穢土ワット・魂の座

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梗 概

穢土ワット・魂の座

その戦いで、各景の仏性率は三十二穣に達し、菩薩五十二段階の第四十六位、不退心に到達した。

僧兵として生を受けた各景は、仏敵を滅することで仏性率を高め、悟りを開き仏となるべく戦う。幼馴染の戦友には、仏性率が百劫に達する生真面目な道順、たった三十二億しかない怠け者の連来がいる。彼らは、都合一千万に達する戦死と輪廻を繰り返し、僧兵としていつ果てるとも知れない戦いを続けている。

開祖・星慶上人の発願以来、鎮護宇宙の中心たる穢土ワットは、星々を仏国土とみなし仏の教えを広めるべく活動を続けてきた。周囲に資源ある限り恒河沙に達する僧兵を生産し続け、いまはとある星の衛星軌道に位置し、周囲の小惑星帯を取り込みながら惑星上の仏敵を滅ぼさんとしていた。
菩薩五十二段回の最高位、すなわち仏になると、僧兵は二つの選択肢を与えられる。一つは、菩薩となり衆生を救うこと。もう一つは、輪廻から離れ真なる死=涅槃を得ることである。友人の道順は、久方ぶりの仏候補者として穢土ワット中の期待を一身に集めている。

三人は、不退心の祝いも兼ねて久しぶりに食事する。祝いの席で、彼らは穢土ワットについて話をする。永劫ともいえる月日、穢土ワットは常に戦い続けてきた。彼らは穢土ワットがなぜ戦うのかを知らない。生真面目な道順は、それが降魔をなし成道に至る修行であると言う。一方で怠け者の連来は、戦いとは逃れられない業であり、浄土は現世に求めるべきではないと言う。品質の悪い般若湯にひどく悪酔いした連来は、次第に輪廻を拒否する過激な主張をするようになり、やがて大喧嘩をして別れてしまう。

明くる日の戦闘。惑星に降下した僧兵たちは原生生物との戦闘を行う。各景らは金剛杵烈斬や梵鐘爆撃、説破慈光砲といった武装を駆使して仏性率を稼いでいく。だが、今回の敵は数が多く、次第に追い詰められる。ワットから発せられる再集結指令に従おうとするが、連来だけが遅れてしまい、袈裟装甲を貫通され撃破されてしまう。むき出しになる連来のコアパーツ。コアは記憶モジュールであり、必ず回収して帰らなければならないと教え込まれているが、各景は先日の喧嘩を思い出し、悩んだ末にコアパーツを持ち帰らずに帰還する。

各景は、連来のコアパーツのことを誰にも報告しなかった。奇しくもその戦闘で道順が悟りを開き、菩薩となることを表明したため、気にする者などいなかった。

数日して、各景は再生産された連来の姿を見かける。会話のなかで連来のバックアップが口論の前日のものであることを確認し、各景は心の底から安堵した。
バックアップされなかった連来の差分は、彼の僅かな一部とはいえ、身体から離れて輪廻の業から離れることができたのではないかと考える。彼の一部は浄土へと行けたのだろうか。道順の菩薩としての門出を祝いながら、自らの仏性率を長め、いつか仏になったその日には、自分は涅槃を選ぼうと考えるのだった。

文字数:1199

内容に関するアピール

「何か」が増えていく物語の案出しのなか、私は定性的なデータを強引に定量的データに変換してしまおうという着想をしました。

素材にしたのは「悟りと修行」です。修行は定性的なデータで、第三者からは検証不可能です。それを定量データ化し増やしていったらどうなるか、という練り物が今回の梗概です。

漢字の多さや仏教思想をどの程度盛り込むか、リアリティをどのレベルに設定するかはうまく落とし所を見つけていきたいと考えています。

 

それでは、よろしくお願いいたします!

文字数:222

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穢土ワット・魂の座

飛雲に乗った各慶は、宇宙の高みから星を見下ろしている。チリチリとした太陽光が顔を照らす。
その星は美しかった。青々とした水系、赤銅色の陸地帯との艶やかなコントラスト。降下をはじめると、周囲を包んでいた暗闇がだんだんと大気の色を帯びていく。
飛雲は金色相に包まれた数十万の群を形作り、星の一角を覆わんとしていた。少し後ろを振り向くと、道順が慈愛に満ちた表情で微笑みかけてくる。美しく束ねられた螺髪、質素ながら高貴さをも備えた僧衣、首から下げた法輪のネックレス、そして蓮台の上に立つ美しい立ち居姿。その目に射抜かれると、すべてが見透かされてしまうかのように思える。道順はこの集団のなかで最も御仏に近い存在である。飛雲には数十万の僧を載せ、いま来迎の瞬間を迎えつつある。

「改めて確認します」道順の、優しげで、しかしすべての存在を圧倒する声が僧たちの精神に響き渡る。後光差す道順は腕を上げ、星の大陸部を指差して言う。
「仏国土たるこの星の教化と調伏、それが我らの目的です。この地に仏の教えを広めましょう」
数十万の僧たちは、皆一様に穏やかな表情を浮かべ、その美しい声に聞き入る。
「さあ、唱和を」道順が促すと、僧たちが一斉に祈り始めた。各慶も満ち足りた気持ちで仏の功徳を称え偈頌を唱える。

「「現世を望まず、来世を欲せず。ただ不死の底に達し、往古来今、四方上下の衆生を救わん」」
「「一切衆生悉有仏性」」
「「合掌」」一斉に飛雲が星への降下を始めた。各慶は穏やかな気持ちで手に持った竪琴を爪弾き始める。僧たちも手に手にした様々な楽器を奏で始めた。笙を吹く者、鼓を打つもの、多種多様な弦楽器を奏でるもの、そして唱和するもの。美しい音色があたりを包み込んでいく。慈愛の光に満ちた集団は大気を圧しながら進んでいく。

ふと、進行方向に見える大陸の一点にきらっと光が輝いた。何かが炎を輝かせながらこちらに迫ってくる。何らかの推進式の物理実体のようだ。各慶は、自分たちとの衝突コースにあることを確認すると、竪琴の一本をピンと指ではねた。美しい音が響き渡る。とたんに、輝いていた爆炎がぐるりと回転し、弾は方向を変え衝突コースを外れる。やがて円筒形のその輪郭がぐにゃりと歪みはじめ、パッと弾けたかと思うと、それらは無数の蓮の華に変化した。ひらひらと大気を落下していく蓮たちは例えようもない美しさである。
墜落を確認してか否か、大陸からギラギラと幾重もの光が輝き始めた。無数の弾道弾がこちらに殺到してくる。各慶は竪琴の弦で美しい旋律を奏ではじめた。やがてすべてが蓮の華に変化し、御仏の飛雲を彩り来迎を喜ぶかのような美しい景色を彩り始めた。

弾道弾調伏の功績によって、各慶の仏性率は32上昇した。前回の戦闘から述べ3500連鎖の調伏、生存係数3.58、刹那係数32、非衆生ペナルティ0.8、そして菩薩第45位の基礎値。各慶は、仏性率上昇を知らせる表示を見て心が高鳴った。
一行はグングンと高度を下げる。金色の光と美しい音色に包まれた集団はすべてを圧倒していく。どうやらこの星には一定の文明があるようだ、と各慶は思った。それにしても美しくない。先程の円筒状の物理実体もそうだが、先程見かけた飛行体は輪をかけてひどい。強引な推進方式、そして大気を切り裂き揚力を得るための折れ曲がった翼。ここは仏法の届かぬ穢土である。この地に法音をもって調和をもたらさなければならない。各慶は琴の一部の弦を使った奏法で絢爛咲き乱れる蓮の華に変え、周囲を本来御仏を迎える来迎の姿へと近づけていく。飛雲に乗った僧たちは各々が器楽を持ち、それらは仏敵を調伏する力を発揮する。飛雲の一群はこの星に住まう者たちを圧しながら、周囲の環境を御仏の教えを伝える浄土の姿へと変えていく。
僧たちはすべての仏敵の存在を無視するかのように、するすると一定の速度で降下していく。やがて一行は、地表を視認できる高度に到達した。空から赤銅色に見えた大陸は、この星に住まう生物たちの住居で満たされているようだった。そのどれもが、本来あるべき星の円環を崩す直線的な構造物であり、とても仏国土たる星とは思えなかった。
「さあ、参りましょう」道順は、大陸を横断するように指し示した。飛雲たちが隊列を広げて地表へと降りていく。各慶もその一団の一つに参加した。

「なあ各慶よ。仏性率、今どれくらいになった?」 各慶はすぐ側にいた僧に話しかけられた。
「だいたい九十八壌」各慶は涼しげな微笑みを浮かべたまま、口だけを動かして答える。
「ハハッすごいな! 俺なんてまだ三十二億だぜ! ちょっとくらい譲って欲しいもんだ」
「…連来。君はもう少し仏性のなんたるかを考えた方が良いよ。この前もあっさりと死んでしまって、せっかくの調伏連鎖が途切れてしまったじゃないか」
「アホ! あれは必要な死だったんだ。そのおかげで各慶、お前はあのとき死なずに今も連鎖を続けられているじゃないか」
「…それについては感謝しているけど…」
連来。同じく僧として生を受けた各慶の幼馴染ではあるが、彼はあまり生死に頓着がない。ボサボサの髪、だらしなく着崩した法衣。首から下げた法輪のネックレスがわずかに僧としての気品を保っているが、とても僧には見えない風采をしている。不真面目な気質ではあるが、こと浄土の再現、仏敵調伏に関しての実力は折り紙付きだった。それなのにすぐに死ぬのが各慶にとっては不思議だった。死ねば連鎖が途切れ、輪廻によって仏性率ボーナスがリセットされてしまう。悟りを開き仏になるためには、様々なボーナス係数を最大限まで上げて、どんどん仏性率を稼いでいくしかない。各慶の仏性率は穣の位にあり9.8*10^29だが、悟りに必要なのは無量大数で、10^68が必要だ。自分ですら40桁も不足しているというのに、この男連来はボーナスをほとんど考えないから32億、たった9桁程度の仏性率しかない。呆れたやつだと各慶は思った。
「俺はな、仏になることにはあまり興味がないのよ。だいたい死んだところで、俺の記憶は回収されて何度でも輪廻できるから大して影響がないしな…っと、お出迎えだ」

前方にこの星の住居群が見えてきた。それらを守るように、巨大な火砲で武装した兵士たちがわらわらと集まっている。各慶はそれを見て、思わずそれまで抱えていた笑みが引きつった。粘体状のぶよぶよとした姿から数十本の突起が生えた生物。それがこの星の主のようだった。突起のうち十本程度が体を支え、それ以外の突起で器用にも火砲を操作しているように見える。思わず連来と顔を見合わせ肩をすくめる。
兵士たちの操る砲が一斉に火を吹く。飛来する数十個の弾頭。それを見て連来は革張りの鼓をポンポンと打ち鳴らした。とたんに弾頭はきらびやかな七宝に変化し、あたりに漂い出す。その調子に合わせて各慶も竪琴を爪弾いた。次弾は美しき蓮華となり、砲の周囲を彩った。火砲の輪郭がぼやけ、やがてそれらも美しき花々に変わる。生物たちはわらわらと携帯火器を乱射しはじめたが、それらもすべてが華や七宝に変化し、周囲に西方浄土と体現していった。彼らに近づき、御仏を称える偈を唱和する。生物たちは動きを止め、そして蓮の花弁へと変化した。やがてそれらが集まり、一つの大きな蓮華へと昇華していく。

「「一切衆生悉有仏性」」僧たちは唱和する。各慶は、彼ら生物たちが個として生きていたころの意識を蓮華へと誘導した。いつもの儀式、間違いようがない。手慣れたものだ。
「「合掌」」蓮華に吸い込まれた意識たちを、霧消してしまわないように縫い付けていく。これで、彼らはもう苦痛を感じることはなくなった。浄土となった穏やかな世界で、ただ御仏の功徳に感謝して生きるのだ。

この功績によって、各慶は2穣の仏性率を獲得した。連鎖ボーナスを積み増したうえ、相手が衆生だったため大量のボーナスを得ることができた。やにわに周囲に衝撃派が響き渡り、各慶の周囲を虹色の光が包み込んでいく。光は各慶の菩薩五十二段階の昇段を意味していた。第四十六位、不退心への到達。飛雲に乗った数多の僧たちが口々に各慶を称える。昇段が近いことを予期していたこととはいえ、突然のことだったため各慶ははにかむ。
「おめでとう。ついに不退心か」連来に声をかけられた。
「そうみたいだ。ちょっと実感ないな」
「さっき得た徳点だけで、俺の仏性率越えただろ?」
「…まあ、そうだけど」
「ハハッ、俺に感謝しろよ。前に俺が死んだおかげで、お前の連鎖ボーナスは止まらなかったんだからな」
「はいはい、分かりましたよ!」各慶はプイッと横を向く。周囲の僧たちも一斉に笑った。

「この大陸の教化は完了しました。一度、穢土ワットに戻りましょう」透き通る声が響く。道順の声だ。おそらくかなり遠くにいるのだろうが、道順の声はそこにいた全員にはっきりと聞こえた。その声に応えるかのように、僧たちは飛雲に乗り高度を上げていく。かつて大地を歪めていた建物はすべてが円となり、周囲を蓮の華が咲き乱れ七宝が包み込む。赤銅色だった大陸はすっかり穏やかな浄土へと変化していた。やがて大気が薄くなり、周囲が黒く染まりだしたころ、各慶は道順に再度話しかけられた。
「各慶、昇段おめでとう。連来もよくやりました。帰ったら一度食事でもしましょう」
各慶と連来は顔を見合わせた。道順と食事か。もう長いことしていない。いつ以来だろうか。

飛雲に乗った各慶たちの目の前に、大きな蓮華状の構造物が姿を現した。穢土ワットに帰ってきた。各慶は少し安堵し相好を崩す。穢土ワット。すべての僧たちの帰るべき場所であり、星々に仏の教えを広める鎮護宇宙の中心。
「帰ってきたね」
「ああ、そうだな」連来が答える。
「また形が変わっている。この星系の月は大きかったけれど、ワットの複製はできて数個というところかな」
飛雲に乗った僧たちの一群が向こうからやってきた。会釈を交わしすれ違う。
「あいつら新僧だな」連来は、のんきに手を振りながら言った。
「そうだね。生まれるペースが早い。この月の資源はとても質が良いみたいだね、穢土ワットの複製ももうすぐ完了するみたいだし」
それにしても大きいな、と各慶は思う。開祖・星慶上人の発願以来、星々を仏国土とみなし仏の教えを広めるべく活動を続けてきた穢土ワットは、要塞そのものを複製しながら宇宙へと広がっていく一種の運動である。この星系にやってきたあと、生物たちの住まう星にとっての「月」ともいえる衛星に降り立ったワットは、衛星そのものを資源に自らの複製を開始し、そして今も大量の僧たちを生み出し続けている。各慶たちが眠りから目覚めたのは月への着陸後で、すでにワットの複製が開始されたあとだったが、月を飲み込みながらダイナミックに姿を変えていくワットに驚きを隠せなかった。各慶の周りにいる僧たちも、その6割ほどは今回降り立った月資源から生まれた新しき者たちで、連来や各慶は比較的古僧に属している。

穢土ワットは花弁を螺旋状に配置したフラクタル構造になっており、その花弁一枚一枚が中にさらに小さな花弁を内包する。僧たちが入れる規模に成長した花弁は金堂と呼ばれ、それぞれの金堂が相互に影響しながら接続され、総体としての蓮華を形作っている。蓮華は資源を喰み成長する。金堂は成長に伴って拡大していき、やがて金堂のなかに新たな金堂が生まれ、かつて金堂だったものは巨大な花弁へと生まれ変わる。こうしてワットは「成長」し、一定の大きさになると蓮華は2つに分裂するのだ。新たなワットの誕生はもう間もなくであり、僧たち全員が待ち焦がれる一大イベントだった。

各慶たちは、そんな穢土ワットのなかでも中規模の金堂に着陸した。乗っていた飛雲がパッと霧散すると、僧たちは降り立ちワットの中へと入っていく。
「各慶、お前さんこれからどうする? 道順にメシに誘われていたがまだ時間あるよな」連来が聞く。
「仏性率を稼ぎたいから、少し瞑想しようと思う」
「ああ、そうかい。じゃあ俺は楽器の手入れでもするかな。ほれ、お前のもやってやるから貸しな」
「…壊さないでね」
「アホ!」
連来はふてくされながら各慶の楽器を奪い取り、自分の部屋へと歩いていった。
不思議なやつだ、と各慶は思う。永劫にも思えるはるか昔に共に生を受け、同窓にも無数の僧がいるなかでも何故か気が合った。二人で修行を重ねてきたが、いつからか連来は悟りを開くことを諦めてしまったように思える。そういえば、僕たちは都合何回死んだだろうか。ボーナスの係数差を見ても、どうみても連来の方が死んでいる。でも、おそらく、いや間違いなく調伏の実力は連来の方が上に思える…。
各慶は自分の部屋に入ると、瞑想スイッチを入れた。ぶぅん、という音がして電気が消える。部屋を縛り付けていた重力が失われ、各慶はふわりと浮いた。
「現世を望まず、来世を欲せず…」目を閉じ考えることをやめる。テンテンテン、と効果音がして仏性率が上昇していく。連鎖数は変わらないのに、今日はやけに仏性率が貯まっていく。菩薩第四十六位になったことでボーナス係数が増えたのだ、と気づくのにさほど時間はかからなかった。往古来今、四方上下の別が瞑想のなかで溶け出し、空間と時間の感覚がなくなっていく様を心地よく感じていた。

瞑想を終え、各慶は斎を取るために食堂に移動すると、連来はすでに席についていた。
「よっ、どれくらい稼いだんだ?」連来にこづかれる。
「…だいたい20億くらい」
「おお、すげえな! さすが不退心になるとボーナス係数の破格になるな。ほら、お前の楽器、手入れしておいてやったぞ」
連来は脇に抱えていた竪琴をひょいと連来に渡す。先の戦いで汚れてしまった支柱の汚れは見違えるほどきれいになり、弦も新たに貼り直されているように見えた。ポロン、と鳴らしてみる。金堂の端に置かれていた応量器がギュンと音を立てて見事な蓮華に変化する。
「…いつもながら、連来の調整は完璧だね」
「よせやい、照れるじゃねえか」
「本当に。調伏でも、いつもこれぐらい真面目ならいいのに。ところで道順はまだかな?」
「もうすぐ来るんじゃねえの? ほら、あそこ見てみ」
指を指された方を見てみると、食堂の入り口近くの空間が歪んでいるのが見て取れた。歪みはだんだんと酷くなり、じきにポンポンポン、と鼓のような音をたてて色とりどりの七宝が産まれ漂い出す。そしてあたりが金色の光に包まれると、見事な螺髪の僧が現れた。その歩みとともに花々が咲き乱れる。道順だ。
「よう、来たな」「ここで会うのは久しぶりだね、道順」二人は道順を見て挨拶する。まばゆい後光に包まれているのに少しも眩しくない。その顔を見るだけで満ち足りた気持ちになるのは、多分僧として生まれた者の本能なのだろうな、と各慶は思った。
「久しぶりです、ふたりとも」
「各慶、不退転おめでとう。これでもう、僧として迷うことはないでしょう」道順はにこやかに話しかける。
「ありがとう。それにしても…いまのはすごかったね。最近ワットのなかで見かけることはあまりなかったんだけど、ここでもあんな現象が起きるんだ」
「最近は意識すらしなくなりました。各慶もじきにこれぐらいの力は使えるようになりますよ」
じきに。いったいどれぐらいの時間がかかるのだろう。不退転に上がったばかりの各慶に対し、道順は菩薩第二位、等覚に至る。その差は歴然としていて、仏性率で40桁近く足りない。
「そうだね、頑張るよ。さあ食事をいただこうか! 今回は僕が作るよ」
「いえ、食事に誘ったのは私ですし、祝の席なので私が作ります」道順がいう。
「いや、作らせて欲しいな。僕もせっかく不退転に上がったのだから」各慶は昇段した力を見てみたい思いもあり、道順に言った。
「…分かりました。ではお任せします」
道順に譲られて、各慶は斎の準備に取り掛かった。机に応量器を三人分並べ、瞑想の姿勢を取る。二人が見守る中、呼吸を整え、精神を整え、五観の偈を唱える。

「穢土ワットがどのように産まれたかを考え、食事が産まれることに感謝いたします」唱えながら、不退転の僧としてワットに接続し、斎のカテゴリにアクセスする。三人分の食事の要請。
「悟りを目指す行いと調伏の運動が、食を頂くに値するか省みます」要請が受諾される。自分たちの周囲に張り巡らされた期待と、ワットの持つ膨大なエネルギーの一部が混合され応量器に注ぎ込まれる。
「開祖星慶の発願成就のため、輪廻を認め僧としての心を正しく保ちます」応量器がカタカタと音を立て始めた。周囲の空間が歪み、光に包まれはじめる。
「ワットが食べる星を我らが食べる、食は往来古今、四方上下の仏土であります」やがて、ポンと気味の良い音を立てて音をなかが食事で満たされた。ワットがいま食べている月。自らの複製と僧の生産のための資源を食事として分け与える恵みの奇跡。星の成分が見事に加工され料理となって三人の前に現れる。水気のある椀物と有機物で構成された盛飯。二品のみの質素な構成だが、ともに現世のものとは思えないほど見事な造形である。
「そして今この食事をいただくのは、悟りへの道を成し遂げんがためです」各慶は祈りがうまくいったことを確認すると、竪琴をピンと爪弾いた。とたんに応量器の周りが蓮華の花で満たされる。宴会の準備が整った。
「お見事!」「素晴らしい祈りでした」二人に褒められ各慶は思わず赤くなる。不退転ボーナスにより、仏性率上昇を知らせる表示が各慶の視界を埋め尽くした。これら一挙手一投足がすべて悟りへの道へとつながっている。そう思うと誇らしい気持ちになるのだった。
「さ、食べよっか。いただきます」
「「いただきます」」

食事は穏やかに進んだ。盛飯の炊き加減、椀物の味付けともに絶妙で、かつ美味に寄り過ぎない、僧の食事として最適な状態だった。
「そういえば、道順お前、そろそろ悟りが近いんだよな」連来が言う。
「そうですね。おそらく次回の調伏で達成することになると思います」
各慶は飲んでいた椀物を思わず吹き出しそうになった。
「次回!?」
「はい」
「なんで言ってくれなかったのさ!」
「今言いました。今回の食事は、そのことを伝える目的もあったのです」
「…そっか、おめでとう、道順。僕たち産まれたときは同じだったのに、もう道順は悟りかあ…」
悟りを開くためには、無量大数に達する仏性率が必要だ。これほどの差が開いたのには理由があることを、各慶は十分すぎるほど理解していた。道順は、一度も死んでいない。三人は産まれてから二十ほどの星系の調伏に参加した。その間、各慶はおそらく百回は死んで連鎖ボーナスがリセットされた。連来に至っては数えることすら諦めるほど死んでいる。道順の正確無比な祈りが、長大な悟りへの道を一歩一歩押し上げてきたのだ。
「なあ、これ最後の食事になるのなら、聞いていいか? 今お前、ワットのエネルギーのどれくらいを使えるんだ」連来が尋ねる。
「およそ12.5%は私の権能に任されています」
「すげえな…想像すらできん。で、どうすんだお前? 悟りを開いたら」
「どう、とは?」
「わかるだろ。俺らの道は二つある。輪廻の道を外れて涅槃を得ることと、菩薩となり俺たちとは違う存在になって、100%の力を行使できるようになることだ」
「ああ…知れたことです。私は菩薩への道を選びます。今、この月から新しいワットが生まれようとしている。そちらに行こうと思っています」
「…つまり、このワットに残り俺らを見守ることもしてくれない、というわけか」連来が手にした箸を机に置いた。
「残念だよ道順。たとえお前が仏になっても、きっと俺たちを見守ってくれると思っていたのに」
「私も残念に思っているのですよ、連来。あなたとはまだ色々と話したいことがあった」道順は続ける。
「連来、私も聞いていいですか? 昔、同じように食事をしていたとき、あなたは私たちにこういった。星慶上人の発願を真に理解したうえで、三人で仏として悟りを開きワットを支えて行こう、と」
「ああ、言ったな」
「今でもそう思ってくれていますか?」道順はこころなしか不安そうな表情を浮かべていた。指先で胸元の法輪のネックレスを触りながら、それでも後光の強さは変わらない。
「変わらない。そう思ってはいる」
「ではなぜ、あなたの仏性率はまだその程度なのですか。連来、私はあなたこそが仏になるべきだと思っていました。法力の使い方、器楽の扱い。丁寧な調伏。あのころ私は、あなたのその巧みな腕を見て、自らを至らなさを恥じてすら、いたのですよ」
「何度も言ってるだろう。俺にはそんな実力などない」
「違いますね。私はこれまで数百万の僧たちと交わってきました。産まれが同じだということを差し引いて考えても、連来、あなたに匹敵する僧などほとんどいませんでした。なぜそうも悟りを拒否するのですか」
「一切衆生悉有仏性」連来が出し抜けに唱える。道順はそれを聞いて思わず姿勢を正した。
「この宇宙に生を受けた、すべての者たちは仏になれる素質を持つ。俺たちはそう教わる。だからこそ、教化した者たちを蓮の華に変え、苦痛を取り去ったうえで浄土につなぎとめ、少しでもあの者たちの存在を仏に近づける。それが俺たちの調伏だよな」連来もこころなしか不安そうな表情を浮かべている。自らの心情を探るように、慎重に言葉を選びながら続ける。
「俺はこの行動こそが、俺達も仏に近づくための修行であり、それこそが悟りを開くための仏性率の真なる意味だと思っていた。なあ、俺たちは仏性率を稼ぐことによって仏になれる可能性がある。だが、教化された者たちはどうだろうか。あの姿で仏に近づくことはできても、そのままでは仏そのものにはなれないんじゃねえか」
「彼らはじきにワットと同化し、やがて僧へと転生します。あなたも知っているではありませんか」道順は反駁する。
「そのとおり。そして、最近俺はよく考えていることがある。俺が連来として生を受ける前に、いったいどのような存在だったのか、ということだ。連来が死んで連来として輪廻する前の、教化される前の俺だ」連来は続ける。
「だから思ったんだ。本物の仏とならなくても、この姿のままで、調伏する彼らを見守り教化していくのも、それもまた仏の道ではないかと」
「…連来、それは成道とは異なります。僧として生を受けたのであれば、仏性率を高めることこそが無上の喜びだと、本能からそう思っているはずです」
「ああ、そうだ。だが、今、こうして本音で話してはっきりと自覚できた。仏になることそのものではなく、教化された彼らに寄り添うこと。それもまた星慶上人の発願に近い行為なのだと思う。たとえそのこと自体に、僧としての身体が喜びを感じられなくても、その道をいくよ。だから、道順…」
連来は、胸に下げていた法輪のネックレスを外して道順の近くに静かに置いた。
「これは、お前に返すよ。道は異なってしまったけれど、道順お前は新しい穢土ワットで、良い菩薩になって欲しい。アホな俺のこと、向こうにいっても忘れないでくれな」

法輪のネックレス。仏になる誓いの証。道順も胸に下げているそれを、各慶も持っていた。若き三人が食事を食べようとしたときに、あの完璧な道順が珍しく五観の偈を失敗し、生成されてしまった二目と見られない珍妙な物体。それを連来が、仏になる祈りとともに加工した。そして産まれた三つの装身具。三人で肌身離さず持っていたものだった。道順は寂しそうにそれを受け取り、連来のことを穏やかな目で見つめる。各慶も二人の姿をみて、別れの日が近いことを噛み締めていた。

星に対する二回目の調伏運動が開始されたのは、三人の食事から主星時間で三日後だった。それまでに散発的に月に対する攻撃もあったが、それらはすべて蓮の華に变化し、ワットを彩る衛星として転生している。
出撃のため飛雲にのった各慶は、いつもの通り連来の近くで楽隊を組む。道順はすべての僧たちをまとめる立場として蓮台に乗り、集団の中心にいる。いつもの編成、そして最後の編成。

各慶は宇宙の高みから星を見下ろす。チリチリとした太陽光が顔を照らしていた。青々とした水系はそのままに、かつて赤銅色だった陸地は、その半分までがきらびやかな浄土へと変貌していた。あと数回も運動をすればこの星の教化は終わりそうだ。
「さあ、参りましょう」道順が微笑みとともに話しかける。僧たちが一斉に祈り始め、各慶もそれに合わせて唱和する。仏の功徳をたたえる偈頌。

「「現世を望まず、来世を欲せず。ただ不死の底に達し、往古来今、四方上下の衆生を救わん」」
「「一切衆生悉有仏性」」
「「合掌」」一斉に飛雲が星への降下を始める。竪琴を爪弾き始めると、竪琴に接続された穢土ワットから、星を食べながら指数関数的に成長を続けるエネルギーが送られてくる。奏でた音色によってそれらが投射され、周囲を浄土へと変えていく。色とりどりの七宝、咲き誇る蓮華、そして僅かな反抗をねじ伏せる圧倒的な調伏。笙を吹く者、鼓を打つもの、多種多様な弦楽器を奏でるもの、そして唱和するもの。美しい音色があたりを包み込み、慈愛の光に満ちた集団は大気を圧しながら進んでいく。

北半球の島に降り立った各慶たち小集団のもとに、それを迎え撃つかのように星の兵士たちが集まってきた。粘体状のぶよぶよとした姿から数十本の突起が生えた生物。体を支える十本程度の触手がぷるぷると震えている。たった数日で仏の慈悲がこの星全体に伝わったようで、明らかに抵抗が弱まっている。各慶はその様子を見て、手早く彼らに対する輪廻の儀式をはじめた。御仏を称える偈を唱和すると、生物たちは動きを止め、そして蓮の花弁へと変化する。やがてそれらが集まり、一つの大きな蓮華へと昇華していく。
「「一切衆生悉有仏性」」僧たちは唱和する。彼ら生物たちが個として生きていたころの意識を蓮華へと誘導する。いつもの儀式。
「「合掌」」蓮華に吸い込まれた意識を、霧消してしまわないように縫い付ける。すべての制圧が終われば、やがて穢土ワットは主星をも飲み込みはじめるだろう。彼らの意識は穢土ワットに合流し、やがて僧へと転生する。浄土となった穏やかな世界で、御仏の功徳に感謝して生きる道。
周囲を制圧しながら進むと、やがて一つの大きな建造物にたどり着いた。いくつかの尖塔のあるドーム状の構造をしており、塔の先端は金色の金属で装飾されている。いつものように竪琴で建物ごと变化させようとする各慶を、連来が止めた。

「待て、少し様子がおかしい」
「何がおかしいの?」
「よく見ろあの周囲。生物たちが攻撃している」
確かに、見るとあのぶよぶよした生物たちが建物を取り囲み、手に持った火器で攻撃しているように見えた。内紛だろうか。あたりには黒い煙が立ち込め、生き物を焼く臭いがあたりに立ち込める。
「本当だ。どうしようか」
「彼らも救う。ただそれだけだ。そのあとで建物を調べてみよう」連来は鼓を打ち鳴らした。とたんに、彼らの手に持った銃器が七宝へと代わりあたりを漂い出す。飛雲の到来に気づいた兵士たちはパニックになったようで、建物から遠ざかろうと逃げはじめた。そのような姿を見逃すはずもなく、各慶は竪琴を爪弾く。とたんに兵士たちは蓮華と変化し、あたりに立ち込めていた煙は吹き払われ、臭気は一層された。先ほどまで戦闘していたとはとても思えないほどの静寂があたりを包み込む。
「さあ、入ってみるか」連来は飛雲から降りて、建物の中へズンズンと進んでいった。各慶も同じく降りてそれに続き、残った僧たちは飛雲に乗ったまま周囲を警戒する。

建物の中はシンプルな構造になっていて、短い入り口から入ると中には長い廊下があり、天井は高く吹き抜けになっていた。左右の壁側には、一定間隔で円柱が配され、その外側に側廊がある。一番奥に何か壁画のようなものが書かれていて、そして廊下には百体以上の生物が身を寄せあっていた。壁側から火器を持った兵たちが駆け寄ってきたが、敵わないことを知っているからか、その銃をこちらに向けようとはしない。
「あの壁画…」各慶の目が釘付けになる。
「ああ、似ているな」連来も応えた。
その壁画には、雲に乗って駆ける、この星の生物たちが描かれていた。数十本の長い触手がそれぞれ合掌している。生物たちには後光が差し込み、あたりにはきらびやかな宝石が散らされている。壁画に見惚れていると、各慶、連来のもとに周囲の生物たちがワッと押し寄せて、粘体状の体をゴシゴシと擦り付けてきた。とても嫌な臭気も同時に鼻をつついたが、不思議と不快な思いはしなかった。
「こいつら、勘違いしてるんだな、多分。それで仲間から攻撃されて、いま救いが来たのだと思っている」
「…どうしよう?」
「救う。それだけだ」連来はきっぱりと言い、持っている鼓を打つ準備をした。
生物たちがザワっとしたように思えたが、それもすぐに収まり、生物たちがその触手を合わせ合掌する。経文のような音があたりに響く。この生物たちに、表情を慮れるような構造は何もなかったが、不思議と安心したような顔をしているように各慶には思えた。連来が鼓をポンと打つと、内紛でボロボロになった建物が見事に復元され、あたりを七宝が覆う。各慶は覚悟を決めて、竪琴を鳴らした。生物たちが蓮華へと変化していく。

やがて建物全体が蓮華と変化した。
「終わったね、帰ろうか」
「なあ各慶、ちょっと頼みがあるんだが」
「何?」
「俺、ここに残ることにする」
「…はあ!? なんで!」
「こいつらを、穢土ワットが飲み込むその日まで看取りたくなった」
「そんなことできるわけないでしょうが! だいたいここにいたら食事も出せないし、なんなら数日で死んじゃうよ!」
「まあ、そんときはそんときだ。多分この星の食い物は俺たちでも食えると思う。なあ、俺のこと、戦死したことにしておいてくれねえか?」
思わぬ申し出に混乱した。僧抜けは重罪だ。それだけで地獄へと落ちかねない行為。当然、それを隠した各慶も同罪になる。
「…なら、僕も一緒に残る」
「アホ! 昨日三人で話したこと、忘れたとは言わせないぞ。頼む各慶、俺のやりたいようにさせてくれよ。ほら、この鼓を持って帰ってくれ。そうすれば俺は戦死したことになるから」
「その行為で連来が地獄に落ちるのも、仏の道だとでもいいたいの?信じられない!」
「…頼むよ」
各慶は悩んだ。だが、連来は一度言い出したら止められない正確だということもよく知っていた。止められないのであれば、もうその決意に応えるしかない。
「…分かった」

各慶は鼓を受け取り、出口へと向かった。振り向くと、連来は蓮の華を愛おしそうに撫でている。その姿に向けて手をふると、連来も名残り惜しそうに、だが自信に満ちた表情で手を振り替えした。
建物から出て飛雲に乗った各慶は、周囲の僧たちに連来の戦死を告げた。連来の戦死はいつものことで、彼らにとっても特に驚きもないようだった。発覚するのではないかとドキドキしていたこと自体が杞憂のようだった。
やがて、星の制圧が完了したころ、周囲に虹色の光が発せられ、やがてこの星全土を覆った。浄土化の完了と、この戦いでの道順の菩薩化を知らせる光だった。おお、ついに、と僧たちは口々に道順の徳を称賛し、戦死した連来の検証など気にするものは誰もいなかった。

穢土ワットのなかで最も大きな金堂に、僧たちが一堂に会する。菩薩五十二段階の最後の位、妙覚に達した道順が語りかけた。その言葉はとても明瞭で一点の曇りもなく、それぞれの頭に直接入ってくる。あたりを金色の光が照らす。この上なく明るく、金堂には一つの影すらなくなっていた。それなのに少しも眩しくない。
「今日この日を迎えられたことに感謝します。すべての僧たち、穢土ワット、そして我々が広めた浄土の信仰に支えられて、私は悟りを開くことができました」道順が穏やかな表情で語った。
「私はいま、菩薩となることを嘉し選びます。新しき穢土ワットの誕生と共に、新たな星へと出発することを宣言します」
涅槃ではなく菩薩を選ぶこと、そして新しいワットと共に出発すること。新たな仏国土建設の旅を選ぶ道順の挑戦に、僧たちは一斉に沸いた。
「さあ、皆で見ましょう。そして今日この日を永劫に語りましょう。この月から産まれる新しきワットの姿を」
月を飲み込んだ穢土ワットが次第にねじれ始め、その螺旋状の構造が約三分の一のところで切り離され分離した。今ワットの複製は完了され、新たな穢土ワットが誕生した。それと同時に、道順の周囲の空間が歪みはじめたかと思うと、やがて道順を包み込むようにして消え去った。
「「新たなワットの門出に」」
「「新たなワットとなった、道順の門出に」」
「「合掌」」僧たちが祈る。菩薩となった道順は、今や新たなワットと一体化しこれを守護する存在となった。間もなくここを離昇し、新たな星系に向けて旅立つことだろう。各慶は同窓から菩薩が産まれたことに誇らしさを感じながらも、寂しさを禁じ得なかった。胸には法輪型のネックレスが光る。道順のいなくなった場所をじっと見つめつつ、いつまでもネックレスを触り続けるのだった。

祝祭を終えた各慶が小さな金堂に移動すると、そこには連来がいた。
「あっ、連来! 元気はどう?」各慶が話しかける。
「おう、元気いっぱいだ! それにしてもすげえな道順の野郎は。俺がまたしても死んだ日に、菩薩になっちまうとはな。見たかったぜまったく」連来が答える。
各慶は知っている。この連来は、星に残った連来とはまた別の存在だ。胸には、道順に返したはずの法輪型のネックレスが光っている。輪廻のなかで転生した遠来は、ワットに残されていたデータによって顕現した。おそらく、復元されたデータは僕たちの食事会よりも前のものだったのだろう。連来、多分わざとあの日のバックアップを取らなかったんだろうなと思った。彼の消えてしまったその差分は、今も主星に残る連来の確かな存在となって、あの生物たちと寄り添うことを選択したのだと思う。

「…多分、そうなのだと思います」頭のなかに声が響く。いなくなった道順、いまや分離した隣の穢土ワットから、超常にも近い力で語られたのだと各慶は気づいた。
「連来に、いつか再開を楽しみにしていると伝えてください。多分、その連来はいつかまた、あの連来と同じ選択をするでしょう。そのときに、それを星慶上人の願いとして認め、道順の願いでもあると伝えてほしいのです。各慶、頼みましたよ…」
道順との交信は途切れた。菩薩様は何もかもお見通しか、と苦笑した各慶は、二人の裏切り行為を見逃してくれたことに感謝するのだった。

月を食い尽くしたワットが主星へと降下を始める。間もなくこの星系はすべてが浄土となるだろう。道順の菩薩としての門出を祝いながら、各慶はいつか仏になったその日には、自分は涅槃を選ぼうと考えるのだった。

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