流しの星

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梗 概

流しの星

カイは、流しの歌い屋であった。かって声帯をいためたがリハビリしていた。小銭をためては、星から星へと渡る生活をしていたが、追い立てられてうまくいかないことが増え、長距離の大型旅客宇宙船に乗った。大部屋が数十。折を見ては船室を回り歌を歌った。いくつめかの部屋で、歌い始めると途端に、背の高い女性が取り巻く若い男たちに命じ、カイは放り出された。取り巻く子供のような女のひとりが、マヤと名乗り、カイにまとまった金を渡し、歌わないよう頼む。金に文句のないカイは静かに過ごし、新宙域一つ目の星で下船する。背の高い女の一行も下船し、うち一人であるマヤは、同じ星で降りることを嘆いて去った。
 いくつかの町を回って歌った。この星でも最も大きい町の広場では、また若い男たちがやってきて邪魔をした。
リクと名乗る中年男が訪ねてきて、無料で自分が守るからしばらくこの町で歌うことを依頼し、リクにいわれた場所でカイは歌った。都度、若い男たちが邪魔しに来たが、リクの配下が阻止した。
 ある時、マヤが訪ねてきた。理由を言わず、去ってほしいと頼む。リクがきて、マヤの母親が去るまで続けるという。
 マヤの母親は、妖しい容姿で男に近づき、共に過ごした男は繰り返そうとするので、置き屋元締めのリクの特に上客が減っていた。マヤの母親は、かっての独裁国が開拓団をつくるために形質を操作された女性の子孫で、男性の精子を受精嚢に保存し、妊娠管理に特定の音を使い、多胎妊娠し連続出産するのである。その乳汁に中毒性がある。生まれた子たちもそれをもらう限りは完全に成熟はできず、母親のために働き続ける。
 カイの声は妊娠開始のシグナルに似ていたため、調整音叉も使わないのに下船後4人生まれた。その後、この町で一族を大きくするために多くの男たちに近づいてきた。
 繁殖力も結束も強く、多くの町が、実際はこの改造人に仕切られていた。前いた場所でこのため商売がうまくいかなかったリクは、独裁国の資料から音によるコントロールを知り、カイに対する反応であたりをつけた。彼は、どんどん出産させ、まだ多くない年長個体の手をふさぎ、共倒れさせようとした。
 カイは馬鹿馬鹿しくなったが、リクは、さらに金を提示する。録音技師とともに、母親の居場所の近くでカイは歌い、とりまく若い男女の抱く赤ん坊が増えていく。
 リクが、妊娠コントロールの音の条件がわかったと、終了を宣言する。カイのまえに成長したマヤがあらわれる。マヤは監禁されたまま、音にたいする反応を調べる対象にされたのだった。母親の元に戻れないとマヤは泣く。長く母を離れたマヤは成熟していた。カイはマヤと夜を過ごす。マヤから、乳汁がた。
 カイは朝食時、リクに挨拶に行き、密かに乳汁を飲み物に混ぜる。そして、コントロールできるならむしろ母親と手を組んだ方がいいのではないかと提案する。非常に上気した顔で、リクは会いに行くと答えた。
 マヤとともにカイは去った。マヤはすっかり背が伸び、カイが小声で歌うと、うれしそうに笑う。そのうち、腹が大きくなってきた。彼女は、あたらしく一族をつくるつもりのようである。

文字数:1288

内容に関するアピール

増えるというといまどきは子供が増えてほしいですね、というところから考えました。
 どんどん増える一族がやってきて困るなあ、という話なのですが、結束力も繁殖力も中毒性も高い一族ですから、けっこうな範囲で実際は町を仕切っていて、ひとつの家族がまだ自分らの一族のいないあたらしいところに移って勢力を広げようという時に、まきこまれた芸人と、対抗したい商売人の話です。ふたりとも流されてしまいますが。
 この一族のやってることのイメージは、分蜂(蜂の巣分かれ)という、身もふたもないものです。集団としてうごくコワさをむしろ表現するほうがいいかもしれません。
 本当は、家族本体が退治されてしまって減るオチにしたかったのですが、そこにたどりつかなくて残念です。実作で考え直したいとは思っています。

文字数:339

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流しの星

石畳の広場の一角の、オープンテラスに並んだテーブルに向かって、カイは掌弦を扱って伴奏を流しながら、歌を歌う。
 カイは歌い屋である。あちこちの広場にいっては、稼いでいた。珍しい発声なので、面白がって金を出すものがどこにいってもいた。
 自前の歌もある。リクエストにも応える。リクエストもないときは、行政府の、その週の公布内容を朗々と歌い上げるのも仕事なのである。それが退屈でかなわんと思った客が、リクエストをくれる。うるさいといわれたら遠ざかる。節回しがよくて聴いて楽しければ、通行人が金をはずんでくれる。
 下層民のやりとりが、個別の端末同士のやりとりに制約され、広域での情報のやり取りが制限されてすでに長い。端末も持たないものが増え、この手のことで情報を手に入れるものも多い。
 広場を囲む石造りの家に声が反響する。リクエストが終了し、テラスに背を向け広場に向かって宇宙港の運用について語り上げていると、むこうから若い男たちがやってくるのが見えた。
「またか」
 この町でははじめてだが、いままでにいろいろな町を回ると、おなじような若い男たちが、やめてくれといってやってくるのである。カイは思う。
(4か所目できたか。結構早いぞ)
 宇宙港の運用を語りおわって、下水の使用注意にかかるところで、若い男たちはカイの前に立った。その3人は、カイと同じ程度の背丈で痩せており、作業シャツに似たような緑のチョッキを着ている。カイはもう彼らほど若くない。中年にさしかかり、髪はたっぷり残っていて、じゅうぶん声を反響させるにはすこし体が細い。
 3人のうちふたりがめいめい、カイをぼんやり見ている数人の老人や子供を散らし、ひとりがカイに向かう。カイは、いつも首に巻く短いストールの裾を引き上げた。
「話してもいいか」
 ただ叩きだすのではないらしい。ちょっと違うパターンだなと思っていると、男たちのうしろから、少し太った、身なりのいいやや齢のいった男が出てきた。少し禿げて、太っている。赤ら顔で、眉が太かった。若い男たちは場を開ける。
「おごるから、ちょっと座らないか、名前はなんだ」
「カイ」
「俺はこいつらの、まあ、団長だな、団長でいいよ、カイくん」
 何かありつけられるならそれはそれでありがたいと、カイは、団長について、一段高いテラスにあがった。並んだ白いテーブルに、団長に目配せして挨拶している客が何人かいるので、ここではそこそこ知られた男ではあるらしい。なかほどの小さなテーブルに団長が座ると、客たちは、示し合わせたように、自分たちの話に帰っていった。カイもゆっくり向かい側に腰を下ろして言葉を待った。
「かわった声だな」
「低い声と高い声が一緒に出せるんです、その気になれば自分で二重奏できるのがウリでしてね」
「そうか、おもしろい」
 面白くもなさそうに団長は言う。
「その面白い声なんだが、この界隈じゃ遠慮してくれんか、いまはちょっと大切な時期なんで、わざわざこの俺がきたんだ、いらない恨みは買いたくないからな」
 団長は右手を挙げた。テラスの下から、若い男があがってきて、カイの胸元のカードに向けて、手元の端末を操作した。カード表面にうかんだ数字を見るカイに、団長は話をつづけた。
「おごりは、これくらいでどうだ、当然、それは、ここからずっと、このへんでは歌わない、という条件付きだ」
「けっこうな額ですね、文句ないですが、なんで歌い屋がそんなに邪魔なんです」
「説明は面倒だからしない、それも混みだ」
 団長は、奥に向かって声をあげた。
「ミルクだ、2つな」
 そしてカイを見た。
「ここのミルクはうまいんだ」
 白い服を着た店の男が盆をもってきた。テーブルに置かれた背の低いカップに入った、白っぽい濁ったものを、団長はカイにすすめた。
「どちらでもいいからとれ」
 カイが、団長の側のものに手を伸ばすと、団長は苦笑いをうかべて、もうひとつのカップを口に運んだ。それを見てカイもゆっくり口をつけてたちまちせき込んだ。思わず首のストールをゆるめる。
「びっくりしたろう、これは、まあ、どぶろくみたいなもんだな」
 団長は、喉の音を立てて飲み干し、カップをテーブルに置いた。
「ミルクは、俺は、これぐらいしか飲まんのだよ、まあ、ゆっくり過ごしてくれ、ただし、歌うな」
 団長は、若い男たちを連れて、広場の向こうの路地に去っていった。
 カイは、金になって助かったと思った。おいだされるだけ、ということも多かったのである。そういうもの言いをつけられるところは、へんに派手な灯りのおおい地域でもあったが、肝心の理由についてはさっぱりわからなかった。

金ができたし、この星ではあちこちで追い立てられたので、違う星に行こうと、カイは思った。宇宙港については何度も歌ったのでよくわかっている。
 この星どころではない。この宙域では、どの星でも似たようなやりとりで歌をやめさせられた。当局に申し出ても相手にされない。ほかの宙域の方がいいのかもしれないと思ったカイは、ひさしぶりにやや遠い宇宙航路の船に乗ることにした。
船がまわって来るまでに、10日ほど待たねばならなかった。
 数十万人乗り込む球形のでかい船である。居住宙域ごとにゲートがあるが、ゲートができるのは地理的条件に従うので、むしろ、ゲートごとに居住宙域があるというほうが正しい。ゲートは発見されるだけで人工的に再現はできないが、利用することはできる。
「毎回火山に飛び込むようなもの」と、ゲート利用の始まったころはいわれていたが、ひとびとが慣れてしまった今となっては、球形の宇宙船がぷりんとゲートに入ってほかのゲートからやはりぷりんと出てくるのを、珍しく思うものはいない。
 ゲートからゲートの距離にかかわらず、かかる時間は、宇宙船内でも通常空間でも、数週間である。そのあいだ、払った金に応じた空間で乗客は時間を過ごす。
 何か所も、数十メートル四方のドーム空間がある。乗客管理のためにはたまに広い空間に人間を出した方がいいということになっているらしかった。
 定時に隅の方で礼拝している人らがいる。礼拝するような信仰を持つ者は、礼拝する方向が分からなくなるようなものには立ち入らないのが基本なので、たいへんマイナーな分派なのだろう。たいがいは知り合いが連れ立って話しており、知らない相手に声をかける元気なものもいる。
 金を稼ぐためにカイは歌った。やや小さい声で、その分、高い声と低い声を多彩に使うと、とくに子供は喜んだ。すこしは金になる。船からの告知事項を仕入れて歌うと、聴く人数に合わせて胸元のカードに金が入るのがわかった。塵は積もるのである。
 礼拝者のすくない、歌いやすいドームに、3度目にいったところで、あちらから、作業服のようなシャツに緑のチョッキを着た若い痩せた男と、さらに年少の、濃淡のある黄色い布を体に巻いた少女が、カイに近づいてきた。歌をやめてくれという今までの男たちに、雰囲気が大変良く似ていたが、カイは気にせず歌い続けた。
 そばに来て、若い男が何か言おうとするのを、少女が止めた。カイが歌い終わるのを待って、少女が声をかけた。
「ごめんなさい、お願いがあるの」
 すこしうんざりした気分でカイは、衣からでる、黄色い髪もろくにそろえたように見えない、鼻の低い丸い顔の少女を見下ろした。
「歌うのをやめてくれってかね」
「そう、ちょっとまってビリ、私がいうから」
 少女は若い男を止めるしぐさをして、つづけた。
「お姉さんの具合があまりよくなくて、あなたの声がすごく響くのよ、あなたの声はきれいなんだけど、ちょっとダメみたいなの、私たち人数が多いから、ほかにいっしょにいられる場所がみつからなて」
 カイは、表情をあらためた。
「そういうことなら、よそでやるよ、お姉さんによろしくな、ええと」
「マヤです、ありがとう、お名前は」
「カイ」
「ありがとうカイ」
 去っていく二人を見ながら、カイは、腰の水筒に手をやって、水を口に流し込んだ。
 違う広場をまわってちまちまカイは金を稼いだ。船は宙域をまたいで動き、新しい宙域でひとつめ、まだ移住がはじまって数十年しかたっていない星につくころ、大部屋の、カイの部屋のものたちが騒ぐのでカイも目を覚ました。金がない、と叫んでいた。カイは、自分のカードを見た。エラーが出ている、
 その部屋だけでそれはおこっていた。宇宙船の行政支所に呼ばれて行き、上級クルーが並ぶ器械をいじくる中、カードのデータの修復が何人かはうまくいかず、カイについても、この船のなかで稼いだ分しかもどらなかった。
「冗談じゃないぞ」
といっても、それ以上のものは得られない。乗り続けることもできず、つぎの星でカイはおりることにした。
 広場に、上空から延ばされた昇降口があいて、客たちが出ていく。昇降口の場所が少々ずれてもいいように、登録所まではずいぶん間がある。天気は良く、青空の下、整地された上をぞろぞろ客たちは歩く。
「カイ」
 振り返ると、カイの後方をまとまって歩く集団から、少女が足早にカイに追い付いてきた。
「カイさん、ここで降りたんですか」
 そうだよ、と答えると、マヤは、そうですか、と気落ちしたように肩を落とした。カイは、すこし気分を悪くしたものの、お姉さんの具合はどうなんだと訊いてみせた。
 マヤは、あんまり体調が悪くてのっていられなくなったんですと答えてすこし微笑んで見せ。そのまま、集団に戻っていった。青いチョッキの男たちが集団には何人もいて、ビリと呼ばれた男がどの男だったかはぜんぜんわからない。マヤの黄色い衣は、その中に紛れ込んでしまった。
 カイは、登録所に向き直って、足の動きをはやめた。

宇宙港につながる町に入ったカイは、登録されている歌い屋がほかの町にいっていることを確認して、次の朝から、広場の隅で、行政所の告知を歌い始めた。
 開けてやや新しく、人口もそれほどない星だが、この町はさすがに場所柄、広場のまわりは多層の漆喰造りの建物が取り巻いている。この星で唯一、電力が豊富に供給されていた。規模は小さい。
 多目的礼拝所がそばにあり、多くの移民は、それぞれのグループで固まって礼拝している。個人間の通信はあくまでも個人間でしか行えず、多数の人間の交流できるシステムは一般移民には禁止されている。信仰の違う者同士の軋轢を防ぐために統一的に採用されたシステムなのである。
 一般移民たちにはほかにも、興奮性の神経活動がおさえられる遺伝子操作が行われていた。そのため危機対応が遅れて、死ぬものもいたのだが、集団相互の抗争は確実に抑えられていた。カイが、カードの金がなくなってもすぐにあきらめてしまったのもそのせいであった。
 広場で歌ううちに、むこうの建物の横からふたつの人影が近づいてきた。カイは、歌を止めた。緑のチョッキを着た若い男たちである。船で見た連中なんじゃないかとカイは思った。
「あんたの歌は、ここではやめてくれ」
「いちおう公認の歌い屋で、行政告知してるとこなんだけどな」
「声が響くんだ、もうちょっと離れたところか、閉じた部屋でやってくれ、ここでなければいいんだ」
 何度も繰り返されたやりとりである。いままでの町で、妨害されると行政所にかけあっても、曖昧な相手をされるだけで埒の空いたことはなかった。カイは、水筒の栓を外して、水を喉に流し込んだ、そして、首をふりながら、ふたりに背を向けた。
 夜、広場から離れた地下の居酒屋で、カイは歌った。薄暗い中、ちいさなテーブルが10ほど並び、すこし広いだけの隅で歌う途中、目の前のテーブルに、髪を刈り上げてすこし太った、色の白い、カイとあまり歳のかわらなさそうな男が座った。
 カイが歌い終わると、まばらな拍手が起こる。男は立ち上がって拍手した。ほかに立ち上がった客はおらず、男はそのままカイに声をかけた。
「うまい、うまい、なああんた、ここに座ってくれないか」
 これがおごりでないことはないので、すこし愛想よく握手しながら、カイは、そのテーブルについた。男は、リクと名乗り、カイに、食事と飲み物のコップをオーダーした。
「うまいというか、面白い声だね」
「高い声と低い声の二重奏ができるのが売りでね、もちろん別々にも出せる」
 その声で、どこにいってもそれなりに珍しがられて、金にはなるのである。
「二重か?かなり高いところにもうひとつ音が出るな」
 カイは黙り込んだ。頭の中に響く自分の声を、外から聞き分けられるものがそんなにいるとは思っていなかった。
「ああ、俺もちょっと珍しい耳してるんだ、むかし耳を傷めて、手術したんだが、それ以来、ふつうきこえない音域のものがきこえる」
 いきなり立ち入った話になってしまった。そういうことかとカイは思い、首のストールをゆるめてみせた。喉に、外から固定具を止めた瘢痕がある。
「俺も、むかし喉の怪我しましてね、たまたまかかった医者のおかげでこうなったよ」
「横流しの身体修復材だろう」
 カイは苦笑いした。
「正規じゃ取引できない星のもんだったからね、珍しいものがいろいろあったらしいがね、星ごとたたきつぶされて、あれはずいぶん惜しいことしました、俺にはぎりぎり安く入ったんだけど」
「なに、核心技術はだれかがしっかり握ってるさ、もう俺たちの所に降りてこないだけでな」
 リクは酒をカイに勧め、カイは遠慮なくコップを干しながら話の相手をした。
 歌って回って、稼げるもんなのかという、よくある問いには、
「個人の広範囲通信禁止措置で、おもて側のお店に呼ばれることが増えましてね」
と、いつもながらに答える。リクは、自分も飲みながら、鼻で笑った。
「音声や動画を流通させ、どこのだれとでもやり取りできるといったって、それをしたがる連中がいなけりゃシステムの維持はできんから、はじめから制限するのは理に適っとるよ。むかしはそれをしたがる連中がずいぶん多かったらしいんだけどな、なんでこんなに少なくなったかわかるか」
 なぜ、こんなに上からの目線で話をするのだろうと思いながら、カイは、首をすくめて見せた。
「そういう連中は、それに夢中で子孫を残せなかったからね」
 リクは、冗談という顔も見せず、手を上にあげた。
「とんでもない手術ができるようになって、たくさんの人間が星をいききして、えらい連中はすごい暮らしをしてるんだろうが、下半分のものは、まあこんなもんだ」
 しかし、そのしぐさは、たまに行政所や金のかかる店に呼ばれたときに見ることのある、もっと「上」の者たちのそれに似ていた。
 天井からは、灯りとともに船のデコレーションがぶら下がっている。薄暗い。この店はここができてから数十年この状態でやってきたのである。こういう場所は、これからもずっと、このままなのだろうと、カイは思った。
「昼間は、なんだか、からまれていたな、面白い声なんできいてたんだが、ここで聴きなおせてよかったよ」
 カイはコップをおいた。
「見てたのかね」
「ああいう連中は困るよな、俺はあんたの声が好きなんだ、ちょっと相談がある、金にはなる」
 いきなり踏み込まれるのは気持ち悪かったが、金はないので、カイは話を聞き続けた。

準備ができるまでと連れていかれたのは、町のはずれの、農地のなかに数軒点在する、赤い泥レンガの家であった。肌の黒い夫婦に、リクが話をつけた。
 家のまわりは土が露出し、鶏小屋が柱の上にあった。鶏を襲うようなものがこの星にいるのかときくと、たまに町のやつが盗みに来ると夫が答えた。
 定住者のところに滞在することはあまりない。歌いもしないで、家の横の背の低い道具入れの小屋にしいた藁にもたれ、あけはなした戸口を通し、家の外に広がる、低い草むらのような畑をみていると、離れた畑に、黄色い衣をまとった子供が何人もいるようだった。
「どこまで畑なんだい」
「相手できるところまでだよ、自分が食って、のこりをもっていって必要なものが手に入ればいいからな」
 ときどき、鶏や、促成山羊が家の中にまで入ってくる。豊かではある。夕方、庭で火を焚いて鍋に白く練ったものを、汁物といっしょに、妻の方が運んできた。
「遠くで子供がなにかしていたね」
 妻は、カイの顔も見ずに答えた。
「畑を手入れさせてるのよ、なにか分けてくれといってきたからね、仕事させないと、盗まれるかもしれない。いつまで手伝えるかわからないというんだけどね、いなくなったら手を入れられなくなるかもしれないから、無駄になるかもしれないね」
 こんなにやる気のないものなのかと、カイは思った。数日たって、リクがやってきた。
「じゅうぶん休んだかい、これから、いったように日に2回、こちらの指定するところで歌ってもらう」
 それだけが条件だった。
「客から金をもらうならいくらでも貰ってくれ、足りなければ、ちょっとは被ってやる。邪魔のないよう守ってやる、これは無料だ、あくまでも、こっちの指定するところで歌えば、な」
 朝と夕方、カイは広場で歌をうたい、行政告知を語った。はじめ、若い男たちがとびだしてくるのが見えたが、棒を持った男たちに阻まれてカイのところまで来れなかった。
 歌わない間は、宿にしている、広場の裏手の2階屋で休む。
 何度か歌ううちに、リクのつれてきた背の低い男が、カイに小さな器具をむけているのに気づいた。どこかから引いてきたケーブルがつながっている。電気を持ってこれるものは限られる。
 数日して広場の様子を見に来たリクに、カイは訊いた。
「あんた、電気が自由に使えるんだな。上の側の人なのか」
「気にしなくていいよ」
 リク手を振って、かぶせるように言った。
「明日からちょっと違うところで歌ってもらう、人もいないけれど、金はちゃんと払うよ」
 翌日むかったところは、少し外れた家の裏で、カイは、壁に向かって歌わなければならなかった。歌い始めると、家の向こうで叫び声がして、いろいろものを叩く音も聞こえてきた。
 2日たったところで、またリクが、場所をかえるといってきた。
「金に文句はないんだが、だれもいない壁の裏は勘弁してくれないか、馬鹿みたいだ」
「いろいろ逃げるもんだからな」
「広場で歌ってはいけないのかい」
 カイは、ふと気づいた。
「邪魔する連中から守るといってくれてるけれど、そいつらのところでわざわざ歌ってるんじゃないだろうな」
 リクは、表情を変えず、カイの顔も見なかった。
「金は、もうちょっと被ってやるから、続けてくれ」
 歌う場所と宿との間にも数人、やや歳がいって髭のある背の高い男と、中年で色黒で髪のない太った男がついてくる。二人とも似たような灰色の、ゆったりした上下を着ていた。
 太った男は、宿の階段を上がってすぐ、カイの隣に部屋をとっていた。部屋にいるときは、戸は開け放しにしていた。
 夜、酒場に歌いに行こうと宿の部屋を出て、階段を降り、狭い食堂の横を通ろうとすると、そのときは宿の入口の安楽椅子に座り込んでいた、太った男が、
「俺はついていかないから、気をつけろよ」
と声をかけた。
「何に気をつけるんだ」
「そりゃ、あんたに歌わせたくない奴らさ」
 そして、そばの宿の子供相手に、手持ちカバンほどもない木製のちいさなピアノに屈みこんで、音を鳴らして見せた。
薄暗い外を見渡す。視界の隅の違和感に、体を横に向ける。やや遠くの塀にもたれて、緑のチョッキの若い男が、こちらをじっと見ていた。
「こんなことになるなんて聞いてないよ」
「悪かったな、もうちょっと金にならないかきいておくよ」
 ピアノの鍵盤を叩きながら、太った男は答えた。

数日後の夕方、カイは、宿の低いベッドに横になっていた。まだまだ金はたまらない。リクのいうとおりに出ないと危ないというのでは、身の動きも何もとれない。話に乗ったのはまずかったかもしれない。船で、あんな具合に金が消えなければ。
 板窓のあいだから入る光も薄くなり、うすい水色のきたない壁紙の模様は見えなくなった。立ち上がって天井からぶら下がった明かりをつける。下層ものが暮らす建物にも、灯りに使う電力は供給されるのである。
 木のドアを、遠慮がちにたたく音がした。カイは、開け放しにならないようフックをひっかけて、ゆっくりドアをあけた。目の前には誰もいない。廊下は暗い。
「カイさん、マヤよ」
 声は下からきた。みおろすと、マヤが見上げていた。前に見たのとは全く違う、色の深い厚い布を、頭からかぶって顔だけ見せている。その顔も、部屋の明かりが隙間越しにかかっているだけである。
「お願いがあるの、いい?」
 相手は子供であるが、なにがおこるかわからない程度のことは、カイにもわかっている。
「君の連れたちは、俺を邪魔したいんじゃないのか、つまり、君もおなじ目的で来たんだったら、このまま話をしてくれ」
「着るものをかえてなんとか私だけ入ったの、なにもできやしないわ」
「何の用だい」
「いまはないんだけど、そのうちもっとあげるって」
 マヤは、胸元から端末をだして、戸口の隙間からカイのカードに向けた。表示を見る。数日の稼ぎに相当する額が出ている。
「私たち、着いたばかりでほんとうになにもないの、私たちがとりあえず町中まわって稼ごうとしてるんだけどまだ人数もいないし」
 畑で見たのはやはりこいつらの仲間だったか、マヤ本人もいたのかもしれない。
「あなたが歌うと、お姉さんが動けなくなっちゃうの、私たち、お姉さんがちゃんとしてくれないと困るのよ、お願い、あまり近いところで歌わないで。いまはこの額しか認証できないけど、またみんなで稼いだら、あげるから」
 いきなり、廊下の向こう、階段から、つよい光が差し込んだ。マヤは顔を光に向けた。フードになっていた布が頭から外れ、黄色く短い髪に、きりっとした顔の少女が、口をなかばあけたまま、また、ドアの隙間越しにカイをみあげた。大きな目に光が反射した。
「あー、すまんね、知らせてくれて」
 リクの声である。宿の下男がそばにいるようであった。カイは一度ドアを閉めて、フックを外してドアを開けた。思わぬことに、マヤが部屋に入り込んできて、カイの後ろにまわった。
 リクも戸口からずかずか踏み込んできて、マヤに向けて、カイの腹のあたりに灯りをあて続ける。そのまま向きを変えて、カイの胸元のカードを照らして、覗きこんだ。
「安いもんだな」
「これだけしかないのよ、お願い」
 カイの後ろで、マヤは端末を押した。認証音がカードから流れた。
「これで買えるのは、2日か、3日か、まあ休んでればいいさ、そのあとまた私が金を出す」
「お前らは、何やってるんだい、俺の都合を勝手にやり取りして」
 カイがたまりかねて言う。リクは、マヤを照らす灯りを消した。部屋が薄暗く感じられた。
「あんたの声なんだよ」
 リクがカイに向かって言った。マヤは、うつむいている。
「こいつらの一族は特殊でね、一族の中心に女がいて、たくさん子供を産むんだが、妊娠のコントロールをサウンドキーでやるんだよ」
「なんだいそりゃ」
「特殊な音で、一気に多胎妊娠して、どんどん産むんだ。生まれた子供にはミルクをやらなきゃいけない。そのミルクなんだが、母親から生まれた子供たちは、ミルクを飲み続けるんだよ、ほかに食い物は食うんだけどな、ミルクがないとこいつらは生きていけない」
「生きていけるわよ」
 マヤがリクをにらみつけた。
「そうか、前の星で男をひとり隔離したときは、脱水状態で動けなくなっていたぞ、意識をなくす前に、ミルクが欲しいと泣いていたな」
「あれ、あんたたちがやったのね」
「下層でも、出産登録のある市民だからね、それにあの星では、そこそここいつらの一族にバックもあったから死なないうちに放り出したが、ここでは、あの星よりも、お前らは住むための何の足掛かりもない。そのミルクはな」
 リクはカイに向いた。
「こいつらの一族じゃない俺たちが飲んでも、麻薬的なもんらしい、それで、前の星の、ずいぶん立場のある連中まで囲い込んでいたよ、そうやってバックを作るんだ。ここでも、こいつらはそれをしようとしてるんだろう、でも、いま、子供がたくさんうまれている、ミルクの余分は、ないな」
「ええと、、、それが俺となんの関係がある」
 演説にすこし飽きたカイは腕を組んだ。リクは、
「つまりね、あんたの声に、サウンドキーの音素成分があるんだよ。俺もサウンドキーそのものは知らない、音叉みたいなもんだと、そのへんの技術について残された文書にはあったんだがな、直接のものはヒモつけられた論文のつながりで強制廃棄されてしまった。こいつらじゃない、ほかの、やっぱりおんなじような一族を調べたことがある。出産期に、なんとか近くまで行って、そのときに聞こえた音が、あんたの声の成分によく似てるんだ。あんたがこいつらに嫌がられているというところで、俺は気が付いた。あんたが歌うたびに、産気づくんだよ。
「こいつらは、母親がどんどん子供をつくり、たくさんの子供をミルクでしばりつけて、ずっと自分のために働かせる。初めにいったろう、それは、滅ぼされた星の技術だ。俺の耳やあんたの声と、出所は一緒なんだ。まとめて植民開拓するために形質転換させられた一族で、もちろん、サウンドキーをもった奴がそれをコントロールするんだ。たぶん、そいつだけは集団の中でミルクは飲まず、しっかり音叉を握りしめているんだろう、俺がサウンドキーを持っていたらそうするね」
 マヤは、不機嫌そうにそれを聞いていたが、きっと首をあげた。
「お姉さんはのませる相手を選んでるわ、あたしたちのミルク、ちからのもと、あんたには絶対に飲ませない」
「飲むわけないだろう、というか、相手を選んで出すんだな、そこまではわからなかった」
 マヤは、それには反応せず、カイを見上げた。瞬きせず見る目に、カイは、ため息をついた。
「わかった、あんたからもらった分は、歌わずに過ごそう」
「ありがとう」
 そのままマヤは出て行った。リクは、そのドアをみやってから、カイにまた話し続ける。
「もとの星には、あいつらの元の一族がいる。その一部が、つぎの住処をもとめて出てきたというところだな。一族の中心には女がいる。女王様と俺はよんでる。そこからわかれて、あたらしいところで女王様になる女を、きょうだいたちが助けてついてくる。新しい場所では、女王様が、なんとか地元の男それもそれなりの力を持った男に近づくんだろうな、だから、ちょっと賑やかなところに住む。ミルクを飲ませれば、男は思いのままなんだろう、細かいことはわからんが、ミルク切れはちょっとすごいみたいだ。ミルクを飲む限りその女王様から離れられない。俺はあいつらをおいかけてこの星まできたんだ、ずっと見ていた。生まれた子供も、女性型はさっき出て行った子供よりおおきくならない。男性型はもっと育つ。仕事は分担してやるらしいし、子供に見えるが相当つよいぞあいつらは、ケガもめったにしない。たいがい、女の子と男のペアで動くんだけどな、ここには子供一人でしか入り込めなかったんだろう」
 長い話で、カイはさらに面倒になった。
「俺はどっちの側でもないよ、あんまり歌を歌うなと言われるのは困るが、壁に向かって歌わされて妊娠の道具に使われるのもちょっと勘弁だ」
「いいよ」
 リクは、あっさり答えた。
「広場でずっと歌ったらいい、そのあいだ、あんたを守るようにしよう」

数か月たった。そんなに長く同じところにいたのでは、歌う歌も、行政告知も、ネタが尽きてしまうし、なにより、客がもう、つかないのである。同じ男がおなじように歌い続けていては飽きられても仕方ない。
 それと同時に、広場に限らず町の中に、マヤの一族の若い男たちの姿が増えた。男たちは、襁褓にくるまれた赤ん坊を抱いていた。町のあちこちを歩き回り、赤ん坊は所かまわず泣いた。
「効いているぞ」
 朝、宿の食堂で、うれしそうにリクはカイに言った。
「どんどん生まれている。ミルクもほかに回らないだろう、俺の仕事ももうじき仕上がる、ここで食う朝飯も終わる、なかなか美味いからちょっと心残りだがな」
 カイは、火を通した卵に薬味をかけ、焼いた練りものを汁につけながら訊く。
「だいたい、こういうことをしてあんたにどういう得があるんだね」
「女王様が、いちど町の有力者をつかんだらずいぶんややこしいことになる。そうなってしまったものは仕方がない。でも、そうなる前に、こっちで首を押さえてしまいたいんだよ」
「こっちというのはなんだい」
 リクは答えない。しばらくして、
「なあ、いろんな星があって、いろんな町があるだろう、そのへん全体を統治するシステムがあって、その全体像は俺にもわからないんだよ、ただ、あの一族が、じわじわ広がってきているんだ、麻薬のようなミルクを顔利きに飲ませては、そこで根を張る。いかがわしい場所を一族で運営するってのがパターンよ。あいつらをコントロールする方法を調べるというのが、いろんなところから俺に来た仕事でな、そのためにいろいろ便宜が図られることになってる。仕事が上がったら、年金がもらえるし、あちこちで顔も利くようになる。
 コントロールする方法がわかったら次はどうしろ、ってのは、俺にはないんだよ、その情報であの一族は、より無害なものになる。俺は、この耳で、コントロールする方法を見つけたと思うんだが、奴らのコントロール方法を立証するには、あいつらがこの町で勢力をのばすまえに、それをやってみせないといけないんだよ、そういう仕事と思ってくれ、あんたにやってる金の出どころにしても、あんたに護衛がついてるだろう、あいつらはこの星にきてから一緒にやってるんだが、どこのだれで本当は誰のいうことをきいているのかも、さっぱり俺にはわからないんだ」
「あんたは行政所の人じゃないのか」
「つながってはいる、行政所ってのはあくまでも地元のもんだから、ちょっと違う」
 どこまで本当のことなのかもわからない。カイは、香料を、これは促成山羊から絞ったらしい乳で煮だした茶を口に運び、調理場に声をかけた。
「頼むよ、水を混ぜないでくれ」
「日によって味が違うからな、今日は入荷がすくなかったんだろう」
 食事が気に入っているリクは、評価が甘い。カイはカップをテーブルに戻した。
「しかし、俺は同じ広場でしか歌っていないぞ、やつらにしたら広場から逃げたらそれでいい話だろう」
「もちろん、あいつらは逃げ回っているさ、最近はあきらめ気味だけどな。精子をそのままため込んでやってきたから、持続的に妊娠して、どんどん生まれる。宿にもいられず、大勢のやつらが、赤ん坊を抱いてうろうろしてるだろう、あんたももう、一人でそのへんで歌っても、誰もなにも言わないだろうよ」
 少し考えて、カイは気づいた。
「いままで、あいつらに妨害されたのを行政所に申し立てても相手されなかったのは、町の顔利きの手が回っていたからか」
「遅いよ、どっちの側でもないってのが寝言なのはわかったかい」
 こともなげに、リクは、干物を口に突っ込んで、しがんで、嚙み切った。
「いまじゃ、あんたの声を、こっちからきかせに行ってるのさ。奥にいる女王様の細かい反応なんて見られるわけじゃないから、録音の再生でじゅうぶんだ、あんたの声をずっと流している、きっちり全周波数入ったやつをな。はじめに広場で録音してたのに気づかなかったか」
「じゃあ、俺はなんで同じところで歌ってるんだ」
「そこにいてくれたほうがいろいろ調べやすいんだよ、好きな歌が歌えて金にもなっていいじゃないか」
 しばらく練り物をかみ続け、それを呑みくだしてから、カイはゆっくり言った。
「勘違いしてないか、歌は仕事だ、だから誰もきいていなくても金になれば歌うんだ、好きでやってるんじゃない」
 リクは、すこしカイを見た。表情を変えず、目を瞬かせた。
「そうか、こっちには役には立ってるんだ、もうすこし頼むよ」
 それ以上は、リクは、話そうとしなかった。

慣れたとはいえ、誰に襲われるかもしれないと思いながら、宿と、広場を往復していたのである。しばらく前から、いききについてくるのも、太った男だけになっていた。もう襲われることもないが念のためついてきていたのだろう。背の高い男は、広場でカイが歌う時は、いつもその後ろの家の壁にもたれていた。
 ためしに、太った男をずいぶん遠ざけて歩いても、なにもおこらない。宿についてから、太った男を振り返ると、男は首をすくめた。
 ひとりで歩くようになって数日後である。宿まで戻ると、作業服を着て、赤ん坊を抱いた痩せた若い男が、すぐ外に座り込んでいた。
「カイ」
 カイは、足を止め、ゆっくり男を見下ろした。赤ん坊をあやしながら、若い男は立ち上がった。
「マヤを知らないか、なかなかあなたに話しかけることができなかった」
「あの子か、来たのは確かだが、部屋を出ていくのは見たが、帰ったんじゃないのか」
「見ない。あんたの歌はもうしかたない、あんたがいなくても同じになってしまった。でも、マヤは返してほしい」
「そういっても、俺も何も知らないよ」
「もうずいぶん時間はたっていて、時間切れなのかもしれない。死んでいてもいいから返してほしい、私たちの習慣だから」
「ここにいるのは、あの太った男と俺だけだ、死体があるようには思えないし、リクは朝ごとに飯を食いに来るだけだし、俺にはわからないよ」
 若い男は、黙って、宿を背にした。カイは、しばらくしてから、あれがたぶん、マヤの相棒なんだろうと思った。ビリという名前も思い出した、歌い屋は、記憶がいいのである。

数日して、リクが出て行ったあとも宿の食堂で茶を飲んでいた。太った男がリクが出るのにあわせてやってきたところで思い出し、カイは、まえに宿に来た女の子を知らないか訊いた。
「あのとき、出ていくまでに捕まえたね」
 太った男はあっさり答えた。
「取り調べることが認められたんだ」
 こいつも、何とつながっているかわからないなと、カイは、リクとの会話を思い出した。
「リクが、いろいろ調べてるよ、ちょっと命が危なかったけどな」
「危なかったって、なにかしたのか、生きてるんだろうね」
「俺たちはなにもしなかったし、今も生きてるよ」
「こういう話は秘密じゃないのか」
「なぜ?」
 太った男は訊き返した。
「あいつらの秘密を調べるのは、べつに秘密じゃないだろう、知られて困ることがあるのはあいつらなんだから」
「誘拐だな、そりゃ。あれも一応登録住民だろう」
「行政所は申し立てを宙ぶらりんにしてる、おかげであんたも、あちこちにいかずに済むようになったんだから、よかったじゃないか」
 いまのところ、「上」とつながったリクたちのほうが、行政所には強いようだ。この町に顔利きなどというものがいるとして、そいつらに、マヤの一族がつながると、面倒なことになっていただろう。
「どこにいるんだい、それで」
「はじめはあんたにわかるとあんたも気分が悪いだろうと思っていわなかったんだが、最近は、いつ訊くだろうと思ってたよ。広場で、あんたの歌うすぐ後ろの家だ、声がよく聞こえる。電気を食うから電線もたくさんつながってるだろう」
 カイは気づいていなかった。
「そこで、あんたの声をずっときかせては、反応を見てたんだ、女王の反応の手掛かりになる」
「子供だろう、妊娠もなにもないんじゃないか」
「育ったよ、面白いから見にいけばいい、もうデータとやらはとりおわって、一族に返せばいいんだが、本人が帰りたがらない」
 護衛にしては立ち入ったことをよく知っていると、カイは思った。

その日はあまり歌う気にもならず、太った男は部屋に引き上げた。夕方も近くなって、いつも立つ場所のうしろの建物にカイは向かった。
 戸口の横で腕を組んでもたれている、背の高い男が、体をおこした。口元を少し上げて、
「やっと来たか」
 低く、ささやくように言った。ドアの中は、奥までの廊下があり左側に扉がひとつある。手前の右手にほそい階段が地下に降りていた。背の高い男は、カイの頭の横から手を伸ばして扉を叩いた。
「これがラボだ」
 返事がないので、もう一度、強めに叩く。こちらに扉が押し開けられた。
 リクが、薄汚れた、長い白い衣に袖を通し、メガネをつけたまま、顔を出した。背の高い男は外に戻っていった。
「ずいぶん飽きるまで時間がかかったな」
「見せたかったのかい」
「単に感心してるんだよ、呼ぶのかどうするかあんたの気分をみてたんだ、最後の確認がいるからね」
 カイが黙っていると、リクは、首で指図し、階段を下りて行った。その先の、やや重い木の扉は、むこうに開くようになっている。地下室になる。薄暗い。リクは、カイを戸口に立たせたまま言った。
「最近の政府告知を軽く語ってくれないか、金は払うよ」
 そして返事も待たずに、カードに金を放り込んだ。仕方なく、一分ほど、外でやるように、薄暗い部屋に向かって、高温と低音を交えて語って見せると、奥から
「カイ」
 女の声がした。カイは、声を止めた。リクが部屋に入る。カイもそのあとに入った。
 5m四方の部屋は、壁が安っぽい薄板で覆われ、広場側の壁の上の方に、明かりとりの小窓がある。顔も入らない高さの、横に長い窓で、厚い透明樹脂が嵌め込まれているようだ。その下に、こちらに向いて大きい木造の喇叭のようなものが向いている。
「おもしろいぞ」
 リクは、そばのレバーを押し下げた。外音と思われる、ひとの動き、ささやき、足音が、その喇叭から流れ込んできた。
「外の音が拡大されてここに流れてくる。おまえの歌をずいぶん聞かされたよ」
 反対側の壁の下に厚い布が折り重なって積み上げられているように見えたが、薄暗い中で、動いて倒れた。その下には、やはり厚い布をかぶった人影が座っていた。この、布や、人影をはさんで、黒い板が、向かい合って立っている。低うなる音がこの板から出ているようだ。
 リクはレバーを下げて、そのそばの壁のスイッチに指をかけた。部屋が明るくなった。喇叭のそばには、いくつもの大きな、金属で覆われた器械がおかれ、たくさんのケーブルがからみあっている。明るくなっても、ものが散乱しているのがわかるようになっただけである。人影のほうは床がマットで覆われている。頭からかぶった布をうしろに落とすと、その下から若い女が現れた。肩までの髪は黄色い。
「カイ」
 女が声を出し、カイは訝しく思ったが、何も言わない。リクがいう。
「育ったもんだろう、知ってる奴だよ」
 首から下はあいかわらず布を衣のように巻き付けている。みるからに成熟した若い女性なのだが、やや低い鼻と、大きな目には面影があった。カイは、ふたたびリクを見た。
「マヤだよ、育ったんだ、大変だったぞ、ミルクがないからって暴れ狂った挙句に、脱水状態になって2週間応答もない、輸液補液しなけりゃ死んでたよ、意識を回復したらまあ育つ育つ。完全に大人になっちまった、たぶん、女王様のミルクで発育が阻害されてたんだな、もう本人からミルクが出てきてもおかしくないから、ちょっと用心しているんだ、そこまでのリスクは仕事じゃない」
「あんたには飲まさないわよ」
 すこし低い声になったマヤがいう。
「だから、ここにおいて頂戴」
「な、帰りたがらないんだ、育つとどうやらまずいらしい、たぶん女王様がもう一人いてはいけないってことなんだろう、でも、いまの歌で、することはほぼ終わりだ」
 声も出さず、マヤとリクを見比べていたカイは、それをきいて、リクに向かって、片眉をつりあげた。リクは続ける。
「あの喇叭やら録音やらは、どうしたって直接音じゃないからな、直接音の反応がいまとれた、いままでのものとの反応を比べるだけだ、確認したらおわりにしよう」
 天井の明かりを消して、そのまま部屋を出て行った。あかり取りからの光だけで、あらためてカイは、布にくるまったマヤを見下ろした。顎を出し、大きな目でカイを見ていたマヤは、ほっといきをついて、すこし力を抜いた。
「一人でいくんじゃなかったわ」
 カイは、ゆっくりマヤに近づいた。
「さっぱりわからないよ」
「困っちゃうのよ、こんなになったんじゃもう戻れない」
「姉さんのところにかい」
「こんなになってから戻ったんじゃ、なにをされるかもわからない、うちの姉さんが、育てられた中からはじめに選ばれたとき、ほかの姉さんたちはみんな処理されちゃったのよ」
 マヤは俯き、思わずカイは、そのそばに座る。布にくるまり、頭だけ出したマヤは、うつむいて、首を振り続けた。カイは、マヤをはさむように置かれた黒い板にもたれたが、。板はそのまま傾いたので、そのままそれを押し出してしまった。板のうなりは止まった。
「ビリが君を探してたがね」
「こうなった私じゃないわ、ビリにとっては死んでた方がよかったのよ、私を見たら、ビリだって、私を処理するわよ、だいたい、育っただけでミルクも出せないなんてどうしようも」
 そこで不意にマヤは言葉を止めた。
「リクは、ミルクを怖がってたと思うんが」
 マヤは返事をしない。無表情に目を閉じている。しばらくしてから、
「口にしてしまったからいうわ、私、ミルクなんか出ないのよ、それをいうとなにをされるかわからないから黙ってたのよ、お願いいわないで」
「俺には、怖がるのが実感としてわからないからもともと気にしてないんだ」
「それは知ってる。あの人たちは、たぶん前の星から、わたしたちをずっと見てたんだと思うの、ミルクで飼いならされた男の人たちってどうしようもないからね、ミルクをもらうことだけが毎日の目的になるのよ。あの人たちはたぶん詳しくは知らないわ、効き目は量によるのよ。私は出ないからどうしようもないけど」
「そうか」
「こんなになっちゃって、ここから出たら見つけられて処理される。小さいままずっと元気に走り回れたらよかったわ」
 カイは、首を振り、返事をせずに、マヤの頭に手をやって、引っ込めた。
「すまない、君はもう子供じゃなかった」
「中身はかわらないわ、やさしいわね、私がお願いにいったら歌をやめてくれてありがとう」
 マヤは、上目遣いにカイを見ながら、衣をあけた、その下は、よく育って、しかも、なにも付けていなかった。マヤはそのまま、カイに、抱きついた。
 明かりとりの小窓の外が、暗くなってゆき、部屋には、広場のうすい灯りが差し込むだけになった。
 翌朝、小窓から、直接日光が差し込む。対面の壁の上から、光の筋はゆっくり、ふたりのくるまる布のかたまりに降りていく。
 マヤは、低い声でうなっていた。カイは、その気配で目を覚ました。
「苦しいのか、どうしたんだ」
 マヤは、カイのそばから、マットに這い出した。明かりとりから差し込む光にむかって、のけぞった。
 マヤの胸からミルクが噴き出し、霧のようになって光の中を漂った。カイはあっけにとられてそれを見ていた。

カイは、宿の食堂の横のキッチンに、廊下から直接入っていった。料理番が、フライパンをかきまわしている。炉には茶の入った片手鍋がかかって、煮詰められている。盆にはコップがひとつ用意されている。
 カイは、もうひとつコップを棚から勝手に出して、並べて置いた。縮れ毛で、赤い縞模様の服を着た、子供のような料理人に声をかける。
「お茶ができたら俺にもいっしょにくれないか、ここにコップは並べておく、ミルクもこっちに足しておくから」
そして、食堂に入っていった。
 リクが、あちらをむいてゆっくり食事をしていた。その前にカイは回り込んで、椅子に座った。そして、キッチンに向かって大きな声を出した。
「すまないな、お茶のほかに、朝飯も頼むよ」
「あいつと何をやってたんだ、ミルクを飲まされたようにも見えないな。こっちはこれでもう引き上げだ、カイ、ちょっとは金になったかな」
「つぎの星になんとかいけるぐらいだね、ここではもう俺の歌をきいてくれる客はいないだろう」
「まあ、これからも頑張ってくれよ」
 縮れ毛の料理番が、カイの朝食といっしょに、ふたつのコップを盆にのせて運んできた。カイは、なるべく何気なく練りものをちぎって、口に運んだ。そして、汁を、熱そうにすすった。興味もなさそうにその様子を見ながら、リクは、コップを口に運んだ。何も考えない様子で二口ほど飲んで、それから、いきおいをつけてすすりあげた。
 黙ってそれを見ていたカイは、汁を飲み干し、練り物をまとめて手にもって立ち上がった。自分の皿の横のコップを、リクの方にずらして、コップをすすり続けるリクに声をかけた。
「俺の分もやるよ、遠慮するな」
 そのまま背を向けて、食堂をでた。

カイは広場に戻った。太った男もついてこない。
 扉を開けて建物の中に入ると、リクの「ラボ」の扉が開いている。入っていくと、こちらの建物の番をしていた背の高い男が、背中をこちらにむけて立っていた。気配にちらっと男は振り向き、また前を見て言った。
「これももう片付ける。ここのなにがなにで、それをどうしたらいいかはリクにしかわからんが、下のあいつはお前に馴染んでるようだから、もう出て行けといっておいてくれ」
 男の後ろから部屋を見る。カイにはわからないものが並んでいた。下層社会ではみることもない器械だということはわかった。右手の作業台には、手よりも小さい三又の金属片おちている。さまざまなサイズだったが、隅の方に、同じサイズできっちりいくつかまとめられた山が3つあった。そんまわりはきれいに整理されている。音叉に似ている。
男はゆっくり部屋の奥に歩きだした。その後ろで、カイは、素早く音叉を、3つの大きさをひとつづつまんで、たがいにあたらないように気をつけながら懐に押し込んだ。戸口からさがりながら、男の背中に向かって言う。
「マヤのことか、出ていくのを嫌がっているぞ」
「それは知っている。放っておくしかないな、ここにはもう誰もいなくなる」
 カイは、部屋を出て、戸を閉めた。そのまま階段を下りた。上がった日が、直接差し込まなくなった部屋は、薄暗い。布の山の中に。マヤの目が見えた。
「来るかな」
「たぶん。お母さんがのませた男たちをみてたら、そうだったから。はじめにちょっと寝てしまったかもしれない、量によるの」
 マヤは動かず、カイは、マヤの前に立って、じっと、開け放されて、地上からの降り口のみえる戸口を見ていた。
 かなり待って、上の方で戸の開く音がした。ついで、不規則な足取りで、降りてくる音がする。リクが、ゆっくり戸口にあらわれた。
「もっとくれないか」
 戸の枠で体をささえながら低い声でいう。
「ミルクが出るんだろう」
「あなたには出さない」
 マヤがリクに言葉を投げる。
「音を聴かせてやる、あの3つで十分再現できるのは知ってるだろう」
「ミルクがよけいになくなるだけよ」
 リクは、枠から手を離し、背中を曲げたまま転びそうになった。右の膝をついて、肩で息をする。
「ここにあるぞ」
 カイは目の前に水筒をかざした。
「くれよ」
 リクは、手をついてそのまま這い寄ってくる。すごい効き目だな、と思いながら、カイは少し後ろに退いた。
「その前に教えろ、リク、あんたは、こいつらを追ってきたんだろう、前の星から、いっしょにロケットに乗ってきたんだな」
「そうだよ」
 リクはゆっくり答える。
「あのロケットで俺の金がなくなったのは、あんたの細工だね」
「そうだ」
「返してくれないか」
「そんなものはもうどこかに消えてる」
「なんでもいい、おなじくらい俺に金をくれたらいい、ミルク代だ」
「わかった」
 リクは手探りで端末をとりだした。小さく囁いて、うつむいたまま、それを頭上にかざした。カイのカードから入金の音がした。表示を見てカイは、マヤに頷いた。
「ちょっと多いくらいだ」
「じゃあ、ミルクをよこせ」
「あとひとつだ、お前は上で何をやってたんだ」
「音を聴かせて反応をみる、けっきょく単純な音の組み合わせで、臓器の動きから見ると受精と出産のタイミングがコントロールされているだけという結論で、そのためのサウンドキーを再現していたんだ、もういいか」
 カイは、リクに水筒を投げた。しゃがむ手元にころがってきた水筒を、ふるえる手で開けて、リクは一気に飲み干した。息がゆっくりになっていく。
「たぶん、このまま寝るわ」
「起きたらまたあの騒ぎか」
「たくさん飲んだら、そのぶん長い時間まともでいられるの、へろへろなのは、初めてで、しかも少なかったからよ」
 床にうつぶせで固まったまま、リクは、寝息を立て始めた。マヤは、立ち上がって、手近な布で胸と腰をしばり、その上から大きい布を身にまとった。
「金は手に入ったが、一族から隠れるほうをどうしたもんかな」
「そのことだけどカイ、たぶんね」
 そこにまた、上から下りてくる気配がする。マヤは黙った。戸口から、こんどは、ビリがあらわれた。動きはぎこちない。「ラボ」にいた背の高い男が、後ろからあらわれて、
「こいつが会いたいんだそうだ」
 ビリの首筋をわしづかみにしていた。
「離すぞ」
 背の高い男が手を離し、ビリは足を延ばして立った。マヤの前に立とうとしたカイに、柔らかく手をやって、マヤはビリと向かい合った。ビリは、たちまち体の力を抜いた。
「そうなったのか、マヤがそうなったなら、それはよかった」
 身構えるカイに言った。
「女王様を処理できるのは女王様だけだ。これはもう俺の仕事じゃない」
 ビリは、口の端をあげてマヤに笑って見せた。そして、ふたりに背を向けた。その背中に、カイは呼びかけた。
「そうか、ミルクを出せるようになったから女王様なんだな、なあ、頼みがある」
 ビリはゆっくり振り向く。
「たぶん、あんたのところに、女王様の相手がいるだろう、ミルクを飲まない男が」
 ビリはマヤの方を少し見たが、また、カイに目を戻した。
「マヤは何も言ってないよ、俺は、あんたらの女王様のまえの女王様の相手に会ったことがある、団長とか自分でいってたな、これからについて、話し合いたいんだ、赤ん坊だらけで困ってるんだろう」
「話し合いがあるなら、宿の方でやれ」
 背の高い男は割って入った。
「ここはもう片付けんといかん。リクはまだちゃんと成果を報告していない。こいつから、ミルクをちゃんと抜いてうごけるようにするのは面倒だな」
 マヤを見た。
「お前のときは、本当に大変だったんだ、とりあえず仕事ができるように、またミルクをもらいに行くかもしれんよ」
 マヤに、ただの事実を述べるように、抑揚のない声で言った。この男もただの護衛ではなかったなと、カイは思った。

宿のリクの部屋にやってきた男は、それほど老けていないが、赤ら顔で、眉が太かった。うしろにビリがひかえている。部屋の外にはあと数人若い、作業服に緑のチョッキの男たちがいる。ベッドの窓側に立つカイに、男は言う。
「ミルクが出てしまったのなら、正式な女王だから、もう勝手にするがいい」
「その話だよ、団長」
 呼ばれて男は苦笑いした。
「その名前は俺の父親の名乗りだが、まあいい、そう呼んでくれ」
「やっぱりそうか」
 カイは、ベッドのわきに座り込んで、首だけ出して二人をみているマヤをちらっと見た。
「マヤはミルクが出る。そのうち子供も産むだろうが、それは俺がコントロールする」
「おまえの声で細かくコントロールできるのかい」
「いろいろ声を出してやってみるさ」
 手に入れた音叉の話はしない。
「それでだ」
 カイは本題に入った。
「あんたのほうの女王様はミルクが足りないんだろう、子供をこっちに寄越せば、マヤが育ててやるって、マヤはいってる。いっしょに手伝ってくれる、子供や、若いのも、ちょっと分けてほしいんだよ、結局はおなじ一族だ」
「分かれたらそれはもう別の一家なんだけどな、それに。この狭い町でいっしょに暮らすのは無理じゃないか」
「俺は話をきいて不思議だったんだよ」
 カイは続ける。
「なんで街の真ん中でいかがわしい仕事からはじめて町中で根を伸ばす?たぶんどこかでそうやって町に住みついた一家が前にいて、そのパターンでやってるだけだろう、でも、あんたらはもともと、開拓するようにできてるんじゃないか」
 団長は黙り込んだ。
「俺とマヤは、町には住まない。森を切り開いて、あたらしい場所をつくるよ、やる気のあんまりない今の連中よりは働けるだろう、あんたらとぶつかることはしない、それまでなんとかする金は手元にある」
「お願い、手伝って、大兄さん」
 マヤが呼びかけた。
「ビリには、私からミルクをあげるわ、ほかの子たちも」
 仕方ないというふうに、団長は首を横に揺らした。
「あんたのせいだがな、あれだけ生まれてしまってはどうしようもない、かといって精子嚢が空っぽじゃミルクも出ない、ビリと、あと何人かおまえのきょうだいをつけてやるから、俺の子供たちを頼む。カイ、ミルクだけどな、飲むうちは怪我なんかすぐに治るけども、男が役に立たなくなるから、飲むんじゃないぞ、あと、どの音が大切なのか教えてやるよ」

帰っていく団長の一行を、カイとマヤは路上で見送った。
「思ったより優しかったわ」
 カイは黙って向きを変え、宿の戸口に入り、返事するともなくつぶやいた。
「そりゃ、そのうち自分のものになると思ってるんだろう、知らないからな」
 懐の音叉を触った。階段を上がる。太った男の部屋があいていた。中をのぞく前に、男は出てきた。
「俺ももう引き上げるから、あとはまあ、なんとかやってくれ、お前もその中に入ったからいうが、お前らの一族はもう、コントロール可能なんだ、ちゃんとしていれば、こちらも悪くはしない。健全なまちづくりが期待できそうだし、やる気もありそうでうれしいよ、データ収集ありがとうよ」
 本気とも皮肉とも言えない表情で、そのまま階段を降りて行った。マヤは、カイを見上げた。
「あの人、どういう人だったの?」
 カイは、もう誰もいない階段を眺めながら答えた。
「たぶん俺が知ってる中では一番地位の高い、下っ端だよ」

 

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