梗 概
漸減する曲率半径
幾重にも重なる高波に、舟が翻弄されている。舟に乗り込んだ漁師たちは、ふるい落とされないよう、しがみついている。陸は見えない。だが、波と波の間の、さらに向こうの方に、富士山が静かに佇んでいる。
富士山に向かって右側のほうが、波の輪郭がなだらかだが、波全体は大きくうねっている。反対に、左側は波が高く立っている。波の頂きはすでに崩れ始めて、白波が現れ始めている。崩れた白波のひとつひとつは、波に接している根本はなだからかで、宙に舞う先端ほど鋭く曲がっている。どの白波も小さくて似ているけれど、すこしずつ姿が異なる。曲率半径に、ばらつきがあるからだ。
波に飲み込まれそうになっている三艘の舟は、獲った鮮魚を輸送するための押送船だろう。一艘は、左側の高い波に捕らえられ、転覆しそうになっている。残る二艘は、波の間で落ち着いている。だが三・一四秒後には、左から迫りくる高波に飲み込まれるだろう。三艘とも富士山に向かって左側に、船首が向いている。舟の弦は、船首側が反り上がっている。つまり曲率半径が小さい。
遠くの富士山は、波に翻弄されることもなく、ただそこにある。稜線はふもとのほうがなだらかで、頂上に近づくほどに曲率半径が小さい。
周りに存在するすべての曲線は、右側から下のほうになだらかに弧を描き、曲率半径を徐々に小さくしながら、左上に軌跡を描いている。さらに曲率半径を小さくしながら右のほうへ伸びていく。
対数螺旋だ。
r = aebθ
と表される。ただし e はネイピア数、r は動径、θは偏角、aとbは定数とする。観察視点に平面写像した座標系では、r = 1.358456θ に近似できる。
対数螺旋は自己相似である。つまり、任意の倍率で拡大または縮小したものは、必ず元の螺旋の形状と一致する。
一番手前にある波をひとつ飛び越え、富士山に寄っていく。視点座標では e2π 倍に拡大された世界が新たに現れる。新しい世界の螺旋は、元の世界の螺旋と一致する。さっきまで視界の右下に見えていた、波と空間の境界曲線は、いまでは後ろ側にあるはずだ。そのかわり、視界前方にあった別の波がこちらに迫ってきて、まったく同じ曲線となっているのだ。
一番遠くにあるのは富士山だ。あの先には、無限に周回する螺旋の原点が、確かに存在する。
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内容に関するアピール
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」、1831-33年頃、葛飾北斎
対数螺旋に「宇宙の真理」を象徴させ、富士山で真理に巡り会える。というラストシーンを想定しました。
物語設定は、江戸時代に宇宙の真理にせまろうとした主人公が、いろいろあって、ゴール(または、その付近)にたどり着く、くらいしか考えられていません。
いつも設定から膨らませて、ラストに困ります。今回の「最後のシーンから考える」というのは、頭の使い方が違って、自分の癖をあらためて自覚しました。
「20世紀まで」に20世紀中の作品を含むか迷ったので、安全側に倒して19世紀の浮世絵にしました。20世紀を含むとしたら、エッシャーを使おうと思っていましたが、結果的に、富嶽三十六景のほうがいかにもSFっぽくない題材なので、よかったと考えています。
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