梗 概
縁をこえて
縁(よすが)は、山間の施設に幽閉されていた。
齢二十歳程度に見える縁の役目は、定期的に人と会い、対話をすること。
世界的テック企業イノセンスはその内容をすべて記録し、保管している。
私、青葉ツグミはこの奇妙な仕事場で精神科医をしている。
私の主な仕事は、縁のメンタルケアになる。
縁は特殊な人間だ。生来の障害を脳に抱えて生まれ、感情の乏しい人間だったと聞く。
イノセンス社の先端研究の一つ、コンピュータによる補助電子脳の手術を受け、奇跡的に適合した。
それから十年間、縁はこの施設の中でのみ生活している。
縁の対話は初めは単なるリハビリテーションであった。
しかし、半年ほどたつと異様な洞察力、知識量に驚かされることになる。
縁は無意識に補助電脳からウェブにアクセスし必要な情報を引き出し、対話を行うようになっていた。
縁のその力は年月とともに先鋭され、対話する対象と同調し、ウェブの声を引き出し、自らの言葉として発するようになった。
それは、人と会話をするたびに一から自我を構築するような荒業であった。
同時に、関心のあるネットメディアの声を正確に引き出す技能とも呼べるものであった。
この技能を、技術として確立したいイノセンス社は様々な業界人と縁を面会させ、記録を取り続けている。
私の仕事は、その間の精神汚染の漂白である。
いわば、PCのログを削除し、きれいな検索エンジンとして縁を機能させるためのもの。
ある科学者と対話したときは一度も学習したことのないブラックホールの熱力学を言葉にし、
ある文学者と対話したときは読んだこともない本について語ってみせる。
政治家の前では、まるで同じ派閥の議員であるかのように演説をしてみせた。
縁と対話するたび、私は全くの別人と対話をしているような気になる。
けれど、縁からの発信は、私と会話を行うたびに、きれいになっていく。
最終的に、縁が十分以上しゃべらなくなると、ケアは完了とみなされる。
その日も、そうなるはずだった。
「ツグミは、わたしと会話しないことで、わたしと話しているの」
「どういうこと?」
「ツグミは、すべてを吐き出して、からっぽのわたしになったわたしと話しているの」
「今日の話し相手はそんなことを言っていたの?」
「もう十分なの。ツグミの会話も、わたしの回答も完成した。本当の意味で、わたしはツグミと話すことがなくなったの」
その日、私は報告書を提出した。
ひとつ、縁は私とのメンタルケアを必要としなくなったこと。
ふたつ、縁は、縁の脳内に私の存在を仮定することを成功させた可能性が高いこと。
みっつ、今後、縁を他人と接触させることは控えること。
私の報告書は、おそらくは大した扱いはされなかったのだろう。縁の対話は変わらず継続されている。
ただし、私は縁のメンタルケアの担当からは外された。
気がかりなのは、今後、縁があらゆる人間を手に入れたとき、何を選択するかということである。
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内容に関するアピール
いわゆるセカイ系の現代的なアップデートを試みた。
セカイのとらえ方が、ゼロ年代からは大きく変容している。それは、SNSをはじめとしたメディアの到来による変容が大きいのではないか。
近未来、ウェブにより接続するようになった人間はどうなるのかという今の像を、縁という存在に映し出したつもりである。
NETFLIXのドキュメンタリー映画「監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影」は、今のメディアのわかりやすい寓話だと感じ、参考の一つになったように思う。
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