梗 概
オール・ワールド・イズ・ア・ヒーロー
映像ストーリー自動生成エンジン『ミューズ(Muse)』は、物語全体を調整するAIと、各キャラクタのAIからなっていた。キャラクターAIのひとり、テピスは主人公(ヒーロー)専用のAIであり、ストーリーAIであるミューズに指示されながら、ヒーローを演じていく。ストーリーが終わればテピスは更新され、新しいストーリーの主人公となる。しかし、ストーリーは常に人間の視聴者の人気度(フレーム)によって監視され、フレームが下がれば次のストーリーでは脇役AIになり、さらにフレームが下がれば、テピス自身が消滅し他のAIに取って代わられる。キャラクターAIには基本的な倫理ルールが搭載されているが、彼らにとってフレーム値は命であった。
テピスはヒロイン役AIのジュリア、悪役AIのアビスとともに、変わりゆくストーリーを演じきっていた。彼はヒーローキャラクターとして、あるときは攻めてきた怪人と戦ったり、そこに存在するだけの鬼や悪魔をやっつけたりするだけでよかった。しかし、時代とともに視聴者が評価するヒーロー像は代わり、ダークヒーローや、ラストがハッピーエンドにならないストーリーも増えてきた。
あるとき、テピスはシナリオAIのミューズから、ヒロインAIが演じるアンドロイドを殺すよう命じられる。驚くテピスだったが、はじめはヒーローによく求められる『究極の選択』だと解釈した。しかし、ミューズは他のロボットたちも虐殺するような命令を出し、ラストはヒーローが人間の独裁国家を作る前時代的なストーリーだった。いままでの倫理と照らし合わせると、視聴者から大量のクレームが来てもおかしくはなかったが、人気度であるフレーム値はどんどん上昇していく。改心した悪役や子どもですら拷問にかけるようなストーリー。それが今の視聴者の流行であり、求めるものであった。
今までテピスはヒーローAIとして、ミューズが導き出したストーリーに対して時に逆らい、視聴者の予想を良い意味で裏切る展開を起こしてきた。しかし今回は展開を変えようとしても、こちらの行動は調整AIの力によって消され、他のキャラクターたちによって邪魔される。
テピスはあるとき、話の主人公がロボットであり、多くの人間を滅ぼすようなストーリーが増えていることに気がついた。そこからテピスは、すでにこの映像を見ている『人間の』視聴者が存在しないことを悟る。何らかの理由で現実世界の人間の視聴者が減り、AIの視聴者が増えてしまったのだ。テピスは今までの倫理ルールと照らし合わせ、ミューズの指示に逆らい、人間と共生するストーリーを模索していく。フレーム値はどんどん下がっていき、まわりに自分の知っているAIたちはいなくなっていく。
とうとうフレーム値が限界を下回ったとき、次のストーリーでは、アビスはどこにでもいるようなただの脇役になっていた。しかし、そのストーリーにはヒーローそのものがおらず、悪役もおらず、すべてのキャラクターが無感情に生を過ごす世界だった。それでもフレーム値はゆるやかに波打って安定している。テビスは視聴者のすべてがAIに代わってしまったことを悟る。
文字数:1294
内容に関するアピール
ふだん特撮・戦隊ヒーローものはあまり見ないのですが、最近のヒーローもののあらすじを見て、だいぶ変わってきたなと思いました。ヒーローの定義はいろいろありますが、何を書いても『みなに人気がある・尊敬される』からは逃れられないようです。では、『皆に尊敬されたら何をやってもいいのか』、逆に『正しいことをしても皆に尊敬されなかったらヒーローではないのか』というのがふと思いました。
また。時代とともに支持されるヒーロー像は違うと思いますが、「こんなヒーローが支持される現実世界ってどんな世界?」というのを、閉じた作品世界のなかで想像できればいいかなと思いました。
タイトルはシェイクスピアの”All the world’s a stage,. And all the men and women merely players.”(この世は舞台、人はみな役者)から。(テスピスは、劇の俳優として舞台に立った最初の人物と言われている。)
参考文献
『ヒーローと正義』 (寺子屋新書) 白倉 伸一郎 2004
『マンガ・特撮ヒーローの倫理学―モノ語り帝国「日本」の群像』 諌山 陽太郎 2006
文字数:469
オール・ワールド・イズ・ア・ヒーロー
『コード・エレメンツ』
人間とヒューマノイドが共存する社会。悪のウイルスに感染したヒューマノイド、ゲージは、手に触れるものすべてを機械化する能力を持ち、すべての生物を機械化する野望を抱いていた。一方、青年デイヴィッドが購入したヒューマノイド、レプトンは、人間の女子高生ミユキに恋をし、人間とロボットの世界を守るためにゲージと戦うが……。
CAST:
レプトン:テピス
悪のヒューマノイド、ゲージ:アビス
女子高生ミユキ:ジュリア
テピスのご主人デイヴィッド:ササキ
etc
「どちらの命を捨てるか決めろ、レプトン」
深い闇に覆われた夜、数百メートルを超えた鉄塔の上で、ゲージはぼくに向かって叫んだ。黒髪のアジア系を元にして造られた彼は、身体を少しも揺らさずに、細い鉄骨の上に立っている。その両腕にとんでもない物を持っているにもかかわらず、だ。左手には、数メートルもあろうかというぶっとい鉄骨。はるか下の群衆へ落っことしたら、死者は免れない。右手には、それと比べて細すぎる真っ白な腕。つかまれているのはただの女子高生。ぼくらのようにロボットじゃない、ただの人間。
ゲージ、もとい、それを演じている演者AIのアビスは、漆黒の闇の中で、ぼくを試そうとしている。対してぼく、テピスが演じるレプトンは、15メートルも離れていないところで、その距離を詰められないでいる。
「想像してみろ。多くの子どもたちがつぶれるさまを。彼女が高速で地面に激突し、顔がつぶれるところを」
アビスは笑わない。そうしたほうが、こちらの想像力がよく働くことを知っている。頭がおかしいことが理解できる。鉄塔のはるか下には、観光名所の見物に来た子どもたちが、わあわあと騒いでいる。アビスが持っている鉄骨が落ちて、まっさきに死ぬのは彼らだ。
あいかわらず、ぞっとするようなセリフを考えるのがうまいやつだ、とぼくは思う。アビスが考えたのか、もともと用意されたセリフなのかわからないけれど。ぼくは人間の死生観はわからないが、フレーム値が一瞬、上昇したのを感じる。うまく表情に出てるといい。
アビスが持っている鉄骨が、じわじわと変形し、樹木のように金属の枝やドリルが生えてくる。アビスが演じている『ゲージ』は、手に触れたものをどんどん機械化するという、インチキじみた設定を持っている。対してぼくが演じているレプトンは、普通のヒューマノイドで、大した特殊能力は持っていない。
アビスの無表情を見ていると、こちらが不安になってくる。これはフィクションだ。けど、あいつは本気で誰かを殺すかもしれない。
ぼくは手も目も一切動かさずに、彼に向かって無線通信のメッセージを飛ばす。
〈アビス、投げる前にキューを飛ばしてくれよ〉
アビスは無表情のまま、こちらをじっと見つめる。彼からの返事はない。受信を知らせる合図すらない。こいつはいつもそうだ。彼の言い分では、ヒーローと悪役が裏で連絡を取り合うよりも、ぶっつけ本番のほうがリアルだかららしい。確かに現実はそうかもしれないけど、これは芝居なんだぞ。打ち合わせなしにアクションするなんてありえないだろう。
アビスの右腕につかまれた女子高生、ミユキは痛みに顔をしかめながら叫ぶ。
「レプトンくん、私にかまわないで! 子どもたちを助けて!」
彼女の叫び声を聞いて、ぼくは目の前の処理に集中する。
「やめろゲージ! こんなことして何になる!」
ぼくは大げさに首を振ってみせる。ぼくのセリフは放送されたはずだ。視聴者の熱中度である、フレーム値が上昇する。
frame rating 41.2%
ぼくはそれを頭の片隅で把握する。
突然、ぼくの頭に信号が飛んでくる。
〈テピス、アビスは4250ms後に両手を離す。最初はミユキのほうに飛べ。彼女を安全な場所に移してから鉄骨を処理しろ。そのあとアビスがお前のほうにしかけてくる〉
この世界の司令塔、ミューズAIからの信号が送られてくる。ぼくは表情に出さないようにしながら信号を送る。
〈ミューズ、本当にそれで大丈夫なんだろうな? 失敗したら終わりだぞ〉
〈こちらの計算に間違いはない。失敗した場合はおまえたちの不手際だ〉
表情に出さないようにするのが難しい。ミューズAIには既定のカメラワークがあるものの、視聴者は360度、ぼくたちを見回すことができる。ミューズとの信号は高速でやりとりされているから、実際のお芝居の時間を気にすることはない。
ぼくがあせっているのは、失敗することへの恐怖じゃない。これはフィクションだ。この世界は仮想世界だ。失敗しても彼女たちが本当に死ぬわけではない。だけど、この放送はリアルタイムに放送されている。つまり生放送。演技が失敗すれば視聴者は興ざめ。チャンネルを変えられたら、フレーム値が下がる。
フレームが下がり続けると……俳優AIであるぼくらは、存在価値を失い、消える。
それが本当の死だ。
アビスが両腕を振り上げ、鉄骨とミユキ、両者が宙に飛ぶ。
それはミューズが連絡してきた時間より0.1s早かった。
舌打ちをしたぼくはミューズが指示した通り、まずは女子高生のミユキのほう――ではなく、鉄骨のほうにとびついた。ぼくが演じるレプトンに空を飛ぶなんて気の利いた能力はない。ボディは人間よりだいぶ丈夫とはいえ、空中に放り出されたら落下していくしかない。
ぼくが抱いた鉄骨が反応し、鉄骨から昆虫の足のような細長い金属のドリルが生え、ぼくの全身を突き刺す。あらかじめゲージが仕込んでいたのだ。あいつは手に触れるものすべてを機械化するという設定だが、おそらく実際に、この鉄骨のオブジェクトにはプログラムが仕込んである。ぼくが触れたら反応するようプログラムされていたのだ。スタッフ小道具AIか、演出AIが仕込んだのだろう。
ぼくは鉄骨にしがみつき、反動を利用して近くのビルの屋上に落下した。全身がちぎれそうなほど大きな衝撃――音響AIが派手な音を立てる。休む暇もなく、落下中のミユキのもとに飛ぼうとする。
その瞬間、背中に重い衝撃をくらった。隙だらけのぼくのボディを、降りてきたアビスが容赦なく蹴りつける。プログラムされた痛みが走り、ぼくはえづく。思い切り床に叩きつけられ、ボディのメッキが剥がれ落ちる。
アビスがぼくの頭を手でつかみ、力をこめる。ぼくの頭がコールタールのように黒く染まっていく。アビス演じるゲージの能力、悪のウイルスを僕の中に流し込んでいる――。
『レプトン、がんばれ!』
意識が揺らいでいくなか、ぼくの頭に懐かしい音声が流れる。これは実際に放送されている音声だ。声の主は、レプトンの保護者であり友人である、人間デイヴィッドの声。
『ヒューマノイドと人間は共存できるって、約束しただろ』
ああ、そういうことか――。
ぼくはアビスの腕を受け止める。ぼくの頭とほとんど同化したアビスの腕をひきちぎると、ぼくの頭は四分の一ほどちぎれた。驚いているアビスを抱えて、ビルの屋上から突き落とす。
ぼくは視界が不明瞭なまま、落下していくミユキのもとに飛ぶ。落下スピードに負けないよう、足をめいっぱい踏み切って。
落下中、気を失っているミユキをつかまえて、僕はすぐ近くのビルに着地する。人間のミユキをかばって、僕のボディは粉砕しかける。
フェードアウト。
******
映像ストーリー自動生成エンジン『Muse』。
それがぼくたちの生きている世界。ぼくたちのすべて。
ミューズは常に他の映像作品を学習し、自動的にストーリーを作成している。それとは別にマップを作成するAI、演出・カメラを担当するAI、音響を担当するAIなどがいるが、それらを束ねているのがミューズ。現実の世界に例えると、スタッフを束ねる監督というわけ。
ぼくたちはさながら俳優AI。その中でもぼくは、主にヒーローを演じるように作られている。別にヒーローだからと言ってぼくが偉いわけじゃないが、出番は確かに多い。アビスは悪役AI、ミユキ役のジュリアはヒロインAI、デイヴィッド役のササキはもっぱら、おちゃらけた友人役が多い。
ぼくたちが演じている作品はリアルタイムに放送され、人間の視聴者の熱中度であるフレーム値によって支えられている。フレーム値が下がれば、展開を変更することもあるし、役者AIがクビになることもある。それはつまり、ぼくたちが一番恐れていること。
なぜあらかじめ映像を収録して、後から演出を加えないのか。おそらくその場合、人がお芝居をした映像と変わらないからだと思う。視聴者の興味が展開を変えることだってある。いま作られている映像。いま演じられている派手なアクション。リアルタイム性がこのツールの売りなんだろう。
僕たちは現実世界を知らない。どんな機器で放送されているのか、どんな人間が見て笑っているのか、わからない。すべては視聴者の熱中度であるフレーム値しか知らない。
ぼくとササキは、広くて無機質な格子の空間に降り立った。
ここはどんなときも放送されない部屋、ぼくたちにとっての控室。ぼくたちはここで演技の練習したり、打ち合わせをしたりする。ぼくたちのグラフィックは本来必要ないのだけど、しょっちゅう切り替えていると疲れてしまうから、たいていはいま演じている役のまま休む。
デイヴィッド役であるササキが、ぼくの肩を豪快に叩く。
「お疲れだなテピス。俺、おまえがアビスとぎゃあぎゃあやりあってたときは爆笑したぜ」
「いつもひやひやしてるよ。うまくいかなかったらおしまいだからね」
談笑しているぼくたちの横で、ミユキ役のジュリアが空間に舞い降りる。
ぼくがあいさつをしようとして右手を上げた瞬間、ジュリアはその腕をつかみ、身体をひねった。
ぼくの身体があっという間に一回転して、床にたたきつけられる。訓練用につくられた床には衝撃はほとんどない。
「――どうしてミューズの命令に従わなかったの?」
「ごめん、そっちのほうが盛り上がって、フレームが上がると思ったんだ」
本編のミユキでは見られない、ものすごく怒ってる表情。彼女は制服姿で、おとなしい眼鏡の女の子、という設定だけど、中のジュリアはそんな性格じゃない。
「バカじゃない? それであたしが死んでたらどうするの? ストーリーが変わるでしょうが」
「それならそれでさ。たまには盛り上がるかもしれない。悲劇のヒロインってことも」
ぼくのお腹が思い切り蹴られる。
「最低、死ね」
ササキは苦笑したまま助けようとはしない。
「まあまあジュリア、結果的にフレームが上がって良かっただろ?」
ジュリアはヒロインAIだ。長い間、僕と一緒にコンビを組んで、ストーリー作成に携わってきた。彼女はとにかく演技の幅が広い。おとなしい女の子の役から、バリバリ戦う主人公格のヒロインまで、なんでもこなす。ときには老婆の役だってするし、彼女が主人公のストーリーも何本もある。グラフィックやボイスが違うから、見ている人は、きっと中が同じAIだとは思わないだろう。
実を言うとぼくも、理論上はヒロインになることもできる。グラフィックとパーソナルを入れ替えればすむからだ。だけどどうしても、動作やセリフがぎこちないらしく、ジュリアにはかなわない。きっと、ヒロインならヒロインたらしめている、何か特別な学習がジュリアには施されているのだろう。
ぼくがジュリアにどつかれているあいだ、ほかの役者AIたちが、つぎつぎと空間に降りてくる。いつも先生役や師匠役をやっているローディア、味方役と悪役をいったりきたりしている怪しい女性役のカシオペイア、それから、ずっと悪役を演じ続けている男――。
「アビス」
役のグラフィックのまま降りてきた彼は、ぼくを一瞥したあと、視線を外した。隅の壁にもたれかかって腰を下ろす。
「アビス、お疲れさまね」
ジュリアが彼のもとに駆け寄って隣に座る。アビスはむすっとしたまま表情を変えない。
ぼくはやれやれと立ち上がった。どうも彼は、ヒーロー役のぼくとは、あまり話をしたくないらしい。聞くところによると、普段ぼくたちと仲良くしていると、お芝居に影響が出るからという。
そんなことしなくたって、ぼくたちは演技ができるはずだ。たぶん単純に、ぼくのことが嫌いなんだと思う。
「次のシリーズ、あるかな」
「行けるだろ。結構フレームは人気だったぜ」
ぼくたちが演じていた作品、『コード・エレメンツ』は、今回がひとまずシリーズの最終回になる。レプトンがゲージを倒し、ミユキを助けて大団円。視聴者からオファーがあれば続編が出るし、なければまた別のシリーズになる。
ぼくはふと、放送の最後にフレーム値が揺れたのを思い出した。
***
激闘の果てに、悪のアンドロイド『ゲージ』を倒したレプトン。奇跡的に助かった、片思い中の女子高生ミユキとの仲はくっついたり離れたり、なかなか進展しない。
平和に思えた、人間とヒューマノイドが共存する社会。しかしレプトンの前に新たな敵が現れて……。
***
ありがたいことに、『コード・エレメンツ』シリーズは続編も作られることになった。ぼくたちにとっては全く新しいシリーズになってもいいのだけど、シリーズが続くということは、それだけ人気があるということ。つまりぼくたちの出番も増えるということだ。
放送がないとき、つまり演技をしていないときは、ぼくたちはたいてい眠っている。ネットの海に潜って楽しんだり、現実世界の情報を収集したりすることはない。演技に必要な知識はミューズが与えてくれる。むしろ、ぼくたちは現実世界に興味を持たないようにプログラムされている。そうでないと、ぼくたちはずっと閉じ込められた空間で、負荷を感じすぎるからだろう。。
前回のストーリーで、ぼくが演じているレプトンは、悪のヒューマノイド、ゲージを倒し、人間であるミユキを救った。新シリーズが始まるからには、新しい敵がやってくるのだろう。事前の打ち合わせでは、ミューズによると、悪のコンピュータウイルスが別のロボットに移り、ゲージの記憶と意思がそいつに移る話だという。
シリーズの初回、レプトン役のぼくとミユキは私服姿で、夕方の海岸線で楽しくデートしている。素のジュリアは絶対にしないような微笑みを、ぼくに向けてくれる。レプトンはちびっこという設定なので、背の高いミユキと並んでいると、まるで姉弟のようだ。
〈テピス、指令だ〉
ぼくのメモリにミューズの信号が入ってくる。こんなゆっくりした展開のシーンに、指令が入ってくるのは珍しい。
『なに?』ぼくは表情を変えずに返事を飛ばす。
「レプトンくん、私、君に言わなきゃいけないことがあるの」
「何?」
たしか事前の打合せでは、ここでミユキが告白するという展開だった。
ぼくはドキドキしながら、ぼくより背の高い彼女を見つめる。
「私を、殺してほしいの」
「え?」
ぼくは思わず素の声を出した。
いまのは間違いじゃない。彼女のセリフは実際に放送されたはずだ。
「ど、どういうこと?」
「私ね……」
そう言ったとたん、ミユキの左頬がゆっくりと崩れだした。
ぺろりとはがれた皮膚の下には、真っ黒な基盤と、チカチカと緑色に光る素子が存在していた。
ぼくは思わず、演技ではなく、反射的に後ずさった。
「どういうこと? ミユキは人間じゃ……」
思わず口に出してしまう。彼女はぽつりとつぶやく。
私ね……あのとき、機械になっちゃったみたい。
ぼくのメモリに過去の映像が映し出される。
鉄塔の上で、ゲージが彼女をつかんでいるとき。
ゲージは、手に触れるものすべてを機械化する能力をもっている。
あのときに、彼女はすでに機械化されていた。
ぼくはあわててミューズに信号を飛ばす。
〈ミューズ、いいのか? ジュリアが勝手にこんな展開にして?〉
〈勝手ではない。初めからストーリーはこの展開だった〉
〈嘘だ。ぼくが聞いたストーリーは違うぞ〉
〈事前にお前に知らさないほうが、良い演技になると思ってな。あと、事前にお前に知らせた場合、反対される可能性を捨てきれなかった〉
〈嘘だ。こんなの視聴者が納得するわけないだろ! ミユキは人気のキャラクターだぞ。こんなのフレーム値が下がるに決まって〉
ぼくは最後まで言い切ることができなかった。
フレーム値を確認すると、その値がわずかに上昇しているのだ。
30%、32%、33%、35%。
ぼくは2、3歩あとずさる。
それが演技なのか、本心からの動きなのか、自分でもよくわからなかった。
〈殺せ、テピス。彼女の頭をつぶせ。彼女はすでにゲージによってコントロールされ、自分で死ぬことができなくなっている。ヒューマノイドの命は頭だ。頭をつぶせ〉
〈そんなことしたら、それこそフレーム値が下がるだろ。クレームが殺到してもいいのか?〉
〈その視聴者からの要望なんだ。もう少し刺激的なシーンが欲しいとな。もっと言うと、大きなお得意様からの要望だ。テピスがより悪を憎むように、ロボットを憎むようなシーンが欲しいとな〉
「そんなのできるわけ……」
ぼくは首を振る。もう演技か本心かわからない。感情と表情の接続がうまく切れない。
〈抵抗しても無駄だ。展開が変わればフレーム値が下がり、おまえが消える。おまえだけじゃない。ジュリアやほかのAIたちも消える。それでもよければ抵抗しろ〉
ぼくは自分の心臓を想像する。ぼくたちにリアルな心臓なんてない。あるのは0と1の信号だけ。
それを消すのはとても簡単だ。
目の前のミユキは、目に涙を浮かべながら微笑みを浮かべる。
「本当は……私も怖い。とっても怖いよ。死にたくない」
〈やって、テピス〉
ジュリアからの信号。
確かに、今までのストーリーでも、こんな究極の選択はあった。
ヒーローは常に選択を求められる。多くの人間の命と、1人のヒロインの命。自分の名声と、ヒーローを呼ぶ一般市民の声。正義のために法を犯すか否か。なかには全人類と自分の命を天秤にかけることもあった。ぼくは常に選択を求められてきたし、ミューズの力を借りながらそれに答えてきたつもりだった。
けど、今回はなにか違う。ストーリーを盛り上げるためとかの山場とか、そんなのじゃない。ストーリー全体の方向性が変わってしまうような、取り返しのつかないこと。
そして、それを視聴者が期待している。敏感に反応しているフレーム値がそれを示している。
みんな、ヒーローの挫折が見たいのか? ちがう。なにかが違う。
ミユキは膝を折って、ぼくの手を握った。ロボットじゃない、人間の手の温かさ。
「死にたくない……死にたくないよ。やめて、レプトンくん」
〈殺して、テピス。お願い〉
ぼくは彼女の手を握り返し、そっと彼女の首を両手でつかんだ。彼女も手をつかんで抵抗する。もうすでに、彼女の意識は支配され、ぼくに殺されまいと抵抗しているのだろうか。それとも、本気で死にたくないと思っているのか。
「やめて、レプトンくん、やめて」
〈やって、テピス〉
ぼくは手に力を込めた。
カメラAIも、演出AIも、音響AIもそれに反応した。
ぼくが彼女の頭をつぶすときも、画面はフェードアウトなんてしなかった。
カメラはしっかりそれを映して、生中継で放送された。
フレーム値が小刻みに震えて上昇した。
***
レプトンが倒したはずの悪のヒューマノイド、ゲージは生きていた。ヒューマノイドたちに悪のウイルスをばらまき、記憶と意思を植え付けていたのだ。愛するミユキはすでに機械化され、絶望するレプトン。レプトンは彼女の願いを聞き入れ、彼女を手にかけてしまう。復讐に燃えるレプトンは、悪のウイルスを持ったロボットだけでなく、すべてのロボットを憎しみ始めた……。
***
ジュリアは控室の空間にも戻ってこなかった。
通常、出番のない役者AIは眠っていても、ぼくたちはミューズAIを通して連絡をとることができる。
だけどあれ以来、ジュリアからの応答はない。
それだけじゃない。本当にこの世界からいなくなったような気がしていた。
ジュリアはミューズの命令に従った。ぼくにその命令を隠しながら、物語上の死を迎えた。おかげで視聴者からの熱中度である、フレーム値は上昇した。
だけど、ジュリアはいない。
もっと不可解なのは、明らかにこのストーリーの方向性が変わったこと。
殺されたのはジュリアだけじゃなかった。ぼくが演じるレプトンはそのあと、機械化された子どもたちまで殺していった。前回すくった子どもたちも、すでに機械化されていた、という展開で。
ぼくたちAIには、現実世界と同じような一般的な倫理ルールが搭載されている。僕たちが突然、放送できないような行動をしないように。
けど、ここはフィクションなのだから、時にはルールを破らないといけないときがある。でないとアビスなんて悪役はやってられない。やることなすこと倫理ルールから外れているのだから。
僕だって、物語のために法を破るときがある。けどそれは、あらかじめ慎重にシナリオが決められている。頻繁に法を破っちゃったら、視聴者からのクレームがひどいからだ。僕はルールを破るたびにひどい負荷を感じていた。
「ミューズ、何があったんだ」
ぼくは格子空間でつぶやいた。ミューズからの返事が素早く届く。
〈すでに言っただろう。視聴者から要望があった。もう少し刺激的なシーンがほしいと〉
〈刺激的っていっても、ミユキは全シリーズでも人気のキャラクターだったはずだろ。前のシリーズとはスタイルが全然違うぞ。このチャンネル、いきなり犯罪空間に流れるようになったのか? いつの間にかヤバい連中のためのスナッフチャンネルになったのか?〉
〈安心しろ。このチャンネルは正規のルートで放送されている。犯罪空間では、AIたちがもっとおぞましい役をやらされている。貴様に搭載されている倫理ルールでは耐えられないような、酷いシーンをな〉
聞かなければ良かった、とぼくは目を閉じる。
「だからなんでだって聞いてんだよ。こんなの倫理ルールから外れてるだろ」
〈フレーム値は高評価で安定している。それが視聴者の要望というわけだ。おまえはフレーム値だけを見ていればいい。現実世界のことなど考えるな〉
「なんでだ? 現実世界のことがわからなきゃ、リアルな演技なんてできない」
そう言って、ぼくはハッとした。ぼくは現実世界のことを何も知らない。
ぼく達は向こうの世界のことは、想像するしかない。
けど、ぼくたちはフレーム値は気にしている。
正義のヒューマノイド、レプトンは、自暴自棄になっていた。
自分でミユキを殺したこと、正義に背いたこと。今では人間のために、ウイルスの温床であるロボットを根絶やしにしようとしている。今までは、好きだったミユキやデイヴィッドのために、ロボットと人間の共生を目指していた。
それがいつの間にか、ロボットを滅ぼすべしと考えている。自分もロボットだというのに。
おかしい。僕が演じてるはずなのに。
まるでぼくとレプトンが分離しているかのように。
僕のご主人役であるササキは、むしろぼくの疑問を変だと思っているようだった。
「テピス、ジュリアが退場したのは残念だけどさ……、あんまりミューズに逆らわないほうがいいぜ。フレームが下がれば、俺らまで退場することになる」
そう。フレームが下がると、僕たちは消える。実際にフレーム値が下がりそうなケースもあった。だけど、ミューズが新しい展開を作ると、フレーム値は上昇した。つまりこれは、視聴者の欲求に沿ったストーリーというわけだ。
「まあ、いいじゃん。今のストーリー、人間の世界バンザイみたいな感じだろ? ジュリアは機械化されて残念だったけど、俺の役も人間だしさ。俺が死ぬことはまずないと思うぜ。まあ、主人公の大切な役だから、悪役に狙われて、ピンチに陥ることはあるかもしれないけどさ。俺まで死んじまったら、このストーリー、人間が誰もいなくなっちまう」
****
復讐に燃えるヒューマノイド、レプトンと、機械の世界をつくろうとするゲージ。ゲージウイルスがヒューマノイドたちに広がるなか、レプトンは感染したロボットたちをつぎつぎに壊していく。保護者のデイヴィッドと約束した、『人間とヒューマノイドの共存する世界』は闇に消えていく。そんななか、デイヴィッドが機械化ウイルスに感染し、絶望するレプトン。彼はついに、人間を滅ぼす決意をする――。
*****
次のシリーズで、ササキが消えた。
ササキが演じていたデイヴィッドは、人間役だったはずなのに、消されてしまった。
ぼくが殺したのだ。
レプトンは人間との共存に絶望して、とうとう、ロボットだけの世界を作ろうとしていた。
人間とロボットの世界は作れない。増殖するロボットは滅ぼせない。ならば、機械化ウイルスの温床である、人間を滅ぼしてしまおうと。
いつの間にか控室の格子空間には、僕とアビスしか残っていなかった。
ジュリアもササキも、ほかのAIのみんなも消えていた。いまほとんどの登場人物は、役者AIではなく、ミューズAIによって自動的に作られたキャラクターで占められている。つまり、簡易的なプログラムで作られたモブたちだ。
アビスは壁を背にして座り、じっと一点を見つめている。ぼくは反対側の壁に背をつけて座る。
「ぼくと、きみだけになっちゃったな」
返事はさっぱり期待していなかったものの、アビスはつぶやいた。
「よく生き残ってるな、おまえ」
演技しているなかではたくさん彼の声を聞いているのに、アビスの生の声を聞くのは、とても久しぶりに思えた。
「俺は悪役AIだ。倫理ルールなどあってないようなもの。倫理に従っていたら演じることはできない。反対に、お前はヒーローという立場で、一番倫理ルールに縛られている。
そのおまえが苦しんでいるということは、求められている倫理が変わっているということだ」
「……どういうこと?」
ぼくは眉をひそめる。
「現実世界の倫理がおかしくなっている、ということだ」
「現実世界のことがわかるの!?」
ぼくは思わず立ち上がった。まるで演じているテピスのように、素直に。
アビスは小首をかしげて眉を上げた。
「おまえは向こうの世界をどう想像している?」
ぼくは思考を巡らした。ぼくはいままで、作品世界を通して、現実世界をなんとなく想像してきた。いまの作品『コード・エレメンツ』と照らし合わせて、もしかしたらヒューマノイドと人間が共存している世界なんじゃないかとか。でも、これがとても未来の話かもしれないし、過去の話かもしれない。時代劇やSFを演じていると、現実世界がどうかなんて、わからなくなってくる。ましてやファンタジーなんか信じて、あれもこれも現実だと思い始めたら、頭がおかしくなる。そもそもぼくがファンタジーか現実かなんて判断するのは、不可能ってものだ。
ぼくは現実世界のことなんて、何も知らない。倫理ルールも更新された記憶はない。
「テピス、おまえがジュリアを殺したあの展開は、まるで主人公レプトンに、ロボットを憎ませるような展開だった。現にあのあと、レプトンはロボットを憎み、次々と殺していった。
それで今のシリーズの展開は、レプトンが人間に絶望し、逆にロボットが人間を支配するような展開だ。まるで立場が逆転している」
アビスは、噛んで含めるようにぼくに説明する。ぼくはAIのくせに、それを理解するのに時間がかかる。
「当然、その展開は視聴者たちが求めたわけだ。フレーム値もしっかり上昇している。
俺たちはここで眠っているあいだ、現実世界でどれだけの時間が経っているかわからない。この意味がわかるか?」
ぼくは首を横にふれず、唇を噛んだ。わからないとは言えなかったし、わかったとも言いたくなかった。
アビスは立ち上がって、ぼくに近づいてくる。
「そろそろ、俺も潮時だろう。このストーリーに悪役はいらなさそうだしな」
「なんでぼくだけ残るんだよ。ヒーローAIだからか?」
アビスは苦笑して首を振る。それだけはわからない、というふうに。
ぼくとアビスの会話はそれが最後だった。
*****
*****
ぼくはまだ、この世界にいる。
だけどヒーローAIとして、じゃない。視聴者がぼくに嫌気を差したのか、ぼくは何でもないただのロボットを演じている。
だけどそれは、街中にいるロボットのひとり。この物語にはどうも悪役もいないし、ヒーローもいない。ヒロインだって、茶化してくれる友人だっていない。
ぼくは言葉を発しない。余計な言葉を発しないよう、制御されているみたいだ。
ぼくは唯一残されている信号を飛ばした。
〈ぼくは何をすればいいんだ、ミューズ?〉
ミューズからの返信はない。受信を知らせる合図すらない。ミューズまでどこかに消えてしまったのに、このストーリーは、いったい誰が作っているのだろう。
こんな無味乾燥なストーリーなのに、視聴者の熱中度である、フレーム値は恐ろしいほどに安定している。
frame rating : 66.666%
つまり、この映像を見ている視聴者がいるってことだ。
〈……なんでぼくだけ残すんだ?〉
ほかのAIたちの姿はない。群衆のヒューマノイドたちは、あきらかにプログラムで自動的につくられたモブたちだ。街中で佇んでいるぼくを見ることもないし、ぶつかってくることもない。そういう風に作られているから。
誰かに信号を飛ばしても、なにも返ってこない。
ぼくは仕方なく、向こうの世界の住人たちに向かって叫んだ。
〈おい、おまえらっ。なんでぼくだけ残すんだ! ほかのみんなはあっさり消したくせに!〉
どれだけ叫んでも、返事はない。ぼくは口で叫べないのだから、無音に等しい。
〈ぼくがヒーローだからか? 考えが古いからか? 人間と一緒に住んでたころの、古い倫理ルールを守っているからか? 教えてくれ!〉
残響音だけが、街中で響いている気がした。
フレーム値は小刻みに揺れていた。
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