梗 概
チタニウムの雪原
年中雪が降り続いている星。
酸化チタンの雪は、雪片自体は無色透明、その反射光は雪片に含まれる不純物の割合により、様々な色温度で拡散する。
つまりは、虹色の雪。
この星―オシリス01―は、2つの太陽の周りを回っている。1つは小さな太陽「ラー」。オシリス01は、月のように、ラーにはいつも同じ面「赤の半球」を見せて公転し、ラーの灼熱に焼かれている。そこで気化した酸化チタンが、「青の半球」で冷やされると結晶化して雪となる。だから、青の半球では年中雪が降っている。こちらは、ずっと夜のままかといえば、そうではない。オシリス01は、もうひとつの太陽「ヘラ」の周りを公転しているからだ。
アギノジロは、地球からの移住第4世代アンドロイド。移住第1世代たちが開拓した小さな村は、いまや2つの大都市を鉄道が結び、高層ビル群のある目抜き通りにはファッションブティックが建ち並んでいた。除雪車が毎日騒音を立てて街中を低速で走っている。
テレビのニュースでは、この惑星が数億年かけて、「ラー」に向かって、「落下」しているという。
そのせいで年々雪が増えていると。ラーとの距離が縮まると、「赤の半球」で燃やされる酸化チタンも増えるからだ。対流が激しくなると、風もますます強く吹く。アギノジロは高層マンションの窓から、向かいに建つビルを眺め、妻に電話をかけた。お互いの部屋の光が見える位置で別居している。次の結婚記念日のプレゼントの話をした。
「そうだな、一角獣の彫刻なんてどうだい」
「マリオが好きだったわね」
妻は鼻をすすっている。
「ねえ、魂の永遠って信じてる?」
「唐突だね。そんなこと、知りようがない」
「わたしは、まだわからないの。マリオがまだその辺にいるような気がして」
千年が経った。かつての都市は、ところどころ高層ビルが頭を出している程度だ。彼は、かまくらで暮らしていた。妻の家も、数キロ先にあった。丸い窓から、妻の家の光を探した。彼は妻に電話した。
「マリオの墓を作らないか?」
二人は、長い長い棒状の墓標を作り、これを突き立てた。妻は膝をつき、1200年ぶりに精油の涙を流した。ここに埋めるマリオの遺骸や部品はなかった。マリオはこの場所で、ある日吹いた突風によって、「赤の半球」に飛ばされたのだ。
「ラーに落下したら、この星はどうなるの?」
「蒸発するね」
二人は、定期的にマリオの墓標を作り直しに行った。虹色の大雪原に、墓標の頭だけが見えていた。
「じゃあ、その時でも、魂は永遠なのかな」
「蒸発したら、流石に終わりじゃないかな」
「終わりってどういう感じ」
「終わりは終わりだよ。なんにも残らない」
凶暴な虹色の雪は、優しく美しく、そして容赦なく、すべてを覆っていった。アギノジロは、地表から数十キロのところに埋もれていた。彼は思い出したように微弱な電波を発して、遠くにいる妻に語りかけた。
「マリオの墓標がどこにあるか、おぼえてる?」
壊れかけた妻の返事はしばらくなかったが、たまたま電流が通うまでに数百年かかった。
「おぼえているわ」
数百年おきに二人は対話を続けた。その間にまた数キロの雪が積もっていった。
「すべてが対流しているのなら」
「うん」
「マリオは雪片になって、ぼくらの上を対流し続けているのだね」
「わたしたち、しあわせね」
「しあわせだ」
朝日が昇り、虹色の雪原をきらめかせた。
数億年後、オシリス01は、ラーに落下し、合一した。
文字数:1393
内容に関するアピール
高校生の頃、膨張していく太陽にいつか地球が飲み込まれる日のことを想像して、怖くなりました。生まれ変わりがあったとしても、数十億年経って太陽に飲み込まれたら、その時こそ本当に終わりだろう、と。
ホットジュピターは木星型の灼熱巨大惑星のことで、1995年に太陽系外惑星として発見されてから、様々なタイプが見つかっています。恒星の至近距離で、月と同じく、公転周期=自転周期で回るので、恒星には常に同じ面をさらしています。時には恒星に落下して合一します。ホットジュピター「Kepler-13Ab」は、こと座の方向1730光年に位置し、光の当たらない「夜」では、酸化チタンの雪が降っているというのです。昼の半球で気化された酸化チタンが、夜の半球へ送られると冷やされ、雪として結晶化するのだそうです。
虹色の雪が降り積もるに従い、悲劇に近づく。雪の静謐さと共に、多幸感が高まるようにと思って書きました。
文字数:393
吹雪とささやき
酸化チタンの雪は、雪片自体は無色透明、それぞれ、指先くらいの大きさで、雪片に含まれる不純物の割合により、様々な色温度で散乱している。
いわば、虹色の雪。
その雪は、東からの風に乗って、ふわふわと大気を漂い、空を西へ西へと流れていく。空を見上げると、虹色に光る何十もの筋状の雪雲が、空の半球全体に線形を引いている。
一体の人型アンドロイドが、それを見上げている。
アギノ・ジロは、西の空に沈みゆく2つの太陽が、今日は並んでいるのを呆然と見ていたが、ふっと自嘲のようなため息ひとつついて、歩き出した。サクサクと新雪を踏みしめながら、坂道を登っていった。風がびゅーと吹いている。墓は丘の頂上付近にあった。一ヶ月ぶりに見る墓標は地面から数十センチが雪に埋まっていた。墓の頂部に積もった雪を払うたび、きらきらと虹色の粉が散った。この星では年中降り続いている。
妻とここで落ち合う約束していたのだが、姿は見えない。
アギノ・ジロは墓標周りの雪かきを始めた。しゃがみこみ、チタン製の指で墓標の表面の字をなぞった。
「マリオ・トーネン」
友人の名が刻まれている。アギノ・ジロは、ひと月か、ふた月に一度はこうやって墓掃除にきていた。積もった雪を払い、墓標を磨き、周りを踏み固める。
背後で、ざ、ざ、と足音がきこえた。重い足取りだ。墓泥棒の老アンドロイドだった。彼の名がレベジェフだということは知っていた。足の作動音がやかましい。第1世代の遺物だ。背が低くて腕が長い。やれやれ、この坂道はこんなにきつかったか、とかぼやきながら、腕や肩の雪を払っている。アギノ・ジロに気づくと、「へっ」と言って近づいてきた。墓掃除を手伝うふりをして近づき、埋葬品を奪っていくのである。
「雪かきは要らないかね」
「毎度ありがとう。でも、要らないよ」
この墓の下には、金銀財宝の埋葬品などない。ただ、マリオの残骸となった、「腕」の部品があるだけである。マリオは片腕の一部を残して、すべて吹き飛んでしまった。そんなものでも欲しがるのが、こいつらだ。こういう輩には、スキを見せないことが大切だ。なにせ、これは、大事な友の墓なのだ。
「なにか埋葬してんのかね。わしにも手伝わせてくれよ」
「いまさら埋めるものなんて、ないさ。ただ、掃除に来ているだけだ」
「いまさらのように埋めにくるやつもいるんだぜ。死者もさみしがってるからな。へっ」
レベジェフは、坂を向こう側へ下っていき、姿が見えなくなったあたりのところで作業を始めた。ウィーンという作動音が更に大きくなり、雪を巻き上げた。レベジェフがやっているのはもちろん雪かきではない。辺り構わず掘り返して、埋蔵物を狙っているのだ。近頃は墓標を建てずに埋葬する者も出てきたからだ。どうせ建てたとしても、すぐ埋もれてしまう。レベジェフはそれで、飽きもせずにあちこち掘り返しているというわけだ。老朽化のせいで悲鳴のような摩擦音をあげているのが痛々しいが、むしろ、その貪欲さに敬服する。
アギノ・ジロは作動音に負けじと、声をあげた。
「おい、そんなに熱心に掘って、いったい、何が出てくるんだい」
「埋葬者の遺骸、の残骸とか、部品とか」
「鉄くずなんか、掘り返してどうするんだ」
「知らねえのか、もっていきゃ、なんでも再利用できるんだぜ」
アギノ・ジロは、またしゃがみこんで、墓の周りの雪かきを続けた。雪を握り手のひらの上でぎゅっと握ったが、チタンの雪は簡単には固まらない。もう一度雪を両手にのせて握ってみたが、そのとき風が吹いて、砂のように西のほうへ吹き飛ばしていった。墓掃除は、別居したショーパとの間に残された、数少ない共同作業の一つだった。昨夜のショーパとの通信では、いつにも増して、ねじくれた言い方をしてしまった。でも、あれは、売り言葉に買い言葉というものだった。それなのにまた地雷を踏んでしまったということだ。妻の地雷の雷管が、いったいどこにつながっているかなんて、この長い付き合いでもわからない。
「時間なんて、無限にあるんだ。お前にも、おれにも」
アンドロイドは寿命が長すぎる。心境の変化なんてものも、振幅を無限に繰り返す。サラサラの雪かきに苦戦していたが、なんとか、墓の周りの雪はもう半分ほどを掻き取ったので、墓石の底の蓋が見えてきた。アギノ・ジロは目を閉じてつぶやいた。
「おれはわるくない。すべてはおまえのせいだ。おまえがわるいんだ」
アギノ・ジロは立ち上がると、伸びをして空を仰いだ。雪ははらはらと降り続いている。ふと、レベジェフがいたほうを見ると、姿が見えない。音もきこえない。丘を下りて近づいていくと、居たはずのところにこんもりと雪山が出来ている。しゃがんで表面を撫ぜると、錆びたレベジェフの足が見えた。コツコツと叩いてみたが、反応はない。あちこち構わず掘り進んでいるうちに、埋まってしまい、そのまま停止したようだ。こいつには、掘ることは出来ても、這い出る能力はないのか。アギノ・ジロはじっと見ていたが、立ち上がった。大きく振りかぶって、握りこぶしを固め、レベジェフの頭のあたりをゴツンと殴ってみた。途端に電子音がきこえ、青や緑のライトが点滅した。うめき声を出して目を覚ました。さっきより声が高く、少し早口だ。アンドロイドといえども経年劣化の運命には抗えない。レベジェフは雪を振りまきながら起き上がると、右手になにか持っている。
「ほら、収穫だ。へっ。鉄くずを見つけたぜ」
「腕?」
「そのようだな。なかなかの上物だ」
レベジェフはぽいっと投げてよこした。アギノ・ジロに見覚えはなかったが、アンドロイドの腕の残骸をしげしげと見つめた。錆びが始まっているが、アンドロイドの腕のようだった。マリオのものではない。レベジェフが掘り返したそこもまた、誰かの墓だったということだ。アギノ・ジロは振り返って、マリオの墓に戻り、自分の仕事を再開した。マリオの腕は、いまも、この地中深くに眠っていることだろう。マリオの小さな片腕。いつか、レベジェフが掘り返すのかもしれない。アギノ・ジロは思った。それまでには、ショーパにも、ここに来てほしい。
墓標のまわり全体を雪かきするのには、半日を要した。
墓標はすっかり姿を現し、つるりとした表面を光らせた。アギノ・ジロは立ち上がって大きな伸びをした。屈託した気持ちは霧散していた。アギノ・ジロは空を見上げた。筋状の雪雲を見ながら、「赤の半球」から対流してくる雪の気体のことを思った。死んだらみんな、赤の半球に運ばれる。そう言ったのは、ショーパだった。幾分スッキリした気持ちで、坂をゆっくり下りていった。
この星―ケプラ13Ab―は、2つの太陽の周りを回っている。
1つは小さな太陽「ラー」。ケプラ13Abは、その周りをわずか1日で公転する、いわゆるホットジュピターだ。小さな太陽「ラー」の至近距離を月のように自転しながら回るので、ラーにはいつも同じ面を見せていることになる。
ケプラ13Abの表側、「赤の半球」は平均気温2500度の熱風がうずまいていて、蒸発した鉄の大気がうごめき、岩石の蒸発した雲が浮かんでいる。酸化チタンは気化され、透明な熱気となって裏面「青の半球」へと対流に乗って送られる。
青の半球で冷やされた酸化チタンは結晶化して雪となる。
青の半球には、年がら年中雪が降っていた。こんなところに住み着いたご先祖の気が知れない。アギノ・ジロはそう思っていた。青の半球はラーに対してずっと夜ということになるが、朝はちゃんとやってくる。ケプラ13Abは、小さな太陽の他に、もうひとつの大きな太陽「ラケダイモン」の周りを公転しているからだ。大きな太陽といっても、ケプラ13Abからは距離があって、朝も夜も降り続く雪の光に霞み、真昼でもぼんやりと照らしている。2つの太陽は、それぞれ追いかけ合い、離れ、近づき、追い抜きを繰り返しているが、一年に何度かは、連れ立って昇る日があるし、連れ立って沈む日もある。
かつては、この星も、2つの大都市を鉄道が結び、学校、病院、警察のほか、高層ビル群のある目抜き通りにはオフィスやレストラン、ファッションブティックが立ち並ぶような、輝く大都会だったそうだ。だが、それも大昔の話。しだいに勢いを増していく酸化チタンの雪雲が、まるで檻のようにアンドロイド文明を閉じ込めていた。赤の半球からの対流が年々激しくなっている。ときおり、突風が吹く。ひどいときは、歩く人も、除雪車さえも巻き上げて、竜巻みたいに運び去る。かつての文明の名残のように、高層ビルの上層階だけが、雪原ににょきにょきと生えている。そこに増築に増築を繰り返しながら、彼らはしがみつくように暮らしていた。レベジェフのように不埒な者も増えてきた。
アギノ・ジロが丘の上の墓地から街区のほうに戻ってきたときには、もうすっかり日が暮れていた。除雪車が毎日騒音を立てて街中を低速で走っている。まだ開いているいくつかの商店の入り口も雪の山に出来た洞穴みたいに光っている。ここ数年、風はますます強く吹いている。
雪は降り積む。
アギノ・ジロはマンションの窓から、雪に埋もれていく都会の景色を見ながら、ショーパに通信した。窓の向こうにチラチラ光っているビルの明かり。ショーパは数キロ先の高層ビルの残骸に住んでいる。「よく降るね」「そうだね」この夫婦はもう長いこと、こんなふうにして暮らしている。
「墓掃除してきたよ」とアギノ・ジロが言う。
「そう、いつもありがとうね。また私も行くよ」と、妻はいつものように言う。アギノ・ジロは、礼を言われることにいつも違和感を覚えるが、それには触れない。
「きみのタイミングでいいよ。でも、一緒にいけたら、マリオもきっと喜ぶよ」
「うん、まあ、そうだね」
ショーパが、いくら誘っても一緒に墓掃除に行きたがらない理由はわかっていた。夫婦ふたりで、過去に向き合うことになる。アギノ・ジロもショーパも、マリオのことを、まだ消化しきれていない。いろいろ話し合う前に事故が起きてしまった。それぞれの気持ちも、そこでぶった切られたまま、いまも切断面を晒している。
〈だって、お前がわるいんだ〉喉まで出てきた言葉を飲み込む。うっかり非難の言葉を発して泥沼の口論になったことは何度もあった。じゃりじゃりと砂を噛むようなセリフを、互いに積み重ねることになる。アギノ・ジロは、それをうまく避ける技術を身に着けてしまった。人には、自分の話したいことをそのまま口に出す人と、相手に合わせる形で口に出す人の2タイプいるが、アギノ・ジロにとっては前者がうらやましい。マリオもそういうタイプだった。ショーパには、そこが魅力だったのかもしれない。
しばらく無言が続く。アギノ・ジロは耳を澄ます。しばらくして、その音もやむ。ショーパの咳払いの声がきこえる。それはずっと続く。アギノ・ジロはずっと聞いている。ショーパはいま、何かを思い出している。だが、いま、まさに彼女が何を思い出しているのかを、アギノ・ジロは理解していた。
雪は降り積む。
この惑星は、少しずつ小さな太陽「ラー」に向かって、「落下」しているという。
ショーパも、そうやって教えられてきた。ニュースでも、悲観的な立場や神学的な立場からよく触れられている。数億年かけてラーとの距離が縮まっていくといわれてもピンとこない。むしろ、気になるのは雪のほう。天文学的な見地からみれば、ラーとケプラ13Abとの距離が近づけば近づくほど「赤の半球」で燃やされる酸化チタンの分量も増えることになると言っている。「青の半球」に流入する酸化チタンがどんどん増えているから、だとか。といっても、ラーに落下するなんて何億年も先のことだ。何億年かすると、このケプラ13Abは小さな太陽と一体化する。
それにしても、近づけば近づくほど雪が増えるなんて、へんな話ね。ショーパは、鈍い虹色に光る窓の外を見ながら思った。そう、マリオも生前、よくそう言っていた。二人が会ったのは、いつも町中、つまり、吹雪の中だった。
「そんなの、熱いのだか、寒いのだか、よくわからないぜ」
マリオは、こんなふうに大口を叩きながら、ショーパの手をいつもぎゅっと握っていた。ショーパの背丈より、ずっと小さい男だった。歩きながら腰に手を回してくるときだって、その手に、いつも強く強く抱きしめられていた。自分がいつか雪風に飛ばされることをわかっていたかのように、不安げに。
「それに、ラーまでの壮大な距離を数億年かけて近づいていくんだよ、そいつは気の遠くなるような未来の話だ」などと、うそぶきながら、小さいこどものようにショーパにしがみついていた。
ショーパは、マリオの声が好きだった。何万通り、何億通りとある声紋の組み合わせの中で、たった一つ、この声が好きだった。太くて濁った声。でも、底抜けに明るい、そんな声である。マリオは、夫の職場の友人だった。こんなに雪が積もる前は、夫もマリオもオフィス街でエンジニアをしていた。夫が上司でマリオが部下。酔った二人が初めて家にきたとき、二人の立場は逆転しているように見えた。部下のくせに、まるで遠慮のない若者、それがマリオの第一印象だった。気遣いに満ちた優しい夫は、いきなり連れてきたことでショーパに対してすまないという顔をしながらも、マリオへの歓迎の態度を崩さなかった。ショーパは面倒な夜になるな、とおもった。私たちは三人でリヴィングのソファに並んで座り、居心地のわるい時間を過ごした。夫婦の間にマリオが座り、彼は喋りたいことを喋り続けた。気遣いと気遣いの微妙な調和で満たされていた夫婦の空間に、彼は鮮烈に切り込んできたのだ。そして、酔いつぶれて眠ってしまった夫に隠れて、マリオは口説いてきた。ずいぶんと声のトーンを落としていたが、剥き出しの感情を口にする男でびっくりした。早口でささやいた。
「一緒に手をつないで、どこまでも遠くにいきたい。きみはそんなふうに思わせる女だな」
「白馬に乗って連れ去ってくれるとか。そういう話?」ショーパは鼻を鳴らしでごまかした。
「そうだな、白馬に羽根でも生やして、一目散に空を飛んでいくさ」
「はあ。私は、羽根より長い角が付いてるのがいいわ」
わざとらしいようでいて、そうでない何かがあった。あるいは、あの声にやられたのか、私も相伴にあずかって、すでに酔ってしまっていたのか。マリオは、私を抱き寄せた。
「ふふ。一角獣のことだね。もしかして、君は誘ってるの」
「訳がわからないわ。あなたこそ」
「おれは、初対面の女性を、いきなり口説くような男じゃないんだぜ」
マリオはそう言いながら、腰に回した手に、力をこめた。夫は隣の部屋で眠っていた。窓の外で風が鳴った。ショーパには、そのとき初めて、マリオが幼い子供のように見えた。
「この雪は、いつかやむんじゃないか」とマリオは言った。
強気な口調だが、そうあってほしい、と祈るようなニュアンスを含んだ、強くて弱い声だった。
「目に見えて増えているわよ」
ショーパが言った。
「そう見たい人には、そう見える」
「風もますます強く吹くわ」
するとマリオは笑い飛ばして言ったものだ。小さな手でショーパの背中をバンと叩いて、
「ショーパ、先のことばっかり考えてたんじゃ、生きてる意味なんてないぜ。地表で活動していりゃあ、ある日猛烈な突風が吹いて、空の果てまで飛ばされる。あるいは、動かなくなってしまえば雪にうずもれる。この星じゃ、おれたちの末路は、どっちかしかないんだからさ」
そのとき、マリオは、ショーパの手をぎゅっと握った。その手の感覚をショーパは忘れない。小さな手だった。あれから事故までの五年。夫は、ついに気づかないままだった。いや、繊細な彼なら、もしかしたら、気づいていたとしても、そのそぶりを見せていないだけなのかもしれない。
ショーパは頬杖をつき、思いを巡らすときにいつもやるように、顎をトントンと親指で叩くしぐさをした。夫が墓掃除をしている限り、私は、逆に、マリオを忘れることができないだろう。つまり、これは私の問題なのだ。私は、いつか、夫とともに、マリオの墓掃除をできる日が来るのだろうか。マリオの墓を間にして、夫婦がそれを挟み、互いに微笑む。そんなことが実現したら、それは、あの、二人が酔って現れた夜の再現みたいなものだ。ぞっとする光景。
ショーパは窓辺の椅子から立ち上がり、寝室に向かうと、衣装ダンスの奥をかきわけて、蔵置してある金属製の箱を取り出した。キッチンのテーブルに持っていき、それを開けた。何度も開けしめしているせいか、蓋がゆるくなってきた。パチンという音がして鍵が開く。箱の中に並べられた色とりどりの宝飾品を眺めながら思った。すべてマリオから贈られたものだった。夫は、こんなものは一つだってくれなかった。彼は、私のことを、もっと高尚な人間だとおもっている。プレゼントも、ロマンチックな意味合いや歴史が詰まったものばかりだった。この星で初めて撮影された映画のフィルムだとか、二人が初めて出会った公園の木々に垂れていた氷柱だとか。ショーパは思った。わたしはもっと、単純な女なのよ。ジロ。単純できれいなものが好きなの。いつか、わかってくれるのかしら。私のこと、ショーパは、箱の中から大きな緑色の宝石がついたペンダントトップを手にとった。マリオは、「しょせん、雪から作られた人工鉱石だけどな」とか言っていた。手のひらの上で、コロコロと転がしてみた。
「虹色だらけのこの星で、たった一色で光る宝石はたしかなものだと思わない」
かっこうつけて言ったようには見えなかった。私はね、ジロ、忘れたいのよ。マリオのことは、もう。ショーパは唇を歪めて笑顔を浮かべた。窓を開けると、宝石をポーンと投げてしまった。ショーパは我に返って窓辺に駆け寄った。下を見下ろしてため息をついた。こんな失礼な、処分の仕方はない。
雪は降り積む。
ある日のこと、アギノ・ジロがまた墓掃除に出かけていくと、丘の上に墓標が見えない。代わりに、その場所には、深い穴が開いていた。アギノ・ジロがしゃがんでのぞくと、深い井戸のような底に、見慣れた老アンドロイドの姿が見えた。呼びかけても返事はない。アギノ・ジロはため息をつくと、穴の周りを大きく掘り返して、レベジェフの救出に一日を費やした。
「せっかく気持ちよく眠っているところを」
「墓標はどこに行ったんだ?」
「わからん。おれが眠っていた底の、もっともっと奥底だ」
「そんなにも積もっていたのか。それでお前は何をしていたんだ」
「墓泥棒に決まっているだろ! でも、途中で気を失っていたんだ。歳だな」
アギノ・ジロは呆れて、声も出ない。
「しかし、今回は雪しかねえや。無駄骨だった。おまえ、ここに、ほんとに埋葬してんのか?」
「ここさ。間違えるわけがない」
両脇に手を突っこんで、えいっと掘り出してやる。
「このままじゃ、雪のせいで、墓の場所もわからなくなっちまうぜ」
「おれは忘れないよ」
「お前以外のやつが、お参りに来た時はどうするんだい」
「まあ、それもそうだな」
二人は墓標そのものを新しいものに作り変えることにした。雪が降っても、簡単には埋まらないものを。
二人はあちこち掘り出して、建物の遺物から、長い長い金属棒を引っこ抜いてきた。雪が長年かけて自重で固まった、酸化チタン製の氷柱だった。
「なげぇな…これ、墓というより、ポールだぜ」レベジェフは肩をすくめて頭を掻いた。
「わかればいいんだよ、ここがマリオの最期の場所なんだ」
そこに、墓銘を刻みつけると、二人でヨイショ、ヨイショと雪に突き立てた。
「これなら心配ねえ」
レベジェフが得意げに言った。
「そうだな。でも、墓にしては滑稽だ。もはや、これは墓標なのか」
「いいじゃねえか、この宇宙の中でも唯一無二の墓さ。全てのものが埋まっちまってるこのあたりで、この墓だけが雪に埋まらずに顔を出してるなんて、誇らしいぜ」
そのとき突風が吹いて二人は吹き飛ばされた。墓のポールが傾き、倒れそうになった。レベジェフは這いながら戻ってくると、ポールを支え直して叫んだ。そして、二人は、ポールに抱きついた。風はまだ吹いている。
「あぶねえ、あぶねえ」
「爺さん、飛ばされるのも一興だよな」
「どういう意味だ」
「だから、空のかなたにさ」
レベジェフは答えない。
「埋まるより良いだろ」とアギノ・ジロは言った。
「何が良いんだよ、ふざけやがって」
雪が降り積む。
ショーパは、自分から、夫に通信してみた。
「埋まるより飛ばされるほうが良いって、考えてみたら、なかなか、いい考え方だと思わない?」
夫はそんなことを明るい声で言った。いつもながら、いかにも繊細で、深遠なかんじの話で、ショーパは一瞬答えにつまる。でも、ちょっと考えてみると、言わんとすることがわかるような気もする。
「うん、わかるよ」
ショーパは、そう答えた。
「うん、そうなんだ」
夫は満足そうだった。夫は、自分の理解者は、ショーパしかいない、と今でも信じているようだった。
「だって、そうだろ、埋まったらそれで終わり。だけど、飛ばされたら、ぐんぐん空にのぼっていく」
「そうね、雪雲と一緒に飛ばされて、風にのる。対流にのっかる」
「そうそう。対流にのっかって星の裏側まで飛ばされていってね」
ショーパは、いわくいいがたい気持ちになっていた。言葉を続けると涙が出そうだった。
「うん」と、だけ言った。
「うん。赤の半球までいくんだ」
赤の半球に飛ばされて、そこで熱せられ、気化される。酸化チタンは、また、対流で青の半球に流れてきて、ここで雪になる。
「あの日も、すごい風だったね」
夫はつぶやくようにいった。ショーパは長い時間黙っていた。そして、独り言のように言った。
「そうね、そうだった」
それから、二人はずっと黙っていた。その間に、何日も、何年も経った気がした。埋まっていくことは、忘れ去られることだ。
でも、忘れたいことだってある。二人は、また、墓掃除の約束をして通信を終えた。
ショーパは、例の箱から、次の宝石を取り出した。光に透かしてみた。指輪だった。手のひらに載せ、ためつすがめつ眺めてから、ふぅっと自嘲めいたため息を吐いた。窓の外をみてじっとしていたが、結局また、箱をあけて、また元の場所に戻してしまった。ジロ、ごめんなさい。
マリオは、飛ばされるその寸前まで、ショーパの右手を握り続けていた。子供のように。ショーパは手のひらに、あの感覚を思い出し、手を握りしめた。マリオはきっと、雪になって、私たちの上を対流し続けてる。それは、そんなわるい想像じゃない。ショーパは、また箱を膝の上に置くと、中を開けた。指を差して一つずつ検分したあげく、取り出したのは赤い宝石がついたブローチだった。
「よし、つぎつぎ、行かないと」ショーパはブローチを握りしめると立ち上がり、ドアに向かった。
雪は降り積む。
アギノ・ジロの墓掃除は、一人っきりで続いていた。マリオの墓標は、毎度、すっかり雪に埋もれていた。そのたびに、長い長いポールを立てるが、その都度、それは少しだけ頭を見せて埋まっていた。その体は雪風に吹っ飛ばされたのに、墓は埋まっているなんて、皮肉なもんだ。
だが、これも想像にすぎない。アギノ・ジロは思った。おれは、マリオの最期の瞬間を見たわけじゃない。ショーパは、ある日、憔悴しきった顔で帰ってきた。右手に、なにかをぶらんと提げていた。金属製の腕だった。肩のところでちぎれていた。前にレベジェフが掘り返したのと、そっくりな感じのやつだ。ショーパは、「小さな腕よ」と言った。「まだ握っている」二人で、ここまでやってきて、二人で穴を掘って埋めた。アギノ・ジロも、何もいわず穴掘りを手伝ってやった。それがマリオの腕だと告白したのは、だいぶ経ってからだった。でも、アギノ・ジロには、ショーパの様子から、すっかりわかっていた。あの日以来、ショーパは、マリオを失った悲しみと、それを夫に共有できない辛さとを両方、抱え込むことになったのだ。二人は一緒に暮らせなくなってしまった。アギノ・ジロにできることは、友人として彼の死を悼むことだけだった。アギノ・ジロは、墓参りに誘った。最初は、自分の、その悼むという行為が、せめて、ショーパの慰めになれば、と思っていた。それはうまく機能しなかったのかもしれない。
だが、こういうのも、あくまで、マリオが死んだ直後の頃の、自分の心境だ。
いまは違う。墓掃除を繰り返しているうちに、おれも変わってしまった。アギノ・ジロはそう思っていた。もう、ショーパを簡単には許せない。彼女は、ずっとおれを裏切ってきた。
アギノ・ジロは、今日も、丘の上に一人でいた。墓の雪かきには骨が折れた。この雪降りでは、毎度、墓の周囲一面の地表の全体を雪かきしなければならなかったからだ。さいきんは、墓泥棒レベジェフの姿も、あたり一帯をあちこち掘って、探してやらなければ見つからない。今回もまた、マリオの墓標の10メートルほど近くに、静かに埋まっていた。わずかに小山が出来ていたから場所が判明したものの、かなり深い。レベジェフが勝手に死んでくれていても何も構わないのだが、自分が手入れしている墓を掘っている途中に死なれたのでは寝覚めがわるい。なんとか掘り出してやる。まったく、世話の焼ける墓泥棒だ。だが、いざ救い出したものの、うんともすんとも言わない。耳をあてると、小さな作動音は聞こえた。しばらく天日にさらしておいて、自分は、雪かきを始めることにした。
今回の墓掃除は数日もかかった。少し放置しておくと、またレベジェフが雪に埋まりそうになっていたので、こちらの雪かきも忙しかった。3日後の朝、突如、大あくびのような作動音が聞こえたとおもうと、老アンドロイドがしゃべりはじめた。どこか壊れたのか、前以上に早口で、かつ、高い声になっている。
「今回こそは見つけたぜ」
「なにをさ」
「埋蔵品をさ。上ものだぜ。見つけたところで意識が飛んぢまった」
「死にかけてたくせに、口の減らないじじいだな。何を見つけたんだ」
レベジェフは握りしめていた金属製の三本指を広げた。ブローチだった。赤い宝石がついているようだが、アギノ・ジロには、見覚えがなかった。マリオの埋葬品ではない。
「それを、この墓の下で、見つけたのか? ちょっと見せてくれよ」
レベジェフは手をひっこめて言った。
「おっと、これはもう、わしのもんだぜ。へっ」
レベジェフは、ようやく立ち上がった。日に当たった部分の腕や足が鈍く光り、劣化が進んでいることをうかがわせた。レベジェフは言った。
「とにかく、わしは知らねえさ。こいつは、かなり深いところに埋まってた。わしの手柄だぜ。いっとくが、これは渡さねえぞ」
アギノ・ジロは立ち上がると、肩をすくめ、何も言わず立ち去っていった。
雪は降り積む。
ショーパは、夫に通信した。窓の外に、夫がいる建物を目で追う。ぽつっと光っている窓がある。たぶんそれだろう、といつも決めてかかっている。
「昨日、また、お墓いってくれたのね」
「待ってたよ」
「いつもごめんね」
夫はなにか言いたげにしばらく黙っていたが、聞こえないくらいの声で、「うん、うん」と言っていた。
「次の結婚記念日には、なにか、プレゼントするよ」
夫が、唐突にそんなことを言ってきた。
「どういう風の吹き回しよ」
ショーパは笑った。
「まあ、いいじゃないか。おれたちの時間は、結婚記念日が来るまではいつだって結婚記念日に向かって進んでる」
「どこに書いてたセリフよ」
ショーパは思わず笑った。気障な物言いだが、ショーパは悪い気がしなかった。
「で、何をくれるの」
「そうだな、なにか、アクセサリーをプレゼントしたい。宝石とか」
ショーパは、驚いたが、咳払いでごまかした。
「珍しいわね、でも、嬉しいわ」
「いや、最近、色々思うところがあってね。そういえば、おれは、ふつうに貴金属なんて買ってやった覚えがなかった。で、こうやって提案してるわけだ。銀のペンダントなんてどうだい」
「まあ、そうね。いいわね」
「なにかのモチーフで。たとえば一角獣とか」
ショーパは答えない。
「なにか、好みがあるなら言ってよ」
「ううん、いいんだけどね。なんで、一角獣なの?」
「いや、深い意味はない」
「まあ、一角獣は、ちょっと好きじゃないかな」
ショーパは、穏やかな調子で言葉を濁した。夫は、もしかしたら、あの夜、酔いつぶれながらも、すべてを聞いていたのだろうか。
「とにかく、いまは、そんな気分じゃないわ」
「そうか、そうだな、じゃあ、やめよう」
「知ってて言ったのね」ショーパはつい言った。
「なんのことだい」
「いいえ、なんでもないわ」
夫は、そのまま黙ってしまった。ショーパもいろいろ思い出してしまい、しばらく黙っていた。
「すまない。少しでも気にいるかと思って」
「ううん」
そこまで合わせなくていいのよ。また、謝られてしまったが、夫はまったく悪くない。ショーパはそう思った。それが私を助長させるのよ。
その後、二人はしばらく、くだらない話を続けた。
「ねえ、この街も、いつか雪に埋もれてしまうのかしら」ショーパは言った。
「ニュースを見たのかい」
「気の遠くなるような星の未来が、毎日の天候に影響してるなんて、ふしぎね」
「そうさ、星が燃え尽きるのは、数億年も先の話」
また咳払いがきこえた。アギノ・ジロは身構えた。
「すべてが雪に埋もれたらどうなるのかな」
「除雪作業が要らなくなる」
「きっと、うっとりするような、虹色の平原だね」
「真っ平らになるだろうさ、せいせいする」
「みんなが雪に埋もれて死んじゃったら、死んだ人のことを思い出す人もいなくなる」
夫は、なにかを察したのか、黙っている。
「マリオのことは、おれが忘れないよ。おれの友人だ。大切な」
「忘れてあげるのも、供養かもしれないわよ」
夫は笑った。
「そんな理窟があるか」
「でも、星が燃え尽きて、みんな死んじゃったら、覚えてるも、忘れるも、何もないでしょう」
「おれの友人なんだから、おれが忘れない。みんなが忘れたとしても、ね」
きっと、彼は、こうやって、いつも、ずっとがまんしてきたんだろう。なにか言いたいことがあっても、ぐっと堪える。そんな繊細で思いやり深いジロを、おそらく、私は愛している。人がどう感じているかを察して動けなくなるのが、ジロ。ただ、どうしても、整理できない気持ちがある。息をふーっと吐き出して気持ちを落ち着ける。
「うん、そうだ」
夫が明るく言った。
一呼吸おいて、ショーパは言った。
「マリオのことは、忘れてよ」
「きみは忘れられるのかい」
夫は、静かに、やさしくそう言った。ショーパは、その言葉に、ふっと吸い込まれる。ショーパはそのまま通信を切った。
雪は降り積む。
アギノ・ジロとショーパはあいかわらず別居していたが、生活は一変していた。長い時間の間に、かつての都市は、雪の下にほとんどの部分が沈んでいて、見晴らしがずっとよくなっていた。他の星に移住したい者はこの間にどんどん移住していた。酸化チタンの雪はどぼどぼと降り続き、東から吹く対流の風は、ますます強くなっていた。アンドロイドたちは、一面虹色に輝く雪原の上に、それぞれ、酸化チタンの雪を固めて作った、虹色の卵のような形のかまくらで暮らしていた。かまくらの表面は、つるつるに磨かれていて、風に逆らわない方向に向けて立てた卵のような形をしている。すぐに埋まってしまうので、一ヶ月に一度は作り直していた。
アギノ・ジロは、妻に通信してみた。
「それより、ねえ」と妻が言う。
「ん?」とかすれた声で答える。
「魂の永遠って信じてる?」
「唐突だね。でも、おれは信じてるよ」
「即答ね」
「おれはあるとき、決めたんだ。魂の永遠なんて、ほんとうかどうか、絶対に知りようがない。だったら、信じるか信じないか、だけの問題。信じたほうが残りの人生ゆたかになる」
「でも、わたしは、まだわからないわ」
「すべてが終わるってこと?」
「魂だけが永遠なんて」
アギノ・ジロは、妻と、また墓掃除の約束を交わした。一人でも行って、マリオの墓をきれいにする。これになんの意味があるのか、レベジェフが墓を掘り返すのと同じかもしれない。アギノ・ジロは思った。おれは、毎月でも墓に行って、マリオの墓を太陽のもとに晒してやる。こうして、いつか、ショーパを、マリオの墓の前に引きずり出す。引きずり出すだって? 自分の中からおもわず、出てきた言葉にアギノ・ジロは驚く。そうだな、たぶん、自分は、いまも責める気持ちを失えないでいる。おれが墓掃除をしている間は、ショーパに贖罪の気持ちを忘れさせることがない。忘れたなんて、言わせるもんか。たぶんそんなふうに思っているのだろう。そう、だから、お前が来なくったって、おれは行く。
アギノジロは、風が少し弱まった時間帯に、またマリオの墓を探しにいった。ポールはすっかり埋まっていた。掘り返すと、ポールの頭が現れた。場所は忘れていなかった。頂部がきらきらと虹色に光った。雪かきをしながら、ショーパを待っていた。虹色の平原は見渡す限り続いていて、動いているものの気配はなかった。レベジェフはポールにしがみついたまま、一緒になって埋まっていた。アギノ・ジロは掘り出してやると、地表に寝転ばせ、自分は雪かきを続けた。しばらく一人で作業をしていると、背後で騒々しい作動音がしてレベジェフが目覚めた。
「おっさん、たいした墓守だな」
「眠ったって、機能停止したって大丈夫。時をこえる墓泥棒だぜ」
「よくいうぜ。ただ、寝てただけじゃないか」
「見つけやすかっただろ」
「埋まってたらおんなじさ」
「感謝してくれたっていいだぜ」
レベジェフは、よっこらせ、と起き上がった。
レベジェフは得意げに、懐をまさぐると、じゃらじゃらと何かを取り出し、高らかに掲げた。紫色の鉱石の腕輪だった。
「また見つけたぜ。ここらを掘ると、装飾品に縁がある」
腕輪には、なにか模様が彫られていた。宝石って言ったって、どうせ雪が地中で固まって出来たアイスコアだ。虹色に光る雪が固められて、偶然同じ偏光性質をもった結晶があつまれば赤や紫の宝石になる。それだって人工で簡単につくれる。
「わしにはわかるのさ。これを埋葬したのは、きっと女さ。ここに供養で捧げてるんじゃない。埋葬してるんでもない。わしにはわかってる、あれはな、捨ててるのさ。捨てたんなら、拾うだけだ」
「そりゃお前に、都合のいい考え方だな」
アギノ・ジロは笑った。レベジェフの妄想はまんざら悪くない。ショーパはやっぱり、一人で来ているのかもしれない。こうやって、少しずつ忘れようとしている。ショーパらしいやり方だ。
アギノ・ジロが機能停止したのかとおもったのか、レベジェフが顔をのぞきこんできた。
「寝てんのか。怖い顔して」レベジェフが言った。
「いや、お前さんの末期を想像してたんだよ」
「大きなお世話だ。自分の末期くらいちゃんと分かってる」
レベジェフはそう言うと、そこらを雪かきしながら歌い始めた。
おいらは 時越ゆる墓泥棒
酒と宝石さへあらば
誰をか、この愉悦を妨げむ。
ああ友よ 恐るるな 友に捧ぐ 一握の雪
そんなものをと笑ふなかれ。
雪原のはるか地中で数億年
眠りに眠り果てなば
虹色の宝石とならん。
過日見き。小棚に売られし宝石を。
われは側目に歩きけり
石職人と目を合はすることあたはず。
しからばかかる宝石ぞ、我にひそかにささやける
「友よ舟をともにせん 明日は同じき石となりて」
ああラーよ、慌つるな。友よ恐るることなかれ。
共に溶け入りて交わりて 始まる旅ぞありなむ。
我らはこの家居を飛び去り、風雪の一粒とならん
我らはこの家居に埋もりて、宝石の一粒とならん
友よ宙に飛び立ちて、数百億年の旅舟をともにせまし
雪は降り積む。
ショーパが通信してきた。
「ねえ」
「ん?」
「この星って、太陽に向かって落ちてるんだよね」
「そうらしいね、でも何億年も先の話だよ」
「そうなんだけどね」
「どうしたの」
「うん、何億年かして、この星が蒸発しちゃったら、その時でも、魂は永遠なのかな」
「どうだろうね」
「あなたはどう思っていたの」
「そうだね、蒸発しちゃったら、流石に終わりじゃないかな」
「終わりってどういう感じ」
「終わりは終わりだよ。なんにも残らない」
そう言ったあとにアギノ・ジロは、また考えた。ショーパの中にあるマリオの記憶はどうなる。そして、自分の中にある、この怒りと嫉妬は。
「残るものも、あると思うわ。光とか、熱とか、そこに含まれた感情とか」
アギノ・ジロは意味もなく笑った。アギノ・ジロは、慎重に言葉を選んで、こう言った。
「おれはずっと忘れてないよ」
「そう」
「わたしは、覚えてないわ。もう忘れたわよ」ショーパは声を出さずに笑った。
「今度は、墓掃除、一緒においでよ」
「わかってる。今度こそ、だね」
アギノ・ジロはこんなふうに、相手に合わせて応じる自分の、小心さが嫌になった。言えないのなら、墓掃除なんて、あてつけ、早々にやめればいい。ねちねちと続けることで、言いたいことをほのめかす。ショーパには見透かされてるんだ。こうして、言いたいことを我慢して、我慢して、我慢して、許せない気持ちを密かに溜めていることを。それが死んだやつに対する嫉妬心こそ、永遠に続く唯一ものじゃないのか。それはきっと、星が消滅したっておさまらない。
次の墓掃除のときも、まだショーパは来なかった。マリオの墓標はまた、ポールは頭の先まで埋まってしまっていた。慣れた作業だが、どういうわけか、レベジェフが手伝ってくれている。
「ほうら、ポールがずんずん姿を現してくる。気持ちいいくらいだな」レベジェフは言った。
「なんか、神々しい墓だな」アギノ・ジロは答えた。
「おう、神々しい。ピカピカで天まで届きそうだ」
その一ヶ月後の墓掃除のとき、レベジェフは、また宝飾品を掘り返した。彼が嬉しそうに見せてくれたのは、藍色の宝石で出来た小さな香水瓶だった。チタン製の細い鎖がついていて、レベジェフは嬉しそうにそれを首にかけて見せた。その後もレベジェフは、つづけざまに掘り当てていった。橙色の細かい宝石が散りばめられたブレスレット、黄色の宝石で出来たホイッスル、青色の大きな宝石がついたアンクレット――レベジェフの戦利品はどんどん増えていった。レベジェフはそれらを全身に身に着け、じゃらじゃらと見せてくれた。
「たいしたもんだろ」
「悪趣味だな。爺さん、いつか、バチがあたるぞ」
アギノ・ジロは笑った。
「お前さん、羨ましいだけだろ」
「そのまま、どうかここに埋まっててくれ。埋葬者も喜ぶよ」
アギノ・ジロは思った。ショーパの心の整理も、いよいよ終盤に差し掛かっているのだろう。七色それぞれの宝石が、ほとんど出尽くしてしまったからだ。ショーパが少しずつ積み重ねてきたケジメの付け方に対して、アギノ・ジロは感謝もしていた。
予想通り、藍色の宝石で出来たネックレスが発掘されたのを最後に、宝石の登場はまったく途絶えた。レベジェフは悪態をついていたが、アギノ・ジロはひそかにホッとしていた。ショーパは、これですべて捨てたということだ。ショーパはいよいよやってくる。
だが、ショーパは、相変わらず、アギノ・ジロの前には現れなかった。
雪は降り積む。
雪は降り積む。
雪は降り積む。
茫洋とした長い時間が経った。
雪は十数キロ積もり、かつてこの星にアンドロイドたちが村を、街を、大都市を建設していたという、その名残をすべて埋め尽くしていた。凶暴な虹色の雪は、優しく、美しく、そして、容赦なく、すべてを覆っていた。風は雪以外のすべてを忘却の彼方へ吹き飛ばすかのように、雪原のうえを飽きもせず吹き荒んでいた。ケプラ13Abは、小さな太陽「ラー」に向かってすこしだけ落下していて、赤の半球の灼熱ぶりはその分だけ以前より猛々しく荒れ狂い、生み出される酸化チタンの熱風は、半球の反対側へ絶え間な続く怒号のように吹き続けていた。
アギノジロは、青の半球の、地表から何キロかのところに埋もれていた。アギノジロは雪の中から、何時間もかかって這い出ると、濁った虹色に包まれた平原を歩いて、マリオの墓があった場所に向かった。猛烈な吹雪のなか、ほんの少しずつしか進むことができない。雪は降り積む。這々の体で、進んでいった。
〈お前のせいなんだ、ショーパ。わたしのせいなのって言ってくれ〉
アギノ・ジロの怒りも、数千年ぶん、大きく、深くなっていた。もはやほとんど絶望の淵にいたが、ギリギリの思いで、アギノ・ジロは、少しずつ少しずつ、墓のあった場所に通っていた。墓掃除をやってやるんだ。今日だって。雪は降り積む。思い出したように微弱な電波が送られてきた。ショーパだった。
「今日って、約束した日?」
アギノジロは、返事はしばらくしなかった。たまたま電流が通うまでに長い時間がかかったからだ。雪は降り積む。
「そうだと思う」
びっくりするほど明るい声が返ってきた。
「今日は驚かせたいことがあってね」
「なにが?」
「私の中で、一段落ついた」
アギノ・ジロは、その答えになぜか、苛立った。どうせこないのであれば、なぜ気を持たせるようなことを言うのか。
「ようやくよ」
這いつくばって進みながら、ショーパに話しかけた。
「そんな簡単に」
「簡単じゃなかったわよ」
「じゃあ、なんで来ないの」うめくように言った。
「今度こそ、会いにいくわ」
ショーパはこっちのイライラに気がついていない。
「もう、いいよ、ショーパ」
「ほんとに、ほんとよ。会いに行くよ」
「いいよ、もう。来る気なんて、最初からなかったんだろう」
「わたしは、もう、ようやく、整理がついたのよ」
「どうせ、うそだろ!」
「ほんとうよ。昨日、お別れが出来たのよ」
だが、アギノ・ジロは、もう、むちゃくちゃな気持ちになっていた。
「ずっと言えなかったことがある」
「なによ」
「お前は、お前は、最低な女だ」
静けさのなかに、アギノ・ジロの声が広がっていく。
「お前のせいだ。お前がおれたちをめちゃくちゃにした。お前がわるいんだ!」
「何をいうの、だって、私はもう」
「金輪際、これでお別れだ!」
アギノ・ジロは目を閉じた。物音を立てずに、通信を切った。耳の後ろに指をつっこみ、回線をぶちぶちっと引き抜いた。
風の音が急に大きくきこえてきた。
ここまで、本当に長い時間だった。
よつん這いで、一歩ずつ進んでいくと、いよいよ目的の場所に到着した。
アギノ・ジロは丘の上から見晴らした。もはや、どこまでも広がる雪原を、アギノ・ジロは目を細めて睨みつけた。吹き続ける風が、雪を乾いた砂のように吹き寄せ、長年の繰り返しによって、いつか図鑑でみた異国の砂漠のような、先の尖った丘が、絶望的なほど遠くまで続いていた。重たく曇った空の下、虹色がちらちらと鈍い色に光っている。
「当然だ」アギノ・ジロはなぜか、笑みを浮かべた。「来るわけない」
アギノ・ジロは、レベジェフの姿を探した。この雪降りだと、埋まってるのを探すのにも骨が折れそうだ。それからのレベジェフ探しは、困難を極めた。歩くのさえ、やっとという猛吹雪の中、手をついて這い回り、少しずつ掘り返すが、吹き寄せる風がまた埋めてしまう。掘り返し続けるが、姿が見えない。
夜になり明け方が近づいた頃、周辺のほぼ全てを掘り返し、青い闇の中で、アギノ・ジロはようやく事実を受け入れた。
彼は、もうはるか昔に、いなくなっていたんだ。
アギノ・ジロは、この真っ暗な大地に、いよいよ自分は本当に一人なのだと実感した。
レベジェフは、老体に、たくさんの装飾品をぶらさげて、いよいよそれらを売り飛ばしにいったのだろうか。それなら、あの爺さんらしい。ここでの仕事も、いよいよ終わったということだ。アギノ・ジロは、声を出して笑ってみた。ふふ。その声は、吹雪にかき消された。
「爺さんよ」声に出してみた。
「爺さんよお!」
アギノ・ジロは膝から崩れ落ちた。レベジェフが、いまさら、この時代に、どこかへいそいそと獲物を売り飛ばしにいくなんて、考えられなかった。
おそらく、現実はこうだ。そのまま、突風に飛ばされて天に巻き上げられたか、あるいは、雪中に埋もれてしまったか。きっと、そのどちらかだろう。どちらかでしかなかった。
彼が見つけた宝石の数々は、すべて彼の埋葬品として、いつか言った戯言のように魂を慰めるのだろうか。「いや」アギノ・ジロは、あえて声に出してみた。空をみあげた。できれば、レベジェフさんは、風に飛ばされていたらいいのになと、アギノ・ジロは思った。あの装飾品の数々もレベジェフと一緒に、全部熱に溶かされて、それで、また、対流して、冷やされて、みんなみんな雪になっていればいい。嫉妬や妬みや欲望や色とりどりの宝石がすべて、虹色の雪になって、地表全体に降り積もっていけばいい。だいたい、虹色って何色なんだ。おれには、青一色、死の色にしか見えない。
アギノ・ジロは、地面に手をついて吠えた。我を失い、喚き声をあげながら、ところ構わず雪を掘り返し始めた。そのまま自分も埋まってしまいたかった。声も吹雪でかき消された。そのうち、手が何かに触れた。金属製の感触がした。
アギノ・ジロは、動きを止め、地中をよく見た。そして、またすこし掘り返してみた。風が雪を吹き寄せ、すぐに姿を隠そうとする。両手を慎重に突っ込み、それを青い雪の中から取り上げた。
指輪だった。リングには一角獣の模様がついていた。
東の空から、二つの朝日が並んで昇り、濁ったガス空の下、一面の雪原をほのかに照らした。風が、どうと吹いた。アギノ・ジロは立ち上がり、歩き出した。まだ、そのあたりにいるかもしれない。数億年かけて、吹雪は勢いを増し、目に見える地表の全てのものを吹き飛ばし、積もり続ける雪は全てを埋め尽くし、この星の過去未来の物語を順々に終わらせていく。だが、ケプラ13Abが「ラー」に落下するまでには、まだまだ時間がある。
〈了〉
文字数:18709