宇宙の中心でIを叫んだワタシ

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梗 概

宇宙の中心でIを叫んだワタシ

 仕事がない。
 全然仕事が来ない。せっかく声俑デビューしたのに、超売れない。
 宇宙ダイエッターもえたまこと上出萌、体の中に生まれたダイエット特異点に超小型ブラックホールをぶつけて対消滅させ、見事生還(1回事象の地平線の向こうに落ちかけてやばかったけど、スコーンへの執念で這い戻ってきた)。
 その三ヶ月後。人の噂も75日……も保たず、あっという間にフォロワーが数十人に減った頃。宇宙人がやってきた。きっかけはわたしが事象の地平線から這い出るときに呻いていた「すこぉおおおおおおおおん」という言葉。これがなんていうの? たまたま全宇宙放送みたいになっちゃったらしくて。宇宙人、見に来た。
 ちゃんとヒトガタ。なんならいい感じにお付き合いできそうなくらいのイケエイリアン(なんか微妙にぬめっと感あるけど)。別に地球を侵略しに来たわけじゃなさそうだし、言葉も通じるし。いざ宇宙デビュー!とみんなが沸き立ったその時、事件は起きた。
 宇宙人と各国の代表との会議で大使が殴られた。宇宙人がいきなり激高して飛びかかったのだ。大騒ぎになった。宇宙人はよよと泣き崩れ、あまりにも失礼だ、こんなことを言われては黙っていられない、と訴えている。でも、会議の記録を見ても、なにも失礼な発言はない。
 調査を続けてようやくわかった。
 宇宙人にとって、声が語ること以上に、声の響きが大事だった。大使の声は「てめぇの◯◯を◯◯で◯◯しやがれ」という意味だったみたい(これをひたすら連呼されたら、わたしもブチ切れMaxだわ)。
 慌てて音響トランスレーターを開発して、全地球人の声が精査された。それぞれの声の持つ意味が明らかになり、かくして地球人全員、声俑デビュー!!
 あ、声優じゃなくて声俑ね。声の入れ物ってことらしい。
 で、あたしの声はなんと「豆腐の角に頭ぶつけて死にやがれ」だった。需要があるようなないような。声俑になってから出番があったのは4回だけ。わたしの友達の「エビサンドにのってすべっていく」よりはマシだけど。世界中で1番の売れっ子はもちろん「わたし」さん。スケジュールが取れなさすぎて「それがし」さんとか「みども」さんまで人気が出ている。「だいしゅき」と「ちゅうして」のアイドルユニットもめっちゃ売れてる。いいなぁ。
 と思ったら大抜擢来た。地宇合作超大作「時は豆の彼方に」、地球人と宇宙人が、星間戦争を越えて結ばれる、宇宙ロケあり、宇宙船爆破あり、予算なんと6兆円。迫り来る各種豆型敵性宇宙人を豆腐宇宙船にのって迎え撃ち、醤油ビームやら味噌ボンバーやらが宇宙狭しと炸裂する。そして最後、再会した恋人同士がお互いを見つめ合い、微笑んで甘く囁くのだ……「豆腐の角に頭ぶつけて死にやがれ」。
 なんでやねん。
 合作と言いつつ制作費6兆円のうち五兆9000億を宇宙人側が持つから、文句は言えない。上出萌、一世一代の大芝居を見せちゃる!

文字数:1200

内容に関するアピール

 ……まさか続くとは思っていませんでした。
 でもいろいろこねくり回していたら、続きになってました(脂肪ちゃんがどうなったかもちゃんと書きます)。

 声を聞くと色々なことがわかります。魅力的な声もあれば、印象的な声もあります。ボーカロイドの音素収録をしながら、言葉から意味を剥ぎ取って、声の響きだけにしたら、わたしの声に価値はあるのだろうか、と考えました。声のことを考え、声を使って人生の大半を過ごしてきたわたしが思う、声の物語を書きたいです。

 とか言いつつ最後豆の話になっているけれど。

文字数:242

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宇宙の中心でIを叫んだワタシ

宇宙の中心でIを叫んだワタシ

宇宙の中心でIを叫んだワタシ

                       柿村イサナ

 

「よし!」
 気合いを入れて蛍光ピンクのラインマーカーを握りしめ、真新しい台本を開く。
 新人声俑もえたま、こと上出萌、今度こそ台詞ゲットだぜ!

 もはや誰も憶えていないと思うけど、わたし、一時期ちょっとした有名人だった。
 ダイエットに邁進しすぎたあまり、リアリティショーに出て、トレーナーと取っ組み合いの大喧嘩しているところを生配信されて、渡米して、あの世みたいなところで脂肪の概念と出会って、ダイエット特異点になって世界中の人をスーパーホメオスタシス状態にして、宇宙まで行って国際宇宙リニアコライダーで超小型ブラックホールをお腹の中に生成してその特異点を打ち消すことになって……
 あー、結果を先に言うとね、うん、まぁ失敗したんだよね、うふふ。いや、うふふ、じゃねーわ。
 失敗した結果、わたしは拡散してうっすーーーーーくなった。つまり宇宙中にわたしが広がった。事象の地平線の向こう側に落っこちちゃって、三回転半して宇宙の裏側にしがみついている感じ。
 BMI、限りなく0に近いから、ダイエット成功と言えば成功だけど。いやでもこれ、宇宙背後霊みたいなもんで、存在しているけど存在していなくない?
 そんなヘンテコな状態になった結果、宇宙中の生きて考えてる存在と繋がっちゃった。脂肪の概念のみならず、まさか全宇宙の意思と知り合いになるとは。
 話聞いてたらみんな、多いとか少ないとか尖ってるとか丸いとかスカスカとか密密とか悩んでた。ダイエットって宇宙全体の悩みだったんだね。
 つまりこれって、宇宙が偏ってる、ってこと? だって多いことで悩んでる存在、少ないことで悩んでる存在、両方いるわけだし。あれ? もしかしたらこの状態のわたしなら、何とかできるんじゃない? 宇宙の裏側から濃いところや薄いところを、良い感じに盛って削って埋めて……ほら、どうよ、みんな良い感じ!! 
 このあちこちの偏りを直すのって、まるで宇宙をもう一回作ることみたいだね。古事記でやった「成り合はざる処」「成り余あまれる処」ってやつ。
 もちろん、永久的に持続するわけじゃないよ。みんなまたそこから変化していく。食べ過ぎたら太るし、ケイ素摂取量が多ければ尖っちゃうし、ଘ୧꙳を✧˖°したら⌖ং▰☡になるし。でもなんかみんな、自分が一番好きな自分がその瞬間わかった、っていうか。一周回って、どんな形でも、どんな存在の仕方でも、自分じゃん?って自信持てたっていうか。
 ってところで一番自分の存在の仕方に問題あるの、わたしなんですけど。
 だってこれじゃホテルのアフタヌーンティー参加できないじゃん。
「すみません、14時から予約している宇宙背後霊、っていうか宇宙神なんですけど」
 って無理あるよね?
 あああああ、スコーン食べたかった! 焼きたてのスコーンをほっかり割って、ジャムとクロテッドクリーム山盛り乗せて、思いっきり頬張って、もっさもさのところをミルクティーで流し込んで……スコーン……スコーン……スコーン!! ってひたすらスコーンのことを考えていたら、ちょっとずつ存在が凝固していって、収縮して、まとまって……顕在化できた! ホテルのラウンジに危うく全裸で降臨しそうになって、最後の瞬間に服を組成したら慌てすぎて全身綿と繭と石油で覆われた人になったけど(服まで間に合わなくて、原料だった)。
 でもでも。
 これで全て解決、オールOK! ダイエットついでに宇宙まで一新しちゃうなんて、わたし、けっこうやるじゃん。
 あ、すみません、ついでにアフタヌーンティーの予約していいですか?

 っていうのが、三ヶ月前。 人の噂も75日……も保たず、あっという間にもえたまのフォロワーが数十人に減った頃。
 宇宙人がやってきた。
 きっかけはわたしが事象の地平線から這い出るときに呻いていた「すこぉおおおおおおおおん」という言葉。この時さ、わたし全宇宙の意思と繋がってたじゃない? つまり全宇宙放送しちゃったわけ。
 すこぉおおおおおおおおんの謎を調べに、宇宙人、見に来た。
 初のファーストコンタクト、きっかけはアルマ天文台でもボイジャーのゴールデン・メッセージでもなく、スコーン。すごいな、スコーン。
 スコーニアンと呼ばれるようになった宇宙人は、ヒトガタだった。なんならいい感じにお付き合いできそうなくらいのイケエイリアン(なんか微妙にぬめっと感あるけど)。地球を侵略しに来たわけじゃない。言葉も通じるし、意思の疎通もはかれそう。
 これは宇宙デビュー!できちゃうんじゃない? すっごい技術教えて貰って、人類大躍進のチャンスでは?と地球のみんなが沸き立ったその時、事件は起きた。
 検疫とか大気組成とか食べ物いけるかとか、いろんな面倒くさいことを乗り越えて、いざ顔合わせ、各国のお偉いさん大集合してのセレモニー、っていう場面で。
 いきなり激高したスコーニアンが大使の一人に飛びかかり、号泣しながらぺちぺち殴った。幸い、へなちょこパンチだったので大使にケガはなかったし、すぐにみんなが止めたけど、世界中のみんなが見ていたから大騒ぎに。あわや宇宙大戦争開幕の危機。
 スコーニアンはよよと泣き崩れながら(ね、人間っぽいでしょ?)、あまりにも失礼だ、こんなことを言われてはとても黙っていられない、と訴えた。
 でも、会議の記録を見ても、問題の大使、なにも失礼なことは言っていない。っていうか、その段階ではまだ自己紹介しかしていなかった。
 調査を続けてわかったのは。
 スコーニアンにとって、声が語ること以上に、声の響きが大事だった。
 大使の声は「てめぇの◯◯を◯◯で◯◯しやがれ」という意味だったみたい(乙女なので書けない、でもこれを初対面の相手に言われたら、わたしもブチ切れるわ)。
 だけどさ、日本人にとってのLとR、中国人にとっての「ぱ/ば」や「た/だ」以上に、声の響きが持つ意味なんて聞いたってわからないのだ。そこで大慌てで音響トランスレーターが開発された。全地球人の声が精査されて、それぞれの声の持つ意味が明らかになり、かくして地球人全員、声俑デビュー!
 あ、声優じゃなくて声俑ね。声の入れ物ってことらしい。
 で、あたしの声はなんと「豆腐の角に頭ぶつけて死にやがれ」だった。
 世界中で1番の売れっ子はもちろん「わたし」さん。声俑は言語を問わないから、各国の「わたし」さんが世界中で引っ張りだこだし、日本でも「わたし」さんのスケジュールが取れなさすぎて「それがし」さんとか「みども」さんまで人気が出ている。
 でもってわたしにもギリ仕事があるのは、辛うじて「豆腐」の部分を誤魔化しながら言うことによって「当方」に聞こえなくもない、という甚だ消極的な需要……
 声俑になってから出番があったのは4回だけ。
 そして今回も。
「あーうー、またしても当方!」
 ペンを投げ捨てて突っ伏す。
「もー、こうやってあちこちに放り投げるから、いざって時にペンが見つからないんでしょ」
 ぷーぷー言いながら、ペンを拾って律儀にケースの中に戻したのは、前述の脂肪の概念こと、脂肪ちゃん。いっちょ前にエプロンとかつけて、お前は派遣家事代行か。
「大丈夫ですー。そんなこともあろうかと、この間20本セットで買いました」
「わぁお、一生分じゃん! 二ヶ月に一回くらいしか使う機会ないのに」
 生意気な口をきく脂肪ちゃんを、セルライト揉み出しの刑に処してやろうと手を伸ばしたのに、あっさり躱された。学習してやがるな、こいつ。
 臨死体験中に出会った脂肪ちゃん。見た目は全く電車の中で謎の白衣のおじさんが持っている「これが脂肪一キロです!」の固まり。それに黒豆状の目がついていて、どっちかって言うと、キモい。だけどしばらく一緒にいて、色々話したり突っ込んだり揉み出したりぶん投げたり千切ったり投げたりしていたら、何となく愛嬌があるように見えてきちゃった不思議。
 でもそんな脂肪ちゃんとも、国際宇宙リニアコライダーで涙の別れがあった。わたしのダイエットが成功したら、もうあんたとも二度と会えないね、なんてしんみり良い感じで抱きしめ合ったのに、地球に戻ってきてみると、やつはまだいた。成仏してなかった。わたしから余計な脂肪は消えたけど、世界から脂肪という概念は消えない……そんな「板垣死すとも自由は死せず」みたいに言われても。
 それ以来、こいつはうちに居候している。ご飯は食べないし、自分のことは自分でやるから手間のかからないペットみたいなもん。ただし、何やらソシャゲにはまってるみたいなので、電気代代わりに家事をやらせている。意外とマメでうまい。なんかちょっと悔しい。
 あーえっと興味ないと思うけど、一応報告しておくと、アメリカの研究所でわたしの面倒を見てくれた映画に出てきそうなティピカル・オタク、ジョン・スミスとは、なんやかやメッセージのやり取りとかしている。奴の夢は、日本でニチアサのリアタイ視聴なので、いつか日本に来たいと言っているけれど(うっさいな、あくまでアニメのためだよ)、なんとジョンはまぁまぁ売れっ子声俑になってしまった。
 extraordinaryという、他に替えの聞く形容詞はあれど、意外と出番のある声だ。なのでしばらくはアメリカを離れられないらしい。まぁいいけど。別にアイツが好きそうだと思って買ったステッカーとかアクスタとか、腐んないし。コラボスナックはわたし食べちゃったし。まぁ本当に別にどうでもいいけど。
 あーあ、わたしももうちょっと需要の高い声だったらなぁ。 
 まぁ本業の編集は続けているから、別に食べるに困るわけじゃないんだけどさ。
 友達の琴美なんて「エビサンドにのってすべっていく」て声で、これはたぶん一生出番ない。それに比べたら、まだ、まし、とも言える。
 だけどさぁ、できることなら「だいしゅき」と「ちゅうして」の二人みたいにアイドルとして売れてみたかったし。それがダメならせめて「恥ずかしくないの?」とか「ダメな子」として、スコーニアンの変態さん専用罵声クラブで売れっ子になりたかった。
 いつ来るかわからない仕事を待ちつつ、細々と本業を続けていく……まだ声俑が恵まれているのは、陪審員制度みたいなもので、呼び出しがかかれば本業に優先される、ということ。
 まぁ、いいや。とりあえず来た仕事に集中しよう。とびっきりの「とうふぉ」を聞かせてやるぜ!

「おはようございまーす」
 ふふふ、業界人ぶってこうやってスタジオに入っていく気持ちよさよ。といってもわたしの出番はあまりないので、端っこの方の邪魔にならない場所に座る。真ん中のマイクにすぐ入れるポジションは出番の多い主役さんたちのもの。
 とはいえ、今回のお仕事はあんまりお金かけられないみたいで、スタジオに集まったのは何回か一緒になったことのある、いわゆるモノマネ系声俑たちだった。つまりジュニアクラス。声俑は需要によってランク付けされ、ギャラ区分が決まっている。これは声俑制度ができた時に、全声連(全世界声俑連合)が立ち上げられて決まった。
 今日の内容は「スコーニアン向け超濃厚クロテッドクリームの売り込み」だ。わたしの台詞は二箇所。
「非常に稀少なブラウンスイス種のミルクをふんだんに使い、コクがありながら爽やかな後味の【当方】のクロテッドクリームは、スコーンのみならず煮込み料理のコクだし、オムレツなど卵料理に加えるなど、さまざまな使い方ができます」
「ぜひ【当方】のクロテッドクリームをスコーニアンの皆様の星にお持ち帰り下さい」
 うおおお、たった二言とは言え、超緊張する。とりあえずのど飴なめて(もちろん龍角散のど飴。ちなみに龍角散追い塗しするのは、死ぬほどむせかえるのでおすすめしない)、白湯飲んで、小さく発声、早口言葉、あと良い感じで「ふぉ」って言えるように練習練習。
 まずはテスト。その後テス本、本番、と進んでいく。ノイズを立てないようにいいタイミングで席を立ち、出番の多い主語さんや助詞さんの邪魔にならないマイクに目星をつけ、さっと滑り込む。
 「コクがあ」「りー」「ながっ」「ら」「爽やかな後味」「の」「とうふぉ!」「の」「くろ」「テトラ」「どく」「りー」「ムハンマド」
 ありゃー、最後まで言っちゃったよ、ムハンマドさん。でも確かにム、だけって難しいよなぁ。あー、音響監督さんにダメだしされている。
 と思ったらわたしも、「とうふぉ」が力みすぎているから、もう少し自然に、と注意されてしまった。いかんいかん。
 本番は生プレゼン。ミスるわけにはいかんのだ。気合いを入れて、龍角散のど飴、二個口に放り込んだ。

 お仕事終わりでブースから出たところで、よく一緒になる「リー」さん(本当はリーゼン・スラロームさん)と「の」さん(のいふすさん)に、飲み行かない?と声をかけられた。他にも数名に声かけているそうな。同業飲み、大歓迎!
 近くの居酒屋に移動し(薄給だからね)、まずは乾杯。そこから先はちょっとした愚痴大会になった。
 よく出番のある○○さん、挨拶もしないけれど、プロデューサーもマネージャも黙認。売れてるは正義、だよね。
 △△の事務所、売り込みうまいって聞いたけど、誰か知ってる?
 この間の現場が最悪で。マジボロボロ、あれスコーニアン、全然理解できなかったんじゃないかなぁ。
「とうふぉさん、確かお勤めだったよね?」
 お、急に話が来たぞ。
「ですよ〜。普通に昼職。でもけっこう融通きく仕事だし、リモートもできるので、そんなに支障ないです。もちろん、声俑一本でやっていけるようになったらいいですけどね」
「だよね〜。なんだかんだいって、この仕事、わたしも好き。自分の声が求められている、ビタッとはまる、ってクセになるよね」
「ホンモノの声優さんには叶いませんけどね」
 「の」さんが苦笑しながら竹輪を食いちぎる。
「わたし、声優になりたかったんだよね、昔」
 みんなが、おおっと盛り上がる。近いようでいて遠い声優は、やっぱり今でもみんなの憧れだった。
「養成所行って、入所審査落ちて。また別の養成所入り直して、今度はギリ預かりにはなれたんだけど、仕事どころかオーディションもなんにも来なくて。顔覚えて貰わないといけないから、毎日事務所通って、できるだけ大きな声でスタッフさんに挨拶して、あとは邪魔にならないようにずっと廊下で直立不動。運が良ければ、マネージャが何か声かけてくれるかも、って。居酒屋バイトと、あとキャバのお手伝いとかしながら頑張ってたけどさ、なんか、30越えて心折れちゃって」
 急に重さを増したリアル話に、みんな、何も言えず黙りこむ。
「諦めなかった者が残る、なんて言うけど、結果論だよね、そんなの。最初は、どんなことをしても声優になりたい、って燃えてたけど、ふと気づいちゃったんだ」
 「の」さんは中ジョッキを煽り、どんと置いた。
「そのどんなことでも、の中には、50、60になって風呂なしワンルームの部屋でいつ来るかわからない仕事を待ちつつ警備員や駐車場のアルバイトで日銭を稼ぐ未来も含まれているんだって。もちろん結婚なんてできないし、子供なんて無理」
 夢はさぁ、とだいぶろれつの回らなくなってきた口で「の」さんは言う。
「夢には……対価が必要なんだよ。時間だったり、努力だったり、お金だったり。やっすい人もいれば、めっちゃ高い人もいるの。今のあたしは、損切りして良かった、と思う。何の因果か、スコーニアンが来てくれたおかげで声俑にはなれたしね〜」
 なんかみんないたたまらない気持ちになって、やたら追加注文をした。わたしも久々にずいぶん飲んじゃった。

 「の」さんは酔い潰れて、「りー」さんに担がれてタクシーに乗り込んで帰った。
 わたしは酔いを醒まそうと、一駅手前で降りて線路沿いを歩いた。
 声俑は声が優れているわけでも、お芝居ができるわけでもない。わたしだって「豆腐の角に頭ぶつけて死にやがれ」という声質を持って生まれてきただけ。そこには努力も才能も何にも必要なくて、ただ生得の声質だけが関係する(ついでに言うとさ、だいしゅき&ちゅうしての2人も、アイドルとしては歌も踊りもうーんだし、声だってわたしたち人間が聞く分にはなんにも特徴ないし、見た目も……や、何でもない)。
 そもそも、声が優れている、声で演じることに優れている、ってどう言うことなんだろうね。前にスタジオで一緒になった時から、「の」さんの声、聞きやすくていいな、って思ってた。それだけじゃダメなのかな。ダメだよね。座れる椅子が3つしかないのに、座りたい人が100人いたら、たくさん良いものを持っている人から選ばれる。声も良くて、お芝居も良くて、見た目も良くて、さらに運も性格も人の縁も個性も、なんだかわからないけど何かを持っている人。
 はー、わかりやすい強者生存。
 足りない、でも夢を掴みたいって人は、「の」さんみたいに高いレートを払わないといけない……でもってどこかで払い切れなくなって、退場していく。舞台の上にいるのは、その三つの椅子に座れた人だけ。残りの97人は見えなくなる。
 舞台に立てたとしても、そのまま居続けられるとは限らない。他の道を選ぶ人、諦める人、疲れちゃう人、一人ずつ消えていって、見えなくなる。
 それでも、なんとなくわかるんだ。
 わたしはただの声俑だけど、「の」さんはじめ、たくさんの人が椅子に座りたいと思う気持ち。
 この椅子は君のものだよ。
 君のためにあるんだ。
 君がいなかったらこの椅子もこんなに素敵に見えなかった。
 そう言われたいもの。必要だよ、って言われて、自分にしかできないことがあって、替えのきかない存在になれて……つまり、みんな《特別》になりたい。
 「とうふぉ」のわたしですら、仕事が来たらわくわくするし、上手くできたら嬉しい。
《特別》《希望》《夢》、全部素敵な言葉だけど、その素敵さは中毒になる。
 細い月がぼんやり、薄い雲に隠れている。線路脇の道は飛び飛びに街灯に照らされている。その光の輪と輪の間、暗い部分に踏み込みたくなくて、助走をつけて飛び越そうとして、こけた。

 深酒がたたって起きられず、次の日はリモートにした。そんなに急ぎではないレイアウトの確認と、進みの遅いライターさんの進行チェック、あとはオフィスグリコの点数を増やして欲しいという社内稟議を通すお仕事……いや、平和。
 脂肪ちゃんは相変わらずぷーぷー言いながらも、アクエリを用意したり、ウコンを飲ませたり、豆乳スープを作ってくれたり、すっころんだ時にすりむいた膝に絆創膏貼ってくれたり、新婚さんかってくらい面倒見てくれる。この同居生活、けっこういいかも、と思いかけて、あーダメダメ、こいつは脂肪の概念、安楽さに負けてはやがて孤独死!と自分を引き戻す。
 と、エージェントから電話がかかってきた。
「上出さん、お、落ち着いて聞いてね! 今、座ってる? 周りに危ないものない?」
 マネージャがめちゃくちゃうろたえつつも、バリアフリー並みの気遣いを繰り出してくる。なんだなんだ?
「あのね……映画の仕事が来た。しかも……決め台詞」
 ばったーんと倒れた。でも、脂肪ちゃんの上だから大丈夫。
「とととっとととにかく、詳細来たら改めて伝えるので。来月の土日、NG日あったらおし」
「オールフリーです! なんにもありません! どこにでもスケジュール突っ込んで下さい!」
 呆然としながら電話を切る。わたしの頭の下から、危うく爆散しかけた脂肪ちゃんが這いだしてきた。猛烈に腹を立てた様子だったけど、わたしの顔を見るなり口をつぐむ。
「萌ちゃん……? ライヘンバッハの滝から這いだしてきた五年もののモリアーティのミイラみたいな顔してるけど……大丈夫?」
「え、えいが、えいがきた」
「エイが来た? 『スカイ・シャーク』の続編?」
「違う、そのエイじゃない! 映画ムービーシネマフィルムアニメーション電影! しかも主役!」
 脂肪ちゃんがばったーんと倒れた。

 地ス共同制作の超大作アニメ「時は豆の彼方に」。
 地球人とスコーニアンが、星間戦争を乗り越えて結ばれる。迫り来る各種豆型敵性宇宙人を豆腐宇宙船にのって迎え撃ち、醤油ビームやら味噌ボンバーやらが宇宙狭しと炸裂する。そして最後、再会した恋人同士がお互いを見つめ合い、微笑んで甘く囁くのだ……「豆腐の角に頭ぶつけて死にやがれ」。
 なんでやねん。
 いやでも合作と言いつつ制作費6兆円のうち5兆9000億を宇宙人側が持つから、文句は言えない。わたしだってかなりのギャラもらえちゃうはずだ。わくわくしめしめ。
 そしてわたしは初めて生スコーニアンに会った。今までは音声だけ中継で繋いでいたし、台本を追うのに必死で向こう側のモニターなんて見ている余裕なかった。
 でもさすが超大作。各国のキャストが集められ、顔合わせパーティなるものがあったのだ。ほえー、人間版の声優さん、素敵。なんかすごい偉そうな人、たくさんいる。わお、あれオマール海老じゃね? 後で絶対食べる!
 壁際からギラギラした目でブッフェテーブルを凝視するわたし、その手には晴れの席には似つかわしくない大きめのトートバッグ。
「もえちゃん、お外見たい」
 バッグの中からもごもご声がする。そう、中には脂肪ちゃんが入っている。一人で参加するのが心細くて、脂肪ちゃんについてきて貰ったのだ。大丈夫、他の人には枕に見えるはずだから(トートバッグに枕を詰め込んでパーティに出席するのもだいぶヤバい奴だけど)。
 ってか、さっきからあそこのスコーニアンがわたしのことずっと見ている気がするんだけど。地球人には見えない脂肪ちゃんも、もしやスコーニアンからは丸見え? やっぱりバッグをクロークに預けるべきか、と思案している内に、スコーニアンがぬるっと近づいてきた。
「はじめまして、上出萌さんですね?」
 小さなパイプオルガンみたいな、たくさんの音が重なった不思議な声。わたしは慌てて電子パッドを取り出した。
『はい、上出萌です。はじまめして』
 焦って書き損じたけれど、スコーニアンは柔らかく笑ってくれた。この電子パッドは、地球人とスコーニアンの会話用。声俑が用意できない時は、筆談でしのぐのだ。
 いやそれにしても……なんか不思議、スコーニアン。人間の形に似ているけれど、ちょっとだけ比率が違う。色が違う。質感が違う。動きが違う。似てるけど明らかに違う。炒飯とピラフ、土偶と埴輪くらい。
『あれ? わたしの名前?』
「知っていますよ、もちろん。このパーティにいらっしゃる方のことは、全部」
 眉毛っぽいところがさざ波みたいに震える。これは確か笑っている表現のはず。
『ごめんなさい、れたし、スコーニアンさんのこと、くわしくないので。まちがったら、すみせん」
 あああ、誤字! そして漢字書けない! でもスコーニアンはふるふると眉毛を震わせている。ちょっとその様に勇気づけられて、大胆になった。
『地きゅうは、たのしいですか?』
「楽しいですね。素晴らしい文化や、素晴らしい自然、食べ物、芸術、この世界は驚きに満ちています。もちろん、ニンゲンの皆さまも素晴らしい」
 外交上、一般人がスコーニアンの星のことは聞いちゃいけないことになっている。だからどう会話を続けようか考えて、こう書いた。
『地きゅうは、どこが好きですか?』
 小学生の作文か。でもスコーニアンは、今度は耳っぽい部分をゆっくりと青と黄色に明滅させながら(これは自分の内面を見つめている状態、らしい)答えてくれた。
「アキハバラ。あの町には色々なものがあってとても賑やかで楽しい。わたしはいくつかのお土産を買いました」
 おお、スコーニアン、ジョンと仲良くなれそうじゃん。
『わたしも、あきばはらに行ってみます。あと、あの』
 どうしよう、これ聞いてもいいのかな……外交問題になったりしないだろうか……いや、でも、気になる……ええい!
『なんで、豆映画ですか?』
 あ、ちょ、え? スコーニアンの毛髪と思しき部分が全部逆立って、回転し始めた。うっそ、それカツラなの? あ、もしかしてこれはもの凄く聞いちゃいけないことだった?! やばい、豆の代わりに人類駆逐されちゃうかも!
 と思ったらスコーニアン、ぬっるとわたしの両手を握り、
「よくぞ聞いてくれました! ニンゲンの皆さま、誰もそれを聞いてくれない、何故でしょう? そもそも振り返ること3ピョイ49ニュルルン前、我々スコーニアンはにっくき豆どもと長きにわたる抗争を……」
 そうか、カツラ大回転はスコーニアンのテンションが爆上がりした時なのね。このオタク特有の早口と相手が聞いてようが聞いていまいが一方的に知識を開陳しちゃう感じ、やっぱジョンと仲良くなれるじゃん。
 それからスコーニアンは夢中になって話し続け、ついにカツラは回転しすぎてドローンのごとく飛んだ。話はパーティが終わるまで続き、わたしはオマール海老はおろかかっぱえびせんすらつまめず、バッグの中では脂肪ちゃんのいびきが響いていた。

 それからまた5か月後。
 わたしはまだアフレコ現場に行けていない。制作が遅れているわけでも、資金が尽きたわけでもない。
 豆が攻めてきた。
 正確には、スコーニアンの永遠のライバル、マメタリアンが。スコーニアンは直ちにそれを迎え撃ち、おかげで映画実写パートの撮影が延期になった。
 で、今、わたしはあのパーティで出会ったスコーニアンに深々と頭を下げられている。やっぱりちょっとテンション上がっているのか、カツラが今にも飛び立ちそうに悶えている。今飛ばれると、たぶんわたし直撃だから、ごめん、耐えて。
「上出萌さん、あなたしかいません。お願いします!」
 パイプオルガンがびりびりと歪んでいる。これはどういう響きなんだろう。「てめぇ言うこときかねぇとチタマごとぶっ飛ばすぞ」じゃないと良いけど。
 スコーニアンが言うことにゃ。
 マメタリアンとの戦線の最前線に出ていって、わたしの声で、叫んで欲しい。もちろん肉声じゃない。周波数変換器で相手陣営に拡散するそうな。マメタリアンに音響兵器を使用したことはないけれど、それは今までに「豆腐の角に頭ぶつけて死にやがれ」という意味を持った声が存在しなかったから。もし、わたしが全力でマメタリアンにこの声をぶつけたら、奴らの戦意はゆし豆腐のごとく雲散霧消するかもしれない、と。
「あなたの道中の、そして戦線での安全はもちろん100%保証されます。どうか全人類を代表して、この役目を引き受けて下さい!」
 ふむむ。
 もしかしたら、これがわたし専用の椅子で、わたしの《特別》なのかな。
 いいかもね、わたしの声でこれ以上犠牲者を出さずに戦争を終わらせることができるなんて。なんだっけ、そんな映画あったよね。

 よっしゃ。
 行ってやろうじゃないの、宇宙のどこへだって、お豆たちの星にだって。
 でもって上出萌、一世一代の叫びを聞かせちゃう。
 そう、宇宙の真ん中で愛とIを叫ぶのだ。

文字数:11010

課題提出者一覧