梗 概
😂で伝える
ペットの絵文字は飼い主の感情によって表情を変える。坂浜さんの絵文字であるコムギは、いつも目をハートにしながらクラスの人たちが飼っている絵文字のことを追いかけている。コムギが激突しそうなぐらい勢いよくやってくると、私の絵文字は驚いた表情に変わった。坂浜さんが慌ててやってきてコムギのほっぺたを二回つつくと、絵文字の顔が見えなくなる。
「コムギ、元気だね😂」
「ほんとごめーん。コムギ、他の子のこと好きすぎてすぐどっか行くんだよね」
ミズキが私の周りから離れないのは、私の人見知りな性格が反映されているだけだ。今もどう反応すればいいのか分からず、まだ嬉し泣きの表情を浮かべている。
中学に入学すると、より感情豊かな人間になるためにと、絵文字の育成キットが配られた。宙にふわふわと浮いている絵文字を育てるのは不思議な感覚だったけど、一度慣れてしまえば、他の人の気持ちを読み取れるし良い。
私の中学は特に力を入れているらしく、絵文字の育成が悪いと補習がある。絵文字がより豊かな表情を見せるように、色々と試行錯誤はしていたけれど、ミズキは表情のバリエーションが少なくあまり成長が見られない。予想通り、先生から呼ばれて補習に参加することになってしまった。ミズキが少ししょんぼりとしているので、ガッカリした気持ちを伝えてしまってごめんと思いながら、頭を撫でて慰めた。
放課後に集められた部屋には坂浜さんもいた。表情を隠しすぎているということで呼ばれたらしい。絵文字と仲を深め、五十種類ぐらいは表情が出るようにしないといけない。トレーニングで坂浜さんとペアになる。坂浜さんは、ミズキの表情をそのままにしておくと、勝手に好意を寄せられていると勘違いされて嫌だと不満を漏らした。
「コムギが私の周りにいるだけで、相手のこと好きだって言われて嫌なの😍」
確かに、言ってることと表情のミスマッチがすごい。困惑がミズキに伝わって、表情が少し変わった。
ミズキは最初緊張気味で、口元を見せずにいた。それでも関係なくコムギはミズキの周りをクルクル回っている。坂浜さんも、私に積極的に話しかけてくれて、なんとかミズキの心を開こうとしてくれた。
坂浜さんとコムギのお陰でミズキもだんだんといろいろな表情を見せるようになる。コムギも他の絵文字に突撃することはなくなって、ハート以外の表情を見せるようになる。四十九種まで顔が出るようになって、私とミズキとの仲もグッと深まったと思う。最後は今までのがんばりをお祝いすることにした。
「私たちの絵文字、表情よくなったよ🥳」
「分かる、よかったよね🥳」
五十種類目の表情が無事に出たことに安心しながら、坂浜さんと私は補習課題の絵文字育成レポートを一緒に書いた。
文字数:1167
内容に関するアピール
浮いている絵文字がペット? という視覚的に不思議なところから始まり、育てていくことでペットらしさを表現したいと思います。ペットが子どもの情操教育に影響を与えることと、絵文字が文章の感情を補足する意味合いを持つことに、共通項があるような気がして考えました。5000文字程度のお話のつもりです。イメージとしては、学校で育ててていたアサガオとかのような形で、授業の一貫として絵文字を育てているような感じです。ほっぺたをつつくと表情が見れなくなるので、表情を見せなくていい場面ではちゃんと消えるような設定です。トレーニング内容は、心揺さぶるような映画や体験をしていくようなことを想定しています。絵文字をペットとした時に、なかなか上手く育たない絵文字もいるのではないかと思い、大変だねーと言い合うほのぼのした感じにしたいです。
会話文の中に絵文字を入れようと思っていますが、良いのでしょうか?
文字数:390
癇癪を飼いならす
※梗概とは違う話です。癇癪をペットにする話にしました。※
脱衣所で体重計に自ら乗った癇癪は、私の方を見上げた。おもちゃの目玉のようにくるりくるりと黒目が動くのを、じっと見つめる。テニスボールを真っ黒にして、目がついたような姿の癇癪は、飼い始めて半年になる。目盛りを見ると、前測ったときよりもかなり体重が増えていた。私は、アンガーマネジメントのセミナーで習った六秒ルールを思い出しながら、頭の中でカウントする。自分の気持ちの出力が本当に間違いではないのかを確かめるための六秒というけど、癇癪の黒い体に汚れがついているのが気になるだけだった。糸くずやホコリは特に目立つ。音を立てて息を吐くと、癇癪は何かを察したようで、コロコロと体重計の目盛りに転がっていく。
「体重隠してもだめだから。あんたこれ、絶対ダイエットしなきゃいけないからね」
セミナーに行く前はいつも癇癪の体重を測る。今日は癇癪をリラックスさせるためにわざわざ朝、近くの公園まで散歩をした。散歩をする程度でどれだけコンディションがよくなるのかは分からないけど、癇癪が溜まるようなことはしていないはずだ。本来であればどんどん小さくなっていくべきなのに、この半年間で癇癪はむしろ太った。
癇癪は目が回ったのか、しきりに瞬きをしている。自分でやったくせにと鼻で笑うと、癇癪は床に転がった。
「太るようなことしてないと思うんだけどねぇ」
最近すぐにイライラするな、とは思っていた。でもセミナーに通い始めてから自分の気持ちの整え方は大分理解してきたように思う。仕事もそこまで忙しい訳ではない。自分の中では比較的安定している——癇癪を飼い始める前から別にキレやすい訳ではなかったけど——と思っていたので心外だった。
指でつついて体重計から降ろす。ついでに自分の体重も測ってみると、こちらも増えていた。癇癪が重くなったのではなく全体的に太ったならいいか? 床に転がった真っ黒な癇癪は、機嫌を損ねたのか洗濯機の横に入り込んでしまった。ついつい面倒で掃除をしていなかったから、癇癪が埃まみれになる。体毛といえばいいのか、ケバついた体にうまく絡み合って、あっという間に真っ白になっていた。掃除が行き届いていないと暗に言われているようでうんざりする。お腹周りの肉の厚みの方が、よっぽど可愛げがある。癇癪をつかもうと奥に手を伸ばす。その手を避けるように、癇癪は洗濯かごから落ちたのであろう靴下やタオルの後ろに隠れた。スマホのアラームが鳴ると、癇癪が跳ねた。まだ私は着替える前なのに、十五分後には家を出なければならない。私は癇癪をなんとかするのを諦めて、置いておいたズボンに足を通した。
「来い!」
癇癪は命令すればその通りに動く。靴下を引きずりながら出てきた癇癪を拾いあげた。セミナーでは、抑え込まずに癇癪を落ち着かせるのが理想と教わる。時間があるなら出来ることでも、いつでも癇癪の都合に合わせる訳にはいかなかった。辛抱強く待ったところで、私の癇癪はまだ予測できないところがあって、いつまで経っても出かけられないなんてこともありえる。私は癇癪が埃を床に撒き散らす前に、ゴミ箱の上で軽くはたいた。親指の腹で汚れを拭ってやっている間、癇癪は私の手の中で大人しくしている。
命令通りに動くことだって最初はままならなかった。家の中をゴロゴロと動き回り、逃げて逃げて、癇癪は私を拒んだ。テーブルの上に置いてあったありとあらゆるものはなぎ倒されたし、コップに入り込んで濡れたまま床を駆けずり回ることもあった。夜中にボールのように跳ねるから、きっと近所の人も迷惑だったと思う。少しずつ訓練して飼い慣らし、ようやく声を強く出せばコントロールできるようになった。
「セミナーにいく前にスーパーに寄りたいの。だから早く出なきゃいけないんだってば」
ね、と言ってみてもきょとんとした顔をする癇癪は、本当に私の気分と繋がっているんだろうかと思うことがある。癇癪には口がないので鳴いたりしないが、明らかに不満そうにしている。私は癇癪の前で指を回した。そうすると少しは落ち着くらしいけど、今日はあまり効果はなかった。
スーパーで何か癇癪のダイエットに良いものはないかと陳列棚を見ても、大体は犬猫のものばかりで、癇癪用のものがない。私は黙々とキャットフードを並べていた店員に尋ねてみた。
「すみません、癇癪に効く薬とかってありますか? 大きくなりすぎちゃった子に与えるものとか」
「当店ではそういったものは取り扱ってないと思います。ペットコーナーはわんちゃん猫ちゃんのものがほとんどなので」
店員の声はモソモソとしていた。まだ学生なのかもしれない。エミリーと書かれた名札には研修中と書いてある。エミリーの視線の先を辿ると、癇癪がコロコロと棚の隙間に入り込もうとして突っかかっている。外に出る時はどうせ汚れるので、癇癪はキャリーケースには入れていない。癇癪も一度出てしまえば自由に動けるので、外が好きみたいだった。
「お客様、スーパーの中では癇癪にリードをつけてもらえますか?」
少し刺のある言い方をされてムッとする。普段だったら気にならないような些細なことも鼻についた。癇癪が大きくなって爆発を起こしやすくなっているとこういう弊害がある。
「この子リード嫌いで、付けれないんです」
思ったより強い言い方になってしまったとは思うけど、あからさまに怖がられるほどではなかったはずだ。それでもエミリーは大きく肩を揺らした。私が、噛みついてくると思ったのだろうか。確かに私の癇癪にリードはついていないけれど、私はきちんとコントロールできているからそうしているだけで、考えなしに放っているわけではなかった。六秒ルール。大きく息を吸い込む。私は嫌味をぐっとしまいこんで笑顔を浮かべた。
「ご迷惑かけないようにちゃんと目の届くところにいさせるので、大丈夫です」
「いや、大丈夫とかそういう問題ではなくてですね」
「私の癇癪なので。私が、一番よくわかっていますから」
ずっしりと肥えた癇癪は、決して私が怒りっぽくてどうしようもない人間だと言う証拠ではない。癇癪なんて、本当は飼わなくてもよかった。
癇癪飼ってみなよ、と半ば強制的に勧めてきたのは、ソフィアだった。高校の卒業式以来久しぶりに会いたいと連絡がきた時は正直身構えた。十年以上も会っていない人に声をかけられたら、どうしても裏を考えてしまう。指定されたチェーン店で、あまり変わっていないソフィアを見るとホッとした。けれどすぐにテーブルに癇癪がいるのを見つけると、回れ右をして帰りたくなった。ソフィアが目敏く私を見つけて手を振っていなかったらきっとそうしていたと思う。癇癪のことは話に聞いたことはあったけど、実物を見たのはその時が初めてだった。
「この子、とてもいい子だから」
ソフィアの癇癪はスーパーボールぐらいの大きさで、テーブルの上を転がる癇癪を指でつついて転がしている。日に当たると黄色く光って、私は目を細めた。私がコーヒーを頼んでいる間に、ソフィアは名刺を渡してくれた。会社名を調べると、いろいろなセミナーを開催しているところらしい。生徒が欲しいのかと疑ったけれど、ソフィアは事務員だった。ただ、自分の会社のことを崇拝しているようで、言葉にはかなり力が籠もっていた。
ソフィアは饒舌で、自分の癇癪をペットとして飼うことができること、癇癪は丸い形をしているけれど、色などは人それぞれだということ、癇癪を飼っているとだんだん自分の怒りをコントロールできるようになること、可愛いがると結構懐いてくれることなどを脈絡なく語った。
「癇癪はどんどん小さくなって、いずれ消えていくの。そうすると、突然癇癪を起こすこともなくなるし、自分自身の成長にも繋がるからいいと思うんだよね」
ソフィアは癇癪を持つ有名人の名前を挙げていたけど、正直そこまで興味はなかった。私はコーヒーをゆっくりと飲んだ。
「なんで私のこと誘ってくれたの?」
ニコニコとしていたソフィアの顔が曇る。私はテーブルに置こうとしていたカップを慌てて持ち上げて、もう冷めているコーヒーを音を立てて啜った。
「なんか、すごいずっと怒ってるみたいなポストばっかりしてたから……」
疎遠になっているソフィアともつながっているアカウントがあっただろうかと一瞬手が止まる。そしてすぐに思い当たるものがあった。高校の時に使っていたSNSアカウントは、ほとんど誰も見ていないだろうと油断していた。新しいのを作るのも面倒で、そのまま愚痴アカウントとして流用していた。
「ちょっとした愚痴を書いてるだけだよ。その場でキレたりしてないし、書いたら大抵すっきりしてるの」
そうだったの、とソフィアが残念そうな顔をする。怒りのコントロールができても、他の感情については変わらないらしい。
「でも、すでにちゃんとできてるってことは、すぐに癇癪を飼い慣らすことが出来るってことでしょ。一回やってみない?」
「いや、別に興味ないから」
「あ! 一人ね、別に怒りっぽいとかじゃないんだけど参加してる人がいるの。会社ですごい褒められるようになったって。ほら、役職上になってくるとアンガーマネジメント必要じゃない?」
ソフィアが語る体験談は、どこかのパンフレットに書いてありそうだった。ソフィアの癇癪はテーブルの上でずっと動いている。話を聞いている間、ずっと俯いていたのに、癇癪が法則性のない動きをしていることしか分からなかった。だんだんイライラしてきて、あからさまに相槌を打たなかったり貧乏ゆすりをしてみる。なんとか伝われと大げさにしても、ソフィアの話は一向に終わらなかった。
「いい加減にしてくれるかな? 行かないって言ってるじゃん」
とうとう耐えられずに思わず声を荒げてしまった瞬間、ソフィアの目が輝いた。
「ほら! ほらほらほら! 立派な癇癪持ちだよ。癇癪持ちになって自分の怒りと向き合ったら、できることもたくさんあるよ」
ソフィアは私のスマホを奪うと、慣れた手つきでウェブサイトのURLを入力した。
「試しにやってみるだけでもいいから、ね。今なら体験は無料だし、絶対、将来自分のためになるから!」
相手が怒るまで喋り倒すやり口か、と頭では分かっていたけど、とりあえずもうソフィアの話は聞きたくなかった。多分、まだ話すネタは沢山あるのが、彼女の獲物を狙うような目つきから簡単に想像できる。私は言われるがままにセミナーに参加してしまい、なんとなく癇癪を飼っている。
そもそも、癇癪は自分の感情の一部なのだから、人からとやかく言われる筋合いはない。全く納得していない人に、一から順を追って説明するのは難しい。私はため息をついた。なぜかしつこく食い下がってくる意味も分からなかった。私がそのまま素通りして行こうとすると、腕を掴んできた。
「リード付けずに、癇癪を連れて来ないでくださいよ!」
どうしてもリードを付けてくれないのだったら、スーパーには来ないでください、とエミリーが声高に言う。スーパーに癇癪を入れないでくださいという看板はないのに。癇癪は不穏な空気を感じ取ったのか、私の足下までやってくる。
「癇癪持ちってことは、ご自身でコントロールできないってことですよね? 怒ったら、癇癪が爆発するってことじゃないですか。そんなの危険物をスーパーに持ってきてるのと同じじゃないですか? せめてリード付けるのは常識でしょう。癇癪持ちの人はそういうのも分からないんですか?」
癇癪を連れていると、白い目で見てくる人がいる。そういう人たちは、癇癪を起こしやすい人間だけが、癇癪を飼いならそうと必死になっていると思いがちだ。レジの応援の業務連絡が流れているけど、エミリーは動こうともしない。
「あなた、癇癪飼ったことあります?」
「ないですけど」
エミリーが少しだけバツの悪そうな顔をする。口から乾いた笑いが漏れた。
「だったら分からないでしょうけど、癇癪は勝手に破裂するもんじゃないんです。そこら辺で転がっているぶんには全く問題ないので、そこまで気を張る必要はないんですよ。むしろ、そうやって自分の想像力だけで癇癪を持っている人をとやかく言うなんて、そっちの方がどうかしてると思いませんか?」
いっそのことそんなに型にはめたがっているんだったら、期待に答えて癇癪を投げつけてもいい。ペットコーナーは不思議と人通りが少なかった。そもそも、この時間帯のスーパーには、あまり人がいない。ぶつけたところで癇癪は柔らかい。向こうは痛くも痒くもないのだし、バチは当たらないような気がする。癇癪を拾い上げようとすると、手からすり抜けた。自分で勢いよく身体を弾ませて、エミリーのところへ行こうとする。癇癪には無邪気なところもある。犬みたいに人に近寄ってみたりするけれど、大概は裏目に出る。
「来い!」
癇癪は大人しく私の元に戻ってきた。
「そもそも、さっき言ってましたよね? ここのスーパー、癇癪用の商品売ってないんでしょ? そしたら私、どうやってリードつけるの? 持ってないですよ。さっきから言ってますけど、元々私の癇癪はリードを付けなくても問題ないんです」
足元でむくむくと癇癪が大きくなっている。エミリーが後ずさった。癇癪はエミリーに近づきたいのか、身体を弾ませる。構って欲しいだけなのに、やたらと怖がっても仕方がない。
「予測できるのに対処しないのは、おかしいと思います」
「何がなんでも紐で括ればいいって思ってるんですか? 犬のリードをそれで代用しようって思わないですよね? なのに癇癪だったらいいって思ってるってこと? 虐待じゃないそれ。それを私にやれって言うの?」
私の中で何かが上手く噛み合っていなくて、口から滑り出すように言葉が出てくる。怒っているようで自分の身体はとても空虚だった。エミリーは俯いて何も言わなくなった。
「お客様、いかがされましたか?」
名札にキャシーと書いてある店員が、代わりに笑顔を貼り付けてやってくる。
「私が癇癪持ちだと、この人が差別するんです。これは立派な差別です。このスーパーはそういうことを平気でやるような人を雇ってるんですか?」
「そうでしたか。具体的にはどういったことでしょうか」
「具体的? 差別に具体的も何もありませんよ。なんでそこを聞かれなければいけないんです?」
申し訳ございません、とキャシーが頭を下げると、ポケットに入っている癇癪と目があった。エプロンの胸元には大きなポケットがあり、その中にすっぽり入るほどの小さい癇癪は、リボンでエプロンの肩紐に括り付けられている。不思議そうにこちらをみている他人の癇癪にさえ怒りがこみ上げてくる。
「謝罪が聞きたい訳ではないんです。私、理由を聞いてますよね? 何故なんですか? これだから最近の若い人は」
理由を聞いたところで、なんの足しにもならない。頭では分かっているのに、するすると言葉は口をついて出てくる。
「いま仰ったことは、年齢で差別しているようにみえますが」
わ、とだけ口から出てきて、後が全く続かなかった。ポカンと口を開いたままでキャシーを見つめる。
ポップコーンができる時のように癇癪が軽快に弾ける。弾みで癇癪が棚に当たってしまい、箱がいくつか落ちた。癇癪は弾みながら棚のものを落としている。身体からは白い綿のようなものが飛び出していた。
癇癪を嵐に例える人もいるけれど、所詮こんなものでしかない。特に私の癇癪はしょぼいという言葉が似合う。元々、怒りっぽい人間じゃないというのがなぜか裏目に出ている。
私は自分の頬が熱くなっていくのを感じた。ポカン、とさっきまで熱心に注意してきたエミリーが癇癪を見つめている。癇癪を起こすタイミングがチクリと言われた時なのが恥ずかしい。癇癪を起こしてもこんなしょぼいことにしかならなくて恥ずかしい。癇癪を抱きかかえる。ふわふわとした中身を指で押し込むと、癇癪はすぐに元どおりになる。
「すみません、商品を落としてしまって」
癇癪はすぐに元どおりになっても、私の身体には気怠さが残っている。人に迷惑をかけてしまったとか、つまらないことで怒ってしまった浅はかさとかが、ずっしりと両肩にのしかかってきた。
「そのままで結構ですよ」
笑顔を貼り付けたまま、キャシーは散らばった商品を棚に戻し始めた。どこかへ行こうにも足に力が入らない。癇癪は私の腕の中からするりと抜け出てしまった。
キャシーは床からバスケットボールをバウンドさせて拾うみたいに、癇癪を叩いた。
「ほら、飼い主のところ戻りなよ」
そのままの勢いで私にパスが来る。私以外の人に触ってもらえて嬉しかったのか、くるりくるりと目を回している。
「ボール起こしって、癇癪を飼う上で楽なんですよ」
癇癪ってすぐにどっか行きますからね、とキャシーはポケットの上から自分の癇癪を撫でている。思えば癇癪をきちんと撫でことはなかった。なかなか触らせてくれないのもあるし、大抵は汚れているのを強く擦ってばかりだ。
落としたものを、私は最後まで拾えなかった。もう一度謝ると、キャシーは笑顔を浮かべた。歯並びの良い白い歯が見える。
「大丈夫ですよ。自分が思ってるよりも癇癪ってコントロール難しいですからね。でも一緒にいるうちに、可愛げみたいなものが出てきますから」
それより何かお探しものですか? と訊かれたので同じことを尋ねる。キャシーは少し考えた後、緩く首を振った。
「うちにはないですね。薬局にあるかもしれません。道渡ってすぐそこですから行ってみたらどうですか」
自分を大事にしてくださいね。キャシーはそう言うと、レジの方へと走って行った。腕の中で、くるりくるりと癇癪は目を回した。今から向かってもセミナーには間に合わない。私は癇癪を撫でながら家に帰ることにした。
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