悲鳴

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梗 概

悲鳴

ライターの吉田(男性・三〇代)は、目黒の高級マンションへと取材に向かった。
そのマンションは”悲鳴礁”に見舞われ、元の入居者たちが去った今は、フリーターや外国人労働者が格安の家賃で住んでいるのだという。

“悲鳴礁”は、数年前から世界各地で突然はじまった現象だ。
それが発生した場所では、誰もいないのに、悲鳴が聞こえる。機械で捉えられる、れっきとした人の悲鳴だ。
耳をふさぎたくなるような、女性の金切り声。拷問でも受けているかのような男性の絶叫。無数の悲鳴が昼夜を問わずまき散らされる。
発生件数は年を追うごとに激増し、海外では”悲鳴礁”に呑み込まれた都市まででてきた。
件数が比較的少なかった日本でも、ここ最近は増加傾向が顕著になっている。
科学は仮説を量産し続けるばかりで、現象を解明する目処は立っていなかった。

某国の音波兵器だとか、未来で起きた大災害の悲鳴が時空を超えて届いたとか、カーラジオから流れる”悲鳴礁”討論を聞きながら、吉田は思う。自分が最後に悲鳴を上げたのはいつだったろうと。
父親からの暴力を受けて育った幼少期に、吉田は感情を殺すことを覚えた。声もあげず、何も考えず、ただ黙って嵐が過ぎ去るのを待つのが最適解だったから。そのせいで、ほとんど感情が動かない。吉田が車に轢かれて死ぬとしたら、きっと声も上げずぼんやりとヘッドライトを眺めているだろう……。

吉田は、”悲鳴礁”に踏み込む際の必需品である専用ヘッドホンをつけ、マンションへと入る。
そこは変人のデパートと言ってよかった。
悲鳴を採取し、声を分析して悲鳴の主の顔を再現しようとする芸術家。
悲鳴の中でセックスすることに悦楽を覚えるようになった男女。
悲鳴を浴びることでバジルやミニトマトの質が良くなったと主張する家庭菜園女。

中でも、ヘッドホン無しで生活しているフリーターの女に吉田は興味を覚えた。
――よく平気ですね。
ヘッドホンをしている関係で、吉田は筆談にならざるをえない。そう書いたメモを渡すと、女は穏やかに微笑み、メモを返してきた。
――よく眠れますよ、悲鳴にくるまれていると。ふつうに暮らしていると、なかなか叫ぶことってできないじゃないですか。おかしなやつって思われたり……。でも、そうしたいと思っているひと、多いと思うんですよ。私もそうですし。そう思うと、これが本当の世界の姿なんだって気がして。安心するんですよね。

吉田は共感している自分に気付く。
もしかしたら、”悲鳴礁”に響く悲鳴は、「殺された」悲鳴たちなのではないか。
誰かに叫ばれるべきだった、にもかかわらず叫ばれることのなかった感情。その吹き溜まりが”悲鳴礁”なのでは?
吉田はそこに自分の悲鳴がまじっているように感じる。父親に奪われた自分の感情が。

マンションに引っ越してきた吉田は、時折、ヘッドホンを外して悲鳴に耳を傾ける。悲鳴が、まるで自分のよすがであるように。
そのかたわらで、地球は悲鳴に満ちた惑星となっていく。それは、よいことなのかもしれない。それらの悲鳴が居場所を得たということなのだから。

文字数:1254

内容に関するアピール

いまの世界に増えるべきものって何だろう、と考えて出てきたのが「悲鳴」でした。「悲鳴」を発しても無視されがちな昨今なので、小説の中でくらい、「悲鳴」が幅をきかせてもよいのではないでしょうか。

文字数:94

課題提出者一覧