仙女の足枷

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梗 概

仙女の足枷

「すごい……綺麗だね。ね、千波」
未琴がそう言ったから、千波は曖昧に頷いてガラスの向こうを見た。
 八人の仙人が描かれた屏風、らしいのだが。とてもそうは見えない。水墨画の所々に施された赤、群青、雌黄の彩色が目に痛いほどけばけばしいし、登場人物の顔つきは野卑そのものだ。
 綺麗、なのだろうか。これが。本当にこれが、欲を捨て去り、不老不死を得た人々を描いたものだろうか。千波にはどうしても、各々が欲望のままに好き放題を繰り返す乱痴気騒ぎにしか見えなかった。
 右隻はまだ理解できる。一番右、木々の間に立つ険しい顔つきの人物は、背後に虎を従え、腰には巻物と瓢箪、植物を下げている。風に靡く蓬髪も相まって、世俗を捨てた仙人らしい姿だ。
 虎の目線は、真っ白な鳳凰に向いているのだろうか。その鳳凰を足元に置き、豪奢な赤い服を着た人が簫を吹いている。その隣に立つ人物は杖をつき、衣服の裾を雲のように靡かせて、高々と右手を上げている。どうも、龍に乗っている人物に声をかけているようだ。
 空が荒れている。生きているようにうねって騒ぐ波に、龍が爪をたてている。その人は群青の服に身を包み、龍の角に足を乗せていた。
 わからないのは、左隻の方。穏やかな山脈を背景にして、異様な丸い目をした子供達をあやす痩せ細った男。その後ろに立つ黄色い鶴が覗き込んでいる水盆。そこから鯉を取り出し笑う老人の皮膚は硬そうに捩れ、爪も鋭く尖っている。
 ぶよぶよとした蝦蟇を肩に乗せて水苔を身に纏い、黄色い服を着た侍女に耳垢を取らせる男の腹は、水死体のように膨らんでいる。
 そして、優雅に腕を凭せかけ、騒ぎを少し高い位置から見下ろす仙女。いかにも高貴な薄い青の衣服を纏い、柔らかそうな白い服の侍女に桃を運ばせている。細面の顔が未琴に似ているかもしれない。いや、違う。未琴はあんな風に目を細めて眺め下ろしたりしない。もしかしたら、見ているのは赤く汁の滴る果実を狙っている、鱗のある獣かもしれないけれど。それでも、未琴は紗の団扇越しにだって、あんな蔑むような笑い方なんてしない。
 気持ち悪い。狂気のまま勢いで描いた絵のようにも見えるのに、よく見る程に細部の書き込みの緻密さに、波飛沫の、髪の毛一本一本の線の細さに気付いてしまって肌が粟立つ。
 これを描いた人は狂っていたのだろうか。それとも正気だったからこそ、ここまで人の気持ちを逆撫でするものを描けたのだろうか。だとしたら、馬鹿にしている。残酷な程に醒めた目で、見る者の感情を測っている。
「千波、どうしたの。気分悪い? 向こうに椅子あったから座る?」
「いい。それより……次の、見に行こ」
 千波は未琴の手を取り、屏風の前から離れた。未琴が名残惜しそうに振り返るのに気付いたから、手を強く握って、歩調を早めた。

文字数:1150

内容に関するアピール

曽我蕭白
享保十五年(一七三〇)-天明元年(一七八一) 
『群仙図屏風』
 落款には「三五歳筆」とある。

 去年、奇想の系譜展でこの屏風を見たはずなのですが、あまりじっくり見た覚えがありません。多分不気味だったので素通りしたのだと思います。なんか、ゆるい犬の絵とかなめくじの絵とか見るのに忙しかったし。しかし紆余曲折あってこの絵を題材にする気持ちになってしまった訳だし、やはり気持ち悪い絵というものは、ちらと見ただけでも記憶のどこかにこびりつくものですね。迷惑。

 今回のテーマは仙人、というか仙女です。特に、何仙姑をモデルにしようと思っています。雲母の粉を食べて仙女になった何仙姑のように、正常な味覚を失い人としての欲をどんどん喪失していく親友が、自分を置いて天に登ってしまわないように頑張る話です。

 バレンタインも近いし、思い出のお菓子を作って親友に食べさせてあげるシーンとか入れたいですね。

文字数:393

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