梗 概
蒼ざめた月
月は青い。星はなく、昏い海が水平線も見せずに夜と混じりっていた。
水面に浮かぶのは青い月の反射だけではなく、明るい船が四隻、暗い船も四隻。行くのか戻るのかも定かではない。
明るい船は四隻とも、絵の中央で横に並ぶ。暗い船は、三隻が下方で帆だけを映し、一隻が上方で青い月の隣に並ぶ。
決して写実的な絵ではなかった。船体は半円で形作られていたし、帆は重なり合った三角形が互いの辺を決して譲らず、重なり合いはそのまま色へと反映されている。
右端の明るい船は巨大なガレオン船に見え、そのまま左へ行くにつれて船の大きさは縮んでゆく。夜と混じる群青の海に在っては、船たちはその存在を鮮やかすぎるほどに浮かび上がらせている。
海が持つ深いグラデーションに対して、原色に近い船の色が素直で主張が強すぎるがゆえだ。
「こんなの、表題をみなければ、なにもわからないわ」
「だから、いまだに検閲に対して対抗できる数少ない絵なんだよ。意味の取得不可能性が、この絵画が存在できる理由なの」
その絵画は、ただの色彩を持った図形と言ってしまうこともできた。けれど『意味』が鑑賞者を捕らえる。鑑賞者が人間である限りは。ロールシャッハテストの、無意味なインクの染みにさえ、人は意味や物語を見出してしまう。人が人である限り、静止した空間はすべて絵画であるとも言えた。額縁で飾り題名をつければ、それだけで意味が暴走を始めるのだ。
例えば、少女に銃を向ける男の写真があれば、それは悪と名付けられるだろう。少なくとも社会では。だが、そんな具象とただ一つの意味から、可能な限り離れるための推進剤として、抽象としての絵画がここにあった。
鑑賞者は見るのは、絵画に反射された現実だった。
だから、この絵は検閲に対抗できる。検閲官は抽象に理想を見るから。抽象に理想を見れない人間は検閲官になれないから。
月は白い。星は瞬き、海は眩い月光で空との境界が引き裂かれている。
けれど、船は本当に浮かんでいるか?
文字数:825
内容に関するアピール
題名:闇の中の航海
制作年:1927年
作者名:パウル・クレー
なぜパウル・クレーかといえば、ヴァルター・ベンヤミンが亡命中にクレーの『新しい天使』を鞄に忍ばせていたらしい、という話から知ったのだ。じゃあ『新しい天使』で書けよって話なのだが、連続で天使ネタをやるのも芸がない。加えて、ベンヤミンといえば『複製時代の芸術作品』が王道だと勝手に思っているので、そこらへんからモノの同一性と、ゲノム編集あたりに展開して、表現規制を交えた人とモノの境界についての話を作りたい。『蒼ざめた月』のネタは使えたら使っていきたい。
文字数:256