梗 概
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文字数:1200
内容に関するアピール
コロナ禍を受けて、あらゆる対応を非接触にする傾向がありますが、人が物を買ってもらったり、契約してもらうために現地へ行くという基本的な構造が、この先なくなるとはどうしても思えません。きっと百年先でも千年先でも、購入者、あるいは契約者に会うために、誰かが現地に向かっていることでしょう。そんなことを考えながら書きました。これからさらに文明が発達して宇宙に進出したとして、移動手段もまた、乗り物が変わるだけで基本的な構造は変わらないと思っています。わたしは仕事で電車や車で移動することが多いのですが、地方の電車では依然として運賃箱が設置されている車両があり、駅に到着すると車掌さんが隣に立っていたりします。交通系ICカード非対応の無人駅はまだまだたくさんありますし、電子決済が今後どのように発展するのかはわかりませんが、現金も切符もずっと並行して残り続けるんじゃないか、というのがわたしの予想です。
文字数:396
未納が発生しています
1
人類が宇宙に出てから何百年もたっているというのに、ビジネススーツを着る習慣が変わらないというのはいったいどういうことだろう。
地球から出発する旅客宇宙船「クェーサー」に乗り込むとき、相沢航平は飽きもせずそんなことばかり考える。
これが、普段営業に行く時ならば、そんなことは考えない。向かう先は最新鋭の技術で建設された超高層ビルが立ち並ぶオフィス街。宇宙船を降りた瞬間に、オートウォークが縦横無尽に走り、ほとんど歩く必要はない。端末に表示されるルートをたどるだけで目的地に到着し、あとは清潔で無駄のない取引先のオフィスで自社で取り扱う商品を紹介するだけだ。
その時に、スーツであることに違和感はない。
生活のあらゆる分野をAIが管理する合理化社会にあり、未だに上着を脱ぎ着することで体温を調整すること自体に疑問を感じることはあるものの、これがビジネス上の礼儀と言われれば、それに反抗する理由もなかった。
ただ、一日の半分以上を移動に費やすとき、しかも目的が営業のためでないとするならば、このスーツというものは一体何なのだろうと考えてしまう。
少なくとも太陽系の惑星においては、移動に苦労を感じることはなかったが、かれが向かっているのは、いくつものハイパースペースを通過しなければならぬ辺境の惑星だった。
人類が広大な宇宙に進出する歴史を一言で説明するならば、なるようになった、以外の何物でもない。
もちろんそこには数多の研究者と技術者の努力の結晶と呼べる、涙なくしては語れない苦難の歴史と呼べるものが存在するのだが、実際にハイパースペースの利用による超光速航法が発見されたことは、奇跡の顕現そのものであった。
ある時、新型の宇宙船の開発が宇宙で行われていた。
反物質エンジンを積んだ最新式の宇宙船は、次世代に名を轟かす歴史的記念碑となる宿命づけられた機体だった。だが、名目と実際とは大きな違いがある。その時代の技術水準というのは、反物質の使い方を覚えたばかりの、いわば技術的には赤ん坊に毛が生えたようなものでしかなく、エンジンの安定性も甚だ心もとないものであった。
当時の人類にとって、宇宙など進出するに値しないものであり、それどころか乗り物の燃料など電気で十分といった考えが主流であった。化石燃料から脱却し、再生可能なエネルギーを電力に転換できれば、地球の動力はすべて賄える。事実、時代はクリーンなエネルギー活用の方向へ舵を取っていた。
水素エネルギーなど新たなエネルギーの利活用は模索されていたものの、実用化には遠く及ばず、資金も投入されなかった。まして反物質など、金はかかるうえに危険性の高い、企業の技術的成果をPRすることにしか役に立たない無用の長物とされていた。
とはいえ、現場の技術者たちは本気だった。
核燃料に代わる新たなエネルギーが地球に革命をもたらすものと真剣に考え、命を削りながらも日夜開発に取り組み、初の運行を迎えた当日には、涙を流したものも居たほどだ。
だが、いよいよエンジンを起動する際に、異常を感知したセンサーが緊急事態を告げた。エンジニアたちが対処を行う間もなく、地球初の反物質エンジンを搭載した宇宙船は木端微塵に吹き飛んでしまった。
その時、不思議なことが起こった。
爆発により放出された反物質のエネルギーが、宇宙空間に秘められた扉の鍵を開いたのだ。
それは、人類が宇宙を認識する以前に地球外知的生命体が残した通路だったのだろうか、あるいは宇宙がもともとそうであったのだろうか。詳しいことは誰にもわからないが、その時初めて太陽系外に通じるハイパースペースの入り口が発見された。
一度現象が発見されれば、あとは実験を繰り返し、法則を見つけ出すだけだ。
ある一定の強いエネルギーを特定の空間に照射することで空間にゆがみが生まれ、別空間への扉が生成される。それまで見向きもされなかった反物質エネルギーは、ここでついに脚光を浴び、人類の叡智を結集して研究が進められる運びとなった。
空前の宇宙ブームと言われる狂騒状態となった地球で、何人もの宇宙評論家が現れては持論を展開しはじめた。もちろん、科学に精通するものであれば、一笑に付するものがほとんどであったが、ある一つの言葉が地球上で広まった。
「われわれが開いたハイパースペースの道は決してそれだけのものではない。扉の向こうにあったのは、人類を導く啓示であった。扉は人類の新たな可能性を開き、ハイパースペースが発見されて以降、この数十年間で科学的ブレイクスルーを幾度も成し遂げている」
科学者たちはその言葉を否定する多くの実証データと理論を持ってはいたが、心のどこかでは信じざるをを得なかった。確かにハイパースペースを発見した次の年には、反物質の生成効率化に関する複数の発見がなされ、以降、人類は生まれ変わったように宇宙開発の技術的革新を繰り返した。それは、超常的な力に導かれたとしか思えない現象ともいえた。
人類はかつての大航海時代を再び取り戻すかのように、命を賭して広大な宇宙へと旅立っていった。ハイパースペースのその先に何があるのか、誰にも分らない状況のなかで、人はより遠くへ、見たことのない場所へ、可能性を求めて広がり続けた。
宇宙開発技術とともに、惑星のテラフォーミング技術の開発も進められた。わずかでも人類が生息できる可能性があれば、すぐに人が送り込まれ、人類の総人口は加速度的に増加した。入植した惑星の環境を変え、住みよい場所で人が増える。そして、別の惑星へと旅立ち、入植する。この循環が数十世紀にわたって続けられていた。
2
「はあ……」
航平は惑星間連絡船「セイファート」の座席で、何度目かの溜息をついた。
ハイパースペースの活用と反物質エンジンの開発により、人類はかつてでは想像することすらできないほど広範囲の宇宙を移動することが可能になった。太陽系内なら数十分で目的の惑星に到着することができ、太陽系外でも数時間もかければたどり着くことができる。
だが、かれの向かう惑星は辺境も辺境。
ここ十数年で発見されたばかりのもので、向かうのに二日はかかる。
たった二日。かつての地球の技術力では信じられないほどの短い時間で惑星間、いや銀河間の移動が可能になっている。しかもそれは地球圏から直通のハイパースペースがないという理由だけで、その気になれば直通の通路も作ることが可能な時代だ。
つまりは、そこにハイパースペースの出入り口があるかどうかなのだ。そのため惑星によっては、太陽系内の惑星よりも太陽系外の惑星のほうが短時間で到着するということすらあり得る。
地球から目的の惑星に向かうためには太陽系旅客船「クェーサー」で三つのハイパースペースを通り過ぎ、そこから冥王星の外周を回る巨大人工衛星で、地球外遊覧船「スターバースト」に乗り換え、五つのハイパースペースを通り過ぎる。
この間約五時間。
ハイパースペース内では時間が極端に短縮されるため、むしろ人工衛星での停泊と乗り換え、次のハイパースペースまでの移動時間の方が多くの割合を占めている。
それから太陽系外の銀河へはハイパースペースの数は減り、一つ分での移動距離が大きくなる。数百光年の距離を二つのハイパースペースで一気に飛び越える。
そして惑星「ルカニア」の周囲を巡る人工衛星で「スーパーウィンド」に乗り換え、さらにいくつかのハイパースペースを通り過ぎると、恒星「ベレヌス」の軌道を周回する人工惑星「ダイダロス」に入港し「セイファート」に乗り換える。
ここまで約七時間。
反物質エンジンと超光速航法というとてつもない技術を駆使しても、航平がこれから向かう惑星にはさらに時間を要する。
航平は、この長い時間を小型デバイスで仕事をしながら過ごす。とはいえ、太陽系内から離れれば離れるほど通信に時間がかかるため、顧客や関係企業との連絡は困難だ。さらにハイパースペースを通過する際には完全に通信が途絶するため、資料を整理することくらいしかすることがない。船内の食事も出るには出るのだが、保存食のため味のついたブロック以外の何物でもなく、楽しむようなものでもなかった。
かれはできる限りの仕事を終えると、前面の座席モニターで見たくもない連続ドラマを見始める。これまでの人類が作り出してきたありとあらゆる映像作品が閲覧できるのだが、かれの精神状態ではあまり楽しめるものではなく、結果、音声だけを聞きながら、ため息ばかりをついている状況が続いていた。
常に最新式にアップデートされる「クェーサー」の乗り継ぎであれば、これほどうんざりすることはなかっただろう。太陽系か、少し離れた場所であれば、問題なく彼の持つ通貨を利用することができるし、利用端末の変更もほとんどない。
だが、スーパーウィンドから雲行きが怪しくなってくる。これまで利用できていたクレジットが全く通用しないのだ。衛星で乗り換える前に、わざわざ無人受付機の前に立ち、切符を購入しなければならない。
切符! この宇宙新時代において切符! 航平はこの仕事に就くまで、切符などというものは、歴史の教師が話す雑談のなかでしか聞いたことがなかった。
もちろん、磁気を帯びた紙のような旧時代的なものではないが、再利用可能な電子ペーパーが無人機から発行され、それを持って改札まで移動しなければならない。すべてが所持する端末一つで手続きが可能なこの時代に、このような前時代的なものが存在するなどとは、理由を知っていても違和感しかなかった。
以前、同僚や上司の集まる場で、そのことを質問したことがある。これほど技術が発展した時代で、なぜ切符などというものが残っているのか。
「これでもまだましになったほうだ。決済カードの時代はそれはもう悲惨だったそうだ」
「決済カードってのはなんです?」
上司の言葉に、航平はすかさず聞き返す。
「いいか。おれたちがやってる仕事もそうだが、ビジネスってのは行政の利権にもろに影響される。これはおれの先輩から聞いた話なんだが、当時は宇宙船旅客ビジネスが過酷な競争を繰り広げ、特定の場所に向かうためには、乗る宇宙船に合わせた決済方法が必要だった。そこで使われていたのが決済カードだ」
「そりゃまた面倒ですね。なんでそんなことに?」
「だから利権なんだよ。当然と言えば当然だが、おれたちが利用している端末ってのは、指で数えられるくらいのメーカーが作ってる。途中でつぶれたり逆に新興の会社もあるが、数としてはそれほど変わってはいない。つまり寡占状態ってわけだな。これが数百年続いてる。だがそこに突如として宇宙産業が登場する。宇宙開拓がひと段落し、一般人が宇宙を旅するようになると利益を得ようと新興企業が群がった。地球内で煮詰まったオンライン市場とは別の市場、人が移動するために大金を支払う時代が再びやってきたんだ。宇宙技術開発を担うさまざまな委関連企業、旅客運送をはじめとする観光関連企業、そのほかありとあらゆる企業が利権を奪い合い、結果、宇宙船への乗船と人工衛星の通過時に必要な決済カードが乱立したってわけだ。新興企業からしたら、せっかく手に入れられそうな利権を端末決済やアプリ決済に奪われたくはなかった。それで、移動には複数の決済カードを常に持ち歩かなければならなくなった」
「ははあ、大変だったでしょうねえ」
「大変なんてもんじゃねえよ。決済カードには特定の銀行やクレジット会社との連携が必要で、決済カードごとに提携先の銀行が違った。だから登録の手続きがまず煩雑だったし、すべての銀行に金を入れておくわけにはいかなかったから、都度決済カードに入金せざるを得なかった。だが、あまりの数に金を入れ忘れることも多く、宇宙船に乗る段になって金が足りないなってことがよくあった。だからおれたちの上の世代は、現金なんていう、今じゃ誰も持ち歩かねえもんを持ってたらしいぜ」
「そういうのって惑星連合がどうこうするもんじゃないんですか?」
「したさ。それで電子ペーパーの切符が生まれた。あまりに競争が激化したため、ついに惑星連合が介入することになったわけだが、その時丁度、電子ペーパーに注目が集まっていた」
「……えっと、それだけですか?」
「それだけだ。つまり、その場のノリってやつだな。当時、誰が言い出したのかは知らないが、本を読み知識を得ていた時代に戻るべきだ、なんてのが流行ってた時期でな。紙の復権は全人類が取り組むべき目標とされ、今じゃ誰も使わない電子ペーパーが切符に採用された。しかし行政は一度決めたものを早々変えられないもんだ。決済カードの利権がそのまま電子ペーパーに移り、今じゃ切符の発行のためにしか動いてない零細企業が複数あるって話だ」
「なんか、宇宙産業の闇って感じですねえ」
「そうでもねえよ。うちも似たようなもんさ」
惑星連合も企業も、口では合理化合理化と叫ぶが、実際はこんなものだ。かれの会社もまた宇宙産業の利権に絡み取られ、行政のお目溢しによってシェアの獲得を許されている。
技術は人々の生活を豊かにし、旧時代では考えられないほどの効率化を成し遂げている。だが、人が人である限り、完全な合理化には至らない。
航平が人類社会の未来を憂いていると宇宙船は最後の連絡船「マルカリアン」の出発地である惑星「エインヘリヤル」の人工衛星に到着した。
「なんにせよ、めんどくせえ」
誰もいなくなった船内でかれは大きめの独り言をつぶやいた。複数のハイパースペースを通り過ぎる過程で乗客はかれ以外すべて下船していた。かれにとっては技術の進化や文明の発展などはどうだっていいのだ。それよりも今この瞬間、長い道のりを何もせずに向かうということだけが、かれの気を滅入らせていた。
3
人がいない場所は空気で分かる。
もちろん、清掃ロボットやメンテナンスロボットによる定期的な整備は行われているため、汚れているとか、片付けられていないということではなく、どこかさびれている。それはおそらく、ロボットはあくまでロボットの仕事の範疇でしか仕事をしないためだろう。人がいない人工衛星と人のいる人工衛星はすぐにわかる。
コスト削減のためにオートウォークはなく、宇宙船からの通路を航平はひたすら歩いた。人工重力による制御はあるもののどこか違和感がある。こういったところも人がいないところの弊害だ。人が生活する場であれば、重力の微調整が行われるものだが、そういった配慮は一切ない。
切符を入れて改札を通り過ぎると、その違和感はより強いものとなる。
到着した頃にはすでにマルカリアンの最終便は出発していた。
宿泊場所はある。とはいっても、無人の人工衛星にホテルのようなまともなものはない。
かれは無人販売機で次の便の切符を買ったあと、宿泊区画へと向かった。
連絡通路から見える宇宙には、整備の人間もいなければ、生活感を感じさせるデブリも、それを清掃するロボットの姿も見えない。長い通路を歩くとき、地球から遠く離れていると改めて実感する。
通路の先には宿泊区画がある。完全無人の受付に設置されたモニターに基本情報を入力すると、ここでも電子ペーパーが発行された。部屋に入るためには、記載されたコードを読み込ませる必要がある。今こそ端末の出番だろうと思うが、ここではそんな常識は通用しない。
宿泊区画の通路には当然人影はなかった。
泊まる人間がいたとしても一人くらいだろう。犯罪や揉め事を防止するため、一つの部屋に食事やシャワーなど必要なものが全て揃っており、完全に隔離されている。ただ寝るためだけに存在する部屋で、かれは体を休ませた。
別に町で遊びまわりたいというわけではないが、かれはこんな時ひどく孤独に苛まれた。
かれの仕事は入植キットの販売だった。
入植産業というのは、宇宙開拓以降爆発的に成長した分野で、かれの所属する会社「イザナギ」は中でも業界でトップシェアを誇る優良企業とされていた。
航平は大学で進路を決める際に何のためらいもなくこの仕事を選んだ。なぜならかれには目的もなく、しかし、成績だけはある程度優秀で、にもかかわらず、やりたいことが何もなかったからだ。
宇宙産業には仕事がたくさんある。だがそれはあくまで技術開発者であって、かれのようにある程度のことはできるが、一つのことに集中できない男にとっては、技術者への道は果てしなく困難だった。
そういった人間がたどり着く場所は結局物を売る仕事でしかなく、かれは周囲に流されるままに、当時注目されていた入植キットの開発・販売会社に就職した。
物、あるいはサービスを購入したい消費者がいて、それらを売りたい企業がある。この構造は人類が宇宙に進出してからも変わることはなかった。かれは営業部署に配属され、それから入植キットに関する知識を学んだ。
宇宙開拓時代が到来して数百年。人の住める惑星の数と発見された惑星の数のバランスがついに崩れた。現在でもさまざまな場所で、新たな星が見つかり、惑星連合による調査が行われている。世界は空前の惑星余り状態であった。人の住める惑星がこれほどとは誰もが予想しえない事実だったが、それだけ、ハイパースペースの発見が革新的だったともいえた。
人は無限ともいえる開拓心により惑星を発見したが、ついに、人が有効活用したいと思える数を超えてしまった。今や未開拓惑星は国家による政策を含んだ入植ではなく、金を持て余した個人の資産運用か、あるいは別荘地の候補として購入された。
そこに現れたのが、航平の勤める会社のような入植産業企業である。
国が推し進めた入植の技術をリーズナブルな価格に落とし、資産家に提案する。宇宙産業の発展とともに使いきれないほどの資産を形成したいわば成金はどこにでもいたのだ。
そして今、かれは入植キット購入者のいる辺境の惑星に向かっている。
営業ではない。かれは購入者との契約をすでに交わしている。入植キットが惑星に到着し、設置工事が完了したことも把握している。だが、しばらくは問題のなかった入金が滞っていた。
かれがそのことを総務部から聞かされた時、唖然とした。あれだけ羽振りの良さを見せつけていた男が、金を払わないということなどあり得るのだろうか?
たしかに、一括で振り込まれなかったことは疑問に思っていたが……
かれの会社では料金の未納は売った本人の責任となり、場合によっては辺境の惑星に向かわなければならなかった。これについては上司に抗議した。
「ちょっとおかしくないですか? なんでおれがやらないといけないんですか」
「いや、この未払いの問題ってのは前々から幹部の間で議論にはなっててな。専門の人間を雇ったほうがいいんじゃないかって案も出てる」
「そっちの方がいいに決まってますよ。何なら法律に詳しい人間じゃないと、ちゃんと払ってもらえるとは思えないですよ」
「まあ確かにそうなんだ。だが、ここだけの話だが……」
そう言って、上司はわざとらしく声を潜めた。
「なんです?」
「だからさ、現在のわが社の経済状況ってのは円満なわけだ。惑星の取引は引く手数多。入植キットの販売以外でも惑星の管理や売り買いの仲介、その他もろもろで大きな利益を上げている。それで、多少戻ってこなくても別のところから補填すればいいって考えなのさ。それよりも法に訴えるコストだとか、後々の手間とかを考えたら専門のやつを雇うほどのことじゃないってことだ」
「だったらおれが行く必要だってないじゃないですか」
「そう考えるのはわかる。だが、企業には名目ってのも必要だ。例えば督促をしたが払ってもらえなかった企業と、そもそも督促をしなかった企業では、どちらが今後の事業活動で有利だと思う? 当然督促した方だよな。督促することで、おれたちは無事、金を払ってもらえなかった被害者になることができる。後々問題になったり、回収を強硬するタイミングが来た時には、この直接督促したってのが重要になるわけだ。だから、まあ、そう気を荒立てるな」
「言ってることはわかりますが……」
そういうわけで、かれは辺境の惑星に向かっている。この意味を生み出さない。ただ言い訳ばかりが存在する行為にも、かれはいらだっていた。
4
目的地に向かう最後の連絡船「マルカリアン」に乗船した時には、航平の体は痛みを訴え始めていた。
宇宙船の座席というものは、旧時代の電車や飛行機とそれほど変わってはいない。乗客の座席があり、通路がある。船内だけを見れば、旧時代と何ら変わらない形態を保っている。反物質エンジンの機能向上と空気抵抗がないため船体自体をいくらでも巨大化できることから、乗客に窮屈さを一切与えないという点は、違う点といえるかもしれない。
だが、連日の長時間移動を座席で過ごしていれば、いかに快適な座席でも、揺れがほとんどないハイパースペースの通過が移動の大半だとしても、体に異変が起き始める。それはもしかすると、長い時間同じ姿勢をとっていることのほかに、ストレスも影響しているのかもしれなかった。
最後に載る船であるにもかかわらず、マルカリアンでの移動が最も多くの時間を要する。ほかの連絡船との乗り換えのため、人工衛星での停泊時間が異様に長い。つまりは、航平の嫌う無意味な時間が延々と流れていくわけだ。
かれはもはや端末にすら触れておらず、それよりも、身近に迫る未納者への対応方法を考えていた。上司の言葉に従うならば「未納が発生しています。こちらが提示する期日までに入金をお願いします」と言うだけでよい。そこで相手がどのような反応をしようとも、直接話をしに行ったという事実がありさえすればいいのだ。
だが、いざその時が近づくと、せっかく自分が売ったものなのだからと、金を回収することを考えてしまう。入植キットは自分の売り上げだけではない。キットの開発部署や現地での設置工事など、多くの人間が携わっている。これはかれだけの問題ではなかった。
その購入者は、典型的な宇宙産業の成り上がり者だった。
とある温暖な気候の惑星で取れる作物に目をつけ、それを地球、あるいは別の惑星の住民に売る。かれは貿易業で多大な業績を成し遂げた男だった。航平から見たかれの印象は、わずかに止まっていることもできない、仕事をしなければ死んでしまうような、まるでエネルギーの塊であるかのような人物だった。
旧世代の地球では、そのような人物は忌避され、むしろ温厚な人柄こそ、尊敬されるものだという風潮があった。だが、宇宙開拓時代が始まってからというもの、そのような活力に溢れた人物が、無謀ともいえる挑戦により財を成し、そして、時代のリーダーだともてはやされた。
購入者はまさにそのような時代に生まれた典型的な人物ともいえた。
かれはいつも、複数の女性を引き連れていた。全身を特注のきらびやかな装飾で包み、住居区画の打合せ中には酒をのどに流し込む。エリートではないとはいえ、地球で普通の大学を卒業した航平にとって、そのような人種がこの世に存在するのだろうかと、驚いたほどだ。
それまでも、同様の人種には出会ったことはあったが、その男はあまりに典型的だった。男と会った後は、自分の考えや立ち振る舞いの方が間違っているような気がして、不安になったほどだ。
購入者の名前はデュラン。金髪で色白で碧眼。地球のアングロサクソンの血筋であることが窺い知れたが、しかし整形技術が発達した現在ではそのような見た目は信用できる情報ではなかった。
デュランはいつも言っていた。入植後は信頼のおけるごく少数の人間を呼び集め、極上のプライベートリゾートにする。さらにゆくゆくは金に物を言わせて惑星連合に掛け合い法を捻じ曲げてでも惑星連合の拠点を有する地球と直結のワープ航法の許可を貰う。かれはいつも自分と惑星連合とのつながりをほのめかし、航平が驚くさまを待ち受けている様子だった。
航平は、自分の言うがままに最上級の入植キットを買うその男を、内心やりやすい相手だと侮っていた。それが、よくなかったわけだ。
料金を支払わないパターンはいくつか考えられる。威勢よく事業を展開していた人間が、急に金払いが悪くなるのは、事業の失敗か、あるいは、単に忘れているだけなのか。この忘れるというのが厄介で、一人で会社を経営している男にありがちで、これを解決するのは、脳に直接ダイレクトメールを送れるようになるほかないとかれは考えている。
しかし、航平が気にしているのは、気が変わったという場合だ。事業失敗であれば取り立ての方法はいくらでもある。しかるべき手続きを行えば、一定の金額は返ってくるし、会社にも言い訳が立つ。忘れているのなら、直接声をかけることができれば済むことだ。
問題は、金もあり、忘れているわけでもないが、しかし、金を払う気のないパターン。これが一番厄介だ。些細な点をあげつらい、金を払う気がないとまくしたてる。クレーマーという存在は、宇宙進出後の人類社会でも一切消えることのない。企業にとっての最後の課題だった。
マルカリアンの最終駅は、その辺境の惑星だった。これは単なる偶然ではなく、別の場所の人工衛星であったところを、購入者の介入によって、変更させられたのだ。
通常であれば、人工衛星などの停泊拠点から個人所有の宇宙船を使って移動するため、かれの持つ権力と目的遂行に対する行動力を認めざるをえなかった。だからこそ航平は危惧している。入金が行われていないのは事業失敗などの理由ではなく、何か別の理由があるのではないかと。
「滞在時間は?」
人型の白いロボットが航平の座席に近づき、声をかける。そうなのだ。もはやマルカリアンほど遠くの空域を飛ぶ宇宙船にもなると、コスト削減の観点から人員を置かず、高度に発達したAIを搭載したロボットが設置され、操縦から乗客の対応までを行っていた。
もちろん、このようなやり方が、何の障害もなく実現したわけではない。AIを乗せた宇宙船が事故を起こした場合、一体だれが責任を負うのか。航空会社か、それともロボットを開発した企業か。
しかしその問題は幾度もの訴訟を経て解決を見ている。地球を中心として一定区域までを企業が補償し、補償範囲外は乗客の責任。これが落とし所だった。補償範囲は年々拡大しているが、その外に向かう際には搭乗の際に誓約書を書く必要がある。人類の移動距離の拡大と、人類の把握できる範囲のバランスが取れていない状況が、こんなところにも現れている。
「しばらく上空に待機してくれ。用件を伝えるだけだから、すぐに戻ることができると思う」
航平が手短に答えると、
「かしこまりました」
ロボットは頭を下げ、通路を通り過ぎて行った。
5
その惑星には「タンホイザー」という名前が付けられていた。
惑星を登記する際に、デュランは思い付きのようにその名前を口にした。航平が由来を尋ねると、かれは、
「知らねえのかよ。ワーグナーだよワーグナー」
と投げやりな調子で言った。
航平はその名が旧世紀の地球で上演されていたオペラの演目であるということを知ってはいたが、ことさら話を広げることはしなかった。デュランがそれほどオペラに詳しいとは思えなかったからだ。
オペラといえば、今や余程のインテリか研究者しか知らない舞台芸術だ。おそらく、聞いたことのある語感の良い言葉を選んだだけなのだろう。実際、辺境惑星の取引が開始されて以降、この手の名前の惑星は増加し続けていた。
タンホイザーに接近したマルカリアンは惑星の衛星軌道上で停止した。
本来ならば別の惑星の人工衛星で停泊するはずであったマルカリアンは、デュランの持つ権限により、一定時間の停泊が許可されていた。惑星に着陸するには、マルカリアン備え付けの小型宇宙船で向かう。公共の交通機関として設定された宇宙船は、太陽系内の地球のほか指で数えられるほどの惑星でしか直接着陸することは許されてはいないからだ。
数時間同じ体勢をとり続けた航平は、体をほぐしながら通路を進み、小型宇宙船へと乗り込んだ。操縦する必要はない。すべてはAIによる自動操縦で、あとは待っていれば惑星に降り立つことができる。
テラフォーミング技術が発達した現代であっても、安定した環境を醸成するには時間はかかってしまう。タンホイザーでは各労働に適した形態のロボットたちが、土壌を改良し、植物を植え、人が生活するための環境を作っている。だが、人が機密服を脱ぎ捨てるには数百年単位はかかる。
イザナギの販売する入植キットとは、その空白期間を埋める役割を持つ、居住施設を含めたサービスの総称であった。惑星の地面を均し、ドーム状の居住スペースを設置し、食物や水の生産に加え、生活に必要なエネルギーまで全てを製造する施設を建設する。
ドームに近づくと開口部が現れ、航平を乗せた小型宇宙船は、事前にプログラムされた手順で隔壁を通過し、着陸スペース向かって高度を下げる。
着陸による揺れを感じながら、航平はある違和感に襲われていた
金を払わない、払うことができないあってはならないもう一つの理由。それはもしかすると、惑星自体に何らかの異変が発生したためではないのか。入社後の研修で叩き込まれた危機察知のプログラムが、かれの脳内で警告を発していた。
それは、空気が変わったとしか呼べないものだ。
脳みそを素手で触られているような嫌悪感と皮膚にべったりと纏わりつく空気の違和感。それらがかれにこの惑星に異変が起きていることを知らせていた。
小型宇宙船から一歩外に出た瞬間、航平の目に飛び込んできたのは、中世ヨーロッパの街並みだった。
入植キットは購入者の要望をもとに街並みを作り上げるが、細かい指定まではできない。あくまで既存のパッケージから構成を選ぶ程度の自由度しかなく、地球の街並みなど再現できるわけがなかった。
航平は自分の認識が改変されていく過程を、客観的に把握していた。これもまた入社後に習得させられる技術の一つだ。ここは中世であり、かれは名もなき一般の市民だった。体を確認すると、革のズボンをはき、丈の長いシャツを着ていた。
かれはこの世界が間違っていることを知っていたが、同時にこの世界こそが正しい姿と考えている。空を見上げると、そこにあったはずの天蓋が消え、青空が広がっている。すでに地球にすら存在していない風景がそこにはあった。図表で見たことのあるヨーロッパの街並み、石畳の地面に木造建築が立ち並んでいる。そして遠くには巨大な城が見えた。
人々のざわめきが聞こえた。
航平と同様の格好をした男たちや色の薄いワンピースを着た女性たちが、立ち並ぶ住宅からぞろぞろと出てきた。
かれらの表情は一様に笑顔で満たされており、皆、同じ方向を見ていた。
航平がかれらの視線の先をみると、白馬に乗り、銀色の鎧を着た騎士がこちらに向かっていた。男たちは騎士の勇姿を讃え、女たちは歓喜の叫び声をあげていた。
「デュラン様!!」
すると騎士は白馬の歩みを止め、兜を取った。その顔は忘れもしない。見たものの記憶に深く刻みつけられるデュラン顔に相違なかった。
航平は心底うんざりした。ここはかれの願望の世界というわけだ。
しかし、相手に対する偏見は改めなければならない。かれは決して思いつきで惑星にタンホイザーと名付けたのではなく、騎士物語に憧れている男だったのだ。
航平は耳に装着していたデバイスに手を触れた。精神防壁が張り巡らされ、ニューロンへの介入が拒絶される。精神浸食の防御壁は、かれの脳髄を駆け巡り、認識の再構成が行われる。
認識が正常化し、航平は自らがドーム内に立っていることを知る。
何が起こったのかはわかっていた。
この星にいるなにものかが、かれの脳内に侵入しようとしたのだ。それが、人間の仕業なのか、あるいは別の存在の仕業なのか、かれにはすでに見当がついている。
木造建築が消え、ドーム内の規格住宅が見えた。巨大な城は天をつく塔に変わっている。目的地ははっきりした。デュランの住む塔に向かって、かれは歩き始めた。
6
精神防御壁を起動して以降、景色に変化はなかった。巨大な塔も、その周囲に住居区画が設置されていることも、すべて航平がデュランとの話し合いの中で計画した構成通りだ。住居区画は、巨大な塔を中心として放射状に広がっている。
王たるものが中心に住み下々の者たちが生活する。航平は計画時に一応は、非合理すぎると改善点を提案したが、デュランからは却下された。しかしそれも仕方のないことだと考えていた。公共事業でない惑星の開拓など利便性より趣味性が優先されるのは当然のことだった。
塔に近づくにつれて、脳に触れる不快感が高まっている。精神防壁で脳内を守っている状況でさえ、圧力が感じられるということは、よほど強力な力場が発生しているということだ。かれは半ば諦めながらデュランがいるはずの塔へと向かう。
移動中、住民とはだれ一人として顔を合わせなかった。部屋にいるのか、あるいは別の場所に集まっている可能性もあるが、住宅自体に生活感が感じられなかった。おそらく設置されてから、ほとんど手を加えられていない。
まさかデュラン一人で移住したわけではないだろう。ここは数百人が生活可能な最上級クラスのドームなのだ。あれほど権力を誇示し、さらに使用人と友人を集めてリゾート地とすると豪語していた男が、たった一人のわけがない。ドームを設置してすでに数年が経っている。
かれは迷わず塔へと向かった。デュランの住居であることはもちろん。塔に近づくほどに、精神への干渉が強くなっているからだ。住居区画が開け、塔の全体像が見える。趣味の悪い装飾は指示したデュラン本人によれば、サクラダファミリアを参考にしたのだという。
航平はそれを笑って流せていたころを懐かしく思っていた。
塔の下に、人影が見えた。
シルエットは人間に違いないが、違和感は拭えない。
顔が判別できるまで近づくと、デュランらしき男が大きく手を振った。その顔は笑っておらず、それどころか、人形のように固定化されていた。
「こんにちは。お久しぶりです。イザナギの相田です。こちらから通信は何度か入れさせていただいていたのですが……」
無駄だと知りながら話しかける。
「ろrrrrrっろろろろ」
その反応を見て、航平は確信した。かれは鞄に手をかけながら、
「一応言っときますが、当社の入植キットの料金が未納となっております。その件でお伺いしました。まあ、聞いてないと思いますが」
と呼びかける。
「くあkkkkkkかかかかこk」
デュランは航平の予想に違わず、何者かに精神を支配され、自我を失っていた。
「おれはさあ、そういうのもうどうでもいいんだよ。確かに、敵対しているわけじゃないってことはわかるよ。人間の体を通じて、おれたちとコミュニケーションをとろうとしてるんだろ。お前らからしたらさ、これは文明をかけた一大プロジェクトかもしれない。けどさあ、それはおれの仕事じゃねえんだよ」
航平はデュランに、いや、すでにデュランでなくなった男に問いかける。かれは生きる屍のごとくよろよろと航平に近づいてくる。
防壁の閾値を超え、航平の精神への浸食が始まった。脳内がかき混ぜられ、内部の記憶がひとつひとつ点検されていく。
幼い航平は、宇宙船の座席に家族とともに座っていた。
自立して以降、両親や妹と疎遠になってしまった、かれの輝かしい記憶。自分でも驚くほどに楽しく、そして笑っていた。長らく忘れていた妹の笑顔が、とてもまぶしく、同時に愛おしく感じられた。
だが、通路を挟んだ反対側の座席から何かがこちらを見ていた。それは人の形をしておらず、黒く、ぶよぶよした不定形の生き物だった。
記憶が切り替わる。
航平は友人たちと大学の食堂で話をしていた。今ではもう思い出せないと思っていた、学生食堂のあの味。ほかの食事では手に入れることのできない、友人たちとのばかばかしい会話とともに行われる食事。それらが完全に再現されていることに、かれは感動し、そして涙した。
だが、そこにも不定形生物はいた。航平から見える遠くの席に収まり、そしてこちらをじっと見つめていた。
そこで視界は途切れた。
かれの頭には、フルフェイス型の精神防衛装置が装着されていた。完全に精神が掌握される寸前に、鞄から取り出した小型デバイスを頭上に展開させていたのだ。頭を覆う装置の起動音がキーンと鳴り響くと同時に、かれは現実世界を取り戻すことができた。
「だから、そういうのはやめてくれよ。あとで別の人間が来るから、おれの認識から人類という種を知ろう、なんていうのやめてもらえないか。おれは今、想定し得る最悪なことが起きてイラついてるんだ。危害を加えるつもりはないが、おれでない別のやつの脳をいくらでも覗いてくれよ」
航平の言葉に、デュランだったものは首を傾げた。かれの体から半透明の触手が伸びる。
それはおそらく、不定形生物が他者を知るために持つ、感覚器官のようなものなのだろう。太く、どちらかといえばタコの足に近いそれは、航平の体を優しく包んだ。
しかし航平は動かない。
先ほどまでの不快感はない。脳髄をなでる心地よい感覚が、かれを満たした。圧力をかけた後に穏やかな交渉を仕掛けることの有効性を相手は知っていた。
「やめろ。警告はしたからな」
航平は鞄から取り出した対不可視生命体用のスタンガンを躊躇なく触手に突き立てる。それは対生物に使用される護身用の電流ではなく、精神浸食の波長を逆流させるものだ。不可視生物の存在自体を揺るがすエネルギーにより、触手の動きは一時的に停止した。
デュランの体を取り巻く半透明の触手が赤い警戒色に変わる。
「すまんな。文句なら後で来る調査隊にでも言ってくれ」
そして航平は踵を返して走り出した。
宇宙には、人類の介入を許さない惑星が存在する。
通常、惑星の権利買い取りの際には、現地生物の関する綿密な調査が行われるのだが、調査を搔い潜り、人類の脅威となる生命体が入植者に牙を剥くことがある。
地球上に存在する生物の延長線上、例えば虎を巨大化させたようなものなら対処は容易だ。しかし、人知を超えた実態を持たない不定形生物なども存在し、宇宙開拓当初は多くの命が失われた。
宇宙は危険に満ちている。それは飽くなき開拓人で星々を征服していった人類への警告だったのかもしれない。
だが、その対処に苦心していたのは百年以上も前のことだ。現在では宇宙に存在し得るあらゆる生命の形態パターンが分析され、それらの対応はすでに完了している。
知的生物との接触はこれまでもいくつか事例が報告されている。人類と同程度の文明とも接触しており、言語分析により交易が発生した事例もある。厄介なのは、調査時に姿を見せない不可視型の生命だ。いくら惑星を綿密に調査したとしても、地中など調査機器の範囲外に姿を隠されてしまっては、取りこぼしを完全になくすことはできない。
不可視型の生命体は宇宙全体でも生息域が限定され、報告例も少ないことから、コストの問題で惑星すべてに綿密な調査を行うわけにはいかない状況もある。極稀な例ではあるが、このように惑星のテラフォーミングが開始し、入植者が生活を始めて以降に発見されることがあるのだ。
航平が担当した惑星はまさにこの極少数の事例に当てはまってしまったわけだ。
精神浸食の影響範囲外に出たかれは、フルフェイス型デバイスを取り外し、元の形に変形させて鞄に戻した。代わりに取り出したのは、筒状の装置だった。
小型宇宙船の発着場にたどり着いた航平は後ろを振り返る。案の定、赤く染まった触手に包まれ、巨大化したデュランが、山のようにそびえたっていた。
だが、航平は慌てなかった。
筒状の装置の底部分に触れると、とがった先端が飛び出す。上下を手でつかみ、ひねり、いくつかの工程を経て、装置を組み立て始めた。時折顔を挙げて塔の方向を確認すると、巨大化したデュランが一定の速度で近づいていた。その速度は速い。
そして、装置が完成する。
航平の伸長を超える棒に変形した装置を地面に突き立てる。すると起動音とともに宇宙船発着場の外周をエネルギーフィールドが取り囲んだ。かれの会社が入植のために開発した、周囲と生活区域を隔絶する絶対的な障壁だった。
航平は、巨大化したデュランを見据えながら小型宇宙船の横で待機する。命の危険は感じなかった。なぜならデュランを支配している不可視生命体が、予想の範囲を超えるものではないからだ。
デュランが障壁に接触する。強力な力場が巨体を弾き返す。航平はその様子を確認したうえで、宇宙船に乗り込んだ。
かれは出発するためAIへの指示を入力しつつ、通信端末を開いた。この状況を惑星連合の地球外生命部署に連絡しなければならなかった。通信には数日、あるいは数週間かかるだろうが、これで、かれの会社が受ける被害のうちのいくらかは補填することができるはずだ。
宇宙に飛び立ったころには、報告書の送信は完了していた。宇宙船は何の問題もなく、衛星軌道上のマルカリアン内部に格納された。
航平は船内の席に座ると、ロボットに出発を伝えた。
「かしこまりました」
ロボットが行ってしまってから、航平は窓から遠ざかっていく惑星を眺めた。
「なんのために来たんだよ。ああ、めんどくせえ」
とつぶやいた。
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