梗 概
ハル
ちらと窓の外を見る。街はしんと静まっている。郊外のベッドタウン。やや無理したが、治安良く、子育てには最適の街だ。
軽く伸びをすると凝り固まった関節が音を立てた。ハルは膝の上で丸くなっている。その背にそっと掌を置くと、彼は眠ったまま身じろいだ。
昨夜、出生届を出した。
微笑を浮かべる妻と、くしゃくしゃの顔で目を瞑る産まれたての我が子を思い浮かべる。己の人生にこんな日が来るとは想像もしなかった。温もりに満ちた夜。
膝の上で眠る小さな体をそっと持ち上げる。頬擦りすると、体温の向こう、微かに秒針が時を刻むような音が聞こえる。
小学校に入学した日、ハルがうちに来た。
ニホンコクセイフ、と大仰に印字された梱包を剥がし、どんどん小さくなっていく箱を幾つも開いた、最後の隙間に彼はひっそりと収まっていた。
手順書に従いスイッチを入れた時、手のひらの上でトクンと拍動したのを今でも覚えている。白く柔らかな体毛、ちょこんと短い尾。目口はないが、一対の小さな羽をくっと伸ばし、あくびをしたのがわかった。自分よりも小さな生き物に触れるのは初めてだったし、何より父や母のものではない、僕だけのハルはぴかぴかと輝いて見えた。
クラスには生徒の数だけのハルがいて、少しずつ性格も姿も違うようだった。戯れ合い、威嚇し、空を飛び回り、鳴き声を揃えて歌ったりしていた。
そのうち、僕のハルはある女の子の連れた個体と特に親しげな様子を見せるようになった。自然と僕らも話す機会が多くなる。クラスの連中に揶揄われ、顔から火が出る思いをした。転校していく彼女の乗る車を見送った夜、僕はハルを抱いて寝た。彼は何も言わなかったが、僕の顔に体を寄せ、慰めるように尾で頬を撫でてくれた。
高校に上がり、彼女ができた。はじめて家に上がった日、彼女の両親が熱心な反ハル運動家だと知った。逃げるように家を後にし、そのまま別れてしまったのも今となっては懐かしい。
大学時代、上京すると人の多さに驚いた。気になる女の子のハルが、上級生の連れた個体にすり寄っているのを見てガッカリしたこともある。
ある日、街を歩いているとハルが一目散に飛んでいった。慌てて後を追いかけると、灯里がいた。僕らは小学校ぶりの再会を喜び、仲睦まじく尾を絡ませる二匹のハルを眺めて笑い合い、デートの約束をし、デートを重ね、そして結婚した。
ハルが、少子化を解消するために政府が配布するマッチング補助マシンだということは承知している。遺伝子情報を元に、適合性の高い異性が所有する個体と積極的な交流を行うマシンだということ。夫婦に子どもが産まれると、役割を終えたハルは回収され、次の世代の手へ渡っていくということも。
窓の外を眺める。相変わらず街は静まり返っている。愛しい妻、我が子を思う。膝の上では、僕の友達が小さな寝息を立てている。
今までありがとう、と呟くと、彼は小さく、誇らしげに鳴いた。
文字数:1200
内容に関するアピール
男女の出会いを補助する目的で開発された「ハル」と「僕」とのストーリーを書きました。成婚イコール春、といういかにも政治家が考えそうな安直な名前です。
ハルは機械ですが、柔らかな体毛に覆われ、温かく、鼓動し、鳴き声をあげ、甘え懐くような仕草を見せ、個体により性格なども異なる、など、忠実に生物を模した設計がなされています。
どのように補助するのかと言いますと、散歩中の犬と犬がじゃれ合うのをきっかけに、飼い主同士も少し仲良くなるアレ。そのイメージの延長です。
あくまで自由恋愛は大前提です。しかし積極性を失った未来の多感な若者にとっては、ずいぶんな強制力をもつ「きっかけ」になるんじゃないかな、と思います。
少年期に出会い、寄り添いながら、人生の転機となる成人期、別れを経て主人に最後の成長を促す存在。友達であり家族であり、ペットと呼ぶことすら躊躇われる、そんな存在となるよう意識して書きました。
文字数:394