梗 概
君の静かな遠吠え
高校生の伊澄守哉はいつも同じ夢を見る。名前も知らない女が自分を庇って死ぬ夢だ。
守哉はこの夢がいずれ現実になる事を知っている。なぜなら守哉は、未来予知者だからだ。
ある日、守哉のクラスに転校生がやってくる。名前は荒樫乃亞。守哉は驚く。乃亞はいつも夢で見るあの女だった。
乃亞は守哉が気に入ったのか、しつこく付き纏ってくる。試しに守哉が未来を覗いてみると、乃亞が自分を庇って事故死する二週間後の未来が見えた。夢と同じだ。守哉は未来の自分とは異なる行動をとる事で悲劇を回避した。代わりに見知らぬ誰かが事故死する事になるが仕方ない。
そんな事を何十回、何百回と繰り返し疲弊した守哉は、乃亞に「俺が勝ったら二度と付き纏うな」と賭けを挑む。コインを十回投げて裏表を当てるというシンプルなものだ。当然守哉は全てを言い当てる。だが乃亞は驚かない。乃亞は守哉にコインを投げさせ、十回、二十回、三十回…全てを当て続けた。乃亞も超能力者だったのだ。
初めて出会う同胞に歓喜する守哉。だがすぐに乃亞を失う恐怖が上回る。彼女が死ぬ未来は絶対に避けたい。守哉は過剰に未来予知を繰り返すようになり、次第に様子がおかしくなり始める。遂に守哉は、どう回避しても乃亞が自分の代わりに死ぬ未来を見た。阻止する方法はひとつ。自分が乃亞を庇って死ぬ事だ。
守哉は乃亞に感謝していた。起こらなかった未来とはいえ、彼女は何度も自分を守り抜いてくれた。乃亞は知らなくても守哉は知っている。二人は出会ってまだ一週間と二日だが、守哉にとっては十年を共にした親友だった。守哉は乃亞を庇って死んだ。
死んだはずの守哉が目覚める。死の一日前に戻っているのだ。だが乃亞は驚かない。
こうなるのは、これで6561回目だという。
守哉は思う。自分は確かに死んだはずなのに、まるで夢のように実感が湧かない。特に痛みは、あれだけ悶絶したはずなのに「人生で最も痛かった」という情報でしか思い出せなかった。落胆したように乃亞が言う。「何度やり直しても君は私の代わりに死ぬ。強情っぱりめ」。それを聞いて守哉は笑った。自分達は似た者同士だな、と。
乃亞は映像を巻き戻すように、更に過去のある地点まで世界を戻した。これが乃亞の本当の能力だった。
守哉が蘇る。記憶をなくして。守哉はこれから自分の身に何が起きるか全て知っている。だが何も疑問に思わない。
なぜなら自分は未来予知者だから。
今起きている出来事はループだから知っているのではなく、未来を予知できるから知っていると思い込んでいるのだ。
守哉は気付かない。何千回と周回する人生に。この世界は偽りなのだろう。でもそこで感じる喜怒哀楽は本物だ。ただ初めからなかったように消えてしまうだけ。守哉は生きている手触りだけを永遠に感じ続け、死ぬ事も許されない。
6562回目を生きる守哉の前に、再び乃亞が現れる。もう一度最初からやり直す為に。
文字数:1200
内容に関するアピール
コロナは表面的な人間関係を円滑にさせた反面、踏み込んだ関係性を切断し、良い意味でも悪い意味でも過剰さを根絶やしにしつつある。他者への執拗にも思える知的欲求は暴力であり、今後は確かな悪と見なされていくのだろうか。これまでは女神に思えたキャラクターが、これからは魔女と呼ばれるように。
文字数:140