梗 概
おいしい肉が食べたい
ありとあらゆる美食に親しんだ世界大統領夫人が、ある時何か食べたいものはないかと聞かれて「おいしい肉が食べたい」と答えた。
最高級の牛肉でもなく、地鶏でも、ブランド豚でも、ジビエでもない。
「今まで食べたことのないお肉を焼いて食べたい」と言う。
早速、世界食糧管理機構レシピ部保存管理科と研究科に、珍しい肉の調達が申し渡された。
古今東西の文献に残された肉料理の材料を探したが、夫人の要望に見合う肉は見つからなかった。まさか人間、という意見もあったが、夫人は「おいしいとは思えない」と一蹴する。
無いなら作ろう、と新種の食肉用家畜の開発が始まった。
だが、夫人に好き嫌いがないことが災いして、目標となる肉のイメージが固まらない。柔らかさか歯ごたえか、そのレベルから意見が分かれ、実際の研究はまるで進まない。
代替え肉のように植物から作ることも考えられた。だが、本物の肉とはどうしても別物になってしまうし、夫人は「だったら豆腐を食べるわ」と否定的だ。
生物に近い植物から品種改良してはどうだろうという案も出て、羊の成る木であるバロメッツやマンドラゴラ、美少女が成るナリーポンなど、植物に食肉と同じ性質の果実を実らせる研究もされた。
また、地球がだめなら宇宙へと、食肉を求める旅の範囲は広がっていった。
一度、これはと思う肉に偶然出会うことができたが、人間以上に高い知能を持つ生物の肉だったため、チームで相談した結果なかったことにした。余談だが、このチームのメンバーは、地球に帰ってからは俗世と縁を切って生活している。
結果がでないまま、時間だけが過ぎていった。その間に、夫人の好みも変わっていく。夫人は老いていた。だが病の床についても、夫人はまだ「今まで食べたことのないおいしい肉が食べたい」と言い続けていた。
ある日、世界食糧機構特別チームのリーダーが病室にやって来た。
「お待ちかねのものです」
そう言うと、抱き起された夫人の口元に銀のスプーンを運んだ。
スプーンに乗せられたものは煮凝り状になっているので、嚥下能力が下がっていてもすんなりと飲み込めるようになっている。
だが、夫人は肉を噛むように口を動かすと、顔を輝かせて言った。
「これよ! こういうのがずっと食べたかったの。ああ、おいしい」
しばらくは嬉しそうに口を動かしていたが、突然その体から力が抜けた。
彼らが夫人に食べさせたのは、舌で味を感じさせないように改良された新種のバクテリアで、人の脳を食いながら麻薬成分を出し、また扁桃体に働きかけて「その人が食べたいと思ったそのものの味」を幻覚として味わえるようにするものだった。
ただし、脳が食い荒らされるため今わの際にしか使えない
結局、最期まで夫人が頭の中で考えていた「美味」がどんなものかわからなかった研究チームだったが、彼女の満足そうな死に顔に実験は成功したのだと思った。
文字数:1188
内容に関するアピール
私の人生は、できるだけ多くのおいしいものを食べてから死にたい。それに尽きます。
兎やすずめ、可愛いといわれる動物も、おいしければ食べたいと思うし、それが残酷だということも知っています。
だからこそ、もし自分が何かに食べられるとしても、それはそれでありだなとどこかで覚悟を決めてもいるのです。
むしろ、変な死に方をするくらいなら、何かに食べられて死にたいと思っているのです。
文字数:185