梗 概
ソネット
疫病の蔓延により劇場が閉鎖され、自宅待機を余儀なくされた劇作家、シェイクスピアの唯一の楽しみは、苦心して連絡先を手に入れた青年俳優とのLINEだった。
「きみを夏の一日にくらべたらどうだろう」
毎日青年にソネット形式の詩を捧げるシェイクスピアだったが、次第に青年の返信は遅くなり、既読スルーが増え、ついに既読すらつかなくなる。
「Twitterとかに投稿したらどうですか」という青年の言葉を思い出したシェイクスピアは、七つある裏アカウントのうち、アカウント名「リチャード三世」を「100日後に死ぬ詩人」に変更し、一日一作ソネットを投稿する。
シェイクスピアはバズった。詩行の愛が自粛生活に倦む人々の心を掴んだのだ。ふぁぼの嵐は孤独なシェイクスピアを慰めたが、頭の中はすぐに青年のことで一杯になった。
エゴサ中、シェイクスピアは「W・H」というアカウントを発見する。「W・H」は青年のイニシャルだ。霊感が、これは彼の裏垢だと囁く。エロ垢だった。
七つの裏垢の一つ「ダーク・レディ」を使い、シェイクスピアは「W・H」への接触を試みる。
とりあえずふぁぼリツすると「W・H」からDMが届く。本当にこれがあの青年なのかと疑念が生じる中、一編の詩が送られてくる。
それは以前、シェイクスピアが青年だけに捧げたソネットだった。
DMを重ね、「ダーク・レディ」として彼に欲望され、セックスの約束をした。もちろん実際に会うことはできないが、生まれてから最も幸福な気持ちを味わった。
数日後、タイムラインに一枚の画像が流れる。ベッドに横たわる女の背中。裸だ。
「いやー、やっとヤれました! 決め手は詩行の力でした! Sさんにマジ感謝! (俺は顔射ww」
「100日後に死ぬ詩人」のフォロワー数は300万を突破した。
「詩人」から「美青年」へ綴られた愛のソネットは、「黒い淑女」という人物の登場により苛烈な呪詛へと塗り替えられた。
Twitterで更新される凄惨なメロドラマに人々は狂喜した。
100日目。人々は詩人の言葉を待った。トレンドを関連ワードが制圧した。
「100日後に死ぬ詩人」は何も投稿せずにアカウントを消去した。
16世紀末、ロンドン。
粗末な部屋の寝台に一人の少年が横たわっている。
死神が訪れ、詩の書かれた羊皮紙をよこした。
「きみを夏の一日にくらべたらどうだろう」
少年は朗々と歌い上げる。ネズミと死神だけが観客だった。
彼は、終わりに記された詩人の名と、自分のイニシャルを指先でなぞる。
「ウィリアム・シェイクスピアからW・Hへ」
劇場を出るとき、青年に声をかけられた。実家に帰るんですと伝えられたが、ショックは受けなかった。
「詩人」の「死」から数ヶ月が経ち、不完全ながら劇場の扉は開き始めている。シェイクスピアは結局、ここに戻ってきた。
帰り道、誰が聞くこともないソネットを呟いた。
文字数:1200
内容に関するアピール
ペストが流行り、劇場が閉鎖されたことにより、いつもは舞台を見に来る目の前の観客向けに言葉を書いていた劇作家が、部屋にこもって人と会わずに今度は目の前にいない誰かのために言葉を紡ぐ、まずそんなイメージにグッときました。
感染症そのものへの対応は、当時も現代もそれほど大差ないように思えます。時代的に大きく異なるのはZoomやSNSなどの存在です。 現代の劇作家は劇場が閉鎖されても家で詩を書いたりはしません。多分Zoom演劇をやります。
身体は劇場から締め出されているのにテキストだけはどこへでもすぐにつながってしまう。つながらないはずなのにつながっている(ように錯覚する)。つながりすぎているがゆえにつながっていない部分を無限の断絶のように感じてしまう。その不均衡を考えるために最も偉大な劇作家の名前とソネット、エピソードを召喚しました。
疫病とSNSの組み合わせは、歴史上今が最も旬だと思います。
文字数:400