まわれ星空、まわれ、歯車

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梗 概

まわれ星空、まわれ、歯車

夕暮れの町、中学生のゆうが手のひら大の歯車を散歩させている。リードを引くと転がってついてくる。家の二階で歯車を外し、クリーニングする。試験勉強と勘違いした父親がラーメンの差し入れ。階段をのぼる音に、あわてて歯車を隠す。成績低迷を嘆く父親が去ったのを確認し「明日もまた遊ぼうな、スピナー」と小声で名前を呼んで、オイルに沈める。ケサランパサランはおしろいで育てるけれど、歯車は潤滑油で育てるのだ。

きっかけは転校してきた葉月はつきの挑発だった。町はずれの廃屋、歯車屋敷に出るおばけのうわさを確かめること。もと時計屋らしい歯車屋敷の中には、いたるところに不気味な歯車があった。肝試しの証拠にひとつ歯車をポケットに入れたところで、暗闇から声がして逃げ出す。まだ人が住んでいたのだ。
 持ち帰った歯車を磨いて、親指と人差し指で挟んで回す。ひとつじゃしょうがないよな。こまみたいに回らないか試す。さびないようにオイルに沈める。
 翌朝見るとオイルが減った代わりに歯車が大きくなっていて驚く。年輪みたいに筋がついている。変だなあと思いながらこまのように回すと、はじめぐらぐらしていたのが速度を上げて綺麗に回り始める。生きているのかと驚く。スピナーと名付けて飼いはじめる。

葉月から肝試しの証拠を求められて、歯車の秘密を打ち明ける。公表しようと持ち掛けられるが、祐は嫌だと断る。オイルの中、スピナーの他に小さな歯車をみつける。かさ歯車や遊星歯車など仲間が増えていく。スピナー以外の歯車は自分の意思では動かない。歯車の穴に鉛筆を突っ込みスピログラフを描かせたり、チェーンの上を散歩させたりして遊ぶ。自作した歯車カーを葉月に見せると「このデフギアを使って論理ゲートが作れる。原理的には歯車でコンピュータが作れるはずだ」と言う。

父親に見つかり「何だこのガラクタは。捨ててこい」と言われる。嫌だと反抗する。その晩、歯車屋敷で火事が起こり、スピナーが行方不明になってしまう。スピナーを捜していてみつけた謎の天文時計を持ち帰り、葉月が修理すると、歯車が動いて図面が描かれる。「スピログラフみたい」と言うと葉月が「驚いた。離散フーリエ変換だよ」と言う。図面は歯車屋敷の地下に宇宙船があることを示唆していた。

描かれた図面に従って歯車屋敷の焼け跡を調べているときに、スピナーと再会する。故郷に帰してやると祐は言う。ためらうスピナーをつかんで地下室に入ると、自衛システムに攻撃されてしまう。祐をかばって、スピナーの歯が欠ける。悲しむ祐。スピナーを元の場所へ返すと、虫歯車として機能して祐と葉月は焼け跡へと排出される。ふたりは地球を去る歯車宇宙船を見送る。そのあと旅立ったと思っていたスピナーが物陰からひょっこり出てくる。

図面を部屋の壁に貼り、その日から祐は受験勉強を始める。取り残されたスピナーをいつか故郷に連れて行ってやるのだ。

文字数:1200

内容に関するアピール

変なペットということで、候補を百三十個くらい挙げてみたのですが、その中でいちばん心をひかれた歯車をモチーフに選びました。タイトルはむかし書いた歌の歌詞から取っています。単純な動きしかできないスピナーの感情をうまく描きたいと思います。

以下、梗概で書けなかったことの補足です。
・歯車は基本のモジュールを変えないように育つので、いつでも歯が噛み合う。
・歯車屋敷の声の主は、火災のあとでただの不審者だったことが分かる。火災の原因もこの人。
・スピログラフは歯車で絵を描くおもちゃ。ふつう内トロコイド曲線が描かれる。
・離散フーリエ変換は、任意の一筆書きを回転運動の重ね合わせで表せるようにする感じのもの。天動説のもとで惑星の運動を説明する、周転円とすこし関係がある。
虫歯車むしはぐるまは、江戸時代の万年時計で、回転運動を往復運動に変えるために使用されていた部品のこと。天文時計の話とうまくこじつける予定。

文字数:400

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まわれ星空、まわれ、歯車

西の空はうす紫色の夕焼け。ピンク色の雲が風に吹かれて橋の向こうへ流れていた。夕食を終えた中学二年のゆうはリードを引いて、ひと気のない川沿いの土手に出ると、東の方へ、川の上流に向かって歩いていく。リードの先には青い金属光沢の、手のひら大の歯車が取り付けられていて、祐がリードを引くと小気味いい音を立てて転がってついてきた。湿った土の上に、歯車の歯の痕がキリトリ線のように刻印されていく。東の空はみるみる暗くなり、ひとつふたつと星が見え始めた。白髪をみじかく刈り揃えたサングラスの老人が、前方から短パンでジョギングしながらやってくる。老人は「こんばんは」と声をかけてくるが、祐が返事をまよっていると通り過ぎてしまう。暗くてよく見えなかったが、あの老人は歯車を見て、首をかしげていたのではなかったか。祐は散歩のコースを見直そうと思った。
 散歩を終えて家に帰ると、庭に父親の白い軽トラックが停まっていた。ということはもう二十時を過ぎている。歯車を拾いあげ、祐はだまって二階にあがる。ふすまをしめて自分の部屋にとじこもった。リードの先についた軸受けから歯車をはずして洗面器に移し、ブラシとオイルでクリーニングする。もうこれが毎日の日課になってしまっていた。泥を落として、「首輪」と名付けた軸受けの方もオイルをしみこませた布で磨きあげる。きれいになった歯車を照明にかざし、少し傾斜したギザギザの歯のついたラックに乗せる。ゆっくり転がっていくのをながめる。
 階段のきしむ音がして時計を見ると、二十二時をまわっていた。試験勉強と勘ちがいした父親が夜食のラーメンでも持ってきたのだろう。あわてて引き出しに歯車を隠して教科書をひらき、鼻と上唇のあいだに鉛筆をはさんで、わざとらしく背伸びをする。もうすぐ一学期の期末試験だった。ふすまがひらいて父親が部屋に入ってくる。
「感心感心。がんばってるみたいだな」と祐の机にお盆を置く。
「また煮込みラーメン?」
「またとはなんだ。おまえの好きなロースハムをのせておいてやったぞ」
「嫌いじゃないけどさ、これ好きだったの小学校のころだよ」と円形のハムを箸でつまみあげる。
「そりゃ母さんみたいにはいかないさ。でもな」母親の話は聞きたくなかった。
「あー、いい。おいといて。食べるから」と父親の話をさえぎる。
「知らないと思ってるんだろう」と父親がベッドの端にどっかと腰をおろして、前傾姿勢を取るので、まさか歯車のことがばれたのだろうかと不安になる。「このごろ成績が落ちてきているみたいじゃないか」その話か。
「言われなくてもわかってる」
「おまえの大好きな母さんだってな、若いころはたくさん勉強したんだ。それで父さんと」
「いいからひとりにしてよ。ラーメンがのびちゃうでしょ」
 父親はむすっとした顔で立ちあがると強めにふすまをしめ、のしのしと階段をふみしめるようにして退散した。ふうと息を吐いて、祐は机の引き出しをあけた。それから「明日もまた遊ぼうな、スピナー」と小さな声で名前を呼んで、青い歯車を持ちあげる。それから歯車を中華鍋にためたオイルの中に沈めるのだった。ケサランパサランっていう妖怪はおしろいで育てるらしいけれど、歯車は潤滑油で育てるのだ。

きっかけは葉月はつきの挑発だった。帰国子女の平城山ならやま葉月が転校してきた日の昼休み、祐が教室の窓際で父親の作った弁当を食べていると、女子の声がきこえてきた。
「あー。歯車屋敷か。やめた方がいいよ、お化けとか出るらしいよ。ねえ、男子」と玉木さんが話しかけてくる。「知ってるでしょ、歯車屋敷のお化けのうわさ」
 男子たちが顔を見合わせる。どうやら転校生の葉月が町はずれの廃屋、通称歯車屋敷に興味を持っているらしいのだ。
「お化けとかそんなのいるわけないし」と弁当箱を閉じて祐が反応する。
「お化けはどうでもいいんだけどさ」と葉月が言う。「歯車っていうのが心をそそるんだよね。見るからに怪しくて面白そうじゃない?」たしかに変な建物ではあった。ツタにびっしりと覆われていて、そこからいたるところ無造作に大小の歯車が突き出している、崩れかけた木造二階建て。
「もともとは時計屋さんだったらしいよね」と玉木さんが言う。「看板の時計台が倒壊したんでしょ。で、その部品が刺さってるんだってきいたよ」
「そんな簡単に刺さるかなあ。やっぱりなにか秘密がありそうな感じ」
「やめときなって、平城山さん。仮にお化けがいなくたって、崩れかけてて危ないんだから。もうすぐ取り壊して駐車場にするんだって言ってたよ」
「それならなおさら、いま調べておかないとだよ」
「むかしの建物って柱とか頑丈なイメージあるけどな」と祐が言う。「そうそう崩れないんじゃない」
「祐。あんたねえ。そんな無責任なことを」
「話がわかりそうな人物発見。じゃあさ、今日の放課後。いっしょに探検しようよ」
「いや、それはちょっと」転校してきたばかりの女子とその日にデートとか、どんなうわさを流されるかわかったものではなかった。
「女の子と一緒がいやだったら、ひとりでいってきてもらおうかな」と玉木さんがからかう。玉木さんは女子にしかやさしくないのだ。
「そうだね。中の様子とか知りたいし。祐くんだっけ。頼むよ」と葉月が本気みたいなので祐は調子がくるってしまう。
「いや、あのねえ。そもそも不法侵入」
「ああ、そうだ。肝試しの証拠にさ、歯車をひとつ持って帰ってきてもらうってのはどうかな」と玉木さんが調子に乗る。放っておくと勝手に話が進んでいく。
「わお。歯車屋敷の歯車とか、わくわくする」そのときなぜだか葉月にばかにされたくないと思ってしまった。
「あんまり期待しないでよね」と祐は机に手を突いて立ちあがった。「元はただの時計屋さんなんでしょ。べつになんてことないと思うよ」
「ひゅー。やるう」と玉木さんがはやし立てて、男子たちもざわざわしていた。

その日の晩、十九時過ぎ。祐の家から徒歩二十分。月光に不気味なシルエットが浮かんでいた。ところどころ大小の歯車が飛び出した木造二階建てにサーチライトを向けると屋根はブルーシートで覆われ、白いビニールひもでくくりつけられている。窓には板が打ち付けられていて、その上をツタが覆っていた。門扉の鉄格子を乗りこえて地面を照らすと「時計屋アンティキティラ」と書かれた汚れた看板と歯車が無造作に転がっていた。歯車は隣の駐車場とのフェンスの境目あたりまであふれ出しているようだった。
 入口のビニールひもの結界を切って、木枠がゆがんで閉まらなくなったドアを引くと、ギイという音がひびいた。すぐ脇の柱を揺すってみる。しっかりしている。少々のことでは倒壊のおそれはなさそうだった。
「おじゃましまあす。だれかいますかあ」と中くらいの声をかけて、足を踏み入れたところで顔の左半分に蜘蛛の巣がはりついた。辺りをライトで照らす。返事はなにも聞こえてこない。たしかにかつて時計屋だったようで、いまはもう動かない大きな柱時計の前にガラスの陳列棚が並んでいたが、中はからっぽでガラスもあちこちが割れていた。床にばらばらと歯車が落ちている。歯車は床だけじゃなくて壁にも刺さっていた。装飾だとすれば時代を先取りしすぎている。ただの時計屋というには異様だった。
 レジカウンターの奥が工房になっているようで、上がりかまちに土足で侵入する。ガラス障子をあけるとほこりが舞い散った。むせた後で、シャツの半そでを口に当てて息をする。台の上には工具と時計の部品が乱雑に置かれていたが、土産の歯車としては大きすぎたり小さすぎたりで適当なものがなかった。
 ドアをあけるとせまい廊下があって、その突き当りが二階への階段。廊下をはさんだ隣の部屋が居住スペースになっていて、食卓の周りにはコンビニとかスーパーのレジ袋、プラ容器などのごみが歯車の代わりに散乱していた。その奥は仏間になっていて、仏壇の脇の床の間に金庫のような箱が鎮座していた。金色で表面にはなにか細かい文字が書かれていたが判読できない。いくつか文字盤のようなものがついているが、これも時計の一種なのだろうか。レバーを押し下げて箱をひらいてみると、中央に美しい青い歯車があった。まわらないかなと力をこめるとさびついているのがわかった。思い切り引っ張るとガタンという大きめの音がして歯車がはずれた。その直後、二階の方でガラリという音がして「だれだ」という声が聞こえてきた。青い歯車をズボンのポケットに押し込んで逃げ出した。うしろの暗闇から階段を駆け下りるような音が聞こえて、転倒しかけたが、振り返らなかった。歯車屋敷の主だろうか。あんな状態の建物にまだ人が住んでいるなんて、ちょっと信じられなかった。

二十時過ぎ、自宅に戻ったところを父親に見つかった。汚れていたのだろう。「なんて格好だ。早く風呂に入れ」と言われた。
 顔をしかめる父親に「ちょっと転んだだけだよ」と言い訳してみたが、どこへいっていたのかなどと詮索はされなくてほっとした。
 服を脱いで、ポケットからこぶし大の歯車を取り出す。肉厚でずっしりと重い。明るいところで見るとうす汚れて見えた。ところどころ黄色い錆が浮いていて、ズボンにも黄色い擦れ跡がついた。歯車にはみじかいシャフトが固定されていて、それがポケットのふちにひっかかったのだ。「合金かなあ。歯車ひとつじゃしょうがないよな」と独り言を言いながら、軸を親指と中指ではさんでまわしてみる。回転軸が指にめり込んで痛い。脱衣所の板の間にゴトンと置いて、こまみたいにまわらないか試す。ぐらぐらしてうまくいかない。
 風呂の洗い場に持ち込んで、湯を張った洗面器に放り込む。歯車を手でこすると、入浴剤を入れたように湯が黄色く濁った。ここだときれいにするのにも限界がある。シャワーを顔に向けて汚れを洗いながす。手櫛を頭に通すと、まだ蜘蛛の巣が残っていた。

風呂あがり、入れ替わりに風呂に入った父親のパソコンで歯車の手入れについて調べる。次にコインの磨き方を検索する。エンジニアをしていた母親の道具箱に使えるものがあるかもしれない。母親の作業部屋だった納屋に侵入して、研磨剤や潤滑油をみつけた。スプレータイプの潤滑剤もあった。作業台に道具を並べて歯車を磨き始めた。削れば削るほど青くなる。この歯車の青いのは地金の色みたいだった。歯の数は十七だった。黄色い錆がとれて青い光沢がさえわたったころにはもう二十三時をまわっていた。梅干しの瓶にオイルをためて、さびないようにそっとその中に歯車を沈めた。

翌朝、ふたたび納屋に忍び込み、オイルの瓶から肝試しの証拠を取り出す。気のせいか歯車が大きくなっているように見えた。オイルをふき取り、歯の数をかぞえてみると、昨日かぞえ間ちがえたのだろうか十八本の歯が生えていた。よく見ると一本の歯の周囲には、うっすらと木の年輪のような成長線が見える気がした。その線は歯車の中央から伸びているようだ。変だなあと思いながら何気なくこまのようにまわしてみる。すると、はじめぐらぐらしていたのが速度をあげて綺麗にまわり始めた。腰が抜けそうになった。まるで生きているようだ。ちょっとつついたくらいではとまらない。
「おおい、祐。なにやってるんだ、遅刻するぞ」と父親が祐のいない二階に向かって叫ぶ声で我に返った。一瞬まよった後、歯車をつかんで回転を止め、もういちどオイルの中にもどして、なに食わぬ顔で食卓へ戻った。そして「お父さんなにしているの」と父親の背中に向かってとぼけて見せた後で学校へ出発した。登校中、歯車にスピナーという名前をつけることに決めた。
 
「肝試しの証拠はどうしたんだよ」と教室で玉木さんに言われて、どきりとした。
「やっぱりばかばかしくなってさ、いくのやめちゃった」と嘘をつく。
「なんだよ。どうせ臆病風に吹かれたんでしょ。がっかりだよ。ねえ、平城山さん」
「そうね。残念」葉月にはそんなことを言われたくなかった。
「どこかに肝の据わった男子はいないのか」と玉木さんが焚きつけていたが、男子たちは無視を決め込んでいるようだった。
 放課後、靴を履きかけたところで葉月に「きのう、いったんでしょ。歯車屋敷」と声をかけられて、靴紐を持つ手がすべった。
「びっくりさせないでよ、固結びになっちゃったじゃない」
「ごまかさないで。歯車屋敷の入口のビニールひもの封印、あれ切ったの祐でしょ。なにを隠してるの」ふりむいた祐の顔にはぎくりという文字が書いてあったようで、葉月の視線に射すくめられてそれ以上嘘がつけなくなった。祐は立ちあがって葉月の目を見た。
「秘密にするって誓える?」
「うん」
「じゃあ、十八時にうちの納屋に来れる?」
 葉月は嬉しそうな笑顔で「うん」と言った。祐はノートの切れ端に地図をかいて葉月に手渡した。

時間通りに納屋の裏口がノックされて、祐は葉月を聖地に招き入れる。それから、梅干し瓶の中のオイルを中華鍋にあけて、青い歯車を取り出した。
「それが肝試しの証拠? 青いのって珍しいね」
「そう。スピナーって言うんだ。見てて」オイルを拭いて、シャフトをつまんでかるくこまのようにまわして見せる。こまの倒れ際の動画をスローで逆再生したような、回転速度を徐々にあげていく不思議な動きに葉月は目を丸くする。
「なんなのこれ」
「歯車屋敷の歯車だよ。よくわからないけど、どうも生きているみたいなんだ」
「あ、の、さ」祐は葉月に胸倉をつかまれた。「生きてるみたいなんだ、じゃなくて。やばすぎるでしょう、これ。どう考えても。こんな生物聞いたことないよ」
「う、うん。だから、秘密にしようと思って」
「いやいやいや。公表しなくちゃ。大学とかで研究してもらわないと」
「ごめん。葉月に見せたの失敗だった。まだこいつのことなにも知らないのに、そんな」
「祐だって昨日の今日でしょ。なにを知ってるっていうの?」
「ええと、いまみたいに自分でまわることと、あと、潤滑油につけとくと育つみたいなんだ」
「育つ?」葉月が眉をしかめる。
「昨日歯の数をかぞえたら十七だったんだけど、今朝かぞえたら十八あった」と祐はスピナーのシャフトをつかんでとめる。
「かぞえ間ちがいじゃないの」と言われてかぞえ直す。
「十七に減ってる。でも、ここの線見てみて」と葉月にスピナーをわたす。そのとき、中華鍋の中でなにかが光った気がした。「なんだろう」と六角形の部品をつまみあげる。「歯車かな、小さいけど」色はシルバーだった。
「かして」と葉月がひったくり、スピナーにはめ込む。「うまく噛み合うみたい」
「もし増えたんだとしたら」
「ちょうやばい」葉月と祐は顔を見合わせた。

納屋の冷蔵庫から麦茶を出して、グラスを葉月に渡す。
「そういえば歯車屋敷はどうだったの」
「まあ、うわさ通りというか。時計屋なんだろうね。歯車の数が尋常じゃなかったけど」
「そうなんだ。いきたかったな」
「あ、でも、なんか二階に人がいたから、いかない方がいいと思う」
「だれ」
「わからないけど、住んでるのかもしれない」
「それがお化けの正体かな」葉月は麦茶を飲み干す。「ところで、ここはなんなの。お家の人にばれたりしないの?」と棚の本をながめている。
「ああ、この納屋のこと。死んだ母さんの作業部屋だったんだ」
「お母さん、亡くなったの?」
「うん。ぼくの教育方針のことで夫婦げんかしてさ、家を飛び出したときに車にはねられちゃったんだ。それで一巻の終わり。父さんも思い出したくないのかここへは入らないことにしてるみたい」
「ふうん。いろいろ複雑なんだね」と空のグラスを祐に返してくる。「今日のところは引き下がるけど、やっぱりわたし公表した方がいいと思う。祐の手には負えないでしょ」
「またその話? 大学は信用できないよ」
「祐よりは信用できると思うけど」
「大学が興味を持つとしたら、こいつがなんの役に立つかだ。だれもスピナーの幸せについては考えてくれないと思う」
「祐にはそれができるっていうの?」
「スピナーを助けたのぼくだよ。あそこが駐車場になるなら、こいつもスクラップにされるところだったんだ」まだなにかを言いかけている葉月に「秘密にするって約束わすれないでよね」と釘を刺した。
「わかってる。この本、貸してもらえる?」母親の蔵書の機構学の本だった。
「いいけど、どうするの」
「飼う以上は責任があるから、勉強する」未知の生物に工学の基礎が役立つのかわからなかったけれど、了解した。祐は知識より愛情でしょうと思っていた。

一週間後、また十八時に葉月が納屋を訪れた。開口一番「すごい匂い。どうしたの?」と聞いてくる。
「いろんな油を試してみたんだ。サラダ油、灯油、エンジンオイル、ガソリン」
「火気厳禁だね」
「おかげでいろいろなことがわかった。スピナー」と中華鍋に声をかけると、青い歯車がぴょんと跳ねて飛び出してきて、新聞紙の上に寝転がった。
「言うこときくようになったの?」と葉月が驚いている。
「うん。意外と気持ちが伝わるよ。それよりこれ見てよ」じょうごで中華鍋の油をこしとると、大小様々なシルバーの歯車が出てくる。
「ふえたね」
「スピナーの削りかすを入れておくと増殖がはやいみたい。こっちにもあるんだ」とバケツ一杯の歯車を見せる。
「うそでしょ。色んなのがある。これ傘歯車でしょ。こっちは遊星歯車」母親の専門が車関係だったから遊星歯車はわかった。トランスミッションに使われている奴だ。
「どうも育てる油によって、形が変わるみたいなんだ。自分の意思で動けるのは青いスピナーだけみたいなんだけどさ。こっちがサラダ油で育てたやつで、そっちが灯油かな。あと、これがもともとの潤滑油」
「気づいちゃったかもしれないんだけど」
「なにに?」
「潤滑油だとふつうの平歯車とかが出てくるみたいだよね」
「うん。遊星歯車っていうのもできるみたい」
「平歯車同士の噛み合わせって、回転軸が平行なんだよ。遊星歯車もそう。っていうか、同軸上で変速できるのが遊星歯車の強みだよね。で、こっちの傘歯車の噛み合わせの場合は回転軸が交差する」
「ちょっと待って。そうすると、交差系は灯油で育てたやつかもしれない」
「あと、このねじみたいなウォームギヤは軸が食いちがう」
「食いちがい系はサラダ油なのかも」調べてみると、潤滑油とエンジンオイルが平行系、灯油とガソリンが交差系、サラダ油が食いちがい系と、おおまかにそう分類されるようだった。これは歯車の基礎を勉強しなかった祐には気づけないことだった。
「これブレンドするとどうなるんだろうね」と葉月が油のしみた新聞紙を持て余している。
「こんどためしてみる」と屑籠をわたす。「新聞紙ここに入れといて。あとでお風呂の焚きつけにするから」
「そういえば、これって懐かしくない?」と葉月が遊星歯車から中の歯車を抜いて、丸い穴の内側に歯の生えた内歯車だけにして見せた。ピンと来ないでいると「なにか筆記用具あるかな」と聞かれて、製図用のロットリングを手渡した。葉月は平歯車の山の中から、穴が中央からはずれたところにあいた歯車を見つけるとその穴にロットリングを差し込んで、内歯車と噛み合わせた。「まわしてみて」と言われて魂胆がわかった。ロットリングが紙に幾何学模様をえがいていく。
「小学校のころ、なにかこんな感じのプラスチックのおもちゃで遊んだことがある。なんて名前だっけ」
「スピログラフだね。内トロコイド曲線って名前の曲線がかけるらしいよ」
「本当だ。おもしろい」ひとしきり遊んで、模様の紙がたくさんできた。「あ、もうこんな時間だけど、大丈夫?」
「平気。うちも親が帰ってくるの遅いから」
「そろそろ父さんが帰ってくる。つづきはまた今度にしよう」

また一週間後、期末試験期間中だったが、こんどは葉月を二階の部屋に招くことにした。完成した歯車カーを見せたかったのだ。
「ここが祐の部屋? 和室なんだ。スピナーもいるの?」
「いるよ。スピナー」と祐が呼ぶと、スピナーはふたりのまわりの畳の上を転げまわって喜んだ。壁やふすまにぶつからないように、四角い部屋を器用に左右に傾いて障害物のあいだを走り抜けている。
「すごい。成長を感じる」
「ふふふ。さいきんはときどき外も散歩させてるんだ。で、今日見せたかったのはこれ」と歯車カーを取り出した。
「作ったの? やるじゃん。なるほど、タイヤも歯車でできてるんだ」
「そう。それで、スピナーがここにはまると、自分で走り出すんだ。おいで、スピナー」歯車カーに取り付けて、こまのように軽くまわすと、車が自走し始めた。段ボールで作ったコースを走らせるとカーブもスムーズに旋回した。
「すごい。これ、どうやってるの?」
「これが秘密なんだ」歯車カーを裏返し、後輪のシャフト中央にあるボックスを指差した。
「あっ。これって、もしかして」
「そう。デフギア。差動装置さ。これのおかげで、曲がるとき、内側の車輪と外側の車輪の回転数の差を自動調整できる」
「こんな複雑なもの、自分で組み立てたの?」
「いや、灯油と潤滑油をまぜて育てたら、勝手に生まれたんだ。母さんのおかげでなにに使うものかは知ってたから、車にしてみようと思ってさ」
「なるほどね、ケーシングはともかく、差動装置って傘歯車と平歯車の組合せだもんね。そんなのが塊で生まれてくるって、どういう仕組みなんだろう」
「わからないけど、まだまだ可能性がありそうな気がする」
「そうだ。可能性ということだったら、このデフギアがあると、論理ゲートを作れるんだよ」
「論理ゲート?」
「論理演算ができる装置のこと。たとえば、上から見て歯車の右回転を0、左回転を1とするじゃない。入力が0と1の組み合わせのとき、なにかの計算をして0か1かを出力するような装置だよ」
「もう少しわかりやすく」
「ええと、つまり、歯車の組み合わせでコンピュータができちゃうかもしれないってこと」
「えっ。そんなことが」と舌を巻く。
「ちょっと方式はちがうんだけど、十九世紀前半、チャールズ・バベッジって人が階差機関とか解析機関っていう歯車式のコンピュータを構想したことがあったみたい。結局つくられなかったみたいだけど」
「ふうん。そうなんだ。歯車って色んなことができるんだな」と祐はスピナーをなでた。

一週間後、夏休みの初日。父親に歯車を見つけられて、葉月を呼ぶどころではなかった。納屋に入るところを見とがめられたのだ。父親がいるときには寄り付かないようにしていたつもりだったのだが、失敗してしまった。
「なにか隠していると思ったら、なんだこのガラクタは。捨ててこい」
「いやだ」
「知ってるぞ。期末テスト散々だったんだろう」
「それとこれとは関係ない」
「なにが関係ないもんか。勉強してるとばかり思ってた父さんが間抜けだった。おまえがエンジニアになりたいというなら止めんがな、これは今やることか。よく考えろ。いったいなににうつつを抜かしているかと思えば。そもそもどこからかっぱらってきたんだ」
「なにも知らないくせに偉そうな顔しないでよ」
「こんなことじゃ母さんにも申し訳が立たん」
「やめて。父さんに母さんのこと言われたくない」祐はけんかの途中で話を打ち切って、二階の部屋にこもる。布団にくるまって、わからず屋の父親のことを考えていると涙が出そうになった。棚に置いた歯車ラックの上を心配そうにスピナーが左右にいったり来たりしている。父親はスピナーの子供たちを勝手に捨てたりしないだろうか。

窓の外から急に「ウー、カンカンカン」と消防のサイレンの音が響いた。音は家の前を通り過ぎて、すこし低い音に変わった。祐は窓をあけて、消防車の去っていった方をながめる。空がすこし赤くなっている。「もしかして歯車屋敷が火事?」と独り言を言うと、スピナーがラックから飛び降りた。あっと思う間もなく、祐の机の上を転がって、窓の外へ飛び出していった。「スピナー!」と声をかけるが、スピナーは振り返りもせず、庭の砂利をかきわけて、県道に出たあと歯車屋敷の方へ進路を取った。「たいへんだ」サンダルを履いて家を飛び出した後で、まさかあの火事、父親の仕業じゃないよなと浮かぶ妄想を打ち消しながら走った。

数百メートル手前から、歯車屋敷が燃えているのは明白だった。サンダルに潜り込む石を払い落して、どうしてスニーカーを履かなかったのかと悔やんだ。消防の放水を迂回して、歯車屋敷の前のあたり、黄色と黒のトラロープの外側から野次馬にまざって遠巻きに見守る。火勢が強くとてもではないけれど、近づけない。煙のにおいがすごい。顔が熱くなる。少しして葉月が駆けつけてきた。
「スピナーがいなくなったんだ。消防車のサイレンのあとで、こっちに向かうのが見えた」
「大変」
「もしかしたら火の中に」
「大丈夫。あの子はかしこいからばかなことはしないはず」
 消防の放水を受けて、二階の一部が崩れる。赤熱した大きな歯車がずり落ちる。消防車の脇で、警察が事情聴取をしているのが見えた。聴取されているのは夏だというのにコートを着たひげの男で、もしかしたら、あのときの声の主、お化けの正体かもしれなかった。住所不定とか、煙草の不始末とか、断片的に聞こえた。この屋敷の持ち主ではなく、住み着いたホームレスというのが正解に近そうだ。
 一時間もかからなかった。消火活動の甲斐なく、歯車屋敷は燃え尽きた。けが人がいないのと、延焼しなかったのが不幸中の幸いだと消防の人が言うのが聞こえた。地上の火が消えた後は満天の星空だった。消防と警察が立ち去っても、焼け跡に釘付けになっている祐に葉月が言う。
「暗いし、今日はこれ以上むりだよ。明日またさがそう」
「うん、わかった」祐は下唇を噛みしめた。「じゃあ、八時にここで」

翌朝、父親がトーストをかじりながら「歯車屋敷が燃えたらしいな」と言った。「おまえまさか、あそこから歯車をかっぱらってきたんじゃないだろうな」
「ちがうよ」と祐は言う。
「そうか。あそこは所有者不明だろう。どこが解体費を持つか決まってないらしいんだ。危ないから近づくんじゃないぞ」
「了解」と祐は言う。
 父親が仕事に向かったのを見とどける。母親の作業場から、踏み抜き防止の安全長靴をふたつとゴムコーティングの滑り止め軍手を借りて、八時に焼け跡に向かった。どうやらここは葉月の通学路沿いにあるらしい。葉月が先に来て待っていた。田舎町の焼け跡はとくに警戒されておらず、黄色に赤く立ち入り禁止と書かれた標識テープさえ無視すれば、だれでも自由に侵入が可能な様子だった。
「釘とか踏むとあぶないから、これ」と安全長靴をわたす。葉月が長靴に履き替える。二階部分と壁はほとんど焼失していて、柱の一部がところどころに黒く焼け残っていた。
 辺りに人がいないのを見極めて「この辺りが店舗部分だね。ガラスに気を付けて」と葉月を案内する。「こっちが工房で、この奥が居住スペース。服真っ黒になっちゃうと思うけど、大丈夫?」
「平気」
「このあたりに床の間があって、ちょうどそこにあった箱の中でスピナーを見つけたんだ」
「祐、もしかして、この箱のこと?」とすすけた箱を葉月が指さす。
「ビンゴ。この箱、なんなんだろう」
「復元されたアンティキティラ島の機械か、天文時計っていうところかなあ。壊れてるみたいだけど」葉月が軍手で、箱の表面の黒いのを払いのけようとしている。その後もしばらく物色したが、スピナーは見つからず、さっきみつけた壊れた箱を持ち帰ることにした。重くて腰が抜けそうになる。顔が真っ黒になっていたので、いったん出直して納屋に集合することになった。

シャワーを浴びて着替えた後、持ち帰った箱を検分してみる。手あたり次第に分解するとあとで戻せなくなるなと思案していると、葉月が納屋の扉をノックした。
「どう修理できそう?」と葉月がきいてくる。
「お手あげ。なにか手がかりとかあるといいんだけど」
「ここにスピナーがはまってたんだね」葉月は同じくらいのサイズの歯車をバケツからさがそうとしている。
「他の歯車もさびてたりとか、ゆがんでたりして骨が折れそう。そういえば、アンティキティラ島の機械って言ってたけど、あれなんのこと」
「有名なオーパーツだね。地中海にアンティキティラ島って島があるんだけど、その近くに沈んでた船から発見された、二千年以上前の機械なんだ。手まわし式で、惑星とかの運動を計算するために使っていたみたい。これはそれのレプリカなんじゃないかな」
「じゃあ、たぶんそうだよ。店の名前がアンティキティラだったから。たぶん店主がそういうの好きだったんじゃない?」祐は薄汚れた看板の文字を思い出した。
「知っての通り、惑星の動きって複雑なんだ。みんなを惑わせるから惑星って名前が付いたくらいに。進んだかと思ったら、戻ったりする」
「そんな大昔に、そんな精密な計算ができたの?」
「昔の人は楕円軌道とか知らなかったから、円運動を組み合わせて惑星の運動を表した。祐は周転円とかってきいたことない?」
「残念ながら」ついでに言うと楕円軌道も聞いたことがなかった。
「回転する大きな円の円周上に、回転する小さな円を乗せたときの、小さな円の円周上の点がどう動くかみたいな感じかな。アンティキティラ島の機械はそういう動きを歯車の組み合わせで再現していたんだ。あれ、でも、これは」
「どうかしたの?」
「変なんだ。周転円にしては階層が深い」
「どういうことだろう」
「さあ。わからないけど、今日は時間があるから、できるだけ、修理してみよう」

夕方、大半の歯車を入れ替えて、手まわしのハンドルが動くようになった。箱の下でやたら動いている器具にロットリングを差し込んでみる。
「これってスピログラフみたいだね」白紙にどんな軌道がえがかれるか様子を見守る。
「いや、驚いた。離散フーリエ変換だよ」と葉月がびっくりした声で言う。
「あのさ、葉月。めちゃめちゃ歯車について勉強してない? それってなんのこと」
「ええとね、適当な一筆書きを回転運動の重ね合わせで表せるようにするって感じのものかな」
「期末テスト大丈夫だった?」
「うん、学年一位だった」それほどの優等生とは思ってもみなかったが、嫌味には聞こえなかった。紙にはどんどん絵図がえがかれていく。合計三枚の紙が出力された。
 一枚目は銀河系の絵だった。二か所吹き出しで拡大されていて、どこかべつの恒星系から太陽系に向かって歯車ロケットが飛んできて、地球でクラッシュした様子が示されていた。
「うすうす地球の生物じゃなさそうな気はしていたけど、これってやっぱりこっちの星がスピナーの故郷っていうことなのかな」
「そうかもしれない」と葉月が真剣な顔でこたえる。
 二枚目は、歯車ロケットの図面だった。複雑な歯車モジュールの配置がびっしりと書き込まれていた。
「なんだかすごそう」と祐が感想を述べる。
「詳しいことはわからないけど、コンピュータと航行装置が複雑に絡み合ってるみたいだね」と葉月が言う。
 三枚目は在りし日の歯車屋敷と、その地下の断面図だった。地下には修復された歯車ロケットが眠っていた。また吹き出しで、地下への入口が示してあった。床の間のすぐそばだった。
「もしかしたら、スピナーはこの先にいるのかも」と葉月が言う。まだ外は明るかった。
「うん。いってみよう」

ふたたびボロ着に着替えて、焼け跡に集まる。近くに落ちていたバールのようなもので床の間跡の床を剥がすと、果たして図面通りに地下への通路が口をひらいた。サーチライトを照らし、侵入しようとしたとき、視界の端をなにか横切るものがあった。葉月が「スピナー」と声をあげる。ふり向くと、青い歯車が転がっていた。「いままでどこにいたの。心配したんだよ」と葉月がスピナーを抱きあげる。
「無事でよかった」祐の膝の力が抜ける。「あのさ、スピナー。ちょっとわかったことがあるんだ。じつは」
「故郷がわかったんだよね。故郷への帰り方も」
「そういうこと。ついてこい。故郷に帰してやる」
「ほら、いったいった」と葉月がスピナーを地面に置いて移動をうながす。
 祐は地下への階段を進むが、スピナーは入口の辺りで尻込みをしている。「どうしたんだ」
 祐は引き返してスピナーをつまみあげる。
「帰りたくないのかな」と葉月が言う。
「あのな、スピナー。もう少し一緒にいたい気持ちもあるけど、できればスピナーは仲間と一緒に暮らした方がしあわせじゃないかとぼくは思うんだよ」としゃがみこんだまま言って聞かせる。「もちろん、無理は言わない。決めるのはスピナーだ」
 スピナーがみじろぎするので、地面に置いて祐は立ちあがる。スピナーはゆっくりと地下への道を進んでいく。ふたりはライトを照らしながらスピナーの後を付いていく。

図面で言うと、そろそろ、宇宙船が見えてきてもいい辺りだなと思いながら角を曲がると、通路の先に巨大な歯車宇宙船が横たわっていた。「きっとあれだよ。あれで帰れるんだ」走り始めた祐の両サイドの壁が身震いをした。ぎゅいーんという音を立てて、圧し潰さんばかりに迫ってくる。ライトを照らしてよく見ると、それぞれの壁には格子状にびっしりと歯車が並んでいてそれが高速回転をしているのだった。すきまに巻き込まれたらミンチになってしまうにちがいない。立ち止まると壁も止まった。進むと迫ってくる。来た道を戻れば壁は定位置に戻った。
「困ったな。門番というか自衛システム的ななにかかな」
「でも、見てたら、あんまり移動速度は速くないみたい。全速力で走れば振り切れるかも」と葉月が言う。
「おそろしいことを言うなあ」スピナーを見ると足もとにすり寄って甘えているようだった。「でも、やってみるか。スピナーついてこいよ」
「位置について」と葉月が言うので、クラウチングスタートのポーズをとる。「用意」腰をあげる。「どん」でダッシュする。冷静に見ると、迫ってくるスピードはさほどでもない。このままぶっちぎれる。あと三歩で通路を抜けると思ったそのとき、キンと音がして壁からものすごいスピードのなにかが撃ちだされた。反射的に目をつぶったら、足がもつれて転倒してしまった。ゴッという鈍い音が聞こえた。

痛みはない。うっすら目をあけると、通路の向こうの広間に出ていた。高い天井にぽっかり丸い穴があいていて、星空が見えた。目と鼻の先には宇宙船がある。「いけた、振り切れたぞ、スピナー」とふり向くと、スピナーが倒れていて、青い歯車の歯がなんと半分くらいに欠けてしまっていた。「スピナー?」駆け寄って、状態を確かめる。
「スピナーがどうかしたのー?」と通路の向こうから葉月が叫ぶ。
「歯が欠けてる。動かない」
「えー。スピナー」という悲鳴が聞こえる。葉月が近寄ってくるので「危ない」と叫んだが門番は沈黙したままだった。そのまま祐のそばまで来て合流する。
 
「遠くてよくわからなかったんだけど」と葉月が言う。「壁がピッチングマシンみたいに、なにかたぶん歯車を飛ばしたんだと思う。それが祐に当たりそうになったところへスピナーが跳ねていって、祐をかばった。そんなふうに見えたよ」見渡すとそばにスピナーとは別の、真っ二つになった黒い歯車が落ちていた。
 星空の下、頭を抱えてうずくまる。祈るような思いで、シャフトをつまみ、こまのようにまわしてみる。ぐらぐらどころか、バランスが悪くてあっという間に倒れてしまう。携帯していたオイルを注いで磨いてみる。欠けた歯をさがして、押し当てるがもちろんくっつかない。
「まわれ」と祈る。倒れる。
 
「おい、歯車野郎ども」涙を拭いて立ちあがる。「なんてことをしてくれたんだ。スピナーはお前らの仲間だろう」と自衛システムに向かって呼びかけるが、なんの応答もなかった。
 
「いやだ。死んじゃったのかな」と葉月が泣く。まわらないスピナーの残骸を抱いて、まわる星空の下を宇宙船まで歩く。星空は、目に見えないほどゆっくりと、でも確実にまわっているはずだった。まわれ星空と思うと、まわらないスピナーのことが悲しくなって泣けてきた。
「だれかいませんか。あなたたちの仲間が大変なんです。助けてください」入口がわからないので、宇宙船の外壁をたたく。「お願いです」
「祐」と葉月が言うので、そっちを向く。「これって、あの箱に似てない?」金色の金庫のような箱が宇宙船の船体に据え付けられていた。例のアンティキティラ島の機械にそっくりだった。レバーを引いてあけてみると、回転する歯車や回転しない歯車やラックたちのすきまにちょうどスピナーが収まりそうな空洞があった。「返してあげよう」と葉月が言う。祐はうなずいて、箱の中に欠けたスピナーをおさめた。
 スピナーは動いている歯車に動かされ、そして他の歯車を動かした。回転運動が往復運動に変換される。「マングル二重ラック欠歯車往復運動機構だ」と葉月が呪文のような言葉を唱えると、はじめ宇宙船が、やがて空洞全体が震えだした。それから地面が蠕動し始めた。不意に床が割れて、ふたりは落下した。そして直下にあったゴンドラのようなもので地上まで運ばれていった。出たのは入口のすぐそばの地面だった。満天の星空に天の川がかかっていた。
「スピナー、どうなっちゃったんだろう。あれ、なにかのスイッチだったのかな」と葉月が言う。地響きがして、焼け跡の向こうの地面が明るくなった。そこまでいこうとすると、地下から巨大な宇宙船がゆっくりと現れた。かつての歯車屋敷3つぶんくらいの大きさはあるだろうか。ガタピシと歯車の音を響かせながら、目の前を浮上していく。ライトで照らすと赤や黄色や緑の歯車が回転しているのが見えた。
「もうすっかり直ってたんだな。宇宙船」
「うん。この分なら、きっとスピナーもすぐに治るんじゃない」
「よかった」と胸をなでおろす。「元気でな、スピナー」と次第に小さくなっていく宇宙船に向かって、ふたりで手を振る。
「あれって、どういう原理で飛んでるんだろう」
「さあ、反重力?」
「さっき言ってたマングルなんとかってなに?」
「ああ、回転運動を往復運動に変える装置の一種。欠けた歯車を使うと割と簡単にそういう機構が作れるんだ。江戸時代の万年時計にも歯の揃ってない虫歯車むしはぐるまっていうのが使われていたみたいだよ」相変わらずの葉月の調子が妙に嬉しかった。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん」
 サーチライトで足元を照らしたとき、そこにひょっこりと欠けた青歯車が転がってきた。
「スピナー!」とふたりが合唱する。
「どうしたんだ。置いてけぼりを食ったのか」変な汗がふき出した。
「さみしくて戻ってきちゃったのかも」冷静な葉月もあわてているみたいだった。
 歯が欠けているので、地面を走るにはひょこひょこして動きにくそうだったが、ともかく生きていることには間ちがいなかった。「ばかだなあ」と言いながら、青いスピナーを抱きしめる。ずぶずぶの雑巾が絞られたように、涙と一緒に複雑な感情があふれて止まらなかった。

その日から、祐は受験勉強を始めることにした。部屋の壁に「必勝」とか「絶対合格」とか書くのが恥ずかしかったので「まわれ星空、まわれ、歯車」と大書した。その隣にアンティキティラ島の機械もどきが吐き出した二枚目の図面、歯車宇宙船の設計図を貼って、鉢巻きを締めた。いまはこれを理解できないけど、いつかきっと自分は宇宙船をつくるのだと信じることにした。そして、いつか取り残されたスピナーを故郷に連れていってやるのだ。

文字数:16000

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