梗 概
流る星の満天の下
星が流れると命が尽きる。
2001年11月19日の獅子座流星群は、東アジア圏で一時間に5千個以上の流れ星を観測した観測史上最大規模の流星雨となった。七瀬ナナヤの両親、木曽観測所の研究員であった二人も、その日、流れる星とともに命を落とした。まだ6歳だったナナヤは、母親に抱きしめられながら、ひとり星空を見上げていた。
祖父母に引き取られ、医学部に進学したナナヤだったが、大学院を選択する際、反対を押し切って天文学に転科を決心する。
ナナヤが医学部に入ったのは、なぜ自分だけが死ななかったのか、その理由を知りたかったからだ。
流星死研究の第一人者である九重千春の研究室では次のような話を聞かされた。ナチスドイツの強制収容所での天体観測データと人間の死についてのレポートは、流星死を利用した殺人として記録に残っている。ソビエトの宇宙開発でも、鍛え抜かれた軍人を流星死で失わないために、防護服での環境テストなどを繰り返した。結果として判明したことはひとつ、流星の観測が困難な昼のほうが人は死ななかった。以後、表立っての流星死に関する人体実験は行われていない。
亡き父の友人であり、生存圏研究所の所長である四方木一星は、快くナナヤを研究室に受け入れた。
京都大学観測チームでの生き残りであった四方木は、当時からナナヤを気にかけ連絡を取っていた。ナナヤの祖父母から、天文学に孫まで奪われたくないという話を聞かされ、ナナヤが高校生になったころから距離を取るようにしていた。
ナナヤは京都まで来ると、見せたいものがあると車に乗せられ、滋賀の山中まで案内される。信楽MU観測所、対流圏から超高層大気圏まで観測可能なアジア域最大のレーダーがあり、地表には墓標のように半導体送受信機がたっている。
あの日も四方木はここにいたという。木曽観測所との共同研究は今も続いており、最近の研究では、毎日1トンもの塵芥が、地球に降り注いでいることを観測した。
あの日も四方木はここにいたという。木曽観測所との共同研究は今も続いており、最近の研究では、毎日1トンもの塵芥が、地球に降り注いでいることを観測した。
そのすべてが人を殺すのなら、とっくに人類は絶滅している。量子論の逸話を借りるのなら、僕らの観測によって、流星死が起きているのではないか。そんな気さえしてくる。四方木は煙草をふかし、空を見上げる。曇天だ。
京都へと戻る途中、雨が降り出す。天気予報では、今日は降らないはずなんだが。と四方木が愚痴る。
同時に、四方木のスマホが鳴り、スピーカーをオンにする。
電話口から慌ただしく声がする。南米で予報にない流星雨が観測されたということだった。
ナナヤはスマホを確認すると、すでに流星雨の速報で埋まっていた。画面の向こうで、星が降り注いでいる。
あと数時間で日本も夜を迎える。
MU観測所に戻り、二人は観測の用意を整える。
雨よ止むなという願いもむなしく、空は晴れ上がった。今日は新月、絶好の観測日和だ。
ナナヤは、どこか待ち遠しく感じている自分に気が付いた。
流星を見なければ、誰も死なないのではないかと四方木は言っていた。
しかしと、ナナヤは思う。星空から降り注ぐ光の雨。あの魅力から人は逃れらるものか。
一人、満天の星空の下で寝転がる。
星が、降る。
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内容に関するアピール
流星死は、流星を見るとその事象の認識に伴い、誰かの死という事象が確定するというもの。
また、その観測は観測者からの距離に応じて発散し、確率的に一つの死が確定する。
一言でいえば、流星を見るとその近くの人間が死ぬ。
流星雨現象は古くからあるが、理論的に解明されたのは2000年前後、アッシャーのダスト・トレイル理論によるもの。
理論としてはかなり新しい。
また、日本の天体観測はなかなか面白い。
2019年にトモエゴゼンが観測を開始し、様々な期待が寄せられている。
MUレーダーとの共同研究は実際にニュースとなった。
写真技術向上、AIなどの活用により、観測技術の更新は著しい。
人は星に魅入られ続けている。
そして、星が流れると人の死を暗示する。
わたしたちは、宇宙の塵が燃えることを、人の死と重ねてしまう。
どれだけ技術が発展しようと、星見や占星術は憧れの対象です。
これらをかけ合わせる形で、梗概としました。
文字数:393