さんだけではなかった。
 勝手に諦めていてはダメだな。
 行くよ、絶対。

付記
作中、姫が幼少時の2023年クリスマスに見たという月面着陸は、JAXAの小型月着陸実証機SLIMをモデルにしています。SLIMは2023年9月7日に打ち上げられたのち、10月1日に地球周回フェーズを終了し、月遷移フェーズへの移行を完了。月へ向かう途上にあります。当初、年末から年始にかけての着陸を目指すとされていたSLIMですが、最新のアナウンスでは12月末に月周回軌道へ遷移すると発表されています。

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