梗 概
白日の葬送
白い喉元をさらした母は、まるで雨を待つ供物のように、一面の小さな白い花の散る草叢の中に柔らかな躰を横たえ、閉じた瞳で天を仰いでいた。
その傍らで母の肩口に鼻先を深くうずめた男。その鼻先からのびる額、頬、耳にいたる皮膚は乾いた土を擦り付けられたような鈍色をしていた。七分刈りの頭に黒々とした太い眉の下の瞳はぎらぎらと光を放つ。母を包む薄紅の花の散る浅黄あさぎの着物、その海に呑みこまれるように太い腕と掌を差し入れた男は、厳かな祈りを支える従順な獣のようだった。縋り付く男の肩に腕を回した母はまったくの少女であった。それでいて、噛みしめた白い歯をみせる口元、恍惚に満ちた深呼吸を胸に溜めたその表情は、子を孕もうとする女のようにも見えた。
「神様いつも、清いふりをして穢けがれをまき散らすものよ」
そう呟いて、鏡台の前に腰をかけ爛れた左半身を晒して微笑を浮かべる母の面影を残す幼女と世界を南北に分かつ子午線の彼方から来た男。
人攫ひとさらい、道化、人非人そのどれでもあるようで、どれでもない。
「今晩はうちさ来てけれ」
「へば、おめさ好きな鉈漬なだづけ、じっぱり出しましょなぁ」
物乞いのようでいて、毎夜誰かの家に招かれ畳の縁に尻をのせて飯を喰う男。男は時々、思い出したように子午線の彼方にある国の話をした。気候や風土、住人たちの人相まで、まるでそこに暮らしてきたかのように。
彼はこの村の未来を知っていたのだろうか。この村が男が語るその彼方の国とボロ切れを繋ぎ合わせたように一つの国になることを。
男が村を去ってから半年が経った、昭和五十七年五月、子午線を境に地層の大きな断絶が、地球を、日本列島を東西に分けた。そしてこの村のあった秋田を含む東側は赤道へ向けて十度ほど北緯をずらしたのだった。
男と時期を同じくして村を訪れた写真家が撮った、この村と村人、異端の男。疾風のように二人は村を去り、数ヶ月後に出版された写真が、父と母を繋ぎ、私と依頼人を繋いだ。今は亡き母は、少女時代を過ごしたこの村を私が訪ねるなど夢にも思いはしなかっただろう。
見渡す限り一面を埋め尽くす白い花。かつての小さな集落は、白線のようなあぜ道を残して、亜熱帯の青い匂いに包まれた草木の中に呑み込まれた。母のおかっぱの黒髪に花飾りを指し込んだ少女たちは、その無垢な影を残して力強く生きた。母と男が戯れた草叢には、横たわった幼女の姿をかたどるように、ぽっかりと乾いた土が剥き出しになっている。私は青々とした草叢に分け入ると、手向の酒を注いだ。じわじわと土が黒く湿っていく。白粉のような甘い香りが旋風と共にすぐ側を走り抜けていった。
依頼者へ送るために幾枚かの写真を撮り、白い花の一株を根元から掬い上げて採集鞄に入れると私は村を後にした。峠を越えるとき、潮騒のように重くのびやかな葬送の唄声が耳の奥を掠めた。振り返ると、遥か彼方まで点々と続く盛り土の群れが、白日に照らされた日本海の白波のように強く鮮やかに輝いていた。
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内容に関するアピール
写真集『鎌鼬(普及版)』表紙
細江英公
青幻舎出版
古美術のコレクターが、ある写真の収集を依頼され、アメリカから祖国日本の東京へ渡った。見つけた写真集の断片の中に母の姿を見つける。そして母と異形の男が写る一枚の写真に強く惹きつけられ、写真が撮られた東北の秋田へと向かう。過去の地層の断絶とずれによって、赤道へと近づいた東日本の温暖湿潤な気候や活力のある植生を目に焼き付けながら進む道すがら、亡き母の故郷について知る人々と出会い、写真の撮られたかつての日々を聞き知っていく。
村に足を踏み入れたとき、その話の一つ一つを変わり果てた風景の中に見出す。一際、自分を惹きつけた写真の撮られた草叢で、母と男の息遣いの後に手向の酒を注ぐと、村を後にした。
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