梗 概
わたしがぼくになるまでの1/6
あなたが感じる太陽の光ってこんなに青いのね。
彼女は傍らで微笑む視覚を失った車椅子の彼に語りかけた。
あなたの世界、あなた自身がこれから私のなかで増えていくのね。
2/6の後頭葉移植手術も成功した。初回の小脳移植と比較してドナーと患者間においては後頭葉視覚感覚質の移動がみられた。患者におけるドナーの感覚質の増加は今後の脳部位移植ごとに1/6づつ増加することが予測される。それは知覚のみならず、高次機能である記憶や判断なども、そして自我というものまで含み込んで。
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2ケ月前、ある若い進行性腐敗脳女性患者とその恋人の強い希望によって世界的に例のない脳移植手術が非合法で極秘に開始されることになった。
動物実験である期間において一度に脳を移植できる許容量には限界があることがわかっている。そのため全脳を一回の手術で移植はできないが、逆をいえば、時間をおいて脳を移植できる許容量を回復させ、手術を複数回に分けることで全脳部位を移し替えることが可能である。
今回のケースでは一年で全六回段階的に1/6ずつ彼の脳を彼女に移植する。手術自体は恐らく成功するだろう。だがその成功がドナーとレシピエントの間で何を意味しているのかは分らない。確実なのは脳を全て取り出した肉体は間違いなく死ぬということだ。
君たちの覚悟は変わらないか。医師は手術前に二人の恋人に問うた。
二人の恋人の決意は変わらなかった。
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3/6の移植手術が行われた。頭頂葉は体性感覚機能が局在している。
手術後、脳を1/2共有した恋人たちは残された僅かな時間を惜しむように共に過ごし、そして触れ合う。この手に触れて感じるわたしの暖かさはあなた? 囁いたのは患者の方だった。脳移植量が半分を越えたところで半ば予想されていた通り、半ば覚悟していたと通り、二人の間で自我の混乱が生じ始めた。
4/6、前頭葉移植。
記憶や判断など患者のなかで他性が溢れた。
彼女と出会う前の彼女の知らない彼や共に過ごした時間の彼から見た記憶、それらの時間を患者は思い出す。
5/6、側頭葉と辺縁系。
情動が移植される。僕は彼女なんだ、そう感じているんだ。そう医師にぶつける患者の言葉には苛立ちと切迫感が滲む。
あなたが本当にそう感じるなら。担当医は言葉を切って言った。それは誰にも否定できません。
最後の手術の前日、5/6脳移植患者は、恋人の男の肉体のあるベッドの傍らに跪きその手を握る。
最初に移植を提案したのは彼の方だった。患者は手術前に話し合った二人の記憶を探り、そのとき彼女はどんな結果を望んで彼の提案を受け入れたのか思い出そうとする。死にたくない。あのとき彼女が泣き叫んだ声がいまの「彼」の脳に響いた。
6/6、最後の脳幹移植。脳を完全に失ったもう一方の肉体は死んだ。一方の患者は目を覚ますと手鏡を持ってきてほしいと言った。患者は鏡を見つめた。いつまでも見つめ続けた。そして鏡を抱いて泣き続けた。
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内容に関するアピール
1/6ずつ脳を移植することによって、ある人のなかに1/6ずつ他性が増加するという話です。脳移植で、人格が変化するというのはSFでは古典的かもですが、そこをさらにディティールを詰めて深化させ移植を段階的に行うことによって、そもそも自己とは何かと問うような作品にしたいと思います。端に主観が移動する、というだけではないものになるべきだと考えています。脳を移植したらそもそも死んでしまうかもしれませんが、少なくとも移植のあいだだけ生命維持ができるようなガジェットとして、長期間頭蓋に入れておくと癌化する開発中の人工脳神経を一時的に脳を抜いた方に挿入させて生命維持だけさせるという設定を考えています。そもそも脳を移植することに対して倫理的な議論も社会的状況として起きそうですが、実作ではそこには踏み込まずあくまで変化していく二人の関係と感覚世界を丁寧に心理小説として目いっぱい描きたいと思います。
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