百万回の生死

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梗 概

百万回の生死

アスカはテクノポリマス社へ訪問した。占いや性格診断といったものを一切信じない恋人テオには反対されたが、どうしても「セカンド・シミュレーション」を受けたかったのだ。

人口の減少が進む一方で寿命が伸びた結果、第二の人生をどのように過ごすかが、人々の課題となった。国内の貧富の差は大きく、国民は貧困層と富裕層とに、二分化している状態にある。また、それぞれの健康状態や職歴がまったく違うため、「第二の人生をより良く生きるためのロールモデルがない」ことが喫緊の問題だった。

そこでテクノポリマス社が提案したのが、脳にインプラントを入れ、走馬灯のような超高速で何度も人生をシミュレートするという「セカンド・シミュレーション」だ。シミュレートの結果を元に、自分がもっとも幸せになるであろう選択肢を選ぶことができる。走馬灯のように一瞬で、これから死ぬまでのシミュレートを何度も繰り返すのだ。

シミュレータに登場する親族や友人など周囲の人々は、インプラントを入れた人が認識している性格だけでなく、無意識下に感じている人となりを反映するもので、非常にリアルだ。自分の性格情報が勝手に他人の脳内で使われていることに対する嫌悪感からシミュレーションに反対する人もいる。

シミュレータを使うと最大で21kg体重が減るという。人が死ぬときに21g軽くなるといった俗説があったが、それは魂の重さではなく、走馬灯を見るときに脳がカロリーを消費するためである、というのがテクノポリマス社の主張だった。

この日のために、アスカは体重を増やしてきた。何千、何万回も人生を試すためだ。残された時間を才能のないことに費やしたり、間違った人に心を寄せずに済むのであれば、体型が崩れることなど、どうでも良かった。

アスカは自分の人生には一片の悔いもないと思っていた。しかし、一度クリエイターとして躓いてから、もしあのとき別の道を選んでいればと後悔するようになった。そして心を病んで創作の道を諦めてしまった。あんな思いは二度としたくない。今後は得意で好きなことだけをやって生きていくのだ。

シミュレータで、アスカは数十万回の人生を体験した。数え切れないほどの選択をした。しかし、どんなにリアルでも「これは現実ではない」という考えが、次第に大きくなっていった。恋人のテオが言う通り、小説や映画などのメディア・コンテンツでの追体験で、十分だったのかもしれない。だから自分は物語を創作しようとしたのではなかったか。

それでもアスカは納得できずに、上限回数である百万回までシミュレートを繰り返した。数日でやせ衰えたアスカの元にテオがやってきた。「望む未来は見つかった?」「わからなくなっちゃった」。テオの問に、アスカは泣いた。確かに幸せな未来もあった。けれど一番幸せな未来を決めることができなかった。どの人生にも山谷があり、かけがえがないのだ。

「一番幸せな未来がわからなくても、助け合いながら生きていこうよ」
 アスカが泣き止むと、テオがぽつりと呟いた。アスカはまた泣いた。

文字数:1250

内容に関するアピール

基本的に「これまでの人生に後悔はない」と思えるように、自分の選択を正しいものにする努力をしてきました。

でも、やはり「あの時」別の道を選んでいれば、と思わずにいられない時もあります。同じように、もし別の選択肢を選んでいれば、と思う方は、とても多いのではないかと思います。

みなさんが、どのようにこの結末を受け止めてくださるかは、自由です。でも、この梗概をきっかけに、選択肢が現れる度に狭くなってしまった可能性が、もう一度、広く開けることがあるならどうするだろう、と想像をしてみてください。

その答えが、未来へのより良い一歩に繋がりますように。

文字数:268

課題提出者一覧