走れ! 

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梗 概

走れ! 

 感染症の長期流行によって社会生活は変化した。人々は直接的な交流を制限された生活を余儀なくされた。学校生活はオンライン授業を中心として、分散登校が主流となっていた。数十年後、感染症の弱毒性により感染リスクが低下、社会は感染拡大前の生活へと戻ろうとしていた。一方、マスクを外せない、接触を避け対人関係を構築できない子どもが社会問題化した。集団行動を学ぶ場として学校生活や行事の復興が求められていた。

 学校行事を復活させようと、私立野原中学高等校生徒会会長、高校3年の林夢玲が立ち上がる。林は、母から野原校の体育祭行事を聞いて育ち、いつか自分も体育祭に出てみたいという夢があった。しかし体育祭を知っているのは、教職員でも数人であった。林は、生徒会副委員長の高校2年の古所祐、生徒会書記の高校1年の茶山くるみと生徒会担当の体育教師振出と共に、存命のOB OG、教職員に聞き書き調査をする。企画半ば、一部の生徒から体育祭開催に抗議があがる。「他人の体に触れるなんてできない!」、「マスクは私の一部だ!」と。生徒会メンバーでありながらも、実は抵抗感を拭えないでいた古所も林に体育祭のあり方を問う。林は集団をまとめることの難しさを痛感する。不器用ながらも体育祭実現のために行動をする林は、振出など教職員の力も借りつつ、しだいに学年生徒の信頼を得て、協力を仰いだ。収集した資料を元にしつつも、種目の変更やマスク着用も可能な柔軟な運営を目指した。

 開催当日。体育祭は、自粛に耐え続けた地元住民も臨んだ大規模な行事と化した。学校関係者が一族総出で体育祭に参加をしたため、遠隔操作機械を用いて、体育祭のライブ配信も行った。生徒の創作ダンスは、野原校の伝統的な体育祭の目玉であった。創作ダンスは仮装大会と変化し、意匠を凝らしたマスクによる各学年ダンスを披露した。マスクで顔を覆っていることは共通であったが、高校1年生はポンポンを使用した団体の動きを表現し、高校2年生は、色鮮やかな衣装によって、様々な文字を団体で表現した。高校3年生は、組体操をダンスに取り入れて会場を沸かせたが、予告されていなかった演出であったために反則負けとなってしまう。

 また、借り物競争は、各学年の選出された代表生徒の対決で、お題のマスクをつけた生徒を探し出し、代表生徒と共に校庭の一周を経て一番にゴールした者が勝ちとなる種目であった。代表生徒の林は、お題のマスクを持つ古所と伴走することになる。体の接触を伴ったリアルな競争に、林は楽しさを感じ取った。林と古所は勝利する。古所は、汗を拭うためにマスクを外す。古所の顔を初めて目にしたとき、林は、言いようもない気持ちに陥ってしまう。

 体育祭終了後の後夜祭。林は、古所に思いのたけを告白する。

 「マスクをつけた君も、マスクのつけてない君もどちらも好きだ」

文字数:1175

内容に関するアピール

 旬なもの、といえばやはり新型コロナウィルスについてだろうと思いました。

学校行事がほとんどないなかでは、生徒の成長に大きな差を感じます。一方で代替の行事で出来る限りのことをしようと奮闘する生徒を見ていると自然と励まされてきました。

この状況が来年も続くと考えたとき、今年の一年生は、学校行事を知らないまま進級していくのだなと思いました。もしそれが再来年も、その先も続いたら?というのがこの梗概を考えたきっかけでした。

体育祭が意外に民俗的な祭りの側面があると知って、そこから聞き書き調査で「あの頃な〜」を使ってみようと思い立ちました。

ドタバタ学園ものSFを目指してみたいです。

 

 

文字数:286

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なくてもあっても

 講堂のディスプレイににやっと映像が映った

    真っ赤なシャツに、真っ赤なズボン、真っ赤な帽子。晴れた青空の下、おそろいの衣装を着た生徒たちが正面に向かって、逆三角形にバランスをとって並び、地面に向かって顔を伏せていた。曲が鳴り出すとともに、揃えた動きで、一斉に顔が上がって、動き出す。

 「1・2・3・4!」

 生徒一人一人が、声を出しあい、両手に持っていた、ふわふわの真っ赤な飾りを後方の隊列から、前方へとまるで波が流れるように揺れうごいた。隊列それぞれ異なった動きをしあう。波の流れに漂うかのように、隊形はゆっくりと逆三角形から渦を描いて、中央に集まっていった。曲の終わりとともに、一斉にふわふわがなげだされた。映像が停止し、ふわふわの動きが止まった。

 「私は、生徒会長として、体育祭の開催を行います!」

 ちょうど、壇上の向かいに座っている、くるみと、祐が顔を見合わせた。くるみは、口をぽかんと開けて。 マスクをつけた祐は、ただこちらを見上げていた。

 

 

   東京で働いていたおかあさんは、感染症が広まった当時のことをよく覚えていた。

 「街から突然、人が消えたね。みんな家に閉じこもっていればすぐこの状況は終わるそんなことを言ってたね」

      おかあさんは雇い止めにあって、しばらくは大変な暮らしをしていたらしい。その時のことはあんまり教えてくれなかった。感染症の影響は依然として変わらなかった。なんとか人目を忍んで、実家に戻ったおかあさんはしばらくは家の外へは一歩もでなかったらしい。

 「なんていったってね、東京にいたってだけで、いろいろと言われるからさ、大変だったのよ、結婚するのだってね…」

 昔の話をしていたらいつの間にかお父さんとのお見合いの話になっているそんなお決まりのトークでも私はいつも楽しく聴いていた。話の中でも私が一番気に入っているのは、野原高校の話だ。生まれてこのかたあの感染症のせいで、『ガッコウ』というものと縁遠かった私にとって、その思い出話は、一味違って感じられたのだ。

 「大変よ、ダンス部とチアリーディング部が一緒のクラスだった時なんか、お互いにバチバチしててさ、この拍がとりづらいからこの振りは簡単にしろとか、それじゃあつまらないお遊戯ダンスになっちゃう、なんて準備期間中はずっとね。先生たちは厳しかったけど、最後にびっくりしたのが、あれは凄かったわあ、皆でダンスの歌を歌いながら踊ってさ」

「それって、触れ合ったりして大丈夫なの? 死なない?」 おかあさんは、私が信じきれずにそんなことを言うと笑った。

「もちろん! そんなこと気にしなくて大丈夫だったのよ、あの頃は」私は、今まで経験したことのない、その『タイイクサイ』というものに憧れていた。

 長い間流行していた感染症は終息の兆しが見えた。ワクチンが効いて、感染をしたとしても無症状で終わる場合が多くなっていったのだ。人生で一度も『ガッコウ』に通ったことのなかった私が、初めて『ガッコウ』というものに登校できたのは高校二年生になってからだ。

 

 今から一年前、『キョウシツ』というものに初めて入った時、それが何度もみたドラマとか映画とかと、そっくりそのまま現実にあってびっくりした。後々聞いたところによると、それは20年以上の代物の、騙し騙し修復をしていた状態の校舎だったらしいが、それでも私の中では理想の『ガッコウ』そのものだった。私の教室は、2年7組だった。縦に6列、横に5列と均等に並べられた机と、椅子。それを取り囲んだ、壁。まるで正四角形の箱の中にいるような気分になってしまう。正面の壁一面に置かれたディスプレイには、座席の氏名が映し出されていた。

 『林夢玲』私の名前は、『キョウシツ』の南向きの窓側の席に表示されていた。南向きの窓から、校庭を眺めると、広そうに見えた校庭も3階の高さから見るとそんなに広くなかった。4階建ての校舎の一番上が高校一年生だけのフロアで、3階の西側が一年生、東側が二年生の二つに分けて使用していた。高校三年生は、2階から1階を使用していて、昔はエレベーターなんてなかったから1階の上級生が羨ましかったというお母さんの思い出話を思い出す。

 登校時間が近づいてくると、一人、二人、とクラスに同級生が入ってきた。マスクをつけた男の子が、教室の電子黒板をみて、私の方をすぐ振り向いた。  

  「おっおはよう」 その声に気づいた。ずっとオンラインで会話していた友達ーシンジの声だった。

  「おはよう」お互いに、じろじろと顔を見合ってしまう。私の頬と口元あたりをじろじろとみている気がした。

 「マスク、外したんだね」

 「う、うん一応!」

 しばらくして、朝礼の時間になった時、スーツを着た担任の振出先生がドアから現れた。坊主頭に、奥二重のぼてっとしたその目を見た時、ホッとしたと同時に少し残念だった。顔の半分は、白いマスクで覆われていた。上半身しか見たことのなかった振出先生の体は、思ったほどがっしりとしていて、いつもの私服とは違って、スーツでピシッとしている感じが、なんかかっこいい。

 「おはよう。初めて学校に登校してきて、どうだったかな。ずっと長い間流行していた感染症がやっと弱まって、こうやって直にみんなと顔を合わせることができてとても嬉しい。人と人との交流が制限されてからというもの、ずっとこうして会えることを願っていました。オンラインで授業をしてきたと言っても、なかなか対面でのやりとりはできませんでした。これからは、できなかったことをたくさん挑戦して失敗して、ともに学んでいきましょう」

     振出先生は、教卓の前で、登校してきた生徒を見回した。先生の視線につられて、クラスメートの顔を見回した。私以外の子が、マスクをして登校していたことに気づいた時、私の遮られていない顔が一気に痒くなった。登校準備期間ということで、振出先生から簡単な今後の予定について連絡を受けた後、あっという間に下校時間になった。波が引くように、クラスメートは静かに帰っていく。

 「夢玲、じゃあまたオンラインでね」

 シンジもまた、手を振って、廊下の先に消えていった。私は、誰もいない教室で、バックに入れてきた体育祭のDVDをとりあえず机の中に入れておいた。家に帰って、クラスルームアプリを開くと、シンジから『今日めっちゃ会えて楽しかったね!!! ムレイめちゃくちゃ可愛くてびっくりしたよ、マスク外して登校するとか、ちょっと誰もいないかなって思ってたけど、ムレイがいて俺もすれば良かったーーー。また明日から挑戦するわ』とダイレクトメッセージが来て、1時間ぐらいボイスチャットでやりとりをした。   

 分散登校は半年続いて、一年半経った通常登校では、クラスの全員が登校し始めていた。ほとんどの生徒は、マスクを外すことができなかったけど。

 「夢玲の学校の子は、どう?  みんなマスク外せてる?」今は、野原中学高等学校の系列学校で働いているお母さんは、しばしばそんなことを口にしていた。

 「うーん、あんまりいないかなあ、通常登校してからだんだん増えてきたけど」

 「直接顔を見てコミュニケーションを取らない機会が多かっただろう?  どうしても感情を表現する子が苦手なんだな、オンラインやチャットで交流した方がむしろ喋れたりするんだな」

 食卓で仕事の話をする両親に挟まれて、私は二人の顔をまじまじと見てしまった。たしかにそうだった。正面を向いて黙ってご飯を食べる子はほとんどだし、体育の授業は熱中症予防でマスクを外さないといけないとなると、大体の子は見学を選んでいた。非常事態だったからとマスクを外したくなければいいと振出先生は言っていた。

 「夢玲は、よかったわよね、すぐに外せて」

 お母さんは、そう言って、口角を綺麗に上げて笑った。

 

 分散登校時に、私は募集されていた生徒会会長に立候補した。誰もやろうとしないだろうと思っていたら、意外に各学年一人ずつ役員と出てきて驚いた。

 高校一年生の茶山くるみ。可愛らしい容姿で、ツインテールがよく似合っていた。くるみは、マスクをしていなかった。隣に座っていたのは、高校二年生の古所祐といった。切り揃えられた前髪が、きちんと櫛が通されていて、几帳面な雰囲気だ。白いマスクが眩しい。学校から貸与されているパットからクラスルームアプリにアクセスして、議事録を作っていた。

 「お二人はしない派ですか、ちなみに僕は外さない派ですよ」

  出会ってすぐ、祐はそんなことを言った。

 「なっなんだよ外さない派って」 

  すがさずツッコミを入れるくるみに、祐は悠然と身構えているように見えた。

 「なぜなら僕は花粉症ですから」

 「あっちょっと心配したのに!」

 「まあまあ、ねえ、あってそうそうなんだけど、早速見てほしいものがあって」

  私はDVDの映像をなんとか、電子黒板に映したのだった。生徒会顧問でもあった振出先生に早速相談した。

 「体育祭かあ、でも実際にやるとなると難しいのと思うぞ」振出先生は、ぶつぶつ教員の名前を言っては、指を折った。

 「約100人の教職員のうち、体育祭を経験をしたことがある教員は10人くらいだな。それに若い先生なんて学校行事の運営について未経験だ。この長い、自粛期間のドタバタで関係書類もほとんど残ってないだろうしな」考えこむように振出先生は少し黙った。貧乏ゆすりをしながら、くるみと祐へと視線を移した。

 「お前たちはどうなんだ?」

 くるみは手をあげて、勢いよく立ち上がった。

 「そりゃあ私だって、はじめは体育祭についてなんにも知りませんでしたよ。 でも、こないだ見せてもらった映像は、面白かったですよ」

  くるみは、あげていた手を握って勇むようにガッツポーズを作った。小さい体で、伝わりにくい自分の感情をなんとかアピールしてくれていた。みんなの視線が、祐に移る。

「なんだよ、みんなで見て…。もちろん、僕も賛成ですよ。今じゃ、対人関係をうまく結べない子達が問題になっていますよね。そういう全体で何か取り組むことをやってみても、いいんじゃないかって、思います」

 祐は、いい終わるとマスクが鼻から落ちたのを丁寧に人差し指で挟んで直した。

「まあ、確かにどう言えばそうだな、まあぼちぼちやってみようか」

 先生の声を聞いた瞬間、もしかしたらだめかもしれないと思った。体育祭ができないなんて、今の私には考えられなかったのだ。

 

 トントン拍子で決まった生徒会会長の演説は、各教室に電子黒板にて遠隔で流さすことになったのをいい事に、突然講堂のデイスプレイに体育祭のダンス映像を流して、既成事実を作ってしまえっと勢いで行動してしまった。講堂の演説の後すぐ、同級生に取り囲まれた。 

 「外さないぞ! マスクは俺たちの一部だ!」

  そう言って、ツカツカと駆け寄ってきた生徒は数知れず、振出先生にはお前たちはとりあえず、ここにいなさいと生徒会議室倉庫にて一時待機という事になってしまった。

 「会長が、あんな事やるから!」

 くるみは倉庫の窓側のサッシに座って言った。

 「くるみだって、賛成したじゃないか。映像を流したことがバレたらどうなることか…ちゃんとくるみも謝るんだぞ」

 祐は、窓を開けながら、くるみを睨んだ。

 「それにあと会長、最後のやつ、みんなでマスクを外せるようになりましょう! なんて、絶対やめた方がよかったよ」

 「まあ、言っちゃったもんはしょうがないじゃん」

 「うわ、どうなるか知らないんだから」

 そんなやりとりをくりかえしているうちに、生徒会室の向こうで激しくやりとりしている声がした。男子生徒の声だった。生徒会室を通って、廊下を覗く、そうすると、色白の短髪の男子生徒数人が、振出先生の周りを取り囲んでいた。

 「それに、感染者のやつがいるんだろう!」

 「そんな奴の言うことなんて信用できないぞ」

 興奮して掴みかかった生徒を、振出先生は、小さな声で抑えようとしていてよく聞こえない。

 「会長、これってどういうことかな……」

 「わ、私は感染してないよ、ずっとうちに引きこもってたよ……」

 振出先生の指導も効果がなかったのか大きな声で、男の子は叫んだ。

 くるみと私が後ろを振り返ると、祐は俯いてじっと立っていた。

 男の子は、祐の名前を叫んだのだった。

 

 

 騒動が落ち着いて数日後、生徒会室の掃除に出向いた私とくるみに、ちょっといいかなと消毒液の付いたクイックルワイパーを捨ててから、言った。

 「ごめん、やっぱり賛成できない、僕はやっぱりマスクを外すことには抵抗を感じるよ」

 祐は、私たちをチラッとみて、そのまま、俯いてしまった。長い前髪が、マスクにどどいて、目元は隠れてしまった。

 「ねえ、この間のこと気にしているの? 気にする必要なんてこれぽっちもないよ、祐は何も悪くない、それに、感染したのは親戚の方で、祐じゃないんでしょう? 気になんてしないよ」

  私はいつも通り、掃除の終わりに消毒スプレーを祐の手につけてあげようとしたが、祐は手を差し出さなかった。

 「そんなことないだろう、みんないつもいつも、あそことは付き合うなって言ってた。家でだって変なことをするなっていつも言われて、外にも出れない、何もできない、そんな中で、やっと外に出れた。僕にはもうそれで、それだけでもう十分なんだ」

 祐は俯いた顔を上げて、前髪の向こうから私を見つめた。そして、背を向けて、廊下へ飛び出していってしまった。

 「祐、待って!」

 「待ちなよ、会長」

 くるみは、そういって、祐を追いかけようとした私の手を掴んだ。

 「そっとしといてあげよ、副会長はさ、実際にお家の人が感染して、まだこのあたりでは誰も感染してなくて、辛かったと思うよ、祐のこと、そっとしておいてあげようよ」

 くるみの言っていることは正しい気がした。でも。まっすぐ見つめてくるくるみの視線に、鼻がむずむずしてきた。でも、それでも祐は手伝ってくれたじゃないか。マスクをしてでも。鼻のむずむずは止まらない。別にくしゃみを堪えているわけじゃないのに。

 「ごめん、私やっぱり祐を一人にできないよ!」

 私はくるみの手を振り払った。祐はいったいどこにいっただろうか、そう思った瞬間、私は走り出していた。でも、いくら探しても祐は見当たらなかった。それから、祐は学校に来なくなってしまった。

 

 

 クラスルームアプリを起動する。通常登校が始まってから、使う頻度は減ってきていた。いまでも教科の課題提出で使うことはあっても、以前みたいに生徒同士のチャット、分科会に参加しなくなっていた。クラスルームに上がったチャットは、リアルタイムで更新されていた。今日の課題の質問のコーナーと題されたスレッドをクリックする。

 『これってどういう意味だかわかる? 配信の動画だけだとわかんなくて、、』

 『それは、助動詞だからさ、接続を見るんだよ、そうしたら答えになるでしょう?』

 『結局、プレゼン資料は、チャプタ録画でいいんだよね??』

 『そうそう!』

   リアルタイムで追加されていく質問に、素早く答える人がいた。スレッドに上がっている体育祭が1番更新されていて、私は思わずクリックした。パッと映し出された、チャットの言葉をすぐに読むことができなかった。逸らした視線を画面へと戻す。

 『体育祭なんて、やりたいってどうしてなんだろう』

 『他のやつのこと考えてねーんだよ、会長さんはよ』

 『やりたいやつだけでやってればいいじゃん』

 スクロールすると、目に入ってくる言葉を読むたびに、胸の鼓動がよく聴こえてきた。たしかにそうだった、でも、誰かと何か作り上げることをやってみたかった。見たことも感じたこともない、沢山の人たちと、何かを作り上げてみたかったんだ。

 「だめかもしれない…」 

 デスクに頭を横たえる。視線を逸らしても、視界が涙で歪んでも、スレッドの言葉が頭の中で勝手に意識に昇ってくる。打ち消して考えないようにと振り払っても、またどこからともなくやってきた。鼻をすするとぐずっと、鳴った。ティッシュをとって、鼻をかむ。ぼーっととした頭を抱えて、ディスプレイに目をやっても、文字は頭に入って来なかった。もう寝てしまおう、と思った時、見覚えのあるアカウント名が目に入った。

 『H Y』

 怖くなって、一度目を瞑ってしまう。祐だ、祐がいた。まるで文字が読まれることを拒んでいるかのように、その文字がチカチカ点滅して見えた。強く目を擦って、もう一度画面に向かった。

 『俺もそうかなって、思ってたけど、そうじゃいかなって。でも、言わないとわかんないって思ったんだよね、ここにずっといる人って、俺ぐらいだから、ちょっと言ってみました』

  祐の言葉に続いて、スレッドがどんどん更新されていく。

 『ご意見どうもー』

 『教員も見捨てているようなスレッドなので、いつ消去されるがわからんが、ありがたいご意見に感謝』

 『青春ですよ、青春。俺にはもうない青春』

  新しい言葉に、祐の言葉が流されていった。キーボードに置いた手は震えていた。何度も何度も打ち直して、私は、言葉を打ち込んだ。

 『H M:久しぶりに、ここにきました。体育祭をやりたいって言う私の気持ちが先走って、みんなを置いてってしまっていること、本当にごめんなさい。でも、私も本当にできるのかな、って思ってます。だって、先生たちも知らないものをやろうとしてるんだもの。そうした時、どうして、私、体育祭をやりたいのかなって思いました。母が持ってたDVDを、小さい頃から何度も何度も見てました。300人もの人が集まって、何かを作り上げていたことに驚いたんです。もう何百回みたかわからないくらい見てます。私は、たくさんの人と何かを作ってみたかったんです。本当は、私も、マスクを外すことが怖いです。学校に通って、誰かと何かをすることが怖くてたまらない。でもこのままじゃいけないと思うんです。だから、別の形でも、みんなとできること、作ってみたいんです』

 パッとスレッドに上がった、自分の言葉をみた時、支離滅裂だ、やってしまったと思った。私には、この先に続いていく、スレッドの言葉を見ようとすると、ピクピクと内腿が震えた。止めようにも止め方がわからない。それでも、ぐっと踏ん張って、画面を見た。

 『HY:会長、こんなところまで追っかけないでください。みんなあなたみたいに、強くないんだ』

 その言葉を見た時、画面が歪んだ。ガツンとディスプレイを叩いてしまいたかった。けど、ディスプレイに映った、拳を振り上げた自分の顔を見た時、ふっと力が肩から抜けた。

 「私は強くなんかない」

 ディスプレイを閉じて、そのままベットに潜った。

 

 翌朝、気分は最悪だった。閉じたパットを開きもしないで、鞄に入れる。ずっしりとして、いつもより重たく感じる。外に出ると、顔がやけにむずむずして、落ち着かなかった。いつものように、マスクをしないで、家を出る。けれど、本当はずっと通学中はマスクをしていた。野原高校の生徒の通学が少ない道を通っていくのだ。そして、学校に近くなり出したところで、マスクを取ってしまうのだ。学校に着くと待っていたかのように、振出先生が教室へやってきた。呼ばれた時はビクッと肩が震えた。生徒会室に入ると、そこには祐もいた。昨晩のクラスルーム内でのやりとりをすべて振出先生は知っていた。クラスルームでのやりとり、私と祐の発言。そして、そのあとスレッドがどうなったのか。言い出そうとする振出先生の言葉を私は聞きたくなかった。

 「いいです、私が全部悪いんです。後先なにも考えずに突っ走って。私にはできないんです、そんなこと」

 「さいごまで、話を聞きなさい」

 俯いていた顔をあげて、振出先生を見る。振出先生は、祐を見ていた。視線を追うと、祐はまっすぐ私を見ていた。

 「会長、これ見てくれますか」

 祐は、抱きしめるように持っていた、パットの画面を差し出した。パットには、昨日の晩に見つめ続けた、クラスルームの表示が映っていた。私は、目を逸らしたくなる。

 「どうして? もういいよ、私は…」

 「読んで、欲しいんです。会長は読むべきだと思うんです」

  祐は、そう言って、ぐいっと、私の手に押し付けてきた。パットの画面は拡大表示されていて、一眼見るだけで、その文字は目に飛び込んできた。

 『お前は、何様なんだって、強くないから何だよ』

 『やりたいやつがやればいい、俺のスタンスは変わらないね』 

 『でもさ、何かやりたいっていうのはいいんじゃないんの』

 そのあとのスレッドの言葉は、私を肯定する言葉が続いていた。まっすぐ見つめる、祐の目は、澄んでいた。

 

  体育祭開催当日。体育祭は、自粛に耐え続けた地元住民も臨んだ大規模な行事となった。

 広い校庭の真ん中で、小型通信機と、校内回線とリンクさせる。

 「みんな、参加してくれるかな」

 「うーん、どうだろうなあ」

 ははっと自信なさそうに祐は笑った。その笑い声と共に、通信機は飛び上がる。各学年、20年前のダンス動画を参考に、1ヶ月間体育の時間を使って、練習を重ねた。マスクをつけても踊れるように、激しい振りは簡単なものに変更してしまったが、学年カラーにそれぞれがマスクをデコレーションしあった。 

 「会長は、そのデコレーションをするために、つけてきたんですか?」

 学年カラーの赤地に、ふわふわのポンポンの小さいのを縫い付けてあった。

 「もちろん! 祐のは綺麗な雲のマスクだね」

 「これは、クラスの子のお手製です」

 着け心地がとてもいいんですよと祐は、マスクを指差して、顔を突き出して来た。

 「触っていいの?」

 「どうぞ、減るもんでもないですし」

 恐る恐るふれた、マスクの手触りの滑らかさに、びっくりして、手を引っ込めた。

 「雲のところがなんかひんやりしてた」

 「ちょっとそういう素材らしいです、よくわからないですけど」

 感染が怖くてが学校に通えていない子、マスクが外せない子、マスクも外せるし、学校にも登校できる子、無理に周りに合わせている子、どれが一番いいなんて私には言えなかった。誰かと何かをすること、そのことの難しさに諦めていた私に、祐は提案をしてくれたのだった。オンライン上でのダンス動画の編集だ。すでにある20年前のダンス動画と、新しく撮影したダンス動画との融合だった。家で勉強を続けている子も参加できるように、いつでも動画を追加編集することが可能になっているのだ。学校内の電子掲示板に、常にリアルタイムで配信を続けてきた。初めは、生徒会の3人で踊った動画と、20年前のダンス動画だけだったのが、数日経つごとに、少しずつ動画が増えていくのがみてとれた。学年カラーのジャージと、帽子が目に眩しい。曲が鳴り出すとともに、揃えた動きで、一斉に顔が上がって、動き出す。

 「1・2・3・4!」

 その20年前のダンス動画の周りに、共有編集された、別の動画が表示されていた。同じ振り付けで、テープで作ったポンポンを使って、踊っていた。中には、学校には通わずに、自宅でオンライン授業を受け続けているシンジの動画もあった。生徒会議室で、騒いだ男の子たちの動画もあった。生徒会メンバーで動画を作ったとき、意外にもみんなと息を合わせて踊れたことが一番、面白かった。

 

 パン! パン! と校庭で、早速競技が始まった。生徒たちが、教室の窓から応援する声が聞こえてくる。ちらほらと校庭に集まって来たのは、競技に参加したい生徒だけだ。いくつか競技を行った後、『借り物競争』の募集が始まった。『借り物競争』は、何か変わった競技がしたいという、スレッドのアンケートで出てきた競技だった。せっかくマスクをデコレーションしたのだから、何かそのマスクを使って、競技をできないかと言う事だった。

 「初めに、マスクを登録しておいて、そのマスクを探していこうよ」

 祐は、クラスルームに生徒たちのマスク画像を登録するフォームを作ってくれた。すでに配信されたメッセージに従って、出場希望の生徒が校庭の中央に集まってきた。

 「あれ、会長も出場するんですね」

 くるみが走って近寄って来た。くるみもマスクを今日はつけていた。白地に緑のストライプが入ったマスクだった。

 「ちょっとやってみたくなっちゃった」

 「私もです」

 持っていたパットに、ランダムに選択された、マスクの画像が表示された。

『以下のマスクを借りて来た人が勝者です! ①  青空 ② 紅葉 ③葉っぱのデコレーションがされているマスクをさあ、探してきてください!』

 メッセージが発表されて数分後、各教室から、歓声が上がっているのが聞こえた。窓から手を振る生徒の姿も見えた。その歓声の声をたよりに、メッセージを確認した生徒たちが一斉に、校舎の中へと駆け出していった。メッセージを見た瞬間、パットを校庭にとりあえず置いて、私は走り出していた。先に走っていったはずの生徒が、一時停止を担当の先生に指示されていた。

「なんでー知らないよ!」

「ちゃんとメッセージに書いてあるでしょう。それも競争を楽しむためのルールの一つだよ。はい10秒待機!」

「ひどい、私に気づいてみんな消毒してくじゃん!」

 校舎の中に入るには、しっかりと手洗い・消毒を済ませてからではないといけない。近場の手洗い場所で、手を洗ったことを担当の先生に見せてから、校舎に入るところで消毒マットを踏みつけて、外靴も消毒した。10人くらいの生徒が、各学年の教室へと進んでいく中、私は、高校2年生の教室へと足を進めていた。

 「あ、先輩! お先に失礼」

 螺旋階段で、二段飛ばしで、くるみが颯爽と駆け上がっていく。

 「く、くるみ、まさか」

 「青空模様のマスクって言ったら、祐のマスクしかないよね!」

  息も切らさずにかけていく、くるみの姿に、負けじと後を追いかけていく。

  高校2年生の教室は、4階建ての校舎の2階から3階にあった。廊下に入っていくと、廊下側の窓から、たくさんの生徒がこちらを見て応援してくれていた。

 「おーキタキタ!」

 「会長ー頑張ってー!」

 「ありがとう!」

  手を振ると、クラスのみんなが手を振りかえしてくれた。祐のクラスは、2年4組だった。この廊下をまっすぐいけば、会えるはず。先をゆく、くるみはどんどん先に行ってしまって、このままじゃ負けてしまう。くるみは、先に2年4組に入っていったが、すぐに教室から出て、中央の階段から下へと駆け降りて行ってしまった。

 「古所くんっている!?」

 「いないっす! 多分、生徒会室だと思いますよ!!」

 即答してくれた男の子の顔に見覚えがあった。生徒会室で、祐のことをバラした子だった。でもその顔にあの時のような、不安に怯えた表情は出てなかった。つけていたマスクは青地にもこもこの羊が眠っているデコレーションだった。

 「そ、そのマスクって……」

 「早く、早く!!」

 「わっわかった!」

  私は、階段を駆け降りる。くるみはどうやって生徒会室までいくだろうか。考えながら走っていると、教室から「えー!」と何かが起こったのか、騒がしい声がした。

 「ディスプレイが繋がらないー」

 「通信量が重いんじゃない!?」

 「誰か詳しいやついないのかよー」

 その声にふと気がついて、校庭を見ると、校庭の真ん中で、青いマスクをした生徒が、通信機をいじっている姿が見てとれた。 2階の非常階段から、校庭へと直接降りていく。

 「祐!」

 「あっ会長、すいません、回線状況がよくなくて、どうやったら繋がると思います?」

 「そんなことよりも、一緒にきて!」

 「え、そんなに大事でしたか?」

  祐が持っていた小型機を受け取って、とりあえず作業台の上におく。

 「祐、走るよ!」

  小型機を掴もうとした祐の右手をとって、ぐいっと引っ張って、私は駆け出した。

 「ええ! 待ってください、会長!」

 引っ張られた勢いに、祐の足はもたついていたけれど、私は構わず走った。

 「お題のマスクをつけた生徒と共に校庭の一周を経て一番にゴールした者が勝ち、そう皆んなで考えて決めたでしょう!」

 「ま、まさか僕のマスクが選ばれて?」

 「そういうことだよ! もしかして仕込んでた?」

 「そっそんなことないですよ!」

 校庭へと飛び出して行った私たちを見て、教室内のディスプレイで見ることができなくなってしまった生徒たちが、声をあげていた。

 「会長ー!」

 「あっ副会長じゃん!」

 「ディスプレイ直してー!」

  校舎から離れて、校庭を半周する。視界から校舎が見えなくなると、妙に背中が熱く感じた。祐と繋いだ手に汗を感じる。はじめは私のスピードにもたついていた祐は、私と肩を並べて走ってくれた。

 「苦しい!?」

 「まだ、大丈夫ですよ!」

 半周を走り終わったところで、校舎からさらに歓声が上がった。後ろを振り返ると、くるみが同級生の男の子と一緒に走っているのが目に入った。

 「祐、もっと行くよ!」

 「はい!」

 自然と蹴り上げる足が、揃い出す。前へ前へ。校庭の砂が舞い上がっていくのが見えた。最後のカーブを曲がって、そのまままっすぐ、ゴール地点に引かれた白線を目指して駆けていく。ああ、もう終わってしまう。隣で、リズミカルに息を吸う祐の声が聞こえる。長い前髪は、風を受けて、額をあらわにしている。滲み出した皮膚の上の汗が、太陽の光に照らされている。左足と右足で、白線を同時に踏んだ。そのままの勢いで、だんだんとスピードは緩まっていく。校舎を見れば、何人もの生徒がこちらに向かって、手を振っていてくれるのがわかった。けれど、体が苦しくて、息ができない。そっと差し伸ばされた手が、私のマスクに触れた。耳に掛かったマスクの紐を取って、マスクを外してくれた。すうーと息を吸い込んだ。

 「会長、いつもつけてないのに、走るから」

 祐の向こうの空は、祐のつけたマスクのように澄んだ青色だった。

 「一緒に、走ってくれてありがとう」

 「会長はいつも突然すぎますよ」

 祐の顔は見えなかった。でも、きっとマスクの下で笑っていてくれている。そう思えた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

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