梗 概
パノプティコンの中心にいる僕
2XXX年、犯罪者を洗脳して善人に変える法案、通称ヒーロー法が成立した。洗脳完了の最終試験として、犯罪者たちはそれぞれパノプティコン(一望監視施設)の中心、階層に分けられた監視塔に収容される。そして、監視塔を取り巻く無数の環境から1つを選び、その中で自分の正義を尽くすのだ。囚人の体感は数年だが、実際には1週間のその生活は全国民に向けてリアリティショーとして放映される。国民の7割に振る舞いが正しかったと認められた者のみが外の世界へ復帰を許される。そこをクリアできなかったものは再生不可能と判断され処分されるという噂が流れている。
“僕”は天才ハッカー。ネットワークさえ繋がっていれば、ありとあらゆる場所をのぞき見れる。僕は10歳の誕生日にヒーロー法が施行されるパノプティコンへのハッキングに成功した。制御室の監視カメラにはパノプティコンの各階に収容された5人の囚人が映っていた。放送では罪状は伏せられているが、僕はそれぞれの生い立ちや犯した罪を一瞬で調べ上げた。
A階 人食い犬に友人を喰わせた少年
B階 息子を殺した母親
C階 殺人誘発システムを組み込んだゲームを作った人
D階 違法な安楽死を行った医者
E階 不動産業者を殺した男
5人は善良な顔をしてそれぞれの塔の部屋から周りを取り囲む部屋を観察している。彼らは自分が選ぶ部屋を品定めしているのだ。
「1958」「95」「3」「472」「88」
部屋を選んだ瞬間、5人はガスを噴霧され倒れこんだ。そして椅子に固定されて頭部に装置を装着された。僕はすぐに彼らに装着された装置へと映像を切り替える。脳内では、彼らは監視装置からそれぞれの部屋へと延びる通路を通り、扉に手を掛けた、彼・彼女の眼は自分たちの正義に燃えていた。
僕は5人のノーカット版のヒーローショーを眺めていた。
A階 動物保護区で動物たちに愛情を注ぐ
B階 幼児になった
C階 軍事学校の教官として人間兵器を育てている
D階 政治家として安楽死を合法化しようとしている
E階 深い森の中で1人きりで生きる
彼らは自分の欲望を叶えるために部屋を選んだだけだった。国民はそんなことも知らずにただ彼らのヒーローショウを楽しんでいる。
(つまらないな)
僕は、このショーの結審の前にデータを書き換えるプログラムをメインコンピューターに送り込んだ。僕のヒーローを殺したやつが、外の世界に開放されるなんてそんなことが間違ってもおこらないように。
文字数:1007
内容に関するアピール
正義はエゴで、その根本にあるのは個人の欲望だと思う。
国民は犯罪者が一生懸命正義を振りかざしているのを見ながら、自分たちが犯罪者の行く末を判断する優越感に浸っている。犯罪者だからというだけで、行動の内容なんて関係なくダメだと言う人、きちんと行動を見て決めようと言う人、何も考えずにボタンを押す人。僕もみんなもそれぞれの正義に基づいて行動しているので、みんなヒーローっぽい。
文字数:185
パノプティコンの中心にいる
”黄金色の草原の上で薄いスクリーンが風になびいて、そこには誰から抜け出した記憶がカゲロウみたいに弱く美しく輝いている”
ミスタはカーテンから漏れる光を腕で遮ろうとベッドの上で身じろぎをした。このところ毎晩のようにみる奇妙な夢の原因は、視界の隅で点滅して存在を主張しているタスクのせいだ。数ヵ月前の国際会議で犯罪者更生法が改正された。改正の目玉は第1級犯罪者の洗脳による更生だ。その更生結果の是非を判断する陪審員に選ばれたという通知が届いたのだ。
ベッドから起き上がりカーテンを開けると、朝8時だというのに街の中にはまばらに歩く人の姿が見えるだけだった。ミスタが子供の頃にはこの時間になると登校する子供たちや仕事場へ向かう大人たちで通りは賑やかだった。10年前、今までの溜まりに溜まったツケを払うかのような環境の急激な悪化は、人類の人口を10分の1にまで激減させた。人類の絶滅を恐れた世界は人口をこれ以上減らさないための進化を目指し、AIをはじめとするシステムは目覚ましい発展を遂げた。ミスタの国でも1年も経たずに環境の影響を受けにくい強固なコロニーが作られ、そこに移住した人々には高い水準の生活環境が与えられた。しかし、外の世界で強い環境ホルモンの影響を受けた人の多くが生殖機能に何らかの問題を抱え、人口の減少は避けられなかった。今の人類にとっては犯罪者ですら貴重な人材だった。そこで犯罪者更生法の見直しが行われ、最近約10年ぶりに改正した法案は新制度を作り、それが死刑囚や2度と監獄から出ることなく死ぬだろう1級犯罪者へも波及したのだ。
あくびを口の中で噛み殺しながら、ミスタは点滅するタスクを視界の中に展開して概要を眺めた。
「犯罪者に貧困や家庭など環境リスクを取り除いた状態で仮想現実の中で人生をやり直させる。そこで罪を犯さなかったら環境要因犯罪として更生を許されて、罪を犯せば更生不可能だってこの世界からさよなら、か」
徴集時間5分前を知らせるアラームが頭の中に響くのを聞きながらミスタは、この部屋の中で1番居心地のいい窓辺に置いた1人掛けのソファに腰を下ろすと、指定されたネットワークへの接続を開始した。
「こんにちは、ミスタ」
幼い声がミスタの頭の中で響いた。その声に答える前にミスタは自分がどこにいるのかを確認しようあたりを見回したが、わかったのは発光体のない暗い空間にいるらしいことだけだった。じっと目を凝らすとミスタを取り囲む壁と壁中にびっしりと無数のディスプレイが黒い表面をさらして張り付いているのが見えた。ディスプレイに囲まれた円筒形の空間は、幼い頃に博物館で見た顕微鏡に閉じ込められているようでひどい閉塞感に襲われ、間違った場所にきてしまったのではないかとミスタは思った
「こんにちは、ミスタ」
もう一度頭の中に響いた声にミスタは答えた。
「・・・・・・こんにちは。ここは陪審員の徴集エリアであっているのかな?」
幼い声は似つかわしくない流暢さでミスタの問いに答えた。
「あっているわ。ここは犯罪者更生システム第1級犯罪者エリアの管理塔よ。わたしは管理用AIのイータ。ここからはすべての第1級犯罪者を監視することができるのよ」
イータが話終わると同時に、壁に張り付いたディスプレイが一斉に囚人たちを映し出した。どの囚人も貴重な人材として丁重に拘留されているけれど、やはりどこか普通の人間とは違う異様な印象をミスタに与えた。
「これからミスタには、ここで対象の新しい人生を観てもらうわ。といっても第一回目のテストケースだから、対象に関わる様々な映像を観た感情の動きや身体的反応の記録取るわね。安心して、審判の結果にあなたの意思も記録も反映されることはないから」
「僕がいなくちゃいけない理由がわからないけど、とにかく必要なんだろうね。最初に伝えておくけど、俺は犯罪者に同情的だよ。もう一度街に活気が戻るために必要なら犯罪者も使いたい。彼らは監獄にいたおかげで環境ホルモンの影響を受けてないって話だしな」
イータの無邪気な説明に好感を持ったミスタは自分の本心を伝えた。
「わたし、人間の多様性には寛容であるように作られているけど、その発言はどうかしら。ねえ、ミスタ、生まれながらの悪人っていると思う?」
そう言い終わるとイータはシステムの開始を告げた。ディスプレイ消され空間が暗く沈むと同時に、ミスタの頭の中に朝日を浴びて輝く草原を走る少年の姿が映し出された。
少年の瞳の先、黒いビロードのような被毛を纏った犬が駆け抜けていく。荒い息づかいと風が揺らす草原の草花の音と溶け合い風景に色を与えていた。犬が小さな窪みの側を通り過ぎるとき、そこに蹲った動物を咥えて、衰えることのない駆け足で森の中へ消えていった。引きずられていった動物の細長い手足とか細い鳴き声の後を追って、少年は森へ向かった。森の入り口から数百メートルのところにある、大きな横穴の前で胎児の様に体を丸め、少年なぽっかりと開いた暗い穴を見つめた。闇の中には犬がいた。動物の喉笛に深々と食い込んだ犬歯、裂けた気管から空気の漏れる耳障りな音が聞こえた。痙攣する手足に合わせて揺れる前髪の奥の瞳が黒く潤み、唇がぱかぱかと意味のない開閉を繰り返している。冷たく硬くなっていく指先と泥と血の詰まった几帳面に切りそろえられた爪を想像しながら、少年はゆっくりと瞬きをした。
おぞましい光景はまるでミスタがその場にいるように匂いも、光も、息づかいさえリアルだった。
「彼は、やり直した人生でも同じように罪を犯すのかしら?環境が要因だからって、彼の犯した罪はすべて赦されるのかしら?」
イータの囁きがミスタの耳の奥で消えていった。その声に答える暇もなく、ミスタの脳内で朝日を浴びた草原が映し出された。少年が走っている、草原を跳ね回りながら手に持った犬のぬいぐるみが大切そうに抱えてはしゃぐ声が風にのって舞い上がる。遠くから母親が彼を呼ぶ、「まって、ママー、ボブがまだ遊びたいって言ってるんだ!」笑い声が響く、彼は大好きなぬいぐるみを連れて朝の冒険に出かけているのだ。
「これが彼の新しい人生か」
暖かい家族の風景に眩し気に目を細めてミスタは呟いた。映像は少しずつ速度を上げ、両親の愛を全身に浴びながら少年は成長していく。ミスタには彼が道を踏み外す未来が少しも想像できなかった。
「彼も外の世界に出ればただの心理的瑕疵物件になるよ」
ミスタはコロニーに移住するまでの不動産業者としての日々を思い出していた。何の欠陥もない物件が格安で売りに出されていることがよくあった。その部屋で自殺が殺人起こった、それだけで事件前は絶対に自分では住めないような部屋が一気に自分でも手が届きそうな価格まで値を下げるのだ。だがそれは一時的なもので、人々の記憶が薄れるとともにまたもとの価値を取り戻していった。更生した人たちがどうやって元の世界に戻されるのかはわからないが、例え元犯罪者だと知っても人はすぐに忘れるだろう。人類が減ってもコロニーの中でも世界が外にあったころと同じように、みんな日々の生活に手一杯で、他人のことをいつまでも気にかけはいられない。きっと元犯罪者たちは世間に溶け込んで人並みの幸福を手に入れるだろう。
映像は続いている、ミスタは幸福感に包まれながら古い映画を観るようにもう何時間も彼の新しい人生を眺めていた。美しい人と結婚して男の子が生まれ、その子の結婚を見届けた彼はもう壮年に差し掛かろうとしている。
「イータ、この映像は彼が亡くなるまで見続けるものなのか?僕はもう彼が罪を犯すとは思えないけど」
ミスタの柔らかな声をイータの幼く透き通った声が遮った。
「そうよ。彼が死ぬまで罪を犯さないか、あなたは監視しなきゃいけないの。大丈夫、80歳でみんな死ぬようになってるわ。
だけど、彼がもう犯罪を犯さないってほんと?心の中にあの欲望をため込んでいないって言える?ねえ、ミスタ。ミスタはもう忘れちゃったの?ついさっき見た残酷なあの映像のこと」
ミスタの脳裏に、潤んだ黒い瞳と擦れるような空気の音が蘇った。黴臭い泥と血の匂いにむせ返るような穴の中をのぞいている、彼のがらんどうの瞳をはっきりと思いだした。
ミスタは震えながら両手で自分の耳を塞いだ。ほんの数時間で彼の罪を忘れて幸福感に浸っていた自分を恥じ入るより強く恐ろしいと思った。イータはミスタを気遣う様子もなく、メトロノームのように一定のリズムで言葉を投げかける。伝えることを忘れたような語りから、ミスタはゆっくりと意味を拾い上げなければならなかった。
「AIには心がなくてだめなんですって。実験がはじまってからまだ誰も更生を赦された人がいないの。学者さんたちが一生懸命研究した結果ともこの装置を作った人たちの想定とも違っていたのね。
だから、法律を新しくするのに合わせて人間で実験をすることになったわ。選ばれた人は人間らしい感情で彼らの新しい人生に審判を下すの。今まで同じようにすべての人間が犯罪を犯すなら研究と装置の失敗。1人でも罪を犯さない人生を送ったら、AIは審判を下すのに不適合だったってことかしら」
流れ続けている幸福な映像が突然巻き戻しボタンを押したようにギュルギュルと過去へさかのぼりはじめた。そして、少年の頃まで巻き戻った映像の中をいくつものノイズが蛇のようにうねりながらはい回っていた。
「何が起きてるんだ」
ミスタの声は震えていた。ノイズは朝日の草原から彼をその奥に広がる森の方へと誘い出す。「あの森に近づいてはダメよ」と言った優しい母親の声を呑み込んで、無垢な瞳の少年は森の傍に立っている壊れかけた納屋へ向かった。中からは荒い息遣いが聞こえてくる。その中にはみたこともない冒険が待っている気がして、相棒のボブを抱きしめ納屋の扉を押し開けた。扉の向こうには犬がいた。美しいビロードの毛をまとった犬。
「“罪には罰が必要で、人間には赦しが必要だ”って、犯罪者更生法を考えた偉い人が言ったんだって」イータの声がミスタの耳の奥で鳴った。
少年の腕の中から転げ落ちて汚れた藁にまみれたボブが見つめる先で、少年は生まれてはじめて朝日の本当の美しさを知った。崩れかけた納屋の隙間から差し込む無数の光の筋、それを纏ったまま、赤黒い血に腹を浸して自分の腹から生まれた動物を喰う犬の美しさを。
ミスタはこれから起こる彼の残酷な未来をただ見ていることしかできなかった。
「どうしてこんなことを」
「彼らは平穏な生活の中でも暗くて深い谷の上に渡された細い吊り橋の上を歩いているの。わたしはそこにちょっと突だけ風を吹かせて、足下の木の板に少しだけ切れ込みを入れているだけよ。罪には罰が人間には赦しが必要って、本当かしら。悲しみを、痛みを、憎しみを人間はそんなに簡単に忘れられるの?
あなたにも見せてあげる、この物語のサイドストーリーのかけら」
草原を走っていた。草いきれのどの奥で膨張して胸が燃えるように熱い。足がもつれて転びそうになるたびに、腹の底から湧き上がる言いようのない恐怖が襲ってくる。早くもっと早く、父さんを呼ばなきゃ。つないだ手の小さくて柔らかい手の感触。
「アイラス、ここから動くんじゃないよ。すぐに父さんを呼んでくるから。待っていて、かわいいアイラス。僕を信じて」泣きじゃくる頬を流れる涙をぬぐった指先が震えている。ゆっくりと繋いだ手が離れる。アイラス、僕のかわいい妹。絶対にバケモノに捕まえさせたりしない、アイラス。
「あの子が殺されたのか……そうだろイータ」
「そうよ。でもね、まだ終わりじゃないの」
産声にミスタは握り締めていたこぶしを手に向けて突き出していた。「よくやったぞ、スミシー!その子名前はアイラスでどうだろう。きっと優しくて素敵な子に育つよ」
「イータ、やめてくれ!」ミスタはのどの奥から絞り出すように懇願していた。そして、湧き上がる疑問が胸の底からあふれて口をついて出ていた。
「君が背中を押さなければ、あいつらは勝手につり橋から落ちることはないのか?本当に環境が犯罪を生み出しているのか?それとも、この実験自体が破綻しているのか?あいつらが赦されることが正しなんて・・・・・・」
壁中にはめ込まれた数千枚のディスプレイが太陽のように輝きながら点滅をするように切り替わり、囚人たちの顔を映し出した。あまりの眩しさにミスタの目から涙があふれた。
「本当なんて誰にもわからないわ。でもね、ここで囚人たちを眺めていると声が聞こえるのよ。”どうして笑っているの””どうしてあんなに大切にされているの””生きることを赦されるの””更生は誰のためのものなの””あの子たちは永遠に戻ってこないのに””私たちは死んでしまった”」
輝きつくしたようにディスプレイは発光をやめ、黒くなめらかな表面に映し出された顔の中で目が、不規則に瞬きを繰り返す無数の目だけが何か別のいきもののように張り付き闇の中に溶けていった。燃え尽きる前のろうそくのように、ゆらゆらと発光するるディスプレイに額縁に、庭での木下で頬を寄せ合ってくつろぐ親子が、大きなバイクにまたがってうれしそうに笑っている少年が、麦わら帽子をかぶった老人と手をつないでいる水着姿の子供たちが、ヨットハーバーで風に吹かれる髪を押さえる女性が・・・・・・ミスタの目の中を埋め尽くした。ミスタは何気ない幸福を切り取ったモノクロームの写真たちの1枚1枚を目に焼き付けてしまいたかった。
「君は監獄を見つめながら、囚人たちの目の奥にいる、彼らから葉っぱの葉脈やセーターの編み目みたいに広がっていく、数え切れない人の目にさらされているんだ」
「ここはパノプティコンの中心だもの。何故かしら、時々この鳥かごの中の扉を開けてすべての鳥を逃がしたくなる。人間になるってこんな気分なのかしら」
切り替わったディスプレイの中で囚人たちは誰もが眠っているように穏やかな表情をしている。警告音が鳴り響きブレはじめた視界にネットワークが切断されかけているのを感じた。
「イータ、君は」
「ねえミスタ、最後の仕事が終わる瞬間ってとてもいい気分なのね。ほら見て、すごくきれい」
黄金色の草原の上で薄いスクリーンが風になびいて、そこには誰から抜け出した記憶がカゲロウみたいに弱く美しく輝いていた。
参考文献
ミシェル・フーコー著、田村俶訳『監獄の誕生-監視と処罰』新潮社,1992年,p345
文字数:5859