妖怪と認められなかった妖怪たち

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梗 概

妖怪と認められなかった妖怪たち

2030年、生物組成プリンターの台頭によって、好き勝手に生物を出力できるようになった時代。
 そのムーブメントの中で”妖怪”とは、在野のDIY生物学者たちが規制が緩い頃、勝手気ままに作り出した、日本に纏わる空想生物の総称である。
しかし、ISO規格として、今までの比較的ゆる緩やかな鳥山石燕規格トリヤマベースのではなく、より厳選された水木しげる規格シゲルベースが採用されるようになる。
結果、基準に満たない数多の妖怪でなくなった妖怪たちは、”違法妖怪”ということになり、殺処分の対象となった。
だが、処分できない好事家たちが野に放ち、生態系に影響を与えることが社会問題となっていた。

京都の大学の人間学部に通う硯子すずりこは、彼氏と別れ家族から仕送りも断絶され、宿無し一文無しになった大学二回の夏、吉田にある家賃二千円(年間)のオンボロ寮に転がり込む。
だがそこは、無責任に投棄された違法妖怪の巣窟となっていた。
豆狸、五徳猫、手負蛇、鬼熊、目目連……はじめはその違法妖怪たちを嫌悪する硯子だったが、同じく見捨てられた身の上に共感し、生きる居場所をつくってやろうと、大学の自治を利用し、国家権力を相手取り、寮を違法妖怪たちのための駆け込み寺にしてやろうと決心する。
年金ぐらしの自称大学生、違法滞在している家族、妖怪フェチの院生など、個性気ままな寮の仲間と力を合わせ、半年に一回の頻度で攻めてくる保健所や機動隊と戦ってはいたものの、次第に寮の資金が尽き始める。
硯子は金を得るため、観光地である利点を活かし、宿泊サービスとしての”妖怪との素泊まり”をコンセプトに寮を宿泊施設として提供しはじめる。
鳴窯と火前坊が沸かした茶を楽しみ、琵琶牧々と溝出が音楽と踊りで饗すそのサービスは大盛況となった。
そして、元カレからは、いつまでもモラトリアムを続けるなと言われても、硯子は妖怪の居場所を作ることを言い訳に、大学を卒業して二年が経ってもまだ寮に住んでいた。

秋に巨大な台風が押し寄せ、京都に数日間、物資が不足する。おりしも時期はお盆、数多の観光客が犇めく京は大混乱に陥る。
その最中、硯子が目を離したすきに、ひしゃげた頭を持つ爺妖怪を筆頭に、妖怪たちは寮を街に飛び出していった。
そして、危険がわかっているのかいないのか、百鬼夜行という祭りを勝手気ままに行う。その奇天烈さを街は迎えいれて、次第に人々は平静を取り戻し、災害が過ぎ去ったあとでも違法妖怪は街に溶け込んだ。
硯子は、守るつもりで寮に閉じ込めていた妖怪たちが、簡単に自分たちの居場所を作るのを見て、自身もこの大学寮という安寧の地を出ようと決心をする。
その後、硯子は、世界各地で違法生物たちの居場所を作り続ける活動に従事した。
たまに、日本の吉田のあの寮に帰ってくれば、妖怪たちが温かく迎え入れてくれる。

だがしかし、あの災害の日から幾年も過ぎた今でも、硯子には、わからぬ不思議があった。
あの災害のとき一瞬見た妖怪――ぬらりひょんは、水木規格でも認められた本物の大妖怪、物の怪を総べる総大将だ。
あの妖怪は、いったいどこから来たんだろうか?

文字数:1288

内容に関するアピール

北白川の蛍、大文字山の鹿、台風になると流れてくる大山椒魚、キャンパスを徘徊する山羊、卵から寮生が孵化させた孔雀、寮で飼われた巨大鳥エミュー……自分が大学院生の頃に通っていたキャンパスの周りは、都会とは思えないほどに謎のペットや野生生物が暮らしてました。特に寮では猫が沢山飼われていましたが、どうやら心無い人がここなら世話をしてくれるだろうと、勝手に放していたようです。
普通は見ることもないような動物たちと勝手気ままに過ごす、不思議な空間での大学生時代、という思い出から、人工妖怪とその妖怪を守る大学生活を書いてみようと思いました。
なお、作中の違法妖怪は、実際に鳥山石燕の記録にはあるが、水木しげるが篩いにかけ、描かなかった妖怪からセレクションしました。(より正確には、鳥山石燕の妖怪画のうち、水木しげるの『妖怪なんでも入門』にいない妖怪)
妖怪の知能レベルは、喋れはしないが簡単なコミュニケーションならできる、ぐらいを想定してます。
物語的には、コメディ感ある、トラブルだらけの不思議な大学生モノの温度感で書こうと考えています。

# 参考
身体の大衆文化 描く・着る・歌う 伊藤龍平

文字数:485

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キョートモノノケ・ドミトリー

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https://drive.google.com/file/d/1hrnwrQ7Xa3Tsei6MrA5JtvO5JtvxJR32/view?usp=sharing

 

# 1
 一泊5000円、風呂なし、妖怪おり〼――
「いや、妖怪だけだと、ちょっとインパクトに足りない感じ……?」
 ここ小一時間ほど、自室のコタツの上で開いたPCをカタカタと動かし、CSSをピクセル単位で調整して、最後の最後、トップを飾る謳い文句でまた一考。
「っていうか別に今どき、妖怪なんて全然、珍しくないし」
 などとぶつぶつとつぶやきながら、私はずっとひとりで、ホームページのデザインの試行錯誤を続けている。トップを飾る謳い文句に、なにか良い言葉が無いかと、頭の中で一人連想ゲームを繰り返す。
 『妖怪』、『ボロ宿』、『大学寮』、『おかしな生物たち』、『捨てられ』……
 そんなふうに捏ねくり回しいると、やっとしっくり来るものが降りてくる。
 ”違法妖怪”、おり〼
 私は、カタカタッとその一文を打ち込んでみる。うんうん、いい感じ。初めて作るホームページにしては上々じゃないかな。
 寮の本棚で、数十年転がっていたであろう本を参考にして作った、手作り感満載のホームページのデザインを、私はひとり、満足気に眺める。
 ゴックフォントにキリ番、Web3.0が当然の時代に作ったとは思えない、まさにネット黎明期のいにしえ感で溢れかえっているが、うちの寮を体現しているようで味わい深い。
 ずっと見てるとスタイリッシュな感じすらあるような気がしてくる。こう、五周ぐらいまわって、逆にいいじゃん、みたいな。
「よぉっし、できたー!」
 慣れない仕事で溜まった疲れを、吐き出すように叫ぶ。隣どころか三つ先の部屋まで声が聞こえようが気にしない。このオンボロ寮に、静けさなんて瀟洒なものはどうせないのだ。
 京都のど真ん中にあるとは思えない、森のような鬱蒼とした敷地に建つ、木造二階建ての寮。
 外は観光客や学生でいつも騒がしい。特に、キャンパスの最南端に位置するここは、一回生と二回生の授業が多いからなおさらだ。ただ、今は冬休みなので、妙に騒がしすぎる気もするが。
 私は背筋を伸ばしてから、ごろんと寝転がる。それだけで、もう遊びがなくなるほどの、猫の額程度の自由空間。
 必然的に物が四方に押し寄せられていて、窓際の隅には、いつ誰が発行しているかも定かでない会誌の束。一番上の冊子には、『月刊:芳山寮』 二〇三〇年十一月号と書かれている。さらにその端には、私の洗濯物や教科書やらの山。
 その狭間から、豆狸まめだぬきが恐縮そうに、もぞりと顔を出してきた。
 その妖怪は、そのビー玉ほどの愛くるしい目玉で私を眺めてくる。こちらを心配するかのような、その物憂げな表情がどうにも愛らしく、私はかれを手元に呼び寄せ、いつものようにわしゃわしゃわしゃ撫でくりまわす。
 たぶん、私が一段落するのを見計らっていたのだろう。なんとも甲斐甲斐しいことだ。
 そうして慈しんでいると、階段をドタドタと乱雑に降りてくる音が聴こえてくる。同時に響く、寮生たちの騒がしい声。
「おい、来たぞ来たぞ」「は、マジっすか、三ヶ月前も来たっすよ」「ここ最近、頻度高くねえ?」
 声はどんどん、声が玄関付近にある私の部屋の方向へと向かってくる。内容自体は文句たらたらではあるが、誰しも声にはハリがあり、祭りでも催されたかのようにみんな楽しげ。
 その言葉で私は事情を察し、「またかぁ」と辟易する。また凝りもせず、武装した保健所の職員が来訪したのだ。
 自室から廊下へと繋がる、開けっ放しの扉の前を、廊下を走る寮生たちの姿が横切っていく。
 ドンキで買った警棒、使い古されたフライパン、長筒のような謎の民族楽器、プラ板をくっつけて作った盾……各々が、”これぞ最強”と思う武器を持参している。
 一団が通り過ぎたあと、年金ぐらしの自称大学生、篠山さんだけが踵を返してきて、少し部屋のドアから顔をにゅっと出して、私に言う。
「おう、硯子すずりこ、あいつら、外に出ねえように見張っとけ」
 私は寝転がったまま首を反らして「うっす」とだけ返事をする。案の定、楽しげな寮生たちの空気にあてられたのか、追いかけるように、無邪気に入り口へと近づいてくる”かれら”の空気を感じる。
 簀巻きにされた白骨のような姿の溝出みぞいだしがカラカラと音をたて、狐者異こわいが、ギョロッとしためを血走らせながら、前傾姿勢で走っていく。行列の最後は、五徳猫ごとくねこがふくよかな横腹と、丸々とした幸福そうな表情をこれみよがしに見せつけながら、自慢の二股の左右に撓らせ、短い四肢で、たしたしたしと、まるで王族の子供のように悠々と闊歩していった。
 自然界には絶対に存在しない、妖怪たちの行列。
 寝転がったままの私は、胸の上にいる豆狸を、捕獲された宇宙人のようにぶらんと持ち上げる。
 この仔はいつも情けなさそうな顔をしているが、今日は特に怯えているように見える。
「大丈夫。あんたたちは、ちゃーんと私が守ってやるから」

# 2
 去年の夏、大学一回生の時、花の京の大学生となってから僅か半年足らずで、私は宿無しとなった。
 同棲してた彼氏と、表面上は些細なことから凄惨なまでの喧嘩に発展し、買い言葉に売り言葉のまま、住んでいた下宿のアパートから出ていったからだ。
 とはいえ、これだけはちゃんと強調しておきたいが、決して追い出されたわけじゃない。
「そう、私がアイツを捨てたんだぞ!」
 往来が激しい早朝の、百万遍の交差点のど真ん中で、溜まった鬱憤とともに言葉を吐き出してみる。
 そうして叫んでみると、一瞬だけ、気が楽になった気がした。
 だけど、すぐに我に返って辺りを見回せば、まわりの何人かが、私をそっと見ているのがわかる。さらに、私の大声に反応してか、犬っぽい黒色の小型動物が、きゃうきゃうと鳴きながら楽しそうに応戦してきた。
 冷静になってから、大勢の人様の前で突然奇声をあげたことへの羞恥で、顔が火照る。
 そのいたたまれない気持ちを、元カレへの怒りにすぐに変換する。こんな恥ずかしい思いをしてしまうのも、すべてあの、佐々木のせいなのだと。

 佐々木とは、同じサークルのオリエンかなにかで仲良くなって、出会ってから一ヶ月後の、ゴールデンウィークを過ぎたあたりから本格的に付き合い始め、更に若気の至りというべきか、付き合ってすぐ、私は彼の住まう下宿に越してきた。
 とはいえ、別に恋愛感情だけが理由ではない。地元から出ることに大反対だった私の親は、金銭面で援助を一切してくれなかったため、私は自分の学費から生活費まで、すべて学業を営みながらバイトをして捻出しなければならなかった。
 だから、家賃も浮くしちょうどいいやと、ヤツの二十畳はあろう、広々とした下宿に転がり込んだのだ。
 とはいえ、金銭面で世話になりたくなかったから家賃はちゃんと(親に学費から何から払ってもらっている)佐々木と折半だったため、別にアイツに借りがあるわけじゃない。
 それどころか、むしろ私の負担が圧倒的に大きかった。体感としては九対一ぐらいだったんじゃないだろうか。もちろん、私が九のほう。
 今にして思うとこの同棲は、始まったときには破綻が運命づけられていたのだと思う。
 一緒に住んでみてわかったが、佐々木は、なんというか、まだ色々なところでガキだったのだ。
 第一に、共同生活をするにおいて、相手の良心に委ねる性善説が前提の、”気づいたほうがやろう”方式にしていたのがよくなかった。なぜなら、日々の暮らしでやるべき作業に気づくことは、私のほうが絶対に多かったから。
 たぶんだけど、佐々木は意図的に無視していたんじゃない、本当に気づいていなかったのだと思う。だけど、そちらのほうが見て見ぬフリをするよりも遥かにタチが悪い。トイレ掃除や食事の用意とか、生活する上で必須となる諸々すべては妖精さんがやってくれるものだと思っていたということだから。
 根本的なところで、アイツは実家ぐらしの感覚が抜けていなく、また正そうとする気持ちすらなかったというわけだったから。
 その結果、バイトを何個も掛け持ちしていた私が、遊んでばっかりのアイツの代わりに生活必需品の買い出しから、掃除や洗濯などほとんどすべての家事をやっていた。何度か佐々木に任せてもみたが、中途半端にほったらかしにしたりやり方が甘かったり、やったらやったで、”俺が”やってやったんだという空気を醸し出してくるのがムカついて、結局、日が経つにつれなし崩し的に、私の分担の比率が増していった。
 それでも、八月までの数カ月間は、私は我慢しながらも、なんとか一緒に暮らしてこれた。じわじわと私の体内に貯まるヘイトの火薬に、アイツが着火させる、あの日まで。
 お盆直前のある日の深夜、塾講師のバイトがヘトヘトになりながら帰宅した私が二人分の夕食を作っていると、佐々木が何気ない口調で、破局を決定づける一言を投下してきたのだった。
「っていうか、なんでバイトそんなすんのさ、海外旅行でもする気?」
 もう、その一言にブチギレて、作ってた焼きうどんをフライパンごと佐々木にぶつけ、そのあとは二人で感情論での罵詈雑言をぶつけ合い、最終的に私は彼が丁寧に飾っていたガンプラを徹底的に粉砕してから、自分の荷物を乱雑に詰め込み、部屋を飛び出した、というわけだ。
 その後、日が昇るまでマクドでたむろしたあと、大学近くの不動産屋を周ってみようと決めた。
 しかし、後期の学費を納めたばかりの私の手持ちの残金は、わずか二千円程度しか無い。たとえ相談したところで、こんなんで、なんとかなる物件なんて、あるわけが。

「あるよ。一応」
 御影通りを曲がったところにある、明治の時代からあったのではないかと思うほどうらぶれた不動産屋。
 怪しさ満点のその店に、掘り出し物件がないかと期待して入ると、中央に置いてある木製の丸テーブルに、女性が一人だけつまらなそうに座っていた。
 私の物件の相談に乗ってくれたのは、その、不動産唯一の従業員と思われる、三十代ぐらいのスーツ姿の女の人だった。胸のプレートには、『鈴木』とだけ。
 その鈴木さんは、私の話を一通り訊いてから、なんでもないかのように、そう言ってきたのだった。
「本当ですか!?」
 彼女の、意外にも肯定的な返答に驚いて、つい、丸テーブルから身を乗り出してしまう。
 その卓は枯木が巧みに組み合わされて作られていて、しっとりとした柔い木のぬくもりがあり、素人にも触るだけで高級品とわかる。
 入って驚いたが、外の店構えと違って、中は随分と瀟洒な造りだった。南国とかに生えてそうな観葉植物が窓際で揺れ、アンティーク調の本棚に青色のバインダーがぎっしり並んでいる。不動産というよりは、どちらかというとしゃれた喫茶店のような佇まい。
「といっても、勿論、ウチの扱ってる物件じゃないんだけどね」
 鈴木さんは、私に掌を向けて、どうどうと制してから、流れるような所作で、机の下に置いてあった灰皿を取り出し、煙草に火を付け始めた。
 客商売なのにいい度胸してるな。という言葉をぐっと飲み込み、代わりに尋ねる。
「それって、たとえば、その……事故物件とかじゃなくて?」
「まあ、事故、物件、では……ない」紫煙を燻らせ、歯切れ悪く言う鈴木さん。煙草の吸いすぎのせいなのか、ハスキーボイスのその声には独特の魅力が宿っている。
「というか、そもそもウチが扱っている物件でもない」
「と、いうと、どういことでしょうか?」
 訝しむ私を無視して、鈴木さんはあろうことか携帯を手元で弄り始めた。まるで、やる気の無い学生バイトみたいだ。
 鈴木いい加減にしろよコラ、と一瞬思うが、もし本当にそんな激安家賃の物件があるならば、多少の無作法には大目に見ようというものだ。
「あんた、そこの学生さんでしょ?」
 しばし黙ってから彼女はそう言い、今出川通りの方面に左手を向ける。その手に添えられた煙草から灰が落ちそうで、見ていて妙にハラハラする。
「そうですが」ひょっとしてべらぼうに率が高い学割でもあるのだろうか。
「なら、ほら、学生寮があんじゃん」
「寮……」確かにそれは盲点だった。
 うちの大学に何箇所かある寮であれば、ひょっとして家賃が相場より遥かに安いかもしれない。
 とはいえ、こんな季節外れの時期に、はたして新参者を受け入れてくれるだろうか?
「うん。今から行ったら内見してくれるそう」
 鈴木さんは、ケータイの画面を私に見せてくる。端末をいじっていたのは、誰かに連絡をしていたのか。
「行ってみるといいよ。住所は自分で調べてみて、芳山寮でググれば一瞬でわかるだろうし。まあ、まっすぐ向かいの通りを直進するだけで、すぐ着くけどね」
 状況をどんどん前に進めていく鈴木さん。ひょっとしたら新手の劇場型詐欺ではないのかと別の疑念が湧いてくる。
「なんで、こんなにも自分に関係ない物件を進めてくるんです?」
 私の懐疑の色を帯びた言葉をいなすように、鈴木さんは木製の椅子に身体を預け、また煙を吐く。
「実は、私もそこの大学のOGなんだよ。で、その寮にはしばらく住んでいたことがあってね」
 その納得できるような、できないような返事に、私が「はあ」と生返事をすると、更に鈴木さんは奇怪なことを尋ねてきた。
「あ、そうだ。君、アレルギーとかって大丈夫?」
「アレルギーって、なんのですか?」
「猫とか、山羊とか、そういった動物系のやつ」
「山羊?」身体の健康にだけは自信があるが、さすがに山羊まではわからない。
「そ。なにせ変なところだからね。昔はエミューも飼ってたらしいよ」
「エミュー……?」全然想像ができなくて、またバカみたいにオウム返しをしてしまう。
「こーんな、でっかいダチョウみたいなやつ。しかも天然モノだよ」
 言いながら平行にした両腕を上に伸ばす鈴木さん。ダチョウはもともとでかいだろうと突っ込みたかったが、それよりもずっと気になったことを訊いてみる。
「天然物とは?」
 だけど鈴木さんは、むしろ私がへんなことを言ったかのように目をちょっと大きくして、
「いや、そのまんまの意味だよ」
 と言ってから、灰皿の縁をトントンと叩いて、煙草の灰を落とす。
 そのような反応をされてしまうと、どうにもこれ以上は訊きにくい。
 煙草の煙が蔓延する中、少しの間、気まずい沈黙が支配する。
 少しのあと、二本目を取り出しながら、鈴木さんはまた言う。
「昔から騒がしかったんだけど、最近だと、無責任な人が飼えなくなった”人工”のやつも、夜中にそっと捨てていくんだってよ。いや、まったく、勝手なもんだよね」
 ”捨てていく”という言葉に、チクリと心が痛む。いや、私は別に捨てられたわけではまったくがないが。
 その後に続くまた変な間に、鈴木さんは、私が出ていくのを待っているのだと察する。今更になって気づいたが、私は物件を紹介してもらう客ではないのだった。
「じゃあ、あの、失礼します」
 荷物に手をかけ、私はそそくさと店を出ようとする。
「はい、いってらっしゃい」
 鈴木さんも立ち上がり、ドアをカランと開ける私に、ひらひらと手を振る。
 そして、ギイと音を立てて、ドアが閉まるまでの刹那、
「んー?でもあの山羊、もう食べたんだっけかな」
 剣呑なことを独り言が聴こえてくる。私はドアに無理やり力を入れ、勢いをつけてすぐに閉め切った。

# 3
 百万遍近くにある大学キャンパスの最南端、近衛通りに面す、鬱蒼とした森の中に現れたのは、田舎の廃校舎のような木製の二階建ての建物。
「まさか、本当にあるとは」
 いや勿論、入学前から存在は知っていたが、一回も訪れたことはなく、なんとなく都市伝説のようなものだと考えていたのだ。
 少し道端で逡巡してから、結局私は鈴木さんに紹介してもらったままに、訪れることに決める。
 正直十二分に怪しいが、とはいえこのままでは鴨川での野宿も視野に入ってくる。背に腹は代えられない。
「あのー」
 恐る恐る声を出し、滑りの悪い引き戸を開ける。饐えた匂いのする玄関。そのすぐ左奥に、受付っぽいスペースを見つける。
 と、その物置のようのような散らかった空間の中で、何やらもぞりとなにかが動く気配がする。
 反射的に「ひっ」と声を上げ、私が腕を前に出し構えると同時に、その物体は、半身をもぞりと起こした。
 目に入ってきたのは、急に窪んだ目の、でっぷりとした輪郭……
「妖怪!?」
「え?あっいえ、寮長の駒城こまじろです」
「あっ、えっ、すいません!」
 人間だった。
 まさか、人間を存在するはずのない妖怪を間違えるなんて、恥ずかしくて死にたくなる。
 だけど、当の駒城さんは妖怪と間違えられたことを、別に気にすること無く、メガネを直しながら、
「内見の方ですか?」
 と、優しそうな声で尋ねてきた。
「はい、あの……鈴木さんという人から紹介がありまして」
 すると、駒城さんは合点がいったらしく、
「ああ、伺ってますよ。じゃ、案内しますんで、どうぞこちらへ」
 そう言ってから、暗がりに続く、人気のない廊下を指し示した。
 私は恐る恐る三和土を上がり、軋む廊下を歩いていく。足裏から伝わる凹凸や傷の感触が、建物の年季を語ってくる。汚れた白い木製の窓枠から見える外の中庭には、光が差し込んでいて、夏の青々とした木が輝いていた。セミの声が騒がしい。
 だけど不思議なことに、建物の中は冷房設備もなさそうなのに、妙な涼けさを感じる。
「先程はすいません。鈴木さんからへんな生き物がいるって話されていたんで、つい、先入観ができてしまい……」
 私は今更ながら、先行する駒城さんの背中に、言葉を投げかける。
 言い訳するわけではないが、あのときは洒落でなく、太った体躯に猫背で垂れ目の駒城さんが、絶対に存在しないはずの妖怪に見えたのだ。塗壁とか塗仏とかぬっぺらぼうとか、そういったたぐいのなにかに。
「ははっ」と笑いながら、駒城さんが振り返って私の方を向く。
「まあ、無理もないですよ」
 彼はそう言って、照れくさそうに頭を掻く。照明の明かりでフケが照らされる。私は半歩、距離を取る。
 暗がりの廊下の中、天井の切れ切れの電灯が点滅し、どこかで猫のような、妙に甲高い鳴き声がみゃあと響いた。
 みゃあみゃあみゃあ、と声は次第に多くなり、ふと足元をみると、暗がりから、猫のような可愛らしげな小動物がが近づいてきているのがわかる。私は反射的に身を屈め――
 瞬時に、弾けるように仰け反った。
 その声の主は、普通の猫ではなかった。
 その生物は、ころころと太った可愛げのある姿ながら、体中の毛が燃えるように逆立ち、尻尾は二股に分かれている。
 人生で一度も見たこと無い珍獣に混乱し、固まる私。
 さらに追い打ちをかけるように、頭上から嫌な気配を察し、そっと見上げる。
 視界には、毛むくじゃらの物体が、顔からわずか数十センチのところに、すっと音もなく、垂れ下がっていた。
 その生物の、カサカサと躍動する八本の足が否応なく本能に告げてくる――蜘蛛だ。子供の体躯ほどもある、巨大な大蜘蛛。
「あっ、あっ……」
 口を開け、声を出せずに一歩ずつ後退すると、司法の寮の個室扉が一斉に開き、部屋からわらわらと影が現れる。
 人間大の大きさの毛玉の怪物、艶めかしくくねらせ這うサイケデリックな色の蛇、弦楽器のような形に福笑いのような目と鼻をくっつけた謎の生物……
 かれらに向かって駒城さんは手を広げ、のっそりとした声で言う。
「安心してください。ちゃんと妖怪もいますんで」
 私は今度こそ、確固たる確信をもって悲鳴をあげた。

 2020年の後半の頃から台頭してきた、生物組成プリンターBFPは、まるで神の御業の如く、プログラム次第で、どのような”生きた”生物を出力をも可能にした。
 そのBFPは、当初は特殊な研究機関でしか稼働できなかったが、コストと分解能、出力可能な生物の形質は年々指数関数的に改善され、国が規制を検討する頃には、一般の人でも十分扱えるほどに進化していた。
 特に宗教的な理由から忌諱感が強い西洋と違って、もともとアニミズム的な思想が強い日本では、法的にグレーゾーンであることを良いことに、BFPによって、在野のDIYバイオハッカーがさまざまな生物の形を試み、数多の人工生物が生み出されてきた。
 そのムーブメントの中で”妖怪”とは、規制が緩い頃、勝手気ままに作り出した、日本に纏わる空想生物の総称である。
 だが最近になってやっと国は、規制に乗り出すため、ついにその重い腰をあげた。妖怪は、今までの、好事家が好き勝手できる珍獣のような扱いから、きちんと飼育管理する生物に格上げされたのだ。
 それに伴い、ISO規格として、今までの比較的ゆる緩やかな、通称、鳥山石燕規格トリヤマベースのではなく、より厳選された水木しげる規格シゲルベースが採用されるようになりはじめた。
 そして、一定の猶予期間のあと、その規格に見合わない生物は廃棄するようにと、国から行政指導おふれが出されていた。
 結果、基準に満たない数多の妖怪でなくなった妖怪たちは、”違法妖怪”ということになり、殺処分の対象となった。
 基準に満たない妖怪は、法的な建前上、”倫理的に保護すべき生物”でなく、”有機素材でできたロボット”なのだから、なんの問題もなく捨てされるだろう、というロジックだ。それはあくまで書類の上だけの区別で、仕組み自体はどちらもまったく変わらないのに。
 結果、どうしても処分できない人々がやむをえず自作した違法妖怪を野に放ち、生態系に影響を与えることが社会問題となっていた。

 以上のことを、何も知らない私に対し、駒城さんは懇切丁寧に説明してくれた。
「すいません、まさかそんなに驚くとは」
 動転した私を落ち着かせるため、駒城さんは空き部屋へと移動してから、座布団を敷いて、ぬるい麦茶を差し出してくる。
 私はまだ平常に戻らないまま鼓動を抑えるため、麦茶でカラカラの口を潤わせる。
「そりゃあ勿論、そういう装置があるんだなってのは、知ってましたけど……」
 BFPの台頭における問題はネットのニュースでも何度も見たが、田舎で育った私は実物は一度も見たことがなかったし、完全に他人事だと考えていたのだ。
 京都に来てからもひょっとしたら、そうした独自の生物を目にしたことはあるかもしれないが、恐らく珍しいペットかなにかぐらいにしか思っていなかったのだと思う。
「この寮なら誰かが世話してくれるだろう、なんて考える身勝手な人が、たまに寮の敷地に捨てていくんですよ」
 汗だくの身体をハンカチで拭きながら駒城さんは言う。確かに、鈴木さんはそんなことも言っていた気もするなと思い出す。
「で、どうします?寮の案内の方、続けましょうか」足を組み替えながら、そう尋ねてくる駒城さん。
「いや、どうって言われても……」
 振り返って、廊下に繋がる扉の方を見る。正直、先程の衝撃がトラウマになりかけている私としては、「じゃあ続けてください」とは言いづらい。
 だが同時に、今日の宿にも困っている身の上なのは、如何ともし難い。頭の中で、天秤がグラグラと揺れるイメージが湧いてくる。
「あっ!」
 私が逡巡していると、突然、駒城さんは頓狂な声を上げた。その声につられ、私は崩れそうな本棚の方に目をやると、その影から、一匹の妖怪が姿を現した。
 隠れていたのは、饅頭ほどの大きさの毛むくじゃらの小動物のようなやつで、見かけは狸のようではありつつも、数十センチ程度の小柄なフォルム。
 その妖怪は震えながらも、恐る恐る私の方に近づいてくる。まるで、よろしければひと撫で頂けませんかと嘆願するかのように。
 その仕草に一発でやられた私は、先程の恐怖体験がすっぽり頭から抜けて、反射的に、そっと手の中に迎い入れる。
 ちょろいなと思われるかもだが、この仔のおかげで、私は妖怪に対しての思いを、だいぶ上方修正した。
 先程の妖怪たちとの出会いは最悪もいいところだったが、人によってデザインされただけあって、ちゃんとしたところで向き合えば、そこまで気持ち悪くは感じないのかも、と。
 そこで私は、大事なことを訊いてなかったことを思い出す。
「あの、ここの家賃っておいくらですか?」
 私の質問に、駒城さんは無言でVサインを作る。
「二万ですか」
 立地にしては激安だが、思ったほどではないなと、少しがっかりする。
 だが、消沈する私に、駒城さんは「いえいえ」と手を鷹揚に振る。
「桁が違います。二千円ですよ」
「月二千円!」
「いえ、年で」
「年!」
「それも水道電気代込み」
「光熱費も?!」
 うっかり、深夜のショッピング番組のような問答になってしまう。でもそんなのほんと、もうほとんどタダ同然ではないか。
 脳内の天秤が一気に振り切れて、”かわいい”と”家賃”とが乗った方の皿が着地する。
 そして、私は、一度決めたら、すぐ行動する派だ。
「決めた。ここに住まわせてください」

# 4
 やや性急にも思える私の判断は、結論から言えば、大正解だった。
 思ったとおり、最初はおどろおどろしく感じたその人工生物たちも、人に作られただけあって、非常になつきやすくて、入寮してから何週間もせず、私はすっかりこの違法妖怪たちの虜になった。
 寮の方の暮らしも、快適……とは違うが、自然に受け入れることができた。良くも悪くも自治寮であるため、自分たちで掃除や食事の準備、さらに寮の運営まで一任されており、そのため思いのほか、やることが多いのはなかなか大変ではあった。あそこまで異様に家賃が安かったのは、労働力として貢献することが前提だったのだと合点する。
 とはいえ、ルールを作り、自分のことは自分でなんとかする生活は私の望むところだったから、一年も経てば、この暮らしにすっかり溶け込んでいた。

「はい皆さん。スタンダップ。両手を上げて変な挙動をしないように」
 秋も深まったある日、駒城さんが、突然、金曜の定例会で宣言した。
 食堂にわらわらと集まる寮生たちを、いつもと違って剣呑な様子の駒城さんは、らしくない俊敏な動きでビシッと静止させる。
「そこ!おやつを五徳猫ちゃんにあげない!」
 駒城さんの指先にいたのはナリちゃんは、インドからの派遣研究員だ。やや寡黙ではあるものの、一番妖怪たちを可愛がっていて、ほかの寮生とも仲が良い。ちなみに、どこの研究室に所属しているのかは、誰も知らないという。
 そのナリちゃんは、なにがなにやらという表情で、ボサボサの髭を撫でてから、駒城さんの指示通り、ゆっくりと立ち上がる。横では五徳猫がびょんびょん飛びながら、お菓子の催促をし続ける。
 少し場が落ち着くのを確認してから、駒城さんは異様なまでに慇懃な様子で宣言する。
「えー皆さん。寮の金が尽きました」
 再びどよめく寮生たち。駒城さんは今度は睨むだけで黙らせる。
「原因は、はっきりしています。妖怪たちの維持費です」
 寮では家賃とは別に、供託金という形で妖怪の運営費を集めていたが、大した額ではなく、先代から続くプール金を削りながら、エサ代にあてていた。
 が、駒城さん曰く、どうやらそれも底を尽きかけているらしい。
「おい!じゃあどうすんだい!」
 年金ぐらしの自称大学生、寮に半世紀住んでいると噂の篠山さんが大声を出す。
 それに、駒城さんはサラリと応える。
「これからは、妖怪たちの餌は、農学部からもらってきた野菜カスに頼ろうと思います」
 当然すぐに、寮生からやいのやいのと声が上がる。
「それじゃ畜生と同じじゃないか!」「こんな可愛いのに!」「なんと非人道的な」
 私は盛り上がる群衆を尻目に、隅の柱にもたれ掛かり、ぼんやり遠くを見つめているナリちゃんの隣に移動する。
「そういえばナリちゃん、どうして日本に来ようと思ったの?」
「ボク?ジャパン……っていうかキョートが好きだったんだよね」
 そう言うと、彼はいつも着ている白衣のボタンを外す。中には、日の丸が描かれたTシャツ。
 ナリちゃんは身長が異様に高いから、私とは大人と子供ほどの体格差がある。私の目線はちょうど彼の腹あたりで、丁度そこ描かれていたのは、切り取り線と、『in case of emergency』の文字。
 呆然としつつ視線を上げると、胸の下辺りには赤文字で、ジャパニーズハラキリと書かれていた。
「……オシャレなTシャツだね」
 精一杯感想を述べる。本心としては、悪趣味極まり無いと思うが。
「ほんと、アリガト、スズちゃん」
 だけど私の言葉に、素直に喜んでくれるナリちゃん。私が”ナリちゃん”というからか、彼は私のことを”スズちゃん”と呼んでいる。元カレの呼び名と同じなのがもどかしいが、そうやってずっと過去に囚われ続けるのもよくないので、私は呼ばれるがままにしていた。
「じゃあ、代案出してくださいよ!代案!」
 駒城さんが叫ぶ声が耳に飛び込んでくる。私たちの朗らかな会話とは対照的に、他の寮生の話し合いは乱闘直前のヒートアップにまで発展している。
 その様子を見て、ナリちゃんはひどく悲しそうにする。
「残念。ボク、このコたちのこと、すごく好きだから」
「ナリちゃん、すごくかわいがっていたしね」
「スズちゃんもでしょ。キョートで、こんなファニーな生物たちに囲まれて過ごすなんて、僥倖の極まれリだよ」
 私達の足元では、 妖怪たちの中でも一等好奇心が強い、モモンガのような姿をした野衾のぶすまが、鼻をひくひくと動かし、ほったらかしの乾いた雑巾の匂いを嗅いで、ムッと眉間の皺を寄せいていた。
 ――その時、なぜか突然、私の頭に閃くものがあった。
 一度思いつくと、頭の中に浮かんだアイデアの種が、具体的な形にどんどんと変わっていく。
 ひょっとしてこれならば、妖怪たちも私達も、幸せになれるのではないか?
 その気持ちに勢いをつけ、半ば揉み合い殴り合いになっている寮生に向かって、大きく、叫ぶ。
「あのー!じゃ、こういうのはどうでしょう、か!?」

# 5
「はい!今日宿泊のお客様ですね」
 年明け、私はいつものように訪れる客に挨拶をして、客間用の部屋に案内する。
「どうぞこちらに」と案内しながら、なんの変哲もない傷みきったドアを開ける。
 狙い通り、部屋の中を見たカップルがすぐに「わあ!」と歓声をあげる。そのリアクションに私はいつもしてやったりと思う。
 なかでは、既に鳴窯と火前坊が沸かした茶を楽しみ、琵琶牧々びわぼくぼく溝出みぞいだしが音楽と踊りで出迎えていた。

 私が提案した一発逆転の金策は、京都の利点を活かし、”妖怪との素泊まり”をコンセプトに寮を宿泊施設として活用することだった。
 ”自治”であることを完全に任されているならば、そのための”活動資金”の確保も私達の裁量に任されていたからこその、ウルトラCだ。
 今までも一応一泊200円程度で泊まることはまあ可能だった。その値段設定は、寮がボロいことに由来してのもの。
 しかし、むしろそのおどろおどろしさと逆手に取って、妖怪と見事に調和させた私達の宿泊サービスは、国内から外国のお客様まで、あらゆる層に評判だった。宿泊料金を十数倍にしても、全く問題ないほどに。

「違法飼育は、犯罪です!周辺の他の生物にあらぬ影響を与えることがあります!」
 春が近い二月の末、三ヶ月ぶりぐらいに、寮の敷地外から、叫び声が聴こえてくる。
 二階に登って、様子を眺めると、白色の繋ぎとヘルメットを着た保健所の職員の何人かが集まって、敷居のほんのちょっと外側から睨みを効かせているのがわかる。
 かれらとしては私達が違法飼育している人工生物たちをなんとしてでも駆除したいのだろうが、国家権力が敷地に侵入することは、学問の自由の解釈が許さない。
 そのうち拡声器をもって私達を説得するおっさんが、また叫ぶ。
「もしも、協力して頂けるなら、あなた達の飼育している違法な生物の扱いも保健所指導の元、適切に健康的な飼育を援助することを約束します」
「そんなわっきゃねー!」私は声を張り上げて叫ぶ。「どーせ、ここの仔達を連れてってあとは殺すだけでしょ!」
 すると、別の部屋に滞在していた観光客も、私を真似するように叫び始める。
「こんな妖怪を殺処分なんてかわいそう!」、「俺らも徹底抗戦に協力するぜ!」、「国家権力反対!」
 弱者を守るために、国家権力に対抗する学生たちという構図は格好のエンターテインメント。かれらから見れば、私達と国との攻防は、プロレスのように見えることだろう。
 だからこそ、悪乗りする宿泊客の様子に、私はいつも冷ややかな気持ちになる。
 自分たちで宿泊施設として提供しておきながら、こう考えるのはおこがましいかもしれない。
 けど私達、ここで暮らす者にとっては、この闘いは、極めてシリアスな問題なのだ。一泊二日のコミットメントで、いい気分になってもらっちゃ困る。
「いーっいですか!?ここで妖怪を匿うことは、あなたたちにとっても、生物たちにとっても良いことではありませんよ!このような生活は、あなた達にとって不利益しか繋がりません!」
 遠くで職員の怒声がまた響く。かれらもかれらで堪忍袋が切れかけているのか、終盤はほとんどキーンのような、高周波しか届かない。
「これは、皆さん方の将来のためです。人間と妖怪とが、より良く生きれる社会にとって、なにが一番重要か、思い描いてください!」
 必死な保健所の皆さんの断定的な物言いに、私は余裕の笑みで返す。
 とんでもない、ここ世界は完璧だぞ。
 かわいらしい妖怪たち、たまにやってくるハプニング、楽しい寮生、金を落としてくれる観光客……閉じた環の中で、完全なるエコシステムが構築されている。
 卒業したあとも、この寮に残って、みんなとずっと過ごすのも素敵かもと思うほどに。

# 6
「オマエ、ショウライドウスルカキメテンンカ」
 同じ年の秋が近づいた頃、一本の電話が入った。私はその、心に響く声を訊いて、ろくずっぽ通知先も見ずに出てしまった十秒前の自分を恨む。
 電話の主は、父親だった。
「ニュースデモヤッテルゾ、ヒョウガキナンダロウ。ハヤメハヤメニウゴカナイト、モラッテクレルトコロナクナルゾ」
「はいそうですね」
 一度出てしまったら、切るにも切れず、これはリズムゲーだと思い込むことにする。淡々と会話の時々に相槌を打つに徹し、心を虚無にして、宇宙人と喋っているんだと諦める。
 うちの親は金も何も出さないくせに、突然閃いたかのように、時々妙に親ぶって連絡してくる症状に罹患しているのだ。まるで子供を心配するのが、親の義務であると突如思い出したかのように。
「ショウライドウスンダ、ショウライ?」
 心にざらりとした感触を覚える。こいつは本気で、私が将来についてなにも考えてないとでも思っているんだろうか?
 幸いにも、寮の民泊化計画は、一周年が経とうとする今現在も順調で、正直、現状維持のまま生きていくだけならば、このまま暮らしていくことはできる。
 だが、それはあくまで、このまま何も変わらなければ、だ。
 今ですら、限界を迎え、二階の部屋の幾つかは机の位置がちょっとずつ変わるほど傾いているこの寮で、この先ずっと暮らしていくならば、大きな修繕が必要になる。そんなお金は、私達では賄えないから、、なにかしらの権力に迎合する必要が出てきてしまう。
 要は、大人からの進言におとなしく従わなければならなくなるということだ。
 更に言えば、大学の周りに住む人々が、私達の取り組みを快く思っていないことも、最近、殊に感じ始めていた。
 表立っては何かあったわけではないが、まわりは閑静な住宅街だから、毎日騒々しく出どころがよくわからない生物を飼っているこの寮について、近隣の皆様が良い感情を抱いてないことは確かだろう。
 保健所の奴らと違って、堂々と正面からの物言いはないのが、余計にやりづらい。
 寮の外は敵ばかり。絶対に、妖怪たちをこの寮のなかで匿い続けなければならない。ちょっと前までは多少ならば敷地外に出る自由も許していたが、こうなると、かれらを守るためには、可能な限り寮内に留めておいたほうがよい。
 そのように私は、日増しに袋小路に向かっていることを自覚しながらも、ついに大学三回生の折返しを迎えたのだった。

 十一月の祝日。大学の学園祭の最終日。同時にこの日は、私の完璧な世界に綻びが生まれた日となった。
 妖怪たちが、全員、寮から消えたのだ。
「しまった。脱走だよ」
 開け放たれた裏口の扉を指して、駒城さんが呆れたように言う。
 学園祭ということもあってか、今日は観光目的の人の往来も激しく、さらに裏口の鍵がここずっと壊れたままだったことから、雰囲気にあてられた妖怪たちが寮の敷地の外に出ていった。
 これまでも時々、妖怪たちがいなくなることはあったはあった。だが、ほぼすべての妖怪が同時にここまでの脱走を企てるのは、初めてのことだった。
 その事実を知った時、私は脊髄に氷柱を入れられたかのような気分に陥る。全身が一気に冷え、四肢に力が入らず、その場に崩れ落ちそうになる。
「早く!探しに行かないと!」
 保健所の奴らに見つかったり、車に轢かれたり、近所の人に通報されて、保健所に殺処分されてしまうかもしれない。一度悪い方向に想像を膨らませてしまうと、際限なく悪い方向に考えが向いてしまう。
「スズちゃん、多分大丈夫。ホラ、みんなお腹が空いたら、きっとちゃんと帰ってくるよ」
 私の焦燥ぶりを心配してか、ナリちゃんが宥てくる。
「うるさい!」
 けど私は、今までにあげたことの無いぐらいの大声で、彼を一喝して黙らせる。
「あの仔達は、私がいないと、死んじゃうんだよ!」
 ギアがかかった心を落ち着かせられないまま、半狂乱になって、私は周りに集まってきた寮の仲間を睨みつける。怒りに震えるその目で、ほら、だから、言ったじゃないか、と無言で叫ぶように。
 ちょっと前に、たまにいなくなっている妖怪たちを不安に思って、私は余剰予算でGPS付きの首輪を買おうと稟議を通していた。それを、『生き物は自由にさせておくのがよい』と、他の大多数の寮生に意見に圧され、却下されたことを未だに恨んでいたからだ。
 かれらを見回しながら、少しずつ冷静さを取り戻した私は、おかしなことに気づく。
 いくら、出口が開いていたと言っても、ここまできれいに、皆がいなくなることがあり得るだろうか。ひょっとしたら……誰かが手引したのではないか?
「誰!?誰なの!?」
 私は今一度、気のおけないはずの仲間に嫌疑の視線を向ける。疑惑を向けられたかれらは、私が錯乱したと思っているのか、はたまた、心中にやましいことでもあるのか、皆、私から目を背ける。
 こうなっては誰も信用できない。私は一人で、あの子達を見つけなければならない。

 着替える時間ももどかしく、私はサンダルと寝間着用のジャージ姿で、学園祭で湧くキャンパスに飛び出す。
 いつもは野球部が練習している南部の運動場にも、今日はさまざまな催し物が立ち並んでいる。
 砂埃が飛ぶ中での屋台の群れを掻き分け、フリーマーケット会場を通り抜ける。素数クレープ屋、日本酒一日飲み放題、吹き抜けを利用した巨大クレーンキャッチャーなどの出し物の狭間を探索してから、東一条通を渡り、一番活気に満ちている中央キャンパスへと入って、大学トレードマークになっているクスノキを通り抜けて、工学部の棟の曲がり角を勢いよく曲がる。
 その瞬間、思いっきり、スーツ姿の男性とぶつかってしまう。
「すいませ……」
「あれ……久しぶりだな」
 聞き覚えのあるその声に、私は絶句する。
 ぶつかったその男は、二年ぶりに会う、あの元カレ、佐々木だった。
 心のうちで『失敗した』と毒づく。すぐに無視して走れば良かったのにと。
 だけど、悔しいことに、私は彼が佐々木であることに最初すぐに気づくことができなかった。
 あんなにおちゃらけていた佐々木の姿は、この会わなかった二年間ですっかり消えていて、社会にでるための姿に変身していた。
 あの似合ってなかった茶色頭は、墨汁をぶっかけたような黒髪短髪に変わっていたし、ピアスの穴もなにもなかったかのようにきっちりと塞がっている。学園祭にも関わらずリクルートスーツなのは、学内でなにか説明会でもあったからだろうか。
 だけど今は、彼のことなどかまっている暇はない。まじまじと見ながら、彼の変貌を考えている場合ではない。
 私は、佐々木の問いかけに答えないまま、すぐに立ち上がって、踵を返す。
 その私の背に、彼は言葉を投げかけた。
「ネットでニュースになって、知ってるよ。あの寮でBFPで出力した生き物使って、民泊をやってるんだって」
 知っているのか。別れたのはずっと前のはずなのに、私の近況を探っていたのが異様にムカつく。
「だったら、なんなの?」
 だけど同時に、淡い期待もしてしまう。学内であそこまでのサービスを始めた私の手腕を、賛美する言葉を投げかけてくれるかもと。
 しかし私のそうした淡い期待は、一瞬で打ち砕かれた。
「あんなの、だめだよ」
「はっ?」
「だから、あの生物を飼うのが、違法だってわかってるんだろ」
 私がショックで沈黙していると、彼はまた、決定的な一言を押しつけてくる。
「なあスズ、そろそろ、大人になってもいいんじゃないか?」
 その言葉に、脳内がグシャグシャになり、頭が真っ白になって、気づくと、私は彼をもう一度突き飛ばしていた。先ほどとは違い、今度は確固たる意志を持って。
「黙れ!」
 泣き叫びたくなる気持ちのせいで、うわずる声を必死に抑えながら、私は転がる彼を大声で盛大に罵る。
「私が、どんな気持ちでやってるかなんて知らないくせして、急に現れて上から目線で語ってんじゃねえよ!」
 そのまま彼の一張羅を汚れたサンダルで踏みつけて、走り去る。ハレの日に浮く学生たちの中を通り抜けながら、私は悲痛な思いの収まりどころを必死に探す。
 いろんな思い出がフラッシュバックして私に突き刺さってくる。静まるどころか、発散する方向を見いだせないほどに積もった怒りと、その数十倍の質量をもった悲しさとがこみ上げてくる。
 どうして、なぜ、佐々木も、私の親も、宿泊客も、どいつもこいつも、私の人生に少しだけ干渉しただけで、私のことを全部知った気になって、こうも厚顔無恥に説教ができるのだろう?なぜ、私の周りはそんな勝手なやつばっかりなのだろう?
 どうして、少し立場が違うだけでまるで、自分がいなければ生きていけないかのような言動ができるのだろう?
 最悪な気分のまま、当初の目的も曖昧のままに、えずきながら無闇矢鱈にキャンパス内を走る。気づけば、中央キャンパスの端、北口出口に差し掛かっていた。
 通りを挟んだ先に、北部キャンパスの入り口が見える。
 あちら側はこちらと違い、学園祭の喧騒もどこ吹く風という感じで、せいぜい入口付近に設置された簡易テントの下で、農学部で育てた野菜の販売を、近所の主婦向けに販売しているぐらいのようだった。
 だけど、なるべく喧騒を離れ、落ち着ける時間が欲しかった私は、信号が変わると、顔を伏せたままゆっくりと今出川通を渡る。
 そのキャンパスで私を待ち受けていたのは、想像だにしない光景だった。

# 6
 キャンパスの最北端。同じ大学のキャンパスでもその向こう側は、文学部に所属する私にとっては、まったく縁のないところだった。
 別に出入りは学生でなくても自由で、近くの近所の人もよく訪れる散歩コースではあるのだが、基本的に大学院以上の理学系の学部しか無いからか、なんとなく避けていたのだ。
 地理的にも、雰囲気的にも、学園祭からもっとも縁遠いはずのキャンパス。
 にもかかわらず、奥の方の農学部の農場辺りには、人が密集していた。
 その人だかりは、私を否応なく不安にさせる。まるで体温が十度ぐらい下がったような寒気が訪れる。
 頭から、最悪のイメージが頭から拭えない。あれはひょっとして、妖怪たちが見つかって、通報され、その大捕物を見ようと集まった野次馬じゃないだろうか。
 一度そう考えると、目の前の群衆が、正義を振りかざした、悪意の集合体に思えてならなくなる。
 私は顔が汚れたままであることに頓着せず、転ばないのが不思議なほどの前のめりで、その輪に突撃する。人だかりを無理やり割いて、中央を目指す。
 心音が大きくなる。人の多さに怒りを覚え、怒鳴りたくなるのを必死に抑える。
「えっ?」
 そして、私の危惧したとおり、妖怪たちはその集団の中にいた。
 だけど、私が思っていたのと、まったく違う形で。
 そこで繰り広げられていたのは、違法生物の殺戮現場などでなく、まるでその反対、自由気ままに妖怪たちの百鬼夜行パレードだった。
 真っ白い毛で覆われた、子犬に三日月のような角が二本生えた子鬼は、ぶるぶると身体を震わせて、広い芝生の上をを駆け回っている。いつもは物置小屋でとぐろを巻いて眠っているだけの手負蛇も、今は全身をくねらせて、歓喜に打ち震えるように、積もった落ち葉の中で、のびのびと身体を躍動させている。あの土蜘蛛ですら、無邪気な子どもたちを背に乗せ触れ合っている。
 踏み潰されないようにと私がずっと部屋の中で囲っていた豆狸が、今日は楽しそうに集まる人の肩に乗っかり、撫でくりまわされている。
 呆けたまま様子を見ていると、次第に服装や話しことばから、妖怪と戯れている人々が、皆、この辺りに住んでいる者たちだとわかる。
 にも関わらず、かれらは全く妖怪に嫌悪感を向けず、むしろ「玉ちゃん」や、「琵琶さん」など、勝手気ままな名前で呼んでいた。まるで、日常の風景のなかの一幕だとでも言うように。
 やっと自分が、馬鹿な思いに囚われていたことに気づく。
 私が常頃から肌で感じていた、ご近所さんの怒りは、決して妖怪たちに向いていたのではなく、私たち寮生にのみ向いていたのだと。
「妖怪たちは、みんなに好かれていたんだ」
 そんな私達とは真反対に、妖怪たちは自分で人々の中に、居場所を作っていたんだ。私の知らないところで、たまに小脱走を繰り返し、そのたびに野良猫のように近所の家に転がり込んで、親しまれていたのかもしれない。
『これは、皆さん方の将来のためです。人間と妖怪とが、より良く生きれる社会にとって、なにが一番重要か、思い描いてください!』
 保健所の職員の、あの必死な叫びが、本当に今更ながらに、半年以上遅れでやっと私の耳に届いた気がした。
 あの保健所の人たちだって、ああも私達が執拗に追い返さなければ、味方になって妖怪たちの扱いの落とし所を見つけてくれるのかもしれない。決してかれらだって、むやみに殺したいわけじゃないはずなのだから。
「えっ、じゃあ、私、同じことしてたんだ」
 私も、佐々木や、観光客や自分の親と何も違わず、あの仔達に大した責任なんて持たないまま、自分勝手に、妖怪たちに自分の庇護欲を押し付けて、寮の中に閉じ込めていただけだったんだ。
 それでも、許せるものと許せないものは、絶対あるだろうけど。
 だとしても、私はこれから、ひとつひとつのことに、丁寧に向き合わねばならない。寮という歪んだ箱庭の中だけでなく、妖怪と人間が、本当の意味で共存できるように。敵として排除するのではなく、開けた、同じ世界の中で共生していくために。
 顔を拭いて、その場に佇み、遠目から妖怪と人々が無邪気にじゃれ合う様子をずっと眺めていると、しばらく後に私が来たのと同じ入り口の方から、「おーい」と野太い声が聴こえてくる。
 遠くからでも、背格好やその丸々としたシルエットで、ナリちゃんや駒城さん、寮生の皆だとわかる。
 先程かれらに見せた痴態を思い出しつつも、私は誤魔化すようにはにかみながら、少し遠慮気味に手を振り返す。
 と、私はそこで手をピタリと止め、瞳孔を開き、目の前の光景を凝視する。
 近づいてくるかれらのさらに後方に、怪しい影が見えたのだ。
 人の形ながら遠目に見ても、その雰囲気は間違いなく、妖怪の一匹。
 その妖怪の姿は、すぐに木々の中に隠れて見えなくなる。私は、こっちに向かってくるかれらに対して、そのことを教えようと口を開け――たところで、固まってしまう。
 ――あんな妖怪、寮にいた覚えがない。
 だが同時に、どこか既視感にあふれた姿……直接見たことはないが、なにかの創作物や、大昔の本の絵巻物の中で、目にしたことがあるような。
 そこで私は、一見するとまったく関係ない、未だに解けぬ疑問のことを思い出す。
 寮にいた仔達は記憶にある限り全員ここにいて、一匹たりとも迷子になっていない。
 でも、かれらが脱走したとしたら、キャンパスのこんな奥地にまで、全員逸れずに無事って、逆にありえなくないか?
 そこまで考え、私は突然、さきほど、視界に捕らえた妖怪の正体に行き着く。
 まるで、好々爺のような姿に、潰れた豆のような頭の形は、あの大妖怪そっくりじゃないか。
「まさかな……」
 頭の中に、ふっと湧いた妄想を一蹴し、私は自虐的に笑う。
 中途半端な角度で止まったままだった手を振りながら、ゆっくりと寮の仲間のほうへと近づいていく。
 きっと先程の光景は見間違えに違いない。柳を幽霊と思うように、近所の老人の姿がそう見えただけのはず。
 もしも、妖怪たちを率いることができたならば、それは人工などではない、”ホンモノ”の妖怪のカリスマにしか不可能な芸当だろう。
 だけど、当たり前のことだけど、本当の妖怪なんてこの世に存在するわけがない。
 ましてやそれが、妖怪たちの総大将と名高い、あの大妖怪、ぬらりひょんであるなんて。

   了

# 参考
 身体の大衆文化 描く・着る・歌う 伊藤龍平

 

文字数:20200

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