梗 概
【拡散希望】
二〇二〇年四月七日、新型コロナウイルス感染拡大を受け東京都に非常事態宣言が発出されたその日、私は舞浜駅を出て右手の陸橋でシンデレラ城の方角を拝んでいた。ディズニーを愛してやまない私は、臨時休園が始まっても週末に舞浜へ向かう習慣を抜けずにいた。
その日は一層やるせなく、葛西臨海公園まで足を伸ばし東京湾の堤防でタブレットにスケッチをすることにした。私にはオタ活のほか、投稿サイトへ定期的に絵と小説を載せる趣味もあった。日暮れが迫る頃、私は浅瀬の一部が金色に輝いていることに気づく。近づくと、ビー玉ほどの大きさでそれよりずっと柔らかく、粘液を帯びた卵が浸かっていた。私はそれを持ち帰ることにした。
海水魚の飼育法を調べ水槽や人工海水をネットで購入し、卵をそこへ投じてみる。孵化はすぐに始まった。胚に尾鰭が生えて殻を破り、突き出た吻で殻を食べた。数日の内に尾鰭が分岐し、胴は固い鱗で覆われ胸鰭が伸びた。市販の餌も人間の残飯も何でも食べた。頭と胴が肥大するにつれ背骨が曲がり、流線型から脊椎と尾鰭が垂直の直立姿勢になった。目は頭部の真横から正面に移動し、上下の顎が伸びて硬化し嘴になった。孵化から約一か月後、非常事態宣言が延長されたその日、背鰭に赤い毛が生えだしてようやく、私はその生物の正体がわかる。
〝それ〟を検索していると、突然「にてない!」という声が聞こえてきた。聞こえるというより聴覚を介さず直接脳の中枢に届くような、考えごとの最中に他者の言葉が混ざり込んでくる感覚だった。振り返ると水槽から顔を出した〝それ〟がひし形の目でPCを睨んでいた。画面には匿名の誰かが描いたアマビエが映っていた。
ある夜、アマビエが「これなに」と壁に貼られた絵葉書を嘴で示した。父の浮気で離婚した後、女手一つで育ててくれた母から送られてきたものだった。思えば私が人を信じられず二次元に没入したのも父のことが大きい。しかし、虚構だと思っていたものが実在することもあるのだ。私はアマビエを本当の母の元へ帰そうと決める。
卵を見つけた場所では母アマビエが我が子を探していた。彼女は、アマビエとは太陽系外惑星に棲む知的生命体で、今からおよそ二百年前、地球侵略を考えたアマビエたちは日本に侵入し自分たちの姿を描かせて存在を知らしめようと画策するも、交渉相手の絵が下手すぎて失敗に終わったこと、作戦を担当したアマビエの一人は責任を負わされ星流しの刑を受け日本に棲み続けたこと、その末裔が自分であることを説明した。
憐れんだ私は餞別に彼らの絵を描く。「地球で隠れ住むのは大変だろうけど頑張って」と私が励ますと、彼女は大丈夫だと気丈にふるまい、こう続ける。
「もう隠れる必要はありませんから」
彼女の背後の暗い水面から、無数のひし形の眼光が私を照らしていた。
その時描いた絵を今ここに投稿する。どうか拡散してほしい。奴らは侵略を始めるだろう。あなたは信じてくれますか?
文字数:1215
内容に関するアピール
■テーマを選んだ理由
緊急事態の最中、アマビエチャレンジは人々に一体感をもたらす一方、「私たちにできることはそれしかないのか」と、どこか虚無感を象徴する行為のように思いました。ダルマや御朱印が作られるけれど、誰も本気でその存在を信じ祈っているわけではなく、かたや電車広告や商品として私たちの日常生活の中に溶け込みつつある。そんな現在において、本当にアマビエが存在するとしたら? を考えてみたいと思いこのテーマに挑戦しました。
■登場人物
・私…29歳OL。平日は事務仕事。三次元には裏切られるから二次元を愛でる。
・アマビエ…大気構成や気候は地球とよく似ているが表面のほとんどが水で覆われた惑星で、水中生活に適した進化を遂げた。
■実作をどう書くか
・主人公〝私〟の一人称。回想語り。ラストには、このテクストが実は〝私〟が投稿サイトに書いたものだと明かされる。
・子アマビエを母に返す日に緊急事態宣言が解除される。
・アマビエの成長過程をコロナ禍の動向と照らし合わせながら丁寧に描写したいと思います。
文字数:443