梗 概
ロータス・ブレイヴ
国際災害救助機構の新米女性隊員、ヴィンピア・スーマインは、火山灰除去事業による「テック災害」の救援に、カリブ海のモントセラトを訪れていた。
〈スモール・テック社〉のマイクロマシンが不具合により、灰以外まで分解し始め、除去・復興作業を会社がおこなう間、住民は、首都リトルベイから島の最北端に設営された、国連・WHO軍が治安維持を担うキャンプに避難していた。
ハリケーンが接近する夏の朝、容体が急変した乳幼児に、ヴィンピアが心肺蘇生を施すも死亡してしまう。ダストが原因の死亡者は半年間で十数人に上った。運ばれていく小さな遺体袋を見たヴィンピアは、自分の無力さを悔やむ。
この日、レンジャーは現地から撤収する予定だったが、撤収が決定した時点から納得のいかないヴィンピアは、延期を願い出る。軍司令官は、各地でチームが必要とされており、モントセラトの優先順位は下がったと却下する。チームリーダーも司令官に賛同するが、「ハリケーンで被害が出るかもしれない」とヴィンピアが説得。チームリーダーが間に入り、撤収は翌日に持ち越された。
午後、〈スモール・テック社〉CEOが事故後、初めて謝罪に来島する。取締役会の圧力でしぶしぶ訪れたCEOだったが、無神経な発言を連発し、住民たちを激怒させてしまう。居合わせたヴィンピアが皆を宥め、CEOに住民たちの前で復興に尽力することを約束させる。
夕方、宿泊先のサモア出身住民宅で、ヴィンピアは別れの挨拶をするが、悔しそうな表情に、シャーマンの住民が「マナ」の話をして聞かせた。
ヴィンピアには「架橋」のマナがあって、助けが要る人々を結びつける力があるという。理解が追いつかないヴィンピアに住民は、「人々に橋を架け続けなさい」と励ました。
ハリケーンの進路が島へ変わった深夜、住民たちを、軍とレンジャーがキャンプの頑丈な施設へ避難させていく。取り残された住民がいないか、見回りへ向かうチームリーダーに、ヴィンピアも志願する。暴風雨のなか、リーダーとはぐれたヴィンピアがセンサで住民を発見し、制服のアーマーで壁を破って家屋へ突入する。
怯える住民の女性は耳が聞こえず、避難の呼びかけを聞き取れなかった。ヴィンピアの〈灯街〉のエンブレムを見た女性は、落ち着きを取り戻すが、産気づいてしまう。応援が呼べないヴィンピアは、その場で分娩をおこなうことを決意。
生まれた子は心肺停止で、朝の光景がヴィンピアの頭をよぎった。蘇生に成功するも、強風で家屋が半壊する。
一人で盾になろうとするヴィンピアの元に、チームリーダーが合流。二人でスクラムを組み、制服を結合させたバリケードで親子を嵐から守った。
まもなく夜が明け、捜索に来たチームが四人を発見。救助された女性がヴィンピアに赤ん坊を手渡す。
朝日を浴び、赤ん坊がヴィンピアの腕のなかで泣き出した。
文字数:1196
内容に関するアピール
困っている相手へ無条件に手を差し伸べ、助けてみせる人物がヒーローであり、進んで行動できる人が強く正しいのです。そこで今回は、災害救助の物語にしました。
増加する災害に対応するため、国際災害救助機構のような救援専門チームが必要だと考えています。医師、救命士、元特殊部隊員などで構成される志願制のレンジャーは、洋上中立都市〈灯街〉に本部があり、「希望の象徴」と言われるようにまでなります。
「気高き蓮よ、闇を照らす灯りとなれ」は、レンジャーの標語です。
制服は、ロングコート型の筋力強化アーマーで認証は必要なく、道具として現地の人々へ貸し出すこともあります。
本作では「マナ」を「使命」の意味で用いていますが、信仰よりもヴィンピアの背中を押すシャーマンの手向けの言葉です。
人災・天災の両面を出したく、テクノロジーによる災害を選びました。
文字数:388
ロータス・ブレイヴ
One、Two、Three、Four ……。
繰り返し、胸郭の中央に掌底を叩きこんだ。
速いペースに普段の息継ぎでは間にあわない。
吸うのは二回に一回、吐くのも二回に一回。
それでやっとわたしは、少年の胸を圧迫しつづけられる。
皮膚から肋骨の浮きあがった痩せた体。その命の源たる心臓をもう一度だけ動かすために、枕元のレスピレーターがゆれるほど強く、小さな胸を押しつづける。テントのなかを駆ける風に、虫食いの点々とついたシャツがはためいた。
「ごめんっ……」
感覚が消えはじめた手に、骨の砕ける振動がつたわる。もうこれで三本だ。
「スー先生」
わたしの名前を呼び、傍らの淡いエメラルドグリーンの影が動く。ただのポンプと化した人工呼吸器を操作するスクラブの彼女はきょうも、だれもやりたがらない役割を買ってでるつもりだ。
「……七十秒経過。依然、心拍・血圧ありません」
平坦になった心電図を信じようとしないドクターに蘇生の見こみがないことを進言する役。感情で現実を見ようとしないドクターを止める役。
「ウィル! もう一度、アドレナリン投与して。レスピレーターそのまま!」
絶え絶えの息でわたしは嫌われ役の顔をにらんだ。慈悲と冷静さを兼ねそなえた彼女の黒真珠のような目は、わたしの視線を受けとめたうえで、「潮時だ」と言っていた。
「ぜったいっ、あきらめちゃ、ダメ!」
いま止めたら、すべてが終わってしまう。
黄土色をした幼い肌が潮風をあび、荒々しくも美しい島の、陽の光を受けることは、けっしてない。
「スーマイン先生!」
ウィルがわたしの腕を引っつかんだ。振りほどこうとしてもビクともしない。なめし革のような腕は驚くほど力強かった。
「自分の手をみて」
顔のまえに掲げられた、骨のように血色が失せた白い手は、情けないほど小刻みに震えていた。まるで死神の手だ。
「こんな状態でCPRがつづけられるとおもいますか」
訛りのある英語でウィルがわたしの目をみる。黒真珠に映るわたしは、髪をふり乱し、汗にまみれた青白い狂乱者だった。
「でも、この子はまだ」
「いいえ……彼はもう、旅立ったの」
まだ、と唇が繰り返す。けれど言葉は出てこない。少なくない経験がわたしに現実をただ突きつける。
「ピー……」
鳴りつづけたモニターの電源を切り、蘇生のために切りひらいたボーダーの虫食いシャツをウィルが整えていく。ここでは縫ってやる余裕がない。
テントの他のスタッフと、ウィルが簡易ベッドを囲み、黙祷を捧げた。信仰と衛生面から合掌も祈祷もおこなわれない。
わたしの耳では、心停止のアラート音がいつまでも鳴っていた。
「あとはやります。スー先生は帰国の準備を」、と半ばウィルに追いだされたわたしは、診療所の皆に簡単なあいさつを済ませ、テントの外をめざした。あのまま留まったところで、いまの自分では役に立たない。それくらいの自覚はあったから、ウィルの気づかいはありがたかった。
「帰国、か」
セルロース由来のテント幕をくぐり、深く息を吸った。潮の香りが鼻を満たす。わたしの育った場所とおなじ香りだ。細かいダストが混じっているせいで喉がイガイガし、この半年でくしゃみをこらえるのに息を止める習慣がついた。
中途半端に分解された火山灰と、分解されるはずではなかった無機物のダスト。風向き次第でいまだに南からダストの砂嵐が飛ぶ。
砂塵に慣れるといろいろな香りが潮風を追い越して一気に押しよせてくる。人の香り。人の営みの種々雑多な香りだ。
診療所のまえに広がる街、UN-MVARPFSPの仮設キャンプには、約6,000人の住民が避難している。モントセラトのほぼ全住民だ。UN-WHOが治安維持活動をおこなっている。
わたしたち国際災害救助機構のチームは、災害発生通告の直後からモントセラト入りし、医療支援をはじめとする急性期の災害救助をおこなってきた。
半年が経過したキャンプは復興期と評価され、わたしたちにはきょう、撤収の指示がくだっている。
息を吐いて左の肩、制服に縫いこまれたエンブレムを叩く。
「チームリーダー、こちらヴィンピア・スーマイン。AOPDの小児患者へBALを処置しましたがバイタルが低下。CPRを実行も……死亡しました。レンジャー到着以降、同疾患による死亡者は、計34名です」
「『ネヴァ・モーア隊長、了解した』」
短い無線が扇状のエンブレムから返った。
瑠璃色の“扇”は海をあらわしている。白線が海面にうかんだ蓮の花の輪郭をシンプルに描き、蓮のうえに建ったキャンドルのような灯台が左右へ光の帯を送っている。レンジャーの本部〈灯街〉のエンブレムだ。
「『各員、撤収前にUN-WHOとブリーフィングをおこなう。HQに集合』」
通信機でもあるエンブレムからの指示に、「マジかよ?!」「堅物とも離別か」とメンバーたちの感想がもれてくる。レンジャーは、UN-WHO現地司令官の指揮下となっているが、いまの司令官からは撤収の指示以外、ほとんど指図を受けたことがない。
「そもそもラクラン司令官の指示なんて、したがったことないでしょ?」
わたしがエンブレムに口を近づけると、一拍おいてから抗議がはじまった。
「『お、おれらの上官は、チームリーダーだ。なっ、ハワダ?』」
「『さよう。われらはリーダーに忠をつくす身。リーダーの言葉となれば……』」
「『おまえたちには荷物をまとめとくように昨晩から言ったはずだが、当然、済んでるんだろうな?』」
リーダーの言葉に、わたしを含めたメンバー三人が絶句する。泊まらせてもらっているウィルの家にカバンひとつ、置いているわたしは身軽なほうだ。
「『あ~、ヴィン? おれとハワダの荷物さ、〈D.R.A.G.O.N.〉に運んどいてくれない? おれら、手がたりなくてな〜』」
「『かたじけない』」
「いいですよ、あとでテントに寄りま……」
「『ヴィンピア、安請合いするな。グアン、ハワダ、おまえたちは暴走したうえゴミに成りさがった〈キューブ〉か。自分のもんくらい自分で運べっ!』」
「『イエッス、マム!』」
「はい、リーダー。すぐHQに向かいます」
無線を切り、振り返ったわたしは危うく“肌色”にぶつかりそうになった。二本脚のヒューマノイドが削れたアスファルトの地面を進んでいる。旧式ならではのぎこちない歩き方。すこしでも人間に似せるため、骨格に取ってつけたようなベージュの外装は破損がひどく、まるで蜂の巣にされたような有り様だ。
その穴だらけの背中で、なにかが赤く点滅している。
〈キューブ〉の一個だった。サイコロ状の小さなマシンが合成樹脂の“肌”を食い破ろうとしている。わたしは手をのばし、ヒューマノイドを削るマイクロマシンをつまんだ。
〈キューブ〉の正式名称は〈Volcanic-Ash-Decomposition-Machine〉で、開発元の〈ライフセイバー社〉によれば灰のみを分解し、仕事を終えたマシンは土に還るという。
けれども、モントセラトに散布された膨大な数の〈キューブ〉は、一週間も経たないうちに致命的なバグが見つかり、有機物以外の物質を分解する強力な破壊マシンとなってしまった。
LS社はネットワーク経由でバグの修正を試みたものの失敗。すぐさま国連とWHOによる調査がおこなわれ、人体へ直接の害はないとの結論に国際世論は胸をなでおろす。〈キューブ〉のバグはヒューマンエラーによるもので、LS社は現地にエンジニアチームを派遣し、すべての〈キューブ〉を停止・除去すると発表。当然、島の復興もLS社が全責任をもつ。UN-WHOは、LS社が約束を果たすまでの監視役も担っている。
けれどそれは世界での取り決めであって、家や道路、水道などインフラをことごとく破壊されたモントセラトの人々には、降って湧いた災難にすぎない。
〈キューブ〉が際限なく分解しつづけた残渣は、微細なダストとなり、風に乗って最北端のこのキャンプまで容易に届く。ダストは呼吸器系にダメージをあたえ、肺の発達が未熟な子どもでは命にかかわる。島の人々には、終わるどころか、新しい避難生活のはじまりだった。
「ギィ」、つまんだ〈キューブ〉が抵抗するように啼く。分解したばかりのヒューマノイドの肌が塵となって風に舞っていく。そのまま機能停止した〈キューブ〉は、赤い動作ランプの消えた、ただのサイコロとしてわたしの手のひらに転がっている。
傍にもう一体、ヒューマノイドがいた。こちらも肌色のボディに虫食いが目立つ。二体は、救急隊員さながら担架を運んでいるが、載っているのは患者ではなかった。縦長の小ぶりな黒い繭。宇宙飛行士のポッドのようなそれに窓はなく、閉じたら最後、二度と開くことはない。
「クシャッ」
拳のなかで〈キューブ〉が砕けた。棺は、助けられなかったあの子のだ。
噛んだ唇を、夏の太陽が曇り空から照らす。潮風が粗い。
自然が無慈悲なら、人はどこまで無責任になれるのだろうか。
ざらつく手を握りしめたまま、わたしはヒューマノイドに背を向けて歩きだした。
「おはようございます、ヴィン先生」
「よう先生! 帰るんだって? もうちょい居てくれや!」
「〈ザ・タウン〉もさびしくなるねえ」
キャンプの通りを歩いていくわたしに、皆が声をかけてきた。オロオロするあいだにも続々と見知った顔たちが寄ってくる。
「あの、みなさん。わたし、その……」
だれにも告げずに去っていくのがレンジャーのお決まりだ。なのに、これはマズい。マズいとわかっていながら、わたしの鼻は、じーんと熱くなっていく。
教師のよく通った声、漁師のしわがれた大きな声、杖をついて立ちあがろうとする戸口のおばあちゃんには、わたしのほうが歩いていって肩を貸す。
半年の任務で出会った人たちに囲まれ、コンテナ型仮設住宅のあいだは、朝からちょっとしたお祭り騒ぎになった。どこからかスティールパンを持ちだす人もいて、唄まで歌いはじめている。
鼻をすすったわたしは、ようやくまだ情報端末を付けていることに気がついた。わたしの視界に入った顔に反応して、『【患者ID:1678。初診:2029年2月3日。微粒子によるAOPD……】』などと勝手にゴーグルが情報を表示してくる。いま、わたしのまわりにいるのは、ほとんどがモントセラトに来て最初に診た人たちだ。ゴーグルを外し、直にみる彼らの顔は当初よりも血色がいい。
「ヴィンピア先生にみつめられると長生きしそうじゃ」
島の老漁師がそう言い、皆がドッと笑いだす。
そのとき、エンブレムが点滅しだした。チームがわたしを呼んでいる。目元を拭い、立ちあがる。
「わたし行きますね……みなさん、また」
音楽で盛りあがった場から何気なく抜けだすのには、慣れたつもりだった。けれど、いっせいに名前を呼ばれて振り返らないわけにはいかない。見送ってくれる島の人たちに頭を下げ、足早に通りをすぎて曲がり角のコンテナ型住宅の影に身をかくす。
そこが限界だった。視界がゆがみ、涙がとめどなくあふれてくる。陽気なカントリーミュージックがここまで聞こえてきた。
「……大丈夫か、ヴィンピア」
壁に背をあずけ、マリンブルーのトレンチコートをまとった長身のブロンド女性がこちらを見ていた。片方の目は縦に入った鋭い傷でふさがり、黒檀色に灼けた肌は、無数の古傷が戦地をくぐり抜けてきたことを示している。それでなお、“レンジャーのヴァルキュリア”と呼ばれるほど綺麗な女性だ。腕を組んだ凛とした立ち姿は、なぜかいつも虎をおもわせるけれど本人に言ったことはない。
リーダーすみません、と手で顔を拭うわたしに「これを使え」とパステルカラーのハンカチを手渡された。森に棲むお調子者の虎のキャラクターがかわいい。礼を言って返すとコートの内ポケットに仕舞った。同じ柄の内着がちらっと覗く。
「仕事はまだのこってるぞ、ヴィンピア。嵐がちかづいている」
ヴァルキュリアが制服のエンブレムを叩き、点滅していたわたしのエンブレムが光るのを止める。端正な顔が忌々しげに眉をひそめた。
「……いやな感じだ」
指ぬきグローブの手でリーダーが上を指した。まだ朝だというのに、日光は弱々しい。
モントセラトの空を白銀の雲が駆けていく。
† † †
〈カリブのエメラルド島〉として知られるモントセラトは、二十一世紀がはじまる直前、スーフリエール・ヒルズ火山の噴火によって甚大な被害が出た。旧首都プリマスは火山灰に覆われ、島の人々は街の放棄を余儀なくされた。いまなお、島の南は立ち入りが制限されている。
制限を解消しようと投入された火山灰分解マシンの暴走で、完成してまもない新首都リトルベイからさらに北、ノース・ウェスト・ブラフ近郊の平地、名前もついていなかった国連と世界保健機関が設営したこの臨時キャンプに人々は身を寄せている。
キャンプを〈ザ・タウン〉と島の人が呼ぶのは、いつの日か腰を落ち着けられる自分たちの街を、との願いからなのかもしれない。
コートを颯爽となびかせ、リーダーがHQのテントをくぐる。あとに続いてわたしが入ると、チームのほかのメンバーも集まっていた。
目が合ったわたしにウインクしてくる優男風のグアン・リンは、スイスの元傭兵で、見た目に反して真面目なところがある。
グアンの横で腕組みをしているハワダ・ガニムはいつもターバンで顔をかくしている。本人いわく「昔、いろいろしでかしたせいで狙われているから」。真顔でジョークを飛ばすユーモラスな人だ。
レンジャーに志願したのは同期だったけれど、どちらもわたしよりずっと経験を積んでいる。もちろん二人ともマリンブルーのユニフォームを羽織っている。
グアンとハワダとわたし、それにチームリーダーの四人が、モントセラトで活動するわたしたちのチームだ。
「大尉」
わたしの左側に立ったリーダーへ、迷彩柄の兵士が手を差しだした。わたしたちは軍隊ではないので階級もないけれど、なぜかこの人はチームリーダーをキャプテンと呼ぶ。
「……ジョークのつもりか?」
握手を求めてきたUN-WHOの大尉(階級章に二本の横線が入っている)を、リーダーがじろりと睨む。
「大まじめだよ。きょうで最後なんだろ?」
だからあいさつだ、と大尉が腕をのばしたままニヤリとする。
「ふんっ。われわれが去ったあと、おまえに任せるのは心配だがな」と大尉を見向きもしないリーダー。
「ホールデン大尉は優秀だ、隊長」
威厳のある低い声に、テント内がいっせいに姿勢を正した。グアンですら、気をつけの姿勢を取っている。
「能力はうたがいませんが、少々、性格に難があります……ラクラン司令」
広い歩幅でテントを横切る司令官にリーダーが淡々と意見をのべる。大尉がうれしそうに見えるのは気のせいだろうか。
「その点は否定できんな。どうだ、大尉?」
テントの奥で司令官が全員を見回す。角刈りの頭に険しい顔が威圧感を放っていた。がっちりした体格を後ろ手に、すっと伸びた背は年齢こそ退役間近だが、ライオンのような力強い風格が軍人ではないわたしの姿勢も自然と正しくさせる。
直立不動のまま、ホールデン大尉がハキハキと答えた。
「自分の長所であります、サー」
「つまりは短所でもあるということだな」
「ぐふっ」
吹きだしたグアンを、わたしがあわてて肘で突いた。
「……ポートダイアナ周辺の〈キューブ〉除去はほぼ完了しています。が、リトルベイ全体の除去率は七割ほどしかありません。厄介なことに、このキャンプでも活性化した〈キューブ〉が確認されています。LSは『機能停止している』の一点張りですが」
「運搬者が腐食されていると報告を受けている」
ええ、そうです、とホールデンがラクラン司令にうなずき返す。簡易な円卓にホロマップが映し出され、司令官をはじめ、数人のUN-WHO兵とわたしたちレンジャーへ状況をつたえている。
ホールデンがチラリと、チームリーダーに目をやった。
「……なんだ?」
「司令官、UNU-CSに依頼していた結果が出ました。機密指定となっておりますが」
「かまわん大尉。みな、想像はついとる。それで、結果は?」
「了解。UNU-CSによると、〈キューブ〉の再活性化トリガーは非常にゆるく、すこしの衝撃で分解機構がリスタートするそうです。たとえば……」
「風とか」
HQ全員の目がわたしに向く。「やれやれ。またかよ」とホールデンが上を仰いだ。
「レンジャー・スーマイン、続けてくれ」
ひとつ深呼吸して立ちあがる。
「風で〈キューブ〉が稼働するなら、除去を急ぐ必要があります。ハリケーンが近づいていますし、はやく取りのぞかないと」
「ああ、せかしているよ。だがなんたって量が量だからな」と首をふる大尉。
「人手がたりないなら、わたしたちも残って手つだいます。アーマーの電磁パルスをつかえば……」
「きみらはレンジャーだ、スーマイン君」司令官が遮る。
「デブリごときの除去に駆りだすわけにはいかん。それは彼らの責務だ。レンジャーの装備使用は私の権限がおよぶところではないしな」
「なら、せめて撤収はハリケーンがすぎるまで待ってください」
「……〈キューブ〉の除去となんの関係がある?」
顔をしかめるホールデンを無視し、司令官に向きなおる。
「考えたくありませんが……このハリケーンで被害が出る可能性はあります。司令官のおっしゃるとおり、わたしたちは救助が専門です。みすみす放ってはおけません。だからもう数日、撤収の延期を……」
「レンジャー・スーマイン」
口を開こうとした大尉を手で制し、代わりに司令官がテーブルに手を置いた。
「確かにきみらは軍の指揮下ではない。だが我々は協力関係にある。そうだろう? 現場を預かる身として、私はここの優先度は下がったと判断した。言いたいことはわかるが、理解してほしい。すべての可能性を考慮する余裕はないのだよ」
「ですが……」
「それに、だ。我々は、世界各地から出動要請をうけている。UN-WHOもすみやかに撤収せねばならないが、ここの街を破壊した張本人は知ってのとおり、対応があまりにおそい。警察署も建たんうちに引きあげるわけにはいかん。だが、身軽にうごけるきみらが現地に赴けば、それだけ大勢が救われる」
チームを見回し司令官が言葉を切る。諭すような口調には有無を言わせない響きがあった。
ラクラン司令の指摘は正しい。モントセラトのキャンプへ避難した人々は、国際社会の支援をうけながらも徐々に日常を取りもどしはじめている。
けれど、世界には救助の手がまだ足りない。国の枠組みをこえ、活動を許可されたレンジャーだけが救える人々は少なくない。
「司令官、よろしいですか」
凛とした声にわたしが隣を振り向く。チームリーダーが手をあげていた。
「隊長、なにかな?」
「ヘリをお借りできますか。サントドミンゴのチームが難航しています。われわれのチームも向かいますが、ベースキャンプを迎えに寄越すより、ドミニカでの救助活動に専念させたい。UN-WHOのヘリをお借りできれば、われわれのほうから行けます」
「……ふむ」
ラクラン司令が目を細めた。リーダーの提案を吟味しているのだろう。ドミニカでレンジャーが苦労していることは、軍にもつたわっている。そこでリーダーの意図に気づいた。ヘリは、ハリケーンでは飛べない。
「よかろう」司令官が席を立った。
「レンジャーの撤収は24時間後に延期とする。被害の確認後、我々のヘリで次の現場へ向かうといい。その間は引き続き、キャンプの支援にあたってほしい」
すぐさまリーダーも立ちあがって「感謝します」とラクラン指令官へ目礼した。碧の隻眼がわたしに向いていることに気づき、あわてて立ちあがる。
「あ、ありがとうございます、ラクラン指令」
頭をさげたわたしを一瞥し、「他に質問は?」と司令官がテントを見回した。強風でテントがゆれている。
「気をつけっ!」
「緊密に連絡を取りあうように。以上!」
イエッサー、の号令が轟いた。テントを出るラクラン司令に兵士たちがつづく。グアンがわたしの肩を叩いて親指を立て、ハワダはうなずいたようにみえた。二人がHQを出たあと、ホールデン大尉が最後に残り、「レディファーストだ」といってテントの入り口をまくり上げた。
「ふざけたやつだ」と鼻をならすリーダーへ、大尉は「指令官の意思を変えるのはたいしたもんだ」と大げさに肩をすくめる。
「さすが……〈街〉の子だな」
わたしをみてそうつぶやいたホールデン大尉のまえをブロンドの筋が横切る。
次の瞬間、先にテントを出たはずのリーダーがホールデンの背後にまわって首を絞めあげていた。
「リーダー?!」
「言いたいことはハッキリ言ったらどうだ、大尉……ふんっ、お得意のベレッタかっ? 騎士道精神はいらないぞ、撃てばいい」
ホールデンがハンドガンを抜いていたことにリーダーの言葉で気づく。その照準はリーダーの頭を狙っている。
「オレは……誉めた、んだよ……」
腕と首のあいだに指を入れていた大尉は、かすれた声で言うと、降参のポーズを取った。拳銃が地面に落ちてカタッと音を立てる。
「ネヴァさんっ!」
二人を引き剥がすべく、制服の筋力強化機能をオンにしたわたしが飛びだすまもなく、リーダーがふっと力をゆるめた。咳きこむ大尉に駆けよるわたしを、リーダーが呼びとめる。
「そいつは放っておけ。あれは芝居だ」
「……バレてたのかよ」
立ちあがるとホールデンがニヤリとした。首には絞められた痕がくっきり残っているが、本人は至って平気な顔をしている。
「話がある、ヴィンピア」
さっさと歩いていくリーダーの後ろを追うか迷っていると、ホールデンは「いけ」と手を振って銃をホルスターにもどした。わたしはリーダーを探しにテントをあとにする。
「あっ、リーダー」
テントからそう遠くない丘に、リーダーは立っていた。
「さっきはありがとうございました。延期のこと、フォローしてくれてうれしかったです」
「ああ。子どものことは残念だったな」と目を伏せるリーダー。ブロンドが風にあおられ、憂いを帯びた顔が聖母をおもわす。
「はい……わたしの力不足です」
リーダーがすうっと、息を吸いこんだ。
「あまり自分を責めるな、ヴィンピア。レンジャーは所詮、道具。完璧な道具などない」
このアーマーとおなじだ、トレンチコートのエンブレムをリーダーの指が差す。
「道具に依存してはならない。かといって道具なしに人は生きられない。道具に生かされる人生など、まっぴらだ……だれにでも、えらぶ権利はあるがな」
「……どういう意味ですか?」
「レンジャーは難しい立場にある、ということだ。だからわれわれの行動は常に、正しく在らねばならない」リーダーが正面を向く。
丘からみえるキャンプはまるで、積み木をばら撒いた子ども部屋だ。色とりどりのコンテナが規則もなく並んでいる。コンテナの隙間が道路として飾りつけられ、空いた土地には花や穀物が風にゆれている。
「ヴィンピア、まだ『すべての人を助けたい』とおもっているか?」
それはわたしがレンジャーに入ったとき、抱負として言ったことだ。笑っていた人も多かったけれど、リーダーはそうじゃない人のひとりだった。
あれから現実を何度も突きつけられた。今朝だって、わたしはひとりを助けられなかった。
それでも、とわたしはおもう。
「はい。すべての人を助けたい……たとえ、どれほど困難でも」
湿気をふくんだ風が吹きぬけていく。雲の走る速度はますます速まっていた。
「それでいい」
リーダーがまっすぐ、わたしを見た。碧眼は海のような深さを湛えている。
「そしてわすれるな。われわれは希望の光だ、ヴィンピア。困難のなかにこそ、人々の灯りで在らねばならない。いついかなるときも……『気高き蓮よ、闇を照らす灯りとなれ』、だ」
曇り空の下で、リーダーの〈灯街〉エンブレムが輝く。目の錯覚ではなく、リーダーの唱えた標語に反応して光っているのだ。
「はい!」
「よし、仕事にかかるぞ」
風になびくブロンドのあいだから笑顔が覗く。去っていくコートの後ろ姿をわたしも追いかけていく。
海の色をした逞しい背中は、アレゴリーそのものだった。
ブリーフィングのあとは、この半年でいちばんあわただしかった。
どんな顔をして「明日までいます」と言うべきか、なやんだ挙げ句、島の人たちには正直につたえた。ウィルは、孫娘が帰ってきたかのように歓声をあげて抱きしめてくれたけれど、感動の再会後はすぐ、ドクターの顔にもどって、いつも通り診療所にやってくる患者の対応と、往診にキャンプを駆けずりまわった。
コンテナの屋根から落ちて骨折した男の子には、説教がわりにたっぷり、消毒してから骨芽細胞促進剤を打って添え木をし、腰が痛いという壮年の女性にはpMRIで画像診断したあと、椎間板ヘルニアの気があるので休むようにつたえた。ついでに女性には筋力強化機能のみのユニフォームを一着、貸した。これを着ていれば、腰への負担も軽くなる。
出産が近い女性のところをまわり、いつ陣痛があってもおかしくないので診療所に来るよう説得したけれど、断られてしまった。ウィルなら引っ張ってでもいきそうだけど、わたしは彼女の意見を尊重することにした。
腹をこわしたお年寄りの原因をさぐって、〈ゴート・ウォーター〉の肉が生焼けだったことも突きとめた。ユニフォームのゴーグルがなければ、シチューのなかの冷えた肉塊をみつけられなかったかもしれない。
この間、〈灯街〉から連絡が入り、ハリケーンの弱体化プロトコルが実施されることになった。ハリケーンがまっすぐ、モントセラトへ向かっているらしい。衛星からマイクロ波を照射し、積乱雲の水分を蒸発させるバスタープロトコルは、まだ試験段階で〈灯街守〉によると成功率は五分五分。
二回目のブリーフィングをしたわたしたちは、ハリケーンのバスターが失敗したときに備え、今夜は家から出ないように、とアナウンスをした。コンテナは地盤に固定してあるから飛ばされることはそうそうない。
個々の見回りも提案されたけれど、結局、おこなわれないことになった。
わたしとリーダーはその決定に漠然とした不安を感じていたけれど、HQや診療所のテントの補強、患者の移動などに追われ、時間はあっという間にすぎていった。
そうこうしているうちに、陽が暮れ、雨が降りだし、風もつよくなった。
〈キューブ〉の砂嵐がキャンプへ向かっていると緊急連絡があったのは、そのときだった。
† † †
「再活性化した〈キューブ〉の数は?」
「『概算で17,600,000機』」
「多いな……遠隔で止められんか、〈灯街守〉」
エキゾチックなカーペットに、マトリョーシカのような親指大の立体アバターホログラフィが円にならんでいる。レンジャーのエンブレムが投影しているのは、ラクラン司令官をはじめとするUN-WHOと、レンジャーチームの三人。蓮の花の3Dアバターは、〈灯街〉のAI〈灯街守〉で、ゆっくりとまわる蓮花から点線でつながった人型のアバターの頭上には、『Commander』の文字がうかんでいる。
花が勢いよく回転すると、制服のエンブレムから〈灯街守〉の声がした。
「『連中はアクセス権に頑なでね。ワタシが無理やり交渉すると、面倒になりかねない』」
性別の判断ができない中性的な声は、こんなときでもおもしろがっている。〈灯街守〉はあいかわらずだ。
「いいだろう。ならば、こちらが〈キューブ〉除去にあたる。住居に取りついたものから優先的に排除する」
ラクラン指令のアバターの頭上に『Local Only』の表示がつく。部下に指示をだしているのだろう。
わたしは『Ranger Captain』のアバターに手をのばし、まわりのアバター、グアンとハワダをなぞってチームに呼びかけた。
「わたしたち、見回りにいったほうがいいんじゃないかな」
グアンの「外は荒れてんなあ。バトがしくじったんじゃねぇか?」の笑えないジョークに、すかさず「ビビりは〈キューブ〉に喰われてよし」とハワダの冷静な声が返る。
「おれはビビってねーよ。それに〈キューブ〉は無機質しか分解しねーし。てか、ハリケーンくらい、おれのいた戦場にくらべりゃ……」
「チーム、二班でキャンプをまわるぞ」キャプテンのアバターが点滅する。
「グアンとハワダは外周から反時計回りに、私とヴィンピアは、キャンプ中央からHQの丘まで時計回りにいく」
ホログラフィにキャンプの地図がレイヤーされ、アバターがチームリーダーの指示をシミュレートする。キャンプの広さは約30エーカー。二手に別れれば、なんとかまわりきれる。「あいよ」「承知」の返事にわたしも「了解しました」と重ねた。
「救助者を発見した場合はチームに連絡すること。私がメディックを連れていく。アーマーをチャージしておけ。いざってときにパルスが役立つ……あとは、ひとりで無茶するな?」
最後の念押しは、わたしにだろうか。
確認するまもなく、〈灯街守〉のアバターが高速で回転しだした。すべてのアバターを線で結ぶ。
「『司令官、呼びだしてすまないが、悪い報せだ。バスタープロトコルが失敗した……すまない。千切れたハリケーンの一部がそっちへむかってる』」
淡々と謝罪する〈灯街守〉の落ちこみが、わたしにはわかった。バトのことだ。次は成功させるにちがいない。
「……わかった。あとはこちらで対処する」と司令官が応えると、レンジャーに意見を求めた。
説明はリーダーにまかせ、エンブレムを叩いてホログラフィを消した。リーダーと落ちあえそうな場所をもう一度、頭の地図と重ねあわせる。
「……スー、いくのね?」
髪留めで髪をくくり、アーマーの調節をしていると、部屋の奥にいたウィルが声をかけた。ブリーフィング中のわたしに気を利かせてくれたのだろう。心配でウィルの目尻がさがっている。仕事ですから、と答え、今夜がウィルの家に泊まる最後の夜だと気づいた。
この半年、ウィルはわたしを家族として受けいれてくれた。家に泊まらせてもらい、料理をおそわり、彼女が信仰しているスピリチュアルな世界の話を聞いた。ウィルと過ごした時間をわたしは一生、わすれないだろう。
心から身を案じてくれている褐色の肌をした目の前の女性を、わたしは感謝をこめてぎゅっと抱きしめた。
「ウィル……ありがとう。なにもかも、わたしの宝物です」
「あたしもよ」ウィルはただ静かにハグしかえしてくれた。
玄関へむかうわたしに、おだやかで力強い、つつみこむような声が声援を送る。
「スー、あなたには〈架橋〉のマナがある。自分の信じた道をいきなさい」
窓の外では横殴りの雨が叩きつけ、風がごぉーごぉーとうなっている。起動した〈キューブ〉が赤いダストとなって闇夜を駆けた。
そのなかへ向かう恐怖は、すぅーっと引いていた。
代わりに、レンジャーとしての責任が背中を押している。
二つの力を背に、わたしは嵐のなかへ飛びだしていった。
「うっ」
ゴーグルだけ装着してウィルの家を出たわたしは、あわててトレンチコートのファスナーを口元まで引きあげた。フードも深く被る。飛び交う砂と火山灰を吸いこんで、窒息するところだった。小石のようにパラパラッと身体に当たる〈キューブ〉を使い古した手袋で払いながら、キャンプを駆け足で見回っていく。
すこし進んだだけで、〈灯街守〉の言った量が身に沁みてわかった。払った直後にはもう群がっている。光のドットは暗闇によく映えるけれど、眺めている場合じゃあない。何人もの兵士が、コンテナの壁に貼りついた〈キューブ〉を棒切れやモップで払っていた。
まるで、ハイウェイを走ったあとのトラックを洗っているような光景だが、迷彩の至るところに穴が空き、地肌が覗いている。服に取りついた〈キューブ〉が繊維を分解したせいだ。露出した皮膚を研磨材のような嵐がこすれば、それだけで傷がつく。
「(もどって手当てを)」
出血しながらもモップをかけつづけている兵士たちの肩を叩き、服に穴が空いていることをジェスチャーでつたえ、アーマーからパッチを取りだして傷を覆う。ハンドサインで兵舎のほうを指すわたしに、どの兵士も大きくうなずきながら、手は止めなかった。
通信は早々にできなくなっていた。ハリケーンか、それとも〈キューブ〉が原因なのかわからない。ゴーグルの表示はチームの三人とも『Signal Lost』。けれどここは半年間、毎日まわっていた場所。自分の居場所は把握できている。
灯りのついたコンテナ住宅の戸を叩いて状況を尋ね、寝静まった家は、ゴーグルの暗視透過機能で、さっと覗かせてもらった。さいわい、急患も、おもわず目をそらすような場面に遭遇することもなかった。
頭の地図では、巡回コースの半分をきたはずだけれど〈キューブ〉除去に追われる兵士たちと出くわしただけで、チームリーダーとは落ちあえなかった。出発まえにもっと打ちあわせをしておくべきだったと、いまさら反省する。
そんなことを考えていると、突然、足の裏がふわりとした。
「わっ!?……痛っ!」
振りはらった手から、光る赤い点がほとばしる。気づかないあいだに〈キューブ〉がまとわりついていたらしい。ゴーグル越しにみた手は、革の手袋がほとんど残っておらず、傍のコンテナに手を突いたせいで掌から血がながれていた。布切れ同然になった手袋をぐるぐる巻きにして止血する。
ぼろぼろのトタン板を踏み抜いた足を引き抜いて巡回にもどろうとしたとき、ゴーグルに脈拍の表示が出た。
「【生体反応あり】」
バイタルセンサに反応する、重なりあうような二つの心拍。ひとつは位置を報せるように強く脈打ち、もうひとつは、いまにも消えそうだ。場所はわたしの真横のコンテナ。
その意味を理解したわたしは走りだしていた。
「……アリィさんっ! あけてください! ヴィンピアです!」
玄関へまわったわたしはドアを激しく叩いた。室内は暗いままだ。コンテナを一周しても、入れそうなところはない。ここもかなりの〈キューブ〉がまとわりついているが、兵士の姿はみえない。手がまわらないのだろう。となれば、入る方法はひとつ。
アーマーのエンブレムを一周、ぐるりとなぞってパワーを最大に設定し、さらにダイヤル代わりに数回なぞり、ゴーグルに『IRON-FIST MODE』が表示されたところでもう一度エンブレムを叩く。袖を締めつける感触が強くなり、腕だけ重くなった感じがする。袖口からボクサーがつかうようなグローブが膨らんで拳を覆った。
紛争地仕様のコンテナ型住宅は、銃弾も貫通しない。でもこっちだって紛争地仕様だ。
「ふぅ……ごめんなさい、アリィさんっ!」
片足を一歩さげ、引いた右腕をおもいっきり、振りぬいた。
「バコンッ!」
炭素合成金属の壁が一発で貫通する。手に痛みもない。
「バゴバゴバゴッ……」
続け様に鉄拳をうちこんでから、空いた穴のフチをつかんでフルーツの皮でも剝くように人が通れる幅に広げた。ここぞとばかりに風と〈キューブ〉が吹きこむ。
「んー?!」
くぐもった悲鳴が部屋の奥からした。アリィの声だ。急ぐわたしの足がびちゃっ、びちゃっと床を汚していく。
キッチンにアリィはいた。汗で髪が顔に張りつき、棚にもたれかかるようにわたしを睨みつけている。手にはフライパン、もう片方の手はお腹のふくらみに当てている。
「あっ、ごめんなさい!」
そこでようやく、自分が戦闘スタイルのままだったことをおもいだした。家の壁を突き破って入ってきた人物に怯えないはずがない。あわててゴーグルを外し、フードも脱いだ。室内灯のスイッチが近くにあったけれど、結局、エンブレムを叩いた。
「アリィさん、わたし、ヴィンピアです。ウィル先生のところの準医師」
読みとりやすいように、単語で区切って唇を大きくうごかす。そのあいだに、だんだんと制服が蛍光色に染まっていく。ウミホタルの青だ。
アリィは元々、モントセラト出身ではない。ひとり旅で島を訪れた際、酔った男に乱暴されたと初診にあたったウィルが言っていた。直後の〈キューブ〉暴走事故で男は逃げ、いまも捕まっていない。
そのときのショックから、アリィは言葉を発することができなくなり、さらに聴力までも失った。握りしめた拳をアリィに見られないよう背中へ隠す。
「ふ……ふろー」
光るトレンチコートにアリィの目が見ひらいた。
「そう! フロートの……アリィさん?!」
突然崩れおちた体を支え、あどけなさが残る顔立ちが苦痛でゆがんでいることに気づく。
「まさか破水……!?」
アリィの下腹部にふれると、じとっと濡れていた。大きなお腹を抱え、疼痛に身をよじる。陣痛がはじまった。
「(どうしよう)」
うろたえが顔に出ないようにしながら、キッチンにあるもので枕をつくり、アリィを床へ横たえる。寝室まで運ぶ発想は出てこなかった。
「……っ! だ、だいじょうぶ。どこにもいきません」
リビングからつかえるものを取りにいこうとしたわたしの手を、アリィが信じられない力でつかむ。止血したばかりの傷が裂け、怪我したときと比べものにならない痛みが腕を突きぬける。歯を食いしばってアリィの手を握りかえした。
「あ、あか、ちゃん……」
「はい、赤ちゃん、いっしょにがんばりましょう」
その瞬間だけは陣痛が消えたように、アリィはパッと顔をかがやかせてうなずいた。
分娩の手順をとにかく頭のなかで繰りかえしながら、ゴーグルで母子のバイタルを確認し、キッチンバサミで切った臍帯をわたしが使っていた髪留めでくくる。ほかに道具がなかったからだが、さいわい、出血は多くなかった。 “赤ちゃん”と呼ぶに相応しい真っ赤な命は、女の子だった。
小さな命を抱えあげ、ふと、なにかおかしいことに気づく。女の子は泣くことはおろか、微動だにしない。生きることを拒むかのように口を一文字に結んでいる。
突如、ゴーグルからけたたましい音が響いた。
『警告。心肺停止』
見慣れたアラートとあまりに聞きなれた音が木霊する。
「ん、んっ?」
異変を感じとったアリィがわたしを、疲労と恐怖と、絶望の目で見あげる。
家族を失いかけている者の目。どうかお助けくださいと、医者にすがる目。わたしはこの目を幾度も見てきた。
いま、この子を救えるのは、わたししかいない。
ゴーグルを引きずりおろし、血液と粘膜でふさがった小さな口へ、唇をかさねる。
むっとするようなにおいがした。それがわたしには死のにおいにおもえる。胎児が生きるのに欠かせない羊水が、生を享けたいま、この子を死へよびもどそうとしている。
「げほっ……」
呼吸を妨げている羊水を力いっぱい吸い、吐きだす。血の味がする粘液を、吸っては吐きだしつづけた。
異物の量が減ってきたことを確認し、アーマーを脱いで床に敷く。高反発モードに設定するとコートがエアマットのように膨らんだ。女の子を即席のベッドに横たえるあいだも脈の止まった体は、石のように冷たくなっていく。
「ふー」
両手で胸郭をつつみこみ、二本の親指でぬめりの残る肌をさすって位置をたしかめる。
「One、Two、Three……」
二本の指に全神経を集中し、心臓めがけ、押しこんだ。
砕ける幼い肋骨。
命の終わりの音。
運ばれていく棺。
次々に頭をよぎるイメージに、わたしの手はまたしてもふるえそうになる。
「もどって、きて……」
さっきは吸いこんだ口へ、今度は一気に空気を吹きこんだ。点のような鼻から、ぬめっとしたものが飛びだし、吹きこんだときの抵抗が減っている。空気が肺まで届いた。途切れさせないようにすかさず、指に力をこめる。
「き、きゅ」
アリィがわたしの肩を叩いてなにかをつたえようとしている。床に転がったゴーグルに目をやった。彼女のバイタルは問題ない。
「あとでっ!」
出産直後の母親を放置するのは論外だけれど、いまのわたしは余裕がなかった。
「あなたはっ……いまを……いきるの、よっ!」
息があがって呼吸がままならない。肺が焼けつくように痛い。
でも、わたしの手は無様にふるえなかった。
わたしには、人々をつなぐ使命がある。
わたしは、絶望に屈しない。
だからわたしはけっして、あきらめない。
この子が泣き笑い、頬をふくらませながら砂浜を走り回る。その姿だけをおもいうかべた。ほかのイメージが霧のように消えていく。
「だから……もどってっ……きてっ!!!」
小さな胸がぶるっと、ふるえた。
冷たかった体にわずかな熱が灯る。
「……おぎゃぁあっ」
赤子の泣き声はまるで、夜を照らすライトのようにまぶしかった。枝のような腕がジタバタし、しわくちゃの顔がさらにゆがむ。
「やった……ッ!」
彼女を抱きしめ、頬にキスした。疲れも不安も一瞬で弾けとんだ。
「きゅぶ!」
そのとき、アリィがわたしの腕をつかんで激しくゆすった。彼女が指さすほうに目をむけると、自分の顔がこわばるのを感じた。
「ギィギィ……」
そこでは無数の〈キューブ〉が蠢いていた。雨といっしょに、わたしの空けた壁の穴から降りこんだ〈キューブ〉の赤いセンサがリビングを埋めつくしている。
草で編んだ小ぶりなハンモックや、きれいに畳まれた子ども服を黒い波が一瞬でのみ込み、次の標的をみつけたマイクロマシンがわたしたちのほうに押しよせてくる。
「かがんで!」
アリィに子どもを手渡し、そのうえからアーマーを被せ、二人ごと抱えこんだ。直後、〈キューブ〉の波がわたしたちをのみ込む。
群がったマイクロマシンが耳を覆いたくなる音で啼き、わたしの服を容赦なく切り裂いていく。それでも飽き足らずに体中を這いずりまわり、全身、ヤスリをかけられたような痛みで悲鳴をあげそうになる。
ここでわたしが音をあげたら、次はあの子だ。そんなことはぜったいにさせない。
刹那、凛とした声が〈キューブ〉の波をつらぬいた。
「〈マキナ・レス〉!」
青い閃光がまぶたを灼く。あたりの光が消えると、風と雨の音だけが残った。マイクロマシンの、ぞっとする駆動音もしない。
「だから、チャージしておけと言っただろう」
制服にパルスをほとばしらせ、チームリーダーが雷神みたくリビングの中央に仁王立ちしていた。肩で息をするリーダーの足元の水たまりには、停止した〈キューブ〉の山があった。傷のないほうの顔にブロンドが貼りついて、あたかも盲目のヴァルキュリアになっている。
「ぃっ?!」
暗闇にうかぶリーダーを目にした途端、幽霊だとでもおもったのか、卒倒するアリィ。あわてて子どもを抱えあげたわたしの横から、リーダーの腕が滑りこんで母親の体をすくいあげた。
「気をうしなっただけのようだな。呼吸は安定している……ヴィンピア、大丈夫か」
「はい!」
「おぎゃぁあ!」
赤子の泣き声が水浸しの部屋に響いた。
「……朝かぁ」
アリィの家の玄関を出たわたしは、水平線に顔を覗かす太陽にそっと、ため息をもらした。
うしろからやってくるリーダーに道を空けると、お姫様抱っこされたアリィがわたしに手をふった。腕の子を持ちあげ、アリィに顔がみえるようにする。
あれから、リーダーがわたしの体にパッチを貼りたくったあと、ハリケーンが通過するまでコンテナで待機した。嵐のなか母子を運んでいくわけにもいかない。わたしとリーダーで代わる代わる女の子を抱っこし、定期的にバイタルを見る。子どもを抱くリーダーの姿は意外とさまになっていて、やはり聖母像のようだった。
アリィの子は心肺停止がウソみたいに元気いっぱいだった。念のため、空気中から酸素を抽出できるアーマーの酸素吸入マスクをつけ、アリィのつかったタオルで巻いてあげるとすぐに眠った。
リーダーに寝ておけ、と言われたけれど、とても寝つけそうになかったので掃除をして、侵入してくる〈キューブ〉の“退治”に没頭した。赤い目のマシンがますます嫌いになってくる。
風が弱まり、通信が回復すると真っ先にリーダーが応援を呼んだ。グアンとハワダの報告によれば、住民に負傷者はなく、UN-WHOの兵士たちも軽傷だそうだった。
ずっと寝ていたアリィをリーダーがやさしく揺り起こし、キッチンにあったホワイトボードでレンジャーだとつたえると、アリィは恥ずかしそうにはにかんだ。「歩ける」と書いたアリィに、リーダーは「無理をしてはいけない」と説得し、軽々と抱えあげてみせた。
「よっ、お手柄だったな」
声のしたほうをわたしが振り向くと、歩いてきたグアンがお決まりのウインクをなげてよこした。隣にはハワダ、ホールデンと、ラクラン司令までいた。
「レンジャー・スーマイン、モーア両名と要救助者二名です」
背筋をのばしたリーダーに「ご苦労」と司令官がうなずき、担架を指した。ハワダのうしろに担架を抱えたヒューマノイドが立っていた。ハワダとで担架を運ぶらしい。
アリィを担架にのせたリーダーへ、ホールデンが自分の上着を渡そうとして睨まれた。虎のキャラクター柄もなかなか似合うとおもう。リーダーのユニフォームはいま、わたしが羽織っている。
「レンジャー・スーマイン」
正面にラクラン指令が立った。青みがかった目を見すえ、わたしは背をのばす。太陽のせいか、司令官の口角があがっているようにみえた。
「はい、司令官」
「進言に感謝する。おかげでキャンプにまた、新しい住民を迎えることができた」
チラリと赤子に目をやってラクラン司令がほほえむ。女の子は眠ったままだ。司令官の目に動じないあたり、この子は将来、大物になるかもしれない。
「きみはやはり〈街〉の子だ、スーマイン君」
肩に置かれた武骨な手から、ユニフォーム越しに温かみがつたわってくる。司令官の手の重さは紛れもなく、わたしたちの責任の重みだ。
登りきった太陽が〈灯街〉のエンブレムを照らす。反射した光がまぶしかったのか、腕の子が「んむっ」と身をよじらせる。
「おはよ。お母さんのところにいこうね」
歩きだしたわたしの腕で、新たな命が陽を浴びてアクビする。彼女の目に映る故郷は、どんな街になるのだろうか。
「んじゃ、帰りますか」
仲間たちに囲まれてわたしたちは進んでいく。
このさきもきっと、困難は待っている。
でも、わたしは迷わない。この手で救える人がいるかぎり。
それが、わたしの選んだ道だから。
(了)
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