龍の娘は雨を知らない

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梗 概

龍の娘は雨を知らない

遠雷の響きに、少女は目を覚ました。
「目を覚ます」といっても、周囲の様子を見ることはできない。赤ん坊の頃から暮らしてきた洞窟は暗く深く、彼女は視覚に頼らずに生活している。
寝床から立ち上がり、大きく声を張り上げる。反響で方角を確かめると、育ての親が「食堂」と名付けた区域に向かった。
遠雷は、まだ続いている。
山の麓に住む人間たちは、この音を「龍の咆吼」と考えていると聞く。大間違いだ、と少女は思う。実際は、こんなものではない。
洞窟内の食堂には、既に親がいた。どうやって龍の巨体を、少女の眠りを妨げることなく動かしているのか、まだ教えてもらえない。

少女は、生後間もない頃、雨乞いの生け贄として龍に捧げられた。当時、この地は酷い干ばつに襲われていたという。
「彼らの龍神は、水を司るというからね」
勘違いされて困ったものだ、と龍は言う。この地の龍神であればいざ知らず、異国出身のこの龍に、彼らに雨をもたらす権能はない。
偶然にも、少女が龍に捧げられた直後の長雨で、麓の大地は潤った。崇め奉られた龍が何を言ったところで謙遜と受け止められ、生け贄を返そうにも生家は既に無く、戯れに手元で育てることとなったのだ。

洞窟で育てられた少女は、自身が人間であり、同族は麓に住んでいると教えられたが、洞窟に留まり続けた。龍の禁もあったし、龍を訪問する人間を隠れて伺ってみると、龍のほうが自分に近しい存在と感じられたのだ。

いま、この地は長い雨に覆われている。
麓の人々は、雨を止めるよう、龍のところへ度々の嘆願に訪れていたが、月日を経るにつれ、願いを叶えない龍に敵意を抱くようになっていた。
「私に雨を操るような力はない。でも、聞き入れないだろうね。信じたいものを信じるのが、人間という生き物らしい」
少女と時と同様、生け贄が捧げられるが、雨は止まない。
やがて、麓の人々は「龍退治」のために武器を集め始めた。
生け贄が実は龍に育てられていた、と人々に知られたとき、どう転んでも彼女にとって益にはならないだろう。龍は、少女を追い出すようにして洞窟から出す。

少女にとって、初めての外界。盲目の少女は危ない足取りで、しかし背負った生け贄の幼子を傷付けぬよう、歩んでいく。洞窟の外の地面は歩きにくく、泥濘に足を取られるような感覚があった。
拓けた場所に出たところで、少女の身体を、強く打ち据えるものがある。天井、いや、遥か上方から降り注ぐそれは初体験だったが、名は既に知っていた。
「これが、雨……」
差し出した手のひらを握り締めると、掴み損ねた雨が零れ落ちた。
握り潰そうとしても、潰せなかった。

龍を殺した後に、もし雨が止んだなら。人々は、その行動を誇るのだろうか。
天を仰いだ少女の咆吼は、しかし、降り止まない雨にかき消され、誰にも聞かれることはなかった。

※登場人物の心情を「雨」の描写で伝えるとともに、「雨」そのものへの印象にも重きを置きたいと考えます。

文字数:1200

内容に関するアピール

自分ならではの「雨の描写」を考えるにあたり、第1回課題の「あなたの特徴をアピールしてください」を振り返りました。「ありきたりな設定」を考えた上で、ひねりを加えつつ、「共同体からの疎外感」「ルーツ探し」などを組み込むのが自分の特徴です。この梗概は、第1回で描いた「誰もが持つ能力を持たない少年」と対になるものでもあると考えています。

「雨」をどのように描くかを考えるうち、「雨に初めて触れた人物にとって、雨というのはいったいどのような存在であるのか」という着想を得ました。雨に初めて触れる存在として、洞窟の中でひとりで住む少女、それは雨乞いの生け贄であったから……という設定が思い浮かび、彼女の心情、そして彼女が持つ「雨」そのものへの印象を、雨を通して描くことにしました。

また、「見える/見えない」は、私が繰り返し扱ってきた題材であり、今回の梗概で改めて取り入れることとしました。

文字数:388

課題提出者一覧