梗 概
避密人
2020年4月9日、新型コロナウイルスが蔓延する東京で、「私」こと主人公、佐藤里子(50歳)は、雷に打たれたことをきっかけに、特殊な能力を身につけてしまう。里子の顔面から2メートル以内に近寄ろうとした人間は、例外なく2メートル圏外に押し出されてしまうのだ。
自分の身体の異常を知りパニックを起こした里子が街に飛び出すと、近くを通りかかった老人が建物にのめり込み、圧死した。近づいてきた人が次々と車道へ弾きとばされ、交通事故が多発。混乱のさなかタクシーに乗ろうとすると、タクシーの運転手が窓を突き破って吹っ飛んだ。もちろん死亡している。
里子はさらに数人の犠牲者を出しながらも、人との距離の取り方を覚え、新しい生活様式に馴染んでいく。半径2メートルの円を描くライトを頭上につけることで、すれ違いざまの事故は防げるようになったし、ひと気の少ない夜間を中心に出かけるようになった。
ある日、たまたま道ですれ違った甥の健人(16歳)から、装着しているライトの不格好さを嗤われる。その瞬間、健人の頭上に雷が落ちた。健人が目を覚ましたときには、里子と同様、2メートル圏内に人間が入れない特殊能力を身につけていた。
里子は健人の話を聞いて、自分が雷に打たれる直前に、会見中の都知事が「密です、密です」と言いながら取材陣の接近を制した様子を野外テレビで見て、その滑稽さを嗤ったことを思い出した。
そして徐々に、人との接近を避ける里子や健人の姿を路上で嗤う人が増えていき、そのたびに雷が落ち、2メートル以内に人間を寄せ付けない「避密人」が増えていった。
避密人専用の歩行スペースや避密人専用列車が登場し、避密人用の人避けテントが飛ぶように売れた。野外で避密人のことを嗤うともれなく雷に打たれ、自らも避密人になってしまうので、決して避密人を嗤わぬように周知・教育が徹底されるが、男子小学生を中心にどんどん避密人が増えていく。
避密の流行に伴って、新型コロナ・ウイルスの蔓延は次第に収まってきた。その一方で、不注意な避密人の動きによる圧死事故が続出する。ついには、避密人を中心とした犯罪グループまで結成される始末だ。
避密人は、非避密人(通称、密人)から蔑まれ、差別されるようになる。事態を重く受けとめた避密人たちは、平和と協調を訴えるイベント「避密人平和大会」を開催することにした。
まず、3人の避密人が一辺2メートルの正三角形の頂点の位置に立つ。同様の三角形を周辺につなげていき、最終的に、円に限りなく近い形の「避密人の輪」を作り、これをもって避密人の平和と協調の象徴とするのだ。
避密人の輪が完成したとき、円の中心で、里子は思わずくしゃみをした。しかし、誰も飛沫を避けない。私たちはもう、十分に離れているからだ。
文字数:1144
内容に関するアピール
今まさに旬のコロナネタに正面から挑戦しました。
最近周りを見ていても、密を気にする人と気にしない人で、かなりの分断があるように思います。その分断を、密人と避密人の対立で表現しました。密を気にする人を馬鹿にしていると、いずれ自分もウイルスに感染し、密を気にする人の側に押し込まれます。避密人を嗤うと自分も避密人になるのはそのためです。他方で、過度な自粛の影響で経済的心理的に死に追いやられる人もいます。避密人の動きから生じる圧死は、そのような自粛による死を象徴しています。
私たちにとって、人との程よい距離感はどのくらいなのか、問いかける作品です。
SF的文脈でいうと、人口爆発テーマの「密集SF」の逆、「スカスカSF」と言えるかもしれません。
避密人平和大会の壇上で、主人公が回想スピーチをするところから始まる構成で、全体としてバカ話系のテンポで進んでいき、壮大にバカバカしいラストを迎えます。
文字数:395