透過世界の修理人

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梗 概

透過世界の修理人

玻瓈嶋はりじまは、透明鉱物・玻瓈の名産地だ。玻瓈は多様な道具になるが、中でも内に景色を閉じ込めた水晶玉サイズの球体・玻瓈珠はりだまは珍重される。
玻瓈嶋の海岸の砂には、流れてきた場所の情景が累積しており、砂を珠の仕上げとして使用することで、珠の内部に過去の情景が再現される。人が珠に触れると、珠の内部世界に夢身ダイブできるが、珠の世界に魅了されて囚われたまま現実に戻らぬ者も稀にいる。現実の死と珠の中の死はリンクしている。
珠の作り手は、想像した世界を息で吹き込み、材料と作り手の息で仕上がりを変える。玻瓈職人の技術は門外不出であり、先代王は職人を擁護したが、独裁的な現王は珠に執着し、職人は自由を失い抑圧される。

櫂琉かいる冥砂めいさの兄弟は、珠づくりの名手だ。しかし櫂琉は、王に献上する珠をつくった後意識不明になる。ショックを受けた冥砂は珠をつくれなくなり、意識の戻らぬ櫂琉を介抱しつつ、玻瓈道具の修理人になる。

ある時王宮から使いが来て、王が櫂琉の珠で夢身している時に珠が割れ、意識が戻らないと言う。珠の修復を命じられた冥砂は、稀に割れる珠の修復の成功例はないと断るが、直さないと嶋人に罰を与えると言われる。
冥砂は失敗の後、族長の火漣かれんに相談する。そして珠づくりで息を調整するために歌う唄、珠唄をヒントに玻瓈継ぎを再現し、再び球体にすることに成功する。継ぎ目は珠に新しい景色をつくり、新たな輝きを与える。

冥砂が修復後の珠に夢身すると櫂琉がいた。櫂琉は、この国の栄華にこだわる王のために過去を再現し、王はその世界に囚われたという。そして冥砂の修復によって珠の世界はさらに素晴らしくなった、これなら王族も皆魅了される、と褒める。そして王族に夢見させてほしいと頼む。

王宮に珠を持参した冥砂は、王を呼び戻すには王族が夢身する必要があると告げ、王族は珠の世界に魅了される。火漣は冥砂に、冥砂の両親は王が満足する珠をつくれずに殺されたと告白し、兄弟は両親を超える職人になったと感慨深そうに呟く。

冥砂が夢見して櫂琉へ会いに行くと家に武器があった。実は、櫂琉は両親の殺害を知っており、王が珠の世界に囚われるように監視していた。そして今、王族を滅ぼそうとしているのだ。

冥砂は訴える。僕らの親なら復讐なんて望まないし、代々職人が庇護されてきた歴史がある。何よりも、優しい兄貴が苦しむのを僕は知っている。
櫂琉は答える。王だけを殺害しても自分のような者が復讐に来る。それに俺は、肉体の衰えから死は近いと悟っている。悔いはない。

冥砂は何も言えずに櫂琉を抱きしめる。そして物心のつかぬ王族の子供達に、誰も見たことのない景色を見せる、と告げて共に現実に戻り、珠の継ぎをほどく。溶解した継ぎは珠の内部世界の切れ目となり、珠は解体する。

冥砂は子供達と嶋へ戻り、珠の欠片を砂に混ぜて海に戻すが、欠片の一つを玻瓈道具の一部に組み込む。その器で水を飲むと、火漣は、昔の情景がより美しく思い浮かぶと言い、冥砂は微笑む櫂琉が見えた。冥砂は子供達に約束した、まだ見ぬ未来の景色を捉える珠をつくりはじめる。

文字数:1299

内容に関するアピール

平安時代の仏像の保存修復に立ち会った時、その像は、江戸時代に腕も色もない状態から修復された痕があり、令和の今、像を平安の姿に戻すのではなく江戸の痕跡を残すのだと聞きました。新しくつくることも、破損も修復も作品の歴史であり、全て目前の像に繋がるのだと実感して感動しました。その感動を作品にのせようと思います。

火漣は、過去に庇護してくれた王族への恩を大切にし、王に復讐心を抱く櫂琉は、今の納得を重視します。冥砂は双方を理解し苦しみますが、自分の規範に従って未来へ繋がる選択をします。過去を受け止めて未来へ託すことは仏像修復の話と繋がります。

玻瓈珠は抹茶茶碗でいえば嶋の火山灰が土、砂が釉薬、作り手の息が柄等に該当し、玻瓈継ぎは、欠損が新しい景色を生むとされる金継ぎを投影します。
玻瓈珠の機能はVRデバイス、内部世界はゲーム世界やフィルターバブルの内部のイメージで、玻瓈嶋の機能的なモデルはムラーノ島です。

文字数:400

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玻瓈はりの中の樂園

1.
 嵐の後の玻瓈嶋はりじまには、淡青うすあおの空と瑠璃紺るりこんの海がやってくる。
 頬に当たる陽の温かさで目を覚ました冥砂めいさは、暴風雨が去ったことを知った。
 海岸へ降りると、晴れ晴れとした水色の空と、淵のように濃い青色の海のコントラストが鮮やかだ。命の恵みを示す温かい陽のにおいと、肌にちりりと走る太陽光が心地良い。冥砂は鳥の羽ばたきのように両手を広げると、まっすぐ海に飛び込んだ。
 繊細な骨格が見える透魚とうぎょや、黄金色の鱗が繊細な光を放つ金海蛇きんうみへびなどの合間を縫って海底に至りつくと、白い砂の中で橙のグラデーションを帯びている箇所を見つけ出した。指を差し入れると、爪に砂がかちりとぶつかる感覚が引き金になり、視界が急速に切り替わった。眩しい太陽と、橙の花弁と紅のしべのコントラストが鮮やかな花々が眼前に浮かび、熱気で体がほてる。
 ささくれに砂がひっかかり、ちくりとした感触が走る。その瞬間、意識がすっと冴えた。手にまといつく橙の粒を眺めながら、冥砂は砂をひとつかみ握って海から上がった。この砂は流れ着いたばかりで、まだ記憶が新しい。冥砂はなるべく感覚を閉じ、何も感じないようにして走った。
 ここ玻瓈嶋は、世界中の海流が流れ着く場所で、玻瓈山の火山灰からなる砂と、海流が運び込む砂からなる島である。世界中から流れ着いた砂は漂砂ひょうさと呼ばれる。そして嶋人は、漂砂と、嶋の砂である玻瓈砂はりずなと接触させると、漂砂がかつてあった場所を視ることができるのだ。
 漂砂が記憶を持つことは、この嶋では当たり前のことである。冥砂は、玻瓈嶋以外の場所の砂は、単独では何も伝えない玻瓈砂と同様に沈黙していると聞いた時、ひどく驚いたものだ。
 冥砂は小さな家に到着すると、テーブルの皿の上で拳を開いた。そして砂粒をそっと集めると、欠けた玻瓈硝子のうつわと硝子片を取り出した。
 玻瓈砂でつくる玻瓈硝子は、非常に高品質である上、一度壊れても、素材が元の形状を記憶しているために、修復方法である玻瓈継ぎが容易であるという特徴がある。
 そのガラス片はオレンジ色だった。冥砂はそれを目の細かいやすりで磨いた。そして引っ掛かりのなくなった切り口に、嶋の山深くに生える木、玻瓈漆の樹液などを混ぜたものを塗りこめ、欠けていたうつわに付ける。すると硝子片はかちりと嵌り、元のかたちを成した。
 冥砂は玻瓈漆を煮詰めたものを更に上塗りし、隙間を埋めて削った。このうつわは古く、もとのかたちに戻ろうとする力が強い。仕上げに、さきほど収穫したばかりの橙色の砂を散りばめた。すると修復したうつわは、作品としての存在感を放つようになった。
 それは花瓶だった。大ぶりのフリルのような形は、漂砂が見せてくれた花にも似ている。鮮やかに咲き誇る南国の花や、大ぶりの緑の葉などを活けるのに相応しい、華やいだ花器である。
 冥砂は花瓶を大きな篭に入れて外に出た。
 玻瓈山の岩場の影に小さな集落がある。冥砂は中央の広場を通り抜け、比較的大きな建物に入る。すると内部には人々の熱気が籠っていた。
 彼らは玻瓈嶋一の職人たちで、ここは玻瓈嶋の名産品、玻瓈珠はりだまの工房だ。
 冥砂は中央にいる職人に近寄った。黒く長い髪を背中でまとめたその職人は、炉から透明な塊を取り出して漂砂をまぶした。そして長い筒を取り出すと、深い呼吸と浅い呼吸を交互に繰り返しながら息を吹き込んでいった。口に筒を当てながらうっすらと唇を開き、独特のリズムで呼吸する。それは脈拍のようでも、ダンスのリズムのようでもあったが、実は唄なのだった。
 嶋に伝わる唄は無数にある。職人は嶋の唄を元にして自分の息遣いに合わせ、独自の唄をつくっていくのだ。唄の内容はつくる玻瓈珠によって少しずつ異なり、つくり手の熱と技巧が絡み合うリズムで構成される。
 玻瓈硝子からなる透明の塊は、息の分だけくるくると回り、少しずつ色づいていく。赤や青、黄に緑。様々な色が乱舞した後、次第に色味は落ち着いて固着した。やがて塊は球体になり、職人はその珠を傍らにあった鉢の中に入れた。じゅわっという音と共に白い蒸気が上がる。職人は珠をゆっくりと引き上げると、冥砂の目線に合わせてくれた。
 通常の玻瓈製品は像を屈折させるが、玻瓈珠はそのままの情景を映し出す。
 珠は深緑だった。木々が茂らせる葉の色だ。
 珠に触れると、目を閉じて息を吸い込んだ。全身の感覚を手に集中させる。そして一気に感覚をひらいた。
 次の瞬間、冥砂は緑深い森の中にいた。木漏れ日の中、白い鹿がこちらをじっと見つめている。その瞳の赤は冥砂の瞳の色にも似ていた。自分で自分を見つめているような気持ちに陥り、はっとして感覚を閉じる。すると、手に珠を握り締める自分がいた。目の前にはこちらを覗き込む職人の顔がある。
「夢見の感想は?」
 豊かな髪を揺らして冥砂に尋ねてきた職人は、玻瓈嶋の族長である火漣かれんの娘、瑞那みずなである。彼女は玻瓈珠づくりの名手の一人だった。
「気づくと森の中にいた。深い世界だった」
 冥砂が告げると、瑞那は嬉しそうに笑う。
「そう、本土の山あいからはるばる流れてきた砂の記憶と私の想像を息に込めた」
「瑞那は森が好きだもんね。よく木に隠れて迷子になって怒られてた」
 冥砂はくすりと笑うと、篭の中の花瓶を見せた。瑞那は表面をそっと撫でて呟く。
「痕がほとんど分からない。うまいもんだね」
「壊れて間もないみたいだったから、新しい景色を与えるのでなく、元に戻す方に集中したよ」
 その言葉に、瑞那は躊躇いながら尋ねる。
「もう玻瓈珠はつくらないの?」
 その言葉を聞いて、冥砂の気持ちは乱れた。
 玻瓈珠は、玻瓈嶋の砂を硝子にし、漂砂を混ぜて球の形に整形してつくる。玻瓈砂の割合と漂砂の記憶、そして職人が吹き込む息によって珠の中の情景が変わる。そして珠に触れた人間は、珠の中に入ることができ、その行為を夢見ゆめみと呼んでいる。夢見が深くなった状態が没入であり、夢見している人間が珠の世界に夢中になっていることを示す。
 漂砂の記憶を覚知するためには才能と鍛錬が必要であるし、漂砂を玻瓈硝子に混ぜる配合や割合は経験値と勘が頼りになる。珠に吹き込む息には、職人が想像しながら情景を込めるが、思ったままが投影されるとは限らない。暑い地方の情景をつくるには、胸いっぱいに入れた息を勢いよく吹き込む必要があるし、繊細な情景を創るには、集中しながら細長い息を吹き込む必要がある。
 つまり玻瓈珠をつくるには、玻瓈硝子と漂砂という材料のほかに、漂砂を読み取る感覚と、それを活かして配合する判断力、情景を思い浮かべる想像力、それを息に込める調整力、それら全てをバランス良く使いこなす才が必要で、嶋の人々はそういった力をまとめて想造力と呼んでいる。
 冥砂は瑞那の言葉を反芻しつつ、自分に言い聞かせるように告げる。
「つくらないんじゃない。つくれないんだ」
 冥砂は炉の一つから玻瓈硝子を取り出す。漂砂を塗して透明の塊を球体にすると、思いきり息を吹き込んだ。するとほどなくして無数の筋が入り、透明だった球体はただの灰色の塊になった。
「漂砂の記憶は見えるし、配合する砂の割合は分かっている。でも風景をつくれないんだ」
 呟く冥砂に、瑞那は取りなすように言う。
「どんな風景にしたいのか、まだ思い浮かばないだけだよ」
 その言葉に冥砂は、首を横に振って告げる。
「今、情景は思い描いていた。でもできなかったんだ」
 冥砂は瑞那の手に花瓶を押し付ける。
「僕は多分、珠から見放されたんだ」
 そう告げると、目を合わせずに立ち去った。

家に戻った冥砂は、食事を用意して奥の部屋に入ると、目を開いてベッドに横たわる男性に話しかけた。
「食事だよ、櫂琉かいる兄さん」
 冥砂はそう告げると、櫂琉と呼んだ男性の手を引いて上半身を起き上がらせ、口に粥を流し込んだ。
 櫂琉の視線は定まらず、流動食や飲み物を口に入れても飲みこめないことがある。冥砂が手を引かないと横たわったままで、排泄も一人ではかなわない。
 冥砂は櫂琉のことを考えると、心がきゅっと締まる。赤みがかった褐色の髪と髭は冥砂が整えているが、浅黒い肌は生白くなり、逞しい体はすっかり痩せてしまった。精悍な頬はもともと鋭角だったが、今はげっそりとした印象だ。何よりも、炎のような熱を宿した瞳が光を失っているのが苦しかった。
 溜息をつくと、冥砂は机上にあった珠を手に取った。透かして見ると、自分の体まで青く染まるようだ。この球は強く、少し触れるだけで夢見できる。冥砂は体がひやりとするのを感じて、気づくと海の中にいた。周囲は青かった。海はすりばち状に深くなり、周囲には桃色と乳白色の珊瑚が生え、鮮やかな色の魚たちが泳ぎ回っている。
 戻ろうと念じると、元の粗末な家にいた。目の前にはうつろな瞳の櫂琉がいる。この珠は櫂琉の作品で、彼は今のように呆然自失になる前、玻瓈嶋随一のつくり手だった。
 櫂琉と冥砂の兄弟は、族長でありながら優れたつくり手であった火漣に師事した。火漣は、早くに両親を亡くした兄弟に目をかけてくれたし、櫂琉も冥砂に自分の知識を共有してくれた。火漣から伝統的な製法を学んだ後、兄弟は個性を出すべく切磋琢磨した。櫂琉は過去の伝承を活かした情景を再現するのが得意で、冥砂は自分の想像を思いきり羽ばたかせるのが好きだった。
 櫂琉は冥砂にしばしば語った。いいか、人が過去を想起する時、必ずしも過去そのままの情景を想起するわけじゃない。多くの場合、理想というフィルターを掛けている。そこを汲んで珠の中に再現することが重要だ。だから想造力というんだ……。
 冥砂は溜息をつき、仕事場に向かった。テーブルの上に散らばる道具を整理しながら、長い吹き棒に触れた。かつての冥砂はこの棒で玻瓈珠をつくったものだ。冥砂の珠は評判が良く、水平線の彼方にあるという本土でも高値で取引されたと聞く。
 それが断たれたのは、あの出来事のせいだった。
 突然本土から使いが来て、現在の王、峻王のために新しい珠をつくれと命じたのだ。
 玻瓈ものと呼ばれる玻瓈製品は、他所では生産不可能である。玻瓈嶋は本土の領地ではあるが、歴代の王は玻瓈ものを珍重し、玻瓈嶋は税制面でも交易面でも優遇されている。その一方で、峻王は玻瓈珠に執着しているという噂があった。気に入らない珠をつくったら、どんな目に合うか分からない。王の所望する珠をつくるのは、もともとこの上ない名誉であった。しかし気に入らぬものをつくった場合に罰されるとあっては、やりたがる者はいなかった。
 当初、族長の火漣がつくると宣言した。しかしながら、かつての火漣は優れたつくり手だったが、今は体力が衰えているし、失敗した時に族長に何かあれば嶋の統制が取れなくなる可能性がある。
 そんな中、名乗り出たのが櫂琉だった。
 年若く有望な櫂琉の提案に、周囲の人間も火漣も反対した。もちろん冥砂も止めた。しかし櫂琉は笑って告げたのだ。
「王の気に入る珠をつくればいいんだろう。大丈夫さ、私が一番成功率が高い」
 確かにその時、櫂琉は嶋一番のつくり手だった。周囲は納得せざるを得なかった。
 結果として、櫂琉の言葉は半分実現し、半分は外れた。使者が来る前日まで、櫂琉は作業を続けていた。一人籠る櫂琉を心配した冥砂が小屋に入ると、そこには意識を失った櫂琉と、完成したばかりの珠があった。珠は使者の手に渡り、王の元に献上された。風の噂では、王はその珠をたいそう気に入ったらしい。冥砂は、本土から遣わされた褒美を全て火漣に渡した。
 その後、冥砂がどんなに呼びかけても、火漣や嶋人がどんなに手を尽くしても、櫂琉が元に戻ることはなかった。珠つくりに集中し過ぎたせいだろうと火漣は言い、そのうち元通りになると嶋人は慰めの言葉をくれた。以来冥砂は、櫂琉の世話をしながら生きてきたのだ。
 冥砂は玻瓈珠をつくれなくなった。珠に息と想像を吹き込もうとすると、あの日の情景が思い浮かんでしまう。櫂琉の萎えた四肢。彼の瞳の力を全て吸い取ったかのように輝く玻瓈珠。そうした記憶が入り混じると、冥砂の息は玻瓈硝子を濁らせた。
 もう珠はつくれないし、つくらない。冥砂はそう決意したが、それでも玻瓈硝子と漂砂への執着は断ち切れなかった。玻瓈珠に夢見した時の高揚感が、漂砂に触れた時の妖しい感応と浮かぶ情景の美しさが、冥砂の胸をざわめかせた。
 そんな中で見つけた活路が、玻瓈ものづくりと、割れてしまった玻瓈ものの修復だった。冥砂は玻瓈硝子の元の形を想像し、きれいにつなぎあわせることができた。冥砂に修復された品は強靭で美しく、時に新しい彩りを持った。
 玻瓈硝子は丈夫ではあるが、玻瓈ものは広く交易されているため、割れることも多い。玻瓈嶋以外で玻瓈ものを修復することはできないため、壊れたうつわは全て玻瓈嶋に持ち込まれる。
 冥砂は腕の良い修復師として評判になった。嶋人たちも冥砂に同情と畏敬の念を持ち、気遣いながら接してくれた。しかし冥砂は、常に空白を抱えながら日々を送っていた。

2.
 ある晩、冥砂の家の扉を叩く音がした。
 訪問者は族長の火漣と、立派な杖を手にした見知らぬ男性だった。
 家には椅子が二つしかない。冥砂が椅子を来訪者に譲ると、男は部屋を見渡した
「むさくるしい場所だ。こんな場所で王の珠を創作したのか」
 王の珠という言葉からして、王の使者なのか。火漣は淡々と語る。
「そうでございます」
「兄さんのことでしょうか」
 冥砂が横からが尋ねると、火漣は強張らせ、使者は冥砂の顔を見た。
「お前は、王の珠をつくった者か」
「いえ、この者は、職人の弟でございます」
 火漣の口ぶりから、冥砂にこれ以上話をさせないという意図が伝わってきたが、冥砂は黙っていられなかった。
「どのようなご用でしょうか? 兄さんはもう珠をつくることはできないのに」
 冥砂がそう告げると、使者は首を横に振った。
「新しい珠をつくるという命ではなく、珠を修復するという命で来た」
 使者は手にした包みをほどきながら告げた。臙脂の布の中で、玻瓈硝子の破片が光を放つ。
「恐れながら、一度壊れた珠を直せたことはございません」
 火漣の言葉に、使者は顔を歪める。
「それならば、今回始めて成功させるのだ。王は夜な夜な珠に耽り、夢見している時に珠が砕けた。以来、王は意識が戻らぬ。玻瓈珠は落としても傷一つつかないのに、よりによって王が夢見している時に壊れるとは」
 火漣と冥砂は顔を見合わせる。
 人は夢見している時、現実世界では意識を失った状態になる。夢見にふけったまま戻ってこない事例は過去にもあったと聞くが、珠が壊れて夢見から戻ってこないという話は初めて聞いたのだ。
「この者はつくり手ではございません。珠を元に戻すなど無理でございます」
 火漣が告げると、使者は手にしていた杖で火漣を打ち据えた。冥砂が止めようとすると、使者は冥砂のことも打とうとした。火漣が起き上がって告げる。
「恐れながら、これから修復させようとする者に、怪我を負わせてどうなさいます」
 その言葉に、使者は杖を振り下ろした。そして室内を見渡しながら告げる。
「見るところ玻瓈ものの修復人のようだし、兄の仕事の後始末をするにはちょうどよいではないか。もしも失敗したり、期日までにできないのであれば、嶋人全員に相応の罰を与える」
 吐き捨てるように言葉を吐いた後に使者が去ると、冥砂が呟いた。
「本土の王が、兄さんがつくった珠で夢見していたら、珠が壊れたってことか」
 その言葉に、火漣が打たれた場所をさすりながら告げる。
「王は珠にたいそう執心で、没入しているうちに壊れたと言っていたな。球は外的な力で壊れることはないが、夢見の負荷が蓄積するとは聞いたことがある」
「よほど没入していたということなんでしょうね」
 冥砂の言葉に、火漣はため息をついた。
「そう。珠への執着は、先代王までは保護に向かっていたが、今は悪い方に働いている」
「仮に修復できたとして、王は生きているんでしょうか? 『珠の中の死は現実世界の死』ですよね」
 冥砂は珠つくりの基本を念頭に置きながら尋ねる。
「そう、その戒めがあるからこそ、職人は意識を高められる。王に関して言えば、個人の死は、珠の世界に影響できるほど大きな出来事ではないから、王に大事があったから珠が壊れたわけではない」
 火漣の言葉に、冥砂は考えながら問う。
「では珠を元通りにすれば、王の意識は戻る可能性が強いと?」
「恐らくな。ただ今までに、壊れた珠が元通りになったことはない。もしできなくても、決してお前のせいなどではないよ」
 言葉を選びながら告げる火漣。恐らく彼女の頭には、使者が言った、嶋人全体に与える罰のことが渦巻いているのだろう。
 冥砂は首を横に振る。
「ありがとうございます。でも嶋の人は僕を見守ってくれた。気にしないでいることはできない」
 火漣は苦しそうな顔をして告げる。
「お前の苦労は、嶋人の誰もが知っている。逃げても責める者はしないし、責める権利のある者もいない」
 一呼吸の後、火漣は続ける。
「本当はこんなことをさせたくない。お前を巻き込みたくないんだ。でも、玻瓈ものを一番綺麗に治せるのはお前だから、今回の大役をこなせる者がいるとすればお前しかいない」
 冥砂は火漣の手をぎゅっと握り締めた。
「僕はやります。兄さんのつくった珠だ。きっと元に戻りますよ」
 冥砂の言葉を聞いて火漣は小さく頷き、静かに去っていった。

冥砂は珠の切片をじっと見つめながら、修理の方針を立てていた。
 粉々になったうつわは、切り口に触れる中でどうすれば良いか判断できる。
 しかし今回は難しい。珠のかけらを組み合わせても、球体にならない。どのようにつけても、足りないところが出てくる。
 そうであれば、通常の玻瓈継ぎを応用させ、足りない部分をつくるしかない。瑞那に依頼しようかとも思ったが、失敗した時に彼女にまで類が及ぶのは避けたい。
 逡巡の後、冥砂は自分で部品をつくるにした。自分が今、新しい珠をつくれないことは痛いほど分かっていたが、他に納得できる道はなかったのだ。
 欠損している部分の鋳型をつくり、そこに玻瓈硝子を流し込む。冥砂は砂漠の記憶を持つ砂を混ぜ、切片をつくりあげ、もとの欠片と合わせると完全な球体になった。それで夢見できれば良かったが、試しに珠に触れて意識を集中させたものの、夢見することは叶わなかった。
 冥砂は試しに玻瓈漆をつけて接着してみた。それでも夢見できず、何度も試しているうちに珠はばらばらになってしまった。
 玻瓈ものを修復するのと同じやり方では通用しない、ということは分かった。球体に戻す方法は分かったから、夢見できるようにする方法を知りたい。そう考えた冥砂は、珠の内部世界を知りたいと思った。
 無駄だろうと思いつつ、櫂琉に珠の切片を見せてみる。櫂琉の手に切片を乗せると、窓から差し込む光で切片が赤く輝き、掌に血潮のような影をつくりなす。
「ねえ、兄さんがつくった珠は、どんな風景を見せてくれたの?」
 冥砂が尋ねると、櫂琉はそっぽを向いた。その横顔を見て、冥砂は遠い記憶の中で、櫂琉が革で閉じたノートを小脇に抱えていたのを思い出した。もしかすると、王に献上した珠の記録があるかもしれない。
「兄さん、ごめん」
 誤りながら冥砂は櫂琉の机を探った。彼が意識を失ってから手をつけていなかった場所だ。簡素なつくりの引き出しの最奥に、革張りの冊子が見つかった。触れると外側はほろほろと崩れたが、中身の紙は黄ばんでいるだけで、判読には問題ない。
 冥砂は字を追った。最初の方は珠づくりに試行錯誤している様子が伺えた。珠の中身が濁ってしまうことや、球体にならないこと、夢見しても現実と変わらない景色であったり、悪夢のようなおぞましい景色しか見えないことなどが綴られている。冥砂は身に覚えがあってくすりと笑った。
 ページを進めるにつれ、内容が濃くなっていく。つくりたい珠に合わせた漂砂の選び方、漂砂の色ごとの性質、珠をつくる際の意識、そして息を吹き込む時の集中力。じっくり読みたくはあったが、今は修復を急がなければならない。冥砂はぱらぱらとページをめくった。
 最後の紙に記載されていたのは、王、過去、といった単語だった。櫂琉は歴史考証を行った上で珠をつくるのを得意としていた。過去の情景の再現を試みたのだろうか。
 この嶋に伝わる昔話を思い出そうとして、冥砂はかぶりを振った。
 違う、この嶋に伝わる伝承ではない。恐らく櫂琉は王がいる都、冥砂や櫂琉が見たことがない本土の過去を参照にしたのだ。
 冥砂はふと、櫂琉と二人、火漣から昔話を聞いたことを思い出した。そして火漣のもとへ赴き、櫂琉と一緒に聞いた本土の話をしてほしいと告げた。火漣は思い出すように目を閉じた後、ぽつりぽつりと語ってくれた。
 玻瓈嶋の砂は半透明だが、本土の砂は透明感がない薄黄土色で、内陸に近づくにつれ色が濃くなる。一方、都の近くには巨大な穴があり、そこから燃える地の底から赤い砂が無限に湧いている。その砂は赤砂せきさと呼ばれている。
「地の底から吹き上げる赤い砂……なんだか地獄みたいだ」
 冥砂の言葉に、火漣は首を縦に振る。
「地獄のイメージは、その伝承に由来するのだろう。かつて、本土の王は砂漠で生まれ、砂漠の砂と風を従え、馬で自由自在に大地を駆けたという。砂を味方につけた王はさまざまな都市を制圧した。そして出来上がったのが現在の都、砂蘭さらんだという。
「王は今でも、砂漠の中を駆けているのですか?」
 冥砂が尋ねると、火漣は首を横に振った。
「今の峻王は、砂蘭の中心にある城に住んでいる。その赤い城は、遠目には燃え上がっているように見えるため、赤蘭城せきらんじょうと呼ばれている。今や国は膨れ上がり、現王は疑心暗鬼に陥り、誰も信じられずに城で家臣や身内たちとだけ話をしているという。まだ若いにも関わらず」
 火漣の話はそこで終わった。冥砂は頭を下げると、帰途についた。
 家に戻り、櫂琉が残したノートを改めて眺めると、王、過去の他に、城、砂蘭という文字も判別できた。とすれば櫂琉は、古の王が砂蘭の都を創成する時期をつくったのではないだろうか。
 壊れた珠のかけらを透かして見ると、僅かに赤みをはらんでいる。赤蘭城と砂を示しているのだろうか。そうであれば、古い記憶を持つ赤砂を集めなければならない。
 冥砂は家にある漂砂を確認した。赤い砂は何種類もあるが、鉄分が多い山場にありがちな暗褐色だったり、南国の花のような鮮やかすぎる紅など、内陸の赤砂の赤ではなかった。
 砂は海にさらされ、玻瓈嶋に漂着して玻瓈砂とまみれることで記憶を核化する。内地の赤砂を直接取っても珠の材料にすることはできない。砂が風で飛ばされて嶋に到着した分を材料にするしかないのだ。冥砂の推測が正しければ、櫂琉は赤砂を使って珠をつくったことになる。櫂琉が探し当てたということは、この嶋には赤砂が漂着するはずなのだ。
 冥砂は砂蘭までの方角を調べ、そちらから強い風が吹き、海流が強い日には、とりわけ注意して漂砂を調べるようにした。すると稀に、他の漂砂の中に混じって赤砂が入っていることに気づいた。そのため、複数の砂が入り乱れている箇所を注視するようにした。そうして赤砂は少しずつ集まっていった。
 冥砂は砂蘭の情報を何でも収集した。冥砂が王の珠を修復しているという話は知れ渡っていたので、嶋人たちは快く協力した。そんな中、職人の中で、櫂琉が王の珠をつくっていた時の会話を覚えている者がいた。瑞那の兄、那智なちである。冥砂が聞きに行くと、那智は遠い目をして語った。
「大した話はしていないけれど、城の近くで流行っていた唄なんかを聞かれたよ。俺、昔、砂蘭に玻瓈ものを売りにいったことがあったから」
「どういう唄か、教えてもらえないか」
 食い下がる冥砂に、那智は思い出しながら教えてくれた。
「遠い昔、王が砂を自在に操っていた頃、周りにいた子どもが聞いた唄だってさ。櫂琉も口ずさんでいたよ」
 冥砂はその言葉を何度も口にして転がし、那智に礼を告げ、急いで家に戻った。道々、唄を繰り返しながら、櫂琉が口にしていた言葉の粒を舌に刻みつけるようにした。
 冥砂は既に、十分な量の赤砂を集め終えていた。
 砂を皿にのせると、日の光に透かした血管のような赤い色に輝く。掌に載せて目を閉じると、吹き荒れる赤い砂塵と、はるか彼方に炎のように赤い建物のシルエットが浮かぶ。これでいい。冥砂は意を決した。
 時は既に夜更けで、窓から覗く月が赤く輝いている。
 今回はベースとして、岩から削られて時間が経っていると思しき玻瓈硝子を使うことにした。通常のものよりも粒子が丸く小さい玻瓈硝子を溶解させて、少しずつ赤砂を入れる。赤砂は一瞬粒をきらめかせると、全体をほんのわずかに着色させる。
 冥砂は何度も深呼吸すると、意を決して息を吹き込んだ。その息は、以前冥砂が玻瓈珠をつくっていた時の拍と、遠い昔に聞き覚えた櫂琉の拍を混ぜていた。
 目を閉じて思い返す。火漣の指導の下、兄弟で珠をつくっていた。すぐにしぼませるか濁らせてしまう冥砂に、櫂琉は笑いながらコツを教えてくれた。
 焦らない、比べない、気を散らさない。
 鎮める、研ぎ澄ませる、想像する。そして、想造する。
 拍の中に、櫂琉の言葉を、息の形で入れていった。
 古の砂蘭に赤の城が現れた、というフレーズで始まる唄は、櫂琉のノートと那智が教えてくれた言葉から取り出したものだ。それらの言葉を息の中に混ぜていく。
 眼窩に唱の情景を思い浮かべる。赤砂の吹き荒れる中、蜃気楼のように姿を現す赤蘭城。そこには強大な王が住む。一帯はオアシスになっていて、商売人たちが活気を生み出している。
 深く息を吸い、唄をのせて吐きだす。その繰り返しの中、冥砂の意識は自分のつくる珠の中に入っていった。詩を唄にのせる中、自分が謳う砂蘭の都や赤蘭城に魅了された。自分がその中で生きているような気がする。正確に棒を回し、正確に息を吐き出す。その繰り返しを無意識に行い、意識の総てを古の砂蘭の想造に向けた。
 塊が想定した形を成した時、冥砂はそれを時には王の珠の欠片に塗り、時には欠片自体を埋め込み、継いでいった。球体が歪んだら、即座に整形した。大きく欠落している部分は、継ぎの材料そのもので間を埋めた。欠片と継ぎは互いを優しく受け止め、自らの一部と成していく。
 継ぎの要となる玻瓈硝子に古いものを使ったのは、珠の切片と受け入れ合うようにするためだ。岩から削られて日が浅い玻瓈硝子の方が、漂砂の記憶の定着が良いが、今回は柔軟性を重視したのだ。年老いた族長の火漣が、多くの嶋人と関わって受け止めてきたように。
 無心になって棒を回す。日常的な感情を捨て去る。感覚も意識も一体になり、やがて無我の境地に陥った頃、珠はひときわ明るく輝いた。冥砂はその瞬間を逃さず、珠を冷水につけた。冥砂は曖昧な意識の中で、珠がつくりだす白い水蒸気の奥に砂の中の都を見たような気がした。
 水蒸気がおさまると、静かな赤い光を湛える珠が残った。暗い室内で、それは明け方の光を浴びて、現実感がないほどに美しかった。おそるおそる触れると、眼前に砂嵐の情景が浮かびあがった。

3.
 冥砂は、自分の成したことが信じられなかった。
 長らく珠をつくれなかったのに、成功した者のいない修復をやり遂げたのだ。
 朝日を浴びて輝く珠は、まるで太陽そのもののようである。
 冥砂は大きく息を吸い、全身の意識を集中させて夢見を試みた。気づけば、全身の皮膚が痛かった。砂がぶつかっているのだ。恐る恐る目を開けると、目に砂粒が飛び込んできた。
 立ち上がると、足元の砂はさくさくと音を立てる。玻瓈嶋の砂とは違う乾いた感触。ここは珠の中なのだ。
 目が慣れてきた。冥砂は歩みを進める。自分がつくった風景だからだろう、この先に何があるのか何となくわかる。
 背丈の低い藪が目につくようになり、背の高い木々が増えていく。人の気配が濃くなり、やがて街らしきものが見えた。積み荷を乗せた白い駱駝たちと、頭を布で覆った行商人らしき人々が見えた。
 活気のある街を通り抜けていくと、やがて巨大な壁が見えた。壁には穴のような箇所がある。人々の仕草を見ると、どうやらそこは出入り口で、通行証が必要らしい。
 冥砂は穴の隙間から遠目で内部を覗き込んだ。
 赤の塊が目に入る。鮮やかな赤い壁に橙釉の瓦が葺かれた巨大な建物が連なる。正面にあるひときわ大きな建造物は、目も眩むばかりに壮麗である。間違いない、ここは赤蘭城だ。
 冥砂は思い返す。修復過程で集めた漂砂の記憶の中に、巨大な壁と赤い建物が見えた。もとは櫂琉がつくったイメージだったかもしれないが、冥砂も再現に成功したのだ。
 珠には基本的につくり手の想像が投影されるが、つくり手は世界の細部まで全て設計するわけではない。つくり手が世界観や生物、環境など、基本的な部分だけを決めると、内部世界は偶発性によって定まる。
 内部の決定要素に関しては、温度や湿度などの環境や、つくり手の変化など、さまざまな説があるが、はっきりしたことは分からない。同じつくり手が同一の珠をつくろうとしても、全く同じものはできない。それは鋳造の作品が、鋳型を壊すと同じものをつくれないのに似ている。
 珠の内部は変化する。同じ球に夢見しても、タイミングが違えば状況が変わっている。それは人間の子どもが、基本的な部分は両親から引き継いだとしても、成長するに従って違う人間に変わっていく様に近い。
 つまり珠の内部世界は、つくり手が自分の珠に夢見しても、想定外の光景が広がっている可能性もあり、それが珠づくりの醍醐味でもあるのだ。そして冥砂は今、自分のつくった内部世界に魅了されていた。ベースは櫂琉がつくったものだから、知らない部分があって当然ではあった。冥砂は、最初は夢見できることを確認したらすぐに現実へ戻ろうと思っていたが、今や内部世界を探索したい気持ちでいっぱいだった。
 城壁からまっすぐのびる道沿いにはずらりと店が立ち並び、城から離れるにつれて人が増えていく。玻瓈嶋では見たことのない生き物や極彩色の花などを見る限り、ここは交易の中心なのだろう。
 街道の行き止まりには広場があり、たくさんの着飾った人々が歌い踊っている。華やかな衣装の踊り子や洒脱な身なりの若者などを見ているうちに、冥砂もいつしか手をつかまれ、踊りの輪の中に引き込まれていた。
 冥砂は次々に変わる相手の中から、瑞那に似た面差しの少女に尋ねた。
「ねえ、ここはいつもこんなに賑わっているの?」
 すると相手は目を丸くした。
「どんな田舎から来たの? 明日は王様の戴冠式があるからに決まってるじゃない」
 戴冠式と聞いて合点がいったが、王様という言葉がひっかかった。夢見の最中に珠が壊れた王は峻王だ。この世界で即位する王は、間違いなく峻王だろうか?
「王様の名前は? あの赤い壁の奥にいるの?」
 少女はくすりと笑った。
「あんた、本当になんにも知らないのね」
 そう告げると、彼女は冥砂の手を引いて踊りの輪から抜け出した。冥砂はその感触にどぎまぎした。玻瓈嶋の人間は玻瓈ものをつくるか、魚を採るか、野菜をつくるか、糸を紡ぐか何かしら役割があり、それぞれの仕事に相応しい手をしている。この少女性は嶋のどんな人間の手よりも柔らかくしなやかだった。
 彼女はゆっくりと歩きながら教えてくれた。壁の中の城は、赤とこの都市の名である砂蘭から一文字ずつ取って赤蘭城と呼ばれている。赤蘭城には女王とその家族が住んでおり、先日女王が亡くなったため、年若き峻王が即位することになったという。
「新王の評判はどうなの?」
 そう尋ねると、少女は笑って言った。
「峻王様は、偉大で慈悲深いと聞いたわ」
 ああ、と冥砂は思った。
 それは櫂琉のつくった優しい嘘だろう。
 慈悲深い王の使者が、王が壊した珠を修復できなければ嶋全体に責任を負わせるなどと言うだろうか。
「戴冠式を見てみたいな」
 そうつぶやくと、少女は首を傾げて言った。
「城には関係者しか入れないと思う。でもお祭り騒ぎは戴冠式の二日前から三日三晩続く。今日は一日前の前夜祭なんだよ」
 告げると少女は冥砂の手を取ったが、彼女と話していると瑞那を思い出して落ち着かない気持ちになる。冥砂は丁寧に礼を告げて別れた。
 広場から離れて雑踏の中を歩いていると、ふと、こちらを見つめる視線を感じた。視線の主は近くにある噴水の前に立っていた。
 浅黒い肌に逞しい体躯。鋭い瞳は冥砂を見ると柔和な光を帯び、目尻に皺ができる。
 櫂琉だった。
 冥砂は言葉にならない声を上げ、櫂琉に飛びついた。二人は噴水の中に落下したが、抱き合ったままずっと笑っていた。
 
再開の感動が落ち着くと、櫂琉は街を案内しながら冥砂に尋ねた。
「この珠は私が最後につくったもので、王の持ち物になったはずだ。なんで冥砂がここにいるんだ? 一瞬、冥砂が王族にでもなったのかと思って焦ったよ」
 冥砂はかいつまんで話した。櫂琉が倒れて以来、冥砂は珠をつくれなくなったこと。王は櫂琉のつくった珠に夢中になり、頻繁に夢見をしていたこと。そのうちに珠が壊れ、火漣と冥砂の下に修理するよう命令が来たこと。さまざまな試行錯誤の末、冥砂が修復に成功したこと。
 冥砂が話し終えると、櫂琉はしみじみと呟いた。
「立派になったな……珠を修復できるなんて考えたこともなかった」
「火漣は、今までに珠を修復できた者はいないと言って断ろうとしたんだ。でも、やり遂げなければ嶋全体に責任を負わせるって使者に言われて」
 冥砂が告げると、櫂琉は暗い表情を浮かべて言った。
「許せないな」
 櫂琉は、芯は強いが穏やかな性格で、感情をむき出しにすることは珍しい。冥砂が驚いて見つめると、櫂琉は目を反らした。
 櫂琉は一軒の建物の前で立ち止まった。褐色の屋根瓦と、白い漆喰らしき素材でできたその家屋は、玻瓈嶋の二人の家とは比較にならないくらい立派だった。エントランスからは使用人らしき男性が迎え出て、食事の準備はできていると告げて二人を案内した。冥砂は食堂へ至る廊下の棚を見た。玻瓈の製品はないが、陶器や磁器の他、さまざまな金属でできたうつわやオブジェが並んでいる。
「兄さんは、こっちでうまくやっているんだね」
 感嘆して冥砂が呟くと、櫂琉は頷いて言った。
「ここに玻瓈砂はないから、他の陶磁器や金属類、普通のガラスの製品をつくっている。今は王の元で仕事しているよ」
 そう言って笑う櫂琉の笑顔は、職人の誠実な顔だった。
 食卓には新鮮で彩り豊かな食事が並んでいた。焼いた肉、蒸した肉、初めて味わう野菜、香草のスープ、色とりどりの果物、香ばしい匂いをたてるパン。中でも珍しかったのは白い酒で、スプーンですくって食べるように飲むのだ。酒からは甘く複雑な香りが漂った。冥砂が豪華な食事をゆっくり味わっていると、櫂琉は尋ねてきた。
「どうした? 白可酒ぱいかしゅが珍しいのか?」
 冥砂は頷いた。
「このお酒もそうだけれど、珍しいといえば、初めて食べるものばかりだ」
「以前、王族の食事を調べたことがあるけれど、大体こんな感じだったようだ」
 以前というのは、現実世界で櫂琉が元気だったころの話だろう。冥砂は胸を締め付けられ、気を紛らわせるために口を開いた。
「このお酒、香り豊かで美味しいな」
「もともと王に捧げるための飲みものなんだ。匂いは王がいた天に届くようにという願いが込められている。王と全く同じものは飲んではいけないから、調合を変えているがね」
 一通り食事が終わると、櫂琉はぽつりと告げた。
「何から話すか迷うところだが、まず珠の話をしよう」
 そう告げると、櫂琉は語り始めた。王の珠は過去の情景を再現しており、今の王朝が最も栄えた遠い昔の時代、賢帝と呼ばれた王の治世を模しているのだという。
「あの祝祭はやはり、今の王が行ったものではないんだね」
「ああ、現実の王朝は峻王に至るまでに腐敗した」
 冥砂が呟くと、櫂琉は小さく笑う。
「……兄さんはいろいろ知ってるんだな。自分は本当に何も知らないなあって実感したよ」
 冥砂がつぶやくと、櫂琉が苦笑して告げた。
「私も付け焼刃で勉強しただけだ。ちょうど冥砂くらいの年だったよ」
 そう告げると、櫂琉は冥砂の肩をぽんと叩いてきた。
「明日は戴冠式だ。一緒に拝見しよう」
 そう告げると、櫂琉は冥砂を客室に案内して去った。
 冥砂は寝床についたが、なかなか眠れなかった。
 櫂琉はこの世界で一定の成功を納めている。現実世界に戻りたいとは思わないかもしれない。いや、あれほど玻瓈珠をつくることに精魂を込めていた櫂琉だ、再びつくりたいと思うだろう。でも、玻瓈珠をつくれないのにこの都に留まり続けているのは、彼がここに残りたいと願っている証拠ではないか……。
 結局眠りについたのは、明け方近い時間だった。
 冥砂は使用人から手渡された衣装を纏った。粗末な服しか着たことのない冥砂にとって、動きづらくて気後れするものではあったが、瞳と同じ緋色の地に黒の縫い取りがしてあるその服を着用すると、櫂琉は目を細めて、似合っている、と言った。
 一方櫂琉の衣装は、鮮やかな青地に黒糸が織り込まれた服で、上背があり精悍な顔立ちの櫂琉に高貴な雰囲気を加えていた。外に出ると街は既に沸き立っていて、二人は人の群れをかき分けながら少しずつ道を進んだ。
 街中で美声を披露する青年、篭一杯に入れた花を振りまく女性、鳥や猫などを多数引き連れて現れた老人、物見遊山の行商人たち。まるで一年分の賑わいをこの日に凝縮させたような街の情景を楽しみながら、二人は城壁の前にやってきた。そこで櫂琉が左手の指にはめた刻印のある指輪を見せると、門番たちは一礼して二人を通した。
 門の正面には紫色の布が貼られていた。空の青が透けているため、光が当たると視界が青紫に染まる。布を潜り抜けると、澄みきった空の元、この世の赤を全て集めたような鮮烈な建物群に目が眩んだ。
 城内小脇の道を進んでいくと、建造物は広い中心道に沿って左右対称に配されているのが見て取れた。赤や橙の壁や屋根、表面文様や彫刻を施された柱は鮮やかで煌びやかだ。
 とりわけ豪奢なのは、中心道から前庭に出て正面に聳える宮殿である。荘厳な屋根を多数の柱が建物を支えているが、柱の赤色の奥には黒が潜んでいるから、材木は削った時に芳香を漂わせるという稀少な黒薫檀だろう。中心にある数本の巨大な柱は、恐らく漆で盛り上げて金箔で覆われた雲龍模様が施されている。
 赤い柱の間の梁は橙や緑、青や金などで彩色され、よく見ると無数の角を持つ白麒麟や渦巻く藍龍、黒と金の大亀や、大きな目を光らせる饕餮とうてつといった霊獣や妖獣などが描かれている。屋根の角には透き通る玉が配されており、陽の光を跳ね返して眩く輝く。
 冥砂たちは、前庭の脇の観客席についた。
 役人たちは城の正面に向かって平伏している。彼らは建物前方から数列ずつ、紫、赤、青、黄、黒、緑に色分けされた服を着て、上部に赤い羽根飾りがついた黒い帽子を被っていた。
 奥から人影が姿を現す。遠目で細かいところは見えないが、紫の衣服を纏っていた。
 櫂琉が小声で話しかけてきた。
「あの方が峻王だ。王族以外には禁じられている紫の衣装をお召しになっている」
 王その人が進み出ると、側に仕えていたひときわ背の高い役人が、甲高い声で掛け声を上げた。
 暁の鳥のような、人の技を離れた声が響く。
 衣服で色分けされた役人たちは、その声に合わせて頭を上げ、膝を立て、立ち上がり、また平伏する。座する度に首から下げた長い瓔珞えいらくが光を跳ね返して輝く。その様は大海原の波のようであり、また収穫前の作物が風に合わせて揺れる光景にも似ていた。
 かぐわしい香の煙が立ちのぼる中、王は役人たちの中央に敷かれた紫色の絨毯上で歩みを進める。両脇には煌びやかな槍を携えて武装した兵が控えている。王の視線の先には金色に輝く輿こしが控えている。王が輿に座すると兵たちが担ぎ上げ、頭上高く頂いて進み出でた。そのまま輿は城内を練り歩き、役人や兵たちは歓声を上げる。壁の外にいる民衆たちもその声を聞きつけ、さらなる賑わいを加える。
 きんとした銅鑼の響き。下腹に響く太鼓の音。打ち鳴らされる楽の音に合わせ、歌うように響く甲高い声。厳かな音が外にまで漏れ出たのだろう、人々のざわめきや歓声が、地の底の砂のように湧き上がってくる。
 荘厳な雰囲気と歓喜に圧倒された冥砂は、建物の小脇に生えている木々の木陰に入った。昨日から、嶋の人口とは比べものにならないほど多くの人々を目にしている。人波に酔ったようだ。
 木陰にいると空がよく見えた。玻瓈嶋から見える明るい水色の空ではなく、青に灰色が混じる複雑な色の空。上ばかり見ていた冥砂は、背後から人が近づいてくるのに気づかなかった。
「お前は誰だ」
 涼やかで張りのある声。冥砂が何と言ったものか迷っていると、声の主は気安い様子で横に腰掛けてきた。相手を横目で見た。櫂琉より少し年上のようだが、そんなに変わらないだろう。表情は柔らかく、笑うと少年のように見えた。白い肌とすんなりした顔立ちは相手の育ちの良さを物語る。
「僕は見学人の身内です。砂蘭に来たばかりなので、是非拝見したくて」
 相手は頷いた。白地に銀糸が織り込まれた外着は光沢があり、いかにも肌触りが良さそうだ。瓔珞や腕輪を幾重にもつけており、動くたびに重たげに揺れる。指輪についている大きな石は星のように輝いている。
「そうか。戴冠式の感想は?」
「壮麗で息を呑みました。あと……」
 冥砂は思い返す。金銀の装飾がなされた王冠を戴く王。布に覆われた顔から表情は見えなかったが、小さな頭にのせた冠が重たそうだったことを思い返す。
「王様の冠が重そうだなと思いました。私は平民で良かったです」
 そう告げる冥砂に、相手はくすりと笑った。
「正直だな。実際、身の毛のよだつような責任感と、圧倒的な孤独を与えられた気分だ」
 冥砂は驚いて相手を見つめた。その時、彼が外着の中に来ている服の色が紫であることに気づき、その正体を悟った。
「……これはご無礼を」
 冥砂は飛びのいて平伏礼しようとしたが、相手は手を横に振ってそれを制した。
「いいのだ。来訪者の目からも見ごたえがあったようで良かった」
 冥砂は迷ったが、今は態度を変えない方がいいような気がして、気を取り直して尋ねた。
「圧倒的な孤独とは何でしょうか? この国の民は王の民で、皆に慕われている存在だと思いますが」
「いや、私は天の子だ。ここの誰ともつながっていないし、天の目が届く限り私に自由はない」
 そう語る王の瞳は、さきほどまでとは打って変わり、急速に年老いたように見えた。
「戴冠式がお嫌いなのですか」
 恐る恐る問うと、王は首を横に振った。
「そんなことはない。皆が私を祝ってくれるのだから」
 王はそう告げると立ち上がり、振り返らずに立ち去る。
 夕刻に入った空は鮮やかな橙色に染まり、紅色の建物が地に黒く深い影を落とす。

「ねえ、戴冠式の後、砂蘭はどうなるの?」
 帰りの道すがら、冥砂は櫂琉に尋ねた。
「後はない。この世界は三日三晩の狂乱を永遠に繰り返す」
 冥砂は驚愕した。
「え? じゃあ兄さんの家や、今の地位はどうやって手に入れたの?」
「少しずつ状況が変わっていく。今の状態になるまでに、数えきれないほど繰り返した」
 櫂琉はそう告げると、冥砂をじっと見つめる。
「冥砂が修復した後も、この世界は変わったよ」
 冥砂はどきっとした。
「どんな風に?」
「人々の活気が増して表情が明るくなった。戴冠式に色彩が増したし、街の彩りも豊かになった」
 冥砂が少し安心して、そうかな、とつぶやくと、櫂琉は大きく頷いた。
「多分、冥砂が人を信頼しているからだろう。私がつくった戴冠式は厳し過ぎたんだと思う。街も今までで一番賑わっている」
 そう告げると、櫂琉は街を見渡した。紙吹雪や花々が華やかに街を飾っている。
「現実の砂蘭も、こんなにきれいなのかな」
 その言葉に、櫂琉は首を横に降った。
「現実の桜蘭は斜陽だ。峻王は、悪政を行った女王の指名で幼少時に戴冠式を行った。王が物心つく前だったから本人も覚えていないだろうが、かなり小規模だったと聞く」
「じゃあ櫂琉は、峻王に輝かしい戴冠式を体験させるためにこの時代をつくったの?」
 冥砂が尋ねると、櫂琉は顔を伏せて告げた。
「あの時は夢中だった。何を考えていたか整理できないけれど、私は職人として、珠を通して王を魅了したかったんだと思う」
 確かにこの世界は魅力的であるし、王の持ち主が珠に没入するのは職人にとって名誉なことである。
「だから私は、この世界と、この世界にいる王をずっと見守り続けているんだ」
 櫂琉の言葉に、でも、と冥砂は思う。
 王が珠の世界にずっと没入している。それは現実世界にとって良いことなのだろうか。
 櫂琉に聞こうとすると、今度は櫂琉が尋ねてきた。
「冥砂は、現実の砂蘭には行ったことがないんだな?」
 頷くと、櫂琉は冥砂の瞳をじっと見ながら告げた。
「お願いがあるんだ。現実に戻ったら、この珠を王のもとへ戻すんだろう。お前が都へ行って、王族たちが全員この珠に夢見するようにしてほしい」
「そんなことをしたら、城に人がいなくなるよ。難しいんじゃないの」
「王族に、全員夢見しないとこの世界に没入している王が戻らないと言えば、やるだろう」
 それは一理ある。王を戻すためと言えば、王族も夢見するだろう。
「私はこの世界を多くの人に見てもらいたい。お願いだ」
 自分のつくった珠の世界を見てほしいという気持ちは、痛いほど理解できる。冥砂は頷かざるを得なかった。
「分かったよ。でもそれが終わったら、兄さんは現実に戻るんだよね?」
 尋ねると、櫂琉は俯いて頷いた。
「お前に迷惑をかけているのは分かっていた。王がこの世界に没入する様を見て、つい離れがたくなってしまって。この願いが叶えば、私は戻る」
 そう告げると、櫂琉は深々と頭を下げた。
「本当にすまなかった」
 冥砂は当惑して言った。
「謝ってほしくて言ったんじゃない。願いが叶えば兄さんが現実に戻るというのなら、僕はやる」
 そう告げると冥砂は、現実に戻るために意識を集中させた。
 後に冥砂は、別れ際に口にしたその言葉の無邪気さを、懐かしく思い返すことになる。

気付けば、冥砂は自宅に寝かされていた。
 横には櫂琉がいる。布団や衣服の状態から、放置されていたわけではないようだ。
 体を見てもさほど変化がないから、日は経っていないのだろう。
 周囲を見渡すと、珠は机の上に置いてある。冥砂はほっとして珠を手に取った。修復の痕もほぼ見えず、濁りもなく輝いている。それを丁寧に布でくるんで篭の中に入れると、冥砂は火漣の家を訪れた。すると庭先にいた瑞那が駆け寄ってきた。
「よかった、目が覚めたんだね」
 瑞那の声が大きかったのだろう、火漣が来て目を細めた。
「家に行ったらお前が倒れていて驚いたよ」
「そう、冥砂と珠が転がっていてね」
 口々に話す火漣たちに、冥砂は頭を下げた。
「ごめん、意識を失っている間、僕たちの面倒を見てくれたのは瑞那だったんだね。一言伝えてから夢見すればよかった」
 礼を言うと、瑞那は照れたように視線をそらす。
「まあ、一刻も早く夢見して試したいという気持ちは分かるから、いいけど」
 それを聞いて、火漣がにやっと笑う。
「あんなに騒いでいたくせに、よく言うよ」
 瑞那はなにか小さくつぶやくと、焦った顔をして去ってしまった。
 火漣は冥砂を家の中に案内し、篭に視線を移す。
「完全に修復できたのか?」
「夢見できました。しかも、珠の中には櫂琉がいたんです」
 目を見張る火漣に、冥砂は一部始終を報告した。櫂琉は自分のつくった珠の中にいて、王もまたずっと没入していること。珠の中はこの国がもっとも栄えた時期を再現しており、戴冠式に至る三日間をずっと繰り返していること。そして櫂琉は冥砂に、王族全てが夢見するよう依頼してきたこと。
「王族が夢見して、全員没入するという確信があるのか。よほどの自信だな。私も夢見したいところだが、王の持ち物だ、やめておこう」
 そう言うと、火漣は冥砂のことをじっと見た。
「櫂琉の望みをかなえたいのなら、お前が都に行く必要がある。先日使者が様子を見に来たが、まだだと言って追い返してしまった」
「分かりました、僕が行きます」
 冥砂が頭を下げると、火漣は彼をじっと見て告げた。
「お前は嶋を救ってくれた。都への旅は私も同行しよう。私は昔、都に行ったことがあるから、役に立てることもあるはずだ」
 冥砂は頷いた。出発の日、瑞那と那智が見送りに来てくれた。本土に渡る船に乗る時、冥砂は瑞那たちに向き直った。
「じゃあ行ってくるよ。申し訳ないけれど、その間……」
「櫂琉のことは毎日見に行く。任せておいて」
 瑞那はそう言うと笑顔を浮かべ、大きく手を振った。
 夢見の時とは異なり、実際の都は遠く、本土に到着してから人を雇い、都に到着するまで七日七晩かかった。雇い人に、都に到着したと言われて周囲を見渡しても、人影は少なかった。すれ違う人や家畜はやせ細り、表情もうつろである。乾ききった街の木々は立ち枯れて、小さな草がまばらに生えているばかり。
「ここが都ですか? 随分人が少ないような……」
 冥砂が尋ねると、火漣も首を傾げた。
「私が来た時は、もっと人が多かった。オアシスだったはずの場所が、砂に侵食されている」
 暫く歩くと、高い壁が見えてきた。赤蘭城の城壁である。二人が門番に要件を告げ、冥砂が珠をちらりと見せると、以前嶋へ来た使者がやってきて入城できた。
 使者は二人に、かつて櫂琉が珠の中で門番に見せていた、刻印がある金属製の指輪を渡し、これが王族御用達の職人の通行証だからなくさないように、と告げた。刻印の文様をよく見ると、伝説上の霊獣、麒麟の姿を模しているようだった。
 城は威圧感があり、火漣は気圧されたように建物を眺めたが、冥砂は内心、夢見した時との落差に驚いていた。表面的な部分こそ保たれているが、屋根や壁などは古色蒼然とし、彩色もかなり落ちている。壮麗な装飾がなされていた正面の宮殿も塗りが剥げ落ち、飾られていた玉などは消え去っている。庭に生えている植物も枯死しているものが目についた。
 冥砂たちは使者に導かれ、金色の屏風に囲まれた小部屋で待たされた後、奥の部屋に到着した。するとそこには巨大なベッドがあり、布のふくらみから誰かが眠っているらしいことが分かった。枕にあたる箇所の天井には、艶やかに輝く大きな真珠がぶらさがり、断続的に光を反射している。そしてベッドをかこむようにして、きらびやかな服を纏った人々がずらりと並んでいた。
 黒地に金糸や銀糸の縫い取りがなされた滑らかな布、色とりどりの刺繍がなされた帯、柔らかそうな末広がりの裳。人々はさまざまな色味の服を着ているが、おそらく峻王にしか許されていないのだろう、紫を基調とする布を使っている者はいない。
 冥砂は理解した。ベッドにいるのは夢見して目覚めぬ王、そして周囲に控える人々は王族たちだ。彼らは衣装と同様に優雅で高貴で、それに加えて倦怠の空気を纏っている。
 使者は平伏し、冥砂たちにも同じようにするよう促す。二人は慌てて床に這いつくばった。
「この者が、珠を修復して持参して参りました」
 使者が告げると、周囲の者は小さくどよめいた。
「では、早速見せよ」
 鈴を振るような声。冥砂は声の主を盗み見た。それは声と同じくらい優美で可憐な印象を与える女性だった。頭を結い上げて幾重もの房を垂らし、思い切り帯を締め上げている。
 使者は冥砂に立ち上がるように促した。しまい込んでいた珠を手のひらに乗せて見せると、天井部分できらめく真珠の光を跳ね返し、部屋に光をもたらした。
「これか。粉々に分解したとは思えぬ。夢見できるのでしょうね?」
 その声に冥砂が頷くと、部屋に安堵の空気が満ちた。
「ではこれを我が夫の枕辺に置きます。早く御霊が戻られるよう祈りましょう」
 この女性は王の妻ということか。そうであれば、女性の裾につかまっている幼い子どもは王子か王女ということになる。冥砂は緊張で震える声で進言した。
「恐れながら、王がより早く戻ると思われる方法がございます」
 しんと静かな部屋に、自分の声が思いがけないほどよく響く。冥砂は櫂琉との約束を思い返しながら、懸命に語った。
「峻王様は夢見なさり、この世界に没入なさっています。王族の皆様が珠の世界に来訪し、王様を説得されれば、より早く現実に戻られますでしょう」
 冥砂が半ばつかえながら告げると、火漣も顔を上げて加えた。
「王様が没入なさった珠の世界、恐らくですが、ここにいらっしゃる高貴な血族の方々にも深くお気に召していただけるかと存じます」
 部屋にいる王族たちは、どよめきながらも、表情や声に好奇の色が漂うのが見て取れた。
 使者が台座を持ってきた。子どもの背丈ほどもあり、象眼が施されたその台座では、金色に輝く麒麟が大きく口を開いている。進み出た冥砂が麒麟の口に珠を挿入すると、珠は麒麟に咥えられているように見えた。
 最初に進み出たのは、部屋の隅にいた壮年の男性だった。峻王にどことなく似た面差し。王の父や祖父は早くに亡くなっているはずだから、親族の誰かなのだろう。彼は麒麟の口に手を差し入れ、珠に触れると深く目を閉じて昏倒した。使者は彼を支え、部屋の隅にある椅子にそっと座らせた。倒れ込むように腰掛ける彼の表情は恍惚そのものだった。
 王族たちは次々に夢見していった。おずおずと珠に触れる者、迷いなく珠へと近づく者、首を傾げながら珠をじっと眺める者。最初はさまざまな形で近寄りつつも、触れると一様に至上の幸福に預かったような表情を浮かべ、意識を失うのだった。部屋には椅子に深く腰掛けて眠る人々で溢れた。
 最後に残ったのは、王妃とその子どもだった。二人は手を取り、慎重な足取りで珠に近づいていく。王妃は両手で子どもの小さな手を握り、二人同時に珠に触れるようにした。力なく倒れる親子を、使者はとりわけ豪奢で大きな椅子に並んで座らせた。寝入る二人は、まるで幸福な母子像のように見える。
 冥砂と火漣は広い空間を見渡した。椅子に座り、満ち足りた表情で目を閉じる高貴な人々。彼らが目覚める気配は全くなかった。

冥砂たちは、使者に用意された部屋に滞在することになった。火漣はしみじみと語る。
「王族は皆、珠に魅了された。お前たちは当代一の職人だった両親を遥かに超えた」
 冥砂は、心臓が大きく鼓動を打つのを感じた。
「両親の話は初めて聞きます」
「言わなかったのには訳がある。お前たちの両親は殺されたのだ」
 そう告げると、火漣はぽつりぽつりと話してくれた。
 冥砂たちの両親は、珠つくりの名手だった。父は歴史に立脚した壮大な風景を、母は誰も想像しえない壮麗な景色をつくりだした。先代女王は二人のつくる珠を次々に所望した。
 やがて峻王の即位が迫った。王は新しい珠を所望したが、両親のつくった珠は新王の気持ちに沿わなかった。年端のいかぬ王は、両親の珠の世界を知るのは幼過ぎたのだ。
 打ち捨てられた珠を見て、女王は激怒した。女王は近いうちに自分が死ぬことを察しており、最期は峻王と共に理想的な珠の世界に没入し、夢見るように死を迎えたいと思っていたのだ。願いが叶わない怒りの矛先は、峻王が好む珠をつくれなかった両親に向かった。そして両親は殺された。
「そんな理由で……単に王が理解できなかっただけでしょうに」
 冥砂は怒りで胸が熱くなった。
「そういう人だったんだよ、女王は。そしてその女王に育てられたのが峻王だ」
 首を横に振りながら告げる火漣。冥砂はこみあげる怒りを火漣にぶつける。
「だから仕方ないっていうんですか。そんなことのために両親は殺されたのに」
 火漣は口を開いた。
「ずっと黙っていたのは悪かった。いつ話そうかと思ってタイミングを計っていた」
「……」
 火漣が慎重な口ぶりで言葉を続ける。
「女王に逆らったり、幼い王にたてついても、さらなる犠牲を生むだけだ」
 そう告げると、火漣は冥砂の顔をじっと見た。静かな瞳だった。
「私は族長だ。お前の両親も大切だが、嶋人全員を気にかけなければならない。私が何も感じなかったと思うか? 私はお前の両親を、大切な仲間だと思っていた」
 その言葉に冥砂は、火漣が自分たち兄弟を大切にしてくれたことを思い返した。火漣の実子である那智・瑞那と同じように気にかけてくれたし、那智たちも冥砂たちの面倒を見てくれた。あれは身内を亡くした冥砂たちに対する、火漣の深い思いやりだったのだろう。
「すみません」
 冥砂が俯いて告げると、火漣はぽつりと告げた。
「恨むなという方が難しいだろう。でも分かってくれ、代々の王の庇護のおかげで今の玻瓈嶋があり、玻瓈職人や珠のつくり手が存続しているんだ。王族がいなければ、我々の存在意義は減るだろう」
 そう告げる火漣の表情は、今まで見たことないほどに切実だった。
 冥砂は黙って頷くと、ふと疑問が頭をよぎった。
「櫂琉は、そのことを知っていたのですか?」
 冥砂の質問に、火漣は目を伏せながら告げた。
「櫂琉は現場を見ているんだ。いや、見させられたと言ってもいい。それからしばらく、彼は口をきけなかった」
「そんな……」
「お前は赤ん坊だった。私は以前、櫂琉に、憎しみに魅入られてはならないと言ったことがある」
 火漣はそう告げると、ためらいがちに言葉を続けた。
「すると彼は、あの日の怒りと憎しみが私をつくっている、と言ったのだよ」

数日を経ても王族たちは目覚める気配がなかった。冥砂が、王族が夢見して珠の世界に魅了されていると櫂琉に伝える、と告げると、火漣は黙って頷いた。
 冥砂は夢見した。今回は地理を知っているからか、最初から砂蘭付近に出ることができた。街を歩くと前回と同様に賑わっている。記憶を頼りに歩いていると、城壁にたどり着いた。前回と同じ、戴冠式の前日のようだ。その時、門のところに小さな顔が表れ、大声で呼びかけてきた。
「ねえ、あなた、この世界を教えてくれた人だよね」
 王妃の子どもだった。細く高い声から、少年ではなく少女なのだと分かった。冥砂は一礼して去ろうとしたが、幼い王女はなおも呼び続ける。そのうち門番が冥砂の手を引いて城内に引き入れた。
「こっちへ」
 王女は冥砂の手を引き、裏庭に向かった。
「どこへ行くんですか?」
 尋ねる冥砂に、王女はくすくす笑って告げた。
「父さまも母さまも楽しそうだけど、前と同じで外に出られない。街はあんなに賑わっていて、ここからでも声が聞こえるのに」
 僕は暇つぶしの相手というわけか。冥砂はくすりと笑うと、落ちていた大ぶりの白い牡丹をきれいにして王女の艶やかな黒髪に飾り、桃色の菊をつなげた瓔珞を細い首にかけた。彼女が手を打って喜ぶので、珍しい植物の葉や茎で動物や乗り物をつくってやった。その遊びに夢中になって、二人は背後から近づく影に気づかなかった。
りん王女。母様が探していたぞ」
 紫に銀の刺繍がなされた上着。峻王だった。少女は、父様と叫んで王に抱き着くと、幸福の塊のような笑顔を浮かべたまま、建物の方に走り去った。
 後に残された冥砂は、反射的に平伏した。
 瞬間、火漣の話が耳に甦る。
 冥砂たちの両親は、目の前の王が原因で殺されたのだ。冥砂の胸は熱くなる。
「顔を上げてくれ。その指輪、職人のようだな。名はなんという?」
 王は冥砂の手もとを見ながら告げた。落ち着いた静かな声だった。冥砂は自分が通行証がわりの指輪をしたままだと気づいた。冥砂は顔を上げ、気持ちを抑えながら告げる。
「冥砂、と言います」
「そうか。王女はそなたを気に入ったようだ」
 くすりと笑いながら告げる王。冥砂は王の顔を見た。ついこの間まで青年だったような顔には、相変わらず邪気は感じられない。
「退屈なさっていたようです。外に出たいとおっしゃっていました」
「子どもの頃はそう思うだろうな。私もそうだった」
 目を細めながら呟く王。冥砂は驚きながら尋ねる。
「王様は、赤蘭城から出ないのですか?」
「数代前から、直系の者は出てはならないことになっている。王妃は嫁いできたので外の世界を知っているが、私は城で生まれて城で死ぬ」
 それでは峻王と、あの王女は、ずっと城の中しか知らずに生きるのか。冥砂が驚きで言葉を出せずにいると、王は取りなすように告げた。
「驚いたか。しかし王と後継者は、つねに暗殺の危険にさらされる。我々がここから出ないのは、様々な陰謀から自分自身を守るためのしきたりであり、国の体制を安定させるための義務なのだ」
「王様自身は、外に出たいと思ったことはないのですか?」
 冥砂が尋ねると、王は頷いて告げた。
「何度もあるさ。友が亡くなった時は駆けつけたかったが止められ、物品を贈ることしかできなかった。国の大事が起きた時、起きていることをこの目で見たかったが叶わず、何が正しいのか確認することもできなかった。抜け出したこともあったが、その度に連れ戻され、むしろ締め付けはきつくなった」
 思い出しながら語る王。
「王は、生まれた時から、途方もない力と、途方もない制約を与えられるのだ」
 そう語る王の瞳は、遠くをみはるかすようで、その実、何も見ていなかった。
 冥砂は強烈に実感した。
 王は珠の中に、何よりも自由を求めたのだ。
 そして思う。
 珠の世界も所詮、制約された人間のつくったものであり、夢見した人間にとって都合のいい自由を体現することはできない。
 城から出られない王。嶋人を殺されても抵抗できない火漣。思いを遂げるまで現実に戻れない櫂琉。そして長きに渡って珠をつくれなかった冥砂。
 冥砂自身、自分の意図と違うところで縛られる人間の性と、それでも抑圧の中でもがき続ける人間の性を知っている。もう、完全に自由な世界の存在など信じられないし、つくることもできないだろう。
「王は孤独ですか。そしてそれは、家族がいても解消できないのでしょうか」
 冥砂は迷いながら尋ねた。暫くの沈黙の後、王は小さく息をついた。
「孤独は、決して消えることのないものだ」
 そう告げると、王は冥砂に笑いかけ、去り際に告げた。
「私は王妃も王女も愛している。孤独はその感情とは別のものとしてある」
 一人残された冥砂は、ただ、その後ろ姿を見つめた。
 さきほどまでは、両親が殺害されるきっかけになった王を憎んでいたはずだった。
 むしろ憎みたかった。
 しかし、どうしても憎み切ることはできそうになかった。
 王は、他の生き方はできなかったのだろうか?
 冥砂はそうも考えたが、やがて一人、首を横に振った。
 多分、王は王なりに抗おうとしたのだ。しかし、歯車が重すぎたのだ。
 力と制約。真実と嘘。誠意と虚偽。何を選べばいいかわからぬうちに何も選べなくなり、珠の世界に耽溺したのだ。誰が彼を責められるだろう?
 足元に視線を移すと、王女が葉や茎でつくろうとしたものは、馬や船といった人を運ぶ動物や乗り物ばかりであることに気づいた。

4.
 王族たちが城の中で生活を謳歌しているのを確認すると、冥砂は城を後にした。
 王族が珠に没入していることを櫂琉に報告し、少しでも早く現実に戻りたかった。実は両親は殺されたのだという事実は気持ちに引っ掛かっていたが、なるべく抱え込まないようにしたかった。
 記憶を頼りに櫂琉の家に向かう途中、彼らしきシルエットを見かけたので声をかけようとしたが、櫂琉は一足先に路地裏の店に入っていった。後を追おうとすると、出入口に立っていた門番に呼び止められた。相手が指さす看板を見ると、鋭利な刃物や銃らしき絵が目に入る。武器屋ということだ。
 この物騒な店に、櫂琉はどんな用事があるのだろう。物陰から見守っていると、大きな包みを抱えた櫂琉がやってきた。帰りがけに指輪を受け取って足早に立ち去る。
 冥砂は賭けに出ることにした。門番が交代し終えたところで出入口付近に寄り、通行証代わりの指輪を見せた。
「僕は王族付きの職人で、細工のための品を頼んであります」
 そう告げると、門番はじろりと見てきたものの、指輪を預かって冥砂を通してくれた。店内には銃や刀、矛や盾、弓矢のほか、使い方も分からないような道具が所狭しと置いてある。受付台では、眼帯をした髭の濃い男性が手元で何かを磨いている。
「僕はさきほど立ち去った櫂琉の弟です。受け取ったはずの品がないから見てきてほしいと言われました」
 思い切ってそう告げると、男は冥砂をじろりと見つめる。
「さっき全部渡して、一緒に確認しただろう」
「それが、小刀が足りないって言っていて。もう一度確認いただけますか」
 冥砂が、いかにも分かっていないという雰囲気を醸しながら告げると、男はぶつぶつ言いながら紙を出してきて、冥砂に見せてきた。
「これが今までの領収書。日付を見な、今日渡す分にそんなものは入ってない」
 冥砂が見たのは、大量の武器のリストだった。小刀などのぎりぎり仕事に使いそうなものだけではなく、銃や弾丸、火薬なども含まれている。息を呑んでいると、男性は紙を閉じて告げた。
「兄貴にもう一度確認するように言うんだな」
 櫂琉は一体何を計画しているのだろう。冥砂はそう思いながら出入口に行くと、門番から指輪を受け取った。
 冥砂は櫂琉の家に赴き、王族は全員夢見して珠の世界に没入している旨を告げた。すると櫂琉はぎゅっと冥砂を抱きしめて告げた。
「ありがとう。お前は珠を修復することで、更に完全な世界にしてくれた」
 本来なら嬉しいはずの賛辞。冥砂はさまざまな思いの中で尋ねた。
「兄さんは、いつ現実に戻るの?」
「王に依頼された仕事の仕上げをしているところだ。それが終わったら戻る。冥砂はすぐに現実に戻れ。苦労をかけたな」
 冥砂は頷き、立ち去るふりをして庭に隠れていた。そして夜になり、櫂琉が家から出るのを見計らって後をつけた。すると彼は他の人間と落ち合い、城の方に向かった。城に近づくにつれ、人数はだんだん増えていく。
 冥砂は櫂琉を追う中で、当たってほしくなかった自分の推測が正しかったことを実感した。そして集団が城壁に襲撃を仕掛けている隙に、櫂琉に駆け寄って声をかけた。
「兄さん」
 目を見張る櫂琉に、冥砂は言葉を続ける。
「今日、兄さんが店に入るのを見たんだ。大量に武器を買っていたね。何が目的なの?」
 櫂琉はゆっくりと口を開いた。
「だいたい目星はついているんだろう」
 見定めるような櫂琉の瞳。冥砂は黙っていても仕方ないと判断した。
「兄さんは復讐したいんだ、僕たちの親を殺した王族に」
 そう告げると、櫂琉の目を覗き込んだ。
 自分の予想が間違っていてほしかった。そんなことはないと言ってほしかった。
 しかし櫂琉は、ゆっくりと頷いたのだった。
「火漣に聞いたんだな。そうだ、父と母は目の前で殺されたんだ。私は火漣に約束した、お前には話さないと」
 そう告げると、櫂琉は溜息をついた。
「冥砂、お前には殺戮と無関係に生きてほしかった。私が全てを背負おうと思っていた。お前に何も言わないことで、恨まれてもいいと思った」
 櫂琉の言葉から、苦しみが滲み出ている。冥砂は意を決して尋ねた。
「兄さんは、珠の中で、王を殺す機会を伺っていたの?」
 その言葉に櫂琉は首を縦に振った。そして深い眼差しを伏せた。
「ああ。城に入り込むには、実績を積む必要があった。王族御用達の職人として認められ、準備していたところにお前が来た。それで今回の計画を思いついたんだ。お前を利用してすまない」
 その言葉に、冥砂は首を横に振った。謝ってほしいわけではなかった。
「僕だって両親を殺されたのには怒りを覚えている。でも峻王が必ずしも悪いわけではないし、仮に王が憎いからって、王族全員に責任はないだろう」
 冥砂は王の静かなたたずまいや、王妃の穏やかな表情、王女の無邪気な顔を思い返した。
 彼らを憎めたら、こんな思い、苦しさで胸が詰まる思いをしないで済んだのだろうか。
「私も前はそう思っていた。でも王を殺害したら、私が玻瓈嶋の出だということが、いつか漏れる可能性がある。王族が生きていたら、復讐しようと思う人間が出てくるだろう。そうなると、嶋の人間は全員罰を与えられるかもしれない」
 櫂琉は考えながら語った。
「僕たちの両親は復讐なんて望んでいないはずだし、嶋には代々職人が庇護されてきた歴史がある。それに人を殺したりしたら、兄さんは後悔するはずだ」
 懸命に語りながら、冥砂は思う。
 そう、両親には会ったことはないけれど、玻瓈嶋で育ち、櫂琉と冥砂を生みだした人間ならば、復讐など望まないはずだ。
「王だけを殺害しても、私のような者が復讐に来るだろう。その可能性を放置するわけにはいかない。それに、私がこの世界に来て随分経つ。もとの体が丈夫だったからここまでもったけれど、肉体の衰えから現実世界の自分の死は近いと悟っている。悔いはない」
 櫂琉はそう告げると、冥砂の顔をじっと見た。
「お前は私を止められない。現実に戻れ」
 その時、櫂琉の顔は、怒りでも憎しみでもなく、悲哀に満ちていた。
 冥砂は櫂琉を見つめた。そして、いつも冥砂が後を追っていた背中や、逞しい体躯や長い手足に、冥砂自身の身体が遜色なく追いついていることに気づいた。
 自分より背が高かったはずなのに、いつのまにか目線が揃っている。
 この深く鋭い瞳が両親の死を捉えたのだ。無念を黙して飲みこんだのだ。
 櫂琉の望むことができたら、何も疑問を持たずにいられたら、どんなに良かっただろう。昔ならば、櫂琉に従っていただろう。
 櫂琉はいつだって正しかった。今も恐らく間違ってはいないのだ。しかし、だからこそこの世界で、現実世界と同様に夾雑物と不合理に満ちた世界で、櫂琉のまっすぐな選択を適用することはできない。現在だけのことわりで、清濁併せ持つ過去を踏みにじることはできない。
 今の自分にできることはなにか、必死で考える。
 こんな結果は望んでいない。でも、櫂琉を止めることはできない。
 今の立場で自分の理を主張する櫂琉と、過去からの立場で嶋を守る火漣の顔が思い浮かぶ。そして、未だ見たことのない両親と、過去に嶋人を庇護してくれた王族に思いが及ぶ。
 その瞬間、冥砂の心は決まった。
 冥砂は櫂琉の腕を引き寄せると、強く抱き締め、にじみ出る涙を押しとどめた。
 迷いが生じるのを避けたかったから、櫂琉の表情を見ることはできなかった。
 顔を背けると、走って城内に向かった。
 怒鳴り声や叫び声、なにかが爆ぜる轟音が聞こえる。火の手が上がっているのか、上空が城のように赤くなっている。
 櫂琉とその一派の声が響いた。王族に対し、王の命が惜しければ夢見から醒めるなと告げている。王を人質に取ったのだ。
 炎で熱くなる空気をかきわけ、冥砂はとりわけ華麗で優雅な装飾がなされている建物に入った。中には王妃と燐王女が控えている。
「そなた、私は構わずとも、王女の命は助けてほしい」
 王妃の言葉に、冥砂は御前に進み出て告げた。
「失礼を承知の上で参りました。王女様を私に預けてほしいのです」
 王妃は当惑の表情を浮かべたが、冥砂の顔を思い出したようだった。
「この世界をつくった者ですね」
「はい。私のことを信用するのは難しいと分かっているのですが、その上でのお願いです。他に王女の命を守る術がないのです」
 王妃は頭を垂れていたが、その時、王女が眠そうな声を上げた。
「ねえ母さま、父さまはどこ?」
 王妃は決心がついたようだった。そして王女の脇に両手を差し入れて持ち上げると、冥砂の体の前に掲げた。
「この子をお願いします」
 冥砂は深く頭を下げた後、王女の顔を覗き込んで告げた。
「ねえ、出たいと言ってただろう? これからお外に出ようか」
 王女は目を見張る。
「そんなこと、できるの?」
「ああ。それだけじゃない。誰も見たことのない景色を見せてあげる。約束するよ」
 そう告げると冥砂は、王女の手を引いて外に出た。奥の方から火の粉が流れ込んでくる。冥砂は王女に覆いかぶさり、炎が見えないようにして諭す。
「現実に戻りたいって強く念じて。どこも見ないで目を閉じて」
 冥砂は極力微笑みながら、優しく語りかけた。
「君が行ったら僕も現実に戻る。大丈夫、何も心配しないで」
 その時冥砂は、王女に向かって口にしたその言が、冥砂自身が櫂琉に言ってほしかった言葉だったと、身を切る悲しみの中で実感した。
 王女の目が閉じ、体の力が抜けるのを確認すると、冥砂は現実に戻るべく意識を集中させた。

意識が戻ると、そこは現実世界の赤蘭城内で、冥砂は寝かされていた。
 燐王女の近くに赴いてそっと手を握ると、彼女の目はぱちりと開いた。
 冥砂はほっとして台座を見た。球は赤く怪しく輝いている。冥砂の小脇にいた火漣が近寄ってきたが、気迫に気圧されてようで何も言わない。
 冥砂は王妃の手を取って火漣に委ねると、珠を手に取った。そして修復した人間にしか分からない、蜘蛛の巣のような継ぎ目をゆっくりとなぞった。
 指に伝わる冷たい感触が、皮膚の感覚を奪っていく。
 継ぎ目が少しずつ銀の光を帯びる。それは頬を伝う涙のように見える。
 苦しかった。
 今からやろうとしていることを、本能が拒絶した。
 破壊するために修復したわけではない。消すためにつくったわけではない。でも今、これを壊さなければ、消さなければ、新たな破壊が、殺戮が生み出される。
 この上なく明敏な意識の中で、知るはずのない両親の姿を幻視した。きっと死に際に涙を流しただろう。それは復讐に生きろとは言わないはずの、玻瓈嶋の一員である両親の涙。
 珠を手にし、継ぎ目に渾身の力を込める。物理的な力を加えても影響を受けないという玻瓈珠。ではつくり手の思い、破壊の想造力をぶつけてやろう。
 気づくと唄を口ずさんでいた。それは修復する時に唄ったものとは逆の内容、破壊と無を謳う詩。継ぎ目に震える声を、鎮魂の祈りのような息を注ぎ込む。
 珠の継ぎの溶解は、珠の内部世界の溶解となり、裂け目になる。
 冥砂は珠が凄まじい光を放ち、一瞬の後に真っ黒になり、細かい欠片になって床に落ちるさまを見届けた。そして意識が唐突に途切れた。

海岸近くの家で、冥砂は玻瓈ものを直していた。
 それは火漣の家にあったグラスで、那智が誤って取り落としたものだ。
 切片の縁に玻瓈漆を塗って埋める。そして完成直前に、引き出しの奥底にあった玻瓈硝子の粉を混ぜた。その粉は珍しい黒の色味だったが、漆に混じると分散して色を失った。
 仕上げを終える頃、扉を開けて少女が入ってきた。
「お墓にお水、あげてきたよ」
「ありがとう、凛」
 冥砂は手を止め、かつて燐王女であった少女、凛に告げた。
 彼女はこの嶋に馴染んでいる。さきほど水を備えてきた墓の主、櫂琉が、自分の血族を滅ぼしたと知ることは恐らくないだろう。
 冥砂は凜が、嶋の生活を謳歌していることに心からほっとしていた。最近玻瓈づくりに興味を示し始めたから、そろそろつくり方を教えてみようかとも思っている。
 きれいに修復したグラスを手に、二人は集落の方に向かった。
 庭先で瑞那に出会い、軽く挨拶を交わした後、火漣にグラスを見せる。
「綺麗になったな」
 火漣はそう告げると、グラスを軽くすすいだ後に飲み物を入れて飲んだ。
「この嶋の過去の情景が見えた。冥砂、やはりお前の玻瓈継ぎの腕は素晴らしい」
「少しだけ、王の珠の切片を入れたんです」
 冥砂の言葉に、火漣は目を見張る。
 そう、あの日破壊した珠の欠片は玻瓈砂に混ぜて海に還した。しかし小さな切片を一つだけ持ち帰り、粉々にして取っておいたのだ。
「なぜ、そんなことを?」
 火漣の問いに、冥砂は首を横に振った。
「世界の破壊に立ち会った珠の欠片は、より大きな力を持つような気がして」
「……あの経験から、そのように考えられるとはな」
「うまく説明できないのですが、あんな目に遭っても僕は、もっと珠のことを知りたいという気持ちを抑えられないのです」
 そこに何も知らない瑞那がやってきて、空になったその器に新しい飲み物を入れる。
 冥砂が口にすると、見たことのない情景が見えた。
 砂浜で少年が遊んでいる。それを見守るのは彼の父と母だろう。屈託なく笑う少年の顔に見覚えがある。櫂琉だ。はっとすると母らしき女性の顔が見えた。その瞳は冥砂と同じ色、赤銅色だった。
 その瞬間、冥砂は理解した。
 この光景は、ずっと自分の中にあったのだと。例え自分が認識していなくても、恐らくこの過去は眼に映り、自分の身体に刻まれているのだと。
 気持ちが溢れそうになり、気持ちを静めようと目を閉じたところに、火漣が話しかけてきた。
「では、珠つくりを再開したのか?」
 冥砂は感情を押しとどめ、会話に集中しようと努める。
「徐々に。先日は夜のような珠ができて、驚きました」
 そう、珠つくりの過程で、王の珠の切片と青と黒の入り混じる漂砂を入れてみたところ、深い夜の色をした珠になったのだ。目に見えぬ砂という、まるで冥砂自身の名を示すようなその珠に夢見してみると、底知れぬ夜の景色が見えた。冥砂は恐怖に囚われたが、その暗黒の色は闇を内含するような底知れぬ魅力があった。
 冥砂はその時、漂砂全てに、その記憶に、内在する力に嫉妬した。
 珠のなす、王を、王族を、櫂琉を封じ込め、消し去る力を憎んだ。
 珠が持つ、情景を閉じ込めて、永遠に内在させうる力を羨望した。
 沸き上がる感情の中、珠を、その世界を想造する自分の力に戦慄しながら、今まで感じることのなかった感覚、自分が生きている意味を強く実感したのだった。
「新しい珠をつくり始めたのなら、いい兆候だ」
 火漣の言葉に、闇色の情景を思い出していた冥砂は我に返って呟いた。
「僕たちがいるこの世界も、珠の中にあるのかもしれないですよね」
 その言葉に火漣は、暫く考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「それは珠をつくる人間が誰しも考えることだ。珠の世界は歪みもなく、現実と区別がつかない。同じようにこの世界が、誰かのつくった作品かもしれないとね」
「族長は、そう考えた後、どういう結論を出したのですか?」
 冥砂が尋ねると、火漣は静かに告げた。
「この世界も、珠の世界も、等しく価値がある。どちらの価値も認めればいいのだ。そしてつくったものの力を、底知れぬ恐怖を知らない者は、良い職人になれない」
 火漣は冥砂の肩に手を置いて告げた。
「私は珠の中の赤蘭城で何が起きたかは知らない。でもつくり手は、つくったものの責任を負わなければならない。仮にそれが、つくり手を離れたところに向かっても。どの道、お前はつくることに魅入られた。前を見つめるしかない」
 その言葉に、冥砂は深く頷いた。
 そして瑞那と談笑する凜を見つめ、誰に言うともなしに呟いた。
「僕は、過去に約束した、誰も知らない未来の景色を捉える珠をつくります」

                                          ―了

文字数:32254

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